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Sweet Season
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<河川敷>

近い将来、首都になることが予定されているこの街、第3新東京市に、ぼくは父さんの
仕事の事情で1週間程前に引っ越して来た。

なんだか父さんの仕事っていうのは、いつも首都にいなければいけないらしいんだけど、
そんな仕事ってなんだろう? ぼくは父さんのやっている仕事のことをよく知らない。

この街の学校にぼくは転校して、普通に生活していた。鈴原トウジや相田ケンスケって
いう友達も、ぼくにしては早く作れた。

ぼくは5歳の頃からテニスをしていて、前の学校では1年でレギュラーなんてやってた
けど、もうすぐ受験だし、こっちに来てからは入部してない。父さんに言われて始めた
だけで、べつに好きってわけでもなかったし。

それ以外は、前の学校とあまり変わらない生活ができそうだ。転校を不安に思ってたぼ
くだったけど、平凡な毎日に安心していた。

・・・今、この一瞬までは。

「つきあって。」

見も知らぬ青い瞳の女の子に、この河川敷に呼び出され、突然そう告げられた。

「へ?」

間の抜けた答え方だと自分でも思うけど、それ以外の言葉が出てこない。

「だから、つきあって欲しいって言ってんのよ。」

「ど、どういうこと?」

言葉の意味がわからないわけじゃない。でもやっぱり、わからない。今、ぼくの身に何
がおこってるんだろう?

「アンタバカぁっ!?」

「は?」

やっぱり、わからない。普通、つきあってくれと言う相手に、話をするのが始めての相
手に、バカなんて言う?

「アンタのことが好きなのよっ!」

「??????」

なんで? なんで、ぼくのことが好きなんだ? 初めて会ったのに、どうしてこんなこと
になるんだ?

「どうなのっ!? Yes!? No?」

「あ、あ、あの・・・。」

「Noなんつったら、一生ストーカーしてやるっ!」

な、なんだこのコは?
一生ストーカーされる?
そ、そんなのいやだぁっ!!!

「はっきりなさいよっ! Yes!? Yesっ!!!?」

詰め寄ってくる彼女。なんでぼくは、怒られてるんだ? なにがなんだかわからない。
そのあまりの剣幕にぼくは恐くなって、思わず言ってしまった。

「Yes.」

「やったーーーーーーっ!!!!!」

「は??」

「じゃね。」

「あ、あの・・・ちょっと。」

走り去って行ってしまった。河川敷に1人残されたぼくは、スカートと長い髪を風に靡
かせて小さくなっていく彼女の後ろ姿を見ていることしかできなかった。

な、なんだぁ?
いったい、なんだったんだ・・・今のは。

その日ぼくは困惑しながら家に帰り、困惑しながらお風呂に入り、困惑しながらご飯を
食べ、いったい今日起こったことがなんだったのか解答を出せないままベッドについた。

やっぱり、からかわれたのかな。
そうとしか考えられないよな・・・。

だいたい、ぼくがあんな可愛いコに告白されるはずないもんな。

あのコ・・・。
名前なんて言うんだろう?

からかわれただけのような気もするけど、生まれて初めて告白されたことに、ぼくの心
臓は高鳴ったままだった。

だがそれと同時に、明日学校へ行くのが恐い。からかわれて、みんなに笑われるんじゃ
ないだろうか。

堂々巡りでそんなことを考えながら、目を閉じていたぼくが眠りについたのは、日が変
わった後だった。

<学校>

翌日、ぼくは緊張しながら学校に行った。慣れてきた通学路の風景はいつもとなにも変
わらない。だけど、初めて登校した時より、ぼくの心臓は遥かに大きな音を立てて高鳴
っていた。

あのコに会ったらどうしよう。
あのコに会ったら・・・。

名前も知らない、告白してきたあのコ。

ぼくはあのコに会わないことを祈りながらも、目であのコの姿を探して学校へと向かう。

もう目の前が校門。結局、あのコには会わなかった。なぜかぼくはがっかりしながら、
校門を潜り下駄箱が並んでいる入り口を入って行く。

「はぁ〜。」

自分でも気付かないうちに溜息を零しながら、少し腰を屈めて靴を履き替え、運動靴を
下駄箱に入ようとしたぼくの目に、女のコが数人で目の前を歩いて行く光景が飛び込ん
で来た。

あっ!
あのコだっ。

どうしてもあのコに目が行ってしまう。向こうもぼくのことに気付いたようで、軽く微
笑む。

でも、それだけだった。

彼女は友達の女のコと一緒に廊下を曲がりその姿を消してしまう。近寄ってもこなけれ
ば、話し掛けてもこない。

やっぱり、からかわれたんだ。
そうだよな。

そんなもんだよな。

名前も知らない、初対面の相手に告白なんて・・・。
おかしいよな。

がっかりしながら自分の教室に入ると、いつものようにトウジやケンスケとゲームの話
をして気を紛らわす。

1時間目、2時間目、3時間目、4時間目。授業を受けて、時間が経つごとに、ぼくの
心も少しづつ落ち着きを取り戻しつつあった。

だけど昼休み。

またぼくの心は、荒れた嵐の大海原に乗り出した小舟のような状態に。

「ご飯、一緒に食べましょ。」

「へ?」

突然、教室にやって来たあのコは、ぼくの前に座るケンスケを押しのけ、ニコリと微笑
んで・・・。な、なんだってっ!?

ぼくはなにがなんだかわからず、また間抜けな返事をしてしまう。

「当たり前でしょ。」

「な、なんで?」

「恋人同士なんだから、それくらいしたっていいでしょっ!!」

わーー!!! いったい、何がどうなってるんだ? 案の定クラスのみんながざわつき始
める。トウジもケンスケも、『裏切りモン』なんて叫んでる。

もうぼくは、この場にいるのがいたたまれなくなって、次の瞬間には彼女と一緒に教室
を飛び出していた。

「いったい。どうしたのよっ?」

「どうしたって・・・と、とにかく、屋上に行こうよ。」

「屋上か・・・ま、いいけど。」

ぼくは早足で彼女と一緒に屋上へと登って行く。いったいなんなんだこのコは・・・ぼ
くにはなにもかもが理解できなかった。

「シンジぃ。こっちが日当たりいいわよ。」

「うん、そうだけど・・・ん?」

ぼくの名前を知ってる? このコはぼくの名前を知ってるんだ。そりゃそうか・・・告
白するくらいだもんな。でも、どこで知ったんだろう?

まだ転校してきて1週間しか経ってないのに、なにかぼく目立つようなことしたかなぁ。

「あのさ?」

「なに?」

「君、名前は?」

「え? 名前? あっ! あぁ? ん? 言ってない?? あーーーっ!!」

なんだ? このコは? 
変わったコだなぁ。

「アタシ、惣流・アスカ・ラングレー。」

「惣流さんか・・・ぼくは。」

「碇シンジでしょ。それくらい知ってるわ。」

「なんで? なんで、ぼくのこと知ってるの?」

なんで会ったこともないのに、ぼくの名前知ってるんだろう? まさか戦略自衛隊のス
パイとか、最後のシ者とかじゃ・・・ははは、テレビの見すぎ・・・だな。

「アンタ、前の学校でテニスしてたでしょ?」

「してたけど、なんで知ってるの?」

やっぱり、スパイか? 違うって・・・。

「アタシの友達が女子テニス部でさ・・・。」

惣流って、その友達の付き添いでよく練習試合の時、前のぼくの第2東京市の学校に来
てて、1年の最初の頃からぼくのことを知ってたらしい。

「アンタ1年なのにレギュラーになって、試合とかしてたでしょ?」

「そんなことまで知ってるの?」

「最初は1年のレギュラーってどんなヤツかなって、興味で見に行ったんだけどさ・・・
  大会でアンタ見るたびに・・・なんか、こうさ。ね。」

そんなことがあったのか。女のコがぼくなんかの試合見てるなんて、夢にも思ってなか
ったよ。

「そしたら、なななーんとっ! アンタがこの学校に転校して来るっていうじゃないっ!
  もうこれって、運命しかないって思ったわっ! って、当たって砕けろってなったの。」

ちょっとまてよ?
って、ことは・・・。

え? え? え?

「ぼくたちって、ほんとに恋人なの?」

「なに? だって、昨日・・・。」

「いや、冗談かなって・・・はは。」

「ま、まさか、アンタっ! アタシの告白、真面目に聞いてなかったわけっ!?」

「そ、そ、そうじゃない、そうじゃないよ。ただ、たださ、名前も言わないで、いきな
  り走り去ってくから・・・なにがなんだかわかんなくて。」

「だって・・・。」

その時初めて、ぼくは惣流が恥かしそうに下を向く仕草を見た。

かわいい・・・。

これは後から思い返して気付いたんだけど、ぼくが彼女のことを本当に好きになったの
は、この瞬間からだったと思う。

「恥かしかったし、断られたらどうしようとか・・・もう自分でも何言ってんのかわか
  んなくて。」

そうか・・・。
惣流は惣流で・・。

「あ、あの・・・。アタシじゃダメ?」

恐る恐る、上目遣いでぼくのことを見上げて来る。理屈抜きに正直言って、めちゃくち
ゃ可愛い。

「そうじゃないけど、昨日初めて会ったから・・・ぼく。」

「今、アタシと付き合うと、おまけがついてきまーすっ!」

「おまけ? なんだ?」

「はい。お弁当。」

後ろ手に持っていた、ハンカチに包まれている箱をぼくに差し出してくる。

「初めて作ったから、味の保証は無しねっ!」

「え? ぼくの?」

「あったりまえじゃん。味の保証はないけど、愛情の保証は一生分ついてるわよ?」

こんな可愛い子が、お弁当まで作ってきてくれて、こんなこと言ってくれたら・・・。
もうぼくは。

「ぼく、君のこと全然知らないからさ。友達から・・・でいいかな?」

「オッケー! 恋人を前提とした友達ねっ!」

「うん・・・。」

口ではそんなことを言いながらも、ぼくは心の中で嬉しさのあまり飛び跳ねまくってい
た。

ただ・・・なぜかこの時、ぼくは素直にOKしちゃいけないような気がして・・・まず
は友達からなんて、言っちゃった。

その後、、ぼくは惣流が作ってきた、お弁当を食べた。

もうそれが、美味しいのなんの。料理の腕がどうのこうのじゃなくてさ・・・ぼくの為
にこのコが作ってくれたんだって思うだけで、なによりも美味しく思えて。

料理は愛情って誰かがテレビで言ってたけど、それって本当なんだって初めて実感した。

「どう? おいしい?」

「うん。すっごく美味しいよっ。」

「まずかったら、まずいってちゃんと言うのよ?」

「そんなわけないよ。」

「これは大事なことよ? 人生の問題なのよっ。」

「大袈裟だなぁ。」

「だって、不味いままアタシが料理を覚えたら、一生アンタはその味のものを食べなく
  ちゃいけないのよ。」

ちょっとまて。
それって・・・。

そういや、さっきも一生とか言ってたような・・・。

そうか・・・昨日は緊張してあんな告白になったんだと思ったけど。
基本的にこのコは、押しが強いんだ。

負けそうだよ・・・。

もっとも、ぼくが彼女に勝てるはずなんてなかったんだ。だって、この時既にぼくは、
彼女のことが好きで、好きでたまらなくなってたんだから。

そして・・・昼休みが終わり。

教室に帰ったぼくを待っていたのは、トウジとケンスケの攻撃だった。それはもう、ボ
ロクソに裏切りモン扱いされたけど、ぼくの心は惣流のことばかり考えてしまい、弾ん
だままだった。

<通学路>

放課後になり、ぼくはいつものようにトウジやケンスケと靴を履き替え、学校を出て行
った。だけど、いつもと違う光景が学校の前で待っていた。

「あっ!」

彼女を見付けたぼくの足は、その場に止まってしまう。恐る恐る横を見ると、トウジと
ケンスケがぼくのことを目を細めて睨んでる。

「あの・・・ごめん。その・・・。」

「しゃーないなぁ。裏切りもんは。」

「お邪魔虫は消えようぜ。」

「ほんまやほんまや。」

なんだかんだ言いながらも、2人は気を使ってくれたようで、別の道から帰って行った。
1人になったぼくは、ゆっくり惣流に近付いて行く。なんだかまだ2人で並ぶことが恥
かしい。

「アンタのクラス、終わるのおそーい。」

「待っててくれたの?」

「あたり前でしょ。アタシ達は、限りなく恋人に近い友達なんだから。」

昼は、恋人を前提とした・・・だったのに、いつの間にか限りなく恋人に近いになって
るような。

「帰りましょ。」

「そうだね。」

周りを学校の生徒達がぼくたちのことをチラチラ見ながら通り過ぎて行く。やっぱり、
まだ2人で並んで歩くのは恥かしい。

女の子となんて、1対1でまともに話をしたこともないぼくは、どうしていいのかわか
らず手持ち無沙汰。鞄を右手で持ってみたり左手で持ってみたりしながら、無言のまま
歩く。

なにか喋らないと・・・。
気まずいなぁ。

どうしよう。

ドギマギしながら目を泳がせていると、惣流がカバンの他に大きな紙袋を持っているこ
とに気付いた。

「なに? それ?」

「これ? 美術で自分の顔作ったのよ。」

そう言えば、この間ぼくも石を彫って自分の顔を作ったな。あんまり上手くできなかっ
たけど。

あれ、持って帰るとき重かったなぁ・・・そうだ、荷物くらい持ってあげるべきだよな。

「それ、かして。」

重い荷物くらい持ってあげるべきだと、手を伸ばしたんだけど、惣流はすぐに渡してく
れず、微笑みながらぼくのことを見ている。

「あんまり上手くないわよ? いい?」

何を言ってるんだ?
まぁ、いいや。とにかく持ってあげよう。

「いいから。、かして。」

ぼくは惣流から紙袋を受け取り、鞄を持つ手とは逆の手に持つ。

「そっか。そっか。家に帰っても、アタシの顔が見たいのね。」

「え? なに?」

「早くも、だんだんアタシのことが好きになってきたわね。」

「ち、ちが・・・。」

いや、それは違うよ。荷物を持ってあげようとしただけなんだけど・・・。でも、ここ
で『違う』なんて言ったら誤解されそうだから、それならそれでいいやと言葉を止めた。

「かわり、アンタの頂戴よ。」

げっ!
あんな下手なの見せれないってば。

「駄目。駄目。」

「なんでよっ! アタシも、欲しいわ。」

「下手だから・・・。」

「アタシだって、自信ないもん。でもあげたでしょ。おあいこじゃん。はいっ! けってーーっ!」

押し切られてしまった。仕方がない。今度、ぼくの作ったのをあげよう。
はぁ〜。あんまり上手くないから恥かしいな。

「アンタさぁ。テニス部、入んないの?」

「今から入っても、すぐ受験だしさ。それに1年から頑張ってきた人に悪いし・・・。」

「おっ! レギュラーが取れる自信あるってことねっ!」

「だって、ぼく5歳からやってるから。それに、もうテニスはいいんだ。」

「継続は力かぁ。でも残念ねぇ。もうテニスしてるアンタは、見られないのね。」

「クラブに入らなくても、できるし。」

「そうだっ! 今度、教えてよ。ね、いいでしょ?」

「いいけど、ラケットとか持ってる?」

「あるわよ。バドミントンのなら。」

「・・・・・・。」

テニスを一緒にするのは、しばらく先になりそうだ。いや、昔ぼくが使ってたラケット
が何処かにあったような・・・今度探してみよう。

自分から話をするのは苦手だけど、彼女からどんどん喋ってきてくれるから、会話が続
いて楽しい。

惣流の話に相槌をうったりしながら通学路を帰っていると、昨日告白された河川敷の近
くの公園の側までやってきた。

「ねぇ。ちょっと寄ってかない?」

「どうして?」

「どうしてってねぇ。公園くらい散歩したって、バチあたんないじゃん。」

「そうだね。」

でも、公園でなにするんだろう?
滑り台かなぁ?

ぼくは惣流が幼稚園児のように、喜んで笑いながら滑り台を何度も滑っているところを
想像してみた。

それも可愛いなぁ。

馬鹿なことを考えていると、くいくいと惣流がYシャツの袖を引っ張ってきた。

「あっこ座ろ?」

見ると、わき道にベンチが1つポツリとある。ぼくは惣流と一緒に、そのベンチに座る
ことになった。

ん?

ふと気付くと、惣流がびっくりする程身を寄せて、真横に座っているじゃないか。

「くっついてもいい?」

も、もう、くっついてるってばっ!!!

女のコとこんなにくっついて・・・だめだ、汗が出ちゃう。

「う、うん。」

これ以上くっつきようがないじゃないか。ドキドキしながら、とりあえず『うん』って
答えたんだけど・・・惣流はぽてりと頭をぼくの肩に乗せて体重を預けて来た。

わっ! わっ!
まだ、こんな展開が残ってたのかっ!!

ぼくは心臓が飛び出そう。

凭れてきている惣流に視線移すと、ブラウスごしに胸のふくらみが見える。
風が吹く度に綺麗な髪が靡いて、なんかいい香りがする。
くっついている肌から、惣流の温もりが伝わって来る。

わっ、わっ、わっ、ぼくはどうしたらいいんだ。

「学校帰りこの公園見る度にね。こうやってここにアンタと座ってみたいなぁって思っ
  てたの。」

惣流は遠い目で感傷に浸っているみたいだけど、ぼくの心臓はそれどころじゃないんだ
ってば。

惣流って、胸大きいなぁ・・・ち、ちがうっ!
ダメダ、ダメダ、ダメダ。

そんなこと考えちゃ、ダメダ。

女のコの肌って、柔らかいなぁ・・・だから、ダメだってばっ!
わーーー、困った。どうしよう。どうしよう。

だけど・・・。

なにもせず、なにも喋らず、ただベンチに座ってるだけなのに、惣流と座ってるとなん
だか楽しい。

それでも川が流れるように確実に時間は過ぎていき、赤い夕日が西の山に傾く頃、ぼく
達はベンチを立ち公園を出た。

「惣流の家って、この近くなの?」

「ねぇ?シンジ?」

「ん?」

「アタシ達って、限りなく恋人に近い友達なんだからさ、惣流って呼ばれるのって、ち
  ょっとさ。」

「そうなの? ごめん・・・じゃ、ラングレー?」

「アンタバカーーーっ!!!?」

そんな思いっきり、バカって叫ばなくても。名前で呼ぶのって恥かしいから、照れ隠し
につい言っちゃっただけなのに・・・。

「アスカ、よっ! アスカっ!」

「恥かしくって・・・その、慣れてないから。」

「ふーん。じゃ、明日までに、家で1000回『アスカ』って言って慣れて! 宿題だ
  からね。」

「本気?」

「あたりまえでしょっ! 明日、朝迎えに行くから、その時テストするねっ!」

「明日? ぼくを? 迎えに?」

「アンタん家、学校行く通り道なの。だからアタシが迎えに行くわ。それまでにアスカ
  って言えるようになっておくことっ! いいわねっ!」

「わかった・・・。」

そしてぼく達は、ぼくの家の近くで別れた。

昨日は何が自分の身に起こっているのかわからない状態で帰宅したけど、今日は打って
変わって、ぼくの気分は弾みまくり。

帰宅したぼくは、勉強しても楽しい。お風呂に入っても楽しい。

考えることと言えば、何をしたら惣流・・・いや、アスカが喜んでくれるかな? とか、
今度アスカとテニスしたいな。とか、こんどアスカと遊びに行ってみたいな。とか、そ
んなことばかり。

ぼくの顔は寝るまでずっと緩みっぱなしだった。

翌日。

8時前。

ぼくが朝ご飯のパンを食べていると、チャイムが鳴った。

「あら? こんなに早くだれかしら?」

不思議な顔をして母さんが玄関に出て行く。

ウソ!?
こんなに早く来るなんて思ってなかった! ヤバイ!

父さんや母さんにアスカを見られたら、何言われるかわからない。椅子から飛び降りダ
ッシュで玄関に走った・・・だけど・・・母さんすばやい。間に合わなかった。

「あら? あなたは?」

「はじめまして。惣流・アスカ・ラングレーですっ!! シンジくんを迎えに来ました。」

「あら、あら、シンジに女の子の友達ができるなんて。」

「そ、そうなんだ。学校の友達なんだ。ははは。」

せめて友達が、絶対防衛ラインだ。愛想笑いをしつつ、上手く友達ってことで誤魔化そ
うとしたんだけど、そうは問屋がおろしてくれなかった。

「はーいっ! アタシ、シンジ君のっ! 彼女志望の、限りなく彼女に近い友達でーすっ!」

ぐはーーーーっ!
もう駄目だ。
片手をピッと上げて、母さんに宣言してるよ・・・。

こうなったら逃げるしかない。ぼくは、大急ぎで学校の鞄を手に、アスカの背中を押し
て玄関を出て行く。

その時、振り返ったぼくが見たものは、ニヤリと笑みを浮かべてこっちを見ている父さ
ん。とってもイヤな予感がする。

更に、同じようなニヤリとした笑みを浮かべて、こっちを見ている母さん・・・もっと
恐い。

今晩からぼくはきっと、2人の肴にされるんだ・・・。しくしくしく。

その日からというもの、アスカと一緒に登校して、アスカの作ってきてくれるお弁当を
一緒に食べて、一緒に下校して、一緒に宿題をして、一緒に遊びに行って・・・・・・、

そんな毎日を送りながら、あの衝撃の告白から2週間程たったある日・・・。

<学校>

今日もぼくはアスカと並んで学校へ来ていた。いつも元気に横でコロコロ笑っている彼
女を見ているとぼくも嬉しくなってくる。

「アンタ、なんか眠そうよ?」

「うん・・・昨日遅くまでゲームしてて・・・。」

「ふーん。じゃさ、お目覚めのキスしてあげよっか?」

「えっ!?」

「限りなく彼女に近い友達なんだから、それくらいしてもいいでしょ?」

「あ、いや、あの・・・。こ、ここ、学校だし。」

まさかこんな展開になるだなんて、予想もしてなかったから、ぼくは焦りまくってしま
う。キ、キスって・・・そんな・・・あぁ〜。

「何焦ってんのよ。外国じゃキスなんて、当たり前よ?」

「いや、だって、ここは・・・。日本だし・・・。」

「あははは。シンジったら、顔、真っ赤ぁ。ウソよ。ウソ。」

ウ、ウソ?
なにが?

「じゃね。お昼、そっち行くから。」

アスカはいたずらっぽい舌をチロっと出して、バイバイの手を振って自分の教室に入っ
て行く。ぼくはしばらく、顔を熱くしながら廊下に1人立っていた。

昼休み。

屋上のいつもの場所で、2人並んで座ってお弁当を食べる。アスカの作るお弁当はいつ
も可愛らしい。

どうやらタコさんウインナーがお気に入りのようで、今日も鶉卵とキュウリといっしょ
に爪楊枝に刺さって入っている。

「ふぅ。お腹いっぱいだわ。」

満足気な顔でお腹をポンポン叩き、自分の弁当箱をナプキンに包んでいる。こんな小さ
な弁当箱で、本当にお腹がいっぱいになっているのかいつも不思議だ。

「ねぇ。アンタ、なんか忘れてない?」

「忘れてる? 何?」

「顔の彫刻、いつくれんの?」

「あ、あぁ、そうだった。」

「あーー。やっぱ、忘れてたーっ! ずっと待ってたのにぃっ!」

「ごめん。ごめん。」

「今日、持って来て。」

「どこに?」

「アタシんち。」

「アスカの家に? ぼくが行くの?」

「今日、パパもママも夜まで帰って来ないんだ。ね、いいでしょ?」

「うん・・・いいけど。」

家の前まで送って行ったことはあるけど、中に入るのは初めて。それ以前に、女のコの
部屋自体に入るのが始めてのぼくは、今からなんだか緊張してきた。

きっと、ぼくの部屋と違って、かわいい飾りとかあるんだろうな。
なんだかいい香りがしたりして。

「約束よっ。」

「わかった。」

昼休みもそろそろ終わり。ぼくはアスカと放課後の約束をして教室へ戻って行った。

教室に戻ると、まだ休みが5分近く残ってて、クラスのみんなはガヤガヤと話をしてい
た。特にすることもないから、教室の後を回って席につこうとした時。

『まさか、惣流が碇となんてなぁ。びっくりしたよな。』
『外人だから軽いんだよ。誰とでも簡単に付き合って、すぐ捨てるんじゃねーか?』
『碇の奴、遊ばれてるってか?』

ボソボソとそんな言葉が聞こえてきたんだ。もう、ぼくはアスカがバカにされたみたい
で、頭に血が上ちゃって殴り掛かりたい衝動を覚えた。

でも、次の瞬間・・・。

ぼくの頭をよぎる、今朝のアスカのセリフ。

『外国じゃキスなんて、当たり前よ?』

まさか・・・。

振り上げようとした拳に力がなくなり、誰にも気付かれないほど物静かに、ぼくは糸の
切れた操り人形のように席に座った。

外国の人ってそんななのか?
それが当たり前なのか?

そう考えると、あのアスカの積極的な態度といい、強いアプローチの仕方といい、日本
人離れしているかもしれない。

ぼくのこと好きだって言ってたのに・・・。
そんな軽い気持ちだったのか?

飽きたら、ぼくなんか見向きもしなくなるのか?

確かにぼくが、女のコにもてるような魅力のある男だなんて思えない。あんなに可愛い
アスカに好かれているなんてことが、おかしな状況なのかもしれない。

アスカはぼくが思ってる程、ぼくのことなんか好きじゃないんだ・・・。
ただ、暇潰しにぼくと付き合ってるだけなんだ。

考えれば考える程、悪い方へ悪い方へ考えてしまい。いつしかぼくの心は、アスカに捨
てられた時の恐怖から逃げることばかり考えるようになっていた。

知らず知らずのうちに自分で自分を追い込み、心が病んでしまったぼくは、まさか。

まさか今日・・・。

あんな最悪なことをしてしまうなんて・・・。




時は流れ・・・その日の夕方。

ぼくは、アスカの家へ行った。




<アスカの家>

放課後ぼくは、約束通り自分の顔の彫刻を持って、アスカの家へとやって来ていた。

下手なぼくの顔の彫刻を貰い、大事そうに胸に抱いて喜ぶアスカの明るい笑顔とは裏腹
に、ぼくの心は光を失ったドス黒い海のように沈んでいる。

「ここがアタシの部屋なの。ちらかっててごめんね。」

「そんなことないよ。」

義務的に言葉だけ返す。初めての女のコの部屋なのに、昼間感じた程、浮かれるような
気持ちになれない。

「なにか飲み物入れてくるね。紅茶でいい?」

「うん・・・。」

「お砂糖は?」

「うん・・。」

「うんじゃないでしょ? いくつ?」

「あ、うん・・1つで。」

「変なとこ開けちゃダメよっ!」

ピッとぼくのことを指差しニコリと笑うと、アスカは部屋を出て階段をトトトトトと降
りて行く。そんな彼女の微笑みも、疑心暗鬼に掛かったぼくにはあまり輝いては見えず・・・。

「はぁ〜。」

溜息が毀れる。

いったい、ぼくはどうすればいいんだろう?
彼女の本心はどうなんだろう?

絨毯の上に座りぐるりと部屋を見渡す。全体的に淡い赤で統一された部屋。綺麗に整頓
された本棚。整えられたベッド。ぬいぐるみが少しと、ガラス細工のような小物の飾り
がたくさん。

そんなあっさりと整った部屋の中、本棚に納められている行く種類もの本の中の1つに、
ぼくの目は止まった。

                        ”Diary”

日記・・・。

日記だ。

あれを読めば。
あれに彼女の本心が・・・。

腰を上げ手を伸ばそうとするぼく。

罪悪感がその前に立ちはだかる。

止まる手。

奥歯を食い縛る。




読みたい。




今なら、彼女はいない。

まだ上がって来る気配もない。

だけど、日記を読むなんて・・・。

それが、どんなに人間として悪いことなのかくらい、ぼくでもわかる。

伸ばした手を引き戻す。

やめよう。

やめるんだ。

そして、ぼくは・・・。




次の瞬間。

日記をその手に取ってしまっていた。




その日記は、去年のゴールデンウィークの後くらいから、つけられていた。

丁度ぼくが、1年でテニスのレギュラーになった後あたりから。

”今日から日記をつけようと思う。

  最近、気になるヤツがいる。こんな気持ちは初めてだ。
  中学生になった今のアタシの気持ちを、この日記に綴っていこうと思う。”

日記はそこから始まっていた。

ぼくのことが書かれているところだけを、飛ばし飛ばし読もうとページを捲ろうとした。

だが・・・その日記には・・・。

毎日、毎日、ぼくのことが・・・。

まだ話もしたことのないぼくへの想いが、途切れることなく。

彼女のひたむきな心が。
彼女の純粋な想いが。

そして、ぼくと知り合った後の、溢れんばかりの彼女の喜び。

初めてぼくを見た頃から、昨日の夜まで、1日も休むことなく綴られていた。

ぼくは、日記を読むことに没頭した・・・読めば読む程、ぼくへ向けられる想いに対し
て喜びを感じるより、彼女を信じてあげられなかったことへの後悔ばかりが膨らんで・・・。

その時。

トトトトト。

階段を上がってくる足音。

ぼくはビクリと背筋を強張らせ、慌ててその日記を元あった本棚に戻し、何ごとも無か
ったかのように、元いた場所に腰を下ろす。

扉が開き、お盆に紅茶とお菓子を乗せた彼女が部屋に入ってくる。

「むーー? なんか、いけないもの見てたでしょーーっ?」

ギク!!!

な、な、なんでわかったんだっ!!!?

真っ青になるぼく。

だけど、アスカはコロコロと笑って、ぼくの前に腰を下ろす。

「ウソウソ。シンジが下着なんて盗まないもんね。」

「あ、あたりまえじゃないか。」

そ、そういうことか・・・。
ほっ、助かった。

「これ、新発売のチョコ。こないだみつけたの。食べよ。」

「そうなんだ・・・。」

ぼくのことを本当に好きでいてくれる。純粋なアスカの瞳を、ぼくは知らず知らずのう
ちに見詰めてしまう。

「ん? なに?」

見詰められて、照れくさそうに見返してくるアスカの青く澄んだ瞳。その瞳にうつるぼ
くの姿は・・・。

歪んで見えた。

どうして、彼女を信じてあげられなかったんだろう・・・。
どうして、日記なんか見てしまったんだろう。

ぼくは・・・ぼくは・・・。

アスカは日記を見られたことに気付いていない。もしそのことを、知ってしまったらぼく
のことなんか軽蔑し、愛想をつかすだろう。

そんなのイヤだ。
せっかくアスカの気持ちがわかったんだ。
今更そんなこと・・・。

「なんで、食べないの? チョコおいしいよ?」

「うん・・・。」

「ほらほら、紅茶、冷めちゃうじゃない。」

「うん・・・。」

「どうしたの?」

ばれないよな。
ずっと、このままばれないよな・・・。

「どうしちゃったのよ? 黙りこんじゃって。」

「あの・・・。」

「なに? なんか、変よ?」

だけど、なぜかぼくは、大声で叫んでしまった。

「ごめんっ!!!!」

突然、両手を床について謝り出したぼくを、アスカは目を大きく見開いて唖然として見
守るばかり。

「ど、どうしたの? よ?」

「見ちゃったんだ。」

「え!? やっぱり、下着・・・。」

「ち、ちがう・・・その。」

「え? 何? なんなのよ?」

「その・・・君の日記を見ちゃったんだっ!!!」

なんでこんなことを言っちゃったんだろう。もうダメだ。すべてが終わってしまった。

「えっ!? えーーーーーっ! ウソーーーーっ!!」

「ごめんっ!!!」

「な、なんで見んのよっ!!」

怒ってる。そりゃそうだろう。ぼくは、ひたすら頭を床にこすりつけたまま、謝ること
しかできない。

「ごめんっ!」

「ヤ、ヤダーーっ!! 全部? 全部見たのっ?」

「飛ばし飛ばしだけど・・・ごめんっ!!!!」

「ひどっ! ひどーーーいっ!!!」

ぼくを罵るアスカ。仕方がない。彼女を裏切ったのはぼくだ。人としてやっちゃいけな
いことをしたのはぼくだ。彼女を信じてあげられなかったぼくが招いた結末なんだ。

「ごめんっ! ぼくは、アスカのことを信じてあげれなかったんだっ! ぼくは・・・」

ぼくは、自分の情けなさと、今日アスカに対して思ってしまったことを全て薄情し、何
度も何度も謝った。許してくれないことがわかっていても。

アスカは何も言わず、自分の日記を胸に抱いてぼくの言葉を聞いていた。その目は明ら
かに怒っている。

もう全てが終わった。

ぼくは最後に『本当にごめん!』と謝って、この家を出て行こうと立ち上がった。

「これは、厳罰ねっ!」

「うっ・・・」

そりゃそうだろう。このまま何ごともなく帰ろうなんて考えたぼくが甘かった。もうな
んでも罰は受けよう。せめてそれくらいは・・・。

「ったく。恥かしいったら、ありゃしないわよっ!」

「ごめんっ!」

「バツよっ!」

「うん。」

「どんなバツでも受けるわねっ!」

「うん。わかってる。」

「じゃぁ・・・。」

ゴクリと生唾を飲み込んで、判決を待つ犯罪者の気持ちで次のアスカの言葉を待つ。

「アタシの前で、声に出して、全部この日記読んでっ!」

「えっ?」

ビンタの10発くらい覚悟していたぼくは、一瞬アスカが何を言っているのかわからな
かったけど、言葉の意味を理解し更にパニック状態は高まった。

「えーーーーっ!!!」

「全部読み終わったら、感想を聞かせてっ! それで許したげるっ!」

「な、な、なんで・・・。」

「なにっ!? やるのっ!? やらないのっ!!!」

「わ、わかった・・・。やるよ。」

その日記をアスカがぼくの胸にドンと押し付けてくる。ぼくは、恐ろしる恐ろしるその
日記を開いて読み始める。

ぼくにできる限り罪を償うつもりで、一言一言丁寧に。

だけど、それは・・・。

もう・・・、ほんとに・・・、下手な恋愛物のマンガや小説なんて比べ物にならないほ
ど恥かしく。

ぼくもそうだけど、聞いているアスカも、この上ないくらい顔を真っ赤にしながら、日
記の朗読会は何時間も続いた。

その間、アスカは一言も口を開かず、こっちに目を上げることもなく、顔を赤くしたま
まひたすら俯き続け。

ぼくの顔は、お湯が沸く程熱が出たんじゃないかって思うくらい、熱くなってしまい。

この1年と少しのアスカの想いを読み上げた。

そして・・・昨日の日記が読み終わり、全てが終わり。

しばらくの沈黙。

どちらもすぐには口を開かなかった。

「も、もう・・・」

上擦った声が部屋の沈黙を破り、アスカが途切れ途切れの言葉を搾り出す。

「もうアタシに隠すものなんてなにもないわっ! 全部アンタに見せたのっ!」

「うん。」

「だから、アンタの本心聞かせてっ! アタシの気持ちを聞いて、どう思ったっ!?」

「・・・・・・。」

「はっきりしてっ!!!」

「・・・・・・。」

「もう『限りなく恋人に近い』なんてつけるのイヤなのっ! 友達はイヤなのよっ!」

「こんなぼくでいいの? 日記を勝手に・・・」

「そんなこと聞いてないっ!! アンタの気持ちを聞いてんのっ!!」

「・・・・・・。」

「アンタがアタシのこと、どう思ってるか教えてっ!!」

「ぼくは・・・。」

ぼくが声を絞り出すと、黙ったままアスカが見詰めてくる。もう、日記を見てしまった
ぼくを許してくれるのかとか、こんなぼくでいいのかとか、そんなことは後の話だ。

今は・・・。

素直にぼくの気持ちを言おう。今のアスカへの想いを言おう。結果がどうなるかは、そ
の次だ。

それでいい。そう、ぼくは思った。

「ぼくは・・・アスカが好きだっ!」

「うっ!」

アスカの瞳から一粒の涙が流れた。いつも明るく何があっても泣く所なんて想像できな
かったアスカの青い瞳から。

「ありがと・・・・。」

ぼくの胸に顔をうずめ、抱きついて来るアスカ。

ぼくはどうしていいのかわからず、両手をだらりと垂らしたまま、ただその場に呆然と
立ち尽くす。

「バカね。アンタ。」

「ごめん。勝手に見ちゃって。」

「そうじゃなくてさ。黙ってたら、わかんないのに。」

「何度もそうしようと思ってたはずなのに、言ちゃったんだ。なんでだろう。」

「だから、バカなのよ。」

棒立ちするぼくの胸に顔を埋めて抱きついたまま、アスカは両腕の袖をぎゅーっと握り
締めてくる。

「黙ってたら、わかんないのにさ。」

「それは・・・。やっぱり。・・・。」

「どうっ? 日記、全部読んで、アタシの気持ちわかった?」

「うん。」

「一生懸命『限りなく恋人に近い』で『友達』を修飾してた、アタシの気持ち・・・。」

「ごめん。」

こんなにぼくのことを想ってくれてるのに、今までわからなかったぼくは・・・。ほん
とにバカだ。

「ありがと。」

ぼくの胸に顔を埋めていた彼女は、潤んだ瞳を上げ、そっとそう呟いた。

「アンタは、アタシの気持ちを大事にしてくれてたのよ。」

「いや、そんなんじゃ。」

「ううん。見も知らぬコから告白されて、すぐ返事ができたらおかしいもんね。」

「でもぼくは・・・いや、そ、そうだけど。」

ぼくはそんなこと考えたわけじゃなかったはずなんだけど、今から思い返すとあの告白
の時、すぐに返事をしちゃいけない気がしたのは・・・もしかしたら・・・。

「ちゃんと、アタシの中身を見ようとしてくれた。でも、それを日記で見たのはダメだ
  けどさ。」

「ほんと・・・ごめん。」

「それも、正直に言ってくれたから、許しちゃうっ! そうだ、どうせ見られたんだし、
  これ交換日記にしようかっ!?」

「えーーーっ! そんなの恥かしいよっ!」

「人の日記見といて、そんなこと言えると思ってんのっ?」

「う・・・。」

だめだ。それを言われたらもう逃げる術はない。その日からぼく達は、彼女の言うとお
り交換日記を始めることになった。

<学校>

ぼく達が付き合い始めて一ヶ月が経った。別に声を上げて公表したわけじゃないけど、
ぼく達の仲は学校公認のカップルになっている。

そりゃ、毎日一緒に登下校してるし、毎日彼女がお弁当作ってきてくれてたら、口に出
さなくても知れ渡るよね。

そして、今日も昼休み。

チャイムの音が鳴ると、すぐにカシャカシャと音を立て、お弁当を2つ持って走ってく
るアスカの足音が聞こえて来る。

「シンジぃぃ。今日はシンジの好きな、唐揚げ作って来たのっ! 一緒に食べよっ!」

「唐揚げ? やったぁ。」

「愛情たっぷりラブラブ唐揚げよっ!」

だから、そういう形容詞はつけなくていいんだってば。
みんな見てるじゃないか・・・。

もちろんあれ以来、交換日記も続いてるけど、こっちは学校のみんなには秘密。いくら
なんでも恥かしい。

今日はぼくの番。何度書いても、こういうのって恥かしいけど、本心から書かないとア
スカが怒るから、ちゃんと思ったことを正直に書いてる。

本心を書いちゃうから、たまにそのことで喧嘩になったりするけど、それでもぼく達の
間に着飾る気持ちはもうないから・・・。

「はい。書いてきたよ。」

「ふむふむ。なになに・・・な、なんですってーーーっ!!」

今日のぼくの日記を見て、やっぱり彼女は怒ってしまった。突然自分のお弁当を片手に、
くるりとぼくに背中を向けてあらぬ方向を向いている。

「昨日、あんなに一生懸命、お弁当作ったのにっ!」

「ごめん・・・。」

「今日も頑張ったんだから、ちゃんと味わって食べてよねっ!!」

「でもさ・・・。」

「アタシ、今日はシンジの顔見ないぃーだっ!!!」

昨日、ぼくが、ちゃんとアスカのお弁当を味わって食べなかったと日記に書いたのが、
やっぱり気に入らないようだ。

でもさ。ぼくは昨日のお昼の気持ちを正直に書いただけなんだ。こんな風に・・・。

”
  今日は、アスカがいつもより気合を入れてお弁当を作ったみたいで、
  お弁当を食べてる間、ぼくの表情が気になるのか、ずっと顔を覗き込んで来た。

  そんなアスカがあまりに可愛いくて、ずっと顔ばかり見てたから・・・。
  いったい何を食べたのか覚えてない。

  ごめん・・・アスカ。
”

「顔見せないから、ちゃんと、味わって食べてよねっ!」

アスカはぼくに顔を見せないように後を向いてお弁当を食べている。その様子をちらり
と覗くと、ぼくの日記をコソコソ何度も読み返して、顔を真っ赤にしている。

やっぱり、今日も、ご飯の味がわからないかも。

だって、そんなアスカがあまりにも可愛くて。

ぼくの目はずっと・・・。


大好きなアスカしか見ていることができなかったから。

fin.
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