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結婚
Episode 08 -船出-
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ピーンと張り詰めた糸の様な空気が漂う受験前日、シンジは自分の部屋で目を赤くして
最後の足掻き。自分の将来が、全て明日に掛かっている。

「シンジぃー。紅茶入ったわよぉ。」

「・・・。」

「ねぇ、シンジってばぁ。紅茶入ったーーーっ。」

「・・・。」

「聞こえないのっ! 紅茶入ったって言ってるでしょっ!」

こちらは同じ大学を受験するアスカ。学校の成績は、ダントツトップ。全国模試でも何
度もトップをかっさらった彼女は、たかだか大学受験などピクニック気分。

「シンジってばっ! 聞こえないのっ!」

ガチャッ。

扉を開けて不機嫌そうに入って来る、余裕のお嬢さん。

「呼んでるでしょっ! 耳無いのっ!」

「煩いなっ! 静かにしてよっ!」

「ぬわんですってっ! 人が紅茶入れてあげたのにっ! なんて言い草よっ!」

「そんなの飲んでる暇、あるわけないだろっ!」

普段は温厚なシンジも、今日ばかりは不安と焦りでイライラ全開。ついつい煩く刺激さ
れると当たってしまう。

「受験なんか、一夜漬けでやっても一緒よっ!」

「そんなのわかんないだろっ! もしかしたら、今やってるとこが出るかもしれないじ
  ゃないかっ!」

「アンタバカぁっ!? そんな赤い目して頭に入るわけないでしょうがっ!」

「煩いなぁっ! あっち行ってよっ!」

「今日みたいな日は、さっさと寝なさいって言ってんのよっ!」

「アスカは余裕だからそんなこと言えるんだよっ!」

「シンジぃ・・・。アンタも、ボーダー越えてるでしょ?」

確かにボーダーは越えている。だが結婚準備などの忙しかった状態で、アスカと同じト
ップクラスの大学を受験するのだ。ギリギリである。

「アスカこそ早く寝たらいいだろっ。」

「自分を追い詰めたら、碌なことないってばぁ。」

「明日失敗したらどうするんだよっ! 明日なんだよ。明日で全てが決まるんだ。」

「そんなに緊張してどーすんの? ダメモトで行けばいいじゃん! ねっ?」

「嫌だよっ! アスカと同じ大学へ行きたいんだっ!」

「・・・・・・シンジぃ。」

困った顔をするアスカ。本来ならシンジには一緒の大学へ行けるだけの実力は十分あっ
た。それをここまで追い詰めたのは、自分が結婚したいと言い出したことも1つの理由
であることに間違いはない。アスカは声のトーンを落とし、ゆっくりとシンジに近づく。

「ねぇ。シンジ?」

「なんだよ。」

「寝不足なんかになったら、実力発揮できないってばぁ。」

「わかってるよ!」

「今迄、一生懸命勉強してきたじゃん。」

「まだ、やってないとこがあるんだよ。」

「自分を信じなさいって。」

「自信持てるわけないだろ。」

「使徒と戦ってた時、シンジ強かったじゃない。逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだって。」

「だから、勉強してるじゃないか。」

「うううん。なんだか今のシンジ、自分に負けかけてるよ?」

「・・・・・・。」

「逃げちゃダメってのは、自分に負けちゃダメってことじゃないのかなぁ?」

「うん。」

「だからさ。自分を信じてさ。今日はもう寝よ?」

「・・・・・・わかった。」

それ迄、イライラばかりが募っていたシンジだったが、ようやくいつもの笑みを浮かべ
て向き直る。アスカもそんなシンジを支えるかの様な笑みを返す。

「でも、その前にさ。」

「まだなんかすんのっ?」

「アスカの紅茶飲まなくちゃ。」

まだまだ不安は拭い去れないシンジであったが、アスカの紅茶でエネルギーを充填し、
今日はしっかりと睡眠を取ることにする。

一方アスカも、シンジが布団に入ったことを扉の隙間から確認すると、静かに夜空に向
かって一言呟き自分の部屋へ入って行った。

『シンジを見守ってあげて。』

星が輝く夜空の下に眠るシンジとアスカを、その夜、まあるいまあるい大きな月が、ず
っとずっと見守る様に輝いていた。

<受験会場>

翌日。朝方まで晴れていたのだが、朝食を食べている頃から雲行きが怪しくなり、受験
会場近くのバス停を降りた頃には、雨がちらほら降り始めた。

「雨だよ・・・。」

普段、信仰心などほとんどないシンジも、こういう時はどうしても縁起を担いでしまう
らしい。不安そうな顔で小さな体でちょこちょこ付いて来るアスカを見下ろす。

「雨降って地固まるってやつよっ。今、雨降ってたら発表の頃には固まってるって。」

「そ、そうだね。」

なんとなく無理矢理こじつけたような理屈だが、そんなアスカの言葉に縋り付きたくな
る程、今のシンジは不安で仕方がない。

「肩。」

手を伸ばし相々傘をクイと押し上げるアスカ。自分と反対側のシンジの肩が雨に濡れて
いる。

「いいよ。」

「ダメよっ! 今日はアンタは万全で望みなさいっ。」

「うん。頑張るよっ!」

といいつつも、ついつい傘をアスカの方へ傾けてしまい、バス停から試験会場に辿り付
く短い道程の間に、同じ様なことが何度も繰り返された。

「アスカ。D校舎なんだ・・・。」

「なんて顔してんのよっ! アンタはAよっ! 1番なんだから大丈夫だってっ。」

「う、うん・・・。」

不安そうなシンジに、またしても無理矢理こじつけたような理屈をつけて、元気付ける
アスカ。

「じゃ、アタシは行くから。」

「頑張ってね。」

「アタシはいいから、アンタこそ全力出しなさい。そしたら、絶対受かるって。」

「うん・・・。」

「じゃ。」

「あ、アスカ。」

「なに?」

「なんでもない。」

「もぉーー。男でしょーっ! しゃきっとなさいっ! しゃきっとっ!」

「うん・・・ごめん。」

「ったくっ!」

そう言いつつ、アスカはめいいっぱい背伸びをすると、校舎の前でぎゅっとシンジに抱
き付く。

「わっ! アスカっ!」

「みんな見てるわよ? どうする?」

「は、離れてよっ!」

「緊張する? ねーぇ?」

人目を気にしてきょろきょろするシンジに抱き付いたまま、チシャ猫の様にニヤリと笑
みを浮かべて見上げるアスカ。

「するに決まってるだろっ!」

周りを通り過ぎる受験生達が、何ごとかとジロジロとシンジ達の方を見ながら通り過ぎ
て行く。もうシンジはドギマギドギマギ。

「どうっ?」

しばらく抱き付いていたアスカだったが、さっとシンジから離れるとニコリと微笑み掛
けた。

「い、いきなり何?」

ようやくアスカが離れてくれて、ほっと胸を撫で下ろす。

「ほっとしてるんでしょ?」

「そ、そりゃ。」

「落ち着いたでしょ? じゃ、受験がんばんなさいよっ!」

ポンと肩を叩いてD校舎へ走って行くアスカ。その後ろ姿を目で負いながら、シンジは
心の中で呟いた

余計に人の目が気になるじゃないか・・・。

<D校舎>

試験会場に入り、アスカはシャープペンシルを加えながら、シンジのことばかり考えて
いた。試験官がお決まりの文句を並べているが、そんなことはどうでもいい。

大丈夫かなぁ。
かなり緊張してたもんねぇ。

いよいよ試験開始。早速、シンジが解けそうな問題かどうかを目を通し確認した後、1
問目の回答から書き込み始める。

なんだ。楽勝じゃん。
これなら、きっと大丈夫ね。

アスカにとって、国語、特に古典と漢文以外は悩むべき余地もない。時間を持て余しな
がらスラスラと解いて行く。余裕どころか、アスカにとっては子供騙し状態。

あら? もう終わりぃ?
情けない試験問題ねぇ。
見直しなんてめんどいし。
も、いいや。

シャーペンを口に咥え、ハムハム動かしながら両手を頭の後ろに組んで、周りの受験生
に視線を巡らす。

寝てる奴がいるわね。
アイツら諦め組ね。

一部寝ている者もいるが、さすがに受験である。ほとんどの受験生は真剣そのもの。

みんな真剣な顔してさ。
気合入ってるわねぇ。
でも、真剣な顔したシンジに比べたら、どれもこれもクズねクズ。

人生を掛け、必死で取り組んでいる者に向かって、クズはあまりにも失礼ではないだろ
うか。

1教科終了。

シンジの様子を見に行きたいが、そんなに時間の余裕もない。少しの休憩の後、2教科
目の試験が始まる。アスカは受験番号と名前を書き、楽勝で解いていく。

はぁーあ。これでトップクラスだなんて。
日本の大学も大したことないわねぇ。

全教科の試験も終わった。D校舎で試験を受けた受験生と並び、アスカも階段を下り校
舎を出て行く。

ん?
シンジは?

待ち合わせの場所迄やって来て、周りをきょろきょろ見渡すが、何処にもシンジの姿は
見えない。

このアタシを待たすなんて、なーに考えてるのかしらっ!

赤い傘をクルクルと回しA校舎の方から出て来る生徒達をずっと見ている。どうやら自
分も一応傘を持って来ていた様だ。

なにしてんのよっ!
おっそいわねぇっ!
あのバカっ!

人を待たせても、自分が待たされるのは大嫌いなアスカは、どんどんその目尻を吊り上
げて行く。

先帰ったとか・・・。
まさか・・・シンジに限って。
ねっ。

しかし、A校舎から出て来る受験生がだんだんと少なくなってきているのに、まだシン
ジの姿は現れない。待ち合わせ場所を間違えたのでないかと、だんだんと不安になって
くる。

バカシンジっ!
さっさと出て来なさいよっ!
出て来たらとっちめてやるわっ!

そして数分待たされアスカが、我慢の限界に達しようかとした時、既にまばらになった
A校舎から出て来る受験生の中に混じり、うな垂れてトボトボと現れるシンジの姿が。

シ、シンジ・・・。

それ迄の威勢は何処へやら、そのがっくりとしたシンジの姿を見た途端、心の中を今日
の空を覆う様な真っ黒な雲が覆い始める。

「シンジっ!」

傘を振り回し、ばしゃばしゃと水飛沫を上げながら駈け寄るアスカ。周りを歩く関係の
無い受験生達にとっては、これほど迷惑な娘はいないだろう。

「あ、アスカ・・・?」

「どうだったのっ?」

「ごめん・・・。」

「えっ!?」

ビクっとするアスカ。

「ごめん・・・。」

「またまたぁ。教習所ん時は、その顔に騙されたけど、今度はそうはいかないわよ。」

おちゃらけてみせた。なんとかシンジのその口から「嘘」の一言を出して貰おうとする
が、ただただ黙って下を向くばかり。

「ねぇ?」

「ごめん・・・。」

「ほんとに・・・ダメ・・・だったの?」

「ごめん・・・。」

「で、でもさ。ダメだダメだって思ってても、結構受かてたってこと多いじゃない?」

「そんなこと・・・ない・・・と・・・思う。」

「だーいじょうぶよ。またすぐ次の試験あるじゃない。1回目からそんな顔してたらダ
  メよ。」

「次は、滑り止めだし。アスカとは一緒に行けないよ。」

「アンタバカぁっ!? シンジがあっち行くんなら、アタシも行くに決まってるじゃん。」

「駄目だよ。そんなの。」

「そんなことよりさっ! まだ結果も見てないのにダメだった時のこと考えないのっ!
  いーいっ!」

「う、うん・・・。」

「よーしっ! 次も頑張ろうっ!」

「アスカ・・・。」

「なにっ? ほらぁ、そんな顔しないのぉ。ね。さっ、帰るわよっ!」

「ありがとう。」

「ほらほら。雨、塗れちゃうわよ?」

自分の傘を閉じ、来た時と同じ様にシンジの傘の下に入って試験会場を出て行くアスカ
は、バス停に着く迄シンジの肩に雨が掛からない様に、何度も何度も背伸びをし傘を持
ち上げるのだった。

<シンジの家>

次の滑り止めの試験は3日後。まず落ちることはないだろうが、もう失敗は許されない。
シンジは寝る暇も惜しんで、最後の頑張りを見せた。

そして、試験当日。

「無理だって言ってるでしょっ!」

「だって、今日は・・・。」

「死んだらどーすんのよっ! このバカぁっ!」

こともあろうか、頑張りすぎたシンジは、試験当日40度以上の高熱を出してしまい、
立つこともできない状態になってしまっていた。

「リツコが迎えに来てるから、大人しくしてなさいってばぁ!」

「だって、今日受からなかったら浪人じゃないかっ。あっ・・・。」

ドサッ。

「イヤーーーーーーーーーーーーーっ!!! シンジーーーーーーっ!!!」

ピーポーピーポー。

<病院>

次にシンジが気付いた時、その眼前に広がった物は、白い電灯と天井。

「知らない天井だ・・・。」

しばらくぼーっとしていたシンジだったが、自分の今置かれた状況に気付き目に涙を浮
かべる。

「ぼくは・・・ぼくは・・・。しくしくしく。」

本命は最悪の結果。滑り止めすらこの始末。あまりの自分の情けなさに涙が溢れてくる。

ガチャ。

扉が開いた。目を向けるとそこには、花を刺した花瓶を両手に抱き、足で扉を閉めなが
ら、お行儀悪く入って来るアスカの姿。

「アスカ・・・。」

「あっ? 元気なった?」

「ぼく・・・。うっうっうっ。」

「点滴したから、リツコがすぐ元気になるって言ってたわ。」

「ごめん・・・ぼく・・・。」

「なーんて顔してんのよ。今年がダメでも来年がある。人生長いのよっ!」

花瓶を側に置き、顔を覗き込んで来たアスカがニコリと元気付けるように微笑む。

普段は自分自身にも人にも厳しいアスカ。
しかし、いざ最後の最後になると、アスカは全てを許すような笑顔を見せてくれる。
シンジにだけ見せる、聖母のようなこの笑顔。

「来年、また一緒に頑張りましょ? 1年なんてあっという間よぉ? そーんなつまんな
  いもんより、体の方が大事じゃん。ねっ。」

「ごめん。ほんとにごめん・・・。」

ぎゅっとアスカの体を抱き締め涙を流す。

「アスカと一緒に大学行けなくなっちゃった。」

「アンタバカぁ?」

「ごめん・・・ほんとバカだ。」

「アンタが行かないんなら、アタシも行くわけないでしょっ!」

「そんなの駄目だよ!」

「それに、学校入ってから姓が代わる手続きがやっかいだなぁって思ってたとこなのよ。
  丁度いいじゃん。」

「でもっ!」

「やかましっ! シンジと一緒に行くったら行くのよっ! 反論は却下よっ!」

「アスカ・・・。」

「来年は碇アスカとして、一緒に試験受けに行くわよっ! トップで合格するくらい、
  みっちりしごくからねぇっ!」

「う、うんっ。」

将来シンジはネルフ職員の中で、元チルドレンであったことや父が総司令であることを
差し引いても、作戦部で類まれ無い実力を発揮することになる。

その裏で、飴と鞭の力を使いアスカが巧みに手綱を引いていたことは言うまでもない。
良く言えば、出生する夫の持つ良妻というやつともとれるのだが。

<シンジの家>

波乱万丈の今年の受験シーズンも終わり、いよいよ結婚式に向かってシンジとアスカが
二人三脚を始め様とし始めていた頃、最後の受験イベント到来。

「シンジっ! 行くわよっ!」

「もういいよ・・・。」

「何言んのよっ! 万が一ってこともあるでしょうがっ!」

「絶対駄目だよ。」

「ウダウダ言わないのっ! ダメならダメで、すっきりすりゃーいいのよっ! わかった
  ぁぁっ!」

「う、うん・・・。」

合格発表である。シンジ達の受けた学校は、朝10時より巨大な液晶パネルに、合格者
の番号が映し出される。

はぁ、やだなぁ。
周りで受かった人が喜んでるんだろうなぁ。

滑っているのがわかっているのに、合格発表を見に行く程辛いものはないが、これ以上
アスカを怒らすと、もっと辛い目に合いそうなのでGパンに履き出掛ける準備を整える。

<第3東京大学>

受験の時とは裏腹に、晴れ渡った青い空の下、バスから降りたシンジとアスカは、他の
合格発表を見に来た受験生に混じり校内へと入って行く。

「まだ、5分あるわね。」

「あー、やだなぁ。」

「まーだ、ウダウダ言ってんのおぉっ!?」

「だって・・・。」

現時刻9:55。

でかでかと掲げられた液晶パネルはまだ真っ黒。10時になった瞬間、あそこに受験番
号が一斉に出て来るのだろう。

「後1分よ。ドキドキしてきちゃった。」

「ぼくは、全然どきどきしないよ・・・。」

その時。わーーーーという歓声が上がったかと思うと、液晶パネルに5・4・3・・・
とカウントダウンの文字が出て来る。周りの人全てが、そのパネルに視線を固定する。

2。

1。

合格番号表示。

「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」

アスカの悲鳴。

「え? え? え?」

目をきょろきょろさせて、アスカの声にどぎまぎするシンジ。

「シンジっ! シンジっ! シンジっ!」

絶叫するアスカ。

「シンジっ! シンジっ! シンジっ!」

アスカが小躍りして、シンジの手を引っ張りまわす。

シンジは何のことかわからず、横で飛び跳ねるアスカに引っ張られながら、自分の番号
を目で探す。

「えっ!?」

幻が見えた。

「まさか・・・。」

そう、そこには紛れも無くシンジの番号が燦然と光り輝いているではないか。

「ある・・・。あったよっ! アスカっ! 受かったんだっ!」

「やったーーーっ! 4月から一緒よーーーっ!」

「アスカーーっ! やったーーーっ・・・え?・・・??????」

シンジも喜び飛び上がりながら、別の物に視線を移動させたのだが、わけのわからない
違和感に捕らわれた。

「??????????」

アスカと抱き合い飛び上がっていた足が止まる。

「??????????」

きょとんとアスカが見上げてくる。

「ん? どうしたの?」

「アスカ。何番だっけ。忘れちゃったみたいだ。」

「ばっかねぇ、アタシは。・・・えっ!?」

無い。

「ちょ、ちょっと、待ちなさいよっ。」

アスカの番号が無い。

「アタシは・・・。」

受験票を取り出し確認。

「!!!」

無い。

「なっ! そんなバカなわけないでしょうがっ!」

「な、なんで・・・・・・。」

シンジは、自分が受かった喜びなど何処へやら、わけのわからない状況の解答がどこか
にあるのではないかと、視線をさ迷わせる。しかし、なにも解決の糸口が見当たらない。

「これって・・・。滑った人の一覧?」

シンジの頭に、1つ解決案が思い浮かんだ。バカである。

「んなわけないでしょうがっ!」

滑った人の一覧なら、自分の番号があってアスカの番号がないというもの十分理解でき
る。が、そんなはずがあろうはずもない。

「アスカ、最後まで受験したよね。」

「ったりまえでしょっ!」

「名前とか書いたよねっ!」

「ったりまえ・・・えっ?」

覚えているだろうか。シンジを心配するあまり、アスカは1時間目の数学のテストで、
いきなり1問目の解答から書き始めていたことを。

「・・・数学。名前書いた覚えが・・・。」

「えーーーーーーーーーっ!!!」

「シ、シンジぃぃぃぃーーーっ! 名前忘れたかもぉぉぉっ!」

「なんだってーーーーーーーーーーーっ!!!!」

信じられない面持ちのシンジだったが、アスカがこの学校に落ちるとしたら、そんなこ
としか考えられないのも事実。

「えーーーーんっ! どーしよーーーシンジぃぃぃっ! えーーーーんっ!」

いきなりアスカが泣き出したので、周りの生徒が注目している。シンジはあたふたしな
がら、アスカを泣き止まそうと右往左往。

「こーーんな低レベルの、バカ学校に落ちゃったよーーーっ!」

「げっ!」

受かって喜んでいる受験生達がギロリと睨みつけて来る。

「小学生レベルの学校に落ちたーーーっ!」

「わーーーーっ! ちょっと静にっ!」

「バカ学校に落ちたーーーっ! バカ学校に落ちたーーーっ!」

「すみません。すみません。」

ジロジロ、ギロギロ自分達を睨む生徒達に頭を下げながら、アスカを連れて合格発表会
場から避難。

「あんな簡単なバカみたいな問題だったのにーーーーーっ!」

「黙ってっ! 黙ってよっ! お願いだからっ!」

矢が突き刺さるような視線の中、アスカを抱きかかえ、あたふたと人込みの中を逃げて
行ったのだった。

<シンジの家>

いそいそと家へ帰ったシンジは、テーブルにアスカと向き合って座り。今後のことを話
し合う。

「アスカが行かないんなら、ぼくも一緒に浪人しようかと思うんだけど。」

「アンタバカぁっ! アンタは学校行きなさいよねっ!」

騒ぎ出すのも早いが、立ち直りも早い。シンジが作った餡蜜を美味しそうに食べながら、
ケロリを言い返すアスカ。

どうせ立ち直るなら、合格発表会場で暴言の嵐を吐きまくる前に立ち直って欲しかった。

「だって、やっぱりアスカと一緒に行きたいしさ。」

「来年から、一緒に行けるでしょうがっ! 絶対ダメよっ!」

「だって、ぼくが落ち込んでた時アスカもそう・・・。」

「アンタバカぁっ! アタシは来年でも絶対受かるわよっ! アンタ来年、受かるわけぇ
  っ!? どっこにそんな保証あんのよっ!」

「うっ・・・。」

「来年、アンタが滑ったら、間違いなくアタシ1人で行くことになるでしょーがっ!」

「うっ・・・。」

二の句が次げない。アスカと自分では、そこに決定的な差があったのだ。格好良いこと
を言って、来年滑っては洒落にならない。

「そうだね・・・。」

「1年、のんびりネルフに通いながら専業主婦してるわ。」

「それしか・・・ないのか・・・なぁ。」

「来年、かーいい後輩として入るから、ちゃーんと面倒みんのよっ!」

「わかったよ。」

しかし、1年後。今日という日にアスカが受験に失敗したことを、夜空の月に向かって
感謝の言葉を言う日がやってくる。

1年後の今頃。とてもではないがアスカは学校になど行っていられない、幸せな時を過
ごすことになっているのだが、それはまた別のお話。

<加持の家>

受験も終わり、シンジとアスカは先日加持が新しく構えた一軒家へと足を運んでいた。
築70年の木造建築。しかもドが3つくらい付くド田舎ときているが、敷地面積500
坪以上。その敷地の大半はスイカ畑。

「ミサト、すっごいとこに住むのね。」

「へへへぇ。ちょっち、わたしもイメチェンしよっかと思ってさ。」

まだ引越しはしていないが、加持がこうやって一軒屋を構えたのだ。引っ越して来る日
も近いだろう。

「アタシもミサトみたいにおばさんになったら、こんなとこが良く思えるのかしらぁ?」

「アースーカーっ!」

「えっ? あ、一般論よ。一般。」

「ミサトって名前が出てたじゃないのっ! どこが一般論よっ!」

「たはははは。」

ちょっと機嫌の悪そうな振りをするミサトだったが、それでもどことなく嬉しそうにし
ている。

やっぱり、加持さんと一緒に住むんだもんね。
古屋でも嬉しいのね。

と、考えるアスカだったが、まだまだミサトに比べて夢見る少女。人生経験が甘かった。

実はこの地、今ミサトと加持がネルフの力を利用して、第3新東京市のベッドタウンと
しての開発計画を立案していた。つまり数年後、土地代が数十倍になるのだ。

「で、ミサトさん? 加持さんは、何処にいるんです?」

「あぁ、スイカに水撒いてるわ。」

長い廊下の突き当たりの縁側の向こうに広がるスイカ畑の真ん中に、麦藁帽子をかぶり
手拭を肩から掛けた加持が、水撒きをしている。

「加持さーーんっ!」

「おぉ、シンジくん。よく来たなぁ。」

「広いスイカ畑ですねぇ。」

シンジが縁側から下駄を履き駈け寄って行くと、加持はスイカ畑に手を広げて、自慢気
に見せる。

「どうだい。育てがいがあるだろう。」

「こんなに沢山、食べれるんですか?」

「いや、ネルフのみんなに分けるんだ。シンジくんの所にも、夏になったら沢山持って
  行くからな。」

「楽しみにしてます。あの、それで今日は、式の打合せに来ました。」

「おっ。もうすぐだな。どうだ? 準備は進んでいるか?」

「招待状はこの間配りましたし、後は式と披露宴の打ち合わせに。」

「この間? おい、いつだ?」

「2日前くらいですけど。」

「おいおい。まずいぞ。」

「えっ? どうしてです?」

「招待状は、1ヶ月くらい前には出すもんだ。」

「えっ!」

「当たり前じゃないか。周りの人の予定が立たないだろ?」

「そ、そうですね・・・。どうしましょう。」

「今更どうしようもないな。ま、ほとんどネルフや学校の知り合いばかりだろ? みん
  な知ってるから問題ないだろう。」

「はい。」

「麦茶入ったわよん。」

シンジと加持が縁側で話をしていると、麦茶をコップに入れ持ってくるミサト。その姿
もなかなか様になっており、シンジがここへ来た頃と比べるといつしかかなり落ち着い
た雰囲気である。

アスカもミサトさんも、結婚が近くなると女の人って変わるのかな?
でも、いいなぁこんな雰囲気。

「ぎゃーーーーーーーっ! ミサトっ! ゴキブリーーーーーーっ!」

「なにーーーーっ!」

懐から拳銃を取り出すミサト。

ズガンッ! ズガンッ! ズガンッ! ズガンッ!

「フッ。目標殲滅っ。」

「やるーっ! ミサトっ!」

呆然とするシンジ。

「・・・・・・。」

ゴ、ゴキブリ相手に。
やっぱり、あんまり変わってないかも・・・。
やっぱりミサトさんは、ミサトさんだ。

ゴキブリ退治も終わった。

のほほんとした雰囲気の中、女性2人とシンジが麦茶を飲んでいると、ごそごそと押し
入れから加持がなにやら引っ張り出して来る。

「披露宴は任してくれ。これが秘密兵器だ。」

「なんですか?」

「こないだ編集が終ったとこさ。自信作だよ。」

シンジとアスカの前でおもむろにテレビをつけた加持は、自信満々の顔でSDVDを再
生し始める。

『2001年6月6日。碇シンジ誕生。』

画面が光ると同時に、テレビに映し出されるシンジの幼い頃のフィルム。

「えーーーっ! これ映すんですかぁ?」

「お決まりだろ?」

「やだなぁ。」

恥ずかしいこと、この上無い。

「へぇ、シンジかっわいーっ!」

「アスカぁ、あんまり見ないでよぉ。」

「いいじゃん。いいじゃん。おもしろーーーい。」

「アスカぁぁぁ。」

興味深々でテレビを食い入るように見るアスカ。しかし、シンジがあれば自分の物ある
に決まっていることを忘れているのだろうか。

そして、画面が切り替わり。

『2001年12月4日。惣流・アスカ・ラングレー誕生。』

「ぎゃーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」

生まれたばかりの自分の姿。分娩室でこの世に出てきたばかりのアスカが、いきなりア
ップで映し出された。当然服など着ていようはずもない。すっぽんぽんである。

「いやーーーーーーっ! やめてーーーーーーーーーーーーーーっ!」

両手で画面を隠しながら、絶叫するアスカ。

「ダメダメダメっ! こんなの絶対ダメーーーーーーーーーーっ!!!!」

「へーー。」

大騒ぎするアスカの横で、シンジはマジマジと映し出される映像を食い入るように見詰
める。

「シンジっ! アンタっ! 何落ち着いてんのよっ! くぉのバカっ!」

「でも、キョウコさんってこんな優しい顔してアスカを生んだんだなぁって。」

「!」

はっと我に返るアスカ。よく考えれば、自分の出産シーンなど、当のアスカも始めて見
た。

「ママ・・・。」

「どうだい? 極秘映像だぞ。ターミナルドグマの地下金庫から盗んできたんだっ。」

「ぬわんですってーーーーーっ!!!!」

母親を見詰めるアスカを前に、ほのぼのとした顔をしていたミサトの頭に角が生える。

「そんな極秘映像っ! 上映したら、どーなると思ってんのよっ!」

「やっぱり駄目か?」

「あったりまえでしょーがっ!!!」

「駄目か・・・。」

がっくりとする加持。その加持にアスカが擦り寄る。

「これ、アタシにくれない?」

「あぁ、それはいいが。うーん・・・やっぱり、アスカも上映しない方がいいと思うか?」

よほど気合を入れて編集したのだろう。加持は諦めきれないようだ。

「あったり前よっ。アタシの肌はシンジ以外見ちゃダメよっ!」

「そんなの見てないだろっ!」

突然のアスカの言葉に、ミサトや加持の視線を気にしながらシンジが慌てて否定する。
が、ミサトも加持もそんなシンジに非難するような視線を送る。

「ちょっと。シンちゃん。まだ・・・?」

「そんなことしてませんよっ!」

「シンちゃーーん。いくらなんでも、それじゃアスカが可愛そうよ。」

「そうよっ! コイツ、ほんっとつまんないのよっ!」

「だって・・・。」

「シンちゃん。いくらおくてでも、それは駄目よ?」

「でも・・・。」

「あとちょっとで、結婚でしょ? 結婚してからもそんなんじゃ駄目よ?」

「はい。わかってます。」

「そうだぞ。シンジくん。男は、一生に10人以上の女を経験するものだ。」

ギロッ!
ギロッ!

言っていい時と悪い時、いい場所と悪い場所というものがある。瞬時に鬼2人に睨みつ
けられる加持。

「あっ!」

引き攣る加持。銃に狙われた時以上にピンチ。

「加持っ! まだそんなことしてるのっ!」

ドゲシッ!

「シンジに変なこと教えないでっ!」

ドゲシッ!

ゲシッ! ゲシッ! グシャッ! ドカーーーーーーーンっ!

その日、加持の家から帰る途中、車の中でシンジは思った。

加持さん・・・明日仕事行けるかなぁ。

<デパート>

来日してからというもの、何かというと利用してきたデパート。初めて買い物をしたの
は修学旅行へ着て行こうと思い、赤と白のストライプの水着を買った時だっただろうか。

そして今日アスカは、またこのデパートに大事な思い出の品を買いに来ていた。

「プラチナが入ると高いわねぇ。」

「でもさ。一生に1度の物だし。」

「うーん。ずっと付けてるものよねぇ。邪魔にならないシンプルなのがいいわ。」

式を直前に控え、結婚指輪を見繕う。シンプルなデザインの物から飾り付けの多い物、
金製,プラチナ製,金とプラチナ両方使った物など様々である。

「結婚指輪で御座いますか?」

「はい。」

「それは、おめでとうございます。で、どのような?」

「今、探してるんですが。」

「人気のあるのは・・・。ご予算の方は・・・。」

店員がいろいろと2人の予算や年齢に合ったものを選別し、ショーケースから取り出し
てくれる。

「ねぇ、シンジ? これかーいいんじゃない?」

「うん。いいんじゃないかなぁ?」

「いいわこれぇ。3日後が楽しみぃ。」

「えっ!?」

店員がぎょっとして声をあげた。

「3日後ですか?」

「はい。3日後、結婚式なんです。」

「そ、それは・・・。」

「はい?」

「2週間前にはご注文して頂かなければ、指輪ができないもので。」

「えっ!!!!」

「普通、結婚指輪の場合、みなさん一ヶ月前には揃えられるものでして・・・その・・・。」

「えーーーーーーーーっ! どうすんのよっ! シンジっ!」

「だって、受験勉強でそれどころじゃなかったし。」

「イヤよっ! 結婚指輪の無い結婚式なんて、絶対イヤよっ!」

「そんなこと言ったって、しょーがないじゃないかぁ。」

「アンタがいつもモタモタしてるからでしょうがっ!」

デパート内の店でヒステリックになるアスカを前に、店員は困った顔でおずおずと話し
掛けてくる。

「あの、サイズが合いましたら、在庫があるものもありますので、ひとまず選んで頂い
  てみてはいかがでしょうか? 上手くいきましたら・・・。」

「在庫があるものもあるんですか?」

「ただ結婚指輪の場合、裏にお名前を彫るサービスをさせて頂いているのですが、それ
  が後日になってしまいますが。」

「どうする? アスカ?」

「いいわよ。名前はまた今度で。とにかく選ぶわよ。」

「うん。」

「もし、在庫がなかったら、なんとかしなさいよっ!」

・・・・・・。
どうしろってんだよぉ。

とにかくシンジは在庫があることを祈り、アスカと一緒に結婚指輪を選ぶことにする。

「これ、いいんじゃない?」

「じゃ、それにする?」

「アンタっ! ちゃんと考えてんのっ!」

「だって、アスカが・・・。」

買い物に来るといつもこれだ。素直に相槌を打つと怒られる。かといって、反論などす
ると生意気だとこれまた怒られる。

「ぼくは、金とプラチナ両方のがいいかな?」

「そうねぇ、2色の方がいいわね。」

何も言わないとまた怒られるので、意見を出す。自分の好みとアスカの好みは似ている
ので、あまり揉めることはないのが助かる。

しかしそれは、アスカが自分の好みを長年かけて擦り込んでいる成果だということは、
シンジが知る由もない。

「どうでしょう? 手に取ってみられては?」

「そうねっ! これと、これ。それから、これと、これと、これもいいわねぇ。あと、
  これも出して。」

「アスカ・・・そんなにいっぺんに。」

「いえ、結構ですよ。少々お待ち下さい。」

「すみません。」

アスカの前にずらりと並ぶ結婚指輪。値段は5万から10万といったところ。シンジは、
最初にいいなと思った指輪のケースを手に取り、店員に向き直る。

「はめてみていいですか?」

「あったりまえでしょうがっ! その為に出したんでしょっ。」

「アスカぁぁ。」

「どうぞ。結構ですよ。」

「すみません。」

店員にぺこぺこ頭を下げながら、踏ん反り返って”さぁはめろ”と言わんばかりに、薬
指を出すアスカの指にリングを順番にはめていく。

「やっぱ、これかこれのどっちかねぇ。」

「そうだね。」

「アンタっ! ちゃんと考えてんのっ! 一生の問題なのよっ!」

「考えてるよぉ。」

どうもこういう場で相槌をうつというのは、いけないらしい。もちろん、反論などもっ
ての他。

えっと・・・。
これなんか、アスカが好きそうだな。

どう見ても、片方がアスカ好みのデザイン。やはり、こういうものはアスカが喜ぶもの
が1番いいだろう。

「そうだなぁ。ぼくはどっちかって言われたら、こっちかな。」

「あっ! やっぱりぃっ!? シンジもそう? アタシもそう思ってたのよねぇ!」

わかってるよ。
何年一緒に暮らしてると思ってるんだよ。

「じゃ、それにしようか?」

「ちょっと待って。よっく他のも見てからよ。」

仮決めということでその指輪を手に持ち、また始めからショーケースと睨めっこを始め
るアスカ。

げっ!
また、最初から見るのぉ?

いくら鈍感と言われるシンジでも、ここで文句など口にしたら、何が起こるかくらい理
解できる。苦笑を浮かべつつ、嫌な予感に苛まれながら一緒にショーケースを覗き込む。

                        :
                        :
                        :

つ、疲れた・・・。
もう1時間半じゃないか。

既に店員も近寄って来なくなってしまっている。それでも目を皿のようにして、結婚指
輪を吟味するアスカ。片手には最初に決めた指輪を握り締めたまま。

「ちょとっ! アンタっ! これ出してっ!」

「はい。畏まりました。」

嫌な顔1つせずアスカが呼び付ける度に指輪をショーケースから出してくれる店員。内
心怒っているに違いない。

「アスカぁ? やっぱり、最初に決めたのがいいんじゃないかなぁ?」

「今考えてるとこでしょっ!」

先程からいろいろな指輪を出して貰っているが、既にどれを買うことになるか、ずっと
前からシンジにはとっくにわかっていた。

アスカの性格から、本当に気に入った物は絶対に手から離さない。こういう時のアスカ
は、1番のお気に入りを握り締めたまま、あれもこれもちょっかいを出して、気が済ん
だら結局握り締めていたお気に入りを買って帰るのだ。

あの指輪よりアスカが好きそうなのないじゃないか。
もう心の中じゃ、決まってるんだろ?
もう帰ろうよぉ?

「うーん。どれもこれもいまいちね。やっぱり、最初のこれにするわっ!」

2時間が経過しようとした時、ようやく満足したかの様に握り締めていた最初に選んだ
指輪を店員に差し出す。

おわった。
やっと終わった。

「これにするわっ!」

安堵の溜息をつくシンジの前で、笑顔を湛えながら店員がほっとした笑顔でアスカが差
し出す指輪を手にする。

「お決まりですね。」

「はいっ! どうもこれがいいみたいです。これ頂けますか?」

疲れきった顔でクレジットカードを差し出すシンジ。

「これですか?」

「はい。」

「すみません。これは・・・在庫がありませんけど。」

がーーーーーーーーーーーーんっ!

「えーーーっ! ないのーーーっ!!!! シンジっ! 違う店で選び直しよっ!」

がーーーーーーーーーーーーんっ!

「行くわよっ! ほらぁ、モタモタしないのっ!」

ま、また最初っから・・・。

シンジはがっくりしながら、アスカに引き摺られる様に、別の宝石店へ向かってとぼと
ぼ歩いて行った。

<近くの宝石店>

いくつかの宝石店を回り、ここは駅前の宝石店。既に辺りは暗くなり始めており、シン
ジはもうクタクタ。

「やっぱ、これよねぇ。」

「そうだね。」

「これしかないってっ!」

「そうだね。」

「シンジもこれでいい?」

「うん。いいよ。」

ようやく気に入った指輪があったようだ。在庫もあるらしい。シンジはほっと胸を撫で
下ろし、店員に注文する。

「では、指のサイズをお計りします。」

「アタシは8号よ。シンジはっ?」

「そんなの知らないよょ。」

「アンタ、自分の指のサイズも知らないのっ?」

「指輪なんかしないもん。しょーがないじゃないか。」

「大丈夫ですよ。ちゃんとお計りしますから。」

計ってみると、アスカは自分で言った通り8号、シンジは15号だった。店員がそのサ
イズの指輪を奥から持って来る。

「ぴったりだ。アスカは?」

「アタシもこれでいいけど。やけに大きさが違うわねぇ。」

じろじろと自分の指輪とシンジの指輪を見比べる。倍程大きさが違う。

「これで、同じ値段? なんか損した気分。」

「大きさなんか関係ないじゃないか。」

「そうかしら?」

「そうだよ。小さくてもこんなに目立つだろ?」

指輪のはまったアスカの指を持ち上げ、電灯の光にキラキラと輝かせてみせる。探し回
って見つけた指輪だけあり、素敵に輝いている。

「うん。ちっちゃくても、ちゃんと目立ってるわっ。」

ちっちゃくても目立ってるかぁ。
アスカみたいな指輪だなぁ。

「では、お名前を裏に彫らせて頂きますが、どんなデザインが宜しいでしょうか?」

「今日、彫って貰えるんですか?」

「はい。機材も揃えておりますので、すぐにできますよ。」

店員が指輪の裏に彫る文字や飾りのデザインが載ってるカタログを持ってくる。ローマ
字,カタカナ,イニシャルなどで名前などを彫って貰える様だ。

”シンジ LOVE アスカ”

「これなんかいいんじゃないかなかしら?」

「ローマ字の方が格好良くない?」

「こんなのは、ぱっと見ただけで目立つ方がいいのよっ。カタカナの方が見やすいわ。」

「じゃぁ、カタカナにしようか。」

店員にデザインを告げ、彫って貰っている間待つことしばし。長い時間を費やして決め
た結婚指輪がようやく完成し、2人の手に渡された。

2人合わせて消費税も含み、約16万の出費。

手に手を取り何物にも変え難い宝物を握り締めると、ずっしりと重たい物が伝わってく
る。

指輪を手に、見詰め合い暗くなった夜の街へと出て行く。

「疲れたでしょ。」

「そんなことないよ。」

「顔に書いてる。」

「そんなことないって。」

「でも、これだけは妥協したくなかったの。」

「いつもだろ?」

「そうだけど。特にこれだけはね。」

「うん。」

ハンドバッグには今買ったばかりの指輪が2つ入ったハート形のケース。

この指輪の初仕事の日まであとわずか。

<シンジの家>

式が終わるとすぐに新婚旅行。今日は旅行の用意を朝からしているシンジとアスカだっ
たが、突然の電話にその作業が中断させられた。

「すみません。本当にすみません。」
「はい、速達で出しますから。」
「ぜひ、来て下さい。」

電話に向かって平謝りするシンジの姿を、何事かと旅行の準備をする手を止めて眺める
アスカ。

ガチャン。

「ふぅぅ。びっくりしたぁ。」

「どうしたの?」

「なんで、招待状が来ないんだって、おじさんからだよ。」

「出さなかったの?」

「会った記憶もないんだよ? どんな人かも、何処に住んでるかも知らないのに。」

「怒ってた?」

「怒ってまではいなかったみたいだけど、行ってもいいなって言うから・・・。」

「大丈夫よ。ちょっとくらい人数増えたってさ。せっかく来て下さるんだから。」

「冷や汗掻いちゃったよ。」

「それよりさ。招待状を出してないのに、何処からアタシ達のこと聞いたのかしら?」

「さぁ、誰かが電話でもしたのかもね。」

それはともかく、今日中に旅行の用意を整え、部屋の模様替え迄しなければならない。
電話の件も一段落し、作業を再開する2人。アメリカへの新婚旅行となった為、わりと
荷物が多い。

はて、沖縄へ新婚旅行へ行くはずの2人が、どうしてアメリカへ行くことになったのか。
臨時収入が入ったから羽を伸ばそうなどという、暢気な理由ではないことだけは確かで
あるのだが。

「どう? 終わりそう?」

「うん。ぼくはもう終わったよ?」

「じゃ、なにぼけぼけっとしてんのよっ! アタシの服詰めてよっ!」

「だって、何持って行くかわかんないよ。」

「可愛い新妻に着て欲しい服を選べばいいだけでしょっ!」

「はいはい。煩い新妻に着て欲しい服ね。」

「むっ! なんですってっ! もう1度言ってみなさいっ!」

「可愛い新妻ね。かわいいっと・・・。」

「むぅぅぅぅ。」

少し納得できないが、まぁ可愛いと言ったので許してやることにする。今日は忙しい、
それどころではない。

「よーし。詰め終わったよ。」

「こっちも終ったわ。」

玄関にボストンバッグ3つが並び、いつでも旅行に出掛けられる状態が整った。
ここからが問題だ。ボストンバッグの横にどっかと居座る巨大なダンボールの数々。

「シンジーーっ! 組み立てるわよっ!」

「わっ! 駄目だってばっ! 先にアスカの部屋のベッド出さなくちゃ。組み立てちゃっ
  たら、入らなくなるよ。」

「それもそうねぇ。うん。早くベッド出しましょ。」

この新居に引っ越してからも、シンジはガンとして部屋を分け別々に夜を過ごしていた
のだが、結婚してからはそうは言っていられない。そこで、通信販売でセミダブルのベ
ッドを購入した。結婚後は、アスカの部屋が寝室となる。

「このベッドも、長い間世話になったわねぇ。」

「捨てちゃうの勿体無いね。」

「いいのいいの。ベッドもアタシも、シングルとはもうお別れなの。」

ガタガタとアスカのベッドを解体していく。長年寝ているアスカを支えてきたベッド。
この1年いろいろなものが急速に思い出の中へと消えて行き、また1つこのベッドも。

「さぁっ! 新しいベッドよぉっ!」

「先に掃除しようよ。ベッドの下、埃いっぱいだよ。」

「むぅぅぅ。はやくぅ。はやくぅぅ。」

1つのものが独身時代の思い出へと変わるとそれと入れ替わりに、新たな夫婦としての
時間が始まる。

過去は思い出へとその身を委ね、新たな時間が流れていく。

「掃除終ったわっ! さっ! 新しいベッドよっ!!!」

「ちょっと待って。設計図見るから。」

「そーんなのいいからっ! さっさと組み立てなさいっ! はやくぅ。はやくってばぁっ!」

「わかってるよ。」

新しい木の香りのするセミダブルのベッド。これ迄アスカの部屋だった所、これから寝
室になる所で、組み立てられていく。

「できたぁ? ねぇ、まだぁ?」

「そんなにすぐできるわけないだろ。そっち持って。」

「うんうん。」

木枠の端をアスカに持って貰い、ベッドを作り上げる。完成まであと僅か。

「やったーーーっ! できたーーーーーっ!!!」

バフっとベッドに倒れ込むアスカ。フカフカしていてとても気持ちが良い。

「疲れたぁ。あっ、もうこんな時間。そろそろ晩御飯にしようよ?」

「そうねっ! 早く食べましょ!」

その日、少し早めの夕食をアスカは上機嫌で食べ、鼻歌混じりでお風呂に入り終始ニコ
ニコ。

「シンジぃ、お風呂上がったわよ。」

「うん。」

「早く入っちゃってよぉ。」

「うん。」

シンジが風呂から出てくると、冷たい紅茶が入っていた。なぜか今日は、とってもシン
ジに優しいアスカ。

そして。

その夜中。

広くなったベッドに1人潜り込むアスカ。

「あンの、頑固モンッ!!!!!!!!」

まくらをボムと投げつける。

そこには、目を吊り上げ、自分の部屋に入ってしまったシンジのいる部屋の壁を睨みつ
けるアスカの姿があった。

<役所>

式を明日に控え、シンジとアスカは役所へ来ていた。入籍である。

「これを出したら・・・。」

まじまじと、婚姻届を見つめるアスカ。

「どうする? 式の後でもいいよ?」

「そんなことしたら、新婚旅行に間に合わないでしょっ。」

「そうだけど。」

「碇アスカかぁ。いいじゃん。いいじゃん。出すわよっ!」

「うん。」

いよいよ入籍。これにて、晴れてアスカは碇アスカに・・・とは簡単にはいかないのだ。
なぜならば、アスカがアメリカ国籍であることに問題があった。

「よろしくお願いします。」

提出した書類を、役所の人が受け取り日本での手続きが完了。

「新しいアタシの始まりね。」

「うーん。もう碇アスカって、みんなに紹介していいのかなぁ?」

「駄目よ。」

「そうだね。アメリカでの入籍が終わらなくちゃ。」

アスカの場合、日本での入籍が済み婚姻届書が受理された後、今度はアメリカで再び入
籍。その後、入管を経てビザ発行迄の手続きが必要となる。

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作者注:MAGIがある為、各種役所の手続き期間を現在より短く設定しています。
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「違うわよ。『妻』とか『家内』とかって言うんじゃないの?」

「アスカを?」

「そうよ。テレビとかじゃ、旦那はみんなそう言ってるじゃん。」

「なんか、恥ずかしいよ。」

「言ってみなさいよ。」

「いいよ。アスカで。」

「言いなさいって言ってるでしょっ!」

「そ、そのうち、慣れたら・・・。はは。」

いくらなんでも、今迄”アスカ”と読んでいたアスカを、”家内”なんて呼べるはずが
ない。こういう時は、適当にごまかしておくに限る。

<公園>

夜の帳が下り、街頭の電灯が眩しく灯り始めた頃、2人はコンビニで買ったサンドイッ
チの入った袋を手に、公園のベンチに座っていた。

「星が綺麗ね。」

「街灯りがなかったら、もっと綺麗なんだろうけどね。」

「ううん。この街があるから、綺麗な星を見ることができるのよ。」

闇に包まれた第3新東京市から見上げた星空は綺麗だった。だが、この街が、この世界
があるからこそ、星空を見上げることができるのだ。

「あの頃に比べたら、街灯りも増えたなぁ。」

「兵装ビルがデパートとかになったからよ。」

「全ては思い出の中か・・・。」

「ちょっと、寂しい気もするわね。」

「ん? アスカでも、ナーバスになることあるんだ。」

「むぅぅぅっ?」

頬を膨らまし、悪戯っぽい笑みを浮かべてぴょんと飛び跳ね立ち上がるアスカ。ビシっ
と目の先に人差し指を立てている。

「アンタっ! このアタシに向かって、そんなこと言ったらどうなるかわかってんのっ!」

「ど、どうしたんだよ。いきなり。」

「アンタは、アタシの乙女心を傷つけたのよっ!」

「ちょ、ちょっと。」

ぴょこんとベンチに飛び乗り、身長をシンジに合わせるアスカ。

「傷つけられた乙女心はっ! 10倍にして返してやるのよっ!」

「あはっ。」

「とりゃーーーーーーーっ!!!!」

そのままシンジに飛び掛り抱きつくアスカ。

「アスカ、ちっちゃくなったね。」

「アンタがでかくなりすぎたのよっ。」

あの頃は自分より少し背の高かったアスカ。

今では、胸の中にすっぽり収まってしまう。

「シンジ・・・好き。」

「ぼくもだよ。」

「シンジぃぃっ。」

今はもう全てが思い出の中。その思い出がいっぱい詰まったの第3新東京市で、明日2
人は結ばれる。

<式場>

その日、主役であるはずのシンジとアスカだったが、朝からてんやわんやの大忙しとな
っていた。

「わざわざドイツから、すみません。」

「いや、かまわんさ。今日来なかったら、娘に何を言われるか。ハハハ。」

「式迄まだ時間があります。ゆっくりしていて下さい。」

昨夜来日した惣流夫婦も、朝早くから式場へ来ていた。アスカの両親に丁寧に挨拶を交
わしていると、次から次へと招待した人達がやってくる。

「よぉっ! シンジっ! いよいよやなっ!」

「トウジっ! 洞木さんっ!」

「ヒカリぃっ! わざわざごめんねぇ。」

「何言ってんのよ。アスカのウェディングドレス姿、昨日から楽しみにしてたんだから。」

「ブーケはヒカリにあげなくちゃ。」

「どうかなぁ。狙ってる子多いから。」

「そうなの?」

「そりゃ、1番ノリだもん。みんなに狙われてるって。」

「そっか。しっかり、ヒカリをロックオンしてから投げなくちゃね。」

「アハハハハ。」

「おっ、シンジくんにアスカ。さすがに早いな。」

ヒカリの後ろから声がした。仲人、加持とミサトの登場である。シンジはトウジに手を
振り加持の元へ向かう。

「じゃ、ヒカリ。また後で。」

「うん。」

「惣流の奴、えろう嬉しそうやなぁ。」

「そりゃそうよ。」

「なんや、あいつらが笑ってると、ワイまでうれしゅうなってくるわ。」

「あのコにはそれだけの権利があるもの。」

「ほやほや。ワイらも頑張らなあかんわ。」

「鈴原は、その前に浪人を頑張んなさいっ!」

「うげっ。」

次から次へとやってくる旧友やネルフの職員。それに紛れて、いろいろと世話になった
冬月、そしてゲンドウが登場した。

「シンジ、何をしている。」

「何って。みんなに挨拶してるんだけど。」

「フッ。」

なんなんだよ。
その”フッ”ってのはっ。
なんか、腹が立つなぁ。

「お父様? あっちにパパとママがいるんです。こちらへどうぞ。」

「むっ。う、うむ。」

アスカに手を引かれ、しかめっ面を装っているが嬉しそうに付いて行くゲンドウ。その
後から、シンジもブツブツ言いながら付いて行く。

なんだよ。
あの態度っ!
ぼくには、”フッ”の癖に。

「これは、碇さん。ご無沙汰しております。」

「うむ。」

ゲンドウが現れたので、椅子を立ちぺこりと挨拶する惣流夫妻を前に、ゲンドウは仁王
立ちしたまましかめっ面。

”うむ”じゃないだろっ!
お願いだから、アスカのお父さんやお母さんにだけでも愛想良くしてよっ!

「父さんも挨拶してよ。」

「問題ない。」

「挨拶してって言ってんだよっ!」

「フッ。」

ムカーーーーーーーー!!
もういいよっ!
こんな父さんっ!

「す、すみません。」

苦笑いを浮かべる惣流夫妻に、ぺこぺこ頭を下げるシンジ。やはり、ゲンドウには来て
欲しくなかったとつくづく思えてくる。

「シンジくん。おじさんという人が来ているぞ? 碇のことは任せろ。」

「あ、はい。すみません。」

冬月に助け舟を出して貰ったシンジは、今度はアスカと一緒におじさんの所へ駈け寄っ
て行く。どうやら先日電話してきたおじさんの様だ。さっきから、あっちへ行ったりこ
っちへ行ったり大忙し。

「よぉ、シンジくん。大きくなったなぁ。」

「はぁ。」

やはり顔を見ても思い出さない。余程小さい頃に会ったきりなのだろう。

「ワシがシンジくんに最後に会ったのは、まだお腹の中にいる時じゃからのぉ。」

「・・・・・・はは。」

覚えているはずがない。

「招待状、遅れてしまってすみませんでした。」

「いや、かまわんかまわん。ワシもゲンドウから聞く迄は、全然知らなんだしの。」

「えっ? 父さんから?」

「そうじゃ。もうゲンドウの奴、あんな顔しとるが内心は喜んどってのぉ。」

父さん・・・。
そうだったんだ。

「ゲンドウの奴は、照れとるみたいじゃがの。」

はは、そっか。
父さんらしいや。

ちらりと視線を後に向けると、相変わらずしかめっ面をしたゲンドウの姿が見える。し
かし、やはり心の中では・・・。

「できの悪い息子しかおらんかったが、ようやく欲しかった娘ができたとか言ってのぉ。
  ワハハハハハ。」

むっ!
やっぱり、本心からそーなんじゃないかっ!

少し笑顔になっていたものの、ブスっと膨れっ面に戻り、後で偉そうに座るゲンドウを
睨みつけるシンジであった。

「おっすっ! シンジっ!」

「ん? あっ! ケンスケっ! ちょっと、すみません。」

ぺこりと頭をおじさんに下げて、ケンスケの元に駆け寄って行く。既にケンスケはトウ
ジ達とも合流しており3バカトリオ勢揃い。・・・なのだが、今日はいつもと少し様子
が違った。

「こいつも一緒に来たいって言うんだ。いいか?」

「この人は?」

ケンスケの横で寄り添いぺこりとお辞儀をする同じ歳くらいの女性。ショートカットの
可愛いタイプの子だ。

「はじめまして。陽ノ下です。」

「こちらこそ。」
「よろしゅう。」

きょとんとするシンジとトウジ。それ以上に唖然とするのは、アスカとヒカリ。

「隣りの女子校に通ってたんだけど、卒業の時告白されたんだ。」

「「!!!」」

かわいい顔をしたその少女に視線を固定し、引いてしまうアスカとヒカリ。一方シンジ
とトウジはケンスケの肩を抱き、喜びの声を上げている。

「ア、アンタ、相田のど、ど、何処が・・・。」

やはり1番気になるのはそこだろう。真っ先に突破口をアスカが切り開いた。

「マシンガンのこととか、詳しいし。お店でナパームとかトマホークのこととか教えて
  貰ってるうちに・・・素敵だなぁって。」

「はぁーっ?」

更にわけがわからなくなるアスカ。

「いや、モデルガンとか買いに行く店でよく見かけてたんだ。で、前から顔は知ってて
  さ、ちょっと話したりしてたんだけど。」

ミ、ミリタリー・・・。
ヲタク。

顔を見合わせるアスカとヒカリ。どうやら、同じ特殊な趣味を持つ少女らしい。

「ケンスケさんのおかげで、ほふく前進の仕方とか、詳しくなったんですよ。今、休み
  の日に第5ほふく前進練習してるんです。」

「こないだ、64式小銃のモデルガン。2人で買ったんだ。」
「そうなのぉ。308ウィンチェスターを・・・」

「さよならっ。」
「相田くん、またねっ。」

それから2人がどんどん理解できない用語を連発し始めたので、シンジ達はそそくさと
2人の側から離れて行った。

「あの2人、休みになったらサバイバルゲームでデートしてるのかしら?」

「そんな感じだね。ははは。」

「変なのぉ。」

「いいじゃないか。同じ趣味を持ってるなんて、いいと思うけどなぁ。」

「うーん。」

人差し指を顎に付き、少し考え込むアスカ。

「それもそうねっ。アタシもチェロ始めようかしら?」

「いいよ。無理に合わさなくても。」

「でも、なんか同じ趣味が欲しくなってきちゃったもん。」

「アスカが弾いたら近所迷惑だよ。」

「なんですってっ!」

「だって・・・ギーギーしか言わないじゃないか。」

「そんなの練習したらすぐ上手くなるもん。」

音が鳴らなかったら、殴りつける癖に・・・。
あのチェロ高かったんだよ。

そりゃぁアスカのことなので練習すれば上手くはなるだろう。だが、それ迄に自分のチ
ェロの命が危ない。なんとしても阻止しなければならない。

「あの・・・そろそろお召し変えのお時間ですが?」

来客も途絶えたので、ソファーで寛いでいると式場の人が声を掛けて来た。いよいよア
スカがウェディングドレスを着る様だ。。

「え? もうそんな時間? わかったわっ。」

式場の女性の職員に連れられ、席を後にするアスカ。シンジもそろそろ着替えなければ
ならないのではないかと席を立つ。

「あの、ぼくは何処へ?」

「はい?」

「着替えなくちゃいけないかと思って。」

「いえ、男性の方はすぐ終わりますので、ゆっくりしていて下さい。」

「・・・そうですか。」

女性職員2人に連れられ、ドレスのことをあれやこれや喋りながら奥へ入って行くアス
カに対し、シンジは1人ぽつんとソファーに腰掛けジュースを飲む。

ぼくは、いつ着換えに行ったらいいんだろう?
忘れられないだろうなぁ・・・。

それから数分した時、シンジの耳に男性の声がスピーカーから入って来た。

『碇シンジさん。更衣室へどうぞ。』

「・・・・・・。」

アスカは迎えに来たのに。
どうして、ぼくは放送なんだ?

なんとなく納得できないが、1人で更衣室を探し入って行く。すると、中には男性の着
換え担当らしきおじいさんが木の椅子に座っていた。

「碇シンジさんですな。」

「はい。」

「それがモーニングですじゃ。」

目の前にモーニングがポツンと置いてある。どうやらそれを着ろということらしい。

「これを着ればいいんですか?」

「そうですじゃ。」

「はい・・・。」

いつも家で着替えている感覚で、服を着替えるシンジ。確かにものの1,2分で着替え
終わってしまった。

「あの、これでいいんでしょうか?」

「そうですな。では、こちらの服は預かっておきますよって。」

おじいさんは、シンジの脱いだ服を籠に入れ奥へと消えて行く。

なんか、拍子抜けだなぁ。
まぁいいや。
みんなに見せに行こう。

普段は滅多に着ることのない正装を身に纏うと、なんだか体が引き締まった感じがする。
少し嬉しくなり更衣室から出て行くと、マヤが立っていた。

「あれ? マヤさん。どうしたんですか?」

「葛城さんとアスカちゃんが呼んでるの。一緒に来てくれない?」

「アスカが? はい、わかりました。」

「綺麗よぉ。アスカちゃん。」

そっか、ウェディングドレスに着替え終わったんだ。
前、見た時も綺麗だったもんなぁ。

マヤに連れられアスカの更衣室へ入って行く。そこには女性の着付け係りの職員2名に、
アスカの母親,ミサト,そしてその中央に純白のウェディングドレスを纏ったアスカの
姿があった。

「・・・・・・。」

黙ってアスカがこっちを見ている。心なしか頬が少し赤く思える。どうやら照れている
ようだ。

綺麗だ・・・。

それが最初にシンジが思った素直な感想だった。ウェディングドレス選びの時も見たが、
互いの気持ちの持ち様も、周りの雰囲気も全然違う。それに加え、うっすらと化粧をし、
ヘッドドレスやティアラなどの飾りつけなどもしてあり、よりいっそうアスカを引き立
てている。パールのネックレスは、結局冬月の知り合いの奥さんから借りてきた。

綺麗だ・・・。

それ以外の言葉が思い浮かばない。

「シンちゃーん。何か声掛けてあげなさいよ。」

「う、うん。」

なんと言えばいいのだろう。こんな時に限って、アスカは一言も喋らずクレッセントの
ブーケを手にこちらを見返すばかり。

どうしよう。
こんな時、なんて言えばいいんだろう。

アスカは、自分の言葉を待っているのだろうか。ただじっとこちらを見詰めている。

えっと。
えっと。

焦るシンジ。

「シンジ・・・?」

「えっ? あ、なに?」

「部屋に入った時さ。最初、どう思った?」

「綺麗だ・・・。」

「ありがと。」

にこりと笑みを浮かべるアスカ。

「はは・・・。」

「ったく、プロポーズといい。アンタって奴はぁ。」

「ごめん・・・。」

「ママ、ミサト? みんなに見せてくるわ。」

「そうね。」

母親とミサトに手を持たれ、ゆっくりと椅子から立ち上がったアスカが、純白のウェデ
ィングドレスに身を包み、手を差し出してくる。

「歩き難いのよ。」

「うん。」

その手を取り、エスコートしながら更衣室を出て行く。その2人の姿を、アスカの母親
もミサトもマヤも、暖かい目で見守っていた。

「キャーーーっ! アスカぁっ!」
「綺麗ねぇっ!」

ヒカリを始めとする旧友の女の子達が、アスカの姿を見た途端きゃいきゃいと集まって
くる。その後からは、男性陣やネルフ職員の面々も、ある者は感嘆の息を零しある者は
カメラを手にして取り巻いてくる。

「いいなぁ、わたしも早くウェディングドレス着てみたいなぁ。」
「どんな感じなのぉ?」
「わぁ、お化粧してるんだぁ。」

身内だけでこの騒ぎである。冬月が報道陣関係を完全にシャットアウトしてくれて助か
ったといえる。

その群の外、ぽつんと1人佇むシンジ。完全に蚊帳の外といった感じで見向きもされな
い。

そりゃぁさ。
アスカは綺麗だけどさ。
そりゃぁさ。
そりゃぁさ。

所詮結婚式というものは女性の為にある催し物であり、男性は引き立て役だと言うこと
を肝に命じておかなければならない。

美しい羽を広げる孔雀は見ても、何処の誰が茶色いだけの孔雀を見るものか。

そんなアスカ1人のお披露目会も終った頃、式場の職員の指示によりチャペルへ入る様
にと言われる。

「アスカ。待ってるね。」

「シ、シンジ・・・。」

「ん? どうしたの?」

「大変なの?」

「なにが?」

「ちょっと・・・。」

アスカが耳を引っ張るので、なにごとかとかがんでみると。

「トイレ。」

「なんだってーーーーーーっ!!!!」

「だって・・・。」

「えっ、えーーーっ!?? ミサトさーーーんっ!!!」

「もう、どうしたのよ。シンちゃん。」

「じ、じつは。ごにょごにょ。」

「なんですってーーーっ! アスカっ! ちょっといらっしゃいっ!」

「うぅぅぅぅ。」

「惣流さんっ! 惣流さんっ!! 大変なことがっ!!」

式を直前に控え、それからもう1度ウェディングドレスを脱いだりなんやかんやの大騒
ぎとなった。

そんなこんなの大騒ぎも一段落し、先にシンジが1人チャペルへ入る。アスカは、父親
に手を引かれて花嫁の入場となる。

いよいよだ・・・。

チャペルに立ちアスカが入って来る扉に目を向ける。その両脇には、碇家親族,惣流家
親族を始め、この街へ来てから自分達を元気付けてくれた学校の友人達、そしてあの辛
い戦いからずっと支え続けてくれたネルフの人達が見える。

『花嫁のご入場です。皆様拍手を持ってお迎え下さい。』

目の前の扉が開かれ、眩い光が差し込める。

父親に手を取られ純白のウェディングドレスに身を纏ったアスカの蒼い瞳。

初めてあの瞳を見た時、彼女は黄色いワンピースを着ていた。その彼女が、今はウェデ
ィングドレスを身に纏っている。

オーバー・ザ・レインボーで出会った運命の人。

戦闘に明け暮れる日々だったあの頃に出会った少女。14歳だった少女。

初めて心を1つにしたのは、作戦の為だった。
だが今。
2人は人生を共にする為に・・・。
心をひとつにしたいが為に・・・。心を重ねあう。

あの頃は、62秒心を重ねるだけで必死だった。
これからは、生涯心を重ね合っていかねばならない。
だけど、それが心地よい。

アスカ・・・。

心の中で呟き、扉の前に立つ愛しき人の姿を見詰める。

アスカもその視線を、心満たされた瞳で見返して来る。

シンジの力強く優しい黒い瞳を。

シンジ・・・。

最初の印象、さえない奴。
次に思ったこと、バカな奴。
3度目に思ったこと、情けない奴。

なんで、こんな奴にシンクロ率を抜かれなければいけないのだろう。
なんで、コイツばかりが使徒を倒すのだろう。
なんでこんな奴が・・・。

あの戦いのさなか、追い詰められたアスカがいつもそう思ってきたのが、アイツ。

必死でアイツを否定しようとした。

それなのに、アイツは優しかった。
心地良かった。

それでも否定し続けようとした。
言葉だけの優しさなんかいらない。

自分の心を否定し続けた。
アタシは1人で生きるんだ。
誰の助けも必要ない。
愛情なんて欲しくない。




無駄な足掻きだった。




どんなに頑張っても自分の心は否定しきれなかった。

どんどん心の中で大きくなっていく、アイツ。
否定すればするだけ、意識して・・・。
無視することができなかった、アイツ。

そんなアタシを、戦いが終った後もアイツはずっと見守っていてくれた。

嬉しかった。
本当は嬉しかった。
どんなに否定しようとしても、嬉しかった。
ずっと見ていて欲しかった。

意地を張っていたアタシ。
アタシの心の氷をゆっくりと、ゆっくりと溶かしてくれたアイツとの日々。

今となっては、みんないい思い出。
大切な思い出。




エヴァンゲリオンの凍結。
辛い戦いの象徴であったエヴァ。でも悲しかった。

兵装ビルの解体。
アタシがライフルを手にしたビルが壊されて行った。

シンジに助けて貰ったマグマの中での戦い。
大嫌いだったD型装備。
それもいまは思い出の中にしかない。

全てはこの小さな胸の中。
今はもう思い出の中にしかない。

だけど、その思い出1つ1つが今のアタシ達を作ってくれている。




シンジ・・・。




わずか4年。されど長い長い航海をしてきた。
1人で力いっぱいオールを握り締め。
がむしゃらに航海してきた。

その船が辿り付く所。

目の前には、まるで自分を象徴するかのような真っ赤な道が伸びている。
その先にはあるのは、ママの死後求め続けてきたアタシの港。

アスカの体を拍手が包み込む。

この街へ来て、自分を支え続けてくれた人達の拍手。




1歩。

オールを漕ぐ。

1歩。

また、オールを漕ぐ。




ガギエル。シンジと初めて出会った戦い。

イスラフェル。アイツと初めて心を重ねた戦い。

サンダルフォン。アイツに命を助けて貰った戦い。

激化する戦いの日々。
辛かった戦いの日々。

でも、あの戦いがあったから、今アタシはここにいる。




また1歩。

そして、1歩。

自分の力でオールを漕ぐ。

港は目の前。

あと少し。




なぜだろう?

涙が頬をつたっている。

『もう泣かない。』

そんなことを言っていた頃もあった。

今では素直に涙を出すことができる。

みんなコイツの・・・。

見上げるとそこには力強い瞳と優しい笑顔。シンジの笑顔。




アタシの港。




シンジの綺麗な瞳にアタシが映る。

シンジの手を取る。

パパから手を離し、シンジの元へその身放つ。

父から、母から、その身を離し、シンジの元へ。
追い続けてきたキョウコの愛から、シンジの愛の元へ・・・。

振り返ると、拍手で祝ってくれているみんなの姿。




航海は終った。




1人で力ある限りオールを握り、舟をここまで漕いで来た。
辛く苦しい航海を経て、辿り付いた港の風景は涙でぼやけている。

ママ。
レイ。

アタシ、幸せになるっ!




2人は手を取り、大切な人達に視線を向ける。




さぁっ! 出発だっ!




シンジは、アスカは、手に手を取って舵を取る。

今迄は1人で舟を漕いできた。
ただがむしゃらに、小さい舟を漕いで来た。
波に負けないように、虚勢を張り、めいいっぱい両手に力を込めて。
苦しい時も、涙が出る時も、オールを離さないように力を込めて。




だがこれからは・・・。




2人で船を漕ぎ出そう。

もう1人じゃない。

疲れたら、シンジが助けてくれる。
失敗したら、アスカが補ってくれる。

無理なんてすることはない。

2人の歩調に合わせて、船を漕ぎ出せばいい。








                                    2人で始める長い船旅。

                            今はまだ小さい家族という名前の船だけど。

                                        それが始まり。

                                      みんなそれが出発点。

                                      焦る必要なんてない。










                                        そう、結婚とは。



              手に手を取り、人生という大海原に漕ぎ出す、長い長い船旅の始まりなのだから。







fin.
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