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FACE −シンジ着物を買わされる編−
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作者注:あまり江戸時代の用語について詳しくないので、現代用語との入り乱れおよび
        間違った利用方法。ご容赦下さい。
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<劇場>

チャンチャンチャン。

江戸の町に建つ人気劇場。そこの売れっ子であるアスカは、今日も舞台の上で舞や三味
線を披露していた。

「いよっ! アスカ嬢っ! 日本一っ!」

客席から、アスカに声援の声が飛ぶ。そんな中、町役人であるシンジも、アスカの舞を
見ていた。人柄が良く、仏の顔のシンジと呼ばれている。

アスカ、衣装変えたんだ。
今度の衣装も、アスカらしくていいな。

何度衣装を変えてもアスカは、真紅の衣装しか着ることがない。それゆえ、世間の人々
は真紅の踊り子とアスカのことを呼んでいた。

「だんな。」

「やぁ、ヒカリさんじゃないか。今日は、1人かい?」

「どうしたんですかぁ? 今日は、こんな後ろで?」

シンジに近寄ってきたヒカリは、瓦版を売るトウジの彼女で情報集めを専門にする女性
だ。

「うん、今日は見回りに時間が掛かかってね。開演の時間に遅れちゃったんだ。」

「あらぁ。また、アスカに怒られますよ?」

「そうかな?」

「ほら、笑顔で踊ってるけど、目が怒ってるわ。」

ヒカリの言葉を聞いたシンジが、ふとアスカの青い瞳に視線を移すとギロリと後ろの方
に座るシンジを睨みながら、扇子を持って舞っている。

「はは・・・。本当だ・・・。」

「それじゃ、私は今日の取材も終わったんで帰りますね。」

「いつも大変だね。」

「いいえ。仕事のおかげでいつも無料で、アスカの舞を見れるから安いものよ。」

「そういう考え方もあるね。おつかれ。」

シンジは劇場から出て行くヒカリを見送ると、再びアスカの舞に目を向けた。よほどの
事件があった日以外、毎日しっかりとアスカの舞を見なければ、後で怒られるのだ。

チャンチャンチャン。

そして、アスカの舞も終わり、次の芸者の舞台へと変わった。シンジは、いつもの様に
今日の感想を言いに、楽屋へと向かった。

<楽屋>

シンジが楽屋へ行くと、アスカは鏡を見ながら髪の手入れなどをしていた。今日の舞台
も終わり、後は帰るだけだ。

「やぁ、今日も奇麗な舞だったよ。」

「フンっ! 途中から見たくせにっ!」

思った通り、遅れて入場したのでご機嫌斜めである。これは、町でお茶でもご馳走しな
ければいけないだろう。

「ごめん、加持さんに剣の稽古をして貰ってたんだ。」

加持は、シンジの上役の役人であり、役人としてシンジが尊敬する人物でもある。剣の
腕前も一流で、人望も熱い。

「また、加持さん?」

「お茶をおごるからさ、許してよ。」

「しょうがないわねぇ。じゃ、ちょっと外で待ってて、すぐに行くから。」

「うん、じゃ後で・・・。」

舞の後なので、うなじに垂れ下がる赤みがかった髪を、櫛でたくし上げながら手を振る
アスカに、シンジはにこりと微笑むと楽屋の外へと出て行った。

<茶店>

もう夕方、シンジとアスカは行き付けのマヤの茶店へと来ていた。父親の死後、若い娘
のマヤが、この店を切り盛りしているが、その美貌と気立てから訪れる客も多い。

「いらっしゃい。あら? シンジ君に、アスカちゃん。」

「どうも、マヤさん。お茶と団子を2つお願いできるかな?」

「あらぁ? また、アスカちゃんの機嫌を損ねたの?」

「まぁ・・・そんなところですか。」

「シンジ君も大変ねぇ。」

「なに言ってるのよっ! こいつが、いつもボケボケっとしてるから、こういうことに
  なるのよっ!」

「はいはい。それくらいで、許してあげたら? お茶と団子2つづつね。」

マヤは、笑顔で注文を聞くと、店の奥へと入って行く。他にも客が多いので、ゆっくり
話をしているわけにはいかないのだろう。

『さすが、大江戸だなぁ。』

『そうねぇ。どっちに行ったら、いいのかわからないわ。』

シンジとアスカが座る椅子の後ろから、夫婦らしき男女の声が聞こえてきた。荷物の多
さから、どこかの地方から江戸へ引越しして来た様だ。

「ねぇ、あの人達、近くに引っ越してきたのかな?」

「何、鼻の下伸ばしてるのよっ! バカっ!」

「そっ、んなこと言ってないだろ・・・。」

確かに女性の方は、マヤと同じくらいの年でかなりの美人である。

『おみや、ぼたん長屋って言ってたよな。』

『えぇ、かんいちさん。でも、これだけ広いと何処から探していいのか・・・。』

「え? ぼたん長屋?」

そんな会話を背中で聞いていたアスカは、「ぼたん長屋」という言葉を耳にして、さっ
と振り返った。

「アンタ達、アタシ、そこ知ってるわよ。ぼたん長屋でしょ?」

「え? あ、はい。そうですが、ご存知なんですか?」

「ええ。アタシが住んでる、さくら長屋の隣よ。」

「そうなんですかっ。教えて頂けますか?」

「お茶を飲み終わるのを待っていてくれたらね。」

「ありがとうございます。よかったなぁ、おみや。いきなり自分の家もみつからないな
  んてことになったら、長十郎様に笑われる所だったよ。」

「長十郎様?」

「ええ、わたし共の田舎に江戸の北町奉行の長十郎様が来られた時、ひょんなことから
  お声を掛けて下さって、江戸で庭職人として雇って下さることになったんです。」

「へぇ、知ってる? シンジ?」

「うーん、ぼくは、南町奉行だから・・・北はあまり知らないなぁ。」

「そっか。アンタのお父上に・・・。」

「シッ!」

「あっ・・・。えっと、ということは、アンタ達って庭職人の夫婦なわけ?」

「はい、そうです。田舎物なので、こちらに来てからあたふたするばかりで・・・。」

「そう、まっ、ご近所のよしみだし。こんな形で知り合ったんだから、困ったことがあ
  ったらアタシに相談したらいいわ。」

「ありがとうございます。」

そしてお茶を飲んだ後、シンジは夜の見回りもある為その場で仕事に戻り、アスカはか
んいちとおみやを連れて、長屋へと戻って行った。

<ぼたん長屋>

あれから、アスカとおみやは多少歳の差はあるものの、わりと気が合いことあるごとに
2人でご飯を作ったり、世間話をしたりしていた。

「今日、アスカさんの舞台見に行きましたよ。」

「そうなの? なんだぁ。楽屋で声掛けてくれたら良かったのにぃ。」

「そんなこと、できませんよ。だって、すごい人だったじゃないですか。」

「いいからいいからぁ。今度遊びに来てよ。そうだ。前売り券をあげましょうかぁ?」

「いいんですか? そっか、シンジさんにもそれをあげてるんですね?」

「は? あげてないわよ。アイツは役人なんだから、それくらい払って貰わないとね。」

「ははは、そうですね。」

「そういや、今日はかんいちさんは、お仕事?」

「はい、今日から長十郎様の家の庭の手入れをしに行ってるんです。」

「そう。偉いさんの家に行くとなると、大変ねぇ。」

「そうですね、気合を入れて出かけましたよ。」

「そっかぁ。」

アスカは今日の舞台が終わった後、おみやの家でとめどない世間話をしていた。シンジ
も今日は仕事で会って貰えないし、おみやの方もかんいちが居ないので暇なのである。

「ねぇねぇ、時間も余ってるしさぁ、櫛でも見に行かない?」

「櫛ですか?」

「えぇ、知り合いに腕のいい職人がいてね。その職人の店があるのよ。」

「はい。アスカさんが、そこまで言うんですから、余程なんでしょうね。」

「そりゃぁもう。さっ、行くわよ。」

時間を持て余したアスカとおみやは、ぼたん長屋を出ると櫛などの飾り物を売っている
店へと向かった。

<町中>

「いよっ! 江戸っ子なら見ていかなあかんでぇっ!」

アスカとおみやが歩いていると、「江戸っ子なら」とかなんとか言ながら、関西弁で
瓦版を売る腕っ節の良さそうな黒い着物を着た1人の男が叫んでいた。

「一本松長屋に、どろぼうが入ったっちゅーこっちゃっ! 明日は我が身っ! この瓦版
  で勉強せなあかんでぇっ!」

「どう? 売れ行きは?」

「おっ! アスカやないか。どうも、いまいっちゃなぁ。事件があらへんからなぁ。」

「アンタには悪いけど、天下太平が一番よっ!」

「まぁ、そやけどなぁ。」

この瓦版を売っているのは、ヒカリの彼氏であるトウジ。いつも黒い服を着て瓦版を売
っているので、漆黒の情報屋と言われている。

「おっ、このおなごが、おみやはんか? ヒカリから噂は聞いとるで。」

「相変わらず、ヒカリの奴、耳が早いわねぇ。」

「これから、どっか行んか?」

「えぇ、ちょっと櫛を見に。」

「ほうか。ほんじゃ、気ーつけてな。」

「じゃね。」

あまり長話をしてると瓦版の売れ行きにも悪影響を及ぼすので、アスカとおみやは話を
挨拶程度に済ますと、飾り物屋へと江戸の町を歩いて行った。

<飾り物屋>

この飾り物屋は、腕がしっかりしているので、わりと身分の高い人までお得意様が付い
てはいるものの、あまり繁盛はしていなかった。

「こんにちはぁ。ふーん、相変わらず客の数の少ない店ねぇ。」

「・・・。」

「ちょっと、櫛を見させてもらうわ。」

「・・・。」

客足の遠のく理由は、ただ1つ。この店の職人であり店主であるレイの人柄にあった。
とにかく言葉数が少なく、しかも暗い。まったくもって、江戸には不向きである。その
人柄からか、人は月の職人とレイのことを呼んでいた。

「どう? この櫛。しかも安いでしょ?」

「ほんとう。手に取って見てよろしいかしら?」

「・・・。」

「あの・・・。」

「・・・。」

「あのぉぉ、手に取って・・・。」

「・・・。」

何度、聞いてみても、レイはじーっとおみやのことを見ているだけで、何の返事も返し
てこない。

「いいから、手に取って見なさいよ。コイツの返事待ってたら、夜が明けてしまうわ。」

「はい・・・。」

おみやは、アスカに促されて櫛を手に取って見てみた。確かにアスカが誉めるだけのこ
とはあり、おみやは今までにこれほどのつげの櫛を見たことがなかった。

「ほら、簪(かんざし)とかいろいろあるから、見てみたら?」

「ええ。」

櫛、簪。どれもこれも、超一流であり、これでレイの気立てがよければ、江戸一番の飾
り物屋になっていることは、素人のおみやにでもわかる。

「アタシも櫛を買うから、ついでにアンタのも買ってあげるわ。」

「え? そんなの、いいですよ。」

「いいっていいって。今日、給料も出たことだし、お近付きの印にね。いつも、お茶を
  ご馳走になってるし。」

「そうですか・・・じゃ、今日は遠慮せずご好意に甘えて・・・。」

「そうこなくっちゃっ!」

アスカは、自分の赤い櫛とおみやの気に入ったつげの櫛を手にすると、レイに値段を一
応聞く。

「2つでいくら?」

「・・・いくらでも。」

「じゃ、これでいいわね。」

「・・・。」

レイはアスカから、無言で櫛の代金を手に取る。いくらでもいいと言われたアスカだが、
レイの腕前に見合うだけの金額を払って店を出て行った。

<長十郎の屋敷>

かんいちは、庭の手入れを終わり、今日の代金を貰いに屋敷の中へと入って行っていた。

「だんな様、終わりました。」

ガタッ。

床に手をつき、かんいちが長十郎の部屋の襖を開けると、そこにはヤクザの親分らしき
人物と長十郎が座っており、その間には御禁制の鉄砲が幾つか並んで置かれていた。

「はっ! これは・・・失礼しました。」

かんいちは、見てはならない物を見たと、慌てて襖を閉めようとしたが、後ろにいつの
間にか、ヤクザらしき人が立っておりその手を止める。

「長十郎様、こやつの始末は・・・。」

「ふっ。こいつはわしが、江戸へ呼び寄せた庭職人よ。」

「そうで、ございましたか。」

「あぁ。こやつの嫁のおみやが、なかなかの美人での。それ目当てだが。」

「となると・・・こやつは・・・。」

「源三郎、お前の好きな様に始末せよ。」

「はっ。」

源三郎と呼ばれた、ヤクザの親分らしき人物は、顎でかんいちの後ろに立つヤクザに指
図をする。

「長十郎様っ! おみやが目当てとはどういうことですかっ!」

襟首を掴まれたかんいちは、ぎょっとして長十郎を見返すが、高笑いをしているだけで
まともな返事を返さない。

「長十郎様っ!」

ドスッ!

庭に引きずり出されたかんいちの背中から、ヤクザのドスがざっくりと刺さり、赤い血
が庭の砂を染める。

「お・・・おみや・・・。」

そして、かんいちは、初仕事に来た長十郎の屋敷で息を絶えた。

<ぼたん長屋>

その頃、かんいちの死を知らないおみやは、今日新しくアスカに貰った櫛を頭に付けて
夕食の準備をしていた。

そろそろ、かんいちさんが帰ってくる頃ね。
今日は櫛のお礼に、アスカさんも晩御飯に誘ったし。
かんいちさんも初仕事だったから、ちょっとお酒を出そうかしら?

ガラッ。

その時、おみやの家の扉が大きな音を立てて開き、ヤクザ2人が入ってくる。1人は、
先程かんいちを殺したヤクザで、もう1人はその弟分の様だ。

「あっ! あなた達はっ!」

「長十郎様のご命令でな。お前を、今晩連れて来いとのおおせだっ!」

「嫌ですっ! わたしには、かんいちさんという者がっ!」

「ふっ、聞いたか? かんいちだってよ。」

「ははは、さっき血を吹いて死んだぜ、そのかんいちってのはよぉ。」

「えっ!? そんなっ!」

「馬鹿な奴だぜ、殺されるとも知らないで、のこのこ江戸まで出てくるんだからよぉ。」

「まったくだぜっ!」

「か、かんいちさんが・・・そんなっ!」

「わかったらさっさと来ねーかっ!」

「た、たとえ、かんいちさんに、もしものことがあったとしても、わたしはかんいちさ
  んの妻ですっ!」

「もう、いねーんだよっ! 長十郎様の所へ行けば、奇麗なおべべを着られるぜぇ。」

「まったくだ、こんなやすっぽい櫛なんかしてよっ! へへへっ!」

そう言いながら、今日アスカに買ってもらったつげの櫛を手に取ったヤクザは、ボキリ
とその櫛を2つに折って、おみやの着物に手を掛ける。

「へっ。先に俺らでやっちまおうか?」

「それは、まずいんじゃねーか?」

「わかりゃーしねーよ。」

「嫌ーーーっ! やめて下さいっ!」

「じたばたすんじゃねーよっ!」

「クッ!」

その瞬間、おみやの口から赤い血が、たらーーっと流れ落ちる。

「こ、こいつ! 舌を噛みやがった。」

「ちっ! 俺達が、来た時には既に死んでたことにしようぜ。」

「まったくだ。死人を相手にする趣味はねーぜ。」

おみやの血が、畳を赤く染めていく。そんなおみやの体を土足で踏みつけたヤクザは、
ドスドスとぼたん長屋を出て行った。

「ん? アイツら、何?」

それから、ほんの少しして、アスカが今日の夕食を作る手伝いに、ぼたん長屋へとやっ
て来た。すれ違ったヤクザをいぶかし気に思いながら、おみやの家へ入る。

「どう? 進んでる? ・・・・・・・おみやっっっ!!!!!!」

陽気に玄関をくぐったアスカだったが、その部屋の中で口から血を垂らして倒れるおみ
やを見つけると、慌てて駆け寄り抱き起こした。

「おみやっ! どうしたのっ! おみやっ!」

「あっ・・・アスカ・・・さん。」

「誰にやられたのっ! おみやっ!」

「長十郎様と・・・そのヤクザが・・・かんいちさんを・・・。わたしの体を・・・狙
  って・・・。」

「おみやっ! しっかりっ!」

「悔しい・・・。」

「おみやっ!!」

ガクッ。

体をいくら揺すっても、頭を垂れたおみやは、それ以降全く反応を示さなかった。

「おみやーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!」

<川辺>

その後、アスカはシンジのいる役所へ行き、おみやの死を伝える。しかし、管轄が北町
奉行であった為、シンジがじきじきに調査することはできなかった。

「アスカ・・・犯人は、不明なんだそうだ。」

「そんな馬鹿なっ!」

「長十郎様が、圧力をかけたのさ。」

「くそっ! こうなったらっ!」

「なにをするつもりだよっ!」

「アタシが、この手でっ!」

「駄目だよっ! それは、人殺しだっ!」

「このままじゃ、気が納まらないわよっ!」

「絶対駄目だよっ! そんなことしたら、アスカはただの人殺しになるんだよっ!」

「だってっ! おみやがっ! おみやがっ!」

「アスカっ!」

そこへ、ふっとヒカリが近寄って来た。

「2人とも・・・ちょっと・・・。」

「えっ!?」

「ヒカリさんっ!」

突然現れたヒカリをアスカが見返す。

「いいから・・・ちょっと。」

そしてシンジとアスカは、ヒカリと共にある廃屋へと歩いて行った。

<廃屋>

「みんな、よく来てくれたわ。」

シンジ,アスカ,レイ,トウジを前にして、ヒカリは黄金色に光る小判を10枚畳の上
に並べた。

「これは・・・どうして? ヒカリさん?」

その小判を見て、シンジがヒカリに問い掛ける。

「わたしが、おみやさんの家財道具を裏で売ったの。年代物の庭職人の工具があって、
  高く売れたわ。依頼人、おみや。正式な仕事よ。」

「そうか・・・。わかった。」

「相手の今夜の情報はここに・・・。」

その小判を2枚手にしたシンジは、キっと目を釣り上げて皆に振り返り一言言った。

「仕事だ!」

この時のシンジの目を見れば、あの加持ですら震え上がったであろう。

「やってやるわっ!」

アスカは、小判を2枚手に取り、廃屋を出て行く。

「・・・。」

レイは、無言で小判を2枚手に取り、音も無く去って行く。

「まかせとけ。」

トウジは、ボキボキと腕を鳴らしながら、小判を2枚手に取り廃屋を出る。

「最後は、わたしね。」

最後に残された小判2枚を、ヒカリは手にして闇夜に消えて行った。





<瓦版印刷屋>

シュッ! シュッ! シュッ!

大き目の瓦を、砥石で砥ぐ音がする。

シュッ! シュッ! シュッ!

トウジの腕に、血管が浮かび上がる。

シュッ! シュッ! シュッ!

汗が、ぽたりと瓦に落ちる。

シュッ! シュッ! シュッ!

漆黒の情報屋が、漆黒の仕事人に変わる瞬間。

そして、トウジは立ち上がった。





<飾り物屋>

キーンッ!

簪を磨く音がする。

キーンッ!

その簪の黄金の輝きを、月明かりが青白く照らす。

キーンッ!

レイの顔が、簪に映る。

キーンッ!

月の職人が、月の仕事人に変わる瞬間。

そして、レイの赤い瞳が月に輝く。





<楽屋>

シュルルルルルッ!

三味線の弦を巻き取る音がする。

シュルルルルルッ!

纏め上げていた赤い髪が、ばさりと落ち長く垂れる。

シュルルルルルッ!

アスカのまわりを、黄金色の弦が舞う。

シュルルルルルッ!

真紅の踊り子が、真紅の仕事人に変わる瞬間。

そして、アスカの青い瞳が闇夜を駆ける。





<シンジの屋敷>

「ミサトさん、今日は夜勤なんです。」

「そう、シンジくんも大変ね。」

世話になっているミサトに挨拶をして、いつもと違う刀を腰につけたシンジが屋敷を出
て行く。

「いってきます。」

外に出た瞬間、家には振り返らない。

タッタッタ。

振り返らず歩く。

タッタッタ。

振り返ることはできない。

タッタッタ。

仏の顔が、鬼神の顔に変わる瞬間。

闇のFACEを持つ者の定め。





<長十郎の屋敷>

長十郎は、その夜ヤクザ達を集めて酒盛りを開いていた。

「いやぁ、おしいことをしましたなぁ。長十郎様。」

「まぁいいわい。女など、いくらでもおるわ。」

「はぁ。お前らも、もっと早く行かないかっ! おみやが死んでから行ってどうするっ!」

「へい・・・すいません。」
「へい・・・。」

頭を掻きながら、謝るヤクザの手下。

「まったくもって、役に立たない奴等でして・・・。」

「まぁ、よい。」

「ちょっと、頭でも冷やしてこいっ!」

「へい・・・。」
「へい・・・。」

そして、ヤクザの手下2人は、追われる様に酒の席を出て行った。

「はぁ、まったく、俺達にも酒くらい分けてくれてもいいのによぉ。」

「まったくだっ!」

「おっと、ちょっくら、しょんべん行ってくらぁ。」

「おいおい、酒も飲まずにしょんべんかい。さっさと行ってこいよ。」

「おうっ!」





<かわや>

トウジの目に、格子窓から外を見ながら用をたすヤクザが見える。

研ぎ澄まされた瓦を手にして、かわやへ近付くトウジ。

「よっと。」

ヤクザの声が聞こえる。用を済ませたのだろう。

バンっ!

「ん? 入ってるぜっ! ちょい待ちなっ!」

かわやの扉の音が聞こえたので、軽く返事を返しながら振り替えるヤクザ。

バァァァァァーーーーーーーーーーーンっ!

その途、端扉は真っ二つに切り裂かれ、その向こうには漆黒の男。

「ひっ、ひーーーっ!」

グギッ。

左手で、ヤクザの首を掴むトウジ。

「うががががががががががっ!」

逃げようとするヤクザを無理矢理自分の方へ振り向かせる。

グギギギギギ。

「ひっ、ひっ、ひっーーーっ!」

トウジの鬼の目が、ヤクザの眼前に迫る。

鈍く光る瓦が、ヤクザの喉元に迫る。

「た、たすけてくれ・・・。」

ヤクザの口を押さえるトウジ。

右手に握られる瓦が迫る。

グシャッッッッッ!!!!

次の瞬間、瓦が喉元を真っ二つに切り裂き、かわやは真っ赤に染まった。





<庭>

「へっ。これが、あのバカが手を掛けた庭かよ。大したことねーな。」

ぶらぶらと木々の間を通るヤクザ。

キラリ。

その木の上に光る簪の輝き。

「もうちっと、マシな腕を持ってねーもんかねぇ。」

悪態をつくヤクザが、レイの乗る木の真下へ来る。

ピキーーーン。

レイの指で、黄金の簪が、クルリと回って円を描く。

ザザッ!

木の枝、葉が揺れる音。

ヤクザの真後ろに舞い下りるレイ。

「だ、だれだ・・・うぅぅぅ。」

後ろから、ヤクザの口を左手で塞ぐ。

青白い髪が、月光を跳ね返す。

ピキーーーン。

ヤクザの後頭部の下で、再び簪が回る。

満月のごとき軌跡。

その黄金の輝きに、映し出される2つの赤い瞳。

冷徹な瞳。

「うぐぐぐぐ。」

ヤクザが逃げようともがく。

カシャン。

簪の柄につく飾りが、わずかに音色を奏でた。

死の音色。

ザクッ!

後頭部の下から、真っ直ぐに突き刺さる簪。

男は、悲鳴も血も出すことなく、その場に崩れ落ちた。





<屋敷>

「奴等、遅いですねぇ。どこまで、頭冷やしに行ったことやら。ちょっくら見てまいり
  ますぜ。」

「うむ。早く戻れよ。」

「へい。」

源三郎は、手下のヤクザを探しに廊下を歩く。

「うーむ、こっちの部屋で寝てやがるのか?」

開いている部屋に入ってみる源三郎。

そこは、蝋燭の光もなく、真っ暗な部屋だった。

カタン。

源三郎が開けた襖が、独りでに閉まる。

「誰だ?」

その襖に、月明かりに照らされた、長い髪の女性の影が浮かび上がる。

「おいっ! どこのおなごだ。」

キリキリキリキリ。

その影は、口に三味線の弦を咥えて、キリキリと伸ばしていた。

「な、なんだ?」

不気味に思った源三郎が、襖を開けようとするが、固く閉ざされたまま開かない。

「くそっ!」

やむをえず、隣と襖の前へ移動する。

同時に、影も移動する。

「なんだてめーーっ!」

シュルルルルルルルルルルルルルルッ!

その瞬間、影がわずかに動いたかと思うと、金色の三味線の弦が襖を破って飛び込んで
くる。

「うっ!!!」

源三郎の首に巻き付く弦。

「うががががががががが。」

手を喉元に当てるが、巻き付く力が強く弦と首の間に指が入らない。

ギューーーッ。

そのまま、弦を引き寄せるアスカ。

部屋の中で襖にへばりつき、もがく源三郎。

「うがががががががががががっ!!!」

アスカは、廊下の下に降り腰を下ろす。

赤く長い髪が、風になびく。

赤い竜を思わせる、髪の流れ。

アスカの肩を通り、弦が地面まで引き降ろされる。

「うがががががががががががっ!!!」

ビーーーンッ!

青い瞳を薄く開いて、アスカが三味線の弦を奏でた。

死の旋律。

ガクッ・・・。

源三郎は、がくりと頭を垂らし息絶えた。





<屋敷>

「源三郎の奴、何をしておるのだ。わしの酒の相手をせんかっ!」

長十郎は、戻りの遅い源三郎にしびれを切らせて、部屋を出ようとする。

「あっ、これは、長十郎様。」

長十郎が襖を開けた所に、膝を折って平伏するシンジの姿があった。

「ん? なんだ、お前はっ!」

「はっ、南町の碇シンジです。」

「お前など、呼んでいない。」

「それが、耳寄りなお話がありまして。」

「なんだ。」

「ちょっと、ここでは・・・中へ・・・。」

「必要無いっ! ここで言えっ!」

部屋の中には、鉄砲と大量の小判がある為、中が見えない様に襖を閉じようとする長十
郎。

「いえいえ、ここでは、人目に・・・。」

しかし、シンジはさっと部屋の中へと入って行った。

「おいっ! 待てっ!」

「おやおや、これは・・・御禁制の・・・。」

「何者だっ! 貴様っ!」

「しがない、役人ですが。」

「ふんっ。これをやるから、ここで見たことは他言せぬ様に立ち去れっ!」

長十郎は、そういいながら小判の固まりをシンジに手渡す。

「はい・・・。わかりました。」

その小判を受け取ったシンジが背を向けた瞬間、腰の刀に手を掛ける長十郎。

シャキーン。

しかし、それより早くシンジが、振り向き様に長十郎の刀を抜き取る。

「貴様っ!」

ズシャッ!

抜き出した速度と同じ速度で、刀を突く。

それは、鞘ではなく長十郎の腹部。

「うぅぅぅぅ。」

苦しみもがく長十郎。

ズズズズズ。

深く差し込まれる刀。

それを見つめる鬼神の顔。

ガクッ。

畳を血に染めながら、その場にもんどりうって倒れる長十郎。

「フッ。血の色の小判なんて、持つ物じゃないさ。」

ガシャガシャガシャーン。

シンジは、先程受け取った小判を、長十郎の上に撒き散らす。

血の海に落ちた小判が、真っ赤に染まった。





仕事が終わったことを知り、見張りをしていたヒカリが去る。


漆黒の仕事人が、漆黒の闇夜に溶ける。


月の仕事人が、月光の中を静かに歩く。


真紅の仕事人が、赤い髪をなびかせ駆け抜ける。


そして、鬼神の顔を持つ仕事人は、仏の顔へと戻って行った。





<呉服問屋>

シンジとアスカは、呉服問屋へと来ていた。

「シンジぃぃぃ、この赤い着物が欲しい。」

「えっ、えーーっ! これって、めちゃくちゃ高いよっ!」

「臨時収入が、入ったでしょーーっ! ねぇぇぇ。」

「だって、これは・・・。」

「だって、何よっ! アタシの為に使ってこそ、価値があると思わない?」

「そんなぁぁぁぁ。」

「じゃ、これねっ! 決定っ!」

「はぁぁぁぁぁ。」

こうして、シンジの小判2枚は、真紅の踊り子の笑顔と引き換えに消えていったのだっ
た。

fin.
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