息子は父の背中を追い、父は振り返らず背中で生き様を見せた。

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父の背
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<川辺>

西暦2016年。人類は、1年前の緊迫した春とは打って変わった、気温は高くとも穏
やかな春を迎えていた。

「そろそろ、歩く練習をしてみようか?」

「えっ?」

「お医者さんも、そろそろリハビリの時期だって言ってたじゃないか。」

「うん・・・。」

「来週から、学校も再開するしさ。」

「うん・・・。」

緩やかに流れる川のせせらぎを耳にしながら、車椅子を押して散歩に来ていたシンジは、
不安気なアスカの正面に立ち優しい微笑みを浮べて元気づける。

「大丈夫だよ。ぼくが、ちゃん支えるからさ。」

「わかった。」

促されたアスカは、自ら車椅子のベルトをはずしゆっくりとシンジに手を伸ばす。こん
な2人の間に交わされる自然な仕種も、最近になってようやくできるようになったもの。

「手? 大丈夫?」

「うん、もう手は。」

つい最近まで、痛々しい包帯をしていた右腕。その包帯が取れた頃からだろうか、少し
づつ少しづつシンジとアスカの心が元の2人に戻り始めたのは。

「痛かったら、言ってね。」

「うん・・・。」

それ以上に、緊迫した状況,大人達に押し付けられた責任,負担から解放された2人は、
以前に比べて人間らしさをとり戻して来ているのかもしれない。

「いたっ!」

「あっ、大丈夫?」

「だい・・・じょうぶ。」

「ごめん、まだ早かったみたいだね。」

「ううん。それじゃ、いつまで経ってもきり無いし。」

「でも。」

「なんて顔してんのよ。痛いのはアタシなんだからねっ!」

「でも。」

「だーいじょうぶよ。最初は痛いもんでしょっ!」

「わかった。」

まだ両手に力を込めて必死にシンジに掴まることくらいしかできないが、少しでも足に
体重をかけて川辺を歩こうとする。

「いっち、にっ。」

掛け声を掛けて、ゆっくりと、ゆっくりと誘導する。

「いっち、にっ。・・・疲れたら言ってね。」

「うん。」

「いっち、にっ。」

強い日差しが照りつける川。その照り返しが、キラキラと2人を輝かせる。

「いっち、にっ。」

ポチャリ。

川で、魚が跳ねた。

「いっち、にっ。」

ゆっくりと、おぼつかない足で川辺の砂の上を歩く・・・歩こうとするアスカ。

「いっち、にっ。」

「シンジ・・・。」

「ん? 疲れた?」

「ううん。その・・・。」

少し顔を背けて。

「わ、悪いわね。」

「何言ってるんだよ。さっ、がんばろ。」

「うん。」

再び歩き出す。

前へ、前へ、失われた時間を取り戻すかの様に。

そんな2人の春休みが過ぎて行く。

その日から、毎日毎日、2人はクッションの効く川辺の砂の上でリハビリを続けた。

ぎこちない動きではあったが、それを見た人は後に言った。

蝶が互いを求めて舞い続ける、ダンスの様だったと・・・。

<ミサトのマンション>

1週間が過ぎた。

いよいよ春休みも終わり、明日から数ヶ月振りに学校が再開する。アスカも松葉杖があ
れば、一人で歩ける程度に回復していた。

「シンちゃん? アスカ? ちょーっち、話があるんだけどぉ。 そこ、座ってくれるか
  しらぁ?」

「はい。」

夕食の準備をしていたシンジは、手にしていたフライパンを置いて手を止めると、ダイ
ニングテーブルの椅子に腰を掛ける。テレビを見ていたアスカも、シンジの横に座った。

「今日はねぇ。最近には珍しいくらい、とーーっても良い知らせがあるのよん。」

「良い知らせ? 何ですか?」

「ふふーん。もう、今世紀最高の知らせなんだからぁ。」

「勿体ぶってないで、早く言いなさいよねっ!」

「焦らない焦らないぃっ! あのねぇぇぇ。」

笑顔を満面に湛えて勿体ぶるミサトを、興味深々といった顔で覗き込む。ここまで焦ら
すのだから、余程良い知らせなのだろう。

「じーーつーーはーーねぇぇぇーー。」

「実は?」

「ふむふむ。早く言いなさいよっ!」

「葛城ミサトっ! とうとう結婚が決まりましたぁーーっ! パフパフーっ! ドンドンっ!」

「・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・。」

シラーーーっとした雰囲気が、ミサトの周囲数十センチの空間を除く、葛城家全体に染
みわたっていく。

「さーーて、相手は誰でしょーー? えへへへへぇ。」

そんな事はお構いなしに、浮かれまくるミサト。

「そうですか・・・。それは、おめでとうございます。」

今更何を・・・という感じで、素っ気無くそう言ったシンジは、テーブルを立ち再び食
事の支度を始める。

「あっそ。加持さんも大変ね。」

アスカもダイニングテーブルから再び床にごろんと寝転がると、今まで見ていたテレビ
に視線を戻した。

「何よ何よーーっ! 2人共ーーっ!」

「はいはい。おめでとうございます。おめでとうございます。」

「自分の幸せを、人に押し付けないでよねーっ!」

「ちょっとぉー。どうして2人ともそんなに冷たいのよぉ。家族でしょぉ。」

同年代の子供の様にプゥと膨れるミサト。

「ちゃんと、喜んでますよ。おめでとうございますって。」

「シンちゃーんっ!? アスカが歩いた時の喜びようとは、えらい違いじゃないのぉ。」

「うっ・・・。」

あの時は、あまりの嬉しさに飛び上がって喜び、報告したシンジだったが、今改めて言
われると恥かしくなってしまう。

「そーんな態度とっていいのかしらぁ? 2人ともぉ?」

「なによぉ。」

「せっかく優しいミサトさんは、この家を2人に提供してあげようって言ってるのにぃ。」

「えっ!!!」

真っ先に反応したのはアスカであった。手で身体を支えながら、まだおぼつかない足を
バタバタと動かして、再びダイニングテーブルの前に腰掛ける。

「ミサトっ! 出て行くの?」

「なーに? その喜び方ぁ。なーんか引っかかるわねぇ。」

「あっ、そういうわけじゃないけどね。ねぇねぇ、出て行くの?」

どんなに否定してみせても、その言い様にその表情からは、邪魔だから出ていってくれ
と言っている様にしか聞こえない。

「そりゃぁ、結婚するんだもん。加持がちゃーんと新居を構えてくれるわよ。」

「おめでとーーーっ! ミサトーーーっ!」

「アースーカーっ! わたしの結婚がめでたいの? 出て行くのがめでたいの?」

「そりゃぁ。もっちろん、結婚よぉ。ねぇ、シンジっ!」

「あの・・・。それじゃぼく達はどうなるんですか?」

「心配しなくていいわよん。今まで通りここで暮らしてくれたらいいから。」

「あの・・・ミサトさん・・・。」

「なーに?」

「できれば・・・その・・・。」

「どうしたの?」

「父さんと、暮らしたいんですけど・・・。」

アスカとミサトの視線がシンジに集中する。今まで賑やかだった葛城家の空気が、その
一言を境に静まり返った。

「できれば・・・ですけど。」

<ネルフ本部>

数ヶ月後。

「碇、葛城君から招待状が来てるぞ。」

「あぁ、出んわけにはいかんだろう。」

「彼女の父親には、いろいろと世話になったからな。」

「あぁ。」

椅子に座ったまま答えるゲンドウに、冬月は少し老いを感じさせる目をそっと向けるが、
ミサトから聞いているシンジとの同居について切り出すことができずにいた。

「お前は、結婚式をしなかったな。」

「あぁ。」

「お前の息子はどうするんだろうな。弐号機パイロットと仲が良いようだが。」

「関係無い。」

「そうか・・・。」

<結婚式場>

アスカは新婦の着付部屋に入り浸たっていた。やはりウェディングドレスとなると、ど
うしても興味が沸いてくる。

「へぇぇ、純白のウェディングドレスかぁ。」

目を輝かせて、ミサトのウェディングドレス姿をまじまじと見つめる。その向こうに、
自分の姿を想像しているのだろう。夢は膨らむ。

「そうよん。貴方の色に染めてくださいってねぇ。なんちってぇぇぇ。」

少し照れ隠しを言いながらも、うかれ気分を隠すことはできない。1度は死んだと思っ
た加持との結婚である為、嬉しさも一際であろう。

「ミサトの何処に、染める所が残ってるってのよぉ。」

「ちょとっ! それ、どういう意味よっ!」

「加持さんも、可哀相ねぇ。」

「アーースーーカーー。」

祝意半分、やっかみ半分で、ミサトをからかう。既に身体も回復しており、明日からの
2人だけの生活にも夢は膨らむ。

「今のうちに、せいぜい言っときなさい。次は、あなた達がからかわれる番よ。」

「ミっ、ミサトっ!」

既にアスカの中でも、シンジとのことは確定していたが、改めて他人に言われるとまだ
照れる年頃。

「今日で、わたしは加持の所に行くけど・・・。」

「わかってるわよ。」

「結局、最後まで保護者として、何もできなかったけど・・・。」

「あーー。もう、その話はやめやめ。あの頃はみんなおかしかったのよ。」

「そうね。」

「うん。」

「2人うまくやっていってね。」

子を見る母に似た目で、アスカを、そしてここには居ぬシンジの幸せを願うミサト。だ
が、アスカの表情が少し陰る。

「でも・・・シンジは・・・。できたら、アタシより。」

「うん。そのことは、副司令にちゃんと。今日、もう一度聞いてみるわね。」

「うん・・・それが、今のアイツには一番いいと思うから。」

「そうなったら、アスカはまたわたしと一緒に暮らしましょ。」

「そんなヤボなことは、しませんよーーーだ。」

舌をべーーっと出す。

「でも・・・。実際難しいでしょうね。」

「そうね・・・。」

ウェディングドレス姿を見せたかった父の姿も、加持の両親の姿も、自分の結婚式ま
で生きていてくれなかった。

せめて、この子達の時には・・・。

「ほらほら、ミサトっ! なんて顔してんのよっ!」

「そうねっ。加持に愛想つかされたら大変だもんね。」

「もう、諦めてるわよ。」

<披露宴会場>

式は最初から最後まで涙という言葉は無く、笑いの堪えない物となり、いよいよ披露宴
も大詰めに差し掛かっている。

「司令。今日はお忙しい中、ありがとうございました。」

「いや、かまわん。君の父親には世話になったからな。」

「父。・・・ですか。」

「あぁ。」

「あの・・・、ご子息のことですが。」

その途端、少し和やかに話をしていたゲンドウだったが、いつもの無表情に戻る。

「司令との同居を望んでいます。考えて貰えないでしょうか。」

「まだ、その時期ではない。」

「しかし。わたしも家を出ますし。」

「シンジのことは、君に一任してある。」

「ですがっ! ・・・・・・。はい、わかりました。失礼します。」

予想はしていたことだが、自分の力の無さを嫌と言う程噛み締める。いつもいつも、肝
心なことでは、シンジ達の力になに一つなってやることはできない。

<ラスベガスのホテル>

その夜、ネルフの専用機で新婚旅行にやってきたミサトは、ホテルのバーでマティーニ,
XYZ,マルガリータと、きついカクテルを次から次へとチャンポンしていた。

「あンのわからずやーーーーーっ!」

「飲み過ぎだぞ。」

「シンちゃんが、どんな想いをしてるかも知らないでーーーーーっ!」

「おいおい・・・。」

酒をあおって、大騒ぎするミサトをなだめながら、周りの客に気を使うリョウジ。

「聞いてよーーっ!」

「何度も聞いたよ。」

「聞いてないっ! あんたはシンちゃんのことなんか、どーでもいいって顔してるわっ!」

「そんなわけないじゃないか。」

「じゃぁ、ちゃんと聞いてよっ!」

「いい加減にしないか。」

「おうっ! 今夜はじゃんじゃんの飲むわよっ! やってられるかってんだっ!
  おいっ! おやじっ! バーボンロックで頼むぜっ!」

「おいおい・・・。」

こうして、リョウジの新婚初夜は、ラスベガスのバーで暮れていった。

<ミサトのマンション改めシンジのマンション>

ミサトの荷物も奇麗に無くなり、今までミサトが使っていた部屋にシンジは移動してい
た。一番広い部屋になったものの、荷物が少ないのでガランとしている。

「シンジ? 入るわよ。」

「うん。」

そこには、真っ暗な部屋でベッドに寝転び独り天井を見上げているシンジの姿があった。
部屋の入り口に立ったまま、声を掛けるアスカ。

「電気くらいつけなさいよ。」

「うん。」

「どうしたのよ。」

「家族が減るって、寂しいね。」

「何言ってんのよ。式場じゃ、あんなに喜んでたじゃない。」

「うん。」

「・・・そりゃ、そうよね。」

パチリ。

スイッチに手を伸ばし、電気を付けて部屋に入りベッドの横に腰掛ける。今朝までミサ
トがいた部屋は、どことなくビールの匂いがする。

「・・・・・・・・。」

「・・・・・・・・。」

ブーーン。

「・・・・・・・・。」

「・・・・・・・・。」

ブーーン。

「あっ! 蚊っ!」

アスカは立ち上がると、部屋の中を目を凝らして見渡す。全体的に白が基調の部屋であ
る為、比較的見つけやすい。

パンっ!

「フンっ! やったわっ!」

ニヤリと笑みを浮かべると、ティッシュで蚊を潰した手の平を拭き取り、シンジに向き
直る。

「ねぇ、アスカ?」

天井を見上げたまま、口を開くシンジ。

「ん?」

「アスカはさぁ、ドイツに帰ろうとか思わないの?」

「今更ねぇ。ママが生きてたら考えるかもしれないけど。」

「そう。」

「それにさっ。」

ブーーーン。

「あっ。まだいたのね。」

ベッドの端に座ったまま、再び目を凝らして部屋の隅々まで見渡す。

ブーーーン。

「みっけっ!」

蚊が飛ぶ黒い軌跡が視界に入り、ベッドから立ち上がろうとした時、背中に暖かい物を
感じ、そのままベッドに体重を戻す。

「・・・・・・・・。」

「・・・・・・・・。」

自分の首の前に、力無く回るシンジの腕にそっと手を重ねる。

「ごめん・・・。」

アスカは、そのまま目を閉じ、背中に温もりと重みを。そして、シンジの心を感じる。

「ごめん・・・。」

「そのうち、わかって貰えるわよ。」

「うん。」

「アタシのママと違って、生きてるんだから。」

<加持の家>

あれから3年後の春。

シンジとアスカは、今夜揃って加持の家へとやってきていた。

「よく来たな。今、ミサトが夕食の支度をしている。できるまでくつろいでいてくれ。」

「はい。」

結婚当初は食べれた物ではなかったが、時間の力とは大したもので、最近では食べれる
物を作れるくらいまでミサトの料理の腕も進歩していた。

「加持さん、今日はごめんね。わざわざ早く帰ってきて貰って。」

「そんなこと構わんさ。おいっ! ミサト、まだか?」

「もうできるから、持って行くわ。」

数分後、食卓に並ぶミサトの手料理。今日はシンジ達が来るということだったので、な
かなか豪華なディナーだ。

「遠慮せずに食べてね。」

「はい。いただきます。」

「ミサトでも、こんな料理が作れるんだ。」

「あっらぁ、バカにしたもんじゃないわよん。アスカもがんばんなさい。」

「最近は、いつもアスカが料理してるんですよ。」

「え? そうなの? 花嫁修業かしらん?」

「あのぉ、そのことなんですけど・・・。」

そこまで言ったシンジは、下を向いてしまい、両手の指を膝の上で交互に交差させても
じもじと黙り込んでしまう。

「ほらっ!」

そんなシンジの態度にイライラしたアスカが、肩でシンジの肩をコツリと突ついた。

「アンタ達、まさか・・・。」

「ええ・・・そうなんです。」

「できちゃったの?」

一気に真っ赤になる2人。

「ち、ちがいますよっ!!!」
「ちがうわよっ!!!」

「この6月で、ぼくも18だからそろそろ結婚しようかなって・・・。」

慌てて否定する2人を見たリョウジとミサトは、ひとまず胸を撫で下ろした。

「でも、ちょっち早くないかしら?」

「そんなことないわよ。4年も一緒に暮らしてるんだもん。」

「まぁ、2人が決めたってんならそれでいいじゃないか。」

「そうだけどね・・・。で、今日は、その報告に来たってわけ?」

「いえ、その・・・加持さんに仲人をお願いしようと思って。」

目が点になるリョウジ。

「おいおい、そういうのは副司令が適任だろう。」

「ぼく達、加持さんにやって貰いたいんです。」

「うーん、柄じゃないが、シンジ君の頼みなら仕方ないか。」

「そんな安請け合いしていいの? 責任重大よ?」

「あぁ・・・ま、なんとかするさ。」

その夜、真面目な話をし、互いのペアを冷やかし合い、笑い合って、4人は夜遅くまで
楽しく語り合った。

<結婚式場>

その年の、シンジが18になった6月。ジューンブライダル。

ミサトの時と立場を入れ替えて、アスカとミサトは新婦の着付部屋に入っていた。

「よく似合ってるわぁ。」

「あったり前よ。」

ウェディングドレスを身に纏ったアスカは、ミサトに最後のチェックをして貰っていた。
まさしくアスカを強調する真紅のドレスだ。

「アスカらしいドレスね。純白も似合いそうだけど。」

「イヤよっ!」

ウェディングドレスを選ぶ時、アスカは絶対に白色だけは嫌がった。それに対して、シ
ンジのタキシードは真っ白。

「シンジをアタシ色に染めるんだからっ!」

「はいはい・・・。シンちゃんも大変ねぇ。」

「加持さんよりは、ずっと幸せよ。」

「あっらぁ、失礼しちゃうわねぇ。」

「シンジだって、それでいいって言ってくれてるし。」

「はいはい。ごちそうさま。ほら、そろそろ時間よ。」

「うん。」

着付部屋から出て行くと、加持が待っていた。

「加持さん、お願いね。」

「あぁ、しっかりシンジ君に引き渡すからな。」

アスカは、加持に手を引かれながらチャペルに入り、シンジに向かってバージンロード
を歩く。

パチパチパチ。

ネルフ職員や学校の友達から、拍手喝采が湧き起こる。しかし、その中には今日の主役
たる2人の両親の姿は無かった。

<ネルフ外用車>

「戦自のお偉方が、何の用だ。」

「そう、ぼやくな。碇。」

「時間の無駄だ。」

丁度その頃、戦自の参謀に呼ばれたゲンドウは、冬月と共に車に乗って移動していた。

「これも、仕事のうちだ。」

「過去の地位を貪っている連中が・・・何を今更。」

「それでも、まだ彼らがいなくなるとやっかいだからな。」

<チャペル前>

皆に喝采されながら、シンジとアスカはチャペルから姿を現す。アスカの手に持たれて
いるブーケが、青空の真夏の太陽に光り輝く。

「さっ! このブーケっ! しっかり受け取んのよーーーっ!」

片手をシンジの右腕にしっかり絡めたアスカは、もう片方の手でブーケを空高く舞い上
げる。

「キャーーーっ!」

それに殺到する、未婚の女性達。

パサッ。

しかし、風にあおられたブーケは、あたかもそこに落ちるべきだと言わんばかりに、あ
る人物の腕の中に自ら納まっていった。

かつて苦しみを共にした、アスカのライバルであり戦友の胸の中へ。

「アンタも来てくれてたのね。」

「・・・。」

「アタシのブーケを受け取ったんだからねっ! 幸せになんないと許さないわよっ!」

「・・・。」

そういいながら、握手を求めて右手を差し出すアスカ。少し躊躇したレイであったが、
おずおずと右手をアスカに重ねる。

「アンタもまだ大変だろうけど、がんばんなさい。」

「ええ。ありがとう。」

2人が固い握手をする。馴れ合いでなく、友情でもない、何か別の所で心が通じ合う。
そんな2人に、周りに集まっていた人々が拍手を送ろうとした時。

キッ。

一台の黒い車が、チャペルの前に止まった。

「どういうことだ。」

車の中で一言、低い声を発するゲンドウ。

「すまんな。」

そんなゲンドウを置き車を出た冬月は、シンジとアスカに軽く挨拶をする。

「父さん・・・。」

今まで笑っていたシンジだったが、顔を引き締めると車の中に座ったままでいる父親の
姿に目を向けた。視線が親子の間を交錯する。

「行くぞ、冬月。」

「あぁ、そうだな。」

ゲンドウの言葉に促され、冬月が車に乗り込もうとする。

「副司令っ!」

シンジは思わず声を張り上げた。

「どうした?」

「ありがとうございましたっ!」

ぎゅっと歯を食いしばり、深々とお辞儀をするシンジ。その前を、ゲンドウと冬月を乗
せた黒いネルフの外用車は走り去って行った。

<産婦人科>

翌年、シンジとアスカは産婦人科に定期検診に来ていた。アスカのお腹も10ヶ月目と
いうこともあり、かなり大きくなっている。

「もう、いつ生まれてもおかしくないですね。」

「はい。なんだか、早く出たいって、いつもお腹を蹴ってくるんです。」

医師と話をするアスカの表情は、若くも既に母親のそれになっており、いとおし気に大
きくなった自分のお腹を摩っている。

「旦那さんも心配でしょう。」

「え・・・そりゃぁ・・・。」

ぽりぽりと頭を掻いて、照れるシンジ。

「もう、アタシに洗濯物も畳ませてくれないのよ。」

「そんなこと言ったって・・・。」

「あはははは。お気持ちはわかりますが、ある程度の運動も必要なんですよ。」

「は、はぁ。」

照れまくりながら、シンジは頭をぽりぽりと掻き続ける。そんな2人の様子を、ネルフ
専属の医師は微笑ましそうに見つめる。

ドタドタドタ。

その時、大きな足音が産婦人科の中に響き渡った。何ごとかと振り返ると、血相を変え
たミサトが診察室に飛び込んで来る。

「シンジくんっ!」

「どうしたんですかっ!?」

「司令がっ! 碇司令がっ!」

「えっ!!」

<ネルフ本部>

シンジとアスカは、ICUの前に設置されている長椅子に座っていた。手術中のランプ
が長時間に渡って点灯している。国連の会議で、元ゼーレの過激派に銃撃されたのだ。

「身体に悪いから、もう帰った方がいいよ。」

「大丈夫。」

「駄目だよ。」

「手術が終わったら、ぼくも帰るから。」

「アタシも一緒に帰るわ。」

「駄目だったら。」

その時、手術中のランプが消え、重く厚い鉄の扉がゆっくりと開いた。咄嗟に長椅子か
ら立ち上がるシンジ。

「父さんはっ!?」

ICUから出てきた、青白いマスクをする医師達にシンジは声を張り上げて詰め寄る。
しかし、どの医師も首を横に振るだけで、答えようとはしない。

「まだ、息はありますが。もう・・・。」

絞り出す様な声で、医師の1人が答える。

「そんな・・・。」

「シンジ。」

重い体をゆっくりと持ち上げ、シンジに寄り添うアスカ。その前でシンジは下を向いた
まま、無機質な病棟の廊下の壁を握り拳で何度も叩きつける。

「勝手だよっ! そんなのって勝手すぎるよっ!」

「・・・・・・・・。」

「ちくしょーーっ! そんなのってっ!」

「・・・・・・・・。」

掛ける言葉も見つからず、アスカはただじっとシンジを見つめる続ける。

「碇シンジ君だね。」

そんな2人の横に、見知らぬ白髪の老人がいつの間にか立っていた。シンジは、自分の
名前を呼ばれておずおずと顔を上げる。

「私は、君のお父さんに雇われていた弁護士だ。渡す物がある。」

「ぼくに?」

「遺言状だ。」

サッと顔色を青くするシンジ。

「そんなのいらないよっ!」

「気持ちはわかるが、私には渡す義務があるのでね。」

弁護士はうなだれるシンジに、遺言状といくつかの書類を手渡してきた。

”全ての資産をシンジに譲る”

遺言状に書かれている言葉。

「こんなのっ! こんなのっ! こんなのいらないよーーーーっ!!!!」

「シンジっ!」

「ぼくは、ただ、父さんと一緒に暮らしたかっただけなんだっ!
  話をしたかっただけなんだっ!」

渡された書類など全てを床に投げつけたシンジは、アスカの肩をそっと抱いて病棟の廊
下をゆっくりと歩き出す。

「シンジ?」

「ごめん、アスカ。大事な時に心配掛けさせて。」

「ううん・・・。でも、シンジ? あれって、お父様なりにシンジのことを考えて下さ
  ってたってことじゃないのかしら?」

「そんなの・・・なんか違うよ。」

「でも・・・。」

「そんなの、勝手すぎるよ。」

「・・・・・・・・。」

「ごめん。」

「ううん。いいの。それより、まだ、亡くなられたわけじゃないんでしょ? お父様に
  会ってくれば?」

「もういいよ。」

「ダメよ。アタシは、ママが死んだ後にしか会えなかったのよっ!」

「・・・・・・・・。」

「シンジっ!」

「そうだね。そうだったね。わかったよ。ありがとう。」

シンジは再び廊下を引き返すと、ゲンドウが横たわるICUの中へと入って行った。透
明のカプセルの中に、いくつものパイプを鼻や喉に入れて横たわるゲンドウの姿がある。

「父さん・・・こうなる前に、一度話がしたかったよ。
  もうすぐ、僕達の子供が生まれるんだよ?
  結婚式の時は、見に来てくれたじゃないか。
  ぼく達の子供も見てよ。
  もしかしたら、父さんに似てるかもしれないよ?」

既に何の反応もしなくなったゲンドウを前に、静かに語り掛ける。そんな様子を、アス
カは少し離れた所から、背けたくなる目を見開きシンジの姿を見つめる。

「また、母さんのお墓参りに行こうよ。
  母さんのお墓参りだけは、何があっても欠かさなかったじゃないか。
  これからどうするんだよ。
  母さん寂しがるよ?」

いつしかシンジの顔は、先程までとは打って変わって穏やかな物になっていた。

プシュッ!

ICUの扉が開く。それと同時に幾人かの部下を連れて入ってきたのはリツコであった。

「リツコっ! 今は、待って。」

「駄目よ。時間が無いの。アスカ。」

「でも、今はっ!」

「司令のサルベージを行います。一刻を争うの。」

「えっ!」

「医学で駄目なら、科学で司令を生き返らせるまでよ。」

リツコの眼差しは真剣である。少なからずもかつて愛した人が、死の縁をさ迷っている
のだ。その決意はただならぬものである。

「シンジ君っ!」

「はい。」

「司令の・・・いえ、あなたのお父さんをサルベージします。」

「父さん、助かるんですかっ!?」

「それはわからないわ。いえ、失敗の可能性の方が遥かに高いわ。」

「そんな・・・。」

「でもこのままだと、確実にあなたのお父さんは死ぬわ。」

「・・・・・・・・。」

「それに、遺体も無くなります。だから最終決定は、シンジ君、あなたに委ねます。最
  後の望みを私に掛けてくれないかしら?」

「・・・・・・・・。はい・・・。はいっ! お願いします。」

深々と頭を下げて、リツコに望みを託すシンジ。

「ありがとう・・・。全力を尽くすわ。」

その言葉と共に、慌ただしく動き出す技術部の人間たち。1時間後には、サルベージの
準備は完全に整った。

                        :
                        :
                        :

今までサルベージに成功したのは、シンジの時だけである。しかも、半分は偶然の・・・
いやエヴァの力によるサルベージであった。

ただ今回は、そのエヴァが・・・エヴァの中にユイがいることによって、逆効果になる
可能性が極めて高いのだ。

「シンジ君。このマイク。初号機のエントリープラグに繋がっているわ。」

「え? は、はい。」

「あなたの時もそうだったけど、サルベージには、この世界に帰りたいという強い意志
  が必要となるの。サルベージの段階に入ったら、これでお父さんに呼び掛けて。」

「・・・でも・・・ぼくが呼び掛けても。父さんは・・・。」

「大丈夫。あなたには、それだけの力があるの。いえ、あなたにしか無理なの。」

「わかりました。」

サルベージ開始の報が入る。

強制シンクロが行われ、シンクロ率が100%を越えたところで、ゲンドウの身体がL
CLに溶け込んでいく。

父さん・・・もし、もう一度会えたら、父さんの家に行くよ。
ぼくは、嫌われることが嫌で逃げてたんだ。
今度は、正面から父さんにぶつかってみるよ。

モニタから見える初号機のエントリープラグの中は、LCLの液体だけになっており、
ゲンドウの身体は完全に消えていた。シンクログラフが400%を示している。

「完了しました。」

「ここからが勝負よ。サルベージ開始して。」

「はいっ!」

マヤ,青葉,日向を始めとする、オペレータ,技術部のスタッフ達が慌ただしくコンソ
ールを叩く。

「シンジ君。」

「はい。」

先程のマイクを手渡される。

何を、何を言えばいいんだ。
ぼくは何を言えば、父さんは・・・。

「シンジ君? どうしたの?」

「はい・・・。」

戻ってきて欲しい。そう思えば思う程、言葉が思い浮かばない。

「シンジ? 今の気持ちを言えば?」

そんなシンジの心情を察して、今まで黙ってシンジの横に付いていたアスカが、そっと
声を掛ける。

「深く考えなくていいわよ。素直な気持ちを・・・。」

「そうだね。」

そして、シンジが口を開こうとした時、赤い警告灯が点灯しブザーが強烈な音を発し始
め、あらゆるモニターにDANGERの文字が浮かび上がる。

「シンクロ率、下がりませんっ!」

マヤが叫ぶ。

サルベージを開始すれば、シンクロ率は下がり始めるはずなのだが、400%をキープ
したまま一向に下がる気配がない。

「パルス逆流っ!」

一気に緊迫の度合いを増す技術スタッフ。

「現状維持最優先っ! 失敗は許されないのよっ!」

リツコが叫ぶ。

「ループ状に固定っ! す、全ての信号拒絶されますっ!」

マヤに続いて、青葉も叫び声を上げる。

「シンジくんっ! 呼び掛けてっ!」

「父さんっ! 父さんっ!」

冷静に言葉を選んでいる余裕はない。ただ「父さん」の声を張り上げて繰り返すシンジ。

あの人が、司令を引き留めてるの?
それとも、司令が・・・。

                        ●

ゲンドウは、自我境界の上に立ち安らかな顔をしていた。

『ようやく会えたな。』

『あぁ、シンジはもう問題無い。ユイ。』

『私と居ては不幸になるだけだ。』

『もういいだろう? ユイ。共にここに留まることにするよ。』

                        ●

「父さんっ!!! 父さんっ!!!」

「駄目ですっ! あの時と同じですっ! エントリープラグっ! イジェクトされますっ!」

「物理的方法を取っても構わないわっ! エントリープラグを押さえてっ!」

シンジの時の経験を生かし、零号機で待機していたレイが、初号機のエントリープラグ
を両手で押さえる。

「レイっ! 時間を稼いでっ! その間に、何とかするわっ!」

「はい。」

レイは全力を振り絞って、初号機からイジェクトしようとするエントリープラグを押さ
えつける。

「マヤっ! 状況はっ!」

「状況、変わりませんっ! はっ! こ、これはっ!」

マヤの顔が青ざめる。

「どうしたのっ! 的確に報告してっ!」

「精神汚染が始まっていますっ!」

「そ、そんなバカなっ! プラグには誰もいないのよっ!」

「プラグ震度が、どんどん深くなっていきますっ! こ、このままではっ! プラグが耐
  え切れませんっ!」

「父さんっ!!! 父さんっ!!!」

そんな中、シンジはマイクに向かって叫び続けることしかできなかった。アスカもぎゅ
っとシンジの腕を握り締めモニタを見上る。

「キャーーーっ!!」

零号機からレイの悲鳴が響き渡った。それと同時に、ひび割れたエントリープラグが、
初号機から射出され、LCLが辺り一面に飛び散る。

「し、司令・・・。」

零号機の中で、瞳を大きく見開きその有様を愕然と見つめるレイ。

「そ、そんな・・・。」

リツコはがっくりと、膝を床に落とした。

「シンジ・・・。」

マイクを握り絞めたままその惨状をじっと見つめるシンジに、アスカは手を震わせなが
らがも勇気を振り絞ってそっと声を掛ける。

「シンジ・・・あの・・・。」

肩に掛けたアスカの手をそっと下ろすと、シンジはリツコに近付く。

「リツコさんっ!」

「・・・。」

「リツコさんっ!」

「なに?」

愕然としたリツコは、シンジの叫び声を耳にし、うつろな目で振り向いた。

「ぼくが、初号機に乗ります。父さんを呼び戻しますっ!」

「なっ!? なにを馬鹿なことを言ってるのっ!」

「ぼくの時と同じなら、まだ父さんはエヴァの中にいるはずですっ!」

「そんな危険なことができると思ってるのっ!? 許可できませんっ!」

その言葉を聞いたシンジは、アスカとお腹の赤ん坊に視線を移した。

「そうだね・・・。ごめん、アスカ。」

しかしアスカは、シンジの背中をすっと押し出した。

「いってらっしゃい。」

「アスカ?」

「シンジには、この世に残らなければならないって意志があるはずよ。必ず戻って来れ
  るわ。」

「でもっ!」

「ママの時、アタシは何もできなかった。でも、シンジにはそれができるわ。」

「・・・。」

「後悔しないで。」

「わかった。必ず戻ってくる。リツコさんっ! お願いしますっ!」

「わかったわ。ただし、安全をみて、あなたはシンクロ率を200%以上にしません。
  それでも、意志があれば心が通じるはずです。」

「はいっ! ありがとうございます。」

その後、新たなエントリープラグに乗ったシンジは、LCLの海へ溶け込んで行った。

<病室>

「父さんっ! 父さんっ!」

「シンジ・・・か。」

3日後。病室へ足を運んでいたシンジの前で、ゲンドウがうっすらと目を開けた。

「やっと気がついたね。」

「あぁ。」

ベッドの横に置かれた椅子に腰を下ろし、ゲンドウを見つめるシンジ。そんな自分の息
子から目を逸らしたゲンドウは、見慣れない病室の天井に視線を移した。

「シンジ・・・。」

「なに?」

「夢を見た。」

「どんな?」

「くだらん夢だ。」

「そう・・・。」

コンコン。

病室の扉を叩く音がする。

「検診です。」

それと同時に看護婦が入って来ようとするが、後ろに座っていたアスカが、即座にそれ
を制して後にして貰う様に頼んでいる。

「元気になったら、一緒に暮らそうよ。」

「それはできん。」

「どうしてさ。」

事情を察した看護婦は、カルテを胸に抱いて扉をそっと閉めると病室を出て行く。それ
を確認したアスカは、再び椅子に腰を下ろした。

「帰れ。」

「えっ?」

しばらくの沈黙が、病室に流れる。

「あ、明日もまた来るよ。」

それでも、逃げずに声を絞り出す。

「駄目だ。」

「どうしてさっ!」

「お前がすべきことをしろ。」

ハッとなるシンジ。それと同時に、うつむいて2人の会話を聞いていたアスカも、お腹
に手を当てて顔を上げる。

「わかったよ。父さんっ!」

「なら、帰れ。」

シンジは椅子を立ち上がると、アスカの手を取り、負担をかけないようにそっと病室の
外へと導く。

「父さん。」

アスカを廊下に出し、後ろ手に扉を閉める瞬間、ゆっくりと振り返るシンジ。

「ぼくも夢を見たんだ。」

無言で答えるゲンドウ。

「父さんが、LCLで迷子になったぼくを、アスカとぼくの子供の所へ連れ戻ってくれ
  たんだ。」

「そうか・・・。」

「また、僕達の子供と一緒に来るから。」

ゲンドウは、何も言わなかった。

カチャッ。

シンジは、扉を閉め、自分の守るべき最愛の妻と今まさに生まれ出ようとしている子供
に視線を落とす。

「父親か・・・。」

そう一言呟くと、アスカの肩に手を回してゆっくりと歩き出すのだった。
















大きな背中が見えなくなったと気づいた時、息子はいつの間にか父を追い抜いていた。

息子は、振り返り遙か後ろに老いた父の姿を見つける。

父は初めて笑顔を見せ、こう言った。




「よくやったな。」




息子は長い道のりを振り返り考える。

父の背に最後に見たものはなんであったのか。
いつ、父の前に出たのかと。



そして、気付く。

その瞬間、父は背で語っていたことに。








父になれ・・・と。




fin.
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