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コンフォート17
Episode 12 -このマンションで-
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<職員室>

文化発表会の只中ではあったが、職員室に教師一同が集まり、体育館に集った多くの生
徒の前でキスしたばかりか、婚約していると嘘までついていたシンジとアスカの問題に
ついて職員会議が開かれていた。

「ですからわたしは、兼ねてよりあの2人には注意が必要だと言っておったのです。」

「キール先生のおっしゃる通りですな。今回こそは、厳格な対応が必要でしょう。」

立ち上がって熱弁するキールの言葉に校長も頷く。さすがに嘘の婚約を公然と言ってい
たこともあり、職員一同も賛成の意を表している。

「で、キール先生。あの2人はどうしました?」

「自宅謹慎処分とし帰らせております。連絡が取れ次第、保護者の方に御足労願う所存
  です。」

「そうですな。それが宜しいでしょう。」

他の先生からも、今後のことと2人への対応について様々な質問が出るが、キールはそ
の1つ1つを説明し納得させていく。

「キール先生は、どういう処分が適切かつ最善とお考えでしょうか?」

「碇は仙台の学校へ、惣流はドイツの学校へ転校させます。」

「ふむぅ・・・。さすがに、そこまでは保護者の方が納得しないのでは?」

「大丈夫です。保護者への対応は、わたしに任せて頂きましょう。」

自信満々に答えたキールの口元は、ニヤリをほくそ笑んでいる。保護者であるミサトも
あの2人を追い出したいと考えていることを知っているが故の余裕である。

<通学路>

自宅謹慎処分を受け強制的に下校させられたシンジとアスカは、いつも学校へ通ってい
るこの道を、付かず離れずの距離を保ち歩いていた。

シンジ・・・。

右斜め前を無言で歩いている、今回のことで自分と同じように処分対象となったシンジ
の横顔をチラチラと伺う。

アタシのせいで・・・。
ごめん。
ごめんだから、お願い。
お願い・・・こっち見てよ。こっち向いてよ。

帰ったらきっとママがいる。
ドイツに帰されちゃう・・・イヤなのっ!
シンジっ!
アンタと一緒にいたいのよっ!

状況と時間に煽られ、何をどうしていいのかわからなくなり、更に自分ではどうするこ
ともできなくなり、助けを求めるように送る視線。

その先で何も言わず歩くシンジは、1人心の内で葛藤していた。

人に嫌われないようにすればいい。
それでいいと思ってた。

孤児院で育ったシンジは、これまで当り障りなく人と接して生きてきた。それが彼の処
世術でもあった。

この街に来て。
コンフォート17マンションに来てから・・・。

突然現れた赤い髪の少女。それが全ての始まり。そこから少しづつ、それまでの自分の
生き方が変わって行った。

ぼくはただ、今迄みたいな日常を送りたかった。
人を傷つけないように、自分が傷つかないように・・・。
ただそれだけのはずだったんだ。

だが今から思い返してみると、仙台にいた頃の自分からは考えられないような行動をし
ている。

あの時も・・・そしてあの時も・・・。

その全てに関わっていたのが赤い髪の少女だった。自分の生活を乱さないで欲しいと願
う一方で、何かある度に立ち塞がる壁に立ち向い、一生懸命守ってきた彼女。

今度もまた、大きな大きな障壁が立ち塞がっている。
今度もまた、その障壁から彼女を守ろうとしている自分がここにいる。

たとえぼくが仙台に帰ることになっても。
アスカを守って・・・。

その時シンジはハタと気付いた。それは逃げているのだと。もうそれでは許されないの
だと。

更に大きな一歩を、男としての成長という大きな一歩を、自分の力で踏み出さなければ
ならなくなっているのだと。

逃げちゃ駄目だ。
アスカを守る・・・それより前にしなくちゃいけないこと。
ぼく自身のこと。
ぼく自身が乗り越えなくちゃいけないんだ。

だがどうしてもわからないことがあった。なぜあの劇中に、アスカはあんなことをした
のだろうか。

それだけが、どうしてもわからない。

「アスカ?」

顔を振り向け呼び掛けてみる。ずっと俯いて付いて来ていたアスカが、ビクリと肩を震
わす。

「家に帰ったら話がしたいんだけど・・・。」

「イヤっ!」

拒絶。思いがけない拒絶の言葉と共に、アスカは足を止めてしまう。ここで拒絶される
理由がわからない。

「どうしたんだよ? とにかく家に・・・。」

「イヤッ! 帰りたくないっ!」

かぶりを振って足を止めたまま抵抗する。もうコンフォート17マンション迄、すぐそ
この所まで来ているというのに、どうしたというのだろうか。

きっと帰ったら、ママがいる。
イヤっ!
シンジっ! お願い助けてっ!

だが、キョウコが日本に来ていることを知らないシンジは、何がなんだかわからず困っ
た顔でその場に立ち尽くす。

「アスカ?」

「どっか・・・行きたい。」

「どっかって・・・自宅謹慎って言われたじゃないか。」

「家はイヤっ!」

「・・・・・・。」

「どっか連れてってっ! アタシを連れて、どっかっ!」

「・・・・・・。」

理由はわからない。だが今朝からずっとアスカが何かに怯えているような・・・なにか
いつもと違うのはわかる。

「わかった。芦ノ湖見に行ってみようか?」

「アシノコ?」

「こっちに来たら、1度行きたいなって思ってたんだ。 近くの湖だよ。」

「うん・・・。」

「綺麗なとこらしいよ。」

「そこ・・・行ってみたい。」

「うん。じゃぁ、行こう。」

2人はコンフォート17マンションを目前に向きを変え、学生服のままJRの駅へと歩
き始めた。

<コンフォート17マンション>

コンフォート17マンションの碇家のインターフォンを、何度も何度も押している女性
の姿。

「アスカちゃーん。愛しのママですよぉ。
  アスカちゃーん。出て来て下さーい。アスカちゃーん。」

久し振りに愛娘に会える喜びに、笑顔を顔一面に浮かばせたキョウコの姿であった。

「ママですよぉぉぉ。」

ニコニコニコ。

<学校>

同時刻、学校ではミサトがキールと対面し、今後のことを話合っていた。

「婚約は偽装ということですが、保護者の葛城さんとしては、どうお考えですかな?」

「本当に、お詫びのしようもありません。しっかりとした対応を取らさせて頂きます。」

「対応と申されますと? いや、学校と致しましても、今回ばかりは中途半端な対応は
  できませんでな。」

「シンジくんは仙台に、アスカはドイツに転校させます。それでいかがでしょう?」

「そうですかっ。いやぁ、それでしたらうちの学校の風紀も保たれます。」

「本人達にもそれが最善かと・・・?」

ニヤリと笑みを浮べるミサトに対し、キールも同じような笑みを返しながら、応接室へ
持ってきたお茶を喉を鳴らしながら飲む。

「保護者の方の意向もわかりましたので、彼らを呼んで下さいますかな?」

「はい。何時頃、2人を連れて来れば?」

「今はまだ文化発表会をやっておりますので、放課後にでも。」

「わかりました。では、後程。」

棚からぼた餅とはこのことである。対面もあり顔は神妙だが内心では大笑いしながら、
ミサトは意気揚々と学校を出て行くのだった。

<芦ノ湖>

湖の畔で、シンジとアスカはじっと遊覧船を眺めながら、石の上に腰を下ろして座って
いた。

「綺麗な所ね。」

「だろ? ぼくも写真でしか見たことなかったけどさ。」

「また、来たいな。」

「また、来ようよ。」

「・・・・・・また。」

俯いてアスカが黙り込む。その前を水辺に波紋を浮べながら、遊覧船が一隻ゆっくりと
ゆっくりと通り過ぎて行く。

「あれに乗ってみたい。」

「今日は、お金とか持って来てないから・・・無理だよ。」

「乗りたい。」

「だから無理だってば。」

「今。今乗りたいのっ。」

「次来たら乗ろうよ。」

「今なのっ。」

「・・・無茶言わないでよ。次でいいじゃないか。」

「次、次ってっ!!!」

それまで俯いていたアスカが、泣きそうな顔で、されど真剣な顔で見上げて来る。

「なんで、次また来れるってわかんのよっ!」

「なんで・・・って? ・・・あの。」

意表をつき大きな声を出されて、シンジは驚いて口籠もる。

「アンタなんかっ! アンタなんか、アタシがいなくなってもいいんでしょっ!」

「ちょ、ちょっとっ。 どうしたんだよ、いきなり。」

「好きだって言ったのにっ!
  アタシっ! 好きだって言ったのにっ!
  なんにも答えてくれないっ!」

「だからそれは。」

「嫌いなら、嫌い!って言えばいいじゃないっ!」

「ちがっ!」

「嫌いって言いなさいよっ!」

「好きだって言われて、はいそうですかなんて言えるわけないだろっ!!!」

やみくもに大声を張り上げるアスカに、シンジも冷静に対応できなくなり、とうとう半
ば売り言葉に買い言葉状態で大きな声を出してしまう。

「嫌いなのねっ!
  もうアタシの顔なんか見なくて済むわよっ!
  それでいいんでしょーがっ!」

「そんなこと言ってんじゃないだろっ!!!」

「そうとしか聞こえないじゃないっ!!!
  アタシだってっ! アタシだってっ! アンタなんかっ! アンタなんかっ!」

「ぼくはっ! ぼくは・・・。
  アスカがドイツに帰って欲しくないんだっ!」

「!!!!」

「アスカと一緒にいる為に頑張れたら・・・そしたら返事ができる気がしたんだ!
  だから・・・だから・・・・・・。」

「アタシ・・・・・・。」

それまで髪の毛を振り乱して流していた涙とは、また違う色の涙がアスカの青い瞳に浮
かぶ。

「アタシもシンジと一緒にいたいのよっ! 離れたくないっ! 好きなのっ!」

「どうすればいいのかわからないけど、2人で頑張ろうよ。」

「シンジぃぃぃぃ。」

石の上で抱きつかれバランスを崩すが、右手でアスカの体を支え、左手を石に付いて自
分の体を支える。

「もう、あの家に拘る必要なんてないんだ。二人一緒なら、ぼくはいい。」

「うん・・・。」

「僕達が出て行くって言ったら、ミサトさんもアスカを無理にドイツに帰したりしない
  と思う。仙台の先生に・・・迷惑掛けることになるけど。」

「あの・・・シンジ?」

「ん?」

「その・・・ミサトじゃなくてね。ママがね。」

「ママ?」

「ママがアタシを迎えに・・・そろそろ家についてる頃なんだけど。」

寝耳に水。今迄ミサトにどう対応するかばかり考えていたシンジは、突然頭を思いっき
りフライパンで殴られたような気がした。

「マ、マ、マ、ママーーーーー!!!?????
  なんだってーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!!!」

<コンフォート17マンション>

碇家の玄関の前で1人の女性が涙を浮べ、携帯電話を握り締めながら小刻みにウロウロ
と行ったり来たりしている。

「およよよよよよ。アスカちゃん、何処に行ったのぉ?
  ママはここよーーーっ。アスカちゃーん。」

電話をすれど電話をすれど繋がらない。芦ノ湖へ行くと決まった時、アスカが携帯電話
の電源を切った為だ。

「アスカちゃん。ママに早く会いに来て。
  ママはここよーーーっ。アスカちゃーん。」

そこへ髪の長い女性と、不精髭を生やした男性が近付いて来た。自称、この家を任され
た保護者、ミサトと加持である。

「ん? 加持? あれ誰かしら?」

「さーな。」

「加持ーーーーっ!!!」

ピンとなにかを思い浮かべ、ジト目で睨みつけてくるミサトに、加持は冷汗を流して顔
を左右にブルブルと振る。

「し、知らん。俺は知らんぞ。今回ばかりは、本当だ!」

「今回ばかりはって、どーいうことっ!!!」

「あ、い、いや。なんだっけ?」

つい口が滑ってしまい立場がやばくなった加持は、いつものお得意なオトボケで誤魔化
そうと、そっぽを向く。

「ったく。とにかくウチの前でウロウロされちゃ迷惑だわ。」

もうすぐ我が家になる家の前で、わけのわからない女性に”およおよ”と泣かれていて
は困る。ミサトは毅然とした態度でツカツカと歩み寄った。

「あの? どうなされました?」

「泣いているんです・・・。およよよよ。」

「いや、それはわかりますけど・・・どうして泣いておられるんでしょう?」

「携帯がおかしいんです。」

「携帯? それなら、携帯サポートショップへ・・・。」

「アスカちゃんが出てくれないんです。」

「は? アスカって・・・。あなたは、どちら様でしょうか?」

「キョウコです。」

「あの・・・名前じゃなく、アスカさんとはどういうご関係で?」

「母です。およよよよよ。」

キョウコは、また泣き出す。

ビックーーーーーー!!!!

方やミサトは、ぶっ飛びそうになるくらい仰け反ってビビった。

ただの変な女性かと思っていたら、なんとアスカの母親ではないか。ようやくこの家を
乗っ取れる寸前まで来ているというのに、これは非常に危険な状況ではないか。

「あっ、こ、これは失礼致しました。来日されるんでしたら、ご連絡下されば良かった
  ですのに。」

「丁度研究も一段落つきまして、研究員の皆で休暇を取ることになって・・・。政府へ
  の連絡とかもあって・・・。」

「そうだったんですか。ひとまず中へ・・・。」

ハンドバッグから家の鍵を取り出し、玄関を開け中へキョウコを招き入れたミサトは、
近付いて来た加持に小声で耳打ちする。

「あのアスカの母親、何処まで事情知ってるのかしら?」

「あの調子だと、あまりこの家のことは詳しくなさそうだぞ?」

「なら、わたし達が保護者を頼まれたって言い通せばいけそうね。」

「あぁ。上手くいけば、アスカを連れて帰ってくれるんじゃないか。」

「よし。今回の学校での事と絡めて、その線で行くわよ。」

即席にこの急場に対応する作戦を立てたミサトと加持は、キョウコと共に玄関を潜りリ
ビングへと足を運ぶ。

「あの・・・ところで、あなた達は? ここにはアスカちゃんと、シンジくんが住んで
  るはずなんですけど。」

「あぁ、碇さんに2人の保護者を頼まれた葛城です。」

「保護者? そんな話聞いてないわねぇ。」

「研究が忙しくて、プライベートなことを話す時間がなかったのでは? ・・ははは。」

愛想笑いを浮かべて、やばい方へ話が向かわないように、ミサトは微妙に舵を取り軌道
を修正しながら話す。

「あの・・・アスカちゃんは、何処にいるんでしょう?」

「それが・・・そのアスカさんなんですが・・・。」

「ど、どうしたんですっ!!!?」

アスカのことになった途端ミサトが深刻な顔をし、声のトーンを1段階下げて話を始め
たので、キョウコはびっくりして身を乗り出した。

「アスカちゃんに、何かあったんですか?」

「学校でちょっと問題を起こしまして・・・。」

「そ、そんなっ。アスカちゃんに限ってっ!」

「シンジくんと婚約しているとか勝手に嘘をついてまして。学校でも、べたべたしてた
  んです。」

「およよよよよよ。アスカちゃん、どうしてそんな嘘を・・・。嘘吐きさんは泥棒さん
  が始まったばかりですよって、教えてたはずなのに・・・。」

「その嘘がばれてしまいまして、学校の風紀の面で問題が。」

「あの・・・それで、先生は?」

「後で、アスカさん,シンジくんと一緒に、学校へ来るようにと・・・。」

「そうですか・・・。」

「わたし共も、できる限り保護者の代わりをしてきましたが、本当のお母様の代わりは
  難しく・・・アスカさんは、やはりお母様と一緒にドイツで暮らすことが1番かと。」

「アスカちゃんの為には、やっぱりそれが・・・。研究よりアスカちゃんが大事ですも
  のね。泥棒さんになったら、大変ですもの。」

「そうですよ。お母様。子供は大事ですっ。」

思惑通り話が進み始め、心の中でガッツポーズを取りながらも、それは表面には出さず、
あくまで冷静にアスカと一緒に帰ることを強く薦めるミサトであった。

その頃、コンフォート17マンションのエレベーターの中では。

「お母さんがこっちに来るんなら、なんでもっと早く言わないんだよっ!」

「だってっ! ドイツへ帰りたくないから好きって言うみたいで、イヤだったのよっ!」

「だいたい、いっつもいっつもアスカが問題起こすんじゃないかっ!」

「ぬわんですってっ! お酒飲んで、ぐてんぐてんになったのダレでしたっけーーっ!?」

「あれだけじゃないかっ! 他はみんなアスカが地雷踏んでる癖にっ!」

「な・・・あれは・・・うっ・・・もごもご。」

何か言い返す口実を探すが、どれを思い返してみても全て発端は自分のことしか思い出
せない。さすがのアスカも、口の口の中でモゴモゴ口籠もってしまう。

「この調子じゃ、この先苦労しそうだよっ。」

「なんですってーーーっ! この先って!・・・この先?」

チン。

エレベータが止まり、ドアが開く。

「急ぐよっ!」

走り出して行くシンジの後から、足にまとわりつくスカートを蹴って、アスカも走り出
す。

この先・・・。

アスカの顔から笑みがこぼれた。

廊下を走り玄関を開けると、そこには見知らぬ女性の靴。おそらくアスカの母親の物で
あろう。まずは挨拶しなければと、シンジも靴を脱ぎ髪の毛を整えようとした時。

「アスカちゃーーーーんっ! ママはね。ママはとっても心配したのよっ。」

ドッカーン!

びっくりするくらいの勢いで、キョウコが玄関に飛び出して来る。

「うわっ!!」

突き飛ばされ壁に激突するシンジ。髪の毛のセットもへったくれもない。

シンジなど目もくれず、キョウコはアスカにガバっと抱き付く。

「マ、ママ・・・どうしたのよ。」

「ここに来たら誰もいないでしょ? 携帯も繋がらないでしょ? ママはね。ママは心配
  で・・・。ママはね。およよよよよ。」

「ちょっと、寄り道してただけじゃない。そうよねシンジ。 シンジ?」

壁にめり込んでいる。

「いたたたたた。」

突き飛ばされ、壁におもいっきりおでこをぶつけたシンジは、両手で額を押さえながら
その場に蹲っていた。

「あら、シンジくんも一緒に帰って来てたのね。いつもアスカちゃんが、お世話になっ
  てるわね。」

そうじゃなくて・・・。
ぼくを突き飛ばしたことは?
覚えてないの?

「いたたたたた。」

「ごめん、シンジ。ママって、なにかに集中したら、他が見えなくなるとこあるのよ。」

「はははっ。」

そうか。
アスカの猪突猛進癖は、お母さんの遺伝だったのか・・・。

口には出さないものの、内心でポンと手を打ち大きく納得する。

「あの・・・惣流さん? シンジくんもアスカさんも。先生が学校で待っておられるか
  ら、今から行きましょ。」

「そうね。アスカちゃん。ママと一緒に行きましょ。」

キョウコとミサト、そして廊下の向こうから玄関に出てきた加持が視線を集中してくる。
いよいよ正念場となり、アスカが視線を送るとシンジは強く頷いた。

<学校>

職員室にキョウコも一緒に入って来たので、少し驚いたキールだったが、ひとまず5人
を応接室へ通す。

「・・・というわけでして、惣流さんはお母さんと一緒にドイツへ帰った方が、我々も
  良いと思っとるわけです。」

「どうなの? アスカちゃん。」

「イヤっ! アタシここがいいのっ!」

「そう。娘はそう言ってますが?」

「お母さん・・・。今回のこともあり、学校と致しましてはこのまま通学されると困る
  わけですわ。」

「嘘をついてたのはいけないわね。アスカちゃんは、どうしてここにいたいの?」

「アタシが帰ったら、ママだって研究できなくなるんでしょ?」

「アスカちゃんを困らしてまで、研究しなくてもいいの。」

「アタシっ! 困ってないっ!」

「シンジくんと一緒に暮らしてて、本当に困ったこととかないの?」

「だから・・・あの・・・アタシ・・・。」

アスカは口篭もってしまい、チラチラとシンジの方に視線を送る。

「あのっ! ぼく、アスカと一緒に暮らしていきたいんですっ!」

「アタシもなのっ!」

「お前らっ! これ以上、学校の風紀を乱すつもりかっ! お母さんっ! なんとか言っ
  て下さいっ!」

「わたしも保護者としてこれ迄できる限りのことはしてきましたが、ちょっちこれ以上
  は難しいですね。やはりアスカさんは、本当のお母さんと暮らすべきだと思います。」

キールとミサトが、揃ってアスカを連れて帰るように言ってくる。キョウコは手の平を
口に当て少し考えると、アスカに向き直った。

「アスカちゃんが何を考えてるか、だいたいわかったわ。でも、あの家は葛城さんが任
  されているんでしょ? 無理を言っちゃいけないわ。」

「そ、そんな・・・。」

とうとうキョウコにまで帰るように言われてしまい、出す手がなくなってしまったアス
カ。そこへ、アスカを守るようにシンジが身を乗り出す。

「待って下さいっ! あそこはぼくの家ですっ! アスカがいても大丈夫ですっ!」

「碇っ! 中学生の癖に、なに偉そうなことを言っとるんだっ! お前じゃなく葛城さん
  が任されているんだろうがっ!」

ここぞとばかりに大声を出し立ち上がったキールは、シンジの頭を押さえ付け余計なこ
とを言うなとばかりに捻じ伏せる。

「だってっ! ミサトさんが勝手に来ただけじゃないかっ! アスカを追い出す権利なん
  かないよっ!」

「黙れと言っとるのがわからんのかっ!」

頭をテーブルに押し付けられるが、それでもここで負けてなるものかと、シンジはあら
ん限りの勇気を振り絞って抵抗に抵抗を重ねる。

「シンジくんっ! わたしは、碇さんに頼まれてあなた達の保護者をしてるのよっ!
  わたし達がどれだけあなた達の為に苦労してると思ってるのっ!」

「何もミサトさんに迷惑かけてないじゃないかっ!」

「あなたやアスカが、いつもいつも問題を起こしてるんでしょっ!」

「アスカを悪く言うなっ!」

キールに捻じ伏せられ、机に顔を擦りつけられ、頭上からはミサトに怒鳴られながらも、
諦めず抵抗を重ねる。そんなシンジの姿を目の前にしたアスカは、キョウコに助けを求
めた。

「ママ・・・お願いっ! シンジは悪くないのっ!」

「うーん。後ちょっと待ってみましょ。どうしたらいいのか、ママにもわからなくなっ
  てきちゃった。」

「あと少しって・・・ママっ、お願い。シンジをっ!」

「それにしても、素敵なナイト様じゃない?」

「え?」

「ほら。やられっぱなしだけど・・・。あんなに必死に・・・。」

キョウコの向く方向に視線を向けると、加持,ミサトそしてキールと校長に囲まれ、怒
鳴られ頭を押さえられながらも、必死でアスカの為に抵抗するシンジの姿が見える。

「これまで、ああやって彼・・・何度あなたを守ってくれたのかしら?」

「シンジ・・・。シンジっ! もうやめてっ! シンジっ!」

身を乗り出すアスカの肩にそっと手を掛け座らせるキョウコ。

「後ちょっと。ね。」

なにが後ちょっとだと言うのだ。いくらシンジがありったけの知恵と力を振り絞って抵
抗しても、所詮は中学生。大人の都合と権力に叶わないのは目に見えている。

「ミサトさんなんかに保護者して貰わなくてもいいよっ! 出て行ってよっ!」

「碇っ! 保護者の方になんて口のきき方だっ! 子供の癖に偉そうなこと言うなっ!」

「シンジくん。俺や葛城がいたから、いままで生活してこれたんだぞ。」

「いい加減になさいっ! わたしはあの家を任されてのよ! あなたの子供の我侭になん
  か付き合ってばかりいられないのっ! 仙台へ帰りなさいっ!」

「ちくしょーっ! 子供っ! 子供ってっ! なんで、ぼくの言うこと聞いてくれないん
  だよっ!」

その時だった。

突然応接室の扉が開く。

「フッ。子供だからだ。愚か者めっ!」

低い声が地響きのように響き渡る。それと同時に、ミサトと加持の顔が真っ青になった。

「誰が保護者を頼んだ。」

「・・・・・・い、碇さん。」

それまでの勢いなど瞬時に吹っ飛び、ミサトは歯をガクガクと震わす。

「出て行け。」

「あの・・・わたしは・・・。」
「お、俺は・・・その。シンジくんが困ってるかなと思いまして・・・。」

「出て行け!! でなければ警察に連絡する!!」

「「は、はいっ!」」

サングラスの下からギロリと睨み付けるゲンドウの一声に、ミサトと加持はもう二の句
が継げずさっさと学校から退散した。

「あの・・・あなたが、碇くんの父兄の方でしょうか。」

「そうだ。」

「これは丁度良かった。惣流さんにお話したのですが、2人は学校で婚約していると嘘
  をつき、やりたい放題風紀を乱しまして。挙げ句には、劇中でキスまでする始末。」

「ア、アスカちゃんっ! キスなんて・・・。およよよよよよ。」

「マ、ママ・・・あれはその。ママが帰って・・・あの、ごめんなさい。」

キスしたことがばれてしまい、母親に一生懸命言い訳するアスカ。その横で、ゲンドウ
はギロリとシンジを睨み付けた。

「帰れ。」

「え?」

「学校に迷惑を掛けたのだ。仙台へ帰れ。」

「父さんっ! そんなのって酷いよっ!」

「帰れ。」

「ぼくは、なにも悪いことしてないじゃないかっ!」

キールとしては、せめてシンジとアスカのどちらか一方だけでも転校してくれれば良い
ので、攻撃目標をアスカからシンジに切り替えてくる。

「お前が、婚約してるなどと嘘をついたばかりか、劇中でキスなどするから学校の風紀
  はめちゃくちゃだっ!」

「シンジ・・・。なぜ、学校に迷惑を掛ける。」

「違うよっ! 父さんっ! ぼくは迷惑なんかっ!」

「そうよっ! シンジは悪くないわっ!」

ゲンドウにわかって貰おうと、アスカも助け船を出すが、ここぞとばかりにキールがと
どめの一撃を繰り出した。

「婚約もしていない癖に、中学生で同棲など許されるわけないだろうがっ! 常識を考
  えろっ!!!」

自分達の言っていることは筋の通らないことなのだと、世間の常識を突きつけられ、と
うとうシンジやアスカも黙ってしまう。

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

何も言えず消沈するアスカ。そんな娘をどうしたものかと、キョウコが困った顔で見て
いると、再び応接室の扉が開き良く知った人の声が響いた。

「なら、婚約すれば?」

全員の視線が応接室の扉に集中する。そこには白衣を着た女性が、扉にもたれ掛かって
立っていた。

「ユ、ユイっ!!!」

ピンと背筋を伸ばし緊張するゲンドウ。

「政府関係の方に挨拶してたら遅くなりましたわ。」

「か、か、か、母さんっ!!」

なぜかシンジまで緊張している。

「婚約・・・よろしいかしら? キョウコ?」

「ユイ・・・。アスカちゃん? どう?」

「アタシっ! アタシ、婚約したいっ!」

扉にもたれ掛かったまま、ユイがニコリと笑みを浮かべる。

「そう。宜しくね。」

「母さん。ぼくもそれでいいよ。」

「当たり前ですっ!」

「・・・・・・。」

シンジの意見は聞いて貰えないようだ。

「現時刻をもって2人は婚約。これで、問題ありませんね。」

いきなり現れて、突然婚約させるとは・・・。そんなことを許せるはずもないキールは、
大声を出して立ち上がった。

「お母様ですかっ? こんな常識外れな婚約など認めませんぞっ!」

「控えなさい! 息子と嫁の婚約について、とやかく言われる筋合いはございませんっ!」

空気が切れるかと思うくらいピシャリと言ってのけるユイ。ゲンドウはユイが現れてか
らというもの、固まったまま。

だが、そう簡単にキールは引き下がれず、最後の抵抗をこころみる。

「婚約はともかく、劇中にキスしたことは、このままではすませませんぞっ!」

「学校の対面を保つ為の処置としか思えません。」

キールなど無視して校長を睨み付けるユイ。

「転校させて臭いものに蓋をする。この学校は、そういう方針ですのねっ!」

「校長っ! ここは学校側として。」

「横からノイズを入れないで下さらない?」

キールの言うことなど雑音扱い。更にユイは、校長に詰め寄る。

「あの・・・そういうわけでは・・・。我が校としましては、今後こういうことがない
  ように生徒を指導する立場にあるわけでして。」

「指導する立場。ご立派ですわ。」

「ですから、2人は別々の・・・。」

「2人にもそう指導して頂けますね。」

「は?」

「お言葉通り2人も指導して頂きます。それとも学校は、指導する生徒を選ばれると?」

「そんなことは・・・。」

「何を汗を掻いておられますの? そういうことで、問題ありませんわね!」

「は、はい・・・。」

「よろしい。」

校長と話をここで叩き切ったユイは、ゲンドウと並んで座るシンジに向き直る。

「母さんっ! ありがとうっ!」

「何がありがとうですっ! シンジっ! 今回のことも、あなたがしっかりしないから、
  いけないんです!」

「違うんですっ! アタシがシンジに・・・。」

「アスカちゃんは、ちょっと待ってね。」

何か言おうとしたアスカに目配せし、再びシンジに視線を落とす。

「女の子がそこまでするってことは、あなたが追い詰めたも同じです。」

「・・・うん。わかってる。」

「もうあなたには婚約者がいるんです。しっかりなさいっ。」

「うん。がんばるよっ!」

「それでいいわ。頑張るのよシンジ。あなたっ! 帰りますわよっ!」

「あぁ。」

それまで黙って座っていたゲンドウも、ユイに言われ背筋を伸ばして立ち上がる。

「それから、校長?」

「はい。」

「今回は穏便に済ませますが、次はただじゃ済ませません。そのおつもりでっ。」

ニコリ。

「は、はい!」

最後のユイの微笑を見た校長は、背筋が凍りそうになったと言う。

<通学路>

学校から出ると、ユイはそっとアスカを招き寄せ、2人だけになり小さな声で耳打ちし
た。

「シンジを選んでくれてありがとう。」

「いえ。アタシ・・・好きだから。」

「これから、よろしくね。」

ニコリと微笑むユイ。校長に対してはとっても怖かったが、こんな素敵な笑顔ができる
人なんだと安心するアスカ。

「アタシもっ! 宜しくお願いしますっ!」

「しっかりしなさいってシンジには言ったけど、やっぱり要は女性なの。わかる?」

「え、あ、アタシ?」

「そう。あなたが、しっかりシンジの手綱を持って、ビシバシやって頂戴。それが夫婦
  円満の基本よ。」

万人に対して本当かどうかはわからないが、少なくともユイとアスカには当てはまる図
式かもしれない。

「はいっ! そういうの得意ですからっ!」

「そうねっ! シンジをよろしく頼むわね。」

少し距離をおいてユイとしていた密談が終り、アスカはニコニコしながらシンジの元へ
帰って来た。

「何話してたの?」

「ビシバシするわよっ!」

「は? なにが?」

「ビシバシよっ!」

「????」

この時アスカが何を言っているのかわからなかったが、近いうちに・・・そしてこれか
らずっと身をもって理解していくことになるだろう。

「これからも一緒に暮らせるね。」

「うんっ! アタシっ! アタシ、シンジに負けないくらい料理上手になんなくちゃ。」

全てが解決し2人仲良く話を弾ませるシンジとアスカだったが、その横でキョウコはま
だ心配そうにしている。

「やっぱりあなた達2人だけってのは心配だわ。ママが残ろうかしら?」

「ママっ! そんなことしたら、ママの夢がっ!」

「でも・・・アスカちゃんが心配だし。」

そこへ、シンジが口を開いた。

「あの・・・そのことなんですけど・・・。」

<近所の道路>

夜になった道路に青いルノーが1台止まっている。その中には服などを所狭しと詰め込
み、シートを倒して寝ているミサトと加持の姿が見える。

「何処か安い家探すか。」

「家賃3ヶ月分は、前渡しでしょ。」

「そんな金ないしな。」

「しばらくは、車で寝泊りよ。」

抑揚も覇気も感じさせない虚ろ声で、コンビニで買った安いパンとパックのミルクを食
べる2人。

「警察に突き出されなかっただけマシさ。」

「そうね・・・。この街も、見つかる前に早く離れなくちゃ・・・。」

「また仕事探さなきゃな。大阪でも行くか。」

「もうちょっと、家賃の安いとこがいいわ。大阪は敷金とか礼金とかいるし・・・。」

「田舎に行くと仕事がないぞ?」

「はぁー。」

これからどう生活していけばいいのかわからなくなり、ミサトが溜息を零していると、
車の窓ガラスをコンコンと叩く音がした。

何事かと加持とミサトがむくりと顔を上げると、シンジとアスカが覗き込んでいるでは
ないか。

「わっ!」
「ひゃっ!」

パンとミルクをほおり投げ、大慌てで車から飛び出た2人は、シンジとアスカの前で土
下座し平謝りを始める。

「ごめんなさいっ! わたし達、住む所がなくて・・・ついっ!」

「すまん。警察にだけは言わないでくれっ!」

「この街からも離れるわっ! あなた達の前には2度と現れないっ!
  だからお願いっ! 警察にだけはっ!」

シンジもアスカもそんなつもりで来たわけではないのだが、あまりにも滑稽な格好をす
る2人の姿に、ついつい噴出してしまう。

「あはははは。ミサトさん、加持さん。違いますよ。ぼく達そんな・・・。」

「くすくす。相変わらずバッカねぇ。」

「ごめんなさいっ! もう2度と、あの家には行かないから。許してっ!」

土下座しながら両手を合わせて懇願するミサトの手を、シンジがゆっくり引き上げる。

「それじゃ、困るんですよ。」

「お願いっ。警察だけは・・。」

「違いますって。また、ぼく達の保護者をしてくれませんか?」

「え???」

全く想像していなかった言葉がシンジの口から出てきたので、きょとんとした顔で加持
とミサトは顔を見合わせる。

「母さん達、今日の夜には南極に帰るんです。で、保護者がいないとまだまだぼく達、
  中学生だから。」

「保護者? 俺達にか? 」

「本気なの?」

まだ信じられないといった顔でお互いを見合う2人に、アスカが携帯を突き出した。

「OKなら、これで話して。」

「これ? ええ。」

言われるがまま電話を受け取り耳を近づけると、電話の向こうからユイやキョウコの声
が聞こえて来る。

「はい。
  この度はまことに。
  えっ!? シンジくんが・・・そうですか。
  はい。
  それはもう・・・・・・・・・。」

電話を終えたミサトは、ぎゅっとシンジとアスカの手を握り締めてきた。

「話は聞いたわ。あなた達・・・ありがとう。」

「ミサトさんも加持さんも、早く家へ帰りましょ。」

目尻に涙が浮かぶミサトの顔を見たシンジは、これで良かったんだと思いながら、家族
みんなでコンフォート17マンションへ帰って行くのだった。

<コンフォート17マンション>

今日はシンジが隣町の大きな商店街に本を買いに行っている為、先に帰ったアスカはア
ップルパイを作っていた。

少し余ったわねぇ。
アップルパイって、あの子好きだったわよね。
持って行ってあげようかしら?

余った分でレイの分も作り、うちの家族の分とは別の皿に盛りつける。今日はなかなか
良い出来だ。

シンジ早く帰って来ないかなぁ。
なにも隣町まで行くことないのに・・・。

シンジが毎月読んでいるのは、ロコロココミックという小学校低学年が読むマンガ雑誌。
買っている所を友人に見られると恥かしいので、少し離れた所まで買いに行っている。

レイ、いるかな?

できたばかりのほかほかあつあつアップルパイを乗せたお皿を手に玄関を出る。すると、
丁度学校から帰宅したレイと鉢合わせした。

「あっ、丁度良かったわ。」

レイの好きなアップルパイが乗ったお皿を手渡そうとした時だった。おもむろにレイが
がばりとそれを取り上げた。

「クスクス。これで、あなたは美味しいアップルパイは食べられないの。」

ぱくりっ!

口にアップルパイを頬張るレイ。

「あっ! 出来たてなのよっ!」

「あつーーーーーーーーいっ!!!」

できたばかりのあつあつアップルパイの中身がレイの唇を攻撃する。赤い瞳から涙がド
バドバ溢れてくる。

「アンタばかーーーーっ!!!?」

「あついっ! あついっ! あついっ! ひーー。アスカのせいっ! アスカのせいっ!」

「もーー。それ、アンタにあげようと思って持って来たのにっ!」

「・・・・・・。」

「熱かったでしょう?」

コクリと頷くレイ。

「しゃーないわねぇ。薬買ってきてあげるわ。家で待ってなさい。」

涙目のレイはコクリと頷いて、家へと入っていくのだった。

まったく・・・あの子だけは・・・。
しゃーない、薬買ってきてやるか。

アスカは家に財布を取りに帰ると、商店街まで薬を買いに出掛けるのだった。

<商店街>

ロコロココミックを買ったシンジが、ニコニコ顔で商店街から帰って来る途中。聞き覚
えのある声を掛けられた。

「シンジくーーーん。」

「ん? あ、マヤさん。」

「なーに? お買い物?」

「はい。ちょっと・・参考書を。」

中学生にもなってロコロココミックだなんて、恥ずかしくて口が裂けても言えない。

「ねぇねぇ、こないだお買い物に付き合ってくれるって約束したわよねぇ。」

「そう言えば・・・。」

「えーーー、忘れてたのぉ?」

「違いますよ。覚えてますよ。」

このところ、いろんなことがあってすっかり忘れていたが、適当に誤魔化して愛想笑い
を浮かべる。

「ほんとかしら?」

「ほんとですよ。」

「じゃぁ、今日付き合ってくれる?」

「今からですか?」

「約束したでしょ?」

「はぁ。」

この間の恩もある為、荷物持ちくらい断っては失礼だろうと、シンジは快く買い物に付
き合うことにしたのだが・・・これが軽率だったと後で大きく後悔することになる。

「シンジくーん。プリクラ撮ろ。」

「買い物はいいんですか?」

「いいから、いいからぁ。」

マヤと並んでプリクラを撮ったり、ウインドウショッピングしたり。今は、喫茶店で一
緒にお茶を飲んでいる。いつになったら買い物をするのだろうか。

「ねぇねぇ、美味しいレストラン知ってるの。食べに行かない?」

「あの・・・家に晩ご飯ありますから・・・。」

「遠慮してるの? だーいじょうぶ、シンジくんなら、わたし奢っちゃう。」

「そうじゃなくて、そろそろ帰らなくちゃ。」

「いいからいいからぁ。」

腕にぎゅっと抱き付き、マヤが強引に誘ってくる。その時、どうしたものかと困ってい
たシンジの目に、もの凄く怖いものが映った。

                        :
                        :
                        :

ほんの少し時間は遡り、同じ商店街のすぐ近く。

まいったわねぇ。
こんなとこまで買いに来ちゃったじゃない。

レイの奴ぅぅぅ。
今度あんなことしたら、もう作ってあげないんだからっ!

などと考えながらふと喫茶店の2階の窓ガラスに目を向けると、マヤと腕を組んでいる
シンジの姿があるではないか。

ブッチーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!!!!

極太のワイヤーを両端から無理矢理引っ張って、ぶっ千切ったような音がアスカの頭の
中で弾けた。

ぶっ殺すっ!
ぶっ殺すっ!
ぶっ殺すっ!

ズカズカズカと歩いて行くアスカの姿に、愛しく憎いアイツも気がついたようだ。大慌
てでマヤの手を振り解き、喫茶店から飛び出してきている。

「アスカっ! 違うんだっ! 今のはっ!」

バッチーーーーーーーーーン!!!!

問答無用。一言も発さず平手が炸裂。

「いたたたた。ち、違うんだってばっ!」

「フンっ!!!!」

何も言わずズカズカと去って行くアスカの後から、両手を合わせて謝りながら追い掛け
て行く。

「誤解なんだってばっ!」

「フンっ!」

「あれは事故みたいなもんでっ!」

「事故なら、他の女といちゃいちゃしていいってわけーーーーっ!!!?」

「ご、ごめん・・・。で、でも、そんなつもりじゃなかったんだっ。ほんとだよっ!」

「アンタがそーでも、相手もそうとは限んないでしょうがっ!」

よりにもよって、1番危険な女と一緒にいるなんてっ!
本を買いに行っただけだと思ってたのにっ!

「でも、マヤさんはそんな心配ないってばっ! 近所のお姉さんじゃないか。だろ?」

「バカっ! ドンカンっ!」

「ごめん・・・。」

なぜバカ扱いされるのかわからないが、とにかく謝る。

「2度とマヤに近付いちゃダメっ! わかってんのっ!!!?」

「もう近付かないよ。許してよっ!」

「フンっ!!!」」

マヤは婚約が嘘だとばれる前でも、シンジにアタックを掛けてきていた。本当に婚約し
た今となっても、非常に危険である。しかもシンジはドンカンな上、押しに弱い。アス
カは更に警戒を強めていくのだった。

<コンフォート17マンション>

マンションへ帰ると、ダイニングテーブルの上にアップルパイの乗ったお皿が置かれて
いた。

「わー、アップルパイだっ。美味しそうだねっ!」

めちゃくちゃアスカが怒っているので、なんとか仲直りしようとその話題作りにアップ
ルパイに手を伸ばす。

「ダメっ!」

「どうして?」

「アンタは、浮気したから無しっ!」

「だから、あれは違うってばっ!」

「おあずけっ!!!」

「はい・・・。」

どうやら食べてはいけないようだ。かといって、部屋になど1人で入っては、もっと怒
られそうだ。シンジはおあずけを食らった犬のように、アップルパイが置かれたテーブ
ルに黙って座り続ける。

その間、アスカはレイに薬を持って行ったり、お茶を入れたりパタパタ動いている。

「アスカぁ、もう怒らないでよ。そんなつもりじゃなかったんだってばぁ。」

「反省してる?」

「してる。ごめん。」

「アップルパイ食べたい?」

「うん。」

「しゃーないわねぇ。アタシのことが好きって、10回言ったら許してあげよっかな。」

「えーーー。恥ずかしいよっ。」

「ならダメね。」

「わかったよ・・・。
  アスカが好き! アスカが好き! アスカが好き! アスカが好き! アスカが好き!
  アスカが好き! アスカが好き! アスカが好き! アスカが好き! アスカが好き!」

「感情が籠もってなーーいっ!」

「10回も言わすからだよ。」

「じゃぁ、感情を込めて言って・・・。」

立ち上がったシンジにそっと身を寄せ両手を腰に回し、体をくっつけてきたアスカを、
包み込むように抱きしめると、やわらかく暖かい感じがすると同時に、いとおしくて仕
方のない感情が込み上げて来る。

「好きだよ。アスカ。」

耳元で呟くシンジのやさしい声。

「もう1回聞きたい。」

アスカもぎゅっと抱きつき、ぴったりと頬と頬を寄り添い合わせると、シンジの吐息が
耳元に感じる。

「好きだよアスカ。」

「もう1回・・・。」

唇と唇が触れ合う2人。

「好きだよ。」

「もう1回・・・。」

シンジの息が、アスカの息が、唇に感じる。

互いの存在を確かめるように絡まり合って立つ2輪の花。2人は時が経つのも忘れ、愛
しい人の温もりを感じているのだった。

                        :
                        :
                        :

翌朝。

アスカが目覚めると、その傍らにはまだ寝息をたてているシンジの顔。ずっとこっちを
向いてくれている優しい寝顔。

おはよ。

今朝もシンジの右手は痺れてしまい、ワイシャツを着る時苦労するだろう。でもやめて
あげない。この右手はアタシのまくら。

今日もいい天気よ?
早く起きて。

でも、もう少し寝顔を見ていたい。ほら、アタシだっていつまでもシンジの寝顔を眺めて
お布団の中。

寝息が頬に当たってくすぐったい。ちょっと鼻を摘んでやる。

「うーーん・・・もうちょっと寝かせて。」

寝返りをうとうとする。もうちょっと寝るのはいいけど、向こうむいちゃイヤ。

あっち向かせないようにその体を抱き締め、またこっちを向かせる。でもそろそろ本当
に起きなきゃいけない時間。

「そろそろ起きて。遅刻しちゃうわよ?」

「もうちょっと・・・。」

「だめだめ。また遅刻したら、キール先生が煩いわよ?」

「あと少しだけ・・・。」

「じゃ、キスしてくれたら。あとちょっとね。」

「アスカぁ。」

あたたかい温もりが唇に伝わって来る。幸せな時・・・いつまでもこうしていたい。

そんな時間。

                        :
                        :
                        :

ドタバタドタバタ!

「なんでもっと早く起こしてくれなかったんだよっ!」

「アンタがずーーーっとキスしてるからでしょうがっ!」

ドタバタドタバタ!

「アスカが時計見てると思って安心してたんだよっ!」

「ほらっ! 早くズボン履いてっ!」

「これっ! アスカのスカートじゃないかっ!」

「あーっ! こっちよっ! こっちっ!」

ドタバタドタバタ!

これで今日も遅刻が決定的。またキール先生の嫌味に耐えなくちゃいけない。

「いってきまーすっ!」
「いってくるわねっ!」

リビングに出るとミサトと加持が朝ご飯の途中。あれ以来、仲良く生活している。

「いってらっさい。」

玄関を出ると、なぜかこんな時間だというのにレイがいた。これまたわけもわからず、
こっちを睨んでいる。

「遅刻・・・アスカのせい。」

「ンなもん知らないわよっ! さっ! 早く行くわよっ!」

マンションの廊下を走り出すと、1階上の廊下から声がした。

「シンジくーーーん。いってらっしゃーいっ。」

ちゅっ!

な、投げキッスぅぅぅっ!!!?
殺してやるっ!!!

「おはようございますっ! マヤさんっ。」

むーーーーーっ!!!

おもいっきりジト目で睨んでいるのに、シンジは気付いてもくれない。今度、なんかの
口実をみつけて挨拶も禁止にしてやるっ!

そんな人達が住むマンション。

そんな住人に囲まれて生活するアタシ達。

初めてこのマンションに来た時、アタシとシンジはどっちがここに住むかでおお揉めに
揉めた。

答えは簡単。

一緒に住めば良かっただけのこと。

そしてこれからも・・・。

アタシとシンジは、いろんな人達が住むこのマンションで暮らして行く。

いつまでも・・・いつまでも・・・。

このコンフォート17マンションで。

fin.
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