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結婚
Episode 06 -愛の巣が決まった日-
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<ミサトのマンション>

ここ数日、シンジは期末テストに向けて遅れてしまった勉強を取り戻す為、毎夜熱心に
勉強していた。

「コーヒー入ったわよ。」

「ありがとう。そこ置いといて。」

「うん。ねぇ、アタシ志望を1つ落とそうか?」

「大丈夫。そんなことしなくても。」

「そう? 何かわからないことある? 教えようか?」

自分が結婚したいと言い出したことが原因で、成績が落ちたことは明白。責任を感じた
のか最近アスカは妙に優しい。

「うーん。じゃぁ。平家物語なんだけど。」

「ムッ! アタシが古文苦手なの知っててっ!」

「ははは。心配しなくても大丈夫だよ。参考書でなんとかなるから。」

「ならいいけど。」

実質、成績が下がったと言っても、少し勉強を疎かにした程度なので頑張れば取り戻せ
るだろう。しかし逆に言うと、もうサボることができない。

昼は学校、夜は受験勉強。休日は結婚の準備。ここまで来たら、後はもう体力との戦い。

「ほらぁ、目が赤いじゃない。ちょっと休憩しなさいよ。」

「そう?」

「集中力が持たなくなる迄やっても効率悪いだけよ? ぶっ続けでするんじゃなくて、
  1時間に5分は休憩しないと。」

「そうだね。わかった。」

確かにアスカの言う通りかもしれない。少し休憩することにし、目を閉じて椅子に凭れ
掛かった。

「はい。お疲れ様ぁ。」

後ろに立ったアスカが肩を揉んでくれる。働き出してミサトの様に徹夜で書類を作る様
な時、結婚したらこういう情景が当たり前になるのかもしれない。そう考えると、少し
嬉しくなってくる。

「こないだテレビで見たの。ここがツボらしいわ。」

TVで見た通り、ツボを親指でぎゅっと力一杯押すアスカ。

「わっ! い、痛いよっ!」

「どう? 気持ちいいでしょ?」

「痛いって言ってるじゃないかっ!」

「痛いってことは効いてるのよ。」

「ほ、ほんとに痛いんだってっ!」

「あはははは。おもしろーいっ!」

むぎゅーーーっ!

「ぐわーーーーっ!」

シンジにしてみれば、アスカは力は大したことはないのだが、それでも涙が出る程痛い。
さすがはツボだ。

「イタタタタっ! こ、このーーーっ!!!!」

あまりの痛さに飛び上がったシンジは、勢い良く立ち上がるとくるりと振り返りアスカ
の脇に手を通してひょいと持ち上げた。丁度いたずらをしている幼い子を、親が抱き上
げる様な格好。

「あっ! ちょとっ! 離しなさいっ!」

ジタバタするアスカ。

「アスカにばっかり、肩揉んで貰っちゃ悪いだろ?」

足が地に付かず、両手両足を振り回すが身動きができない。

「やめなさいって言ってるでしょっ!」

人差し指から小指までを脇に通しアスカを持ち上げていたシンジは、余った親指でぎゅ
っと先程自分が押されたツボを押す。

「いっ、いったーーーーっ!!!!」

宙ぶらりんで足をジタバタさせながら、アスカが悲鳴を上げた。

「痛いってことは効いてるんだよ。」

してやったりで、ニコニコシンジ。

「い、いやっ! いったーーーーっ!」

「アスカもかなり凝ってるねぇ。」

「ち、ちがっ、いったーーーっ! シンジっ! 覚えてなさいよーーーっ!!!」

「ん? そんな口きいていいのかなぁ?」

ぎゅっ! ぎゅっ!

「いっ、いたいっ! いたいーーっ!」

悲鳴を上げ続けるアスカ。

「シンジっ! いい加減にしないと、寝込み襲うわよっ!」

「げっ!」

びっくりして手を離すシンジ。ようやく自由になったアスカは、カーペットの上にぺた
りと座り、ひーひー言いながら両手で肩を押さえている。

「このバカシンジっ! 痛いじゃないのよっ!」

「だって、アスカがここが良く効くって教えてくれたんじゃないか。」

「うっさいわねっ! 今度やったら、アタシの下着買いに行って貰うからねっ!」

「わっ、ご、ごめん・・・。」

その時、シンジの部屋の襖が開き、ニコニコ顔のミサトが姿を現した。

「なーに? またジャレ合ってんのぉ?」

「聞いてよっ! こいつ暴力亭主なのよっ!」

「ぼ、暴力って・・・。」

「あっらぁ、シンちゃん。あんまり激しいことしちゃ駄目よん。」

「は、はげし・・・ミサトさんっ!」

「そんなことよりさぁ。聞いてよアスカぁ。」

「どうしたのよ?」

「加持の奴がさぁ、そろそろ新居見に行こうかって。自分から言い出したのよぉっ!」

「やったじゃんっ! ミサトの粘り勝ちねっ!」

「ただねぇ、わたしはマンションが便利でいいんだけどねぇ。加持は一戸建てがいいみ
  たいなのよ。」

「一戸建て、いいじゃん。アタシ達には、夢の世界だわ。」

「それが、えらい田舎なのよ。」

「どうしてぇ?」

「スイカ畑が庭に欲しいんだって。」

「加持さんらしいけどねぇ。」

「アスカはどう思う? マンションがいいけど、折角加持から言い出してくれたしねぇ。」

どうやら、家の好みで問題になっているようだ。

そんなアスカとミサトの会話を聞きながらシンジは思う。これ迄は年上で保護者だった
ミサトだが、後10年,20年したらアスカの茶飲み友達になっているんじゃないかと。

そして、更に思う。

そろそろ勉強したいから、ぼくの部屋で話し込まないで欲しいんだけど・・・。

<不動産>

ミサトの話にも後押しされる形になり、次の休日シンジとアスカは自分達の新居を探す
べく不動産に訪れていた。

「お安いのでしたら、築10年ですが2LDKで家賃が月5万ですよ?」

「うーん。」

最初に見せて貰った家は、家賃は安いが見た目にかならくたびれた賃貸マンションであ
る。アスカは首を傾げ唸り声を上げながら、いまいち納得できない顔をする。

「もう少し、家賃が高くてもいいんですけど。」

そんなアスカの様子を見て、シンジが交渉する。

「どのくらい迄なら大丈夫でしょうか?」

「7万5千円くらい迄ならなんとか。」

「では、これなんかいかがでしょう?」

2つ目に見せられたのは、先程と比べて随分綺麗な築3年の2LDKのハイツ。独立キ
ッチンが魅力である。

「これで、7万5千円ですね。」

「ねぇ、こっちの方がいいんじゃない?」

「そうだねぇ。」

「それでですねぇ。もう少し頑張って頂けるのでしたら、こういうのもありますが。」

続いて、築1年の3DKのハイツを出してくる。2つ目に見たのでも十分綺麗だったが、
更に広く築1年だけあってかなり綺麗である。

「でも、これ10万ですよ?」

「今でしたら交渉次第で9万になると思います。」

「本当ですか?」

そう聞くと、かなり安い物件の様に思えてくる。

「ここでこうしていても、イメージが沸かないでしょうから、実際に見に行ってみます
  か?」

「見せて貰えるんですか?」

「それはもう。」

それから2人は、不動産のお姉さんに今紹介して貰った3つの賃貸住宅を、最初から順
番に見せて貰った。

<不動産業者の車>

1つ目の物件はとにかく古くあちこちが痛んでいたので、アスカが一発で拒否したのも
のの、残りの2件は良い感じだった。

「ねぇ、ちょっと頑張ったら最後の家なんとかなるんじゃない?」

すぐ側にコンビニもあり繁華街も近い。家も綺麗で1階のベランダも広い家だった。ア
スカは最後の家が気に入った様で、一生懸命シンジに交渉する。

「でも9万円だしなぁ。」

「共役費込みじゃない。」

「うーん。」

だいたい家賃は駐車場込みで7万5千円から8万を考えていた。毎月のことなので、2
万アップはかなり辛い。

「奥様、気に入られているようですね。」

「お、奥様ぁっ? お〜く〜さまぁ〜・・・やっぱり、あそこにするわよっ!」

「若干高いかもしれませんが、十分価値のある物件だと思いますよ。」

「奥様に見えるぅ?」

「そりゃもう、若い奥様だと思ってましたよ。」

「いやーん。」

なんだかアスカが妙に喜んでいるが、それはそれ物件は物件、わけのわからない決め方
をしないで欲しい。

「いかがでしょうか? もし気に入って頂けたのでしたら、せめて仮押さえだけでも。」

「ちょっと考えてみます。」

「今、決めて頂ければ、駐車場の料金を5千円にして貰えるように相談してみますけど?」

「5千円ですか? 安いですねぇ。」

「お金とか一切いりませんので、仮押さえのサインだけして頂くだけですが?」

不動産屋の人間が仮押さえをシンジに薦めてくる。確かに良いハイツだが、冬月に”当
日即決してはいけない”と言われているので、すぐに決めるのは避けたい。

「すみません。敷金礼金を人に出して貰うので、相談してからにします。」

「では、せめて仮押さえだけでもいかがでしょう?」

「ちゃんと聞いてからにしたいんです。」

「ねぇ、シンジ? アタシここでいいけど?」

アスカはかなり気に入っている様で、最後に見たハイツに決めたい様だ。

「副司令に、相談してからじゃないとまずいよ。」

「ここ以上、いいとこないって。」

既にアスカは不動産屋の手口にずっぽりとはまっていた。最初、にっちもさっちもいか
ないところを紹介し、次に妥当な所を紹介する。その上で、少し家賃の高い物件を紹介
して、ちょっと頑張ればここに住めるという意識を駆り立てるのが狙い。

「いえ。やっぱり聞いてからにします。」

「そうですかぁ? しかし、ここは人気が高いですから、明日にはもう無いかもしれま
  せんよ?」

「うーん。」

「ほらぁ、シンジぃ? 無くなったらどうするのよっ!?」

車の後部座席に座って、不動産屋に帰る迄の間話を聞く。アスカは、しきりにシンジの
袖を引っ張って早く決めてしまいたい様だ。

「やっぱり勝手に決めちゃまずいよ。」

「だって、無くなっちゃうかもしれないって、言ってるわよ?」

「仮押さえだけ、内緒でしておくというのはどうですか? 契約じゃないですし。」

「内緒はちょっと・・・。」

「大丈夫よ。副司令ならそんなことで怒らないって。」

「副司令はともかく、父さんが怒ったらまずいよ。」

先程から副司令と言う言葉が出てくるが、何のことだろうと不動産のお姉さんが疑問に
思って口を開いた。

「あの? 副司令っていうのは?」

「あぁ、ネルフの副司令に敷金,礼金を出して頂くんです。ぼくの父さんが、ネルフ司
  令なんで。」

ビックーーーーー!!!!!!!!!!

真っ青になる不動産屋のお姉さん。

「そ、それは、しっかりと御確認された方が宜しいですね。こ、この物件はちゃんと押
  さえておきますので、あ、もちろん仮押さえなど不要です。」

「え? そうなんですか?」

「はい。それはもちろん。こちらで勝手にすることですのでっ!」

「ありがとうございます。1度聞いてきます。」

不動産屋に帰着したシンジとアスカは、今見た物件の間取り図などを貰うと、礼を言っ
て出て行く。

それらを冬月に見せなければならないが、1日物件巡りをしてかなり疲れていた。報告
は明日でもいいだろう。

<最後に見た9万のハイツ>

翌日学校が終わったシンジは、冬月から自分達の足で行って実際に家の周りを見て歩い
た方が良いと言われ、最後見たハイツへと来ていた。

「こんなとこだったかしら?」

「なんか暗いね。」

学校が終わってからなので、太陽がほぼ沈み掛けた時間帯に来ると、周りに電灯もあま
りなく道が暗い。

ガヤガヤガヤ。

そんな中でも賑やかなのは、コンビニの周り。学校が終わった高校生が何人もたむろっ
て騒いでおり、あまり雰囲気が良く無い。

また繁華街がすぐそこなので、早くも酔ったおやじ達があちこちをうろつき始めている。

「ねぇ、シンジ? やっぱり、ここちょっと怖い。」

「昨日見た時はこんな感じに思わなかったんだけどね。」

「便利だと思ったけど・・・。」

自分はあまり問題無いが、アスカが1人で出歩くと心配だ。

「副司令も言ってたし、他にもいろいろ不動産屋さん当たってみようか?」

「うん。そうする。」

その日からシンジとアスカは、時間を見つけて不動産巡りをする日々を送ることとなっ
た。

後で他の不動産で聞き驚いたのは、最初に紹介された繁華街の近くの9万の物件の辺り
では、繁華街が近いので下着泥棒が良く出るということだった。

<シンジの車>

今日も不動産屋へシンジとアスカは向かっている。これで6件目。既に今迄見てきた物
件の中で、いくつか候補も上がっている。それはいいが、大きな問題が勃発していた。

「今日行ったとこでいいのがなかったら、あの家にするわよっ!」

「駄目だよ。あそこは、不便じゃないか。」

アスカが1番気に入ったのは、日当たりもよく対面キッチンで歩いて行ける所に電車の
駅や商店街がある家。

それに対してシンジが押しているのは、家の前に駐車場があり道も広い。また、他の物
件と比べて風呂が綺麗な家。

「アンタの言ってるの、駅が遠いのよっ!」

「駐車場まで、歩いて5分も掛かるとこなんて嫌だよ。」

「アタシは車の免許ないから、駅が近くないとネルフへも学校へも行くの不便なのっ!」

「どーせ、ぼくが送り迎えするんだろ?」

「学校に車で行けるわけないでしょっ!」

「それを言うなら、ぼくだって学校行く時は、駅まで歩いて行くよ。」

シンジにしてみれば、丁度車に乗るのが面白くなってきた所。また、荷物を運ぶのも自
分なので、車はできるだけ近い所がいい。

「アスカが言ってる所って、道が狭くて家の前まで車で行けないじゃないか。」

「近く迄これるでしょーがっ!」

「引っ越しの時とか困るよ。あんなとこ。」

「結婚したらアタシがご飯作るんだから、キッチンが綺麗じゃないとヤなのっ!」

「いつまで続くことやら・・・。」

「ぬ、ぬわんですってーーーーーーーっ!!!」

バッシーーーーーンっ!

「いっ、痛いなーっ! 運転してんだから、やめてよっ!」

「失礼なこと言うからでしょうがっ!」

家のことで意見がもめてしまってからというもの、ミサトのマンションに帰ってからも
ずっと険悪なムードが漂っている。

「ぼくは絶対あそこがいいからねっ!」

「あっそー。アタシは、対面キッチンの家に住むわっ!」

「じゃ、1人で住めばいいだろっ!」

「誰に向かってそんな口きいてるのよっ!」

バッシーーーーーンっ!

「いたっ! 事故ったらどーするんだよっ!」

「フンっ!!!」

結婚前から夫婦喧嘩の花火がどーーーんと上がっている。シンジはどれだけ怒っても絶
対に手は上げないので、叩かれっぱなしである。

<6件目の不動産>

不動産屋に着きひとまず矛を収める2人。

「ほら、行くわよっ!」

「ちょっと待ってよ。地図とかいるだろ。」

喧嘩していても、今迄見た物件の資料や地図などの荷物は、全部自分で持ちアスカには
持たせないシンジ。

不動産屋に入ると、おじいさんが2人を出迎え物件のファイルを漁り出した。

「予算は7万から8万じゃな。ちょっと待っとるんじゃぞ。」

駐車場が近くで、アスカの気に入りそうなキッチンの家あるといいなぁ。

駅が近いとこで、駐車場が近いとこないかしら。

それぞれがお互いに妥協し合えるような物件があることを祈っているが、一度抜いてし
まった刀はあっさり鞘に収められないものである。

「こんなのは、いかがじゃ?」

今日来たのは、今迄まわっていた大手不動産ではなく、地元の家族でやっている不動産。
冬月から地元密着の不動産の方が、良い物件があるかもしれない聞いて来たのだ。

「3DKで、8万5千円。駐車場が1万。築2年で綺麗じゃぞ。」

「8万5千ですかぁ。」

悪くはないハイツだが特別良いというわけでもない。しかも、1万円も足が出るのは痛
い。

「予算は7万から8万じゃったな。ここの大家さんとは知り合いでのぉ。ちょっと待っ
  とれ。」

渋い顔をしていたシンジだが、おかまいなしに勝手におじいさんは話を進めていく。

「どうもご無沙汰じゃの。○×不動産じゃ。今、おたくの物件を見に来られているお客
  さんがおるんじゃが、予算が7万5千円くらいと言っとってな。いやぁ、若いカップ
  ルなんでなんとかならんかのぉ。」

それから、3分程そのおじいさんは話をしていたが。電話を切るとにこやかな顔で、シ
ンジ達の方に向き直った。

「いやぁ。7万5千円は無理じゃったが、7万8千円ならなんとかしてくれるそうじゃ。
  駐車場は、5千円でいいそうじゃ。ちょっと足が出るがどうじゃろう?」

「はい・・・。」

「ただしじゃ、他に住んでおる人には内緒じゃぞ。」

「はぁ。」

「とにかく見に行ってみるかの?」

「はぁ。」

もうほとんどそのおじいさんのペースで、その物件を見に行くことを決められてしまっ
た。駐車場も少し遠くキッチンも対面で無い為、シンジもアスカもあまり乗り気でなか
ったが、とにかく付いて行くことにする。

<15件目の物件>

おじいさんに案内されて入った家は、ミサトのマンションを全体的に小さくした様な家
だった。

「まぁまぁ、綺麗だけどねぇ。」

アスカがぐるりと家の中を見回す。特に要チェックしているキッチン周りを念入りに見
るが、対面でも独立でもなくありふれたキッチン。

「シャワーはついてるんですね。」

シンジはお風呂を見ているようだ。気に入っている物件の風呂と比べると一回り小さい。
また、駐車場まで少し歩かなければならないのも難点だ。

「ベランダが狭いわね。」

「ダイニングは広いけどね。」

既に14件も見て来たので目が肥えてきている。冬月が言っていた様に、初日で決めて
いては、とてもここ迄見ていなかったであろう所迄チェックする目が養われていた。

「どうじゃ、外を見てこんか?」

「時間はいいんですか?」

「わしは、ちょっと飯食いに行くよって。1時間程したら戻ってくるわい。」

「はい。」

「ここは、いい場所じゃて。」

「はぁ。」

不動産屋のおじいさんがそう言ってくれたので、シンジとアスカは2人で家の周りを散
歩に出掛けた。

「キッチンがいまいちだわ。」

「駐車場がここも遠いからなぁ。」

「駐車場なんか、どーでもいいって言ってるでしょっ!」

「よくないだろっ! アスカは車に乗らないからわかんないんだよっ!」

2人っきりになった途端、夫婦喧嘩再発である。

「対面キッチンの所って、まけて貰って8万5千円もするじゃないかっ。」

「その分。アンタの言ってるとこより、ずっと奇麗し広いわよっ!」

「そりゃ、お金を出したらいくらでも広い所くらいあるよっ!」

ブスー。
ブスー。

それっきりお互いに不機嫌な顔をして、口もきかずに家の周りを歩き続ける。

駅とスーパー迄は歩いて行けるって言ってたけど、小さいスーパーだわ。
やっぱりここはダメね。

一方通行の狭い道が多いなぁ。
広い道が近いとこじゃないと嫌なんだよなぁ。

しかも今見て来た物件は、お互いの要求が叶えられない為、余計にイライラが募ってく
る。

「だいたい、1時間も何処見回れってのよっ!」

「知らないよっ!」

「もう、絶対対面キッチンの家ねっ!」

「なんでそうなるんだよっ!」

口を開くと揉め始めてしまう。

その時。

「ママーっ!」

今見て来た物件のすぐ近くの公園から、3,4歳の子供が迎えに来た母親に向かって飛
び出して来た。

「これこれ。飛び出しちゃ危ないでしょ。」

「見てぇ。大きな木があったんだよっ!」

木を振りまわして笑顔で走ってくる男の子。

キーンコーンカーンコーン。

学校のチャイムが聞こえてきた。

どうやらすぐ側に小学校があるようで、周りには沢山の小学生が歩いている。

「そろそろ帰りましょうか?」

「やだやだーっ!」

だだをこねだす男の子。

「今日はパパの帰りが早いから、ご飯の支度しなくちゃ。」

「パパ?」

「そうよ。今日は早いの。だから、ね。」

「はーい。」

お気に入りの木を振りまわして、母親と一緒に帰って行く男の子。そんな様子を、アス
カは優しそうな目で眺めて歩いて行く。

「後何年かしたら、アタシもああやって公園で子供を遊ばせてるのかな?」

「そうだね。」

狭い道は多いが、子供が安心して通れる道が近くに沢山ある。そういう目で見ると、公
園もあちこちにあり、学校も近い。

電柱には電灯がついており、商店街は少し遠いが逆に静かで閑静な住宅街と言ったとこ
ろだ。

『ここは、いい場所じゃて。』

おじいさんの言っていた言葉が頭を過ぎる。

あのおじいさんは、いい家とは言わなかった。いい場所と言った。

どこがいいのか最初はわからなかったが、今ようやくわかった気がする。

1時間も何を見ろと言ったのか、わかった気がする。

「アタシ・・・やっぱりここでいい。」

「ぼくもなんだか、ここがいい様な気がしてきた。」

「アタシ達なら、行こうと思えば何処でも行けるもんね。」

「そうさ。駐車場なんて、少しくらい遠くてもどうってことないよ。」

「そうね。そんなことより。」

「そうだね。」

公園の近くに母親がいて父親やがいて。安心して子供が家の周りで遊べる環境。

車がビュンビュン飛ばしている所より、事故の心配が無い道路。

自分達だけの家じゃない。もう結婚するのだから・・・。

子供が住みやすい環境。

それが一番。

その翌日、早速2人は冬月に付き添って貰い、賃貸契約を交わした。

今日は、これから先何年も住むことになるであろう、2人の愛の巣が決まった日。

To Be Continued.
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