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月夜の山で2人ぼっち
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<登山口>

秋と言えばスポーツに紅葉。今日シンジは、アスカに誘われて二子山のハイキングコー
スを山登りをしていた。

「ねぇ、アスカぁ。ロープウェイ使おうよ。」

「何言ってんのよ。ロープウェイなんか使ったら登山にならないでしょうが!」

「もう、疲れたよ。」

まだ登り始めて間も無いというのに、早くも情けないことを言い出すシンジを引っ張り、
アスカは雲1つ無いお天道様の光の下、意気揚揚と山を登って行く。

「ほらぁ、情けないこと言わないの。もうちょっと行ったら休憩所があるから、がんば
  んなさいよ。」

地図を見ながら、シンジを連れて休憩所へ向かう。元々この山登りにシンジは乗り気で
はなかったのだが、アスカに押し切られたのだ。

「だいたい、なんで山なんか登るのさ。」

「そりゃぁ、折角日本にも四季が戻って来たんだから、秋といえば紅葉を見なくちゃ。
  アンタも間近で見た事無いんでしょ?」

「それなら、ロープウェイで登っても同じじゃないかぁ。」

「はぁ・・・まったく・・・。」

アスカの思惑は、早くも瓦解していた。本当は、自分が引っ張って貰いながら誰も居な
い山でシンジに甘えようという計画だったのだ。

「ほら、あそこが休憩所よ。もうちょっとがんばんなさいよ。」

「うん。」

アスカに手を引かれながら、なんとかかんとか休憩所に辿り着いたシンジは、ベンチに
どっかと腰を下ろした。

<休憩所>

この休憩所は最も登山口に近い所にある為、下山の時には土産を買う人で賑わうが、登
りの時にはほとんどの人が利用しない。

「なによ、そのなっさけない格好は。見てみなさいよ。誰もこんな所で休憩なんかしな
  いでどんどん登って行くじゃない。」

「そんなこと言ったって、しんどいものは仕方無いだろ。」

「はぁ、シンジに期待したアタシがバカだったわ・・・。」

「なんだよそれ。」

「なんでもないわよ。あ! カメラ売ってるじゃない。買って行きましょ。」

「うん・・・。」

シンジはカメラのことなどどうでもいいようで、休憩所にある売店で買ったスポーツド
リンクを、ぐびぐびと飲んでいた。

「使い捨てカメラ買ってきたわよ。そうだ、早速誰かに撮ってもらいましょうよ。」

「うん、撮ってもらったら?」

我関せずといった顔で、スポーツドリンクに集中するシンジ。

「アンタも! 一緒に撮るのよ!」

腰に根が生えたシンジを立ち上がらせると、休憩所の前を登っていく登山客に撮影をお
願いする。

「じゃぁ、撮りますよ。」

「はーーい。お願いしまーす。」

そう言いながら、横に並ぶシンジを見るとダラーーっとしている。

「ほら、もっと、しゃきっとしなさいよ! しゃきっと!」

シンジの尻を叩いて背筋を伸ばさせると、カメラ目線でニコっとするアスカ。

「ハイ、チーズ。」

カメラのフラッシュが光った瞬間だけ、アスカはぴとっとシンジに寄り添い腕がからま
っていた。一方シンジは、フラッシュが光った直後にはダラーっとしていた。

「これでいいですか?」

「ありがとう。」

登山客からカメラを受け取り、再び山を登り始める。

<登山道>

「ほら! あそこの紅葉綺麗よ!」

「そうだね・・・。」

登る・・・登る・・・登る。

「わぁ見て! 小さくてかわいい滝よ!」

「そうだね・・・。」

登る・・・登る・・・登る。

「あ、あの木の上で動いたのリスじゃない?」

「そうだね・・・。」

「アンタねぇ!! もうちょっと楽しそうにできないの!? 折角2人で山登りに来てる
  んだから、もっとこう・・・あるでしょうが!!」

「だって・・・もう、疲れたよ・・・。」

「はぁ・・・じゃ、あそこの木陰で休みましょうか。」

登山道から5メートルほど茂みに入った所に、周りを岩で囲まれている草の生えてない
2m四方くらいの良い場所があった。

「それがいいよ。うん、あそこならゆっくり座れそうだし。」

休憩という言葉を聞いた途端元気が出たシンジは、アスカを引っ張って茂みの中へ入っ
て行く。

「ふぅ・・・やっと休憩できたよ。」

「さっき休憩したとこじゃないの。」

シンジはもう一歩もここから動きたくないという感じだったが、アスカがだんだんとイ
ライラしてくる。

「そろそろ行くわよ。」

「えーー、もう行くの?」

「あったりまえでしょうが。こんな所でぐずぐずしてたら山頂についたら夕暮れになっ
  ちゃうでしょ。」

「はぁ・・・わかったよ・・・。」

<山頂>

それから、何度も休憩を取りながら2人が山頂に辿り着いたのは3時過ぎだった。山頂
ではちらほらと帰る準備をしている人すら見受けられる。

「ほら、見てごらんなさい。こんな時間になっちゃったじゃないのよ!」

「お腹空いたよ。ご飯にしようよ。」

「アタシだってペコペコよ! 誰のせいだと思ってるのよっ!」

もう周りには、酒盛りをやっているおじさん連中はいるものの、昼食など食べている人
は誰もいない。そんな中、お弁当を広げ始める。

「ふー、運動した後のご飯は美味しいね。」

「よく言うわよ。ひーひー言ってたくせに。」

「それでも、ここまで登って来たことには代わり無いだろ。」

「ま、そうだけどねぇ。」

お弁当は学校に持って行っている弁当箱では無く、1つの大きなバスケットにおにぎり
やウインナー,唐揚げなどを詰め込んできた物だ。

「でも、本当こういう所で綺麗な景色に囲まれて食べるご飯って美味しいわよねぇ。」

「あれだけ運動したら、そりゃ美味しいよ。」

周りの景色など見向きもせず、シンジはひたすら無造作にパクパクとおにぎりを食べて
いる。

「アンタねぇ・・・。」

もう、山登りはやめておこうと思うアスカだった。

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2人は弁当を食べた後、しばらくの間山頂で日の光に照らされ赤く輝く紅葉を見たり、
遠く見渡せる第3新東京市の景色を展望台から見たりして楽しんでいた。

「ねぇ、シンジ。あの人、腰に何ぶら下げてるのかしら?」

第3新東京市の景色を見終わり展望台から下りるアスカは、すれ違う男性の腰にぶら下
げられている網の袋に目が向いた。

「椎茸? なんで、椎茸なんか・・・?」

「違うよ。松茸刈りでもしてきた人じゃないかな。確か、この近くに松茸が生えている
  はずだから。」

「松茸って、高いんでしょ? アタシ、日本に来てから、まだ食べたこと無いわ。」

「そうだね。また今度ミサトさんにお願いして買って貰おうか。」

「ダメダメ。ミサトの給料なんて、ぜーーんぶ酒代に消えてるわよ。それより、あまり
  遅くなると暗くなるから、そろそろ下りましょうか。」

「下りは楽でいいよ。」

「バカねぇ。下りがしんどいんじゃない。」

「登りの方がしんどいに決まってるだろ。」

「まぁ、それならいいけどぉーー? 下りてみたらわかるわ。」

あまり長い時間山頂で遊ぶことはできなかったが、日が暮れては大変なので下山するこ
とにした。

「じゃ、しゅっぱーつ!」

下山を開始すると最初はそうでもなかったが、アスカがいくら注意してもつま先から歩
くシンジはすぐに足が痛くなってきた。

「アスカぁ、足が痛いよ・・・。」

「だから、あれほど言ったでしょうが! かかとから歩きなさいって。」

「だって、こっちの方が楽だったんだよ。」

「何言ってるのよ! そのせいで足が痛くなってるんでしょう? ちょっと靴脱いで、見
  せてごらんなさいよ。」

「うん・・・。」

道の横にある岩に腰を降ろし靴と靴下を脱いでみると、みごとに靴擦れが何カ所にもで
きていた。

「あっちゃーー。こりゃ痛いわ。」

「どうしよう・・・。」

「どうしようも、こうしようも無いわよ。歩いて下りるしか無いんだから、がんばって
  歩きなさい。帰ったら薬塗ってあげるから。」

「うん・・・。」

アスカに言われる様にかかとから足をおろして、シンジはがんばって歩いていた。する
と、前を歩いていたアスカが、突然茂みの中を覗き込む。

「シンジ! シンジ!」

「どうしたの?」

「あれ! 松茸じゃない?」

「松茸なんてどうでもいいよ。早く山を下りようよ。」

「どうでもよく無いわよ。ほら、ちょっと手を伸ばしたら取れそうじゃない。」

「危ないよ! やめときなよ。」

「いいからいいから。今日はあの有名な松茸ご飯よ!!」

松茸は登山道から少し外れたところの木の根っこに生えており、手を伸ばせば届きそう
である。

「うーーーーん。」

しかし、思ったより下の方に生えているので、がんばって手を伸ばすが後少しというと
ころで届かなかった。

「ちょっと下りて取ってくるわ!」

「もういいじゃないか。危ないよ。」

「松茸ご飯が食べたく無いの? このアタシに任せなさいって!」

心配そうにするシンジに見守られながら、木の枝に捕まりゆっくりと落ち葉を踏みしめ
急な傾斜を下って行く。

「ほら、楽勝じゃん!」

ぶら下がる形で木の枝に左手を引っ掛け自分の体を支えながら、足をトントンと踏み鳴
らし足場を固め、いよいよ右手を松茸の方へぐいっと伸ばす。

プチッ。

1つ目の松茸ゲット。

「見て見て!! 松茸よ!! 本物の松茸よ!!」

「わかったから、早く戻って来てよ。」

肝を冷やしながらアスカを見ているシンジは、松茸などどうでもいいからとにかく無事
に上がって来てくれることだけを祈っていた。

ブチッ!

2つ目の松茸ゲット!

「シンジ! これで2人分よー!! しゃーないから、ミサトの分も取って帰ってあげよ
  うかしらぁ。」

上機嫌で3つ目に手を伸ばすアスカ。

バキッ。

「きゃっ!」

足下の木の枝が折れ、フラっと体が不安定になる。

「アスカっ!!!!」

アスカは、あわてて両手でぶら下がっていた木の枝に捕まり体制を整えるが、よほど驚
いたのだろう顔が真っ青である。そんな様子を見ていたシンジも、心臓が飛び出る思い
だった。

「ふぅぅぅ・・・・大丈夫??」

「へっ・・・へっ・・・平気よ!! このアタシがそんなヘマするわけないでしょ!!
  ほ、ほら、松茸だってちゃーんと持ってるんだから。」

木にしがみついている両手のうち、松茸を持っている右手をシンジに見せて強がってみ
せるものの、心臓はバコバコと音を出さんばかりに唸っていた。

「で、でも・・・もう、ミサトのは無しね。そろそろ上がるわ。」

「それがいいよ。早く上がっておいでよ。」

ようやく登山道へ戻ろうと、アスカがその木の枝に体重を預けた瞬間。

バキッ。

「キャーーーーーーーー!!!」

「アスカ!!!」

次の瞬間、シンジはアスカに向かって飛び込んでいた。きつい傾斜を転がり落ちて行く
中、シンジはアスカの頭を必死で胸の中に抱きかかえる。

ドカッ。

何かがシンジの背中にぶつかる。

バンッ。

アスカと一緒に体ごと跳ね飛ばされる。

それでも、アスカだけは離してたまるかと、持てるありったけの力を込めてアスカを抱
きしめながら、シンジはアスカと共に転がり落ちて行った。

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<森林>

「アスカ!? アスカ!?」

どれだけ落ちたのだろうか、ようやく落下が止まった時にはアスカは気絶していた。目
を開けないアスカが心配で体を揺する。

「起きてよ! アスカ!」

「ん・・・シ、シンジ? イタッ!」

アスカが目を開いたのでひとまず安心するが、ふと足を見るとかなりひどい怪我をして
おり、太股から血が流れ出していた。

「あっ! ちょっと待って。ハンカチで止血しよう。」

「うん・・・。」

シンジは、ハンカチを取り出しアスカの太股に巻き付けようとする。

「ア・・・ア、アンタ!! 何よこれっ!!」

ハンカチを巻き付ける為に覆い被さる格好になったシンジの背中を見たアスカは、あま
りの怪我のひどさに自分の目を疑った。

「ちょっと、じっとしてて。」

「アンタバカぁ!? 人の心配する前に、自分の心配しなさいよ!!」

アスカの下になり抱きかかえていたシンジは、2倍の体重で落ちていったようなものだ。
ただで済むはずが無い。

「大丈夫だよ。幸い出血は少なかったし。」

「出血が少なくたって、アンタの背中ボロボロじゃない!!」

「それより早く降りないと、もうすぐ真っ暗になっちゃうよ。」

シンジの怪我も心配だが、こんなところでぐずぐずしているわけにもいかないことくら
いは、アスカにもわかっている。

「わかったわ。その代わり、帰ったらちゃんと手当するのよ!」

「うん。そうするよ。」

そう言いながらもシンジは、アスカの足にハンカチを結びつけていく。

「さぁ、終わったよ。立てる?」

「立てるに決まって・・・っつ・・・るでしょ! さっさと行くわよ!!」

アスカが立ち上がって歩き出したので、シンジもそれに続いて歩き出した。夕暮れが間
近である為、一刻も早く登山道を見つけなければならない。

「あの上から落ちてきたから、こっちへ進めば登山道に出ると思うよ。」

「そうね・・・。」

落ちてきた斜面を逆に登れば登山道に出ることは間違い無いが、さすがに上れる角度で
は無いので、登山道と平行して進んで行くことにする。

「まずいよ・・・日が暮れてきた。急ごう!」

「えっ・・・ええ・・・。」

シンジは歩みを早めるが、それにアスカがついてこれずにどんどんと遅れていく。どう
したのかと、シンジが振り返るとアスカの額には脂汗が浮かび上がっていた。

「アスカ・・・。」

「何よ・・・。」

じとっとシンジを睨み付けるが、その顔は苦痛に歪んでいる。

「もぅ・・・無理しちゃダメじゃないか。ほら。」

傷だらけの背中を向け、アスカの前に座り込むシンジ。

「アンタが、そんな傷だらけで歩いてるのに、そんなことできるわけないでしょ!」

「アスカっ!!!」

首だけ振り返り、シンジが突然大きな声を出したので、ビクッとアスカは身構えてしま
ったが、すぐにシンジの顔はいつもの優しい笑顔に戻った。

「お願いだから。ねっ。」

「アンタ・・・・・・。」

それ以上アスカも何も言わず、素直にシンジの背中に体重を預ける。2人が背負ってい
たリュックサックは、わずかに残ったお菓子と貴重品だけポケットに入れ、ここに捨て
て行くことにした。

「さぁ、行くよ。」

「うん・・・。」

アスカはシンジの背中に頬を当て、その温もりを感じながらぎゅっとシンジの首に両手
を回して抱きついた。

「ねぇ、シンジ?」

「ん?」

「シンジの言うこと聞かないで、こんなことになっちゃってごめんね。」

「そんなこと、もういいよ。」

「ねぇ、シンジ?」

「ん?」

「月が出てきたわよ。」

「そうだね。急がないといけないね。」

「ねぇ、シンジ?」

「ん?」

「いざとなると、頼もしいね。」

「そうかな?」

「ねぇ、シンジ?」

「ん?」

「2人だけだね。」

「そうだね。さみしい?」

「ううん。」

シンジはアスカを背負い、登山道に出られることを信じて道無き道を歩いて行く。

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もう既にかなり長い時間を歩いているが、まだ登山道は見えてこない。見当違いな方向
に進んでいるのでは無いか? 同じ所をぐるぐる回っているのでは無いか? とだんだん
不安になってくる。

「もう真っ暗よ。」

「うん・・・。」

「これ以上進んだら危ないわよ。」

「でも・・・このままじゃ・・・。」

「いいじゃない。野宿しちゃいましょうよ。キャンプみたいでたまにはいいかもよ。」

こんな所でアスカを寝かせるわけにはいかないという思いから、シンジは必死に歩き続
けていたが、ボロボロの体でアスカをおんぶしてきた為、既に限界を越えていた。

「でも・・・。」

「そのかわり、変なことしないでよ!」

「す、するわけないだろ!」

「じゃ、いいじゃん。」

実際、既に1歩踏み出すことすらままならない状態になっていたシンジは、アスカの説
得に応じて野宿することにした。

「あそこで野宿しましょ!」

少し先にぼんやりと月明かりに映し出された、周りを岩で囲まれている草の生えてない
2m四方くらいの良い場所があった。

「そうだね。」

シンジは岩の間に入り込むと、背中からアスカを下ろして腰を落ち着かせた。

「重かったでしょ?」

「そんなこと無いよ・・・ハハ・・・。」

「もうちょっと、ダイエットしなくちゃいけないんだけどねぇ。」

「そうかな? アスカには必要無いと思うけど。」

「ファーストなんか、めちゃくちゃ細いんだから。負けてられないわ。」

「綾波は特別だよ。」

「あっ! そうだ。」

アスカは、ポケットをゴソゴソ漁って、先ほど詰め込んだお菓子を取り出し始める。そ
んな様子を見たシンジも、自分のポケットからお菓子を取り出した。

「これっぽっちだけど、無いよりはましよね。」

「あの、アスカ? これ・・・。」

「ストーーーープ!」

シンジが何かを言いかけた時、その言葉をアスカが即座に遮る。

「アタシは、さっきも言った様にダイエットしなくちゃいけないから、これはみんなア
  ンタが食べるのよ!」

「えっ! そんなのダメだよ!」

「アタシに太れってーーーの!? アンタはぁ!! ひっどいこと言うわねぇーー!!」

「そうじゃないけど・・・これくらいで、太ったりしないよ。」

「太るわよ! だから、アンタが全部食べなさい!」

「そんなことできるわけないだろ!?」

アスカはそれ以上何も言わず、お菓子を両手で差し出したまま、一歩も譲らない構えで
じっとシンジを見つめる。

「わかったよ・・・。ありがとう、実はおなかぺこぺこなんだ。」

シンジは観念し、アスカのお菓子を受け取るとぺこぺこのお腹に入れていった。それは、
空腹を満たすにはあまりにも少ない物だったが、胸をいっぱいにするには、ありあまる
お菓子だった。

「ねぇ、シンジ。もし・・・このまま一生この山から出られなかったらどうする?」

「そんなわけ無いだろ。出られるよ。」

「もしよ。もし出られなかったら・・・。」

「そうだなぁ。まずは家を作るだろうな。」

「それじゃ、アタシは洋服ね。こんなボロボロの服なんてずっと着てられないもの。」

「でも、どうやって? 葉っぱしか無いよ?」

「それは・・・シンジがイノシシでも刈って来るのよ。」

ガサッ。

その時、茂みの中で何かが動く音がした。

「何?」

咄嗟にアスカはシンジの片腕に抱きつき、暗闇の中に目を凝らすと何かが動いているの
がわかる。

「何かいるわよ。」

「うん・・・。」

シンジが、アスカを守らんと一歩前に踏み出た時、闇の中から月明かりに照らされた巨
大なイノシシが顔を出した。

「イ、イノシシ・・・。」

あんなに大きなイノシシに襲われては、ただでは済まないだろう。アスカは、顔を恐怖
に引きつらせながら、シンジの背中にしがみつく。

ザッザッ。

足で地面を掻きながら、戦闘態勢をとった巨大なイノシシがシンジ達目掛けて今にも襲
いかかろうとしている。

「シンジっ!」

逃げ場の無いこの状況に、アスカはどうすることもできず、ただシンジにしがみついて
いた。

「シンジっ!」

「・・・・・・・・・・・・。」

シンジは、じっとイノシシを見つめたまま何も答えない。ただ、無言で何かを考えてい
る様だ。

ザッ。

イノシシの体制が低くなり、今にも飛びかかろうという体制に入った時。

「アスカ! カメラ!」

「えっ!?」

「早く!!」

リュックを捨てた時にも、大事な写真が入っているこのカメラだけは胸ポケットに入れ
ておいたのだ。アスカは、あわてて今日買ったカメラをシンジに手渡す。

パシャっ! パシャっ! パシャっ! パシャっ!・・・

フィルムが切れても、シンジはカメラを持った手を前に突き出し、イノシシに向かって
シャッターを押し続けた。

パシャっ! パシャっ! パシャっ! パシャっ!・・・

ブーーーー。

その強烈な光に驚いたイノシシは、シンジ達から逃げる様にあらぬ方向へ走り去って行
く。アスカは、そんな様子をシンジの背中にしがみついたまま、じっと見ていた。

「ほら、もう大丈夫だよ。」

「え・・・うん。」

しかし、アスカはシンジの背中から離れようとはしない。

「もう大丈夫だって。」

シンジがアスカの頭をなでながら、ゆっくりと腰を下ろすとアスカもそれに伴って一緒
に腰を下ろした。

「どうしたの?」

「しばらく、こうしていたいの・・・・・・・・・・ダメ?」

「えっ・・・べつにいいけど。」

「背中の傷・・・痛まない?」

シンジの背中の傷に指をなぞらせながら、心配そうに聞く。

「うん、ずっとアスカが背中にいてくれたからかな。もう痛くないよ。」

「そう・・・じゃ・・・。」

座るシンジの背中を包み込むアスカ。早く治れと祈りながら。

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                        :
                        :

「ふぁぁぁ。」

しばらく、背中にアスカの温もりを感じていたシンジだったが、さすがに疲れたのだろ
う。睡魔に襲われ始める。

「シンジ、眠いの?」

「うん、ちょっと。」

「じゃ、寝ましょうか。」

「そうだね。」

シンジが横になったので、アスカもシンジの腕に絡みついて寄り添う様に横になる。

「月が綺麗ね。」

しかし、シンジからは返事は返ってこなかった。アスカは、シンジの寝顔を見ながらこ
のままずっと2人っきりでもいいなと思う。

明日もがんばろうね。アタシ、この先どんな道でもずっとシンジについて行くから・・・。

しばらくシンジを見つめていたブルーの瞳も、いつの間にか閉じられていた。シンジに
寄り添う様に眠るアスカ。そんな2人を、山の上に輝く月の明かりが今夜一晩照らし続
けた。

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                        :
                        :

翌朝、またこの山に登山客がたくさん登ってきた。そんな登山客の何人もが、登山道か
ら5メートルほど茂みに入った所に、周りを岩で囲まれている草の生えてない2m四方
くらいの場所で、体を寄り添って眠る天使の寝顔を見たと言う。

fin.
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