<ネルフ本部>

『動かないっ! 動かないのよーーーーーーっ!!!!』

スピーカーが割れんばかりのアスカの悲鳴が、発令所に響く。

「アスカっ!!」

ミサトの顔が引き攣った。

「狙い撃ちにされるわっ! 戻してっ!」

レイがアルミサエルと交戦している中、引き戻される弐号機。入れ替わりにシンジの初
号機が出動態勢に入る。その様子を、エントリープラグの中で見るアスカ。

アタシの時は出してくれなかったのに・・・。

それを最後に、弐号機に搭載された通信機器,モニタ類の全をパワーオフにするアスカ。
外部との接触を遮断する為に。

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飾りと心と美しさ
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戦闘が終わり、シンジがケージに帰還した時、既に弐号機にアスカの姿は無かった。だ
が今のシンジには、そのことに気を配っている余裕が無かった。レイが死んだ。

「・・・・・・。」

今まで共に戦ってきた仲間の死。あまりにも悲しく、あまりにも苦しく、あまりにも辛
く、涙すら出ない。何も考えることすらできない。

「・・・・・・。」

ただ無言でケージを歩き更衣室へ向かう。無言で、無心に、機械的に、ただ歩く。マリ
オネットの様に。

「シンジくん・・・・。」

ただ1人、戦闘の後処理も中途半端に、マヤが心配して降りて来ると、声を掛け様とし
た。だがシンジは気付いた様子もなく、横を通り過ぎ廊下の彼方へと消えて行った。

<ミサトのマンション>

誰も居ないこの場所に帰り着く。ミサトは何をしているのかわからない。アスカは、こ
こ数日ヒカリの家に泊まったまま帰って来ない。

また独り・・・。

主を失い開くことがなくなったアスカの部屋の襖に目をやる。”入ったら殺すわよっ!”
と書かれたプレートが寂しく掛かっている。

嫌ってたみたいだけど・・・綾波のこと。
知らせるだけ知らせよう・・・。

いろいろとあったが、一緒に戦ってきた3人しかいない仲間だ。せめて連絡だけでもと、
シンジは電話を取りヒカリの家の番号を押す。

「碇ですけど・・・。

  委員長?

  うん、アスカ。

  まだ?

  そう・・・。

  じゃ、帰ってきたら連絡してって言ってくれるかな。

  じゃ。」

電話を切り自分の部屋へ。もう見慣れた天井が暗くその瞳に映る。シンジはレイのこと、
アスカのことを考え続ける。

綾波。
どうして。
ぼくなんかを守る為に。
どうして、ぼくなんかを。
ぼくなんかを・・・。
あの感じ・・・。
やっぱり。
父さん、何をやってるんだ。

アスカ。
初めてぼくが・・・。
勝ち気でプライドが高くて・・・。
エヴァに乗ることにプライドを掛けてて。
エヴァに。
エヴァに。
確かアスカ・・・。今日。

がばっとベッドから上半身を起き上がらせる。レイのことがあまりにも衝撃が強く、と
ても気が回る状態では無かった。

しかし、今日アスカは・・・適格者失格の烙印を押されたのではないのだろうか? 特
に何といって形には現れていないが、それと同意ではないのか? 

まさかっ!

危機的な絶望感が心を支配し、拭おうとしても拭うどころかどんどんと広がって行く。
シンジは、部屋から走り出ると再び電話を取りヒカリの家に電話を掛けた。

「ごめん何度も。

  やっぱり、アスカが帰って来たら委員長が電話してくれるかな?

  え? あ、特に用ってわけじゃないんだけど。

  そう、委員長が。直接。

  夜中でもいいから。必ず。

  無理言ってごめん。

  じゃ。」

だが翌朝になってもヒカリからの連絡は無かった。

翌日、零号機自爆の後処理をしたミサトが帰って来る。

シンジは部屋から飛び出し、ミサトの前に駆け寄った。

「ミサトさんっ。」

「ただいま。」

「アスカは何処にいるんです?」

「アスカね。・・・ロストしたらしいわ。」

視線を落として、静かに口を開くミサト。

ロストって・・・。
そんな馬鹿な。

諜報部員がロストしてしまう程の動きを、アスカがしたというのか。違うだろう。おそ
らく護衛を打ち切られた。

「くっ!」

「何処行くのっ?」

「アスカを探してきます。」

「無駄よ。人工衛星を使って、わたしも東京市を探したわ。」

視線を落としたまま、ミサトは淡々と語る。

「そんなのわからないでしょ。」

それからシンジは、第3新東京市中のアスカが行きそうな所を夜まで探して回ったが、
結局手掛かりすら掴むことができないまま1日を終えた。

<ネルフ本部>

翌日シンジは、零号機の無くなったケージに降り、弐号機の前に座っていた。あれだけ
エヴァに拘っていたアスカ。また戻ってくるかもしれない。やみくもに動くより、それ
を待っていよう。

加持さんがいなくなった。
綾波もいなくなった。
でも、アスカだけは失いたくないんだ。
もう大切な人を失うのは嫌なんだ。

永遠と弐号機の前に座りアスカを待ち続ける。歯痒さを感じるが、自分にできることは
これくらいしかない。

1度でいい。
ここへ戻って来て。

レイが死ぬ時、自分は何もできなかった。今度はそうはなりたくない。なにもできない
ままアスカを失いたくない。

ビーーーッ!

その時、警報が鳴り響いた。この警報は使徒来襲を意味する。体が勝手に動き、反射的
に立ち上がる。

こんな時にっ!

シンジは一瞬弐号機に振り返ったが、後ろ髪引かれる思いで、発令所まで駆け上がって
行った。

「ミサトさんっ!」

発令所へ上がると、ミサト,リツコそしてオペレータ達は、一様にモニタを見詰めてい
た。いつしか警報も鳴り止んでいる。

「どうしたんですか?」

「あ、シンジくん。パターン青が出たんだけど、1分としない間に反応が消えたのよ。」

「消えたんですか?」

「今、反応があった二子山付近をヘリで捜索してるんだけど、使徒の形跡は無いわ。」

「そうですか。」

ミサト達も現状が良くわかっていないらしく、それくらいの説明しかできない様だ。だ
がシンジは嫌な予感を覚えた。

使徒が二子山なんかに。どうして。
二子山・・・。
二子山・・・。

シンジは昔の自分を思い出していた。何もかもが嫌になって逃げ出した雨の日、向かっ
た先は良く行く第3新東京市の中ではかった。

人に会いたくなくて、人を避ける様に避ける様に歩いて行った。しかし、思い切って遠
くへ行くこともできず、行き着いた所。

二子山。

もしかしてっ!

シンジは発令所を出ると、無我夢中で二子山へ向かって走っていた。

<二子山>

少し時間は遡り、アスカは徹夜で二子山を歩き続けていた。誰にも会いたくなくなり、
亡霊の様に歩き続けた先。それがここ。

もうどうだっていいわぁ。
このまま死んだって・・・。

飲まず食わずでただただ山の中を歩き続ける。時折、崖の様な所を見ると、足が吸い込
まれそうになる。

フンッ。
いつだって死ねるわ。
死んでやる。

そんなことを考えつつ、山の中を当てどもなく歩く。歩く。歩く。昨晩は野犬に襲われ
ることもなく無事に今日という日を迎えた。

早く誰かアタシを殺してよ。
もうイヤなのよ・・・。

その時、草原の向こうの木々の影にある岩の上に、人影の様なものが見えた。

「ルルルーー♪」

それは銀髪の赤い瞳をした少年。涼しい顔をした少年。なぜこんな所に人がいるのだろ
うと、少しづつ近付いてみる。

「やぁ。惣流・アスカ・ラングレーさん?」

「えっ!?」

ビクっとして身を震わせる。見たことも無い少年が、自分の名前を突然呼んだ。驚きの
あまり目を見開き、その場に立ち尽くす。

「アンタ、ダレ?」

「僕かい? 僕は渚カヲル。」

「カヲル?」

「そうさ。」

「何してんのよっ。」

「君が呼んだのさ。」

「は?」

この少年は何を言っているのだろう。理解できずに佇んでいると、少年は岩を飛び降り
ゆっくりと近付いて来る。

「呼んだだろ? 『早くアタシを殺して』・・・ってさ?」

「え?」

微笑を浮かべる少年。

少年の赤い瞳が輝いた。

ズバーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンっ!

展開される、真紅の8角形。

透過性のある8角形の壁が、輝きを放ってアスカに迫る。

「ひっ! し、使徒っ!!!」

恐怖に顔を引き攣らせる。

少年は体全体に殺気を漲らせて迫り来る。

転びそうになりながら、無我夢中で逃げ出す。

「どうしたんだい? 君が死にたいって言ったんじゃないのかい?」

ズバーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンっ!

背後からATフィールドが飛んで来る。

その一旦が、足を掠め地面を切り裂く。

「キャッ!!!」

真っ赤な血が太股から流れ出る。

痛い!

逃げなくちゃっ!
早くっ!

殺されるっ!

痛む足を押さえながら走り続ける。

ズバーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンっ!

間断無くATフィールドが足下で炸裂する。

地面が切り裂かれる。

傷だらけになっていくアスカの足。

血だらけになりまともに動かないが、無我夢中で走る。前後左右もわからず走る。

ズバーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンっ!

「イヤァァァァーーーーーッ!!!」

「フッ! 逃げても無駄さ。僕は君の願いを適えるまで・・・そう、君を殺す迄追い掛
  けるよ。惣流・アスカ・ラングレーさん?」

ATフィールドが地面を切り裂く。

足元が崩れる。

急斜面を転がり落ちる。

「キャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!」

二子山にアスカの悲鳴が木霊した。

                        :
                        :
                        :

どのくらい気を失っていただろう。

「いっ、いたっ!」

落ちた時にあちこちを打ち付けたらしい。ATフィールドで切られた傷も酷く、足に激
痛が走り動かない。

はっ!
殺されるっ。
逃げなくちゃ・・・。

土を手で掴んで起き上がり、血の流れる足を無理矢理立たせて激痛に耐えながらフラフ
ラと歩み始め様とした時。

「ルルルーー♪」

聞こえる歌声。

背筋を凍りつかせ、ぎょっとして振り向くとカヲルと名乗った銀髪の少年が、一歩一歩
近付いて来ている。

「イ、イヤッ!」

恐怖の色に染まった瞳を見開く。痛みで碌に動かない足を動かし、何度も転びそうにな
りながら、ほとんど四つん這いの形で逃げ出す。

「どうしたんだい? 君は死にたいんじゃなかったのかい?」

「イヤッ! イヤーーーーーーッ!!!!!」

必死で逃げる。しかし次の瞬間、アスカの頭上にATフィールドを纏ったカヲルが、す
っと飛んで来ると、宙に浮いたままアスカを見下ろす。

「さぁ、君を残酷に殺してあげるよ。」

「キャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!」

まるで死神を見た無力な少女の様に絶叫すると、アスカはきびすを返して逆方向へ逃げ
る。草や木で足や手を傷つけながらも、死に物狂いで逃げる。口が開かないくらい喉が
カラカラになるが、それすらも恐怖のあまり気付かない。

「フッ。」

逃げ惑うアスカ。カヲルは微笑を浮かべながら見送った。

                        :
                        :
                        :

アスカは恐怖に体を震わせながら、岩の少し窪んだ所に隠れている。人の形をした使徒。
あまりの恐怖に、体が震え歯がガチガチとなる。

イヤッ!
死ぬのはイヤッ!

歯をガチガチ震わせながら、音をたてない様に岩の窪みに丸く蹲る。体中を怪我し痛み
が走っているが、そこまで神経を回す余裕すらない。

死ぬのはイヤ。
死ぬのはイヤ。
死ぬのはイヤ。
死ぬのはイヤ。

ガサッ!

草の揺れる音。

またあの少年が迫って来る。

狭い岩の窪みに体をへばり付けるが、逃げ場は無い。

目を見開き、草の茂みを凝視する。

「イ、イヤ・・・。」

震えた虫の鳴く様な声が漏れる。

ガサッ!

音が近付く。

「イヤッ! イヤッ!」

徐々に恐怖の声が大きくなり叫び声となっていく。

ガサッ!

「イヤーーーーーッ!!!!!!」

「アスカっ!??」

「!?」

聞き覚えのある声。

「アスカっ!!!!!」

「シ、シンジ?」

ガサガサガサ。

草を掻き分ける音が近付いて来る。現れたのは、紛れもなく日本に来てからずっと一緒
に暮らしてきた少年の姿。

「シンジっ!!!!!」

「なっ! 何があったんだよっ!!!」

アスカに会えてほっとした反面、体中に怪我をしボロボロになったその服を見て驚愕す
る。咄嗟に駆け寄ったシンジは、強い力で肩を掴むとアスカの体を前後に揺すった。

「こんなになって、どうしたんだよっ?」

「い、いたっ。」

痛みにアスカが顔を歪ませる。驚きの余り、強く肩を揺すり過ぎたのかもしれない。

「あ、ごめん。」

「こっち来てよっ! 早くっ!」

シンジが肩から手を離すと、アスカは辺りを怯えた目で見回し、再び岩の窪みへと隠れ
た。

「使徒が近くにいるのよ。」

「知ってる。パターン青がネルフで検知されたんだ。」

「それでアンタがここに来たわけ?」

「うん。パターンが出た所の近くに行ったら、切り刻まれた草とか、何かが崖から落ち
  た跡があって・・・。辿って来たんだけど・・・。」

「ミサト達は?」

「ヘリで捜索してるけど、使徒らしき物は発見できないって。」

「そりゃそうよ。人の形してるのよっ!」

「えっ? 人?」

「アタシ達と同じ歳くらいの男の子よ。今迄の使徒とは違うのよ。ヘリじゃ見つけれな
  いわ。」

「そうだったんだ・・・。」

ミサトにそのことを知らせ様とポケットに手を突っ込むが、慌てて出て来たので携帯電
話をネルフの更衣室に置いたままだったことに気付く。

「携帯は?」

「あげるわ。」

アスカがスカートのポケットから取り出した携帯は、崖を落ちる時にでもぶつけたのか
鉄クズになっていた。

「ここでこうしてても駄目だよ。戻ろう。ロープウェイ迄すぐだから。」

「イヤッ!」

「どうして?」

「アイツがまだ近くにいるわっ!」

「ここにいたって仕方ないじゃないかっ!」

「アンタは、アイツの怖さを知らないから、そんなことが言えるのよっ!」

「アスカ・・・。」

「イヤッ! 動いたら見付かるっ!」

「・・・・・・。」

「帰りたきゃ、アンタだけで行きなさいよっ!」

ここにアスカ1人を残して自分だけで帰れるはずもない。

「そうだね。まず、怪我の手当しないと・・・。」

一転してシンジは優しい笑みを浮かべると、アスカの前に腰を下ろしてポケットからハ
ンカチを取り出した。

「アンタだけ帰ればいいでしょっ!」

「いいよ。」

「アンタなんかに、借り作るもんですかっ! ほっといてよっ!」

「決めたんだ。」

「なにがよっ!」

「何もできないまま・・・もう2度と失いたくないんだ。・・・とにかく、怪我の手当
  てしないと。」

「なに言ってんのアンタっ? バッカじゃないの?」

「そうかな・・・はは。」

シンジは苦笑しながら、唯一あるハンカチを4つに細く引き裂くと、2つを結び2本の
包帯を作ってアスカの足に巻き付け様とする。

「触んないでよっ!」

「ごめん・・・。じゃ、自分で巻いてよ。」

「フンっ。」

引っ手繰る様にハンカチで作った包帯を奪い取ったアスカは、自分の足に巻き付ける。

「じゃ、そろそろ行こうか。」

「イヤよっ!」

「ぼくも一緒に行くからさ。」

「アンタなんかと一緒に帰りたくないわよっ!」

「こんな所にずっといたら、夜になって蛇とか蜘蛛がたくさん出るよ?」

「!!!」

「周りなんか、草だらけじゃないか。」

「でも、アイツがっ!」

「ぼくが守るよ。」

「相手は使徒なのよっ! アンタなんかにっ!」

「今度は・・・、アスカは、必ず守るよ。必ず・・・。」

「アンタバカぁっ!? バカシンジの癖になに格好つけてんのよっ!!」

悪態をつくアスカの目の前に、ついこの間見たシンジとは明らかに違う、強い光を漲ら
せた瞳が見える。

何がシンジを変えたかは、アスカは知らない。それでも、その違いを感じ取ることは容
易にできた。

「バカシンジの癖に生意気なのよっ!」

「ごめん・・・。」

「しゃーないっ! 行ってやるわよっ!」

シンジに続き、弱みを見せまいと自力で立ち上がろうとするが、痛くて足を碌に動かす
ことができない。

「怪我・・・痛むの?」

「ったく。まいったわね。」

「乗ればいいよ。」

そんな様子を見たシンジは、アスカの前に腰を下ろし背中を向ける。

「・・・・・・。」

その背中を、ただ見つめるアスカ。

「どうしたの?」

「変なこと考えないでよっ!」

文句を言いながら、痛む足を少し立たせて体重をシンジに預けると、次の瞬間浮遊感に
捕われる。シンジは、首に手を回して背中に乗るアスカのお尻を持ち上げる。

「はは。アスカの体って、柔らかいや。」

「変なこと考えるなって言ったでしょうがーーっ!!!!!!」

ぎゅーーっ!

シンジの首を、後ろから思いっきり締めるアスカ。

「ぐ、ぐるじいい。ほんどにぐるじいい。」

草木を掻き分け元来た道を帰って行く。アスカはシンジの背中に乗りながら、またあの
人の形をした使徒が現れるのではないかと、冷や冷やしながら辺りを見渡す。

「うーん。どうしようかな。」

「どうしたのよっ。」

「ここ。降りて来たんだ。」

目の前にはかなり急な土の斜面。来る時シンジは、ずるずると滑り降りて来た。1人な
ら這い上がれそうだが、アスカが後ろにいるのでかなり苦しい。

「みてみなさいよ。格好つけた癖に、2人じゃ帰れないじゃないのよっ。」

「なんとかするよ。」

シンジはアスカを左手で支えおぶったまま、右手で土から飛び出している木の根っこな
どを掴み、這いずって登り始める。

「バカシンジっ! 無理だっつってるでしょーがっ!」

「はぁはぁ。上がれるさ。」

「バッカじゃないのっ!? 意地になんないで、止めなさいよねっ!」

「掴まってて。はぁはぁ。」

それでもアスカを離そうとはせず、地面に這ったまま右手だけでよじ登り続けるが、す
ぐに息が上がって来る。

「はぁはぁ。」

足場も悪く、片手で木の根に掴まっているものの、次の1歩がどうしても出ない。手の
震えや浮き出た血管から、どれほど力を入れているのかが見た目にもわかる。

「登れないじゃないのよっ!」

「ごめん・・・はぁはぁ。」

どんなに登ろうとしても、木の根に捕まって現状を維持するのが精一杯。足はズルズル
と脆い土の斜面で滑り、身動きがまともにできない。

「何してんのよっ!」

「後少しなんだけど・・・はぁはぁ・・・。」

「両手、使いなさいよ。」

「心配・・・ないから。」

「ダレがアンタの心配してんのよっ!」

「ちゃんと帰れるから、心配しなくていいって・・・はぁはぁ・・・言ったんだけど。」

「・・・・・ウ、ウッサイっ!」

「ごめん・・・。でも、大丈夫だから。」

「そんなこと言って、さっきからずっと止まってるでしょうがっ!」

「はぁはぁ。」

「アタシは自分でぶら下がるから、両手使いなさいよっ! ずっとここにいて、アイツ
  に見付かったらどうすんのよっ!」

「うん・・・。じゃ、ちょっと我慢してて。」

おぶっていたアスカを支えていた左手をはずすと、別の木の根を掴み登り始める。両手
が使えるとかなり楽になる。

「はぁはぁ。」

息を切らしながら斜面を登る。

その背中では、落とされない様に両手を首に巻き付けたアスカが、ぎゅっと抱き付いて
いる。

「はぁはぁ・・・つ、ついた。」

ようやく急斜面を登り切り、肩で息を切らせてその場に座り一息つく。

「さっさと下ろしなさいよっ! バカっ!」

「あ、ごめん。」

シンジが腰を落とした時、アスカが慌てて降りようとしたので、履いていた靴が脱げて
しまった。斜面を転がり落ちる小さな靴。

「あっ・・・。」

「取って来るよっ。」

「いいわよ。靴くらい。もう古かったのよっ!」

「1人なら、すぐだからさ。ちょっと待ってて。」

「いいって、言ってるでしょっ! あんな靴いらないのっ!」

「靴が無いと困るじゃないか。だろ? すぐだからさ。」

アスカが遠慮でもしているのかと思い、半ば無理矢理斜面を降りて行こうとしたが、そ
の腕をぎゅっと力いっぱい掴まれる。

「アタシがいいって言ってるでしょうがっ! このバカシンジっ!!!」

「どうしたのさ? 取って来るだけだから、少しだけ待っててよ。」

半分降り掛けていたシンジは、そのまま滑り始め様としたが、力任せにアスカが抱き付
いて来た。

「お願いっ!! 1人にしないでっ!!」

「えっ?」

自分を掴む腕が小刻みに震えていることに気付く。人の姿をした使徒というのに、余程
怖い目に合わされたのだろう。アスカが震えている所を初めて見た気がする。

「お願いっ・・・。」

「わかった。もう行かないから、安心して。」

靴を取りに行くのを諦め、ニコリと微笑み掛けるシンジ。必死でシンジにしがみ付いて
いたアスカは、安心したのかその手を離すとはにかんだ様な顔で見返してくる。

「なにさっ! バカシンジの癖にっ!」

少し息が落ち着く迄休憩したシンジは、再びアスカをおぶおうと腰を下ろす。その背中
を見ながらアスカは少し戸惑ったが、シンジに体重を預けた。

このまま歩けば2キロも行かないうちにロープウェー。そこになら公衆電話もある為、
なんとでもなる。

草を掻き分け歩く。

アスカをおぶったまま歩き続ける。

もう少しで登山道に出る。

後少し。

歩く。

歩く。

歩く。

「ねぇ、シンジ?」

「ん?」

「重くない?」

「・・・・・・。」

「ねぇ。」

「どう答えたらいいの?」

「重いなんて言ったらコロスわよっ!」

「・・・・・・。軽いよ。」

「そう。良かった。」

草を掻き分け歩く。

アスカの重みが心地良い。

アスカの体温が心地良い。

今、アスカと一緒にいることが心地良い。

歩く。

歩く。

歩く。

「はっ!」

アスカが目を見開いた。

もうすぐ登山道という所。そこに、木に凭れて立っている少年の姿。その銀髪の少年は、
微笑を浮かべて視線をこちらに向けている。

「やぁ、君が碇シンジ君だね。」

「イ、イヤッ! イヤッ! イヤーーーーーーーッ!!!」

恐怖に顔を強張らせ背中で震えるアスカを、後ろに回した手にぐっと力を入れ、がっち
りと支える。

「どうしてぼくの名前を?」

「失礼だが、君は自分の立場を少しは知った方がいいと思うよ?」

「自分の立場?」

「そうさ。さて・・・。」

カヲルは、凭れていた木から自分の体重を持ち上げると、ゆっくりと近付いて来る。

「惣流・アスカ・ラングレーさん?」

「イ、イヤーーーッ!」

赤い瞳が自分に向けられ、アスカは恐怖に引き攣りながらシンジを死に物狂いで抱き締
める。

「どうしたんだい? 君が死にたいと願ったんじゃないのかい?」

「イヤッ! 死ぬのはイヤッ!」

「アスカをどうするつもりだっ!」

容赦なく近付いて来るカヲルからアスカを背中で守りながら、じりじりと後退りする。
アスカは恐怖のあまり力一杯シンジに抱き付き、震えながら目を閉じている。

「どうして、死を嫌がるんだい? 死にたいと言っていたんじゃなかったのかい?」

「死ぬのはイヤッ!」

「それ以上近付くなっ!」

あまり人を威嚇する様なことに慣れておらず、どれ程効果があるかはわからないが、あ
りったけの勇気を出してカヲルに叫び睨み付ける。

「わかったかい?」

カヲルは微笑を浮かべたまま、アスカを見詰めて近付いて来る。

「君は、誰かに見て欲しかっただけなのさ。」

「そんなっ! そんなことないっ!」

それまで目を伏せていたアスカだったが、そのカヲルの一言に極端な反応を見せる。

「死のうとすれば、誰か見てくれる。そう思ったのさ。」

「そんなことないっ!」

耳を塞ぐアスカ。自分でも気付かなかった心の内を、あの赤い瞳に見透かされた様な屈
辱的な言葉に愕然とする。

「碇シンジ君。君に見て貰いたかったのさ。」

「ち、違うっ!」

頭を振って否定するアスカ。

「違うのかい?」

「違うっ! 違うっ! ダレがこんなバカシンジなんかにっ!」

「違うのかい?」

「下ろしなさいよっ! バカシンジっ!」

「暴れないでっ!」

背中から降りようと暴れるアスカを必死で押さえるシンジ。

「下ろしなさいって言ってるでしょうがっ!」

「わっ!」

背中で無理矢理暴れたアスカは、痛みで痺れた足を引き摺りつつ、地面に腰を下ろして
カヲルを睨みつける。

「でも、今更遅いよ。僕は君を殺す為にやって来たんだ。」

ズバーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンっ!!!

赤い8角形の光が輝いた。

地面を切り裂く。

「キャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!」

アスカの腕を掠め、血が流れ出る。

「やめろっ!!!」

咄嗟にアスカに覆い被さり守るシンジ。

「何をしてるんだい? 碇シンジ君。」

「アスカを殺させるもんかっ!」

「フッ。無駄だよ。碇シンジ君。」

ズバーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンっ!!!

ATフィールドが光る。

アスカに覆い被さっていたシンジの背中から血が噴出す。

「うぐっ!」

「バカシンジっ! どきなさいよっ!」

「嫌だっ!」

「どきなさいって言ってるでしょっ!」

「死んでもどくもんかっ!」

「バカシンジの癖にっ! 何言ってんのよっ!」

ズバーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンっ!!!

ATフィールドが、またシンジの背中を掠る。

「ぐはっ! ぐぐぐ・・・もう嫌なんだっ!」

シンジの肩から流れた血が、アスカの顔にぽたりと落ちる。

「シンジーーーーーーーーーっ! このバカシンジっ! バカーーッ!」

「大切な人を失うのはっ! もう嫌なんだっ!」

痛みを堪えつつ腕の中に収まるアスカに微笑み掛けるシンジ。

「アンタまで死んじゃうでしょーがっ! バカの癖に! バカの癖に! バカシンジッ!!!!!!!」

半ば涙声で自分に覆い被さるシンジを押す。

「綾波が死んだんだ・・・。」

その時、突然のシンジの言葉がアスカの耳に入ってきた。

「!」

絶句。

「ぼくの目の前で死んだんだっ! ぼくは、何もできなかったんだっ!」

「ウソ・・・。」

驚愕。

「加持さんも、綾波もいなくなったっ! もう嫌なんだっ! 大切な人を守りたいんだっ!」

その間も、カヲルは微笑を浮かべたまま近付いて来る。

「無理さ。僕には、この壁がある。君には守れないさ。」

アスカに覆い被さっていたシンジの襟首を持ち上げ、ニヤリと笑うカヲル。

「君も死を望むかい? 碇シンジ君?」

ズバンッ!

カヲルの前に赤い壁が光り、弾き飛ばされるシンジ。

「フッ。」

カヲルの視線が再びアスカに向けられる。

「ひっ!」

恐怖に顔を引き攣らせるアスカ。

「さぁ、行こうか。」

「イヤーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」

カヲルの手がアスカに伸びる。

「このぉぉぉぉーーーーっ!!!」

シンジがカヲルに飛び掛かる。

ビーーーーーーン。

しかし、寸前でATフィールドに遮られ、飛び掛った勢いのまま壁にぶつかる形となり、
後ろへ弾き返され倒れる。

「シンジっ!」

「無駄だと言ったじゃないか。碇シンジ君。」

「く、くそっ! 無駄なもんかっ! アスカに手を出すなっ!」

再び飛び掛かるが、今度は正面からATフィールドを叩き付けられた。あまりの衝撃に
血を吐き倒れる。

「ぐはぁっ!」

口から血が流れ出る。

「シンジっ! イヤーーーーッ!!!」

絶叫するアスカ。

「仕方無いね。君から先に行くかい?」

何度も掛かって来るシンジに、やれやれという感じでカヲルはATフィールドを辺り展
開しながら迫る。

「イヤッ! やめてーーーーーっ!!!」

痛い足を引き摺り、シンジを守ろうと飛び出すアスカ。

「アスカっ! 来るなっ!」

「イヤッ! シンジーーーッ!」

その時カヲルは、微笑を浮かべたままアスカに語り掛ける。

「どうだい? 惣流・アスカ・ラングレーさん。目的は変わったが、君のかわりに碇シ
  ンジ君が死ねば、素直に帰ってあげようかい?」

「なっ!」

アスカの目が見開く。

「これで、君は生き続けられるのさ。」

「わかったよ。」

シンジが呟く。もう自分にはとてもアスカを守る力は残っていないだろう。アスカに微
笑み掛けながら、最後の力を振り絞ってゆらりとカヲルの前で立ち上がる。

「その代わりアスカを・・・。」

「バカ言ってんじゃないわよっ!」

アスカが、2人の間に体を引き摺りながら割って入って来た。

「どうしたんだい? 死ぬのが嫌なんじゃなかったのかい?」

「アスカ・・・もういいよ。」

「ふざけたこと言ってんじゃないわよっ! バカシンジの癖にっ!」

「でもっ! 他にどうしろってんだよっ!」

「ウッサイっ! このバカっ!」

心の奥底まで見据えるような赤い瞳で、アスカを見詰めるカヲル。

「どうしてそこまでして、他人の彼を庇うんだい?」

「そんなの決まってるでしょうがっ!」

「そう・・・決まってるのさ。」

カヲルは、優しい瞳でアスカを見る。

「君は、碇シンジ君のことを、そう想っているのさ。」

「なっ!」

カヲルの言葉に、瞳を見開くアスカ。

「違うのかい? 惣流・アスカ・ラングレーさん?」

「・・・・・・。」

「だから、見て欲しかった。」

アスカ。ただ黙ったままで、その場に立ち尽くす。

「・・・・・・。」

「そうじゃないのかい?」

「・・・・・・。」

「死のうとすれば、見てくれると思った。」

「・・・・・・。」

「そうじゃないのかい?」

アスカの瞳から、プライドの欠片が光の結晶となって、ポロリと零れ落ちる。

「・・・・・・そうよ。」

同時に零れ落ちる感情。

「アスカ・・・。」

アスカの顔を見上げるシンジ。

「そうよっ! バカでどうしようもない奴だけどっ! シンジのことが好きなのよっ!」

涙が飛び散る。

砕けたプライドから、心が飛び散る。

「だから、助けてよっ! お願いっ! 助けてっ! シンジを助けてっ!!!」

「そう・・・それが君の心さ。」

「え・・・。」

その瞬間、カヲルは今迄にない優しい瞳で笑みを浮かべ、涼しい顔で空を見上げる。

「飾り・・・リリンの生み出した文化の極み・・・だけど。」

見上げる空には、まばゆい太陽が輝いている。

カヲルは、目を細める。

「心は飾らない方が美しいのさ。」

おそらくパターン青を検知したのだろう。その空に、ネルフの偵察ヘリが飛んで来る。

「碇シンジ君?」

「?」

「17番目の使徒は消えた。そう伝えてくれるかい?」

「どういうこと?」

「そういうことさ。」

シンジを力強く見詰めるカヲル。

「あのままじゃ、きっと君達は駄目になっただろう。君達にはまだ試練が残っているか
  らね。」

「試練?」

「そう、試練さ。でも、今の心を忘れなければ大丈夫・・・違うかい?」

カヲルに言われて、傷ついた2人は互いに互いを見詰める。

心を飾らず、人に怯えず本心を通わせ合うことができれば・・・君と、アンタと、心を
1つにすれば、どんなことにでも勝てる。そんな気がする。

互いに互いの手を握り、体を寄せ合い立ち上がる2人。その前には、いつしかカヲルの
姿は無かった。

「彼・・・なんだったんだろう。」

「ねぇ、シンジ?」

「ん?」

「アタシ達に、未来はあるわよね。」

「一緒に・・・。」

「うん。」

傷ついた体を寄せ合い歩き出す2人。

しかし、痛む体とは裏腹に、2人の心はこの雲1つ無い青い空の様に、未来に向かって
澄み渡っていた。

fin.
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