------------------------------------------------------------------------------
自信を持って
------------------------------------------------------------------------------

<おじさんの家>

2014年8月。

じめっと蒸し暑く寝苦しい夏休み、クーラーもつけずに寝たことを後悔して起きたぼく
は、汗ばんだ体で窓際に立つ。
風でも吹いてくれてたらマシだったんだろうけど、それもなく朝から煩いセミの鳴き声
だけが聞こえて来る。

昔はこの街も、冬になると白い訪問者が訪れたらしいけど、ぼくはそんな風景は見たこ
とが無い。
セカンドインパクトから夏の季節しかなくなった、変化の無い日本に育ち、変化の無い
生活を毎日、毎日送ってきた。

それがあたりまえで、それがこれからもずっと続くんだと思ってた。

コン。コン。コン。コン。

台所から包丁でまな板を叩く音。世話になっているこの家のおばさんはいつも早起きで、
親切にしてくれるし、毎朝美味しいご飯を作ってくれる。

以前は自分で料理の勉強をしたこともあったけど、今じゃみんなおばさんまかせ。第3
新東京市で父さんと暮らす為に料理を覚えたのに、無意味だったことがわかったから。
どんなに努力したって、いい子にしたって、父さんはぼくのことなんて・・・。

ちょっと早いけど。

目が覚めてしまったものは仕方ない。パジャマ代わりにしているTシャツから、普段着
に着替え、部屋を出てダイニングのある1階に下りて行く。

「あら、今日は早いのね。」

「おはようございます。目が覚めちゃって。」

「おはよ。ちょっと待ってね。すぐできるから。」

「はい・・・。」

おばさんが急いで、サラダや魚なんかの朝ご飯を取り分けてくれる。ダイニングの椅子
に座って、黙って朝ご飯ができるのを待つ。

「いつも家にいるけど、どこかに遊びに行かないの? せっかくの夏休みなのに。」

「うん・・・。べつに。」

「ずっと家でチェロばっかり弾いてたら、体が腐っちゃうわよ?」

「そんなこと・・・。」

「ほんと、チェロが好きなのね。」

「はい・・・。」

別に好きでチェロを弾いているわけじゃない。中学校に入って1学期も終わったけど、
これといって仲の良い友達ができず遊びに行く相手がいないだけ。

だけど、友達がいないなんて言ったら、またおじさんやおばさんに心配かけちゃうし。
今日はどこかに出かけてみようかな。

「でも、今日は友達と遊びに行く約束してるんです。」

「あらそう。」

おばさんの顔色をチラリと伺うと、安心したような顔をして本当に嬉しそうにぼくのこ
とを喜んで見ている。

こんなにいいおばさんに、心配かけれないよな。

「それはいいわね。そうだわ、じゃぁ、お小遣いを奮発しちゃおうかしら。」

「いえ・・・そんなの。」

「いいから、いいから。」

「ありがとうございます。」

お小遣いなんて言われたら、なんだかおばさんを騙してるみたいで逆に気が引けちゃう
なぁ。でも、これ以上心配かけちゃ悪いし・・・。

本当の家族だったら、こんな気を使ったりしないのかな。
父さんと暮らせたら・・・。

ぼくは少し罪悪感を感じながらも、そのお小遣いを受け取り、1人でどこかに散歩に行
くことにした。

<公園>

朝ご飯を食べ終ると、チェロを背負って家を出た。どこへ行く宛もないし、市内にある
公園に足を運ぶ。

なにしようかな。
夕方くらいまで時間潰さなくちゃ。

どうせ暇になることがわかってたから、チェロを持って来ていた。はぁ。ぼくの夏休み
って、チェロを弾くか、宿題をするか、ご飯食べるか、寝るか・・・なんで夏休みなん
てあるんだろう。

とにかく時間を潰さなくちゃいけないし、楽譜無しで弾ける曲をベンチに座って奏で始
める。

暇だなぁ。

行き交う人々がチラチラこっちを見てくるけど、大して興味も持たずそのまま通り過ぎ
て行く。まだギターとかなら人も集まるんだろうけどチェロじゃねぇ。

人が集まって来ちゃったら恥かしいから、その方がいいけど。

ここの公園は仙台でも大きな方で、人もたくさん歩いている。散歩しているおじいさん、
ジョギングしているおにいさん、大きな犬を散歩しているお姉さん。

あの人、あんな細い体で、あんな大きな犬の散歩なんて・・・。
凄いなぁ。
細いわりに力持ちなのかな?

ぼくはそのアンバランスな飼い主と犬をしばらく見ていたが、ジロジロ見ていたら変に
思われそうだから、近付いて来ると、またチェロを弾き始める。

♪♪♪♪♪

ワン! ワン! ワン!

丁度、大きな犬が目の前にきた時に音を出してしまったせいで、犬がびっくりしちゃっ
たんだろう。ワンワンと吼えながら、こっちに向かって走って来た。当然その犬を、細
いお姉さんに押さえられるはずもなく。

「わーーーーーっ!!!」

ドンガラガッシャン!

あんなおっきな犬が向かって来るんだもん。びっくりしたのなんのって。チェロと一緒
にベンチから転げ落ちてしまったよ。

「あっ! ごめんあんさい! 」

お姉さんが犬をズルズル両手に精一杯の力を込めて引っ張り謝ってくる。

あーー。びっくりした。
噛まれるかと思った。

「ほんとに、ごめんなさい。」

「いえ・・・。」

「大丈夫ですか?」

「はい。ちょっとびっくりしただけですから。」

「よかった・・・。じゃ、ほんとにごめんなさいね。」

お姉さんは何度も謝りおじぎをして、犬を叱りながら通り過ぎて行く。ほんと恐かった
なぁ、もう犬の前でチェロを弾かないようにしよう。

周りをキョロキョロ見て、犬も猫もいないことを確認すると、またチェロを弾き始める。
他にすることがないんだから、コイツを弾くしかないんだもんな。

そしてぼくは、昼過ぎまで1人でチェロばかりを弾き続けていた。

                        :
                        :
                        :

お腹すいてきたな。
なんか買ってこよ。

チェロを弾くのも飽きてきたし、昼も過ぎた時間になってお腹も空いた、今弾いてるこ
の1曲を弾き終ったら、パンを買いに行くことにしよう。

♪♪♪♪♪
♪♪♪♪
♪♪♪
♪♪
♪

終了。

パチパチパチ!!!!

曲が終わると同時に、思い掛けない方向から拍手の音が聞こえてきた。1人の世界に浸
っていたぼくは、突然のことにびっくりして辺りをキョロキョロ見回す。

拍手のする方向、そこには日本人っぽくない同じ歳くらいの黄色いワンピースを着た女
の子が、青い瞳でこっちを見て立っていて、白い手をパチパチと叩いている。

「え・・・あ、あの・・・。」

まさか誰かに聴かれていただなんて思ってなかった。もう恥かしくなって、つい俯いて
しまったんだけど、その子は遠慮も容赦もなく、ズカズカと目の前に踏み込んで来る。

「へぇー。上手いもんねぇ。なにそれ? バイオリンよりおっきいわね。」

「バ・・・バイオリン?」

まさかこれを見てバイオリンなんて言われるとは思ってなかったから、つい素っ頓狂な
声をあげてしまう。

「バイオリンよりおっきいっつってるでしょっ! バイオリンじゃないことぐらい分か
  ってるわよッ! 失礼ねっ!」

「あ、あぁ・・・これ? チェロだよ。君だれ?」

「誰だっていいでしょ。ちょっと旅行に来てるのよ。明日10時の飛行機まで暇してん
  のよね。へぇ、これがチェロかぁぁ。ふーーん。」

その子は興味深そうに、チェロをいろんな角度から眺めながら、周りをくるくると歩き
始める。

「ねぇ、他に何か弾けないの?」

「弾けるけど・・・。」

「なんかやってよ。」

「でも・・・。」

「なに? できないの? 弾けないんなら、弾けないって言いなさいよねっ!」

「弾けるよ。」

「弾けんなら、さっさと弾きなさいよ。」

な、なんだ??
なんで、こんなにこの子は偉そうなんだ?

「ただ・・・パン買いに行こうって思ってたから。」

「はぁっ!?」

女の子は青い瞳をくるりと大きく開けて、驚いたような顔で見返してくる。

「アンタねぇ。こーんなかーいい女の子がリクエストしてんのに、パンとか言うっ!?」

じ、自分で可愛いなんて普通言う?
なんなんだよ。この子は・・・。

「だって・・・。」

「パンが食べたいからって、断る男なんかみたことないわよっ。」

「お腹空いたんだもん。」

グーーーー。

とうとうぼくのお腹は、恥かしくもその子の前で悲鳴をあげてしまった。だから、お腹
が空いたって言ってるのに・・・。恥かしいなぁ。

「ほら。お腹減ってるんだ。ほんとだろ?」

「プッ!」

少し怒りそうになっていた彼女だったが、お腹の虫の音を聞いて目の前で噴出してしま
った。笑わないでよ・・・。

「アハハハハハ、アンタ、面白いじゃん。」

「ごめん・・・。」

「いいわ。じゃ、ご飯食べてから、ゆっくり聴かせんのよ。」

「うん。」

あと一曲くらいなら、空腹を我慢して弾けないこともなかったけど、またお腹がグーー
って鳴いたら恥かしいから、早速パンを買いに行くことにする。

「ちょっと待ってて、パン買ってくるから。」

「パン? どっかに食べに行きましょうよ。」

「なんで?」

「なんでって・・・女の子が一緒にご飯食べましょって言ってんのに、『なんで』はな
  いでしょっ!」

「なんで?」

「アンタ・・・・バカにしてんの?」

「ご、ごめん・・・。」

「・・・・ま、まぁ、いいわ。早くどっか連れてってよ。」

「どこへ?」

「・・・・・・ア、アンタねぇ!」

な、なんだ?
なんか、急に怒り出したぞ?
どうしたんだ?

「アタシは初めて日本に旅行に来たのっ!
  だから、このあたりのこと、ぜーーーんぜん知らないのっ!
  美味しいところでご飯が食べたいのっ!!!
  だから、アンタが案内するのっ!!!
  ここまで言ったら、わかったかしらぁぁぁぁあああああっ!!!!!!?」

「は、は、はぃぃぃっ!!」

ひぇぇぇぇぇぇ。
とてつもなくおっかない外人さんだよ。

このままじゃぼく自身が食べられかねない。恐怖におののいたぼくは、急いで昼ご飯を
食べられる店を探し始めた。

とはいってもなぁ。
おいしい店なんて知らないよ。

チェロを担いで、トコトコトコトコ、外人さんの女の子を連れて美味しそうな店を探す。

どうしよう・・・。
早く見つけなくちゃ、食べられる。。

いそがなくちゃ。
いそがなくちゃ。

「ねぇねぇ、あの店なに? あれ! あれ!」

「どこ?」

「あれよ。あれ! たくさん行列できてるじゃない。あそこ行ってみたい。」

「あ、あそこ? 牛丼屋なんだけど?」

「どんぶり? 日本の料理よね。あそこがいいっ!」

「でも。」

「あそこがいいっつってるでしょっ! 文句あるわけぇっ!!?」

「い、いえ・・・。」

美味しい料理って、牛丼で良かったのかな。あれって、あんまりおいしくない気がする
けど・・・この子って、牛丼も食べれないくらい貧乏なのかな。

この時もう少し考えておけばよかったんだけど、逆らうのが怖くて、言われるがまま行
列ができていた牛丼屋へ足を踏み入れてしまった。

「へぇ。あんなに並んでたのに、以外と早いわね。」

「そりゃ、牛丼屋だから。」

「ねぇねぇ、なにがおすすめなの?」

「牛丼かな。」

「じゃ、それでいいわ。」

・・・それしかないよ。
まぁ、いいか。

カウンターの席に座ると、自分の分と彼女の分を2つ、並盛りを注文した。周りの人達
は近くで道路工事をしているおじさんばかりで、なんとなく場違いのような。

『お待たせしました。』

注文するとすぐに並盛りがカウンターテーブルの上に並べられる。

「早いのねぇ。いただきまーーすっ! ん? フォークは?」

「そんなのないよ。箸だよ。箸。」

「箸ぃぃ? そんなの使ったことないわよっ。」

「えーーーー。だって、フォークなんかないよ。」

「しゃーないわね。まぁいいわ。」

手渡した割り箸を、彼女はみようみまねで2つに折り、握り箸で牛丼につっこんでいる。

ポロポロポロ。
ポロポロポロ。

小さい子供が食べてるみたいに、ご飯粒をボロボロ零しながら食べ始めた彼女は、なん
だかだんだんその青い瞳を吊り上らせ、どう見てもイライラしてきいた。

「な、なによこれーーーっ! ぜんぜんおいしくなーーーいっ!
  あぶらっこいっ! まずいっ! 食べづらーーーいっ!!!」

「わっ! わっ! わっ!!!!」

お店の人が睨んでるじゃないか。もうどうしていいのかわからなくなって、ぼくは右往
左往するばかり。

「なんでこんな店に行列ができるわけぇぇっ!!!? これだから日本って、しんじら
  んないのよっ!!」

「わーーー! もう! 大きな声出さないでよ!」

「だって、マズイもんはマズイのよっ!!!」

「お願いだからぁぁぁ・・・そうだっ!」

泣きそうになっていたぼくは、凄い名案を思い浮かべた。いつもはあまり頭が回転の速
くないけど、珍しくエジソンか、アインシュタインもびっくりするような名案を。

「すみません、スプーン下さい。」

「へい。」

さんざん失礼なことを叫んだ後だから、お店の人はちょっと不愉快そうな声を出して、
お子様用のパンダ模様のスプーンを出してくれた。

「これ。これ使ったら、食べやすいよ?」

「あっ、スプーン。こんなのがあるんなら、さっさと出しなさいよねっ。」

「ごめん。」

とにかく一刻も早くここから出て行きたい。
お願いだから、早く食べちゃってよ。

それからも、まだあぶらっこいとかとかなんとか言ってたけど、お箸みたいにポロポロ
零さず食べれるようになった彼女は、なんとか牛丼の並盛りを食べ終えることができ、
やっとのことで店を後にすることができた。

もう、店にいる間、ずっと針の筵に座っている気分だったよ。

お腹もいっぱいになり公園に戻って来ると、さっきと同じベンチに座りチェロの演奏会
を再開。

♪♪♪
♪♪♪

「へぇ。やっぱ、上手いもんねぇ。アンタ、プロでも目指してんの?」

「べつに。好きでやってるわけじゃないし。」

「ウソ? こんなに上手いのに?」

「ほんとだよ。」

「ふーーーん。」

♪♪♪
♪♪♪

チェロを弾くぼく。それを黙って聴く赤い髪の女の子。そんなゆるやかな時間の流れが、
昼下がりの公園を通り過ぎて行く。

パチパチパチ。

楽譜無しで弾ける最後の持ち曲を演奏し終り、何度目かの拍手がその演奏を誉めてくれ
る。

「やっぱ、アンタ上手いわ。」

「そんなことないよ・・・。」

「ううん。上手いって。好きじゃないなんて言わないで、自信持った方がいいって。」

「そ、そうかな。」

こんなに面と向かって誉められたの初めてだから、はにかみながらテレ笑いを浮かべ、
ポリポリと頬を人差し指の先で掻き照れ隠しをしてしまう。

「なにをするにも、プライド持って頑張らなきゃ。」

「プライド?」

「そうっ! そうすれば、みんなが自分のことを認めてくれるのよっ!」

自信満々に言う彼女だったけど・・・ぼくはその言葉を聞いたとき、心の中で大きな反
発を覚えた。

・・・違う。

「それが自分の価値になるのよ。」

・・・違う。

大きく広げた右手の手の平で、パンと胸を叩き自信満々に彼女は言い放つ。なんの迷い
もなく、それが当然であるかのように。

・・・違う。
ぼくは一生懸命がんばった。
がんばって、がんばって・・・父さんに見て貰おうとしたのに。

「アタシは自分のすることにプライドを持ってるわ。だから、みんなアタシのことを認
  めてくれる。アンタだって、・・・。」

「ぼくは・・・いいや。」

「アンタだって、もっと自信・・・なにがいいのよ。」

いくら頑張ったって、誰も認めてくれるもんか。
誰もぼくのことなんか見てくれないんだ。

「ぼくは、べつに。人に認めて欲しいから、チェロやってるわけじゃないから。」

父さんとのことでトラウマのあったぼくは、つい反発してしまい自虐的にそんなことを
口にした・・・その途端、彼女は大きな声を張り上げて。

「違うわッ!!!!」

「え、え?」

突然の彼女の大声にびっくりしてしまい、うまく言葉が出ない。

「人に認めて欲しいんじゃないっ! 自分で自分を誉めてあげるのよっ!」

さっきと言ったことと違うよ。
きっと本当は人に認めて貰いたいんじゃないかな。

「さっきは、みんなが認めてくれるって言ったじゃないか。」

「自分のことを誉めてあげれる自分になったら、人も認めてくれるってことよっ!」

そんなに上手くいくわけないよ。
どんなに頑張ったって父さんは・・・。

「無理だよ。ぼくだって一生懸命頑張ったけど・・・。」

「なにが無理なのよっ!
  アンタなんかの努力と一緒にしないでっ!
  アンタなんかにアタシの何がわかるっていうのよっ!」

「・・・・・。」

「わかったようなこと言わないでっ!」

「ごめん。」

「あーーー! もう! アタマきた! とんだ無駄な時間だったわっ!」

「ごめん。」

「フンっ! さ・よ・な・らっ!」

かなり怒らしちゃったみたいだ。彼女はキッと睨みつけると、背中を向けてスタスタと
歩いていった。

蝉の煩い公園で、その後ぼくはチェロをひくでもなく、ただずっとベンチに座り続けて
いた。

<おじさんの家>

夜になり夕食を食べ終わると、部屋に1人であの怒ってどこかへ行ってしまった名前も
知らない女の子のことを、ベッドの上で夜遅くまで考えていた。

なんであんなに怒ったんだろう?
なにがいけなかったのかな?

あの時、最後の曲を弾き終るまでは、べつに悪い雰囲気じゃなかった。彼女が怒り出し
たのは・・・そう、プライドがどうのって話をし始めてから。

自分に自信をもつこと・・・悪いことじゃないよな。

でもいくら自分に自信が持てたって、父さんは絶対にぼくのことを認めてなんてくれな
いんだ。

父さんと一緒に暮らしたいのに・・・。

電話をしても話もしてくれない。
成績が上がっても、見てもくれない。
料理を作っても、食べてくれない。

自分に自信を持ったら、人が認めてくれると言った彼女に、いつのまにか反発してしま
った・・・ぼくがそんなに上手くいかないから。

あの子には全然関係ないのに。
あの子にやつあたりしちゃったのかな。

悪いことしたなぁ。

明日10時に帰るって言ってたっけ。
空港だったよな。

一言謝りに行こう・・・。
そうしよう。
会えるかどうかわかんないけど。

<仙台市外>

翌日。早起きしてバスに乗り空港に向かっていた。昨日のことを一言でいいから、謝り
たくて。

座ったバスの椅子の位置が、タイヤの上にあったのがいけなかった。振動がお尻にもろ
に伝わり、空港までの長い時間で痛くなってきた。

なんて謝ろうかな。

『ぼくが悪かったんだ。君の言ってることの方が正しかったよ。』

・・・・・・。
・・・・・・。
・・・・・・正しいのか?

彼女の言っていたことを思い返してみると、やっぱりどうしても釈然としないものがあ
る。なにかがおかしい。

父さんに認めて貰う為に頑張ったぼく。
だけど父さんは振り向いてくれない。

なんでだよ。
頑張りが足らないから?

もっと、もっと、頑張ったら父さんは見てくれるのか?
もっともっと・・・もっともっと・・・。

いくら考えても、あの父さんがぼくのことを見てくれるとは思えない・・・じゃぁ、一
生懸命頑張ることって無意味なのかなぁ?

そんなことないよな。
ないはずだよなぁ。

長い空港までのバスの中、ぼくは螺旋階段に迷い込んだみたいに、同じ思考の渦の中を
出口がみつからなくなってしまっていた。

なんだ?
なにがおかしいんだ。

ぼくはなにをしたらいいんだ。



ふとその時、彼女の言葉が思い浮かんだ。

『自分で自分を誉めてあげるのよっ!』

はっ!っと、ぼくは顔を上げた。たぶんあの言葉は、その場を取り繕う為に言った理想
論だったんだろうけど・・・だけど・・・理想論だからこそ、それが真実なんじゃない
だろうか。

人の目を気にして努力するから、なにもできなかったんだ。
チェロも、勉強も、料理も、なにもかも中途半端で・・・。

父さんに見て欲しいから頑張ってちゃいけないんだ。
自分のために頑張るんだ。

でも・・・・・・なにを?

こんなことを考えたのは初めてだった。なにか螺旋階段の上に、大きな光のようなもの
が見えた気がした。だけど・・・。

なにを頑張ったらいいんだ?

チェロ?
なんか違う気がする。

・・・・・・ぼくは。
なにも頑張れるものがないのか?
やるべきことはないのか?

ぼくは・・・。
ぼくは・・・。
ぼくは・・・。

ぼくのやるべきことは・・・。

なんなんだろう。

光が見えかけたような気がしたんだけど、その光がどこから見えているのかわからない
まま、バスは空港に到着してしまった。

結局、なにも結論がでないまま。

<空港>

空港についてからは、そんなことをごちゃごちゃ考える余裕はなくなった。10時少し
前についちゃって、彼女を探すのに必死にならざるをえなかった。

あの子は?
どこ?

どこの国に帰るのかだけでも聞いとけばよかった。
だだっぴろい空港の中、無闇やたらとあの赤く長い髪だけを頼りに、あの女の子の姿を
探し走り回った。

ひとことでいいから謝りたいな。
せっかく日本に来たのに、嫌な気持ちで帰るなんて悪いもん。

走る。

    走る。

        走る。

空港の中を走り回り・・・ドイツ行きの飛行機の待合の近くを通りかかった時。

あっ!!

みつけた。あの子だ。なんだか、黒い服を来た男の人達に囲まれて、彼女は相変わらず
さっそうと、威風堂々と、立っていた。いかにも彼女らしく。

もう、搭乗が始まろうとしている。

急ぎ駆け寄る。

「君っ!!」

振り返る彼女。同時に、なぜか黒い服を着た背の高い男達がいっぱい、行く手を遮って
くる。

「なんだお前はっ。」

彼女はツンとそっぽを向いて、ぼくの前から離れコンコースへ向かい歩き出す。

「フンっ!」

「待ってよっ!」

そっけない背中に向かって叫ぶ。

「昨日はごめんっ! ぼくが悪かったよ!」

彼女の足が止まる。だけど振り向いてはくれない。

「ぼくも。ぼくも。自分で自分を誉めれるように一生懸命頑張る!
  なにをするべきなのか、まだ見つけてないけど。」

黒服の男達に手を鷲掴みにされ、引き摺られながら叫び続ける。なんなんだよ、この怖
いおじさんたちはっ!

「だから君も!」

叫ぶ。

彼女に聞こえるように。

自分が何を言っているのかわからない。

考えて、言葉出しているわけじゃなく。

ただ感じたままに叫ぶ。

「君も人に見て貰う為じゃなくて!」

もう彼女はコンコースに向かって遠ざかり。ぼくは黒服の男達に引き離され。

それでも、彼女に聞こえるように、大きな声で叫んだ。

「自分で自分を誉めてあげれるように頑張ってっ!」

彼女の足が止まった。

背中でぼくの言葉を聞いている。

だけどぼくは黒副の男達掴まれ、ズルズルと引き離されて行く。

「ぼくもっ!」

最後の力を振り絞って、男達の腕の隙間から。

「ぼくも頑張るからっ!」

彼女にぼくの言葉が届いた。

ゆっくりと。ゆっくりと、彼女はその長い髪を揺らして。

ようやく。やっと。やっと、振り返ってくれた。

「わかった。」

彼女が・・・・・・喋ってくれた。

青い彼女の瞳と、ぼくの目が一直線に交わる。

「お互い頑張りましょ。」

「う、うんっ! ぼくも頑張るよっ!」

「アンタ、名前はっ!!?」

そうか・・・まだ、名前も言ってなかったっけ。

「ぼくっ!」

この時ぼくは何も知らなかった。

いつものように、ただの日常の1ページを捲っているだけだと思っていた。




ぼくは知る由もなかったんだ。

まさか、この時。

自らの人生を揺るがす。

いや、人類の未来をも揺るがす、大きな大きな歯車を。

自らの手でゆっくりと、だけど大きく大きく回してしまっていただなんて。




「ぼくはっ!」




「ぼくは、碇シンジ!」




その瞬間。

彼女はなぜか大きく、大きく、その青い瞳を見開き。

この上なく驚いた顔で、ぼくのことを見詰めた。




それまでぼくを引き摺っていた黒服の男達の動きが突然止まる。

なんだ?

しばらく彼女は呆然としてぼくのことを、まるで氷ついたかのよに見詰めていた。

空港の搭乗のアナウンスが流れる。

「そう・・・アンタが。」

彼女はそう言うと、くるりと背中を向けて、離陸までの残り僅かな時間にせかされ、黒
服の男達とコンコースに向かって歩き出す。

「さよならっ!!!」

ぼくは彼女の背中に呼びかける。一夏の思い出にお別れを言うかのように、2度と会う
こともないであろう彼女に向かって。

だけど・・・。

赤く長い髪、青い瞳の勝気な女の子は最後に背中を向けたまま、軽く手を上げこう言っ
たんだ。




                        「マ・タ・ネ!」















                              :
                              :
                              :


<太平洋>

2015年8月。

大海原に乗り出したアタシは、用意された自室で1年前のことを思い出して出していた。
自分のするべき重大な任務に対する考え方を大きく変えるに十分だった、アタシの長い
人生を大きく変えるに十分だった、僅か1日の短いあの日のことを。

アタシはこの日を待ち侘びていた。

真っ赤な4つ目の巨大なパートナーと海を渡る日を。

船の小さな窓から外を見ると、まるでアタシの今の瞳のような見渡す限りの青く澄んだ
海と空が広がっている。

アタシは一生懸命がんばった。どんなに辛いことがあっても、苦しいことがあっても、
がむしゃらに頑張った。

この1年、アタシは人に見て貰う為なんかじゃなく、自分で自分を誉めてあげる為に、
必死で頑張った。

昔とアタシは大きく変わった。

誰もアタシに振り返ってなんて欲しいとは思わなかった。思わなくなった。

アタシは、1人で自分の為にずっと頑張ってきた。

1人でだって、頑張れた。

だって・・・。

いつか、今日という日が来ることがわかってたから。

それは、とても素敵な日々だった。

「よっとっ!」

黄色いワンピースを頭から被る。

これはアタシのお気に入り。

あの日、あの時、着ていた黄色いワンピース。

アタシの1番のお気に入り。

バラバラバラ。

「キタっ!!!」

ヘリコプターの音が聞こえてきた。部屋を飛び出すと、カンカンカンって金属音のする
船の階段を駆け上がる。

これだから軍艦は愛想が無いのよね。

外のできるたけ高い場所に出たくて階段を駆け上がる。

外は眩しくて、その光に照らされたヘリコプターが甲板に着艦しようと旋回している。

冷たい潮風が髪を撫でる。

太陽が頬に照りつけ眩しい。


夢、希望、すべてが今キラリと輝いている。


自然と力が篭る手で手摺り握り、また一直線に甲板目指して階段を駆け降りる。

1人、タッと全速力で駆け抜ける。

自然と笑みが毀れてしまう。

赤いパートナーが寝かされている格納庫の横を駆け抜けた。

コイツと頑張ってきた。

ずっと1人で、コイツに乗って。

自分で自分を誉めてあげる為に。

その寝かされていても大きい巨人を見上げる。

1人で見上げる。

いまはまだ1人きり。



だけど、もうアタシのまわりは輝いている。

アタシの笑顔は輝いている。



苦しいこともあった。

辛いこともあった。



そんな時・・・アイツと一緒に夢を掴むんだと思うと頑張れた。



1人で日本で頑張っていたアイツと一緒に。

1人で人類の為に命をかけていたアイツと一緒に。

アタシの人生を変えてしまったアイツと一緒に。



廊下を抜ける。

加速するアタシの足。

甲板へ賭け出る。

眩しい陽射しがアタシの瞳を刺激する。

その向こう、光の中にいるアイツがアタシの心を刺激する。

ミサト・・・久し振りだ。

一緒に男の子が3人。

1番後に立つアイツ。

アタシの人生を大きく大きく狂わしたアイツ。



アイツに会えるアタシになるまで・・・アタシはアイツに名乗らないと決めた。

自分で自分を褒めてあげれるまで。

それは、この瞬間、この素敵な瞬間のため。



「紹介するわ。この子が・・・。」

アタシを見つけたミサトが、声だ出した。

アイツは・・・アイツったら、目をまんまるにして、びっくりした顔でこっちを見てる。

「き・・・君、も、もしかして。」

なにがおこってるのかすぐにわからない様子ね。

「ま、まさか、君だったなんて・・・。」

ミサトも他の2人の男の子達も、なにが起こっているのかわからず、金魚みたいな口を
あけて、きょとんとアタシ達を見守るばかり。

「ぼく。自分がするべきこと、見つけたんだ。」

澄んだ笑顔を見せたアイツは、あの時とは比べ物にならないくらい、自分に自信を持っ
た男らしい顔になっていた。

「自分で自分を誉めれるくらい頑張ったよ。」

「知ってるわ。」

「約束守ったよ。」

「アタシは、その約束は今日でおしまいにするわっ!」

「どうしてさ?」

「もう・・・いいから。」




自分で自分を誉めるなんて、つまんないっ!!!

いつまでも続くアタシの道を、1人で歩くなんてつまんないっ!!!



いままでは1人で頑張ってきたけど・・・これからは。

アンタに褒めて貰えるように頑張る。

これから、アタシは加速するっ!

もっともっと、加速できるっ!




今なら自信を持って・・・。

「はじめまして。アタシの名前は・・・」

だから、しっかり覚えなさい!




                        「アタシはっ! 惣流・アスカ・ラングレー!」




fin.
作者"ターム"へのメール/小説の感想はこちら。
tarm@mail1.big.or.jp
inserted by FC2 system