スープの冷めないそんな距離。


アタシは窓から外を見ている。

雨か・・・。

 

青い傘が聞こえないはずの雨音をはじいて遠くなっていく。

きっと真っ直ぐ家に帰るんだろう・・・・。

その距離はスープの冷めないほんのわずかな距離。

でも、その間には自分とそして彼との遠い遠い距離がある・・・。

 

 

学校帰り、アスカは下駄箱の前で降りだした夕立に天に向かって悪態をついていた。

あれだけ眩しかった青空が、たちまち機嫌が悪くなった乙女心のように雲って泣き出していたから。

悪態をつきつつも、呆然とする事しか出来なくてアスカは恨めしそうに空を眺めていた。

 

「アスカ?」

振り向いた先には、シンジが佇んでいた。右手に青い傘を持って。

誰も居ない下駄箱の前で掛けられた声はなぜか酷く懐かしいような気がする。

その時、アスカはゆっくりと手を上げて少しの微笑を返すだけだった。

 

時折聞こえる車の音を聞きながら二人は並んで歩いていく。

一つの傘に。

濡れないように。

帰る道が、なぜかいつもより長く感じる。

 

「元気?」

「まあまあ・・・かな。」

 

「ちゃんと食べてる?」

「うん。」

 

何の気も無い会話。

静かな雨音だけが二人の周りを包む。

 

「もう少し・・・こっちに来なよ、濡れてる。」

「そっ、ありがと。」

そっと寄り添っても埋まらない距離。

 

既に一年。

全部が終わって一年。

世界は全ての清算で忙しく、毎日が慌しかった。

でも、二人の間は、止まった時計のように動かない。

あの時、あの場所、あの思いのまま。

そして、ネルフが解体が決定した時、二人の生活も終わりを告げた。

 

未だ監視をつける不自由な生活。

保護者は、つかず離れずの距離を二人に提供した。

ヤマアラシのように、互いが傷つかない程度の距離。

 

「アンタ・・・背伸びたんだ。」

「あ、うん。」

いつのまにか隣で歩いていた少年が自分の視線より高いところにいる事に

気付く少女の声に静かに答える。

 

変っていく日常。

変っていく光景。

しかし二人はそんな中を静かに歩いていた。

 

「じゃあアタシこっちだから。」

アスカが十字路に差し掛かり自分の家の方向を指差しながらそっけなく答える。

 

「送るよ。」

シンジはそんな言葉に静かに答えるとアスカと同じ道を歩き出した。

 

同じ道、同じ距離。

静かに一言も話さないまま、二人は歩いていた。

 

マンションに着くと、シンジはアスカが入り口に入ったことを確認して今までの道を

戻ろうと振り返る。

 

「待ちなさいよ・・・。」

アスカの言葉にシンジはふと振り返る、その振り返った先にアスカの蒼い瞳がシンジ

を見つめていた。

 

「肩濡れてるわ、ちょっと来てよ。」

そう言ってアスカはシンジについて来るように促す、シンジはそんな仕草に自分の肩

を見るとワイシャツがピッタリと自分の肌に張り付いていた。

 

エントランスでエレベータを待つ。

白で統一された綺麗なつくりのマンションだった。

概観だけは見たことがあるマンションだったが、此処まで入った事は初めてなシンジは

少し緊張していた。

 

チン!

懐かしい音を響かせながらエレベーターが開く。

なかなか造りだなとシンジが感心していると、開いたドアから女の人が出てきた。

二人の間を通り過ぎる時、ふと思い立ったようにこちらを振り向いた女性は、ちょうど

エレベーターに乗るシンジと目が合った。

 

ドアが閉まる。

エレベーターが上っていく。

 

「誤解・・・・されたのかな?」

シンジはアスカの顔を見ないままポツリと独り言のように呟いた。

 

「大丈夫よ、しょっちゅうだもん。」

「え?」

アスカの何の気の無い冗談にシンジは思わず声を上げてアスカの顔を見た。

 

「嘘。」

切なそうな顔をして答えたアスカの顔に何と無く胸の奥がチクリと痛んだ。

 

「いい冗談じゃないよ・・・。」

「ごめん・・・。」

再び音が鳴りエレベーターのドアが開いた時にシンジはボソリと呟いた。

 

そんな度胸・・・・アタシ無いよ・・・・。

 

ドアの前に二人立つ、アスカはカードキーを通して鍵を開けた。

そして、シンジに待つように言うとドアに空けて部屋の中へ滑り込む。

 

アスカは玄関に入るといそいそと靴を脱ぐ。

あの時は、一緒に入ったドア。

二人で誰も居ない部屋に共に掛けた言葉。

 

「ただいま。」

 

今は自分の言葉しかなくこたえてくれる者も居なかった。

 

シンジはドアの前で待っていた。

あの時は、一緒に入ったドア。

二人で並んで帰ってきた部屋。

 

「まだ、降ってる・・・・・。」

 

彼はそのドアを開けることはしなかった。

 

「これ使って・・・・。」

ドアが開いてアスカが出てきた時、手には真っ白なタオルが握られていた。

タオルとアスカを見ながらシンジは、呆然とする。

 

「明日、返してね。」

そっと微笑みながら受け取るようにもう一度シンジの前にタオルを振る。

そんなアスカの仕草にシンジはゆっくりと頷くだけだった。

 

「じゃあ・・・帰るね。」

「ありがとね・・・。」

帰り際に交わした言葉はそんな言葉しか出なかった。

まだ、あがってお茶を飲む関係には戻れない。

 

アスカはその後、窓から見える青い傘をずっと追っていた。

そして見えなくなりそうな青い傘に呟いた。

 

「バカ・・・・・。」

 

 

あれから一年。

アスカとシンジのそんな距離。

 

 


 

ドアを開けて家に入る。

ただいまという言葉を出さなくなったのは何時からだっただろう。

誰も待っていない、だれも居ない家にシンジは帰ってきた。

傘の水を切ってたたみ立て掛け。

部屋に鞄を置き、濡れたワイシャツを脱ぐ。

 

ふと、まだ握られているタオルに視線を落とす。

ちょっと前、ほんのちょっと前にアスカに手渡されたタオル。

自分の肩をちょっと拭いて濡れただけのタオル。

 

なぜかシンジは、そのタオルで顔を拭いた。

乾いた部分から、ほのかな香りが漂ってくる。

同じ洗剤を使っているタオルからかすかに残る香りを嗅ぐ。

 

その寂しさが何度ぬぐっても濡れる顔を拭きつづける。

いつのまにかシンジの中に染み付いた香りが取れることはなかった。

しかし、シンジは顔を上げるといそいそと脱衣所にワイシャツを脱ぎ着替えると、

食事の用意をはじめていた。

 

夜。

電子ジャーの音が食事の時間を告げる。

せわしく動いて、盛り付けをして準備をする。

一人で食べるしかない味気ない食事の用意を。

ふと、その手を止めて天上を見上げ呟いた。

 

「アスカ・・・・ちゃんと食べてるかな・・・。」

 

 

 


 

学校帰り、又同じ光景。

晴れたはずの青い空は天気予報を裏切って夕日を見せることなく泣いていた。

呆然としていたアスカの顔が忌々しげに空を見上げていた。

 

「アスカ?」

後ろを振り向くとシンジの顔。

その手には又青い傘。

 

「ごめんね。」

「別に良いよ。」

雨音しか聞こえない道を二人は並んで歩いていく。

一つの傘で、並んで帰る。

長く感じる道を二人は一言も話さずに帰っていく。

 

十字路。

アスカは左、シンジは右。

「あの・・・。」

「大丈夫、送っていくよ。」

申し訳ないように聞いてくるアスカの瞳にシンジは苦笑しながら答えていた。

 

同じようにマンションに着くとアスカは入り口で言葉を掛けようとシンジに振り向く。

しかし、シンジの肩は今日は濡れていなかった。

 

「じゃあ・・・。」

「うん、ありがとう。」

そんな言葉で別れる二人。

 

「ごめん、タオル、忘れたんだ。」

ふと、シンジは何か思い立ったように振り替えり、マンションの中に消えようとするアスカ

の声を掛けた。

 

「そう?いいよ。」

シンジの言葉にきょとんとした表情でアスカは答えた。

そして暫く見詰め合うと少しはにかんだ笑顔でアスカが手を振る。

 

「又ね、シンジ。」

又ね、もう一度を約束した言葉。

それは、一緒に帰ることを約束した言葉。

あの時のように、共に住んでいた時とは違う意味の言葉。

その言葉にシンジは微笑むと踵を返してもと来た道を歩いていく。

 

鞄の中に洗ったタオルが入ったまま。

 

 

あれから一年。

アスカとシンジの少し近づいたそんな距離。

 


雨の降り続く日。

夕立はいつのまにか予感めいたものを思わせる。

静かに目を閉じてアスカは待つ。

 

しかし、シンジは来なかった。

 

アスカは一つため息をつく。

誰かこないだろうか?

いつも、しつこく付きまとうほかの生徒も帰ってしまった学校で、アスカは待っていた。

しんとした、校舎の中は寒ささえ感じて、誰も居ない空間はアスカに寂しさを匂わせた。

 

アスカは暫く考え込み、勇気を出してそのまま飛び出した。

 

雨音と自分が走る音を聞きながら一人で走っていく。

一人でそのまま何も考えないで帰る。

いつも長く感じていた道はあっけなく十字路についた。

 

「アスカ!」

目の前がずぶ濡れになり髪がべとついてよく前が見えない場所で声を掛けられた。

そこには青い傘を差したシンジが呆然と立っていた。

 

「ごめん。」

アスカは謝りながら青い傘に入ってその濡れた髪を拭いている。

この前、自分がシンジに貸した白いタオル。

髪を拭きながら二人一緒に帰る。

その一言の後は無言。

二人は何も話さず一緒に帰る。

 

白いマンション、アスカが住んでいるマンション、アスカだけが住んでいるマンション。

そのマンションに二人が入る。

エレベーターの前でシンジが呟く。

 

「じゃあね、風邪気をつけてね。」

その言葉と共に後ろを振り向くシンジにアスカは何も声を掛ける事が出来なかった。

 

シンジ・・・・アタシホントは強くないんだよ。

ホントは弱虫なんだよ。

疲れちゃったよ・・・・・・。

 

あれから一年。

アスカとシンジの少し離れたそんな距離。

 


 

誰も居ない部屋の中で、その距離の中二人はベッドの上で考えている。

そろそろ見慣れた天井を見つめて考えている。

 

一年間何もなかった訳じゃない。

ただ、二人の間には、とても大きな隔たりがあった。

だけどそれが本当は互いに憎しみ合うことではなかったのだと言うのも判っていた。

 

だけど、自分に縋った彼が赦せない少女がいて。

自分が縋っても助けてくれなかった彼女に嫌悪を抱いている少年がいた。

本当はそうして欲しかったのは彼女のほうで。

本当にそうして上げたかったのは彼のほう。

 

だけど皆そうはさせてくれなかった。

だけど二人はそうは出来なかった。

 

真実をこの耳で聞いたとき本当は赦してあげたかった赦して欲しかった。

 

でも二人の間は、止まったまま。

少年に勇気はなく。

少女は素直になれなかった。

 

ヤマアラシのジレンマのように、二人はそんな関係を続けている。

本当はもっと近づけば温かいのに。

傷つく事が怖いから。

でも、本当は傷つけあいながらも生きている事を知っていたのに。

 

目を閉じれば少女の微笑が出てくるくせに。

瞼を枕に押し付ければ少年の柔らかい笑みが見えるのに。

 

毛布をかぶれば柔らかい少女の愛くるしい夢が見えるのに。

シーツに包まれば少し大人になった少年に包まれる夢を見るのに。

 

あの時、あの場所、あの思いのまま。

あの時を感じ、あの場所を思い出し、あの思いを判ったのに。

 

アスカ・・・・。

シンジ・・・・。

 

少年は毛布をかぶり眠りにつく。

少女はシーツを握り締め眠りについた。

 

二人の距離は嘘の距離。

本当はもっと近づきたいのに。

だから少し、勇気を下さい。

もっと素直になりたいの。

そんな思いを抱きながら二人は眠りについていた。

 


 

今日も雨、夕立ではなくて午後から降るだろうと約束された雨。

アスカは下駄箱の前で佇んでいた。

何かを待ちながら、何かに期待しながら。

 

辛いから勇気を持とう。

寂しいから素直になろう。

 

きっとアイツは分かってくれる。

だから何かを待っていた。

でも、きっと辛いだけじゃなく、寂しいだけじゃない気持ちがアスカの

中にきっとある。

だからアスカは待っていた。

 

 

雨雲でよく見えない校門をじっと見つめて佇んでいた。

先ほどから誰が声を掛けてもにっこりと微笑むだけで佇んでいた。

 

「アスカ?」

その声を聞いてアスカは肩を揺らした。

そして、微笑む。

 

寂しくて寂しくてしょうがない日々。

言いたくて言い出せなくて悩んだ日々。

辛くて胸の奥がチクリと痛む日常。

そんな雨の日。

 

アスカの手には真っ赤な傘。

そして、シンジの姿が見えたとき、アスカはにっこりと微笑んでシンジを迎えた。

そんなアスカの仕草にシンジもゆっくり答える。

静かに、二人の間に柔らい時間が流れていく。

 

シンジが言った、勇気を下さいって。

アスカが思った、もっと素直になりたいって。

 

寂しいだけじゃない、きっと近づけば傷つける。

だけど、傷つきながらも、きっと一緒に居ると暖かいと思う。

だから・・・・。

 

「一緒に帰ろう。」

「うん。」

シンジがそんなアスカに声を掛ける。

アスカは頬を染めながらも俯いて答えた。

 

時折聞こえる車の音を聞きながら二人は並んで歩いていく。

二つの傘で。

濡れないように。

帰る道が、短く感じる。

 

一言も話さないけど、二人は並んで帰っていく。

雨音だけが二人を包み、とても静かな帰り道。

青と赤の二つの傘が並んで道を歩いていた。

距離は遠くなったけど。

少しだけ近づいてきた気がした。

 

十字路。

アスカは左、シンジは右。

二つの道が二人の前に現れる。

 

静かにその前に佇む二人。

二人はその道を見つめて微笑んだ。

 

「じゃあね。」

「うん、また明日ね。」

二人はにっこり微笑みながら自分の家へと帰っていった。

 

もう大丈夫だから。

少しずつだけ、近づいたから、今日は此処で良かった。

きっともう一度、やっていける・・・・二人はそう思って別れていった。

 


 

燦々と照りつけていた太陽が今日も今年の最高気温を更新したことを伝えていた。

その太陽が、真っ赤になって落ちていく姿が雲ひとつない空に見えている。

 

あれから随分と経ったある日、アスカはあの日からずっと下駄箱の前で待っている。

真っ赤な夕日を浴びながら、その眩しさを楽しそうに待っている。

自分が何かを得た日からずっとずっと此処で待っている。

 

シンジが勇気を出した日から嬉しそうに待っている。

アスカが少し素直になった日から帰りを楽しみに待っている。

二人がちょっとずつ近づいた日からそうしている。

 

「お待たせ。」

シンジの声が聞こえてくる。

息を切らせて走ってきた声が聞こえてくる。

 

「遅いぞ!」

元気良く答えたアスカの言葉にシンジは苦笑しながら答えていた。

 

夕日を見ながら二人一緒に歩いている。

あまり言葉は交わさない。

でも、互いの手のひらに相手の温かさを感じていた。

二人の距離がとても近くに感じられた。

とても短い帰り道。

 

十字路。

アスカは左、シンジは右。

ちょっと残念そうな顔をするアスカにシンジの顔が不意に近づく。

夕日が長い影を暫くの間一つに写す。

 

暫くして離れてみると、夕日のような少女が笑った。

「それじゃ。」

「うん・・・後でね。」

 

アスカは別れると大急ぎで駆け出す。

早く早くと自分の家へ駆け出していく。

今日はシンジの番だから、きっとおいしい物を用意して待っていてくれるから。

 

やっと見つけた二人の距離。

いつか離れるかも知れない距離。

ヤマアラシのジレンマのように、傷つかない程度の距離じゃなくても。

傷ついても温かい距離に居たくなった二人。

二人でもっと近づいて行きたいと願う二人。

そんな不器用な二人の距離。

 

アスカを見送りながらシンジは笑い出す。

今日のスープは腕によりを掛けて作ったからきっと喜んでくれるかもしれない。

 

スープの冷めないそんな距離。

いつかは、出来たてのスープをご馳走できる日がくれば良いねと思う今日この頃。

 

だから慌てずにね、アスカ・・・・・。

 

Fin

Written By あつみ


このたびは掲載のご了承ありがとうございます。ご意見その他はこちらまで。


マナ:スープの冷めない距離、丁度いい遠さかもしれないわね。

アスカ:そんな距離があった方が、近くなれるのよ。きっと。

マナ:心を通わせる前から、体を近くに寄せるとヤマアラシのジレンマになるのね。

アスカ:まずは、心から。ね。

マナ:いい話ねぇ。

アスカ:でしょでしょ。

マナ:でもさぁ。アスカ?

アスカ:ん?

マナ:言ってることとやってることが、全然違うんだけど?(ーー)

アスカ:何がよ。

マナ:このタイトルタグは何?

アスカ:うっ・・・。

マナ:スープの冷めない距離とか言ってて、シンジの上に乗っかってるじゃないのよぉっ!!!(ーー#

アスカ:だって、近くにいないとスープが冷めちゃうじゃなーーーーーいっ!!!!(^O^)v
作者"あつみ"様へのメール/小説の感想はこちら。
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