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キャンバス
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<ミサトのマンション>

バスルームでアスカは、久し振りに猿のヌイグルミを洗っていた。洗面器にぬるま湯を
入れて、丁寧に揉み洗いをする。今となっては、唯一のキョウコの形見。

「フンフンフン。奇麗になってきたわ。」

鼻歌混じりで洗っていたヌイグルミも、そろそろ泡も出なくなってきた。濯ぎ終わって
良い頃合い。

「うんっ! かっわいっ! よーいしょっと。」

水をたっぷりと吸ってずっしりと重くなった猿の人形を、力を込めて両手で持ち上げ、
浴槽の端にしばらく置き水をきっておくことにした。

「終わった終わった。シンジぃっ! お腹減ったぁ。」

「もうちょっと待って、すぐ用意するから。」

「待てなーい。待てない待てない。待てなーーーーーーーい。」

「ちょっと待ってよ。今、手が離せないんだ。すぐに行くから。」

最近シンジは、いつも部屋に篭って何やらごそごそとしている。何をしているのかと聞
いてもごまかしてばかりで、部屋も締め切ったままだ。

「まったくぅ。最近アイツったら、何してんのよ。」

シンジがいつも部屋に篭って、碌に相手をして貰えない時、アスカは決まってリビング
に寝転がり雑誌を読む。

今週の運勢はっと。
恋愛運、・・・うげぇぇ、最悪ぅ。
これは、嘘よっ! 間違いよっ!
この雑誌。当たらないって、ヒカリに教えてあげなくちゃ。

勝手な都合の良いことを考えながら、雑誌をペラペラと捲る。時折ファッション特集な
どに目を止めるが、大して読む所も無くすぐに読み終わってしまった。

「シンジぃぃぃ、まだあああ?」

やることがなくなったアスカは、顔の半分くらいまで大きく口を開けて、部屋に篭るシ
ンジに催促。

「もうすぐだから。」

「さっきから、そればっかじゃない。」

「本当にもうすぐなんだ。今行くから。」

「もっ!」

痺れを切らしたアスカは、ドッカと立ち上がるとシンジの部屋に向かってドスドスと歩
き始める。

このアタシを待たせるなんて、どういうつもりよっ!

ガラッ。

勢い良く襖を開けてみると、丁度シンジが部屋から出てくる所で、開けた襖の前で鉢合
わせしてしまった。

「もう終わったから。さっ、ご飯を作るね。」

シンジは後ろ手に襖を閉めると、アスカを追い出す様に身体で押し、リビングへと出て
来た。

怪しいわねぇ。
何、隠してるのかしら?

シンジの様子を怪しむアスカだったが、ご飯を作ってくれるということだったので、お
となしくダイニングテーブルの椅子に腰を下ろした。

                        :
                        :
                        :

その夜は、シンジのことが気になってなかなか眠れなかった。あの後、夕方からシンジ
はまた部屋に篭ってしまい、一向に出て来なかったのだ。

なーんか隠してるわね。
何してるのかしら?
聞くのも気にしてるみたいでシャクよねぇ。

1度考え出すと気になって仕方がないので、頭のモヤモヤを取り払おうと外の空気を吸
いにベランダへ出る。

わぁ、雲1つ無い夜空ぁ。
星が奇麗ーー。

星空を見上げながら大きく深呼吸をしていると、目の端にシンジの部屋の明かりが飛び
込んできた。

こんな時間まで何してるの?
コソコソ隠れちゃってさ。

結局モヤモヤを残したまま布団に戻ることになり、その後もしばらく眠れない夜が過ぎ
ていった。

<通学路>

翌日の放課後、アスカはいつもの様にシンジと一緒に学校を下校していた。最近何をし
ているのか気になって仕方がないが、どう聞き出そうか切っ掛けが掴めない。

「ちょっと買い物があるから、先に帰っててよ。」

「夕食のおかず? アタシも付き合ってあげるわよ?」

「そうじゃないんだ。大した物じゃないから、先に帰ってて。」

「大した物じゃないって、何よ?」

「本当に大した物じゃないから。じゃ。」

シンジは無理矢理会話を終わらせる様にそれだけ言い残し、曲がり角を曲がって走り去
って行った。

むぅぅぅぅぅ。
怪しいわねぇ。

気になって我慢できないアスカは、気付かれない様に少し離れて後を尾行し始めた。も
しかしたら、最近のシンジの行動の秘密がわかるかもしれない。

何処に行くの?
わざわざこんな所まで来て・・・。

電柱や看板の陰に隠れながら後をつけて行くと、シンジは商店街の方へと早歩きで向か
って行く。どうやら、買い物というのは本当の様だ。

買い物なら、別にアタシと一緒でもいいじゃない。
なんで、独りで行きたがるのよ?

疑い出すときりが無いものである。アスカは、シンジの行動を怪しみながら商店街の中
の追跡する。

ん?
文房具屋さん?
なんで、あんな所に・・・。

しばらくすると、シンジは商店街の中央にある大きい文房具屋に入って行った。文房具
なら、コンビニで大抵は揃うはずなのに、ここまで来る理由がわからない。

わざわざこんな所まで・・・。
何を買うつもりかしら?

気になったアスカが、文房具屋の中を覗きに行こうとした時、誰かがアスカの肩を後ろ
から叩いてきた。

ビクッ!

尾行などという怪しい行動をしていたアスカは、突然肩を叩かれビクっと驚いて振り返
る。すると、そこにはヒカリの姿があった。

「何してるの?」

「あっ。なんだぁ、ヒカリかぁ。びっくりしたぁ。」

もうっ! 今忙しいのよっ!
邪魔しないでっ!

「なにか、面白い物でも見えるの?」

アスカが、電柱の陰から文房具屋の方を目だけを出して覗いてたので、何が見えるのか
とヒカリも同じ方向に視線を向ける。

「ははは・・・な、何でもないわよ。それより、どうしたの?」

「それがね・・・聞いてよ、アスカぁ。」

ヒカリはアスカの両手を持つと、半分泣きそうな顔でうるうる目を潤ませながら見つめ
てくる。

「鈴原がねっ、鈴原がねっ。」

「どうしたのよ?」

「お昼にねっ。」

                        ●

昼休み、ヒカリは今日も特大の弁当箱を鈴原に渡していた。

「いつもすまんなぁ。」

「いいのよ。委員長として、私は・・・。」

「今日もまた、ごっつ美味そうやなぁ。」

「そ、そう? そうかしら・・・。」

ヒカリにとって、この時が1日の中で一番嬉しい瞬間。いくら料理に自信があると言っ
ても、トウジには何度誉められても嬉しい。

「委員長の弁当には、唐揚げかハンバーグがいっつも入っとるさかいええわぁ。」

ヒカリはビクっと肩を震わせた。最近トウジが喜ぶので、唐揚げとハンバーグをよく入
れている。しかしヒカリには、レパートリーがワンパターンだと聞こえたのだ。

                        ●

「でもね、でもね、朝の時間に作れる物って限られてくるでしょ。」

「そ、そうね・・・。」

自分で弁当を作っていないアスカは、ポリポリと頭を掻きながら「そうね」としか返事
を返せない。

「でもね、でもね、やっぱり同じ物ばかり入れてたら、バランスも悪いし鈴原の身体に
  も良くないと思うの。」

「はいはい。」

もうっ!
今は、アンタのノロケ話に付き合ってる時じゃないのよっ!
シンジが、あそこで何してるか・・・あっ!

そうこうしている間に、シンジは文房具屋での用事も終わったらしく、アスカの目の前
をスタスタと通り過ぎて行く。

「だからって言って、冷凍食品も良くないと思うのよ。ねぇ、どう思う?」

「あっ! あっ! あっ!」

ヒカリに手を掴まれたまま、去って行くシンジを目で追い掛けるアスカ。しかし、ヒカ
リは容赦無く喋り続ける。

「ねぇ、聞いてる? アスカってばぁ?」

「え、えぇ。聞いてるわよ。はぁ〜。」

「ねぇ、アスカはどう思う?」

「そうね。アタシもそう思うわ。とほほほほ・・・。」

殆ど聞いていなかったアスカは適当な返事をしながら、シンジが去って行った方に視線
を向け、溜息をこぼす。

「やっぱりっ!? そうよねっ! じゃ私、買い物に行くから。じゃぁね。」

ヒカリは、いつの間にか元気を取り戻した様で、アスカに手を振ってスーパーへと入っ
て行く。

結局、シンジが何をしてたのかわからなかったじゃない。
はぁぁぁ〜。

がっくりと肩を落としたアスカは、とぼとぼと独りで夕日が照り付ける街の中を帰って
行くのだった。

<ミサトのマンション>

アスカが家に帰り着くと、シンジは今日もまた自分の部屋に篭ってゴソゴソと何かをし
ていた。

「ただいまぁ。」

アスカは靴を脱ぎながら声を掛けてみるが、「おかえり」の返事も返ってこない。余程
真剣に何かをしているのであろう。

このアタシがせっかくかわゆーーーい声で、「ただいま(はぁと)。」って言ってあげ
てるのにっ!
アンタは、無視するってーのっ!

ご機嫌斜めのアスカは、靴をバタバタと脱ぎ散らかしてリビングへ駆け込むと、シンジ
の部屋の襖をガラリと開けて大きな声で叫んだ。

「たっ! だっ! いっ! まーーーーーーっ!!!」

「わーーっ! アスカっ!」

突然襖が開いてアスカが入ってきたので、シンジは慌てて自分の目の前にあった物に白
い布を被せると、手にしていた筆を置いて部屋の外へ飛び出してきた。

「急に入って来るから、びっくりしたじゃないか。」

「アンタが、『おかえり』って言わないからでしょっ!」

「あっ、そうだね。おかえり。遅かったんだね。」

「うん、寄り道してたのよ。」

「じゃ、ちょっと忙しいから。」

「そっ。それじゃ、アタシも着替えようかしら。」

シンジが襖を閉めてまた部屋に篭ったので、制服のままだったアスカも着替えに自分の
部屋へと入る。

シンジの部屋にあったのって・・・。
あれって、絵よねぇ?

ベッドの上に置いてあるタンクトップとホットパンツに履き替え、先程見た大きなキャ
ンバスを思い出すと、その予想外の物にいろいろと考えを巡らしてしまう。

なんで絵なんか?
どうしちゃったのかしら?

今までシンジが、絵など描いてる所など見たことはない。突然どうして絵を描き出した
のか考えてみると、思い当たることは1つしかなかった。

もしかしたら、コンクールに出すつもりなのかしら?

それは2週間程前、学校の美術の授業中にデパート主催の絵画コンクールに出展希望す
る人は、先生まで相談するようにという話があったのだ。

きっとそうよ。
出展するつもりなんだわ。

ミルクを飲みにリビングへと出て行く。日本は暑いので学校から帰ると、どうしても喉
が乾いてしまう。

「プハァ〜。やっぱ、これに限るわねぇ。」

一気に牛乳を飲み干すと、キッチンに飲み終わった牛乳ビンを置き、クッションを枕代
わりにしてポテトチップスにかじりつく。

なんでコソコソするのかしら?
堂々と描きゃいいのに・・・。

閉まりきったシンジの部屋の襖に目を向けると、中からはゴソゴソと動いている音が微
かに聞こえてくる。

何の絵・・・描いてるんだろう?
気になるなぁ。

絵を描いていることがわかったのは良いが、今度はシンジが何の絵を描いているのか気
になってくる。

ちょっと、待てよ?
アタシに必死で隠すってことはぁぁ〜〜・・・。
まさかっ!

美術の授業中は興味が無かったので真剣に聞いていなかったが、よくよく思い出してみ
ると、コンクールの課題は”大切な人”だったはずである。

シンジの奴、まさかアタシを描いてるんじゃっ!?
ミサトって線もあるけど、モデルにしてはオバンだしねぇ。
きっとそうよっ! アタシを描いてるのよっ!

ミサトが聞いたら烈火のごとく怒り出しそうなことを考えながら、いつの間にかアスカ
の頬は緩み、ニヤニヤとだらしない顔になっていた。

”大切な人”かぁ・・・。
アイツもかわいいことしてくれるじゃないのぉぉ〜。

「ウフフフフ。」

賞でも取ったらどうするつもりなのかしら?
学校中の話題になっちゃうじゃない。
困っちゃうのよねぇ。エヘヘヘヘヘ〜。

クッションを抱きながら、その時の様子を想像して身体をくねくねさせるアスカ。頬の
筋肉が緩み締まりが無いことこの上ない。

そうだわっ!
絵ができるまで、アタシがご飯作ってあーげよっと。

上機嫌のアスカは、早速冷蔵庫を漁り始めると、今日の夕食の準備に取り掛かり始めた。
ミンチがあったので、ハンバーグを作ることにする。

「フンフンフン。」

タンクトップとホットパンツ上からエプロンを1枚して、ミンチをボールに入れると鼻
歌を奏でながら手を突っ込んでコネコネとこねくり回す。

がんばって貰わないといけないから、美味しいの作らないとねっ。
そうだわっ!
暑い時は、ねばっこい物が良いって言うから、もろへいやのみそ汁も作ろうかしら?

先程冷蔵庫で見たもろへいやを取り出すと、丁寧に刻んでいく。味噌汁だけでは、ちょ
っと量が多かったので、残りは御浸しだ。

「アスカ、そろそろご飯作ろうか? あれ? 今日アスカの当番だっけ?」

「あっ。アンタ、忙しいんでしょ? アタシが作ってあげるわ。」

「いいの?」

「いいから、いいから。」

「ありがとう。なんか悪いなぁ。」

折角のアスカの好意なので、シンジも素直に礼を言うと、再び自分の部屋に入った。そ
の姿を見送ったアスカは、食事の準備を再開する。

どんな絵なのかなぁ。
初めて会ったオーバー・ザ・レインボーの時の絵かなぁ。
プラグスーツを着てるアタシかなぁ。
ま、まさかっ、ヌード???
学校に出すんだから、そんなことないか。
シンジも、まだ見たこと無いはずだし・・・たぶん・・・。
あーん、早く見たいなぁ。

「ん?」

その時、アスカの鼻にコゲくさい臭いがプーーンと漂ってきた。何だろうと、臭いのす
る方に目を向けると、火にかけたフライパンの上でハンバーグが真っ黒になっている。

「キャーーーーっ!!!」

慌てて火を止めたが、アスカの愛情ハンバーグ第1号は、見事に炭になってしまったの
だった。

                        :
                        :
                        :

その日の夜も、シンジが何をしているのかはわかった物の、自分がどんな風に描かれて
いるのか気になってなかなか眠れなかった。

「こんな感じかしら?」

鏡を見ながら、いろいろとポーズを作ってみる。後ろ髪を両手で持ち上げてみたり、手
を足の前で組んでみたりと、色々してみる。

「よっと・・・。こんなのも、かわいいわねぇ。」

いろいろポーズを作れば作る程、実際にはどんな絵が描かれているのか、余計に気にな
ってくる。

「もっ! ちょっとは、モデルにも相談しなさいよねっ!」

あぐらをかいた足の上に枕をどっかと置いて、イライラした気持ちをポフポフと叩き付
ける。

ガラガラ。

モヤモヤして寝付けないので空気を吸いにベランダに出てみると、今日も電気の光がシ
ンジの部屋から漏れていた。手摺に両肘をついて、ぼーっとその光を眺める。

どんな絵なのかなぁ。
大切な人かぁーー。
出来たら、真っ先にアタシに見せないとダメなんだからねぇ。

しばらく、シンジの部屋の光をじっと見ていたアスカだったが、夜も遅くなってきたの
で、出来上がった絵を想像しながら夢の世界へと落ちていくのだった。

<学校>

翌日、珍しくアスカが作った弁当を持って、シンジとアスカは登校していた。アスカも
少し早起きした為、1時間目が眠い。

よりによって、数学かぁ。
眠いのよねぇ。

ドイツの大学でアスカは数学を選考していたので、中学の数学などは小学校低学年くら
いに、とっくに理解しているのだ。

どうして、こんな簡単なことを、とろとろやってるのかしら?
ちょっとがんばったら、すぐにわかることじゃないのよ。
みんな、努力が足りないのよねぇ。
がんばったら、なんだって出来るんだからっ!

確かにアスカは大学に入る為に、血を吐く様な努力をした。その成果として、今の天才
少女の姿がある。

「ん?」

ふと視線を前に向けると、眠そうに船を漕いでいるシンジの後ろ姿が見えた。昨日も遅
くまで絵を描いていたのだろう。

「あらあら、アイツはしっかり勉強しないといけないのに。」

シンジの後ろ姿をクスクス笑いながら見ていたアスカだったが、そろそろ起こさないと
先生に怒られそうなので、ケシゴムの切れ端をシンジの背中にぶつける。

「クスクス。」

そのケシゴムの切れ端がシンジの頭に当たった途端、シンジが何事かとムクリと起き上
がってきょろきょろし始めたので、その仕草にアスカは声を殺して笑い転げるのだった。

                        :
                        :
                        :

昼休みになり、アスカはシンジのカバンに入っている自分の弁当を取りに行った。シン
ジが作ろうとアスカが作ろうと、持ち運ぶのはやはりシンジだ。

「はい。今日はありがとう。」

「いいって。アンタも忙しそうだし。」

「うん・・・。あっ! ケンスケっ!」

弁当を受け取りながら話をしていると、シンジがパンを買いに教室から出て行くケンス
ケを呼び止めて走り出した。

「ヒカリぃ、お弁当食べよ。」

シンジがいなくなったので、アスカもかわいいハンカチに包まれた自分の弁当箱を持っ
て席に戻ろうとした時、背中からシンジの小さな声が聞こえてきた。

「あのさ。」

ボソボソと人に聞こえない様に、小声で喋るシンジの声。自然とアスカの耳は、その会
話へと傾いていく。

「1枚でいいから、綾波の写真・・・くれないかな。」

そのかすかなシンジの声が耳に入った途端、ご機嫌にお弁当を持って歩いていたアスカ
は、瞳を見開いたまま体を一気に固めて立ち止まってしまう。

「うん、それじゃ、悪いねっ。」

「いいって、いいって。」

ファーストの写真・・・。
どうして?
アタシの写真じゃないの?

だらりと下げた右手に弁当箱をぶら下げながら、アスカはその場から一歩も動くことが
できない。

どうして、ファーストの写真なんかがいるのよっ!
アンタが描いてるのは、アタシなのよっ!
そんなの、いらないじゃないっ!
アタシの絵を描くのに、そんなのいらないじゃないのよっ!!!

「アスカ? どうしたの? 早くお弁当食べよ?」

机を2つくっつけていたヒカリが、どうしたのかと振り返るが、アスカはその場を動け
ない。

どうして・・・。
どうしてなのよっ!
何に使うのよっ!
そんなものっ! 何に使うってのよっ!!!

「アスカ?」

うつむいてしまったアスカにヒカリが声を掛けた途端、アスカはキッと顔を上げ弁当箱
を自分の机に無造作に投げ付けると、教室を走り出て行ってしまった。

「アスカっ!? どうしたのよっ!? アスカっ!?」

突然のことに、しどろもどろになりながら、ヒカリが呼び掛けたが、アスカはそのまま
振り返りもせず教室を駆け出し、結局その日は戻って来なかった。

<ミサトのマンション>

突然アスカがいなくなってしまったので、シンジはアスカのカバンを持って家に帰って
来た。

アスカどうしちゃったんだろう?
委員長は、なんか急いでたみたいって言ってたけど・・・。
ネルフから呼び出しでもあったのかなぁ。

アスカの気まぐれはいつものことなので、シンジはあまり気にせずキャンバスに筆を走
らせる。その前には、今日ケンスケから貰ったレイの写真が立て掛けられていた。

ガサガサガサ。

そして、夕闇が町を覆う頃、玄関で物音が聞こえた。その物音は、そのまま一直線にシ
ンジの部屋へと近づいて来る。

アスカ帰ってきたのかな?

シンジは、キャンバスに白い布を被せると、筆を置いてゆっくりと椅子から腰を上げ立
ち上がった。

「おかえり、アス・・・。」

しかし、シンジが出て行くより早く、アスカが襖を開いてシンジの部屋へズカズカと入
って来る。その目の前には、キャンバスとレイの写真が立て掛けられていた。

やっぱりっ!
やっぱり、ファーストの写真がっ!

キャンバスの前に置かれるレイの写真を見た途端、わずかな希望を全て打ち砕かれたと
いった感じの絶望の表情を見せるアスカ。

「シンジ・・・絵、描いてるのね。」

「あ、うん。ははは。」

「見てもいいかな?」

「えっ・・・。」

その言葉を聞いた途端、絵を背中で隠すようにアスカの前に立ちはだかったシンジは、
苦笑いを浮べながら言葉をごまかす。

やっぱり・・・。
それで、アタシに見せれなかったんだ。
アタシを描いてくれてるとばかり思ってたのに・・・。
思ってたのにっっーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!

「ちょっと、見せて?」

「アハハハハ、あまり人に見せれる様な物じゃないから・・・。」

アスカは拳を握り締めて、シンジの後ろのキャンバスの向こうに立て掛けられているレ
イの写真をキっと見据える。

どうしてファーストなのよっ!
どうしてアタシじゃないのよっ!!!!

アスカはレイの写真を一直線に見ると、シンジの横をすり抜けズカズカと歩いて行き、
白い布の掛かったキャンバスの前で立ち止まった。

「楽しみにしてたのにっ!」

「どうしたの?」

「アタシはっ! アタシはっ! アタシの絵を書いてくれてるとばっかりっ!
  嬉しかったのにっ! 楽しみにしてたのにっ!!!!」

「アスカ? どうしたのさっ!?」

「どうして・・・どうしてっ! どうしてファーストなのよっ!!!!
  よりによって、なんでファーストなんか描くのよっ!!!!!!!」

「ち、違うよっ!」

「こんなの、嫌っ! 嫌っ!」

「わかったからっ! 見せるからっ!」

「嫌っ! 見たくないっ! ファーストの絵なんか見たくないっ!!!!」

白い布を被ったキャンバスに、高々と右手を振り上げるアスカ。

「あっ、待ってっ!!」

「イヤァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッ!!!!」

バーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ。

感情に身を任せたアスカは、目を吊り上げ髪を振り乱して、振り上げた拳をキャンバス
に叩き付ける。

ドカーーーーーーン。ベキベキベキッ!!

「あっ!」

シンジは、吹き飛んだキャンバスに手を伸ばしたが、わずかに届かずベッドの端に勢い
良く当たり真っ2つに折れて床に落ちた。

「えっ?」

折れたキャンバスから、白い布がふわりと飛んでいく。露になった破れたキャンバスに
描かれていた人の絵を見て、言葉を失うアスカ。

「この絵って・・・。」

雰囲気はレイに似ていた。しかし、そこに描かれていたのは、もう少し大人の女性で髪
は黒かった。

「・・・・・。」

唖然として、その破れた絵を力無く見つめるシンジ。

「この絵って・・・。」

そんなシンジを見たアスカは、唇を震わせて何かを言おうとしたが、咄嗟に何を言って
いいのかわからず言葉が出てこない。

「母さんの写真って、1枚も持ってないから・・・。」

ママの絵・・・。

「14にもなって母さんの絵を描いてるなんて、恥ずかしくて・・・ハハ・・・。」

「・・・・・。」

自分が大事に大事にしている猿の人形のことを、思い出し頭を垂らすアスカ。

「アタシ、一生懸命勉強した。」

2つに折れたキャンバスを拾い、破れた所を両手で合わせながら、ゆっくりと喋り始め
る。

「がんばって勉強したら、大学に受かった。」

両手でキャンバスを、擦り合わせながら話し続ける。

「ハーモニクステストをがんばったら、チルドレンに選ばれたの。」

何度も、何度も、絵の折れた所を擦り合わせて、言葉を絞り出す様に続ける。

「でも・・・。」

絵を2つの青い目で、じっと見つめて折れた所を力いっぱい擦り合わせる。

「いくら、がんばっても・・・。」

「アスカ?」

「いくら、がんばっても・・・、がんばってもっ! どんなに努力してもっ!」

アスカの声が大きくなると共に、その両目から大粒の涙がポロポロと溢れ出してくる。

「こんなにがんばってるのにっ! こんなにがんばってるのにっ!
  元に戻らないよっ! 」

涙でぐしゃぐしゃになった顔で、絵の折れた所をくっつけようと、何度も何度も擦り合
わせる。

「こんなにがんばってるのにっ! 一生懸命がんばってるのにっ!
  元に戻らないんだよーーーーーっっ!」

「もういいよ・・・アスカ。」

「どうしたらいいのっ!? アタシなんでもするからっ! どうしたら元に戻るのっ!?
  ねぇっ! 教えてよっ! シンジっ! 教えてよーーーーーーーっ!!!」

涙で碌に見えない視界の向こうにシンジの顔を見つめ、破れた絵を何度も繋ぎ合わそう
と両手に力を込めて、必死でくっつける。

「もういいよ、アスカ。もう・・・。」

「ごめんっ! ごめんっ! シンジーっ、ごめんっ! アタシ、何もできないよっ!
  こんなにがんばってるのにっ! どうしても戻らないのよーーっ!」

「もういいんだっ!」

シンジはアスカの手から、破れた2枚のキャンバスを受け取ると、そっと折り重ねて机
の上に置く。

「ごめんっ! ごめん、シンジーーーーっ!」

「もういいよ。ねっ。」

「シンジぃぃぃぃ・・・。」

アスカは、シンジの胸に倒れ込むと、何度も謝りながら大粒の涙で胸を濡らす。

「コンクールまで後2日あるじゃないか。」

胸に顔を埋めて泣くアスカの頭を撫でながら、シンジは優しく声を掛ける。

「絵なんて描くの初めてだったから最初はとまどったけど、コツもわかったしもう一度
  がんばってみるよ。」

シンジの胸に顔を埋めていたアスカが、そっと顔を上げて泣き濡れた瞳でシンジを見上
げる。

「もう一度?」

「うん、明日は休日だし、あと1日がんばったら間に合うと思うよ。」

シンジは、人差し指で幾筋も流れるアスカの涙を拭ってやりながら、澄んだ笑顔でニコ
リと微笑む。

「うん、大丈夫。もう1度描くよっ。きっと間に合うから。」

「ア、アタシも手伝ってもいいかな?」

「え? アスカも?」

「絵を描くのはシンジだけど、色作ったりとかならできるから。ねっ、お願いっ! 手
  伝わさせてっ!」

「・・・・・・・そうだね。一緒に描こうか?」

「うんっ! アタシっ、がんばるからっ! なんでも手伝うからっ! 一生懸命がんばる
  からっ! 一生懸命っ、一生懸命がんばるからっ!!」

シンジとアスカは、その日徹夜で新しい白いキャンバスに協力しながら、少しづつ少し
づつ丁寧にユイの絵を描いていった。

アスカも、一生懸命がんばった。

色を作った。
パレットを何度も洗いに走った。
水を替えに洗面所まで何度も往復した。
シンジが疲れたら、紅茶を入れた。
時には、モデルの代わりもやった。

日が昇り街を照らした後、また西の山へとその姿を消していった。
その間も、2人は休みなく描き続けた。

街の明かりが消える頃、2人の身体は疲れ切っていた。
それでも、笑顔でお互いを励ましながら描き続けた。

そして、白かった新しいキャンバスには、シンジとアスカの想いが鮮やかな色になって
映し出されていった。

チュンチュンチュン。

2度目の朝がきたことを、小鳥達が囀りで人々に伝える。
街は白み始め、シンジの部屋にも光が差し込めてきた。

その輝きが、絵の具を顔にいっぱいつけて折り重なるように眠るシンジとアスカを照ら
しつける。

2人は笑顔で眠っていた。

そんなシンジとアスカを見つめる優しい瞳が、2人の横に立て掛けられるキャンバスの
中に輝いていた。

fin.
作者"ターム"へのメール/小説の感想はこちら。
tarm@mail1.big.or.jp
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