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ΔLoveForce
Episode 29 -望む物を守る事、それは幸せの苦-
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<マナの家>

マナの家は1LDKで、一人暮らしには広くもないがちょっとゆとりのあるこじんまり
した空間だった。

「どうぞ。あがって。」

「おじゃまします。ごめんね無理言って。」

「いいのいいの。気にしないで。」

「邪魔なら言ってね。迷惑掛けたくないから。」

「・・・・・・ふーむ。」

ポリポリと鼻の頭を掻きながら室内にアスカを招き入れたマナは、リビングの電気をつ
けると、中央のガラステーブルの前に丸いクッションをポンと置く。

「座ってて。紅茶でいい?」

「あっ、気使わないで。」

「お茶くらい、いいでしょ。」

「ごめんね・・・。」

ティーポットに紅茶を入れ、ティーカップと一緒にアスカと自分の分をテーブルに並べ
る。湯気からオレンジペコーのいい香りが湯気と共に立つ。

「今日は災難だったわね。」

「助けてくれてありがとう。アタシ、びっくりしちゃって。」

「一人旅も楽しそうだけど、女の子1人だと怖くない?」

「う、うん・・・ちょっと1人になりたくてさ。」

「そう・・・。」

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

角砂糖を1つ入れ紅茶を飲むマナの前で、俯いたまま砂糖もミルクも入れずストレート
の紅茶を飲んでいるアスカがいる。ストレートが好きというより、心ここにあらずで出
されたものを機械的に口に運んでいる、そんな風に見える。

「いつ迄? 旅行。」

「うん・・・。」

「そうよね。ネルフって忙しそうだから、そんなに長くは無理よね。」

「・・・・・・。」

言葉を返さずに紅茶をただ飲み続けるアスカを前に、マナは1人で明るく喋り続けるが、
会話は全く続かない。

「ねぇねぇ。惣流さん?」

「ん?」

「ネルフで思い出したんだけど、碇くんどうしてるかな?」

「!!!」

ガシャンっ!

「あっ、ごめんっ!」

紅茶の入ったカップを、アスカが絨毯の上に落とし零してしまう。それを見たマナは、
急ぎ立ち上がると雑巾を取って来た。

「ご、ごめん・・・アタシ。」

「大丈夫。大丈夫。スカート濡れちゃったね。わたしのパジャマ、タンスにあるから好
  きなの使って。」

「ごめん。ほんとに・・。」

「わたしこそ。折角旅行してるのに、ネルフの話なんかしたくないよね。変なこと聞い
  ちゃってごめんね。」

塗れたスカートのまま申し訳なさそうな顔で立つアスカに、着替えのパジャマを出して
あげたマナは、絨毯を拭き終わり雑巾を洗った後ティーセットを片付ける。

「もう疲れたでしょ? 寝ましょうか?」

「うん・・・ほんとごめんね。」

「気にしないでってば・・・ん? 惣流さん?」

クッションを枕に絨毯の上にゴロンと寝転び出したアスカを見て、ベッドの布団に潜ろ
うとしていたマナは慌てて起き上がる。

「何してるの?」

「ここ・・・で寝ちゃダメだったかな?」

「そうじゃなくて。一緒に寝ましょうよ。」

「でも、アタシなんかと・・。」

「ずっと1人暮らしで、わたしも寂しかったしさ。一緒に寝ましょ。なんか、そういう
  のっていいじゃない?」

「うん・・・ありがとう。」

「・・・・・・。」

やや強引にアスカを引っ張りシングルのベッドで身を寄せ合い横になったマナは、少し
隙間を開けていたベランダの窓をパタリと閉め目を閉じる。

                        :
                        :
                        :

夜もふけ静かになってくる。

「ぐす。ぐす・・・。」

聞こえないように声を一生懸命絞っているようだが、アスカのすすり泣いている様子が、
密着した体を伝わって聞こえてくる。マナは何も言わず、ずっと体を横たえ目を閉じて
いたが、その夜は朝迄ほとんど眠ることができなかった。

翌朝、アスカが目を覚ますと、いつの間にかマナは起きており、キッチンで朝食の準備
をしていた。

「あっ。おはよう。アタシもすぐ手伝うから。」

「いいのいいの。ゆっくりしてて。」

「でも・・・。」

「ほんとにいいから。」

「ごめんね。」

そうは言われてもゆっくりベッドで寝ていることもできず、乱れた布団をパタパタと直
し起き上がろうとした時、ベランダに1匹の可愛い猫が歩いているのを見つけた。

「あら? 猫がいるわよ?」

「あっ。だめだめ。」

「なにが?」

「すぐ逃げちゃうのよ。こうやって、そうっとご飯をあげないと・・・。」

ベランダの窓をすこーし開けて、逃げないようにご飯の入ったお茶碗をマナがそろりそ
ろり差し出すと、その猫は人懐っこそうに寄って来て喜んで食べ出す。

「そっとしといてね。あんまり近付くと逃げちゃうから。」

「うん。いつもご飯あげてるの?」

「まぁねぇ。わたしの猫ちゃんなの。」

「霧島さんの?」

「さ、わたし達のご飯もできたわよ。」

トーストにスクランブルエッグとサラダ。朝食をマナと一緒に食べる。一緒に並べられ
ている透き通るコップに入ったミルクが冷たくて美味しい。

「でね、そこの美容院でさ。短めにしてっていったら、耳の近くまで切っちゃってね。
  いくらショートカットでも酷いでしょ?」

「耳はちょっとねぇ。」

「でしょー。幼稚園の子じゃないんだからさ。もうあっこは絶対行かないんだからっ!」

「人気ないとこなの?」

「それがびっくり。人気あるって言われて行ったのよ。なのに、あーんなに短くされち
  ゃって。やんなっちゃう。あはははは。」

「あはははは。」

ネルフも、エヴァも、シンクロ率も出てこない会話。張り詰めていた気持ちが、なんと
なく落ちついた感じがする。

「惣流さんって、名古屋城見たことある?」

「お城? ないけど?」

「今日行ってみましょうか?」

「今日? 学校は?」

「今ね。休みなの。」

「なんで?」

「えっと、テスト休みでさ。だから1人で遊びに行くのも退屈だったし、惣流さんが来
  てくれて丁度良かった。」

「へぇ。そうなんだ。」

「ね、行きましょ。」

「うん。行ってみたい。」

まだ日本の城という物の実物を見たことはない。特に日本の歴史に興味があるわけでも、
城が好きなわけでもなかったが、マナと何処かへ遊びに行きたい。そんな気分だった。

<名古屋城>

城に着くと有名な金の鯱を眺めた後、ぶらぶらとあてもなく散歩する。平日の午前とい
うこともあってか、周りにあまり人もおらずとても静かなお昼前。

「あっ! ウイロウ売ってるよっ。」

「ウイロウ?」

「美味しいのよぉ? 甘くって。」

「そうなの? じゃ、食べてみましょうか?」

「でもねぇ。太ったら困るし・・・今がベスト体重なのよ。」

自分のお腹を親指と人差し指でぷにぷに摘んでマナが困った顔をしている。だがアスカ
から見ると、贔屓目に自分を見てもマナの方がスマートにしか見えない。

「アタシよりずっと細いじゃん。」

「でも、今の体重せっかく保ってるのにさぁ。惣流さんならどうする?」

「アタシ? アタシはまず食べちゃうかな。」

「でも、せっかく維持してる体重が崩れちゃうかもしれないでしょ?」

「そうなったら、その時に対策すればいいって感じ。」

「そっか。そうよねっ! まずは行動あるのみよねっ! さっすが惣流さんっ!」

「え、あ・・・うん。」

ウダウダ言っていたマナだったが、言うが早いかアスカの手を引っ張ってお店へ駆け寄
り、2人分のウイロウとお茶をさっさと注文。

「おいしいねぇ。やっぱり、惣流さんの言う通り食べて正解ねっ。」

「ほんと。アタシこんなの初めて。」

「甘いでしょ? 名古屋来た頃、わたしもいっぱい食べたの。」

「それで太ちゃったの?」

「ひどーいっ! ちょっとだけっ。」

「霧島さんは十分スマートだから大丈夫だって。」

「そうっ? そうよねっ! 自分に自信持たなくちゃねっ! 惣流さんみたいにさっ!」

ニコニコ笑いながら次から次へ幸せそうにパクパクとウイロウを食べるマナの横で、ア
スカも初めて食べるその食感に舌鼓を打つ。

「ふぅー、美味しかった。もうお昼ご飯いらないって感じよねぇ。」

「あんなこと言ってたのに、3つも食べるんだもん。」

「なんか言ってたっけ? わたし。 あはははは。」

「もぉ〜。あはははは。」

あはは・・・なんか楽しいな。
こうして笑ったのって久し振りな気がする。

ウイロウを食べ終わった2人は、名古屋城から栄の地下街に場所を移し、目の先アスカ
が生活に必要となる下着や歯ブラシなどの必需品を買出しに行った。

<名古屋の地下街>

日本と言えば、ほとんど第3新東京市しか知らないアスカにとって、日本の地下街とい
うのは初めて見る。ドイツの地下街と比べ、かなりごちゃごちゃと入り組んでおり、マ
ナと逸れると迷子になりそうだ。

「いいなぁ、Cはあるんじゃない?」

「まさかまさか。Bだってば。」

「わたしもそれくらいあったらなぁ。ほら、谷間ができないもん。」

「焦らなくても、自然に発育するわよ。」

ブラを選びながらキャイキャイ盛り上がる。お金がないことはないが、カードを使うと
自分の居場所がネルフにばれてしまうので、マナにいくらか現金を借りることにし、今
は下着の買い物。

「でも。良かったぁ。」

「何が?」

「ん? 惣流さんが笑ってくれて。」

「アタシ?」

「昨日はなんだか落ち込んでたみたいだったし。」

「そう・・・・・・。」

「やっぱり、惣流さんは笑ってる方が似合うもんね。」

「・・・・・・。」

黙り込んでしまうアスカの表情をや様子をマナは慎重に伺いながら、あからさまに笑顔
を作り陳列されている少し派手目のブラを手にして話題を変える。

「ねぇねぇ、このブラ買ったら? 惣流さんにぴったりよ?」

「へ? えっ〜! これぇ??」

これは豹柄のきわどいと言うより怪しい感じのブラで、とても中学生が付けるような代
物ではない。

「これは・・・ちょっと。」

「1つくらい、いいじゃない。いざって時の為に、パンツとセットで。」

「いざって時でも、こんなのできないってば。危ない女王様になっちゃうわよ。」

「それもそっか。でも、そういうのも惣流さんなら似合ったりして。」

「もっ、何言ってんのよぉ。」

「あはははは。うそうそぉ。」

少し重くなりかけたアスカの気持ちだったが、マナの明るい笑い声に吹き飛ばされ、そ
の後も楽しい買い物を夕方まで続けるのだった。

<マナのマンション>

並んでキッチンに立ち、仲良く今日の夕食を作り始める。今日のメニューは、名古屋に
来たのだからということで、きしめんと名古屋コーチン。

「惣流さんがいたら、お料理も分担して作れるから助かっちゃう。」

「ごめんね。今晩も泊めて貰っちゃって。」

「いいのいいの。いつ迄だっていて。」

「あのね・・・。」

きしめんの上に乗せるかまぼこをまな板の上で切っていたアスカが、包丁を持つ手を止
めて深刻な表情でマナに振り向く。

「このマンションって、空き部屋って無いのかな?」

「いきなりどうしたの?」

「ずっとここにいたら迷惑でしょ? 」

「・・・・・・惣流さん・・・。」

「霧島さんと一緒にいたら楽しいし、アタシここに・・・。」

「やだぁぁぁ、何言ってんのよ? 旅行でしょ? いつまでもってわけじゃないんだから、
  気にしないで。」

「・・・・・・。あのね実は・・・・・・。
  やっぱり、アタシが近くにいたら迷惑よね。」

「だからそんなこと言ってないでしょ? でもね。惣流さん?」

それまでわざとらしく笑っていたマナだったが、笑顔はそのまま絶やさなかったものの、
声のトーンを僅かに低くしてアスカの顔を覗き込む。

「わたしと一緒にいて楽しいのは、ここにあなたの守るものがないから楽なだけ。それ
  を忘れないで。」

「・・・・・・?」

突然のその言葉の真意が理解できず、不可思議な表情で顔を上げたアスカの前には、も
う笑顔いっぱいのマナしかおらず、名古屋コーチンをうどんの上に並べていた。

「お腹減っちゃったぁ。早く食べましょ。あははははは。」

「う、うん・・・。」

それ以上はアスカも何も言わず、テーブルの上に夕食を並べて何気ない会話をしながら
お腹を膨らませた。

夜も10時を過ぎたた頃。

マナに借りたパジャマに着替え寝る準備をしていると、窓の外のベランダにちょこんと
座りこっちを見ている猫の姿が目に入った。

「霧島さん? 猫が・・・。」

「あっ! だめだめ。大きな声出しちゃ。」

「えっ、あ、うん。」

慌てて口を閉じ物音を立てないように静かにしていると、ミルクと猫用のご飯を用意し
て来たマナが、そっと窓を開けベランダに置く。

「この猫、霧島さんの?」

「うん・・・。」

ひそひそ声で話すと、マナも小さな声で答えて猫がご飯とミルクを食べる姿を見ている。

「だったら、家の中に・・・。」

「だめだめ。この子、今家出中でね。捕まえようとして、また逃げちゃったら困るから。」

「そうなの・・・。」

「だから、逃げないようにね。近付いちゃ駄目よ?」

「うん・・・。」

事情はわかったがなんだか腑に落ちない。目と鼻の先でご飯を食べているのだから、ち
ょっと手を伸ばせば捕まえられそうである。

「さ、寝ましょ。いい夢見れるといいね。」

「あの・・・猫ちゃんは?」

「帰って来てくれるの待ってるから、そっとしといて。」

「うん・・・。」

やはりどうも納得できないが、飼い主のマナがそう言うので、アスカもそれ以上手出し
しようとはせず、窓とカーテンを閉め一緒に布団に入る。

「あの・・・霧島さん?」

「なに?」

「さっきの・・・守るものって・・・。」

「惣流さんの楽しい夢って何?」

「夢??」

突然、全然違う話題に変えられ付いて行けずどもってしまう。

「惣流さんの楽しい夢が見れるといいねっ。おやすみっ!」

「あ、うん。おやすみ。」

言うが早いか、マナはもう目を閉じて枕に顔を埋め眠り始めた。アスカは見慣れない天
井を暗闇の中に見上げながら思いにふける。

アタシの楽しい夢。
アタシの守るもの・・・。

いつしかマナは寝息を立て始めており、この暗い部屋で起きているのは自分だけ。自分
の家ではないこの部屋の寝慣れないベッドの上で。

アタシにシンジは守れないのよ。
アタシには何もできないのよ。

だから、せめてシンジとの思い出だけでも守りたい。
それがアタシの守るもの。
・・・それが。

<水族館>

翌日はどんよりとした今にも雨の降りそうな雲に覆われた鬱陶しい天気だった。そこで、
いつ雨が降ってもいいようにと、今日は新しくできた水族館へ観光案内をしてくれるら
しい。

「ごめんね。今日も付き合って貰っちゃって。」

「わたしも楽しいからいいんだってば。こんなことでもなきゃ、なかなか遊びに行った
  りしないもんねぇ。」

「ありがと・・・。」

「あっ、アマゾンのゾーンよっ。行ってみましょ。」

マナに引っ張られて、アマゾンの魚を集めたゾーンへ入って行く。そこはジャングルっ
ぽい雰囲気を出しており、それぞれの水槽にアマゾン河に生息する魚が泳いでいる。

「見てぇ。電気うなぎだって。なんだか怖いわねぇ。」

「目がちっちゃいのね。」

「うんうん。あっ、次こっちこっちっ。」

今日もマナは元気で、アスカの手を引っ張り回して水槽を次から次へと移動し覗いて回
る。

「ピラニアだってぇ。凄い歯ぁ。」

「噛み付いたら離しそうにないわね。」

「生きて行くには、それくらいの根性が必要なのよ。きっと。うんうん。」

トントンと水槽を指で叩いて喜ぶマナの横で、アスカも水槽を覗き込む。そこには生き
る為に進化した顎と歯を持ったピラニアが、何匹も泳いでいる。

「たいへんたいへん、惣流さんアシカショーの時間っ。早く行きましょ。」

「あっ、待って。」

「早く早くぅ。」

本当にマナは楽しそうだ。そのパワーに気押されされながら、今度はアシカショーへと
引っ張られて行く。

「わぁ、すごーい。アシカさんって賢いのねぇ。」

楽しいアシカショーの時間。だが、アスカは深刻な顔でマナに向き直る。

「あのアシカさん達。怪我して芸ができなくなったら、どうなるのかしら?」

「病院で治して貰うんじゃないかな?」

「治らない怪我だったら?」

「うーん。アシカさんのゾーンもあったから、そこでみんなと楽しく暮らすのよきっと。」

「一生懸命覚えた芸は無駄になるのね。」

「そうかな?」

「だって、そうでしょ。」

「そんなことないって。水族館の人は、今まで頑張ってくれてありがとうって思うんじ
  ゃない?」

「それは、アシカさんだからよ。もし人間だったら、見捨てられるわ。」

「ううん。人間だったら、人間だからこそ、もしそうなってもまだまだ選べる道はいっ
  ぱいあるんじゃない?」

「そんなの・・・。簡単に見つかんないわよ。」

「逃げてちゃね。」

「!」

「あっ、もう終わりみたいよ?」

最後のアシカのボールを使ったショーも終わったようだ。マナが両手をパチパチと叩い
て、お辞儀をしているアシカに拍手をしている。

アタシは逃げてるんじゃないっ。
ただアタシはっ。

アタシは・・・。

その後も水族館を見て回ったが、アスカはあまり言葉を発することもなく、気まずい雰
囲気の中家へと帰ることとなった。

<マナの家>

夕日が沈む頃からしとしと雨が降り出していた。とても嫌な天気。星の出ていない夜空
を窓の向こうに見上げながら、アスカはクッションに座っていた。

「お待たせぇ。惣流さんも入る?」

「うん・・・ありがと。」

シャワーからマナが出て来た。バスタオルでショートカットの茶色い髪を拭きながら、
まだ湯気の出るバスルームへアスカを誘っている。

「ねぇ。今日の晩御飯、何にしよっか? 惣流さんが出て来る迄に作っとくわ。」

「ありがとう・・・なんでもいいわよ?」

「ふーむ・・・。シチューにしよっかな。それでいい?」

「うん。アタシもすぐ出て手伝うから。」

「いいっていいって。惣流さんは、お客さんなんだから。ゆっくり入ってて。」

冷蔵庫からジャガイモを取り出し切り始めるマナの横で、服を脱ぎバスルームに入ると
シャワーを浴びる。

お客さんか・・・。
そうよね。いつ迄もここにいたら迷惑よね。
アタシは何処へ行っても邪魔・・・。

マナは何も言わないが、明日でもう4日目になる。食事もみんなご馳走になっており、
そろそろここにいることもできそうにない。

明日、住むとこ探そうかな。
バイト先も見つけなくちゃ。

21世紀になって新しく作られた第3新東京市とは違い、昔ながらの街という感じがす
る街だが、住むには悪くなさそうだ。自分1人で暮らすのなら、安いワンルームマンシ
ョンで十分だろう。

できたら、霧島さんの近くがいいな。
まだ一人じゃ不安だし。

一人暮らしの計画を頭の中で立てながら、体と頭を洗いバスルームから出ると、既にシ
チューはほとんどでき上がっていた。

「あっ、ごめん。すぐ手伝うから。」

「もう終わりだから。ちょっと待ってね。テレビでも見てて。」

「ごめんね。」

髪を乾かしパジャマに着替えているうちに、夕食のがテーブルに並び始める。アスカは
何も手伝うことができないまま、テーブルの前に座ることになった。

「あのね。いつまでもここにいちゃ迷惑だからさ。」

「だから、そんなことないってば。」

「ううん。明日、住むとこ探そうと思うの。」

「いいって。いいって。旅館なんかに泊まったら、お金かかるじゃない。」

「旅館じゃなくて・・・実はアタシ、旅行じゃないの。」

「・・・・・・。ねぇ。惣流さん? どうして名古屋に来たの?」

「その・・・。」

「言い難くかったらいいのいいの。変なこと聞いちゃったね。あっ! ちょっと待って。」

話の途中だったが、マナは腰を上げ猫用に用意したご飯とミルクを持って、ベランダへ
出て行く。

「そこには、昨日の猫がニャーと鳴いて座っている。」

「ねぇ、霧島さん? あの猫だけど・・・。」

「しっ! 逃げちゃうから。」

「霧島さんの猫なんでしょ?」

「うん。早く帰って来て欲しいんだけど。」

「ちょっといいかな。」

「あっ、だめっ、近付いちゃっ! 逃げちゃうっ。」

「ダメモトじゃないっ。えいっ!」

ベランダにそっと出たアスカは、ミルクをピチャピチャと飲んでいる猫に手を伸ばす。
すると、あっけなくその猫はアスカの両手の間に捕まり、アスカに連れられ一緒に部屋
へ入って来た。

「ほら、簡単じゃない。」

「ありがとぉー。やっと帰って来てくれたわ。」

「やっとって・・・。」

「ほんとありがとね。わたしの大事な家族なのよ。この子。」

「大事だったら、どうして必死で捕まえないのよ。」

「でも、捕まえに行って逃げちゃったら、どうするの? 怖いじゃない。」

「追い掛けたらいいのよ。」

「でしょ?」

ニコリと笑うマナ。

「は?」

「それが正解なんじゃないかな?」

「はぁ?」

「それが、あなたでしょ? 今のが本当の惣流さんなんじゃない? あなたには、それが
  できる人じゃないかなって、わたしは思うの。」

「アタシ?」

「ウイロウ食べる時、言ってたじゃない。まずは行動だって。」

最初、何のことかわからなかったアスカだったが、ようやくマナが何が言いたいのかわ
かって来た。だが、だからと言って・・・だからと言ってそう簡単に恐怖心を拭い去る
ことはできない。

「無理よ。アタシには・・・。」

「怪我をするのが怖い? でも、アシカさんですら、怪我なんて怖がってなかったわよ。」

「・・・・・・だって。」

「ウイロウ食べる時の、まずは行動だって言ってた惣流さんは何処? 猫を捕まえた惣
  流さんは?」

「それとはまた違うの。」

「じゃぁ、どうしてこの子は捕まえようと思ったの?」

「それは・・・もし逃げてもダメモトで。」

「何が違うの?」

「だって、シンジに嫌われたくないのよっ!」

「それがあなたの守りたいものでしょ?」

「そうよっ! だから、せめて思い出だけはっ! 嫌われる前に遠くに行かなくちゃいけ
  ないのよっ!」

「思い出は優しいものね。ちょっとわたし、友達に電話しなくちゃいけないの。ご飯先
  食べてて。」

「・・・・・・・。」

マナは家を出て行く前に玄関でニコリとして振り返る。

「以前わたしが見た惣流さんは、何処に行ったんだろうね。」

それだけ言うと、マナは携帯電話を持って玄関から出て行った。1人残されたアスカは、
なぜか悔し涙にも似た涙を浮かべながらシチューを義務的に口に運ぶ。

シンジだけは失いたくないのよっ。
嫌われるくらいなら、この方が・・・。

霧島さんだって、そうだったじゃない。
あの猫に逃げられるくらいなら・・・・。

逃げられるくらいなら・・・???

え? なに?

やはり何度考えてみてもマナの行動がわからない。不可解である。逃げられるくらいな
ら、逃がしていた??? 家族だと言う程大事な猫なのに、いったい・・・。

そうこうしているうちにマナが帰って来て、一緒にシチューを食べ出した。だが、昨日
迄とは違い2人とも無言のまま夕食を終え、その日は早々と背を向けて布団へ入った。

霧島さん怒っちゃったのかな。
当然よね。アタシなんか・・・。
明日にはここを出なくちゃ。

ミサトの家を出て、次はこの家を出ようとしている。そんな自分を考えると、だんだん
と自己嫌悪が襲ってくる。

アタシ、やっぱり逃げてるのかな。
あの猫みたいに。

「???」

あの猫って、逃げてたの?
いつもベランダに戻って来てたじゃない。
じゃぁ、どうして捕まえなかったの?
逃げられるのが怖いから・・・だから逃げるのを見ていただけ?

アタシは・・・シンジに嫌われるのが怖いから・・・。
シンジを失いたくないから・・・。全てを捨てた。

『思い出は優しいものね。』

そう。思い出は優しい。
いつまでも・・いつまでも・・・。

でも。

アタシの大切なもの・・・。それは。

アタシ・・・。

シンジ・・・。

そっか。

闇に閉ざされた夜はふけ、星はめぐり、鳥が鳴く頃、また日が昇る。

眩しく燦然と輝き世界を照らす朝日が昇る。

翌朝、朝も早くからアスカはこの家を出る準備を始めていた。

「ん? おはよう。惣流さん、早いのね。」

「朝ご飯できてるわよ。」

寝起きの顔で玄関を見ると、アスカの荷物が纏められている。窓から外を見ると今日は
とてもいい天気。

マナはベランダの下を見てニコリと微笑むと、洗面所に移動し髪に軽くブラシを通す。

「旅行はもうおしまいかな?」

「うん。いつまでも旅行なんてしてらんないから。
  守る物はこの手でガッチリ捕まえるのよっ。」

「久しぶりね。」

「なにが?」

「お久しぶり、私の知ってる惣流さん。」

ニコリとしてマナが手を差し出してきた。アスカもそれに答えて、右手を差し出し握手
をする。

「いろいろありがとう。」

「守る物があるってのは辛いことよ。これからも苦しむと思う。」

「望むところよっ!」

「でも、幸せだと思うわ。」

「あたりまえよっ!」

「さ、そろそろ行った方がいいわ。」

「朝ご飯だけでも一緒に食べてから・・・。」

「ううん。始発で来ると思ったけど・・・夜行バスで来たみたい。」

「は?」

「彼・・・。」

マナの視線の先、窓の向こうに見える道路を見下ろしたアスカの目に映ったものは、地
図を見ながらきょろきょろとして歩いているシンジの姿だった。

「シンジっ!!!」

「始発も待てなかったのね・・・彼、よっぽど心配だったんだわ。」

「じゃ、じゃぁ、昨日の電話・・・。」

「惣流さんなら、もう大丈夫だと思ったから。おせっかいしちゃった。」

「アタシ・・・アタシ帰るっ! 今迄ありがと!」

「またねっ! 今度は2人で遊びにきてね。3人かな?」

「うんっ! え? 3人?」

「じゃね。」

「ほんとにありがとっ! バイバイっ!」

荷物をひっ掴み飛び出して行くアスカを見送るマナの足元で、ベランダの窓をカリカリ
と掻きながら猫がニャーと鳴いている。

「夕方までには帰って来るのよ。さってと、学校に行かなくちゃ。ずっと無断欠席だか
  らヤバイって感じだよねぇ。」

急ぎ学校の制服に着替え終わったマナが、気持ちの良い朝の空気に包まれた外の景色に
視線を向けると、シンジに飛びついているアスカの姿がそこにはあった。

<ネルフ本部>

反省室から出されたレイは、ミサトと対面していた。

「アスカは・・・。」

「家出したわ。」

「碇君は。」

「アスカの居場所がわかってね。昨日迎えに行ったわ。」

「そうですか・・・。」

「今日はもういいわ。帰って休みなさい。」

「はい・・・。」

疲れた体をひきずり、自分の団地へ向かう。その赤い瞳は常に地を見詰めており、とぼ
とぼと歩くレイの姿。

あの戦い・・・私は何もできなかった。
アスカを助けたのは碇君。
アスカを迎えに行ったのは碇君。

アスカを追い詰めてしまったのは私。

もう・・アスカに私は必要ないのね。
アスカには碇君がいればいいもの。
私は・・・いなくなればいい・・・。

無へ還りたい・・・。

To Be Continued.
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