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5月はじめの晴れた日曜日
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<病院の303号室>

アスカが心を壊し入院してから、数ヶ月が経過したある日。今日もシンジは病室へお見
舞いに来ていた。

ゴトン。

意識の無いアスカの横にパイプ椅子を置き、ゆっくりと腰掛けたシンジは、目を閉じた
まま頭を垂れる。

・・・・・・・・。

暗い病室で、シンジは1人黙ったままで座り続ける。

アスカ・・・目を覚ましてよ。
アスカ・・・また前みたいにぼくを馬鹿にしてよ。
アスカ・・・お願いだからぼくを見てよっ!

閉じていた目を開き椅子を立ち上がったシンジは、アスカの両肩を掴んでゆさゆさと体
を揺する。ぶらぶらと震えていた点滴の針が、アスカの腕から抜け落ちる。

「起きてよ、アスカ。起きてよ! また、ぼくのことを馬鹿にしてよっ!」

しかし、いくら揺すっても目を閉じたままのアスカからは、全く反応は返ってこず、た
だ人形の様にだらりとしているだけだった。

「どうして、目を閉じてるんだよっ!」

激しく揺さぶる。

「どうして、こんな所でずっと寝てるんだよっ!」

更に激しく。

「お願いだから、目を開いてよーーーーーーっ!!」

いくら揺すっても反応の無くだらりと全身の力が抜けた体を、力を込めて抱きしめる。

「お願いだからぼくを・・・。見てよ・・・。」

涙を流して、アスカを抱きしめる。

「うぅうぅ・・・このままじゃ、おかしくなりそうなんだ・・・。助けて・・・助けて・・・
  アスカっ! 助けてよっ!」

その時、力一杯抱き締めていたアスカの体がピクリと動いた。それを感じたシンジは、
自分の体から少しアスカを離して頭の垂れた顔を覗き込む。

「アスカ?」

反応は無い。

「アスカ?」

反応は無い。

「ねぇっ! アスカってばっ! アスカっ!!」

もしかしたら、意識が戻るかもしれないと、両手に持ったアスカの肩をがくがくと必死
で揺さぶる。

「アスカっ! 起きてよっ! 起きてよーーーっ!!」

その振動に反応したのか、ぴくりと体を動かしゆっくりと目を開けるアスカ。

「アスカっ! 気がついたんだねっ! アスカっ!」

大粒の涙を流し歓喜に顔をほころばせて、シンジは思いっきり抱き付く。しかし、アス
カの視線は、冷ややかなものだった。

「気持ち悪い。」

「え?」

蚊が鳴くような声でぼそりと呟いた声が聞き取れなかったシンジは、アスカが意識を取
り戻したことを喜び、笑みを浮かべながらアスカの顔を覗き込む。

「果物ナイフ。」

まだあまり自由に動かない手で、冷蔵庫の上に置かれている果物ナイフを指さすアスカ。

「果物が食べたいの? なら、剥いてあげようか?」

「貸して。」

「え? あ、うん。」

シンジはベッドから降りると、言われた様に果物ナイフを取りアスカに手渡す。

「なにか、果物買ってこようか?」

椅子から立ち上がりながら、アスカに視線を移した時。

「アスカっ!!!!」

その視線の先のアスカは、果物ナイフを手にした途端、有無を言わさず自分の喉元に突
き立てた。顔を真っ青にしてアスカに飛び掛るシンジ。

「何してるんだよっ!」

「邪魔しないでっ!」

果物ナイフを渡すまいと必死で抵抗するアスカだが、手に力が入らずすぐに奪い取られ
てしまう。

「なんで、そんなことするんだよっ!」

「生きる意味が無いからよっ!」

「そんなわけないだろっ!」

「誰もアタシのことなんか見向きもしてくれないのに、未練たらしく生きていたくない
  わよっ!」

「ぼくが見てるよっ! ぼくがアスカのことを見てるよっ!」

「嘘おっしゃい!」

「嘘じゃないよっ! ぼくがアスカを見てるよっ!」

「もうっ! いやぁぁっ! その窓からアタシを突き落としてよっ!」

「アスカがいなくなったら、ぼくはどうやって生きていけばいいんだよっ!」

「ごらんなさいっ! アンタは、誰かに自分を見て欲しいだけなのよっ!
  ミサトもファーストも恐いもんだからって、アタシにすがってこないでよねっ!」

「違うよっ! アスカじゃなきゃ駄目なんだっ!!」

「ハンっ、反吐がでるわっ! 殺してよっ! 首でもしめて殺してよっ!」

髪を振り乱して絶叫するアスカの前で、シンジは愕然として立ち尽くす。

ズドーーーーーーン。

その時、近くで大きな物音がし、床がぐらぐらと大きくうねる。

「うわっ!」

「キャーーっ!」

衝撃が2人の体を襲う。

そして2人は意識を失った。

                        ●

<公園>

ポロッポ。ポロッポ。チュンチュンチュンチュンチュン。

鳩や雀の鳴き声が聞えてくる。まぶしい陽射しが閉じた瞼を刺激する。

「うっ・・・。」

シンジが目を覚ますと、公園のベンチに座っていた。

ここは・・・?

周りに広がる見知らぬ風景。ふと横を見ると、そこには見慣れた赤い髪の女の子が、ベ
ンチに座って眠っていた。

「アスカ? アスカ?」

再び目を閉じてしまったアスカを見たシンジは、また目を開けなくなるかもしれないと
いう恐怖に怯えて体を揺する。

「アスカっ! アスカっ!」

「ん・・・。ここは・・・。」

眩いばかりの光を放つ太陽に手をかざして、ゆっくりと立ち上がるアスカ。まだ、頭が
ぼーーっとしていて現状が飲み込めない。

「ここは、どこ?」

シンジもアスカの横に立ち上がり、見慣れない街をぐるりと見渡す。

「わからないんだ。ここは、何処なんだろう?」

「アタシ・・・まだ生きてるの?」

その時、シンジの視界に、公園の外の道路を赤ん坊を抱いて歩く1人の女性の姿が飛び
込んできた。

「母さん・・・。」

ぼそりと呟くシンジ。

「え!?」

その言葉にピクッと反応したアスカを置いて、シンジはその女性目指して一目散に公園
を走り出て行く。

ママ?

『母さん』という言葉に引き寄せられる様に、アスカもシンジの後を追って走り出す。
しかし、2人が公園を出た時、そこには人影は無かった。

「どういうことよ!?」

公園の入り口に愕然と立ち尽くすシンジに、説明を求める。

「母さんを見た気がしたんだ・・・。人違いだったのかな・・・ハハハ。」

がっかりしてとぼとぼと歩き出すシンジの後を、アスカはなにか釈然としないものを感
じつつ付いて行く。ここが何処なのか、自分達がどうなったのかもわからない。

病室でアタシは寝てた・・・。大きな音を聞いて・・・。その後どうなったの?

はっ!どうして、アタシ歩けてるの?
やっぱりアタシは死んでしまったの?

そうは思うものの、死んだ様な感じはしない。しかし、そうでも考えなければ今の状況
が説明できない。

ハハッ。実際に死んだらこんな物なのかもね。

自嘲気味に笑いながらアスカがふと前を見ると、頼りなげに肩を落として歩くシンジの
背中が目に入った。

もしかして、あの時シンジも死んだのかな?
はーあ、アタシは死んでもシンジと一緒なの?
ここまで腐れ縁だと、嫌んなるわっ!

苦笑しながら天を仰ぎ見たアスカの目に、道路標識が映し出された。その青い標識には、
円山公園と白い字で書かれていた。

円山公園? それって、京都の公園じゃないの?

「シンジっ!」

「なに?」

「円山公園って、確か京都にある公園よねっ! ここは、京都なの? アタシは生きてる
  の? 死んでるの? 夢を見てるの?」

「死んでるわけないだろ。」

「じゃ、どうして京都にいるのよっ!」

「もしかしたらあの後、誰かに京都へ連れて来られたのかなぁ。」

「じゃぁ、どうしてアタシ達はベンチで寝てたのよ。どうして、アタシは歩けるの?」

「あっ! アスカ・・・・。」

シンジもようやくアスカが歩いていることに気付いたようだ。驚きと嬉しさが入り混じ
った気持ちで、目を丸くする。

「・・・・・・・・。」

「・・・・・・・・。」

しばらく無言でその場にたたずみ、辺りを見渡すシンジとアスカ。旧都らしい古い街並
みが続いている。

「アスカの体力が回復しているってことは、ぼくたちどこかで長い時間眠らさえてたの
  かなぁ。」

「死ねたんじゃないのか・・・。」

「アスカっ!」

がっかりした様に頭を垂れるアスカに、真剣な顔で怒鳴りつけるシンジ。

「まっ! この真相を突き止めるまでは、気持ち悪いから死ねないけどね。ちょっと気
  になることもあるし。」

その言葉を聞いて、ひとまずほっとするシンジ。

「とにかく、今がいつなのか調べましょ。」

シンジとアスカは、新聞か週刊誌の日付を見ようと近くのコンビニに入った。

                        :
                        :
                        :

「これ・・・。どういうことよ。」

「こっちのも、こっちのも・・・。全部一緒だ・・・。」

コンビニで新聞を手にした2人の手が、微か震える。そこに記されていた日付は、西暦
2000年。

「そんな馬鹿な・・・。」

「でも、もしこれが事実だとしたら、アンタが見たママって本物よ。きっと。」

「あっ!」

先程からアスカが気になっていたのは、シンジの見たユイの姿であった。もしそれが事
実なら、キョウコが生きている可能性がある。

「そう言えば、昔、母さん京都で働いてたんだ。」

「探しましょうよ。」

「うん。」

しかし、探すといっても京都の街も広く、どこを探せばいいのか見当もつかない。意気
込んでコンビニを出たまでは良かったが、途方に暮れてしまう。

「ねぇ、普通さ、赤ん坊・・・つまりアンタね・・・を連れて、仕事なんか行く?」

「行かないと思うけど・・・。じゃぁ、何処へ?」

「歩いて行った方向って、円山公園があるじゃない。行ってみましょうよ。」

「そっか・・・。そうだね。」

アスカにとっても、同じ職場にいたユイが自分の母親を見つける唯一の手掛りなので、
このチャンスを逃すわけにはいかない。

<円山公園>

ユイは日当たりの良い公園のベンチに座って、シンジと一緒にひなたぼっこをしていた。

「マンマ。マンマ。」

ようやく少しだけ口がきける様になったシンジは、ミルクの催促をする。ユイはいとお
しげな目でシンジを見つめながら、保温されたケースから哺乳瓶を出し咥えさせる。

「あらあら、勢いが良いこと。」

力一杯、哺乳瓶を吸うシンジ。みるみるうちにミルクが無くなっていく。
そんな様子を、シンジとアスカは後ろの木陰から見ていた。

「どうして、会いに行かないの?」

「いいんだ・・・。突然14歳のぼくが現れたら、母さんびっくりしちゃうよ。」

「そう・・・。」

赤ん坊だった頃の自分に、愛情いっぱいで接してくれている所を見ているだけで、すさ
んでいた心が優しく包み込まれる様な気持ちだった。

「あらあら。もうお眠かしら?」

母の愛情に抱かれたシンジは、哺乳瓶を咥えながら幸せそうな顔で眠り始める。

「じゃぁ、帰りましょうか。キョウコおばちゃんも、そろそろ出産じゃないかしらね。」

ビクッ!

見た目にもわかるくらいに、アスカの肩が震える。

「アスカ行こう。」

「どこへ?」

「産婦人科だよ。母さんが歩いて来てるんだから、そんなに遠くないよ。」

「でも、シンジは?」

「ぼくはいいから、早く行こうよ。」

「うん。」

近くの電話ボックスに掛け込むと、電話帳で近くの産婦人科を調べる。ここから歩いて
行ける距離にあるとすれば、町医者が2件と総合病院が1件だった。

「自分が産まれた病院の名前、聞いたこととかないの?」

「そういえば、アタシは日本への里帰り出産で、大きな病院で生まれたって聞いた様な
  気がするわ。」

「じゃ、この総合病院だ。」

シンジとアスカは、総合病院に向かって走り出す。ここからだと、走れば10分ちょっ
との距離だ。

ママに会えるっ!!
ママがアタシを見てくれるっ!!
ママがアタシを抱きしめてくれるっ!!

アスカは瞳を輝かせて、1秒でも早く会いたいという想いを胸に、病院へ向かってひた
すら走った。

「あっ!」

東山通りを駆け抜け七条通りの角を曲がった時、歩道の隅でうずくまっている女の人を
シンジが見つけた。

「どうしたんですかっ!?」

「子供が産まれそうなんです・・・。お願いします・・・。病院へ連れて行って下さい。」

その女性の顔を見たアスカの目が大きく見開く。

「ママ!!」

それはまぎれもなくキョウコであった。少し散歩にでもと思い出掛けたのだが、突然破
水し陣痛に襲われ、歩くことができなくなりうずくまってしまったのだ。

「ママっ! しっかりっ! ママっ!」

「き、救急車を呼んでくるよっ!!」

シンジが近くの店に飛び込み救急車を呼んでいる間、アスカは必死でキョウコの介抱す
る。

「もうすぐ救急車が来るわっ! ママっ! しっかりしてっ!」

「うううう・・・。」

しかし、そんなアスカの言葉も耳に届かないのか、苦痛でその場にへたり込むキョウコ。
そうこうしている間に、救急車が到着する。

「早く乗って下さい。」

シンジとアスカが、キョウコの肩を支えて救急車に乗せる。

「お願い・・・。わたしはどうなってもいいから、この子だけは・・・助けてあげて・・・。」

ママ・・・。

救急車の中で手当を受けながら、うわ言の様に『この子だけは』と訴え続ける。

ママ・・・。
アタシ・・・・・・。

それから数分後、キョウコは無事分娩室へと入った。しばらくすると、知らせを聞いた
ユイが赤ん坊のシンジを連れて駆け付ける。

「大丈夫よね。」

「大丈夫だよ。アスカは、産まれてきたんだから。」

「そうだけど・・・ママ・・・。」

病院の端の待合室で手に汗握って出産を待つアスカ。分娩室の前では、心配そうな顔を
したユイがシンジをあやしていた。

ママっ!
がんばってっ!

                        :
                        :
                        :

「おぎゃー! おぎゃー!」

それから1時間程した時、分娩室から赤ん坊の鳴き声が聞こえてきた。
その声を聞いたユイは赤ん坊のシンジを連れて、分娩室に入って行く。

『おめでとうキョウコ。』

分娩室から聞える声。

『ありがとうユイ。女の子ですって。』

『かわいい子ね。名前は決めてあるの?』

『ええ。どんな時でも明日を見て生きてくれるよう願いを込めてね、つけた名前なの。

                        アスカ

  いい名前でしょ?』

その声が、待合室に座るアスカの耳に入ってくる。

ごめんなさい・・・。
ごめんなさい、ママ。

ママ、アタシを産んでくれてありがとう。

アタシに命をくれてありがとう・・・。

・・・・・・・・・・・・ママ、ありがとう。

                        ●

<ネルフの病院>

「セカンドチルドレン,サードチルドレンっ! 共に発見しました!!」

その声を聞いたミサトは、崩れた病院の瓦礫を掻き分けて、互いに折り重なり合う様に
倒れている2人の元へ走り寄る。

「シンジくんっ! シンジくんっ! アスカっ! アスカっ!」

テロリストに仕掛けられた爆弾によって、幾人もの命が亡くなったが、奇跡的に難を逃
れたシンジとアスカは、特に外傷も無く精密検査を受けた程度で済んだ。

<公園>

精密検査の後、シンジはまだ歩けないアスカを車椅子に乗せて近くの公園に来ていた。

「シンジ、アタシ生きるわ。」

「うん。」

アスカに微笑み掛けるシンジと、夕日を浴びながら明日の太陽に目を向けるアスカ。

「だって、ママがくれた一番大切な物を、アタシは持ってるんですもの。」

シンジとアスカは、本当にタイムスリップしたのか、それとも同じ夢を同時に見たのか
真実はわからない。

しかし、2人の心は暖かい物に包まれ、その瞳は明日を、未来を強く見つめていた。

ザワザワザワ。

風が公園の木々の枝と、2人が手に持つ1輪の真っ赤な花をゆっくりと揺らす。

その花の名前は、カーネーション。

5月はじめの晴れた日曜日の出来事。

fin.
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