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あなたに来いと言われたら
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よく晴れた青い空を絵筆でさっとこすったような絹雲が上機嫌で走っていく、そんな気
持ちのいい朝。

2人が映画館に着いてみると、目当ての映画の朝一番の上映までは、まだまだ結構な時
間があった。

アスカは上映時間の下調べなどしていなかったし、そのアスカに引っ張られるように家
を出てきたシンジは、当然アスカがそれをしているものと思っていたのだ。

映画館にはまだ入館できないうえに、ほとんどの店はまだシャッターを上げていないた
め、そこで余った時間を潰すこともできない。

苦笑するシンジの目の前で、アスカは「仕方ないわね」と一言で自分のミスを片付ける
と、時間までどこかに腰を下ろすわけでもなく、澄まし顔ですたすたと歩き出した。

数舜の後には、シンジもアスカと肩を並べて歩いていた。

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見慣れない朝の市街地を宛もなくぶらぶらと散歩しながら、アスカは最初からこうする
つもりだったのではないかと、シンジは思う。

ただ、それは思っているだけで、口には出さなかった。仮にそうだとしても、それを責
めるつもりは全くなかったから。

代わりに2人が口にしているのは他愛のない話題ばかりで、それはいつの間にか2年前
のことに遡っていた。

「・・・へーえ。僕の場合、訓練なんか全く無しで乗せられたよ。で、それがちょうど
 第3使徒が来た日だったんだ」

「あ、聞いたことあるわ。サードはいきなり実戦だったって。・・・あれ? ってこと
 は、ずっとこの街に住んでたわけじゃなかったんだ、アンタも」

「うん。ここに来る前は長野市にいたんだけど、突然、父さんから来いっていう手紙を
 もらってね」

「手紙? 電話とかメールじゃなくて? んで、どんな手紙だったの?」

「いや、だからその、来いって」

「は? だって、それだけってことはないでしょ?」

「それが、たった一言だったよ。1枚の便せんに書き殴ったような字で『来い』って、
 ただそれだけ」

「何それ!? もしかして、ウケでも狙ってたんじゃない?」

「まさかぁ」

「ふぅん。自分の息子をわざわざ呼び寄せるのにねぇ・・・。そんなんで一体、どうや
 ってあのユイさんを口説いたのかしら」

「さぁ。でも、みんな知りたがってるよね、それ」

「ふーむ・・・」

「きっとさ、口説いたって言うより、まずは何か母さんの弱みを握って・・・」

「・・・」

「な、なんちゃってね。ハハ、ハ、ハ・・・」

「・・・」

「・・・」

2人の間に、何とも言えない時間が流れる。

マルチーズを連れた中年男性がそんな2人とすれ違ってゆく。

アスカが何か嫌なことを吹っ切るかのように頭を一つ振ってから、口を開いた。

「でも、一言だけの手紙なんて、いかにもあの司令らしいわね」

「それもそうだね」

「そんな手紙でノコノコやって来るアンタもアンタよねぇ。いくら父親でも、理不尽な
 要求は拒否しなさいよ」

「そんなこと言われたって、もう昔のことだよ」

「まぁ、そうかもしれないけど」

「・・・あのさ、アスカ」

シンジの声のトーンが少しだけ変わったのを意識しつつ、アスカは返事をする。

「なぁに?」

「僕、アスカに『来い』って言われたときは、僕も『来い』って返すからね」

「は?」

思わず間抜けな声を出してしまったアスカが横を見ると、シンジが真剣な眼差しで自分
の目を覗き込んでいた。

シンジってば、急に何を言い出すの?

「でも、『こうい』なんて、来ても来なくてもいいような呼び方じゃダメだよ。
 『来い』って呼んでくれないと」

こうい、来い。好意、恋。
アタシがシンジに恋、ってわけか。・・・コイツもなかなか言うようになったわね。

とりあえず、あっそ、と仏頂面のまま素っ気なく応えて、シンジから目を逸らし正面に
向き直る。

そんなアスカを見たシンジは、今度はおどけた口調で言葉を続けた。

「でも、日本語ってよくできてるよね。相手に自分の下へ来て欲しくても、『こうい』
 って悠長に呼んでるうちは、それはまだ単なる『好意』なんだ」

「で、来て欲しい気持ちが強くなると、それが『来い』になるわけね」

「そう。それが『好意』と『恋』の違い」

「ふん。面白いけど、似合わないわよ、そんな台詞。まるで加持さんみたい」

「あはは。実はね、加持さんが教えてくれたんだ」

「やっぱりねぇ。だと思った」

そういう気障な台詞を口にするなら、人から教えて貰ったことなどは正直に言わないほ
うが良いのに。そのことは教えて貰えなかったのだろうか。

あきれ顔のアスカに、シンジが声をかける。

「あのさ、アスカは、どう? 僕が『来い』って言ったら、そのときは『来い』って返
 してくれる?」

「うぅん。返さない」

アスカは首を横に振って冷たく言い放つ。シンジの顔色が変わった。

「じゃ、じゃあ、『こうい』?」

「うぅん」

またもやアスカは首を横に振る。

「・・・」

歩みを止めるシンジ。

その先に3、4歩進んでからやっと立ち止まったアスカは、腰に届きそうな栗色の髪を
ふわりとさせながら後ろのシンジを振り返った。心配そうな表情のシンジを見ると、思
わず笑みがこぼれてしまう。

「アタシは『来い』とも『こうい』とも返さないわ。そうじゃなくて・・・」

「・・・何?」

「あい、って」

「・・・へ?」

「アンタが『来い』って言うなら、アタシは『あい』って返してあげる」

「アスカ・・・」

「さ、もういいでしょ」

そう言うと、アスカは呆然としているシンジにくるりと背を向けて歩き出した。

シンジは跳ねるような駆け足で追いつくと、再び肩を並べる。

見ると、アスカの頬はほんのりと桃色に染まっていた。シンジは何となく、この話題を
もう少し続けてみたくなった。

「じゃあ僕も、もしアスカに『来い』って言われたら、『あい』って返事しようかな」

「ん〜? アンタ、本当にそれでいいの?」

「え?」

「心から『あい』って返事できる? 『来い』じゃなくて」

「それは、できるよ・・・。そういうアスカは、どうなのさ?」

「アタシはもちろん『あい』でいいのよ」

「そうなの?」

「そうなの!」

アスカはそう言い切って、クスクスと笑い出した。

シンジはその横顔を不思議そうに見つめる。彼にはよく分からなかった。恋と愛の違い
も、アスカがなぜ笑っているのかも。

「・・・ねぇ、アスカ」

「なに?」

「・・・あー、えっと、そろそろ時間だね」

「時間? 何の?」

「何のって、僕達、映画を見に来たんでしょ?」

「え、あぁホント、もう行ってたほうがいいわね」

「うん」

「じゃ、行きましょっ」

アスカは自分の手をシンジの腰の前に差し出す。するとシンジは、照れた表情を浮かべ
ながらも、躊躇うことなくその手を取った。

2人は、いま来た道を戻って行く。

ふと、アスカは、映画館へは向かわずに、ただこのまま歩いてみたくなった。
こうして手のひらでシンジの温もりを味わいながら、青空の下をどこまでも歩いて行き
たくなった。

                                     終


マナ:「来うい」と「好意」,「来い」と「恋」かぁ・・・。なんかいいわねぇ。

アスカ:加持さんらしいわ、かなりキザなセリフね。

マナ:でも、なんかいいじゃない?

アスカ:アタシはそんなこと言わないって言ったでしょ。アタシは「あい」って言うのよ!

マナ:アスカも、けっこうキザだと思うけど?

アスカ:キザじゃないわよ。想いの強さを表すにはやはり「あい」でしょ。

マナ:確かに、想いは強いわねぇ。

アスカ:でしょ、「こい」は受身「あい」はこちらの意思表示。

マナ:そうね。「来い」は来てほしいっていう受身の意思だけど、「会い」・・・「会いたい!」は自分の望みの現れだからね。

アスカ:そうよ! だから、アタシは「あい」って叫ぶのよ!

マナ:「こうい」に「こい」に「あい」かぁ・・・。それぞれにそれぞれの想いがあって、心の様子が感じられるわね。

アスカ:どれが、いいってわけじゃないのよね。でも、好きな人には・・・。

マナ:「あい」よね。

アスカ:そうね。自分からアピールしなきゃ。

マナ:わたしも、アピールしてこなくちゃ・・・。

アスカ:アンタは余計なことしなくていいの!
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