初めて出会ったのはフランクフルトの町中であった、少年は楽器を眺めていたし私はほんの気晴らしで店に寄った。
少年は、最初はオドオドした感じだったがすぐ打ち解けてくれた、あまり日本人を見掛けない場所で出会ったためか
自分もちょっとしたアバンチュールを楽しんでいる気分であった、名前を聞かなかった事を後で思い出した。
二度目は何年ぶりかの訪問でベルリン・フィルの稽古場を訪れた時であった、私の方はすっかり忘れていたのだが
彼が恐る恐る声をかけてきたとき、思い出した私の顔に向けた笑顔が不覚にも忘れられなかった。
その頃の私は常に頂点にいる重圧、そして周りの評価に疲れていた、自分を見詰め直したい…そう思ってここに来た、
そうでなければレコーディングにドイツを選ぶ事はなかった、その時出会ってしまった。
碇シンジという少年に…………。
彼の才能は、一時期留学していた時の師であるシュトラウス先生から聞いていた。
私とは違う才能…そう話していた、でも始めは、ずば抜けた天性があるわけでもない、努力家だった事ぐらいしか印象に無かった。
彼が私たちのスタジオに訪れた時はそんな時だった、自分が作った曲をこの部屋でMDに収めたいと、私は快く了承した。
その時から取り付かれてしまった…、彼が奏でる旋律に、その優しさ、悲しさ、そしてそこから生み出される大きな強さに
初めて聞いた時とはまったく違ったその調べに、私が今もう一度手に入れたい全てがそこにあった。
不覚だった、4つも下の少年に心奪われたのは、溺れてしまったのは……・・。
誰がための旋律 後編
-LOVERS-「姉さん、何てことをしてくれたんですか。」
カヲルは楽屋で目の前に座る姉に対して静かに語りかける、しかし彼の視線は怒りに震えていた。
コンサート終了後、カヲルはすばやくシンジを楽屋に引き上げさせ、そのまま混乱が始まる前に帰宅させた。
困惑を隠せないシンジと、それよりも早くアスカのもとへ行かせなければならないという思いからであった。
「何?最高のステージに対するお礼よ、大袈裟な事じゃないわ。」
理奈は済ました顔をしてカヲルに答えた。
「じゃあ何故あんな時に…まるで惣流君に対するあてつけだ。」
「何言ってるの、ゲストとの挨拶を終えてスタッフとして挨拶しただけでしょ、振られた人間のやっかみ?」
「そんなわけないだろ!今日の件はやってくれたね!知っていたよ何となく、僕が気づかないとでも思って
いたのかい?姉さんはシンジ君が好きなんだ、おかしいと思ってたよ、でもね…。」
理奈はいきなり席を立つとカヲルの胸座を掴んだ、力はないがその眼差しと風格がカヲルをして振りほどく事が出来ない、
理奈はその顔をカヲルに近づけ言葉を叩き付けた。
「でもね?何?シンジ君に私はふさわしくない?あたしに恋愛は出来ない?そう言いたいの?
あなた何勘違いしているの?あたし女よ人間のね!悩みもすれば、恋もする!
ただあんたと違って私はあきらめない!欲しいのよ!彼の心が欲しのよ!あなたに何が分かるの!
確かにフェアじゃないかもしれない!でも彼が振り向いてくれるなら何だってするわよ!
私に資格が無い?笑わせないで!彼を愛する権利なんて平等よ!彼女も私もね!
いいじゃない私がシンジ君に恋したって!いいじゃない手に入れたいと思たって!
どうなのよ!答えなさいカヲル、答えなさいよ!!」
カヲルははじめて理奈の泣いている顔をみた…最後の掠れた言葉に何も言えなかった…………。
「あなた……。」
キョウコは不安げな顔をヘルベルトに向ける、「シンジ君が来たら何も言わずアスカに会わせろ。」ヘルベルトは
そうキョウコに言ってリビングでじっとしていた、今、二階には帰宅したままの格好で惣流家を訪れたシンジがいた。
「しょうがないでしょ、アンタ何沈んでるのよ!そりゃあの時はショックだったけど……悪気があった訳でもないでしょ。」
アスカとシンジは並んでベッドに腰掛けていた、落ち込んでいるシンジに対してアスカはあっさりとしていた。
「でも……。」
シンジはうなだれながら理奈の行為を思い出す、彼女が離れたときの言葉が耳について離れなかった。
『愛してるの…………。』
自分の気持ちがはっきりしていても、その言葉だけはアスカに言えないと思うと表情が暗くなっていく。
「でもも、ヘチマもな〜い!あんな場面じゃあしょ〜がないでしょ、まったく!アタシだってあんな素敵なシンジ見てたら
キスぐらいしちゃうわよ…まあ今回はガマンしたんだけど…それともシンちゃん、理奈さんに惚れちゃったかな??」
「そんなんじゃない!」
アスカの問いかけにシンジは必要以上に声を上げ否定する、そんなシンジにアスカは真顔になって語りかけた。
「シンジ、アタシ信じてるから大丈夫だよ、言ってくれたジャン、信じてって、離れないって、だからアタシ大丈夫だよ。」
「うん……けど。」
「じゃあシンジもアタシを信じて、そんな事ぐらいでシンジと離れないよ、せっかく子供の頃からの夢がかなったんだもん。」
シンジは、アスカの言葉にいくらか気が晴れたのか笑顔を作る、その安堵した表情をみてアスカも微笑み返した。
「でも、これは浮気よね〜どっしようかな〜、まあシンちゃんが一回だからアタシは三回ぐらいかな?、理奈さんに頼んで
芸能人なんかいいな〜。」
一気に和やかな雰囲気になるとシンジにむかって意地悪をしたくなった。
「えっ、そんないっ嫌だよ。」
「でもね〜。」
アスカは悪戯っぽい目線をシンジに投げかける。
「口直しする…・・。」
シンジはその視線を送るアスカの意図に気づくとボソリとつぶやくとそのまま押し倒す。
「やん、シンジばっかりぃ……。」
シンジが改めて顔を覗くと微笑みを返すアスカがいた、シンジはその微笑みを暫く見つめていた。
『アスカ…そうだよね、僕の方こそ信じなきゃいけないのに、辛かったのはアスカの方なのに、本当にごめんね。』
シンジはその瞳を見詰めながらアスカに体を預けていく。
シンジがの顔が自分を見つめながら近づいてくる……。
その瞳を見つめながら……。
その瞳に見つめられながら……。
シンジの瞳がゆっくりと閉じられる……。
『信じなくちゃ……シンジを……。』
『信じなくちゃ……自分の思いを……。』
ふと視線に入るシンジの唇……。
あの人と交わした口付けの光景が脳裏に蘇る……。
自然と唇を拭ってしまった。
驚くように見開いたシンジの瞳を見たあと。
静かに目を閉じその唇に自分の唇を重ねた。
「じゃあ帰るよ。」
シンジは真っ赤な顔をしてアスカから体を離す。
「いやん、帰っちゃうの?」
おどけてアスカが聞き返す。
「うん、、ほら、、その、、そのまま来たからほら、汗臭いし。」
その言葉を聞いてアスカが赤くなる、自分も帰ってきた格好なのだ、ワナワナと肩が震えた。
「バッバカシンジ!帰って寝なさーい!。」
惣流家の玄関で深夜の訪問をわびながらシンジがドアを開ける、キョウコなどは今日は泊まっていけばいいのに
と言っていたが、ヘルベルトが「今度でいいじゃないか。」と言うと嬉々としていた。
両親に茶化されたアスカがシンジを追い立て一緒に外に出る、そしてシンジはふとアスカに振り向いた。
「ありがとう……アスカ、お休み。」
「お休み、シンジ!明日寝坊しないでね。」
そう挨拶をするとシンジは自宅に向かう、途中玄関を開けたとき振り返り手を振ったのでアスカもそれに答えた、
そしてその玄関が閉まるのを確認すると自分も戻っていった…。
真夜中、アスカは眠ることが出来なかった、シンジがのしかかったときの匂い、シンジの優しい瞳、シンジの唇の感触、
全てをもう一度欲していた。
恐いのだ一人になるのが、あの時おどけていったが本当は側にいて欲しかった。
アスカは分かっていた、あの時、理奈がシンジにつぶやいた言葉を。
視線を合わせたときそれは確信にかわった、ひたむきな想いが自分を見つめている…。
自信をもったそれでいて不安な視線、そうだ彼女もまたシンジに惹かれている、そう感じた。
シンジはアタシを見てくれている、ただそれは永遠ではないのだ、人である限り永遠の思いなど存在しない。
ふとあの時の不安が鎌首をもたげるのだ。
『シンジの隣にいるのは本当に自分で良いのか?』
確かに容姿や勉強と言ったものであればシンジはアスカに遠く及ばない、スポーツでもアスカは上位に行けるだろう。
ただそれだけなのだ、シンジがそして理奈が自分にはない物を持っている、見る者を惹きつける何かが。
そしてアスカはその領域に入れない、その壁を壊すことが出来ないそう感じてしまうのだ。
そして今日の出来事……アスカは恐かった、今回は奇襲を受けたが今度は正々堂々正面から来るだろう、
その全てをもって……。
全てを手に入れる為に……。
アスカがそれに贖うことができるとすれば、シンジへの想い、そしてシンジの想いだけなのだ。
アスカの中の不安がシンジへの想いに負けたとき破局が訪れる。
「恐いよう、シンジ…恐いよう。」
アスカはシンジのぬくもりを忘れないようにシーツに丸まってその夜を過した。
誰にも平等に朝はやってくる、シンジとアスカは早めに登校していた、不思議とマスコミ関係の姿がない、あの事件だ早々
に何かを嗅ぎ取ろうと待ち構えているだろうと思っていた二人は拍子抜けした。
学校に着いてもまだ早い登校だった為、生徒の影も少なかった、ある者はシンジとアスカを見て指を差していたが、二人は
気にも留めずに下駄箱に向かった。
二人がちょうど下駄箱に来た時、ドタドタと騒がしい声が聞こえる、ふと二人がそちらを見ると、トウジとヒカリが部活の朝練
から戻ってくる時だった。
「あれっ、アスカにシンジ君?おはよう。」
その二人を最初に見つけたヒカリが声を掛ける。
「おっはよ〜ヒカリ!」
「おはようさんシンジ、なんや惣流やけに機嫌がええな。」
「何よ〜アタシがあんな事で落ち込むと思ったの?この惣流様が!」
「ええ調子や、それでこそ冷やかしがいがあるっちゅうもんや。」
トウジにしてみればいくら自分が鈍感だからといって、昨日の出来事にはさすがに気が引けた、トウジにとってアスカは
喧嘩友達であり一緒にバカな事が出来る奴なのだ、こればかりはヒカリでも無理だった。
そんな四人で話し合っているとふとヒカリが思い出してシンジに告げる。
「そういえば、碇君!今日私達日直よ!職員室にいかなきゃ。」
そういえばそんなものがあったんだと納得した表情をするシンジに呆れ返りながらアスカに振り向いた。
「じゃあアスカちょっと旦那様借りてくね。」
「ちゃんと返してよ、利子つけて。」
「またですか…今月ピンチなのに…・。」
四人とも笑いながらその場を後にする、シンジは上履きに履き替えヒカリと廊下を急ぐ、やれやれといった仕種でトウジ
は見送ったあと、アスカの方に振り返った。
そこにはうつむいたアスカがいた、その前には下駄箱から溢れ出すラブレターがあった。
アスカは、暫くそれを見つめるとおもむろに上履きで踏みつけた。
「おいっ、惣流なにするんや。」
トウジにしてみればそれは初めての光景であった、シンジが来てからはまったくと言って良いほど減ってしまっていたし
その前はご丁寧にごみ箱へ直行させていたのだが。
その光景はトウジを呆然とさせていたが、アスカの後ろの声で我に返った。
「惣流……。」
そこには、ケンスケと登校したカヲルがいた、アスカはふとカヲルを一睨みするとそのまま黙って教室へいってしまった。
「どうも、一筋縄ではいかんようやな。」
トウジはそう言うと、カヲルとケンスケと共にアスカに踏みつけられたラブレターを片づけていった。
アスカは教室に向かっている間、周りの様子など気にも止めず歩いていく、腹が立つ、シンジを信じようと思い悩んで
いる自分にこの仕打ちである。
シンジも苦しんでいる、自分も苦しんでいるのに、その気持ちの隙間を広げようとする。
あわよくば自分に振り向かせようとしている、あさましい嫌な感情を見たアスカは教室へ逃げたかった。
アスカは目の前の手すりに掴りながら屋上から見える風景を眺めていた、
「惣流……話があるんだ。」
カヲルにそう言われたのが四時間目の体育の授業の前だった、二人だけで話したいと、そして昼休みシンジと昼食が
終わると一目散にここに来ていた。
「待たせたね。」
カヲルが後ろからアスカに声をかける、アスカは聞こえないのか聞こえない振りをしているのかカヲルを見ようとしない。
「遅いわよ。」
「済まないね。」
「話があるんでしょ、さっさとしなさいよ。」
「…………。」
「どうして欲しいの?」
言葉をつなげないカヲルにアスカは振り向くと確信をついた言葉をカヲルに投げかける。
「姉さんが会いたいそうだよ。」
カヲルはやっとその言葉をつぶやく。
「へぇ〜、昨日の今日に天下の緒方理奈さんがアタシにね。」
「すまない、惣流も分かっているはずだ、姉さんはシンジ君を「いいわよ。」
カヲルが言い終わる前にアスカは振り向いて答えた、負けないよう自分に言い聞かせるように。
「早いほうがいいわ、シンジの独演会が近いのよ、知ってるでしょアンタも理奈さんも出るんだから。」
その言葉にカヲルは首を縦に振る、国連事務総長の来日はあと二週間も無い、その際ベルリン・フィル
の総指揮者であるシュトラウスも顔を出すらしい、シュトラウスが目をかけていた理奈の事だ歓迎パーティ
に出席する事は確かだろう。
「シンジには言えないから………早くはっきりしましょう、大丈夫よどうなったってアンタにゃ関係ないわ。」
申し訳なさそうな視線を送るカヲルにアスカはそう告げるとそのまま屋上を後にした。
「惣流……僕はどうしたらいいと思う?」
一人残ったカヲルはアスカがいた場所に移り同じ光景を見ながら誰に語るでもなくそうつぶやいた。
思いをひた隠しにする自分と想いをぶつけている姉を思いながら……。
やわらかな音楽が流れその場を包み込んでいく、その曲を静かに聞きながらアスカはティーカップに注がれた
オレンジ・ペコの香りが漂う紅茶を飲み干す、紅茶にはうるさいほうだがこの店の香りと味には脱帽した。
それにしても…とアスカは周りを見回す、カヲルから電話を受けラフな格好でいいからとジーパンで来たが
周りはそれなりにきちっとした人しか見掛けない、ウェイターに理奈の予約が入っていると告げなければ丁重に
お断りされていただろう。
「遅い…………。」
二人だけでと言われていたが約束の時間はとっくに過ぎていた、その時、その場に不釣り合いな格好をして野球帽
をかぶっている人物が目に入る、そしてウェイターに二言三言話すとまっすぐこちらに歩いてくる、そして目の前で帽子を
とり髪を下ろす、アスカは柄にもなく緊張した…アスカにとって近くで見るのは三度目。
緒方理奈はゆっくりと向かいの席に座った。
「何から言えばいいかしら?」
理奈はウェイターに注文をしつつアスカに視線を向ける、アスカもお代わりを頼むとその言葉に続く。
「先日は、どうもありがとうございました、あれからマスコミにも追っかけられなくなりました。」
その言葉を聞いた理奈はいとおしそうにアスカに微笑んだ。
「あらっいいのよ、私もあれでシンジくんと共演できたんだし、でも良いわ〜そういうの、気が合いそうで。」
アスカの皮肉に堪えない素振りで理奈が話を続けた。
「いつも思い出すわシンジくんと会ったこと、才女と呼ばれた私にも無い才能、素敵だわ。」
「シンジのいいところはそんな処だけじゃありません。」
「そう、あなたはそれを知っている、だからちょっと意地悪して見たかったのよ。
私が本気になった時もそう、聞いたけどあなた誕生日にシンジくんからチェロのMDが送られてくるって。
一昨年かな?私達もその場にいたのよ、正直嫉妬したわ、この子のどこにそんな豊かな表現ができるんだろうって、
それにまだ完成されていないのよ?あの年で、その才能が、だれだって憧れるわ。」
そう一気に話すとやおら紅茶を口に含むその姿にアスカはどこかの貴婦人を思わせる。
「アタシはシンジの向こうの事は知りません。でもいつも待っていました、周りには誕生日だけの関係なんてとよく言われ
ました、でもいつもうれしかった、みんなに自慢して回るんです、素敵なプレゼントだって。」
いつも思ってました、いつか帰ってくるそのときに自分の気持ちを打ち明けるんだって、シンジがうまくなるたびにアタシも
がんばんなきゃって、だからこの気持ちだけは譲れないんです。
シンジはアタシに答えてくれました、だからシンジを信じます、何があっても、私にできることはそれしかないですから。」
アスカは視線をそらさずに堂々と理奈に語る、自分なりの精一杯を彼女にぶつけたかった。
「あなた、分かってないわ。」
「?」
「じゃあ答えてくれて、分かってもらってハッピーエンドなの?これで終わり?」
理奈は諭すように言葉をつなげる。
「私達の苦悩…わかる?その世界知ってる?あなたに言うのは酷かもしれないけどシンジくんはもうその世界の人なのよ。
孤独な世界……私はそれをシンジくんと共にしたいだけ、彼なら分かってくれるから、シンジくんもその孤独を知っているから。」
アスカの心にその言葉が突き刺さる。
知らない世界、踏み込めない世界、人間は全てを知ることはできないのだ、全てを救ってやることなどできないのだ。
いつかその世界でシンジが苦悩したときアスカは救えるのだろうか?
いつかその世界でシンジが助けを求めたとき自分に何ができるのだろうか?
「少なくとも私はそれに近い立場にいると思う、それがあなたよりも勝っているところ、でもただそれだけよ。」
アスカの心中を察したのかその答えを口にしたが理奈の表情も暗い。
「無理強いはしないわ、シンジくんはあなたのことを愛してるから、だけど自分でもわかるのこの気持ちは抑えられないって。
だから正々堂々勝負しましょう。」
「アタシは!」
「もう一つタロットの『LOVERS』ってカード知ってる?」
不意にかけられた理奈の言葉にアスカは戸惑いながら首を横に振る。
「向かい合っている恋人達の後ろで悲しむ女性がいるの、『恋人達』ってカードなのにね、おかしいと思わない?友達に聞いたらね
その女性は『失われた可能性』、『もう一つの選択肢』なんですって、シンジくんにとってあなたと私どちらになるのかしら?」
そう言って理奈は立ち上がる、気づくとその後ろにマネージャが立っていた。
「今日はありがとう、彼に想われているあなたと同じステージに立てたことに感謝するわ。」
理奈はそのままアスカに近寄り左手を差し出す。
「これからライバルですか……。」
アスカはその差し出された手を見つめそうつぶやく。
「少なくともあなたは最高の敵よ、今まで私がいた世界以上にね。」
理奈は不敵に微笑むとそう切り返す。
そう言ってアスカはその手を握り返した、そして理奈が出て行く様をずっと見つづけていた。
『失われた可能性……』
『アタシといればシンジは同じ世界のあの人を失うの?』
『あの世界のシンジを支えることなんて……』
人々に奇異に目で見られ、羨望と嫉妬の渦巻く世界を思い出す。
『アタシに……あの人と同じステージに……立つ資格なんて無い……』
『シンジのためにアタシができることって……』
紅茶を飲んだばかりの咽がなぜかカラカラに乾いていた…………。
「はぁ…。」
教室から外を眺めてアスカはため息をつく、ここの所シンジのことを考えていて夜も眠れなかった。
あれから一週間、何事も無いその何事も無いのがかえって不気味だった。
マスコミの件はあっさりと片がついた、今回はネルフがしっかりと動いたこともあるが、別方面から
強制力が働いた、簡単だった。
国連事務総長訪問、その歓迎会が控えているのであるそのメインにシンジが独奏を行うのだ、
ここで失敗でもすればとんでもないことになる、そのためにも周りが刺激を与えてはならない。
この国はいつもそうだった、歓迎を担当する省庁は脅しを通り越した態度でマスコミを抑えていた。
シンジはここの所めったに学校に顔を出さない、ネルフの稽古場に入り浸りなのだ。
アスカにしてみればそれは不安な日々であった、シンジは自分のほかに必要とする人が大勢いるのだ。
皆がシンジに期待している、その重圧に耐えながらシンジも日々を過ごしている。
自分には絶えられない、自分にはわからない重圧の日々を。
歓迎を明後日に控えた夜、久々にシンジが惣流家を訪れた、どうやら一段楽したらしく自宅で夕食を済ますと
真っ先にアスカに会いに来たらしい。
ヘルベルトとキョウコと暫くお茶をした後、アスカの部屋へ向かうアスカは始終はしゃいでいたように見えた。
部屋に入りシンジに二杯目のお茶を薦める、シンジはゆっくりとしながら今日までの出来事を楽しく話していた。
うれしそうに話すシンジだがその表情は疲れている、当然だ睡眠もそこそこ稽古に没頭しているらしい。
アスカには無理をしてまで自分に会いに来てくれてうれしいという感情より、自分が重荷になっていることを感じた。
「でね、またその日向さんが言ったんだ…ってどうしたのアスカ?」
シンジはアスカの雰囲気が微妙に違うのを感じた。
アスカは瞬きもしないでシンジを見つめている、楽しそうにさびしそうに。
「何でも無いわよ。」
「ううん、どうかしたの?アスカここの所あまり元気が無いみたいだし、僕にできることがあったら言ってよ。」
「ごめん…でも大丈夫よ、ちょっと考え事が多いのよ。」
その言葉をアスカが吐くと沈黙が二人を支配する。
「ねぇ、シンジ…チェロ楽しい。」
「えっ、うん…ここの所すごく充実してるんだ、それに先生も来るしね、それにアスカも来てくれるんでしょ。」
「えっアタシはどうなのかな?」
「冬月先生に頼んだから大丈夫だよ、今回は頼むよ、その、あの、えっと…キス…。」
「シンジ…。」
アスカの真剣なまなざしに照れていたシンジははっとしてアスカを見つめる。
「アタシ行けない。」
アスカはその一言をつぶやくとうなだれてしまった。
「えっどうして?」
「シンジ…アタシ考えてたんだ…あの後ね理奈さんに会ったの。」
シンジはアスカの口から『理奈』の言葉を聞き怪訝な顔をした。
「アスカ…どうしたの、何か言われたの?」
「違うの宣戦布告、シンジが好きだって、アタシに負けないって……。」
その言葉をつなぐアスカの目からは堪えきれなくなったのか涙がぽろぽろと流れてくる。
「そんな!アスカ…それは僕も言われたよ、好きだって、でもあの人をどう思っている?って聞かれたら優しい
お姉さんとしか考えていないよ。」
「違うの!違うの!」
シンジの言葉に顔を振りながらアスカは泣いていた。
「シンジ…アタシ、シンジがすっごく大きくてすごく遠い人に見えるの、アンタの気持ちは分かってる、分かってるわ!」
「だったら!」
「でもねシンジ…アタシは何もしてあげれないの、何も教えてあげれないの。」
泣きながらアスカはシンジにしがみつく。
「だからねシンジがそれじゃあだめなの、シンジがこれからもがんばっていくにはアタシじゃあ可能性が無いの!」
そう言うとアスカはシンジの胸の中で嗚咽を漏らした。
どのくらいたったのだろうシンジは優しくアスカを抱き起こすとその涙をぬぐいとって優しくささやいた。
「アスカ…僕はそんなにすごい人間じゃないよ、いつまでたってもバカシンジ、アスカの後ろに隠れてた弱虫シンジだよ。」
アスカは違う違うというようにかぶりを振る。
「それにねチェロが楽しいって教えてくれたのはアスカだよ、アスカがいらないって言うのならやる意味が無いよ。」
「だめよ!だめ!シンジ…きっかけはアタシかもしれない、でも止めないで、皆シンジの音楽聴きたいと思ってるんだから!」
「じゃあアスカもそんなこと言わないで、ごめんねアスカ、僕はいつまでたっても君に心配かけるね……。」
そう言ってシンジはアスカを抱いてその髪を優しくすいてやる、大事に大事に。
「これが終わったらデートをいっぱいしよう、アスカの好きなところどこでも連れってってあげる。」
「シンジ……、やっぱりだめアンタはやっぱり…」
アスカの言葉はシンジの唇によってふさがれる。
『ずるいよシンジ、シンジがそうしてくれればくれるほどアタシ辛いよ……。』
唇を離すとシンジがつぶやいた。
「わかった。」
聞きたくない言葉、その言葉がシンジの口から放たれたとき望んだのにもかかわらず、悲しみのどん底に落とされる。
「アスカ……僕に最後のチャンスが欲しい、明後日、歓迎会に来てほしい、そこで君のために弾きたいんだ、それを聞いても
考えが変わらなければ、僕はドイツに戻るよ。」
シンジはそう言うと静かに部屋から出て行く、その光景にしばらく呆然としながらアスカは自分に言い聞かせようとしていた。
『これでいいの、これでいいのよ、嫌だよシンジ、やっぱり嫌だよ……。』
その夜アスカは皆に知られない様に枕に顔を沈め大声で泣いていた…………。
「事務総長、あと二十分で第三新東京空港です。」
特別機執務室、幾つもの書類に囲まれながらその女性は手を振り答える、そのしぐさに了解を得たのか男は下がっていった。
「ひさしぶりだね、第三は。」
その目の前に座っていた男性が話し掛ける、その向かいにシュトラウスは座っていた。
「ヘル・加持、チェックメイトだ。」
シュトラウスはそう言うとナイトの駒を静かに置く、やっと長旅の退屈から解放されるのだほほが緩む。
「加持くん、あなた何年振り?」
女性は、書類を片付けはじめると男性に問い掛ける。
「二年ぶりだね、まあアメリカとこっちの往復だけど。」
「ミサトは元気かしら?」
「どうだかね、もう少し落ち着いたら戻れるんだけどな。」
「私もびっくりしたわ、国連護衛のSPが加持君だったなんて。」
そういって片付け終わった書類をケースにしまう。
「ヘル・加持、君はジャパニーズか?てっきりワタシはチャイニーズと思っていた。」
シュトラウスの言葉に加持はやれやれとポーズを取る。
「先生……まあいいでしょう、でも先生も強引ですね、意気投合したからって事務総長機に強引に引率するとは。」
「あら、私は大歓迎よそのおかげで先生がイチ押しの方の演奏が用意されているから。」
そう言って二人に微笑み返した、この女性が笑うことなどめったに無い、日本人でありながら科学者としてアメリカに渡り数々の
分野の中枢をしめた、彼女の理論とその決断それは今度は国家という枠組みから外れたところで発揮されている。
「フロライン・リツコ、確かアナタもジャパニーズでしたな。」
「ええ、もう八年ぶりですね。」
『完璧主義』・『鉄の女』そう呼ばれ、初の国連女性事務総長に就任した赤木リツコは、感慨深く答え窓から見える空を眺めていた。
「どうしたんだい?こんなところで。」
夕刻、カヲルは街中でアスカを見かけた、姉と会ってからおかしいアスカを心配していたが、忙しさにかまけてゆっくり話しを
していなかったのでいい機会だと声をかけた。
「アンタか……。」
アスカは幾分さびしげな表情で答える。
「シンジ君は?」
「ネルフよ、明日が本番だもんいるわけないでしょ。」
「そうだね。」
「それにアタシには関係無いわ、一応招待されているから行こうとは思うけど。」
そう言ってうなだれてしまうアスカをみてカヲルは明るく声をかけた。
「惣流少し歩こう。」
夕日があたりを包み、風景を赤くするその風景に中を黙って二人は歩いていた。ふとアスカにとって思い出の公園に差し
掛かった時、自然と涙が出てしまった。
「泣きたいときは泣いたほうがいいよ……。」
カヲルはそう言ってアスカを抱きしめようとした、しかしその手は振り解かれる。
「いいわ、泣くんなら一人で、アタシを抱いていいのはシンジだけなんだから。」
「でも姉さんの言葉でそれも拒絶しようとしている。」
カヲルは姉が何を言ったか解らなかったが、アスカにとって辛い選択を強いているような感じがした。
「何がわかるのよ!アンタ!シンジのことなんてわからないくせに。」
「でもいまの惣流の悲しみはわかるつもりだよ。」
「優しくするな!アンタも所詮違う世界の人間なんだから!アタシなんて役に立たないのよ。」
その言葉でカヲルは姉がこの少女にどんなことを言ったのか正確に捉えることができた。
「そんなこと無いよ……。」
「うるさい!いいわアンタでいい、ちょっとこっちきなさい。」
そうアスカが告げると公園に引っ張っていく。
「抱くんじゃないわよ、胸だけかしなさい。」
そう言ってアスカはカヲルの胸で泣いた、誰でもよかった悲しかった苦しかった、ヒカリがいればこの役目を彼女にお願いしただろう。
「うっうっ、シンジ、シンジィ、嫌だよぅ。」
その儚い情景を見たときカヲルはアスカとの約束を破ってしまう。
その夕日のような髪から流れる甘い香りがいとおしくなる…………。
自分が恋焦がれていた人が悲しんで自分の胸で泣いている…………。
儚い彼女を見ていると…………。
そっと肩に手を置こうとした時。
「なんだ二人ともそんな仲だったの?」
突然、二人の前に女性が現れる。
「へぇ〜アスカもすみに置けないね、シンジ君じゃなかったの?それとも二股かな?」
その言葉にアスカはキッと顔を上げる、その顔は涙でグショグショになっていた。
「何かあったみたいね。」
ジョギパンにTシャツの格好をしてコンビニの袋を下げた霧島マナは、その様子に気づくと、頭をかいて二人を見やった。
「いらっしゃい、少し散らかってるけど、あっあたし一人暮しだから心配要らないよ。」
アスカとカヲルは言われるままマナの家に入った、公園で立ち話もなんだからとつれて来られたのだ。
「さて、はいっジュース、何から話そうか?」
マナは沈んでいる二人に元気付けとばかりにジュースを出すと二人の前に座る。
「アンタには関係無いわ。」
アスカはキッとにらみつけるとマナにつぶやく。
「そうもいかないのよね〜あんな現場抑えちゃ、アスカ、あなた教えなきゃこの場でその顔殴るわよ。」
「なんでよっ!」
「シンジ君のことよ、あなた私になんて言ったの?だから私あの時は手を引いたんじゃない。」
「…………。」
「説明できないんだったら、あれは単なる浮気、そう解釈するしそうだったら、遠慮は無しね。」
「霧島君、それは僕から…。」
堪らずカヲルがアスカを助けようと横から入る。
「ごめんね渚、あなたの話じゃ無理だから、言えないのアスカ?」
マナはキツイ口調でアスカを問い詰める、その言葉はひどく落ち着いて目は笑っていない。
「それは…………。」
アスカはそんな真剣なマナの表情に気おされポツリポツリと話しをはじめていった。
「ふ〜んそ〜言うこと、あたしもテレビで見てちょっとショッキングだったけど。」
終わってみればアスカは全て話していた、理奈と初めて会った時のこと、シンジとの帰り道のこと、コンサートの夜、
そして理奈との会話、この一ヶ月の間の出来事を鮮明に思い出しながらマナに話していた。
「でっ?渚の胸の中ですか。」
「なによ悪かったわね!」
マナの第一声にアスカは諌めの言葉を期待していたのかその言葉に反論する。
「渚、あたし出かけるからこいつのことヤッちゃえば。」
いきなりのマナの一言にアスカをカヲルは仰天する。
「だってたかがそんなことで他の奴に乗り替える子なんか、今ちょうどいいんじゃない?寂しいみたいだし。」
「霧島!」
アスカは呆然とし、カヲルは激怒してマナをにらみつける。
「あら渚もまんざらじゃなかったでしょ、あのままだったら肩抱いて何したことやら。」
そう言うとマナはおもむろに立ち上がり、キッチンへ向かう、二人は何も言うことが出来なかった。
「よいしょっと。」
戻ってきたマナは目の前にコップを三つ置いた、見ると手には日本酒「美少年」の一升瓶が握られている。
「長期戦だからね、まあ明日予定があるんならほどほどにね。」
そう言ってにこやかな表情を見せアスカにコップを握らせる。そしてちょっとと言いつつナミナミと注いだ。
「いいアスカ、自分が必要無い?じゃあ必要ってなんなのよ?世界が違う、ほう〜地球って今のところ一つじゃあないの?」
アスカもカヲルも一杯目を半分あけたところでマナは三杯目に突入していた、もう十時をすぎている、先ほど自宅に電話は
していたがもうそろそろと思っていたのにこの調子だった。
「アスカ、世界が違うなんて屁理屈には負けるの?、シンジ君が知らないこと教えてあげればいいだけじゃない。」
「でも……アタシに何が教えられるのよ!シンジに必要なものなんか教えられないじゃない。」
アスカも少し酔った勢いで反論する。
「へ〜え、シンジ君は何でも知ってるんだ?何でも出来るんだ?アスカ、シンジ君と再会してどんだけ経つの?」
「一ヶ月よ!」
「じゃあシンジ君の知らないアスカがいるんだ、じゃあ聞くよ、どうしてシンジ君は不安じゃないの?」
「それは………・。」
「多分信じてるんだろうね、何かあってもアスカを信じるんだろうね、辛いけど一生懸命解ろうとしてるんだろうね。」
マナはアスカに視線を合わせずその思いを語る。
「あなたから昔からのことを聞いた時、いいな〜って思った、だって会うこともしない二人が再会した日からもう恋人同士、
うらやましいと思った、強いな〜と思った、だから正々堂々勝負しなきゃとも思ったわ。」
マナの独白にアスカもカヲルも黙ってしまう。
「理奈さんもそう思ったと思う、だからアスカに真っ向から話してる、そりゃズルもしたわよ、でもあんなの私だったら堪えないよ、
だって自分に惚れてる人間はあの緒方理奈さえ惚れる良い男だって逆に自慢するわ、自分が何にも無いわけないじゃない、
でなきゃあんたとっくに愛想つかされてるよ。」
「マナ……。」
「勘違いしないでね、シンジ君が今のところあなたに惚れてるから言うの、シンジ君の目が節穴だったって思いたくないもん。」
そう言葉を切るとマナは本日三杯目をグッと空けていく、それにつられてアスカも半分はいったコップを空けた。
その二人の姿を見つめていたカヲルは残念な表情をするが、ふと笑うと同じくコップを空にするのであった。
「やり直せるかな…アタシ。」
「惣流、大丈夫だよ。」
「まっがんばってね、まあ最後に笑うのは私よ、さてじゃあ前祝いといきますか!」
マナはそう言って、アスカとカヲルのコップにナミナミと酒を注ぐのであった。
「嘘…………。」
アスカは目覚めて携帯の時間表示を見た時、真っ青になった。液晶には17:30分と無情に時間を告げていた。
着信履歴とメッセージがかなり入っている……。
歓迎会は昼から…完全に遅刻だった、いやもう終わっている。
隣にはマナとカヲルが丸まって寝ていた、そんな二人を見ながら夜のことを思い出す、すぐ様、カヲルをたたき起こした、
失敗だった昼からだと言う油断、マナの勧めもあってはしゃぎ過ぎた、頭がズキズキする、しかし今のアスカはそんな
ことにかまってられなかった。
「まさか!いや惣流!早く帰ろう!」
普段冷静なカヲルもさすがに慌てていた、寝ぼけているマナに挨拶もそこそこ帰宅を急いだ。
「シンジ君は?」
「携帯に出ない、そっちは?」
「だめだ、他の人も……。」
フラフラする、胸が痛い、でも走るのを止められない、なんて事だろうせっかく自分を信じる事が出来るようになったのに。
角を曲がると家が見えてきた、一瞬どうすれば良いのだろうと考えたが、ただ自分の家を目指した。
玄関に入る、ドアを空ける……そこには両親が立っていた、自分に驚いた顔を向けていた。
「アスカちゃん…………。」
キョウコはその言葉を絞り出すのが精一杯だった…………。
後編 -LOVERS- END
感想は新たな作品を作り出す原動力です。1行の感想でも結構 ですので、ぜひとも作者の方に感想メールを送って下さい。 |