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マスク
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<シンジのマンション>

「きゃ〜! えっちっ! ちかんっ! ヘンタイっ! しんじらんな〜いっ!」

ベシっ!

今日も元気な幼馴染の少女の声と共にビンタの音が碇家に響く。部屋の主であるシンジ
は少し赤くなった頬を擦り、いつもと同じことを考えながらのそのそと起き出した。

怒るんなら、なんで毎朝布団ひっぺがすんだよ・・・。

なにはともあれ、こうして碇シンジと惣流・アスカ・ラングレーの日常が始まる。シン
ジが、眠い体を引き摺るようにノロノロと制服に着替えリビングへ出て行くと、ユイと
楽しそうに話をしているアスカの姿。

「シンジ、アスカちゃんが待ってるわよ。」

「わかってるよ。」

「早く顔洗って、ご飯食べなさい。」

「毎朝同じこと言わないでよ・・・。」

毎朝母親に急かされるのが気に入らないのか、ブチブチ言いながら洗面所に入って行く
シンジの姿を、アスカは目で追いながら1人心の中でごちる。

そろそろ、なんで毎朝来てるか気付いて欲しいのになぁ。
はぁ〜あ、シンジだもんねぇ。
このままじゃ、一生進展しないなんてことに・・・。

「はぁーー。」

両手を頬について溜息をつきながら、なんとか次のステップに踏み出す切っ掛けはない
ものかと思案を巡らせる。

その憂鬱そうな顔にユイも同情してしまうが、こういったことに関しては、親と言えど
口は挟むべきではないと、今のところ静観中。

アスカちゃんも大変ね。
でも、シンジもまんざらじゃないのよ。
ただ、ちょっと鈍感で不器用なのよ・・・この人に似て。

ちらりと向けたユイの視線の先には、ダイニングテーブルに座り新聞を大きく広げてい
るゲンドウ。彼も表情には出さないが、アスカの溜息を聞き心の中で心配していた。

ぬ? 虫歯か?

頬に手を当てれば虫歯しか思いつかないのだろうか? きっとアスカ以上にユイは苦労
したことであろう。

「アスカくん。」

「はいっ。」

「私が行っている歯医者だ。」

と言いつつ、口内に非常事態宣言が発令された時にいつも通っている、若く美人の女性
衛生士の多い歯医者の診察券を手渡す。彼女達目当てなのは、トップシークレット。

「はぁ?」

きょとんとして歯医者の診察券を見る。いったいなぜ今ここでこれが出て来たのか、ア
スカにはよくわからない。

そんなこんなで朝の時間も過ぎ、顔を洗い終わったシンジもようやく朝食を食べ終わっ
た。そろそろ出なければ遅刻してしまう。

「ほら、急いでっ。」

「今行くよ。」

アスカに急かされたシンジは、ユイが作ったばかりの弁当箱を鞄に押し込み背中を押さ
れて玄関へ出て行く。

「ほらぁ、なにこの髪ぃ? 櫛あてたのぉ?」

「うん。」

「ボサボサじゃない。」

玄関で靴を履いているシンジの頭を押さえ、胸ポケットに入れている赤い櫛で手早く髪
を梳かす。

「いいよ。べつに。」

「よかないわよ。こんなんじゃ、恥かしいじゃない。」

「アスカに関係ないだろ。」

「あんのよっ! はいっ。ま、これでいっか。さっ、急ぐわよっ!」

「うん・・・。」

ドタバタしながらようやく出て行く2人を、やれやれという顔でアスカに同情しつつ見
送ったユイは、次は自分の仕事にかかる。

「あなたっ! いつまで新聞読んでるんですかっ!」

<学校>

なんとか今日も遅刻を免れ、午前中の授業も当然のように何事も無く終わり、待ちに待
った昼休み。特に大食い野郎にとっては、学校生活の唯一の楽しみ。

「鈴原ぁ、今日はちょっといつもと違うんだけど。」

「おぉ? なんや? えろーでかいのぉ。」

「でしょ? 開けてみて。」

アスカの友達の中で、恋人ゲット第1号のヒカリがいつにも増して大きな弁当箱を、弁
当作戦に陥落したトウジに手渡している。今日のは、弁当箱というより小柄な重箱とい
った感じ。

「なんや? 竹の子ばっかりやでぇ?」

「そうなの。今時珍しいでしょ? 親戚が送ってきてくれたから、京風のお弁当にして
  みたの。」

「おーっ! ごっつ美味そうやっ! 早速食うでぇっ!」

その小柄な重箱を抱かえたトウジは、嬉しそうにシンジやケンスケの元へ戻りガツガツ
と食べ出す。アスカはいつものようにヒカリと一緒にお昼ご飯。

「ヒカリはいいなぁ。」

「ん? 何が?」

「だって・・・。」

竹の子にがっつくトウジに対し、羨ましそうな視線を送るアスカ。その横ではシンジが
ユイの作った弁当を、何が面白いのかわからない初号機とか弐号機とかいう、プラモデ
ルの話で盛り上がりながら食事中。

「なに言ってるのよ。アスカだって、碇くんと・・・。」

「あと一歩がねぇ。アタシもお料理できたらなぁ。」

「ははは・・・。」

調理実習で何度かアスカの料理を見たが、それはもう酷いものでお世辞を言いたくとも
苦笑いしか出てこない。

「れ、練習したら、アスカだって上手くなるわよ。」

いちおう、お世辞。

「何回か挑戦したんだけどさ。はぁーあ。」

「一生懸命作ったお弁当、喜んで食べてくれたら嬉しいものよぉ?」

「わかるけどさ。」

「鈴原が食べてくれるとこを想像したら、もう毎朝作るのが楽しいのよねぇ。こないだ
  なんかちょっと失敗したのに、鈴原ったら優しくてね・・・」

「へいへい。」

これ以上話を続けると、延々のろけ話を聞かされそうなので、適当に話を切ってキョウ
コの作った弁当に集中することにする。

ママはお料理上手いのに・・。
なんでアタシは。

でも・・・。
アタシの作ったお弁当、食べて欲しいなぁ。

ぼーっと、自分の作った超1流レストラン級の弁当にシンジががっつく様子を思い浮か
べる。『アスカってこんなに料理が上手かったんだっ! いいお嫁さんになるねっ!』
なんて言われたら嬉しくて死んでしまうかもしれない。

「ねぇ、アスカ?」

「お嫁さんなんて・・・」

「・・・・・・あの、アスカ?」

「んーーーー? あっ! な、なに?」

「ハンバーグ・・・落ちてる。」

「あーーーーーーーーーーーっ!!!!」

お箸に突き刺し口に運ぼうとしていた本日のメインディッシュ、大好きなキョウコ特製
ハンバーグは、いつしか教室の床で埃まみれ、アスカの頬は涙まみれ。

<通学路>

今日もシンジと一緒に、この道を帰る。いよいよ明日は土曜でお休み。1日シンジと遊
ぶことができる。

「明日ね。あの農園行ってみたくない?」

「こないだできたとこ?」

「牛さんとか、馬さんがいて楽しいんだって。」

2週間程前、新聞の折込広告で見たレジャー用の農園、第3新東京ファーム。前から1
度行ってみたかった所。

「いいけど・・・。」

「ア、アタシさ、その・・・お弁当作って行くから。」

「えっ。」

ぎょっとしてアスカに向き直り、顔を引き攣らせるシンジ。これまで幾度か食べさせら
れ、その度に三途の川を渡りかけた。

「なによっ! その顔っ!」

「あ、別にそういうわけじゃないけど・・・。」

「そういうわけって、どういうわけよっ!」

「なんでもない・・・。」

「楽しみにしてんのよっ! 」

「うっ・・・。」

お願いだから料理だけは作らないでくれとお願いしたいが、一生懸命アスカが作ってく
れるものをシンジは断ることはできなかった。

<商店街>

明日こそはシンジとの仲を一歩進展させてやると意気込んで、有り金を握り締め弁当の
材料の買出しにやってきたアスカは、鳥の唐揚げの材料やハンバーグの材料を次から次
へと買っていく。

重くなってきたわね。
荷物持ちがいないと辛いわ。

弁当の中身を知られたくないので、今回ばかりは荷物持ちを連れず1人で買い物に来て
いる。一通りの買い物を追えたアスカが商店街を出た頃には、とっぷりと日は暮れてし
まっていた。

急がなくちゃ、間に合わないわっ!
遅くなったら、ママに怒られるし・・・。

急ぎ足で元来た道を帰っていると、公園に生える大きな木の影に1人の奇妙な絵描きさ
ん風の少年が、何やら看板を持って座っているのに気づいた。

”あなたの願い叶えます。”

そう書かれた看板を持った銀髪の少年は、赤い瞳でこちらに視線を送っている。

なにアイツ?
願いって・・・占い師かしら? へんなの。
あっ、急いで帰んなくちゃ。

わけのわからない少年を相手にしている暇などない。アスカは急ぎ自分の家へと帰って
行った。

<アスカのマンション>

ドンガラガッシャーンっ!
ドッカーンっ!
ベシャーーーーーーっ!

「キャーーーっ! アスカちゃんっ! 何してるのっ! キッチン壊さないでっ!」

唐揚げを作ろうと、火に掛けていた油がドババババーとこぼれ、あやうく大火傷をする
ところだったアスカは、ダイニングの椅子にしがみついて冷汗を流している。

「ママぁぁ、台所がべちゃべちゃぁぁ。」

「ママぁじゃないでしょっ! どーするのっ! これっ!」

キッチンの床で油がぐつぐついっており、驚いた父親が消火器をコンロにぶちまける大
騒ぎ。せっかく買ってきた食材も冷蔵庫に入っている物以外、消火器の粉まみれ。

どうしようっ! どうしようっ!
そうだっ!
とにかく冷さなきゃ!

このままでは、煮え立った油が熱く拭き取れないので、冷凍庫から取り出した氷で冷そ
うとポイポイポイ。

バチバチバチっ!!!!!

「ぎゃーーーーーーーーーーっ!!!」

冷やすどころかキッチンが地獄絵図に早変わり。びっくりしてアスカは、またスタコラ
逃げ出す。

「何してるのっ! 後はママがするからっ! 部屋に行ってなさい!!!!」

流石のキョウコもヒステリックな声を上げる。このままアスカを野放しにしておけば、
大火傷しかねないのだから当然だろう。

「はーい。ママごめんなさい・・・。」

母親に怒られ、食材は半分以上がパー。さらにキッチンは当分使えない。部屋に戻った
アスカは、がっくりとしてベッドの上に膝を抱き、丸くなって座り込む。

あーぁ。
明日、お弁当作ってくって約束したのに・・・。

時計に目を向けると、まだ時間は夜の8時を回ったところ。

「はぁー。」

溜息をつきながら、じっとその時計の秒針が、1秒1秒時間を刻むのを見詰める。

”願いを叶えます。”

ふと、あの奇妙な少年の姿が目に浮かんだ。願いを叶えるとはどういうことだろうか。

あんなのウソっぱちよね・・・。
流れ星さんじゃあるまいし。

そうは思うものの、藁にも縋りたい気持ちの今のアスカは、だんだんとあの少年に興味
を引かれて行く。

ダメ元よね。
どうやって願いを叶えるか聞いてやろうじゃない。

とは言え、こんな時間から1人で外に出ると怒られる。アスカはキッチンでキョウコ達
が後片付けをしている隙を見つつ、そっと隠れて表へと出掛けて行った。

<公園>

もういないかもしれないと思いながらも、やや急ぎ足で公園までやってくると、まだあ
の奇妙な少年は例の看板を持って座っていた。

「あ、あの・・・。」

「やぁ、お客さんかい?」

「その”願いを叶える”って何よ?」

「願いを叶えるのさ。」

「それはわかるわよっ! どうやって叶えてくれるのかって聞いてんのっ!」

「君の願いはなんだい?」

「アタシは・・・その・・・美味しいお弁当作りたいの。どうやって叶えるわけっ?」

「それが君の願いかい? 最初は特別サービスで500円だけど、いいかい?」

「えーーっ! お金取んの?」

「500円で願いが叶うのさ。安いとは思わないかい?」

「もし、本当ならね。」

「信じないならそれでもいいさ。僕は次のお客さんを待つことにするよ。」

「あっ、ちょっと待ちなさいよ。誰もそんなこと言ってないでしょっ!」

そこいらにいるはったりの占い師でも500円くらいは取るだろう。それくらいのお金
なら、騙されたと思って払ってもいいかもしれない。

「わかったわ。500円払うわ。でも、嘘だったらただじゃ済まさないわよ。」

「嘘じゃないよ。見てるといいさ。」

500円を受け取った銀髪の少年は微笑を浮かべつつ、後に置いてあった箱から1枚の
のっぺらぼうのマスクを取り出した。

「そこに座ってくれるかい?」

「え、ええ。」

「じっとしていてくれるかな。」

少年はじっとアスカの顔を見ながら、のっぺらぼうのマスクに、肌の色を塗り、目を描
き、口を描き、アスカそっくりの顔を描き込んでいく。

「じょーずー。」

「仕事だからね。」

まるで鏡を見ているようである。色が塗られるに従い、それはマスクなのか本当の顔な
のかわからないくらいに、アスカの顔を形作り始めた。

「さぁ、完成だね。」

「これをどうしたらいいの?」

手渡されたマスクを手にしながら、あまりの上手さに感嘆するものの、お弁当を作りた
いという願いと何の関係があるのかわからない。

「料理をするとき、そのマスクを付ければいいだけさ。」

「これを?」

「マスクをしたら君の手は超一流のコックになるように念じたのさ。でも、使えるのは
  1回だけだけどね。」

「わかったわ。使い終わったらどうしたらいいの?」

「役目が終われば、勝手に消えるから大丈夫さ。」

ニコリと笑みを浮べる少年と別れたアスカは、気味が悪い程自分そっくりのマスクをし
げしげと眺めながら、とりあえず食材を補充し500円は捨てたつもりで家に帰った。

<アスカのマンション>

昨夜、なんとか両親に見つからず家に入り込んだアスカは、頑張って朝4時に起きキッ
チンに立っていた。

こんなマスクで、本当にお弁当作れるのかしら?
なわけないわよねぇ。
まぁいいや。試してみよ。

ほとんど信用していなかったが、マスクを顔に付ける。すると、まるでシリコン樹脂を
肌に当てるように違和感無く顔に張り付く。

「むむむ???」

それと同時に両手に力が漲り、体が勝手に動いているかのごとく早速料理を作り始めた
ではないか。

スゴイっ!
これは凄いわっ!

家にある、高価とは言えない食材を巧みに使い、次々とでき上がっていく弁当のおかず
の群。

1時間が経過した頃、輝かんばかりの弁当が2つキッチンに完成しており、その出来栄
えに感動し手を震わす。

後は蓋をしめて・・・。

「でっきあがりーーっ!!!」

蓋を閉めて弁当が完成した瞬間、顔に張り付いていたマスクが役目を終えたとばかり、
水が霧になるかのように、すっと消えてなくなった。

あっ! そ、そっか。
1度だけって言ってたもんね。

まぁいいわっ!
よーしっ! シンジの奴びっくりするわよーーーっ!

世界一美味しい弁当を作り終わったアスカが、時計を見るとまだ5時過ぎ。まさかこん
な早くに完成できるとは夢のようだ。

あと一眠りしよっかな。
今日は頑張んなくちゃいけないしっ。

見事な出来栄えの弁当に満足したアスカは、シンジを起こす時間まで一眠りすることに
したのだった。

<第3新東京ファーム>

シンジと2人で楽しく農園の畑を見たり、馬に乗ってみたり、うさぎを抱いたりして午
前中を過ごし、いよいよ待ちに待ったお昼ご飯。

小高い丘の木陰に敷いたレジャーシートに座り、持って来た2つの弁当箱を意気揚々と
取り出す。一方シンジは、できるだけ美味しい顔で食べてあげようと気合を入れる。

「さぁ、アタシが作ったのよぉ。開けてみなさいよ。」

「・・・う、うん・・・ははは。」

声が震えている。

「早く、早くぅ。開けてみてっ。」

決戦の時だ。シンジは意を決して弁当箱の蓋を開けた・・・が、そこにはヒカリどころ
かユイすら足元にも及びそうに無い、目を見張るような料理が敷き詰められていた。

「な、な、なにこれっ?」

「どう? スゴイでしょー?」

「いや・・・これ、え? これ、どうしたの?」

「失礼ねぇ。アタシが作ったに決まってるでしょ。」

「凄い・・・本当に。」

「はいはい。眺めてないで、食べましょ。」

「う、うん・・・。」

素人のシンジでも、見ただけでそんじょそこらの料理じゃないことがわかった。香りも
とても美味しそう。だが、食べるとなると話は別。

「た、食べるよ・・・。」

「どうぞぉ。召し上がれ。」

これまでのことがあるので、恐る恐る箸を伸ばすが、どう見ても美味しそう。そして、
箸を口に運んだシンジは、またびっくり。こんな美味しい料理は食べたことがない。

「すごいや。アスカっ!」

「でしょー? 見直した?」

「ほんとに美味しいよっ!」

その後は、トウジばりにガツガツと弁当を食べ始める。そんなシンジを満足気に見詰め
ながら、自分も一緒に弁当を口に運び幸せに浸る。

これよっ!
これなのよっ!
アタシが求めてたのはっ!

これまでヒカリとトウジが羨ましくて仕方のなかったアスカだった。だがそれも今日で
おしまい。ようやく”彼女の作ってきた弁当を彼氏が喜んで食べる”という構図の絵の
中にいる自分達を実現できたのだ。

「こっちも美味しいねっ。」

「でしょう?」

「うん。美味しいっ。」

願いの叶ったアスカは、弁当にがっつくシンジを満足気に見詰め、楽しい昼のひと時を
過ごした。

昼食も終わり、午後も2人で楽しく農園を見回った2人は、夕方になりそろそろ帰る時
間。

「ねぇ。アスカ? 明日予定ある?」

「明日? えっ、明日?? ないっ! ないないない。」

「二子山行ってみない?」

「!!!」

目を見開くアスカ。これまでは、出掛けるとなるとアスカが計画しシンジを引き摺り出
すというのがセオリーだったのだが、なんとシンジから誘って来たではないか。

うっ、うっそーーっ!
このシンジがぁぁっ?

「明日も、外でお弁当食べたくって。駄目かな?」

「作るっ! 行くっ! 食べるっ!」

「ほんと? 楽しみだなぁ。」

やったーっ! やったやったっ!
これよっ!
この一歩前進を待ってたのよっ!
さっすがお弁当だわっ!
効果ばっちりじゃなーーいっ!

有無を言わさず約束を取り付けたアスカは、その日は弁当の支度があるので急ぎ家へと
帰ることにしたのだった。

<公園前>

食材を買い終えたアスカは、また公園前に来ていた。そこには昨日マスクを売って貰っ
た銀髪の少年が、例の看板を持って座っている。

「あ、あの・・・またあれ作って欲しいんだけど。」

「やぁ。いらっしゃい。今度の願い事はなんだい?」

「その・・・昨日と同じ。」

「わかったよ。1万円になるけどいいかな?」

「えっ? い、いちまんえんっ?? 500円じゃないのっ!?」

「最初だけ特別って言ったはずだよ? 2回目は1万円さ。」

「そ、そんな・・・。」

「無理にとは言わないさ。じゃ、ぼくは次のお客さんを待つことにするよ。」

「・・・・・・。」

食材の買出しにありったけのお小遣を持って来ているので、1万円はなんとか財布に入
っている。だが、中学2年生のアスカにとってはとてつもなく大金。

「・・・・・・。」

スカートのポケットに手を突っ込み、温泉に入ったペンギンマークの財布をぎゅっと握
り締める。

シンジが喜んでくれるんだもん。
1万円くらい。
そうよっ! 安いもんよっ!

「買うわっ!」

「いいのかい?」

「買うっつってるでしょっ! さっさと作りなさいよっ!」

「いいんだね?」

「しつこいわよっ! アタシはお客さんよっ! さっさと作ってよっ!」

「わかったよ。じゃ、座ってくれるかな。」

そしてアスカは翌日も世界一の名コックが作る超一流の弁当を持ち、シンジと二子山へ
遊びに行ったのだった。

<学校>

月曜の昼休み。今日もシンジはユイに作って貰った弁当を広げ、トウジやケンスケと昼
ご飯を食べている。その少し離れた場所でアスカとヒカリも昼食中。

「ほんま、委員長の弁当は世界一やでっ!」

純粋に弁当が美味しいのだろうが、端から聞いているとのろけにしか聞こえないような
ことを大声でトウジが言い放つ。その横で、嬉しくもあり恥かしくもありで、ヒカリは
何も言えず俯いてしまう。

「でも、アスカも料理上手いよ?」

「あぁ? シンジ? 気でも狂ったんか? アイツの調理実習見たことあるやろ?」

「ほんとなんだってば。凄く美味しいんだから。」

「シンジぃ。いくらなんでも、嘘バレバレだぞ?」

シンジはなんとか本当だと押し通そうとするが、トウジもケンスケも全く信用しようと
しない。アスカの調理実習の結果を見たことのある人間でれば当然の反応だが。

「だから、本当だってばっ! 委員長より絶対美味しいよっ!」

「なんやてっ! シンジ、聞き捨てならんで。今のは。」

「1度アスカの料理見たらわかるよ。本当だから。」

最初は何気なく言い出したことだが、全く信じてくれない2人を前に、シンジもだんだ
んと意地になってきた。

さて、そんなやり取りを聞いていて、真っ青になっている少女が1人。

ちょ、ちょっと。
なんてこと言うのよっ!!!

もう1度あの料理を作れと言われても作れるはずもない。アスカは早く話題が反れるこ
とを祈り、いつになく大人しく黙って影を潜める。

「そこまで言うんやったら、委員長とどっちが美味いかシンジん家で夕食会しようやな
  いか。」

「わかったよ。本当なんだから。」

ガッ、ガッ、ガッビーーーーーーーーーン!!!!

真っ青から真っ白になるアスカ。これは一世一代の大ピンチである。なんとしても阻止
しなければならない。

「シンジっ! 今の話だけど・・・あ、あのさ。今日は・・・」

「アスカ? また、楽しみにしてるよ。」

ニコリとシンジが微笑み掛けてくる。もうダメだ。

「う、うん・・・。」

はぁ・・・あのマスク1万もするのに。
お小遣い、貯金箱壊したらなんとかなるか・・・。

がっくりとするアスカだったが、嬉しそうにしているシンジの笑顔を見ると断ることが
できなくなり、仕方なくOKするしかなかった。

<アスカのマンション>

即効で家に帰ったアスカは、財布と貯金箱をひっくり返し、有り金を全て寄せ集める。

な、なんとか1万あるわ・・・。
いくわよっ! アスカっ!

これでしばらく貧乏な生活を送ることになってしまうが、こうなってしまっては背に腹
は変えられない。寄せ集めた1万円を財布に捻り込み、いつもの公園まで走って行く。

<公園>

今日は時間が早かったが、いつもの場所に銀髪の少年はじっと座っていた。

「やぁ。また来たのかい?」

「マスク、作ってよ。」

「またかい? 今度は何の願い事なんだい?」

「いつもと一緒。」

「わかったよ。じゃ、5万円になるけど、いいかい?」

「へ?」

「5万円さ。」

「ご、ごまんえんーーーーーーっ!!!!?」

「そうさ。5万円さ。」

「い、いちまんえんって言ってたじゃないのっ!」

「それは2回目さ。」

「ぼったくりよっ! むちゃくちゃじゃないっ!」

「嫌ならいいさ。」

嫌も何も、無い袖は振れないとはこのことである。財布の中どころか、部屋中漁っても
5万なんてとうてい出てこない。

「ひ、人の足元見てんじゃないわよっ!」

「何を言ってるんだい? 誰も無理に買って欲しいとは言ってないさ。」

「むむむーーーーっ!」

キッと銀髪の少年を睨み付ける。

「アンタっ! しばらくここにいるわよねっ!」

「そうだね。まだいるよ。」

「絶対よっ! 待ってなさいよっ! わかったわねっ! 待ってなさいよっ!」

少年に何度も念を押したアスカは、大急ぎで我が家へと帰って行った。

<アスカのマンション>

家に帰ったアスカは、お小遣の前借りを頼み込む。だが、お小遣を貰えるどころか大目
玉を貰うことになった。

「4万も前借りなんて聞いたことありませんっ! 何に使うんですかっ!」

「どーしてもいるのよ。お願いだからぁ。」

「だから、何にいるんですかっ!」

「それは・・・。」

「ママに言えないようなことなのっ!!」

「・・・・・・。」

「そんなわけのわからない理由で許可すると思ってるのっ!?」

「お願いっ! 1回だけでいいからぁ。」

「ダメですっ!」

「そこをなんとか。ね。ママぁっ!」

「ダメと言ったらダメですっ!」

「娘が、こんなに頼んでるのに、なんでダメなのよっ!」

「やましいことがないなら、理由を言いなさいっ!」

「・・・・・・。」

「ほらごらんなさいっ!」

「もういいっ! ママのバカーーーーーーーーーっ!!!!」

「アスカちゃんっ! ちょっと待ちなさいっ!!!」

「ママなんかっ! 大っキライっ! キライキライキラーーーーーイっ!!!!」

これでもかという程、思いっきり玄関の扉をバーンと閉めて飛び出して行く。

キョウコも慌ててサンダルを履き外に出たが、そこには既にアスカの姿はなく、扉を閉
める大きな音に驚いて出て来たシンジが、頭に?マークを浮べて立っていた。

「おばさん、アスカどーしたんです?」

「あっ、シンジくん。なんか様子がおかしいのよ、4万欲しいとか言って。」

「よ、よんまん??? えーーーーーー?????」

「ええ。わたしが行くと刺激しちゃいそうだから、悪いんだけど様子見て来てくれない
  かしら?」

「はいっ!!!」

キョウコに頼まれたシンジは、少し出遅れたものの急いでアスカを追い掛けた。なにや
ら只事ではなさそうで、心配である。

その頃アスカは、再びあの少年のいる公園に向かって走っていた。

<公園>

ママのバカっ!
肝心な時に、なんでお願い聞いてくんないのよっ!

気持ちを高ぶらせ、目に溜まる涙を拭きながら公園にやってくると、先程と同じ場所で
またいつもの微笑を浮べ銀髪の少年がこちらを見ている。

「やぁ。どうしたんだい?」

「お願い。1万円ちょっとで、マスク作ってっ! あと1回だけでいいから。」

「それはできないのさ。3回目は5万だからね。」

「じゃ、じゃぁ。ちょっとずつお小遣いで返すからっ! 」

「それも駄目だね。」

「なんでよっ! こんなにお願いしてるのにっ!」

「いくらお願いされても、駄目なものは駄目さ。」

「願いを叶えてくれるんじゃなかったのっ!」

「これだから・・・リリンは・・・。」

溜息を零す銀髪の少年。

「お金ならそのうちなんとかするからっ! あのマスクがなかったら、シンジの喜ぶ料
  理が作れないのよっ!!!」

「そうかい?」

銀髪の少年は、ちらりとアスカの後ろへ視線を移し優しい目をした。しかしアスカは、
そんなことはお構いなしに更に大声で叫ぶ。

「お願いっ! 売ってっ! シンジの喜ぶ顔が見たいのよっ!!!!」

「アスカ・・・マスクって。何?」

その時、ここにいるはずのない人物の声が、ふいに背後から聞こえた。ビクっと体を震
わせて振り返ると、そこにはシンジの姿が。

「料理を作るのに・・・それが、4万もするの?」

「シッ、シンジっ!!!」

1番知られたくない秘密をシンジに見つかり、顔面を蒼白にしながらパニックに陥るア
スカ。

ばれた。
聞かれちゃったっ!
シンジにっ!!!

「アスカ・・・いったい?」

「なによっ! なんで、ここにいんのよっ!」

もう何がなんだかわからない。パニックに陥ったまま、今度はシンジに向かって大声で
叫ぶ。

「なんでって・・・急に走って行ったから・・・。」

「ウルサイっ! ウルサイっ! そうよっ! コイツの願いの叶うマスクのおかげででき
  たのよっ!」

「願い? なにそれ?」

「アタシが作ったんじゃないのよっ! わかったでしょっ! そう言えば満足でしょっ!!?」

「ちょっと、アスカ・・・。」

取り乱すアスカに、どう対応していいのかわからずシンジは困惑するばかり。

「どーせアタシの料理は下手よっ! 不味いわよっ! だからっ! だからーーーーっ!」

「アスカ、とにかく落ち着いて。」

「コイツっ! 足元見てっ! どんどん値段吊り上げてっ! ちくしょーーっ!!!」

涙目でギッと銀髪の少年をにらみ付ける。

「やっぱり、君は勘違いしているね。」

「ウルサイっ! ウルサーイっ! アンタのせいよっ! アンタがっ! アンタがっ!」

ギッを睨みつけ怒鳴り散らすアスカを前にしながらも、銀髪の少年は微笑を湛えたまま
落ち着いた様子で口を開く。

「僕はみんなに幸せを分けてあげたい。だけど、ずっとマスクに頼っていてはいけない。
  だから値段を上げるのさ。」

「なによっ! アタシが料理できないって言いたいんでしょーっ! ちくしょーっ! ち
  くしょーっ! ちくしょーーーっ!!!」

感情的になってしまい、もう人の言うことなど聞かず、アスカは髪を振り乱して涙を飛
ばす。

「所詮、マスクはマスクさ。君の素顔じゃない。シンジくんだったかな? 君も、そう
  は思わないかい?」

そういいながら、銀髪の少年がシンジの方に視線を向ける。

「あの、アスカ?」

「もういやぁっ! 折角っ! 折角うまく行きかけてたのにぃっ!!!」

「その・・・よくわかんないけど。アスカが自分で作った料理の方が、ぼくは嬉しいな。」

優しい声で、幼子となだめるように説得する。これまで正直アスカの料理を美味しいと
思ったことはなかったが、作ってくれることが嬉しかったのも事実なのだ。

「ウソっ! 不味いの無理矢理流し込むくせにっ!」

「それは・・・。」

つい、そういうことをしていたかもしれないと視線が落ちそうになるが、頑張って顔を
上げる。

「でもっ! ぼくはアスカの料理が好きだ。」

「ウソっ! ウソっ! 絶対ウソよっ!」

「嘘じゃないっ! 絶対最後まで残さず食べるよっ!」

「言ったわねっ! バカにしてーーーっ! よーしっ! 死ぬ程、不味いの作ってやるーーーっ!」

そう言い残し、アスカは涙を撒き散らしてコンフォート17マンションの方へ、走って
行った。

必死で努力しても不味い料理しか作れないアスカが、死ぬ程不味い料理を作ろうと言う
のだ。シンジは死を覚悟しつつも、ここまでアスカを追い詰めてしまったのは自分のせ
いかもしれない・・・どうすればいいのだろうと、考え込むのだった。

<シンジのマンション>

いよいよ夕食会が始まった。事情を聞き、ゲンドウとユイは外食している。

碇家のキッチンではヒカリとアスカが交互にコンロや包丁を使って、料理しているのだ
が・・・。

「ア、アスカ・・・それ。」

ヒカリがあまりの酷さに目を覆う。もうアスカの作っているものは、料理とは言えない
代物だった。

「アタシにはアタシのやり方があるのよっ!」

「そ、そういう問題じゃ・・・。」

「ヒカリは気にしないで、鈴原のを作ってあげて。」

「でも・・・。」

アスカが皿に盛り付けるものは、真っ黒に焦げた炭か、食材も調味料も元がなんなのか
わからない程混ぜ合わせてぐちゃぐちゃにしたヘドロ。酷いなんてものじゃない。

フンっ!
どーせ、アタシの料理は不味いのよっ!
一口も食べれないのよっ!

不味いって言いなさいよっ!
不味いって言えばいいでしょっ!

これでもかっ! これでもかっ! これでもかっ!

そんな様子を見ていたトウジも、あまりのことに引き攣っていた。調理実習で見たアス
カの料理も酷かったが、そんなものじゃない。もうこうなっては料理とも言えない。

「シ、シンジ・・・お前。なんか惣流を怒らせたんか?」

「はは・・・ははは・・・。」

「悪いけど・・・ワイは、委員長のだけでええわ。」

「はは・・・ははは・・・。」

小1時間が経過し、夕食の準備が整った。トウジの前に並ぶ、美味しそうなヒカリの料
理と、シンジの前に並ぶ物体Xの群れ。

「さぁっ! シンジ食べなさいよっ!」

「うん。」

ガブ。

炭の塊のようになった真っ黒いものを口に運ぶ。

ガブ。

何も言わず黙々と食べ続ける。そんな様子を、くやし涙を流し睨みつけるように見つめ
るアスカ。

さぁっ!
不味いって言いなさいよっ!
吐き出しなさいよっ!

「い、碇くん・・・。」

心配そうにヒカリが視線を送り、いつもなら真っ先に料理にがっつくトウジも目を覆っ
てしまっている。

ガブ。ガブ。ガブ。

だが、超越した精神力の持ち主をもってしても、どう我慢しようと食べられそうにない
物体Xの群れを、シンジは嫌な顔1つせず次から次へと食べていく。

何、無理してんのよっ!
吐き出しなさいよっ!

ガブ。ガブ。ガブ。

それでもシンジは食べ続ける。

「碇くん・・・。」
「シンジ・・・。」

ヒカリもトウジも、冷や汗を流すばかり。

ガブ。ガブ。ガブ。

「ふざけんじゃないわよっ!」

とうとうアスカが叫んだ。

「不味いなら不味いって言やーいいでしょーがっ!!!」

その声に、それまで一心不乱に食べていたシンジは、驚いて視線を上げる。

「大丈夫だよ。最後までちゃんと食べるから。」

「こんな不味いもん、食べれるわけないでしょうがっ!」

「不味くなんてないよ。」

ガブ。ガブ。ガブ。

そう言って、また物体Xを口に頬張る。

「シンジっ! もういいわよっ! もういいっって言ってるでしょっ!」

「少し待ってて。後ちょっとだから。」

ガブ。ガブ。ガブ。

とうとうアスカは、耐え切れなくなり人目もはばからずシンジに抱き付いた。

「もういいっ!! ごめんっ! アタシっ! どうかしてたのっ! もうやめてっ!!」

「ううん。食べるって約束だったろ?」

ガブ。ガブ。ガブ。

しかし間も無く、シンジは最後の一滴まで約束通り綺麗に食べ尽くした。

「シンジぃぃぃ。アタシが悪かったのっ! ごめんっ! ごめんなさいっ!」

「ぼくも、最初はどうしようかと思ったけど、どうしてだろうね。美味しかったんだ。
  アスカがぼくの為に作ってくれたからかな?」

もうアスカは何も言葉を出すことができず、あれだけ不味い料理を嫌な顔1つせず、全
て食べたシンジの胸に涙で濡れた顔を埋めて、ウルフルと頭を振るばかり。

「鈴原? 帰りましょ。」
「そやな。」

いったい何しに来たのかわからないが、作った料理をタッパに詰めヒカリとトウジは、
お邪魔虫にならないようにそっと退散する。

「シンジ・・・。」

「ん?」

「やっぱり、あんまり美味しくないかもしれないけど・・・今度は一生懸命作る。」

「うん。」

「アタシが自分で作る。」

「うん。」

「食べてくれる?」

「ぼくが、アスカが一生懸命作った料理、食べなかったことないだろ?」

「シンジ・・・じゃ、アタシが作った料理、ずっと食べてくれる?」

「うん。」

「いつまでも?」

「うん。」

「ほんとに、いつまでも?」

「うん。」

「シ、シンジっ!」

「もういい、だろ?」

ニコリと優しく微笑み掛けるシンジの笑顔に、ようやく近頃焦っていたアスカの心は満
たされた気がした。

「シンジぃぃぃぃぃぃっ!!!」

マスクなどつけずとも、素顔のままで美味しい料理をご馳走できる日も近いだろう。

そして、その頃2人は・・・。

誰もいなくなったシンジのマンションで、2人は何をするでもなく1つの椅子の上で、
いつまでもいつまでも肌を寄せ合っているのだった。

お互いの優しさを感じながら。

<公園>

同時刻、公園では。

彼の願いは叶ったかな?

銀髪の少年が営業を終了し、売上帖を記入していた。

本日の依頼。1件。500円。

”ぼくの大切な人が幸せになるマスク”




その依頼に対し作ったマスクが、”どんな料理も美味しく食べれるマスク”だったとい
うのは、赤い瞳の少年だけが知っている業務秘密。

fin.
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