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エヴァリンピック
Episode 08 -大人とプロと憧れと-
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<エヴァリンピック会場>

関東大会で優勝し、春に開催される全国大会への切符を手にしてから間もなく、それと
は比較にもならない大きな、『世界』という舞台では、照りつける夏の太陽の下201
5年エヴァリンピックが開催された。

4年に1度開催されるエヴァリンピック。今大会で日本代表となった新チャンピオンで
ある青葉シゲルを応援する日本人が見守る中、第1回戦が幕を開けたのだが・・・。

『チャンプ青葉っ! 敗退っ! あの前世界チャンピオン加持リョウジを破った青葉が、
  第1回戦で敗退ですっ!』

解説者の叫び声が会場にこだまする中、落胆の表情でコロシアムを見詰める無言の日本
人応援団。

「やっぱり、加持が代表になってたら良かったんだっ。」
「加持なら、こんな負け方しねーよっ!」
「日本の恥さらしだわっ。」

罵声が飛び交う中、傷ついた体でコロシアムを後にする青葉シゲル。対戦相手の勝者た
るフランスサイドの湧き上がりとは正反対に、わざわざオーストラリアまで足を運んで
きた日本の応援団は落胆の表情で会場を後にして行く。青葉に罵声を浴びせながら。

「ちくしょーっ!」

控え室でプラグスーツを脱ぎ、ロッカーを殴りつける青葉。その横では童顔のショート
カットの女性が心配そうに立っている。

「1度負けただけじゃねーかっ! なんだっ! あれはっ!」

「シゲル・・・。」

「煩いっ!」

「・・・・・・。」

コロシアムを後にする時、嫌がおうなしに耳に飛び込んできた日本応援席から聞こえた
言葉に、青葉は怒りを高ぶらせる。付き添っている女性が慰めの言葉を掛けようとする
が、空しく怒りの渦の中へ沈んで行くだけ。

「もし、あのまぐれ当たりさえ無かったらっ! あんな奴っ!」

ガンガンとロッカーに頭を叩き付ける。日本チャンピオンになり、全国民が自分を喝采
してくれているような我が世の春を味わっていた所から、一気にわずか数ヶ月で全国民
が白い目で見ているような地獄に突き落とされた気分になる。

「あの・・・。わたし・・・。今回は運が悪かったのよ。」

「お前もどうせ、あの加持が代表になれば良かったと思ってるんだろっ!」

「そんなことないっ!」

「嘘つけっ!」

「嘘なんかじゃないっ! わたしはシゲルを応援してるからっ!」

「なんだとっ!」

青葉は目を吊り上げてそのショートカットの女性、伊吹マヤの肩を両手で掴み体を引き
寄せると、顔を近付け無理やり唇を奪う。

「イヤッ!」

だがマヤは咄嗟にその体を突き飛ばし顔を背けた。

「見てみろっ!」

「違うのっ! でもこんなのはイヤッ!」

「嫌なら出て行けよっ!」

「そんなこと言ってるんじゃないでしょっ。」

「出て行けっ!!!!」

「シゲル・・・。」

取り付く島も無い青葉に、もうこれ以上どうすることもできなくなったマヤは、ベンチ
に座り頭を抱え込む姿を何度も振り返りながら、控え室を後にするのだった。

<第3新東京市>

それとほぼ同時刻、テレビ中継でエヴァリンピックの第1回戦の様子を見ていた1人の
小さいラーメン屋で働く青年が、仕事に身が入らない様子で麺を茹でていた。

マヤちゃん、大丈夫かな・・・。

何度もエヴァファイターのプロテストを受けているが、合格できずラーメン屋で働いて
生活を営んでいる日向マコトである。

「おいっ! にーちゃんっ! ラーメンまだかよっ!」

「すみません。今すぐっ!」

少し茹で過ぎてしまった麺を慌ててあげると、味噌と醤油の入った2つの器に均等に入
れてスープを注ぐ。

「お待たせしました。」

シゲルの奴が、まさか1回戦で・・・。
可愛そうに・・・マヤちゃん。

高校時代からの知り合いであった青葉は、何をしても日向より優れており、一緒に所属
していたエヴァクラブでも歴然の差があった。

「おいっ! 早く注文取りに来いよっ!」

「あっ、いらっしゃいませっ!」

旧友である青葉が負けたことよりも、片思いの相手であるマヤのことばかり考えていた
せいか、客が入って来ていることに気付かなかったようだ。日向は慌てて水1杯と伝票
を持ち注文を取りに行く。

「チャーシューメンとご飯。」

「かしこまりました。」

注文を伝票に書き、また麺をゆがきに厨房へ戻った日向は、いつも着ている少し汚れた
白いエプロンに視線を落とした。

いつまでもラーメン屋なんて・・・。
今年のプロテストで合格したら、告白してみよう。
結果はわかってるけどな・・・。

「はは。」

自嘲気味に笑みを浮かべながら、茹で上がった麺にスープを注ぎチャーシューを盛り付
けると、ご飯と一緒にテーブルへ運ぶ。そんな日向の横で、また店の暖簾を潜り入って
くる客の姿があった。

「ここよ。結構美味しいんだからっ。」

「へぇ、全然そういうの知らないんだ。外でなんて食べないから・・・。」

「今日はアタシが奢ってあげるから、遠慮せずに食べんのよっ。」

「勝負しようって言い出したのアスカじゃないか・・・。」

入って来たのは先程のエヴァリンピックの第1回戦で、シゲルが勝つか負けるかを掛け
て見ていたシンジとアスカ。

アスカは第1回戦くらいは勝つ方にラーメンを。シンジには無論ラーメンを奢るような
余裕は無い為、青葉が負ける方に自転車の後にアスカを乗せて東京市一週サイクリング
を掛けた・・・正確には強引に掛けさせられた。その結果、ラーメンをゲットしたのだ。

「いらっしゃいませ。」

「シンジ、何にする?」

「醤油ラーメンにしようかな?」

「せっこいわねぇ。チャーシュ麺くらいになさいって。」

「じゃ、そうしようかな?」

「チャーシュー麺2つ、お願い。」

「かしこまりました。」

注文を受けたマコトは、また厨房にチャーシュー麺を2つ作りに戻ろうとしたが、その
背後から少年少女の声が聞こえてくる。

「まさか、1回戦で負けるなんてねぇ。」

「きっと、相手が強かったんだよ。」

「そんなことないわよ。加持選手だったら、きっと勝ってたわねっ!」

「そうかもしれないけど・・・。試合では何が起こるかわからないよ?」

実際、ついこの間の関東大会で、自分自身も絶対勝てるはずの相手に熱の為苦戦し、逆
にそのおかげで苦戦するかもしれないと思われていた和田を、意図したわけではないが、
結果的に騙し討ちのような結果となりあっさり勝つことができたのだ。

試合というものはその時になってみなければ、何が起こるかわからない。『もし〜だっ
たら』が通用しないということを実感したところである。

「あーぁ、やっぱ日本チャンプは加持選手が良かったなぁ。まぐれでチャンプが青葉選
  手じゃーねぇ。アンタもそう思うでしょっ?」

「そりゃ・・・ぼくも加持選手がチャンピオンが良かったけど・・・。」

「アンタは、エヴァリンピックに出た時は、あんな負け方しちゃダメなんだからねっ!
  最悪だわっ!」

「おまちどうさまっ!!!」

ガンガン。

その時だった、いかにも無愛想でいて乱暴に、シンジとアスカの前にチャーシュー麺が
運ばれてくる。

「なっ! なによっ! その置き方っ!」

「これはこれはっ! すみませんねっ!」

「これはこれはじゃないでしょうがっ!!!」

スープが飛び散らんばかりの勢いでテーブルに置かれた為、短気なアスカは即座にブチ
切れてしまい、その横でシンジが一生懸命宥めている。

「ですが、お客様。青葉選手も日本代表として精一杯戦ったんですから、あまりそうい
  うことは・・・。」

「アンタに関係ないでしょうがっ!」

「すみません・・・ただ、青葉選手と同級生だったもので・・・。つい。」

「えっ!?」

立ち上がり、殴りかからんばかりの勢いで日向に迫っていたアスカだったが、思わず口
篭もってしまう。

「青葉選手の知り合いなんですか?」

「はい。一緒に高校のエヴァ部に入ってたんで・・・。」

「わぁ、凄いなぁ。ぼくもエヴァ部なんですよ。」

ラーメンをすすりながら、マコトと温和に話を始めるシンジの横で、バツ悪そうにアス
カが畏まっている。

「そりゃ、アタシもシンジが負けた時、悪口言われたら腹立つけど、あの置き方はない
  んじゃないっ?」

「すみません。今回は、タダにするから許してくれませんか?」

「ん? タダ? タダなのっ!? そういうことなら、うんうん。アタシも悪いこと言っ
  ちゃったしさ。じゃ、もちろんおかわりもタダにしてくれるのねっ!」

「・・・・・・いいですけど。」

「ア、アスカ・・・。すみません。」

どうやら、おかわり自由無料ラーメンということでアスカの機嫌も一気に直ったようだ。
それとは別に、シンジとマコトは同じエヴァファイターということで、互いに自己紹介
などしたりいろいろ話に花を咲かせている。

「凄いなぁ。プロテスト受けてるんですねっ!」

「全然受からないけどね。」

「やっぱり、テストの時とかって緊張したりしますか?」

「そりゃするさ。こう何度も滑り続けると、プレッシャーもかかるしさ。」

そうこうしているうちにラーメンも食べ終わり、日向も仕事が忙しくなってきたので2
人は無料で食べさせて貰ったお礼を言って店を後にすることになった。

「凄いよなぁ。ぼくもいずれはプロのファイターになりたいよ。」

「当たり前よっ。アンタはプロの資格より、その先を目指してんでしょ?」

「そうだけどさ。プロのファイターなんて、雲の上の存在に思えるよ。」

「焦らず、少しづつ階段を上って行きましょ。一歩一歩。」

「そうだね。」

自分の夢そして未来を見つめるかのように、シンジは高く突き抜けるような中学2年の
夏の空を見上げる。空高くに白い雲がたなびき、強い日差しが眩しく目を細める。

「ねぇ? 今日はアスカ、まだ時間ある?」

「なにも用事ないけど?」

「街まで行ったら大きなスポーツ用品店あるだろ? 行ってみない?」

「なにか買うの?」

「そうじゃないけど、プロってどんなスーツ使うか見てみたくなって。」

「プロの? そんな高価なの売ってる店なんて、都心に行かなきゃないわよ?」

「いいさ。走って行けば。」

「アンタねぇ・・・あんなとこまでアタシはやーよっ! 電車で行くわよっ!」

結局シンジはアスカに電車代を出して貰い、第3新東京市の中心にある大きな繁華街へ
行くことになった。

<第3新宿>

第3新東京市最大の繁華街、第3新宿へやってきた2人は、早速エヴァ関係で品揃えの
最も多い最大手のスポーツ店へ足を運ぶ。

「すごいやっ! このプロテクタ、こんなに軽いよっ!」

「値段が値段だもん。」

「LCLだって、こんなに種類があるんだっ。あっ! 見てっ! いいなぁ、このソード。」

瞳を輝かせて高級なプラグスーツなどを見て回っていたシンジが、今度はソードを手に
してブンブン振ってみる。

「すごいよこれっ! 軽いっ、軽いっ! プロの人ってこんなの使ってるんだ。」

「加持選手や青葉選手くらいになったら、あっちのじゃない?」

「え? わぁっ!」

アスカの指差す方に目を向けると、ガラス張りのショーケースの中に陳列された飛び抜
けて高価なプラグスーツやソードの見本が並べられている。軽さや硬質、耐久性などが
おそらく全然違うのだろうが、それに加えプロ選手はスポンサーがつく為、見栄えも考
慮してか高価な装飾もあしらわれている。

「うわぁぁぁっ! すごいよっ! アスカっ!!!」

「そのうちアンタも、あんなの使うようになるって。」

「ははは。こんなの使ってたら、似合わないって笑われちゃうや。」

「これが似合うくらいの実力になんなくちゃ。」

「そうなれたらいいけどさ。でも、ほんと凄いなぁっ!」

夢見る少年の如くエヴァ用品を飽きることなく眺めるシンジに、1つくらい何か買って
あげたいと思うアスカだったが、ここまでの価格になってくると小遣いでなんとかなる
レベルではない。

「なんだか、いつまで見てても飽きないね。」

「フフっ。とっても楽しそうね。」

「だってさ。見てよっ! このLCL、シンクロ率5%アップだってっ!」

「ほんとかしら? 怪しいわね・・・。」

「だって、ほら。ここに書いてあるよ?」

「個人差があるって書いてあるじゃない。ますます怪しい・・・。」

「こっちのプロテクタなんて、新開発の耐ショック素材だってっ!」

こういうところを見ていると、やはりシンジも男の子なんだとアスカは思う。免許もな
いのに車を見て目を輝かして喜んだりと、男の子には幼稚なところがある。

「あの、お客様。何かお探しでしょうか?」

あちこちに陳列されている高価な品々を喜んで見ていると、店員の女の人がスタスタと
近付き声を掛けて来た。

「エヴァ関係の商品をお探しですか?」

「あの・・・。」

「ご予算の方はいか程でしょうか?」

「・・・・・・。」

「よろしければ、見本をお持ち致しますが?」

「・・・・・・行こうかアスカ。」

「うん。」

なんとなく追い立てられるような気持ちで、スポーツ用品店を出て行く。それまで未来
のこれらのアイテムを付けている自分を、夢見がちに想像し品々を見ていたが、お金と
いう現実を突きつけられその気分も消沈してしまう。

「なーんか、感じの悪い店員だったわっ!」

「仕方ないよ。」

「もう、あの店で何も買ってやるもんですかっ!」

プンプン怒りながらアスカが歩き出し、シンジの方が宥める形となって、その後も繁華
街をうさ晴らしとばかりに歩いて回る。

「アスカ? こっち行こうよ。」

「なに?」

「ほらっ。」

ゲームセンターが並ぶ道を歩いていると、前から同じ歳くらいの不良っぽい少年達が歩
いてきた。触らぬ神に祟りなしとばかりに、シンジは道の端へアスカを引っ張る。

「なんでアタシ達がコソコソしなきゃいけないのよっ。」

「ほら、みんな道開けてるだろ?」

「あんなの、どーってことないでしょうがっ! アタシは今、機嫌悪いのっ!」

「いいから、こっち行こっ。」

「ちょ、ちょっとっ。アンタっ!」

強引に手を引っ張りスタスタスタと早歩きで、アスカを賑やかな表通りから人の少ない
路地へと連れて行く。

「もぉ〜、引っ張らないで。わかったって言ってるでしょっ! って・・・アンタっ!」

「ん?」

「アタシをどうする気?」

「なにが?」

いつしか夕暮れとなり、あたりが暗くなった裏の路地。慌てて道を逸れ入ってきたそこ
をぐるりと見渡すと、右も左も前も後も怪しげなホテル街。

「わーーーーーっ! ち、ちがうんだっ!」

「そういうことだったのね。アタシが足痛めてるのをいいことに・・・。」

「違うんだってばっ!」

上目遣いにジトっと睨むその目を前に、しどろもどろになりながら大慌てで必死に言い
訳する。

「ほ、ほんとに、知らなかったんだってっ!」

「なに、マジに慌ててんのよ。冗談だってば。それとも、アンタ。本気だったの?」

「ちがうよっ! はぁ〜・・・。」

冷や汗を腕で拭いながらうな垂れるシンジを指差し、ケラケラと笑いながら、周りをア
スカがぐるりと見回す。

「ふーん。こういうとこなんだ。こんなとこ大人になったら、みんな来るのかしら?」

「ぼくに聞かないでよ。」

「ほら、あの人も・・・・えっ!?」

丁度そこへ幾人かの大人の人が歩いてきたので、そちらを指差したアスカだったが、そ
の群の中央にいる男性の顔を見て固まってしまう。

「あっ!」

シンジも同じ方向を見て大きく目を見開いてしまった。そこには、べたべたとくっつい
ている水商売風の2人の女性の肩を両腕で抱き、周りに子分とばかりにヤクザ風の男達
を従えた加持の姿があった。

「加持さんっ!!!」

「あっ! シンジっ!」

思わず走り寄って行くシンジを、アスカが慌てて追い掛ける。

「加持さんっ! こんなとこで何してるんですかっ!」

「・・・・・・。」

「加持さんっ!」

だが加持は女性の肩を抱いたまま何も答えず、かわりにヤクザ風の男達が間に割って入
って来る。

「おいっ! ガキっ! この方は世界チャンプの加持リョウジ様だぞ。気安く声を掛ける
  んじゃねぇっ!」

「加持さんっ! どういうことですかっ! ミサト先生が探してますっ! 加持さんっ!」

「煩せぇガキだっ! 今すぐ追い払いますんで。」

ヤクザ風の男性達に追い払われるが、それでも必死で食い下がる。

「加持さんっ!」

だが加持はこちらを見てくれようともせず、近付こうにも男達が間を阻んで近付けない。

「ねぇーぇ。ミサトってだーれぇ?」

「さーな。」

甘えた声で加持に凭れ掛かってくる水商売風の女性に、男臭い笑みを加持が向けている。

ミサト先生が探してるってのにっ!
加持さんを目標にしてたのにっ!

シンジはもう自分を抑えることができなくなってしまった。父の教えを守り試合以外で
誰にも振るったことの無い拳を、試合以外で今・・・いや、これがシンジにとっては加
持との試合だったのかもしれない。

「加持さんっ!」

シンジは軽快なフットワークでヤクザ達の間をすり抜け。

全体重を拳に掛ける。

2人の女性の肩を抱きタバコをくゆらす加持の、がら空きのボディー。

渾身の力とありったけのスピードでパンチを繰り出す。

その瞬間だった。

ゲフッ!

加持の膝が、シンジの腹部に目にも止まらぬ速さでメリ込んできた。

内臓をえぐるように。

「ぐはっ!」

腹部を押さえゲロを吐いて、シンジはその場に倒れうずくまる。

その姿を見下ろしながら、加持は背中を向けた。

「もっと鍛えねば、プロには通じんな。」

それだけ言い残し、地べたを這いずるシンジを尻目に、ヤクザと女性を従え去って行く。
そんな加持の姿を追いつつ、ゴロリとアスファルトの上に仰向けに寝そべる。

「シンジっ! しっかりっ!」

シンジは何も答えない。

「いくらなんでも無茶よっ! 相手を誰だと思ってんのよっ!」

「くっ!」

悔しそうな息が漏れる。

大人の世界、人の心の弱さ、そしてプロの力。1度に様々なものを見せ付けられたシン
ジは、腹部の強烈な痛みと、それ以上の心の痛みに耐えながら、星の出てきた夜空を涙
の溢れる目で無言のまま手見上げ続けるのだった。

<学校>

翌日、学校でシンジはミサト先生の顔を見る度に昨日の出来事を言うべきかどうか1日
悩み続けたが、何も言えないまま放課後のクラブの時間を迎えていた。

「やっぱり言った方がいいのかな?」

「アタシだったら言って欲しいけど、ミサト先生はどうかなぁ。」

「悲しむだろうな。」

「言っちゃえば?」

「でも・・・。」

「アタシ達が考えても、なんとかできるもんじゃないでしょ?」

「そうだけど・・・。」

「変に隠し事するより、その方がいいって。」

「そうかな。そうだね・・・。うん。」

エヴァ部で暫く待っていると、いつものようにミサト先生が現れた。シンジは重い足取
りでアスカと一緒にミサト先生に近付く。

「あの・・・先生?」

「あらぁ、相変わらずいつも2人一緒で仲がいいわねん。」

「あの・・・。」

普段と同じミサト先生のからかいの言葉だが、今日ばかりはそれに反論する元気もなく、
鎮痛な面持ちで口を開く。

「あの・・・。」

「どうしたの? 仲人でも頼みに来たのかしらん?」

「ぼく。昨日、加持さんを見ました・・・。」

ミサト先生の顔がほんの一瞬曇ったが、直ぐにまたいつもの笑顔に戻り、2人にニコリ
とくったくのない笑顔で微笑み掛けてくる。

「あいつお酒でも飲んでた? 見つけ出して、お仕置きしなくちゃねっ!」

「!」

それまで俯き加減だったシンジもアスカも、はっとして顔を上げる。そこには動揺した
素振りも見せず、むしろ必要以上に明るく振舞おうとしているミサト先生の姿があった。

「そうですね。お仕置きして下さいっ。あ、あの、ぼくたち練習があるんで。」

「頑張ってねん。」

それだけ言うと、シンジはミサトと分かれアスカと一緒に運動場へと出て行く。

「先生・・・知ってるんだ。」

「うん・・・。」

「さっ! シンジっ! 練習よっ! まだまだ課題が残ってんだからっ!」

「うん・・・。」

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

「シンジ? 今日はやめようか?」

「え? なんで?」

「だって・・・。」

「大丈夫だよ。時間ないしさ。」

「1人で悩まないで、アタシにも相談してよっ!」

「・・・・・・。」

俯いてしまうシンジ。

「やっぱり今日はやめましょうか。ね。」

「よしっ! 今日から、腕力強化だったよねっ!」

だが急に明るく顔を上げたシンジは、脇目も振らず腕立て伏せを始めた。

「シンジ・・・。」

その日シンジは、いつも以上に必死にトレーニングをこなしていった。だがアスカの目
に映るその姿は、どうにもならない心の内のモヤモヤを、トレーニングにぶつけている
としか思えない、そんな光景だった。

<ラーメン屋>

週末の休日、シンジとアスカは午前中のトレーニングを終え、久し振りに日向のラーメ
ン屋へと足を運んで来た。

「こんにちはぁ。」

あの加持の膝蹴りの衝撃は、エヴァのファイターとしてもかなりのインパクトがあった。
こちらが先にパンチを出したにもかかわらず、たかだか膝蹴り1発でやられてしまった。

どんな訓練をすればあんなことができるのか悩んだ結果、プロを目指している日向にア
ドバイスして貰おうとやってきたのだ。

「マコトっ! 酒だっ!」

「シゲルってば。もうやめなさいって。」

「ウルサイっ!」

だが、暖簾をくぐったシンジ達を待ってたのは、そんなことを相談できるような雰囲気
ではなかった。荒れた男性と見知らぬ女性。そして、困った顔をしている日向の姿。

「やぁ、いらっしゃい。」

「こんにちは・・・・あの? もしかして、あの人って。」

「あぁ、そうさ。」

店の端のテーブルに座ったシンジは、水を運んで来た日向に目配せで酒を煽っている男
性のことを聞いてみる。

「現日本チャンプ。青葉シゲルだよ。」

「やっぱり、そうですか・・・。」

エヴァリンピックから帰国した青葉に対する対応は惨憺たるものだった。それまで加持
という世界チャンプを保持していた日本だったが、青葉が1回戦負けしてしまった為、
皆が日本の恥さらしという目で青葉を迎え入れたのだ。

週刊誌も、マグレで青葉が勝たず加持が出ていれば世界チャンプの可能性があったとか、
実力の伴わない日本代表だったなど、散々に書き立てた。

「おいっ! マコトっ! ギター持って来いっ!」

「店の中で困るよ。」

「そうよシゲル。今日はもう帰りましょ。」

ショートカットの女性が酔った青葉に肩を貸し、立ち上がらせようとしている。そんな
姿を、日向は辛そうに見詰める。

「ウルサイっ!」

「キャッ!」

だが大きく手を振って女性を突き飛ばした青葉は、またどっかり椅子に座って無くなっ
たビールのビンに口を付け、僅かに垂れて来る雫を口に含む。

「マヤちゃんっ!」

シンジ達から注文を取ることなど他所に、突き飛ばされ机にぶつかって倒れたマヤに大
慌てで駆け寄った日向は、彼女を抱き起こしながら青葉のことを睨んだ。

「マヤちゃんに当たるなよっ!」

「なんだよっ。その目はっ! 俺とやろうってのかっ!」

「お前何言ってんだっ! マヤちゃんに当たるなって言ってんだっ!」

「フンっ。腰抜けめっ!」

「なんだとっ!」

「やめてっ!!」

睨み合う2人の間に立ち、マヤが涙目で仲裁する。シンジもアスカも、なんだかとんで
もない時に来てしまったような気がして、立ち去るタイミングも逸してしまい、いたた
まれない気持ちで互いに顔を見合わせる。

「どうしよう・・・。」

「まいったわね。あっ、エヴァの雑誌があるわっ!」

テーブル席の下の棚にエヴァの雑誌を見つけた。この気まずい雰囲気から逃避したくて
それを取り出しテーブルでパラパラと捲る。

その時なんとなく視線を感じた。振り向くと、”エヴァ”の言葉に反応したのか、青葉
がこっちを見ているではないか。2人は慌てて視線を雑誌に戻す。

「ほら、シンジっ。この雑誌面白いんだからっ。」

愛想笑いを浮かべてパラパラパラとアスカが捲って見せる。そして、雑誌を丁度開いた
場所に大々的に書かれていた記事は。

”くたばれっ! 日本の恥じさらし青葉!”

「わーーーーっ! アスカっ!」

「あっ! これ違うのっ!」

大慌てで雑誌をパタンと閉じ、また机の下にゴソゴソと戻す。店の全体の空気が重く、
ラーメンなどもうどうでもいいから、なんとか口実をつけてここから出て行きたい。

「フン。あんなガキにまで同情されるのか。俺はっ!」

「シゲルっ! なんてこと言うんだっ! ごめんな、シンジくん。アスカちゃん。」

「いえ・・・。」

「あっ、注文だったな。何にする?」

「え・・・・あの。ラーメン2つ。」

注文せずにここから出て行きたかったが、そうもいきそうにない。

「なんだ? マコトの知り合いか?」

「あぁ。彼もエヴァファイターを目指してるってんでな。」

「やめとけやめとけ。ファイターなんかになったって、碌なことねーぜ。」

「やめろって言ってるだろっ! シンジくんの夢はチャンピオンなんだ。余計なことい
  うな。」

「なにがチャンプだ。どーせ、俺みたいな日本チャンプなら、勝てるとでも思ってるん
  だろっ!?」

「ち、違いますよっ!」

慌ててシンジは否定するが、ほとんど無理やりマヤに持って来させたビールをラッパ飲
みしながら、青葉は更にシンジに絡んでくる。

「チャンピオンになるってことは、俺を倒すってことだ。一緒じゃねーかっ!」

「違いますっ! ぼくは父さんと同じ道を、夢を追い掛けたいんですっ。」

「父さんねぇ。お前の父さんも、エヴァファイターだったってことか。で、今そいつは
  何してんだよ。」

「はい。碇ゲンドウというファイターでした。もう、死んで・・・」

「なにっ!?」

それまでビールを飲んでいやらしく笑っていた青葉の顔が急に引き締まり、じっとシン
ジを覗き込んで来る。。

「お前。名前はっ!?」

「碇シンジですけど・・・。」

「あの、碇ゲンドウの子供か?」

「はい。」

「そうか・・・。俺はギターが好きでな。お前くらいの頃は、ギタリストが夢だった。」

昔を懐かしむように、遠くを見て青葉が話を始める、

「だが、無冠の帝王と言われた碇ゲンドウの試合のビデオを見てな・・・感動したさ。
  それが俺がこの世界に入った切っ掛けだったな。」

「父さんを知ってるんですかっ?」

「直接会ったことも、話したこともないがな。
  そうか。お前が、碇ゲンドウの子供か・・・。」

何度も何度もシンジのことを覗き込んでくる青葉に、シンジはどうしていいのかわから
ず恥ずかしそうに俯いてしまう。

「そんなこっちゃ、チャンピオンになれんぞっ!」

「すみません・・・。」

「はははは。よしっ、マヤっ! 行くぞっ。」

「うん・・・。」

マヤを手招きすると青葉は酔った体をふらつかせ千鳥足で店を出て行こうとする。

「あっ、シゲル。」

青葉の体の横に寄り添い支えるマヤ。そんな2人を見ていた日向が、シンジ達のラーメ
ンを作りながら声を掛ける。

「マヤちゃんも、行くのか?」

「うん。また来るね。」

「あ、あぁ・・・。」

寂しそうに見送る日向に背を向け、青葉と体を寄せ合ってマヤは店から出て行く。

「碇ゲンドウは最高だった。父親の名前を汚すなよっ! 楽しみにしてるぜっ。」

「はいっ!」

現日本チャンプに尊敬する父親のことで話ができ、嬉しそうな顔をしているシンジだっ
たが、同じ時アスカはぜんぜん違う所をじっと見ていた。

「日向さん・・・。」

ぼそっと小声で呟いたアスカは、青葉と寄り添って出て行くマヤと、その後姿を切な気
に見送っている日向の視線を、ずっと見ているのだった。

To Be Continued.
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