(作者注)このSSは、「鋼鉄のガールフレンド」のその後のお話です。
      ゲームをプレイしてからお読み下さい。

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  幽霊になった少女(前編)
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アスカが学校から帰ってきたとき、その少女はベッドにうつ伏せに寝転がって、なにや
ら陽気な鼻歌を歌いながら、ファッション雑誌のページをパラパラとめくっているとこ
ろだった。

「あ、アスカお帰り〜。今日は早かったのね」

部屋に入ってきたアスカに、寝転がったまま、顔だけを向けて言ってくる。

「ただいま。それより・・・」

返事をしながら後ろ手で入り口の戸をピシャリと閉めると、アスカはベッドの上の少女
をにらみつけた。

「シンジが、夜中に金縛りになるとか言ってたわよ。・・・あんた、身に覚えがあるで
 しょう?」

「うん」

あっさり彼女はうなずくと、全く悪気を感じさせない口調で続けた。

「だってさ、シンジってからかうと面白いんだもん。ギュ〜って抱きついてあげたとき
 の、あの必死の表情ったら、もぉ〜。ぷっ、あははははっ」

と、明るい笑い声をあげながら、足をバタバタさせる。シンジの必死の表情とやらがそ
れほどのものだったのか、そのうち目から涙がこぼれてきそうなほど爆笑しはじめた。
突き刺すようなアスカの視線も、完全に彼女を素通りしてしまっているようだ。

「ぬぬぬ・・・」

一瞬、そのまま怒りに我を忘れてしまいそうになったが、辛うじて、それは踏みとどま
った。こちらが頭に血を昇らせれば昇らせるほど、目の前の少女はそれを面白がってい
るのではないかということに、最近になって気付いたからだ。

「べ、別に、あんたがあいつに何しようと、ぜんっぜんあたしは構わないんだけどさ、
 そんな悪趣味なことは、よしたほうがいいんじゃない?」

こめかみがピクピクと引きつるのはどうしようもなかったが、それでも強引に笑顔を作
り出して、優しい声を絞り出す。そんなアスカ見て、少女は人が悪そうに鼻を鳴らした。

「ふふん」

「な、なによ」

「目は『構わない』なんて言ってないわよ。やっぱりアスカもシンジに抱きつきたかっ
 たりする? 羨ましいなら羨ましいって、そう素直に言えばいいのにぃ」

「っなわけないでしょーがぁぁ!」

いとも簡単に、アスカは叫び声をあげてしまった。相手の少女はニヤニヤとした笑みを
浮かべつつ、すかさず反論してくる。

「じゃあ、どうしてそんなにプリプリしてるのよ?」

「プリプリなんかしてないわよっ!」

「してるじゃない。ね、焼き餅やいてるんでしょ? 自分じゃ気付いてないみたいだけ
 どさ。ま、そこがアスカのカワイイところなのよねぇ。あはは」

「だぁああ、うっさい! とーにーかーくー! マナッ!」

アスカは、だんだんだん、と地団駄を踏むと、ベッドの上の彼女・・・霧島マナを、ぴ
しっと指差して喚いた。

「幽霊なら、もうちょっと幽霊らしくしてたらどうなのよっ!?」


                  ◆


それは、今から半月ほど前。11月になったばかりの、とある日の夜のことだった。
例のロボット事件・・・戦略自衛隊のロボット兵器の暴走と、富士山麓におけるN2爆
雷での『処理』・・・からは、1週間ほどが過ぎようとしていた頃のことだ。

その夜、ネルフでの用事が済んで、アスカはひとりぼっちで家路に就いていた。その日
のシンクロテストは彼女だけが対象であったため、シンジは既に帰宅している。

腕時計に目をやると、その針はもうすぐ9時を指そうとしていた。・・・夕食を、まだ
口にしていないというのに。

「はぁ。やっぱ、ネルフで何か食べてくるんだったわ・・・」

疲労と空腹とでヘトヘトになりながら、ようやくといった感じで自宅の玄関前までたど
り着いたとき、家の中から弦楽器の音が小さく聞こえてきた。
・・・シンジのチェロだ。アスカはそう思いながら、脇にあるスロットにカードキーを
すべらせる。静かな機械音とともにドアがスライドして、玄関に灯りがともった。

家の奥から聞こえてくるチェロの音は、アスカが靴を脱ぐ間も途切れることなく続いて
いた。自分が帰ってきたことに、シンジはまだ気付いていない。
アスカは、彼の驚いた顔と一刻も早い夕食とを天秤にかけて・・・。その結果、足音を
忍ばせて廊下を進み始めた。

そのまま3メートルほど行って、顔だけを出してキッチンを覗いてみる。
シンジはそこで、食卓の椅子に座ってチェロを弾いていた。この前と同じ様に、アスカ
のいる廊下側に背を向けている。思ったとおりだった。

・・・が、しかし。アスカは、軽く眉をひそめた。

そこに、シンジの他にもう1人、自分と同い年くらいの女の子がいたからだ。チェロの
音色に耳を傾けているようだったが、行儀が悪いことに、なんと食卓の上に腰掛けてい
る。シンジと同じく、こちら側に背を向けているので、顔が見えない。

と、その女の子が、廊下にいるアスカの気配に気付いたのか、上半身ごと背後を振り返
った。彼女は今どきの小顔で、なかなかに可愛らしい顔立ちをしていて・・・。

「・・・っ!」

驚愕のあまり、アスカは息をつまらせた。

霧島さん!? 霧島さんじゃないの!!

見間違え・・・なんかじゃない。そこにいるのは、間違いなく霧島マナだ!
あのとき、N2爆雷で死んでしまったわけではなかったのか。
ということは、やはり、あのロボットには脱出用のカプセルがあったのだ。シンジたち
には見つけることができなかっただけで・・・。

呆然としているアスカを見て、マナは微笑んで言った。

「あ、アスカさんだ」

「・・・」

彼女に対して、どんな反応をしてみせればいいのか。とっさに判断しかねたアスカは、
とりあえずマナから目を反らして、未だのんきにチェロを弾き続けているシンジに怒鳴
りかかった。

「シンジッ!」

その声に驚いた彼の肩が、びくっと震えて、同時に、それまで流れるように聞こえてい
たチェロの音が、ぎゅるっ、と変な音を立てて止まる。

「お・・・お帰り、アスカ。遅かったね。ご飯は食べてきた?」

シンジは振り返ると、のほほん、とそんなことを言ってきた。

ご飯のことなんかよりも、まず他に言うべきことがあるだろうに・・・!

アスカは本気で頭に血が昇ってくるのを感じながら、食卓に座っているマナを指差して
言う。

「そんなことはいいから、説明してちょうだい!」

「説明? って、何を? ・・・今の曲?」

困ったように眉根を寄せて、彼はそう尋ね返してきた。まるで、マナなどここには居な
いかのようだ。

「とぼけんじゃないのっ!」

アスカは喚くと、今度はいよいよマナに向き直って、挑戦的な言葉をたたきつけた。

「ねぇあんた、あたしの許可なく生きてたなんて、覚悟はできてるんでしょうね」

「アスカさん・・・?」

彼女は、そうつぶやいたきり・・・後はただ、きょとんとした表情でアスカを見つめて
くるだけだ。

それから誰も言葉を発しない。しばらくの間、その場が静寂に包まれた。

・・・やがて、3人の中で初めに口を開いたのは、目を大きく見開いたマナだった。

「も、もしかして、アスカさん、あたしが見えるの!?」

「は?」

一瞬、何を言われたのか分からず、思わず間の抜けた声を洩らしてしまう。

もしかして、この子、あの事件でアタマがオカしくなっちゃった、とか・・・?

ちょっとした危惧感のようなものが、アスカの胸をよぎった。彼女の目が真剣であるこ
とが、ますますその思いを強くする。自分をからかっているような雰囲気ではないのだ。

何か言おうとアスカが口を開きかけたとき、それまでなぜか唖然とした様子だったシン
ジが、慌てたように声をかけてきた。

「ア、アスカ!? あの、何が言いたいのか、よくわからないんだけど・・・」

「はぁ??」

言ってることの意味が分からないのは、あたしじゃなくて霧島さんのほうで
しょう!?

そう思った瞬間、今度はマナが、シンジのそばで甲高い歓声をあげた。

「うわぁ、感激! あたしのこと見える人に会ったのって初めて! アスカさんって霊感
 強いのね!」

「な、なに・・・? ねぇシンジ、この子どうしちゃったの? 霊感とか何とかって、さ
 っきから何が言いたいわけ?」

先程ほどから全くワケの分からないことを口にする彼女に、アスカは戸惑った表情をシ
ンジに向けた。が、彼の顔は、心なしか蒼い。

「あ、あ、アスカがオカしくなっちゃった・・・」

そんなことをつぶやきながら、オロオロしている。

「ちょっと、誰がオカしくなったって? あんた達、2人して大丈夫!?」

「2人って・・・!? そうだ、も、もしかして今日、ネルフで何かあったの!? それ
 とも、熱があるとか!?」

彼はそう言うや否や、チェロの弓を放り出して駆け寄ってくると、アスカの額に手のひ
らを伸ばしてきた。

「ちょっと、やめてよっ! 熱なんてないわよ」

その手を邪険に払いのけながら、アスカは思った。どうやらシンジもマナも、いったい
何かは分からないが、大きな誤解をしているようだ・・・と。
とりあえず落ちつかせてから、その誤解を解かなければ。

「ア、アスカ、落ち着いてよ、ね!?」

「落ち着くのはあんたのほう! いったい、どうしちゃったのよ?」

そのとき、マナが2人のそばに近寄ってきた。足音を少しもたてることなく、すぅーっ
と。そして彼女は、シンジには目もくれず、アスカにニッコリと微笑みかけた。

「アスカさん、こういうことよ」

「だから、いったい、どういう・・・!」

「ふふ、あたしって死んじゃってるの。ほら」

マナはそう言うと、ふわっと天井近くまで宙に浮いた。まるで風船か何かのように。
つられて、アスカもぎこちなく首を上に向ける。
そのままマナは落ちてこない。
アスカの口も、だらしなく開いたままだった。

「だからね、シンジには、あたしの姿は見えてないのよ」

マナが言う。
瞬間、アスカは足の爪先から首筋まで、全身が棒のように固く硬直するのが分かった。
思考が、うまくまとまらない。何かを叫ぼうと口を大きく開けたものの、喉に物が詰ま
ってしまったかのように、まるで声が出なかった。

やがてアスカは、渇いた口の中で、ゆっくりとつばを飲み込んだ。

「ゆ、ゆ、ゆぅ・・・」

ゆうれいっ!?

その言葉を意識した瞬間・・・。目の前が、ふっと、暗くなった。




雀たちのさえずる声で、アスカは目を覚ました。
窓の外に見える空は、薄く白み始めている。

「あたし・・・なんで、こんなところに寝てるの・・・?」

上半身を起こして、あたりを見回す。
つい今しがたまで横になっていたのは、見覚えのない、清潔そうなベッドだった。部屋
についても、それと同じことがいえた。雰囲気からすると、どうやら、どこかの病室の
ようだが・・・。

寝起きでぼうっとした頭のまま、ワケも分からず部屋の中を見回していると、それから
すぐに出入り口のドアが開き、医者とおぼしき格好をした中年の女性が現れた。

彼女はアスカに、ここはネルフの病院であることと、アスカは昨夜、自宅で突然倒れた
ために、ここに運び込まれたのだということを、ゆっくりと説明した。

そういえばそうだったと、アスカは昨夜のことを思いだそうとして・・・軽く頭を振っ
た。何だかイヤなことまで思いだしてしまいそうになったからだ。

身体には何の異常もないから、心配はいらない。きっと日頃の疲れがたまっていたのだ
ろう。女医は優しい口調でそんなことを言い、しばらく休んでいるようにと付け加える
と、その部屋をあとにした。

再び一人になったアスカは・・・何の疑いももたずに、彼女の言ったことを信じること
にしたのだった。

・・・あの人の言ったとおり。
昨日、ほんのちょっとした幻覚っぽいものも見ちゃったのも、きっと『日頃の疲れ』と
やらのせいだ。あのときは確かに疲れてたし、それに、お腹も空いてたし・・・。

すんなりと、そんなふうに自分を納得させる。

ただ、アスカが家に帰ることができたのは、念のため、ベッドの上での退屈な1日を送
ってからのことだった。病室まで迎えに来させたシンジと共に、我が家の玄関をくぐる。

「お帰りなさぁい、アスカさん」

その声に、玄関で靴を脱ぎかけていたアスカは、かがみ込んだ姿勢のまま硬直した。

今のは、ミサトの声じゃない・・・。

パッと顔を上げると、そこにあったのは、霧島マナの満面の笑み。

アスカは生唾を飲み込むと、無言のまま、視線を下へ下へと降ろしていった。マナの身
体をなめるかのように、ゆっくり、ゆっくりと。

顔から首、胸、お腹、腰・・・。
そしてその先には、脚が・・・あった! ちゃんと、2本とも!

マナはスニーカーを履いたまま廊下に上がっていたが、そんなのは些細なことだった。
アスカは、ほっと胸をなで下ろそうとして・・・それに気付いた。

マナの履いているスニーカーの底。それは左右両方とも、床から十数センチほど、宙に
浮いた場所にあったのだ・・・。


                  ◆


ここ数週間というもの、使徒の襲来はただの1度もなく、第3新東京市はひとまず平和
のなかにあった。そして、そんなときはアスカの日常も淡々と流れてゆく・・・はずだ
ったのだ。マナが再び、彼女の前に現れさえしなければ。

「エヴァってのは、世界でも最先端の科学技術を結集して作られてるのよ・・・?」

自分の部屋で机に向かって、ひとり悶々と頭を抱え込みながら、そんなことをつぶやく
アスカ。

「そのエヴァのパイロット、セカンドチルドレンたる、このあたしが・・・。よりによ
 って・・・。ありえないわ・・・」

と、おそるおそる背後を振り返る。アスカの目には、自分のベッドに寝転がっている霧
島マナの幽霊が見えるのだった。やけに静かだと思ったら、彼女は、少女マンガ・・・
勝手にアスカの本棚を漁ったのだろう・・・に読みふけっている。
と、アスカの独り言が途切れたことを不審に思ったのか、彼女は顔を上げると、心配そ
うに言ってきた。

「ありえないって、何が? 最近、なんだかヘンよ。大丈夫? アスカ」

「・・・」

これはいったい、どういうことなのか。

アスカは、今まで霊だの何だのという怪しげなオカルトには全く興味をもっていなかっ
たし、むしろ馬鹿にすらしていたのだ。自分で、特に霊感が強いと感じたこともない。
・・・にもかかわらず、幽霊となってしまったマナの姿を認識できているのが、アスカ
ただひとりだけなのである。

マナがテレビの前をすぅーっと横切ったりすると、アスカはつい、「そこ、邪魔よっ」
などと口走りそうになるのだが、シンジもミサトも、涼しい顔でテレビ画面を見続けて
いる。
動物ならば何かを感じるかもしれないと思いきや、ペンペンですら、まるでマナに気付
いている様子はなく、普段通り、食っては寝、食っては寝を繰り返しているだけ・・・。

そのうち、葛城家においてのみならず、学校でもネルフでも、電車の中や駅前の人混み
の中でも、アスカの他には誰一人として、この幽霊を見ることのできる者はいないとい
うことが判明したのだった。

もっとも、アスカも最初のうちは、マナの存在を無視しようと懸命に努力した。

だが、彼女はいくら無視され続けても、しつこくアスカにつきまとってきた。アスカが
自分の姿を見て見ぬふりをしているのが、彼女にしてみれば面白くて仕方がなかったの
かもしれない。そんな彼女の笑い声やら鼻歌やらが、アスカには確実に聞こえてくるの
だった。

おまけに、その頃から、葛城家では怪現象が頻発しはじめた。風もないのにパラパラと
めくれる雑誌や、ひとりでに変わるテレビのチャンネル、空飛ぶペンペン、コトコトと
動くビールの空き缶、等々・・・。全くつまらないことばかりだが、挙げればきりがな
い。言うまでもなく、これらはどれも、イタズラ好きの幽霊の仕業だった。

そのような怪現象が1週間ほども続けば、さすがのアスカも、マナが幽霊として本当に
存在していることを認めざるを得なくなった。

「それにしても・・・幽霊なんてのが、実際にいるとはねぇ・・・」

「そりゃ、あたしだって、最初はすっごく驚いたけど」

幽霊マナが実在していることを認めてしまってからは、アスカは何かが吹っ切れたよう
に、科学的な説明などさっぱり放棄して、彼女とごく普通にコミュニケーションをとっ
ている。

「でも、幽霊でいるのも、慣れちゃえばこんなもんかぁ、って感じ。死んだときも、別
 に痛かったとか、そういうのは全くなかったしねぇ。悶え苦しんで死ぬよりも、ずっ
 とラッキーな死に方かもねぇ」

あはは、と、マナは明るい笑い声をあげた。まるで『石につまずいて転んじゃった』の
ような気軽さで、そんなことを話す。悲痛さのかけらも感じさせない彼女に、アスカは
呆れてしまって、言葉もなかった。

とはいえ、幽霊になったということは、マナは本当に死んでしまったわけだ。当たり前
のことではあるけれど。そして、人はいったん死んでしまえば、生き返ることはできな
いのも、当たり前のことなのだった。

アスカは今のところ、死んだマナが幽霊になって、しかも自分のそばにいることを、誰
にも・・・シンジにすら、話していなかった。
そして、マナ自身もまた、そのことを誰かに告げるつもりはないらしい。

「幽霊になっちゃったこと、シンジに教えてやらないの?」

前に、アスカは何気なく彼女に尋ねてみたことがあった。姿が見えず、声が聞こえなく
とも、どうにかしてそれを伝えることは可能ではないかと思ったのだ。

「うーん。それも考えたけどねぇ。シンジって、あたしのこと、まだどこかで生きてる
 かも、って思ってる可能性もあるじゃない? もしそうだったら、悲しませたくない
 しねぇ・・・」

「それは・・・まぁ、確かに、そうかもね・・・」

シンジはといえば、あのロボット事件のあと、芦ノ湖の湖畔でマナの写真を燃やしたと
きを最後に、彼女の話題に触れたことは1度もなかった。少なくとも、アスカの前では。

やはり死んでしまったのだと諦めて、本気で彼女のことは忘れようとしているのか。
それとも、彼女の言うように、この世のどこかで生きているに違いないと、心の奥底で
は希望を持ち続けているのか・・・。

彼の本当の心を知ることは、アスカにはできない。

だが、マナは死んでしまった。彼がどう思っていようと、その事実は変わらない。
いなくなった人の記憶や思い出というものは皆、その人の傍らを通り過ぎて、やがては
風化してしまうものだ。
マナと一緒に過ごした日々もまた、そうなることだろう。他の様々な事柄と同じように。
時がたてば、きっと彼は忘れてしまう。今、どんなに胸がいたくとも。

だから、マナが自分で彼女自身の死を告げるつもりのない以上、あえて自分がそうする
必要など無いはずだ・・・。

その考えを口にすることは決してなかったが、そんなふうに、アスカは思っていたのだ
った。


                  ◆


マナのいない、学校での昼休みのこと。

アスカがお弁当をよこせとシンジに向けて手を差し出した、ちょうどそのとき。ポケッ
トの中の携帯電話が、甲高い呼び出し音を鳴り響かせた。

出てみると、ミサトだった。明るいが、どこか上ずった感じのする声が、携帯から耳に
流れ込んでくる。

『ああ、アスカ。ごねんネ。あたし、しばらく家には帰れないみたいなのよ。最近、仕
 事がメチャメチャ忙しくてねぇ。困っちゃうわ、あはは、はは・・・』

「・・・ふーん」

『あ、あのね、言っとくけど、決して、我が家の心霊現象が怖いからってワケじゃない
 のよ。ホントに。ホントよ? ホントだからね? シンジ君にも、そう伝えといてくれ
 ないかしら』

「・・・」

無理もない、とアスカは内心、溜息をついた。マナのイタズラをあれだけ目の当たりに
すれば、あの家から逃げ出したくもなるだろう。そういえば、つい先日も、ミサトの目
の前でペンペンが前宙をしたばかりだった。もちろん、宙返り「させられた」
わけだけど・・・。

まぁ、この保護者が家に帰ってこなくても、自分にとって何ら支障は生じない。
そう判断したアスカは、あっさりと承諾の返事をした。

「はいはい、わかったわよ。で、それだけ?」

『ええ、そんだけ。あ、あとねぇ、シンちゃんと2人っきりだからって、いけないこと
 しちゃダ・・・』

「そのギャグは聞き飽きたのよ、ミサト・・・」

言い終わると同時に通話を切ると、アスカはぼやいた。

「・・・だいたい、2人きりじゃないし」

「ミサトさんから? 何だって?」

そばで彼女の様子を見ていたシンジが、弁当を手渡しながら尋ねてくる。

「我が家の心霊現象が怖いから、しばらくは帰ってこないんですって」

「そ、そう。ミサトさんって、お化け、苦手みたいだったからね」

「まったく、あたしたちを置いてけぼりにして1人だけ逃げ出すなんて、立派な保護者
 ぶりよねぇ」

「それは、まぁ、ね・・・」

彼は渋々とうなずいた後、意を決したように口を開いた。

「あ、あのさ、アスカ。悪いんだけど、僕も・・・」

「あんたはっ!」

シンジの言葉を強い口調でさえぎると、アスカは次の瞬間には、それとはうって変わっ
て優しげに問いかけた。

「シンジ君は、まさか、お化けが怖いからって逃げ出したりはしないわよねぇ? こー
 んなか弱い女の子を、たったひとり置き去りにして」

「えっ!? そ、それは、その・・・」

料理だの洗濯だのと、一切の家事を任せている彼にまで去られてしまっては、日々の生
活に支障が出てしまう。アスカが先ほど、ミサトが帰ってこなくても構わないと思った
理由は、正にそこにあった。・・・今晩の夕食だって、本当はアスカの当番なのだが、
当然のように彼が台所に立つはずだ。

「でも、あの・・・えっと・・・」

何だかいいわけを探しているような様子の彼に、アスカは詰め寄った。

「しないわよねっ!?」

「・・・はい・・・しません・・・」

観念したように、カクンと頭を垂れるシンジ。窓際のほうでは、彼らの様子をうかがっ
ていた3バカトリオの残り2人がやれやれと顔を見合わせていたようだったが、アスカ
は気にせず、腕を組むと満足したようにうなずいた。

「よしよし。・・・だいたい、使徒なんていうワケのわからないモンが攻めて来てるん
 だから、たかが心霊現象の1つや2つくらいのことで、今さらビクビクしてんじゃな
 いわよ」

「そ、それとこれとは違うと思うけど。1つや2つどころじゃないし・・・」

「3つだろーが4つだろーが、10でも20でも同じことよ! どれも、ほんのちょっ
 ぴり奇妙なことが起こっただけで、実害なんて今まで無かったでしょう?だから、
 怖がる必要なんて、これっぽっちもないの。わかった?」

アスカは胸を張ってそう言った。実際に、マナは今まで、人体に危害を加えるようなま
ねは、さすがにしていないはずだったから。・・・たまにアスカとテレビのチャンネル
争いをすることがあるけれど、せいぜいその程度だ。
しかしシンジは、それに対して疑問で解答した。

「そうかなぁ。たしか一昨日だったか、ガラスのコップが、床に落ちて割れてたことが
 あったじゃないか。ぼく、あの破片をうっかり踏みつけて、足の裏を少し切っちゃっ
 たんだよ?」

「そ、それは・・・」

アスカは口ごもった。
そのコップを落として割ってしまったのは、実は彼女自身だったのだが、誰も見ていな
かったので『いつもの怪現象』のせいにしたのだ・・・。

「で、でも、それくらいでしょ? 実際に困ったことって」

「他にも・・・そうそう、何だか最近、よく夜中に金縛りにあうし。そのせいで寝不足
 でさ」

と、頃合いを見計らったように、ファァと大きなあくびをみせる。

そういえば、確かに最近は体調が悪そうだったな・・・と、アスカは思った。授業中に
居眠りをするわ、カバンを持たせたらすぐに弱音を吐くわで・・・。シンジをよく見れ
ば、前よりも少し、やつれてきたような気がしないでもない。

だが、それはともかく、と、アスカは鼻で笑った。

「ふん。金縛りなら何度か、あたしもなったことあるわよ。眠り初めのときに身体が動
 かなくなるアレでしょ? 身体が疲れてるのに脳が元気だと、あの状態になるって聞
 いたことが・・・ある・・・けれど・・・」

金縛り? と、彼女は繰り返し唱えた。言いながら、マナの仕業でないとは言いきれな
いことに気付いたのだ。すると、シンジが言った。

「うん、さっきケンスケにもそんなことを言われた。でも、何だかヘンなんだよ。指先
 とか首とかは動かせるんだけど、腕は動かせなかったり、寝返りが打てなかったり。
 まるで、何かが布団の上から乗っかってきてるような感じで・・・。まったく、気味
 が悪くてさ」

「何かが乗っかってきてる、って・・・」

それは、マナだ! 絶対に!

あんのバカ幽霊、殺してやる〜!

アスカは心の中で叫んだ。

「シンジ、その件はあたしからマ・・・ままま、まぁなんとかなるわよ」

「え? なんとかなるって、どういうこと・・・?」

アスカはその疑問に答えることなく、不思議そうな表情を浮かべているシンジに、黙っ
てくるりと背を向けた。
そしてヒカリの席まで歩いてゆくと、彼女の対面の椅子に、どかっと腰を下ろす。
手にしていた弁当箱は、机の上にそっと置いたが。

「まったく、なんて破廉恥なことを・・・!」

思わずアスカが洩らしたつぶやきに、ヒカリは目をパチクリさせた。

「え? はれんち?」

「え、あ、ちょっとね、こっちの話」

「そ、そう・・・」

ヒカリはうなずいてみせたが、何だか納得のいかない様子で、目の前のアスカと窓際の
席に座るシンジとを、キョロキョロと見比べたのだった。


                  ◆


そんなことが学校であって、その日、アスカは帰宅するや否や、自分のベッドの上で寝
転がっているマナを見つけて、怒鳴ることになったわけだ。

「幽霊なら、もうちょっと幽霊らしくしてたらどうなのよっ!?」

と・・・。

アスカが抱いていた日本の幽霊のイメージというのは、次のようなものだった。
まず、彼らは皆、氷のように冷たい表情をしている。目の上には、血のにじんだ大きな
たんこぶが1つ。脚がなく、腰から下は煙のようにぼやけていて。そして、白装束に身
を包み、ひっそりと柳の木の下にたたずんで、辛抱強く人が通りかかるのを待ちつづけ
ているのだ。運良く人が通ってくれたときには、ヒュードロドロドロ・・・という不気
味な笛太鼓をBGMに、うつむき加減に「うらめしや〜」などと意味不明なことをつぶ
やきながら現れる・・・。

が、しかし。

「そんなこと言われてもねぇ。幽霊らしくするって、どうすればいいの?」

と、ニコニコ顔で尋ねてくる幽霊が、今、目の前にいる。その笑顔は明るく輝いていて、
元気いっぱいに見えた。
彼女の着ているものも、なんだかあか抜けている。赤いチェックのミニスカートに、白
い袖無しのブラウス。これは死んだときの服装のままらしい。足も裸足というわけでは
なくて、靴下とスニーカーを履いていた。

そんなマナに笑顔を向けられて、アスカはふと怒る気力が萎えてゆくのを感じた。
確かに、根暗な幽霊よりはずっとマシかもしれない。・・・そもそも『幽霊』ではなく
『お化け』と呼んだほうが、愛嬌があって彼女にはしっくりくるような気もする。彼女
を主人公にして小説やマンガを描くとしたら、タイトルはさしずめ『オバケのマナちゃ
ん』といったところか・・・。

「もう、いいわよ。・・・ただ」

アスカは溜息をついて、頭を軽く横に振った。

「ただ、シンジを金縛りにするなんてバカなまねは、いい加減やめてよね。これ以上続
 けるようだと、リツコに頼んでお祓いしてもらうわよ」

「お祓いなんて無駄だってば。リツコってどういう人か知らないけど、どんなに有名な
 霊能者や除霊師だって、あたしのことがまるで見えなかったんだもの」

「そうなの?」

「うん。ああいう人たちって、やっぱりみんな嘘ツキだったのねぇ。よくテレビで霊魂
 がどーのこーのとか言ってて、あたしちょっぴり信じてたのにさ。あんなの全然ウソ
 よ、ウソ。幽霊になって確信しちゃったわ」

「あんた、それって・・・。自分で言ってて、何か矛盾してると思わない・・・?」

アスカは半眼になって言った。

ところで、リツコに除霊を頼むといった脅迫も、あくまで脅迫にすぎない。それを実行
に移すつもりなど、アスカには全くないのだった。
だいたい、あの冷徹な科学者といった感じの女に、面と向かって「除霊してくれ」など
と頼んだら最後、キチガイ扱いされてしまうだけだろう。下手をしたら、エヴァのパイ
ロットだって降ろされてしまうかもしれない・・・。

と、マナが不意にクスリと笑って、話し出した。

「でも、金縛りはちょっと悪ふざけが過ぎたかしらね。わかった。シンジにはもう、手
 を出さないことにするわ」

「え? 手を出さないって・・・本当に?」

イタズラ好きの彼女にあっさりと諦められても、なんだか拍子抜けしてしまう。アスカ
はひどく疑わしげに、そう訊ね返した。

「うん、約束してあげる。これからはシンジに抱きついたりしない、って」

「そ、そう。だったら、今までのことは水に流してあげても・・・」

「でも、シンジの着替えを覗くぐらいなら、かまわないでしょ? 手は出さないから」

「ダメに決まってんでしょーがぁぁぁ!!」

と、アスカが叫んだ、そのとき。
部屋の入り口の戸が叩かれるときの乾いた音が2度して、続いて、その外からシンジの
声が聞こえてきた。

『アスカ〜、今日の晩ご飯だけど、カレーでいいかなぁ?』

「ぇあっ!? ・・・カレー? うーん、それでいいわぁ」

首を回して返事をすると、そのまま、ドアの向こうからシンジの気配が遠ざかるのを待
つ。それからマナに向き直り、声を低めて言った。

「ちょっと! 着替えを覗くって、どういうことよ!?」

「えへへー。それより、今日の晩ご飯はカレー? シンジの作るカレーがすごくおいし
 いんだって、アスカ、こないだ言ってたわよねぇ?」

「ん? そりゃまぁ、ね・・・。料理だけがアイツのたった1つの取り柄なんだから・
 ・・」

と言いながら、アスカは無意識のうちに、その味を思い浮かべていた。
シンジの辛口カレー・・・市販のルーを2種類混ぜて作るらしい・・・の味が味蕾に反
芻され、自然と口内は唾液で満ちる・・・。

アスカの半ば恍惚とした表情を見て、マナは小さく笑った。あまりにも簡単に話題を逸
らされてしまいそうなことに、アスカはちっとも気付いていない。
と、あることを思いついたように、彼女は言った。

「ねぇアスカ、あたしにもシンジのご飯、食べさせてよ」

「はぁ? 無茶言わないでよ。あんた幽霊なんだから・・・」

「無茶なんか言ってないわ。あたしがアスカの身体に入っちゃえばいいだけだもん」

「入っちゃうって・・・あんた、そんなこと、できたの!?」

「まぁね。ねぇお願い、今日の夕御飯の間だけでいいから、少しだけ身体貸して?」

「えぇ!?」

そんなのはイヤだというアスカと、今日の夕食の間だけでいいから身体を借して欲しい
というマナとの交渉・・・のようなものは、その後しばらく続いて、やがて・・・。

「そ、そんなの卑怯よぅ・・・」

うめき声をあげたのは、身体を貸す側のほうだった。

マナのほうは、うめくアスカを見てクスクスと笑っている。「呪い殺す」だの「たたる」
だのという幽霊の伝家の宝刀(?)を、彼女はここぞとばかりにちらつかせたのだった。


                  ◆


「うん!」

食卓に出されたカレーをひと口食べたアスカは、目をパチパチさせた後、大きくうなず
いた。

「ホントにおいしーね!」

「あ、ゴメン。いつもよりちょっと、おいしかったかな、あはは。・・・って、お、お、
 おいしいぃ!?」

愛想笑いを浮かべていたシンジは、危うくスプーンを取り落としそうになった。

ちょ、ちょっと待て。あのアスカの口から『美味しい』だって!?
そ、そ、そんなバカなぁぁっ!

目を丸くして、向かいに座っているアスカを見やる。彼女はニコニコと微笑みながら、
スプーンでカレーを口に運び続けていた。

「あ、あのさ、今、なんて・・・?」

「ん。このカレー、おいしいね、って。ホント、アスカの言ったとおりねぇ。まるでど
 っかのレストランで出されるカレーみたい。違うメーカーのルーを混ぜてるんですっ
 て? シンジ、お料理が上手ね。今度教えて欲しいなぁ」

「えっ!? う、うん。あはは、はは、は・・・」

まるでアスカ以外の誰かが言ったようなセリフに、シンジはただ、笑ってみせるしかな
かった。唇の端を思いっきり引きつらせながら。

そういえば、どこかで聞いたことがある。イタリアのマフィアは、これから殺す相手を
油断させるために、まずはその者に贈り物をするのだとか。と、いうことは・・・。
い、いや、でも、きっと、たぶん、よく分からないけど、なにかの新しい冗談なんだ。
流行ってるのかな。明日、ケンスケたちに訊いてみよう・・・。

「ちょっと! あたしは別に、料理なんか教えてもらわなくたっていいからね! そんな
 こと言わないで、教えてもらったらいいじゃない。とにかく、あまり余計なことはし
 ゃべらないって約束でしょ!」

「へっ!? あ、あの、アスカ・・・?」

「あはは、ごめんネ。何でもないのよ。今のは、ただの独り言」

落ちついた雰囲気でそう言うと、彼女は、ふふ、と微笑みかけてきた。

「そ、そう・・・?」

確かに・・・今の言葉は、僕に向けられたものではないみたいだったけど・・・。
独り言というよりも、誰かとの会話だったような・・・。

じっとその表情をうかがってみたが、彼女は、ただ静かに微笑んでいるだけだ。
一見して、変わったところなどどこにもないように見えるが・・・。

・・・でも、アスカって、こんなふうに笑ったっけ?

「そ、そうだっ、シンジッ!」

急に変わった、というよりも普段の口調に戻った彼女に、シンジは軽くのけぞるような
格好になって応えた。

「な、なに?」

「あんた、これから服を着替えるときは、周りに怪しい気配がないか、よっく確かめて
 から着替えなさいよ!?」

「へっ!? あ、怪しい気配って・・・?」

ぎょっとして言うと、彼女は明るく笑いだした。

「あはは、着替えを覗くなんて冗談よ、冗談。アスカもすぐ本気にしちゃうんだからぁ、
 もう。別に心配しなくていいからね、シンジ」

「え!? あ、う、うん。あは、あはは・・・」



その後、夕食を食べ終えたアスカは、礼儀正しく両手の手のひらを合わせ「ごちそうさ
までした」と軽くお辞儀をしてから席を立つと、自分の食器をきちんと流し台まで運び
すらしてみせた。そして、小声で何やら独り言をつぶやいた後、そそくさと自分の部屋
に戻ってゆく。

シンジは口を半開きにしたまま、この世ならぬものを見る目で、彼女を見送った。
その後ろ姿が見えなくなった後、しばらくしてから我に返ったシンジは、慌てて立ち上
がるとカレーのルーの箱を手に取った。・・・「混ぜるな危険」という注意書きなど、
どこにも書かれていない。カレーのせいではないようだった。

「アスカ・・・。いったい、どうしちゃったんだ?」

ぞっとしたような表情で、一人つぶやく。

この日の晩から、彼は金縛りに合うことはなくなった。・・・が、別の大きな心配事が
できたせいで、この日以降も結局、なかなか寝付けない夜を送り続けるはめになったの
だった。


                  ◆


とある土曜日の午後。
アスカとマナは連れ立って、駅前の商店街までウィンドウショッピングに出かけようと
いうことになった。

この日に限ったことでなく、2人は再会して以来、行動を共にすることが多かった。
というのも、マナがアスカの行く先々へと、来るなと言っても強引に付いてくるからだ。

ただ、そんな彼女も滅多について来ようとしないところが2カ所あって、学校とネルフ
本部がそれだった。これらの場所では、アスカの行動がいつも同じパターンの繰り返し
なので、一緒にいてもあまり面白くないのだという。

「面白くない、かぁ・・・」

言われてみれば、確かにその通りかもしれないと、アスカは素直に思った。使徒やらネ
ルフやら学校やらでいろいろと行動に制約のある自分とは違って、風のように自由にど
こへでも行くことのできるマナが、ちょっぴり羨ましくもある。

「ん? 何が、面白くないって?」

左斜め前を幽霊らしくフワフワと歩いて(?)いたマナだったが、アスカの独り言を聞
きとがめて、振り返って訊ねてきた。

「別に、ちょっとね。何でもないわ」

歯切れの悪い答え方をする。考え事を口に出していたつもりなどなかったのだ。

「えー。そんなこと言われると、よけい気になるじゃなぁい・・・」

マナがすねたような声を出した。そう言われて、アスカは自分が今、シンジのような答
え方をしていたことに気が付き、思わず苦笑してしまった。
彼のクセが移ってしまったのかなと思いつつ、改めて答えなおす。

「でも、ホントに何でもないことなのよ・・・。あのね、使徒をみんなやっつけて、そ
 のとき無事に生き残ることができてたらさ、世界中を自由気ままに巡って回るのも悪
 くなさそうだなぁ、って。そう考えてただけ」

「ふぅーん。でも、生き残ることができてたら、なぁんて、アスカにしては弱気ね?」

「現実的って言って欲しいわね。使徒が、あとどのくらいこの街に来つづけるのか分か
 らないんだし。これから10年とか20年たっても・・・もしかすると、あと100
 年後にだって、まだ来てるかもしれないでしょ?」

「そっかぁ。アスカも大変ね、その間は旅行なんてできないもんねぇ。・・・あ、そう
 だ。ねぇ、アスカ?」

マナは、ぱん、と手をあわせると、嬉しそうに言ってきた。

「なに?」

「いっそのこと、アスカもあたしみたいに幽霊になっちゃえば? そしたら、どこにで
 も行けるわよ。なんなら、手伝ってあげよっか?」

「ば、ばかっ! それじゃ何の解決にもならないでしょーが!?」

あせるアスカを見て、マナはクククッと笑った。「冗談よ」の意味なのだろうと、アス
カは思うことにした。

「ところでさ、アスカ。どうして今日は、シンジを誘って来なかったの?」

「シンジ? だって、今日は見てまわるだけだし、特に買う物もないからね。荷物持ち
 の必要がないのに2人で並んで歩いたりしたら、デートでもしてるみたいじゃない」

それに・・・とアスカは思った。荷物持ちをしろとでも言わなければ、他に何と言って
あいつを外に連れ出せばいいわけ?

「荷物を持たせてても持たせてなくても、同じことだと思うけど・・・?」

「だ、だいたい、あいつが一緒にいたら、あんたと話せないでしょ。あたしが話しかけ
 ると、他の人にはあたしが独り言を言ってるみたいに聞こえるんだから」

と、自然と声が大きくなっていたことに気付いて、ブツブツと小声で言う。それほど人
通りの多くない道を歩いているとはいえ、マナと話すときは注意しなければいけない。

「そっか。それもそうね」

あっさりと納得した様子の彼女に、今度はアスカが尋ねた。

「ねぇ、マナ。あんたって、なんで幽霊なんかになっちゃったの?」

「なんでって、死んじゃったからだけど?」

ケロッとした表情で答えてくる。

「・・・そうじゃなくて。何が未練だったのかってことよ。あんた見てると、なんだか
 シンジのことが心残りだったからってわけじゃ、なさそうだけど・・・?」

幽霊マナがシンジに執着していないことは、彼女が現れて以来、ずっと疑問に思ってい
たことではあった。

「うーん、シンジのことは、心残りってほどでもないかなぁ」

「でも、あんた、死ぬ前はシンジのことを、あ、愛してるだとか何とか言ってたじゃな
 い。・・・あれは、ウソだったわけ?」

「ウソなんかじゃなかったわよぉ。でも、だってさ、あたしって幽霊になっちゃったし、
 それに、生きてるアスカには勝てそうにないもんね」

「そ、そう・・・」

笑顔で言う彼女に、アスカは何と答えればいいのか分からなかった。
死んでしまったら、そんなものなのだろうか。幽霊の気持ちというのは、生きている者
には理解しがたい・・・。

アスカが複雑な表情をしていると、マナは人が悪そうに笑った。

「ほら、アスカは喜んでいいのよ? あたしがシンジを諦めたほうが、アスカには得な
 んだから」

「ちょっと!」

アスカは立ち止まって、声を荒げた。

「あんた、さっきから何が言いたいのよ? あんたがシンジのことを諦めたら、どうし
 てあたしが得するわけ?」

「ふふふ。自分の胸に聞いてみたらぁ?」

「言っとくけど、あたしはあのバカのこと、そんなふうに考えてないわよ!?」

「はいはい、本当に素直じゃないんだから」

「むぅ〜」

何と言い返してやろうかと思案していると、マナが「そう言えば・・・」と、ふと何か
を思いだしたように話題を変えた。

「あたしとシンジでデートしたときに、2人で撮った写真があったはずなんだけど、彼、
 その写真、どこにしまってるのかしら。もしかして、アスカ知ってない?」

知っている。それは、芦ノ湖の湖畔でシンジが燃やしてしまった。マナを忘れるために、
と言って。アスカは、しかし、不機嫌なまま言い放つことにした。

「さぁね。そんなの、あたしが知ってるわけないじゃん」

「そう・・・」

「・・・。でも、そんな写真なんて、どうでもいいんじゃない? だって、シンジのこ
 とはもう諦めたって、いま言ったばかりじゃないの」

言いながら、なぜ言い訳をしている気分になってしまうのか。アスカ自身にもよく分か
らない。

すると、マナは首を横に振った

「ううん。えっとね、あたしが知りたいのは、写真の場所じゃなくて・・・」

「写真じゃないの? じゃあ、あのペンダント?」

「そうじゃなくって。何て言ったらいいのかしら・・・」

そう言って、彼女は考え込む様子をみせた。いくら待ってみても、それきり口を閉ざし
たままだ。

・・・なんだろう?
シンジとマナの間には、自分の知らない、例えば指輪とかネックレスのような、他に何
か大切な物があるのだろうか?

「あいつの机の中とか、探してみたら?」

そう提案してみると、マナは小さく笑った。

「ふふっ。まぁ、いいわ。でも、そうね、机の中を覗いてみるのって面白いかも。そこ
 にアスカの写真とか隠してあったら、どうする? 教えて欲しい?」

そう言って、マナはアスカの目の前に回り込むと、ニヤリと笑いかけてきた。
何か含むものを感じさせる笑顔だ。

・・・もしかすると、マナは既にシンジの机の中を覗いたことがあるのではないか?
そして、そこにあたしの写真があったりした!?

そう考えて、アスカは頬が火照ってくるのを感じた。

「バ、バカなこと言わないでよっ。だいたい、バカシンジごときがあたしの写真を隠し
 持つなんて真似をしてたら、死刑よ、死刑。具体的には、葉巻にしてベランダから逆
 さに吊りに・・・」

「ねぇ、アスカ」

「なによっ!?」

「もう少し小声で話したほうが、いいんじゃない?」

「え?」

彼女の言葉に、はっと周りの気配をさぐる。

話し込んでる間に、いつの間にか自分たちは大通りに出てしまっていたらしく・・・そ
の人通りの中に、自分を中心とした半径3・4メートルの不自然な空間が形成されてい
るようだった。その外側から注がれてくる、たくさんの視線も感じられる。

「見てよほら、あの子、ルックスはいいのに・・・」

不意に、背後からそんなささやき声まで聞こえてきた。
ぐるっと振り返ると、そこにいた人々はアスカと目を合わせるのを避けるかのように、
早足で通り過ぎてゆく。

「っ・・・!」

アスカは顔を真っ赤すると、走ってその場から逃げだした。

ケラケラとしたマナの笑い声だけは、その駆け足に遅れることなく、しっかりと後を付
いてくるのだった。


                  ◆


それから数日が過ぎて、やがて、11月も下旬に入った。

その日、アスカがベッドから起き出たのは、もう昼といっていい時間になってからのこ
とだった。

今日は祝日で、学校も休みなのである。日本人がいったい何を祝う日なのか、彼女は知
らなかったが、だからといってその恩恵を拒まなければならない理由などは、これっぽ
っちもない。

食べ物を求めてキッチンまで出てきたが、家の中に人の気配が感じられない。テーブル
には、ケンスケやトウジと遊びに出かける旨のシンジの置き手紙と、ラップをかけられ
たホットケーキが残されていた。

シンジはこの頃、休みともなればどこかへ出かけてばかりいた。やはりこの家が気味悪
いのだろう。もしかすると、またマナが何かちょっかいを出しているのかもしれない。

「マナァ〜、いないの〜?」

・・・。
やはり、返事がない。シンジの後をついていったのだろうか。

「・・・ひま、だわ・・・」

今日はこれといった用事もなく、とはいえ、積極的にどこかへ出かけてみようという気
にもなれなかった。長く眠りすぎたせいで、何となく体がだるいように思える。

「使徒が来てくれたりしたら、少しは暇つぶしになるのに・・・。こないだ来たのは、
 いつだったっけ・・・?」

物騒なことを、わざわざ声に出してつぶやいてみるほど・・・暇だった。
こんなときは、のろまでグズな少年や、はた迷惑な幽霊ですら、暇つぶしの話し相手く
らいにはなっていたのだと認識させられてしまう。・・・ついでに、その本人たちを目
の前にすれば、そんなことはケロっと忘れてしまうのだということも、今のアスカは知
っていた・・・。




頻発する心霊現象を怖がって家を長く空けていたミサトが突如、久々に帰宅して、彼女
と共にリツコまでが葛城家の玄関に現れたのは、その日、陽が西に大きく傾いた頃だっ
た。

目で問うアスカに、ミサトが苦笑しつつ説明した。

「リツコがね、心霊現象の原因を調査してくれるんだって」

「うっそ!?」

見ると、確かにリツコは私服ではなく、ネルフでいつも着用している白衣をまとってい
る。そして彼女は、玄関に入るや否や早速、肩に背負ったスポーツバッグから手のひら
大の黒い箱を取り出し、ガーガーと音のするそれを振り回し始めた。

その様子に、アスカは眉をひそめた。彼女の身振りが、どうも、うさん臭いというか、
インチキ臭いというか・・・。

「ちょっと、ミサト・・・心霊現象なんて非科学的なもの、あの科学一筋の人間が、い
 ったいどうしようっていうのよ」

するとミサトが・・・彼女もアスカと同じく、リツコの格好を見て眉をひそめていた・
・・答えた。

「あたしもね、ちょっち意外だったんだけど、ダメもとで思い切って相談してみたら、
 これがまた・・・」

とその時、当のリツコがすばやく2人の会話に割って入ってきた。しっかりと聞き耳を
立てていたらしい。

「あなたたちの言いたいことも分かるわ。確かに、魂だの霊だのというのは、科学とは
 矛盾するものだと一般には思われてるし、あなたたちだって、霊魂の存在なんて信じ
 ていないでしょう」

信じるもなにも・・・とアスカは思ったが、口には出さない。

「でもね、そうじゃないの」

そう言い切ったリツコのメガネが、一瞬、怪しげな光を放ったように見えた。

「科学がここまで発達したのはどうしてだと思う? 人間が発明や発見に熱中し、それ
 をやめようとしないのはなぜ? 人がラクをしたいがため? いいえ、違うわ。まぁ、
 確かにそれも少しはあるでしょうけど、そんなことは氷山のほんの一角にすぎないの。
 水面下には、人類にとって未知なるものへの大いなる探求心があるのよ。つまり私が
 言いたいのは、オカルトやミステリーは人の知的好奇心を刺激し、正に科学の原点と
 もいうべき・・・」

「わ、わかったわかった。それはもういいから・・・」

演説を遮られたリツコは不満そうに鼻を鳴らしたが、アスカはかまわず質問し
た。

「で、リツコは結局、お化けとか幽霊とかの存在を認めてるわけね?」

「ひとことで言えば、まぁ、そうなるわね」

「へぇ・・・!」

「・・・あのね、アスカ」

改めて驚きの表情を浮かべるアスカに、リツコはメガネを中指の腹で押し上げながら、
気を取り直したように言った。

「この世で起こるほとんど全ての心霊現象は、成仏し得ないでこの世にとどまり続ける
 人間の残留思念、つまりね、あなたの言う、いわゆるお化けや幽霊が引き起こしてい
 るものなの」

「う、うん。それは確かに・・・」

その通りだ、とアスカは真剣な表情でうなずく。それまで黙ってそばに立っていたミサ
トだったが、そんな2人の様子に呆れたように肩をすぼめると、キッチンのほうへと消
えていった。

リツコは彼女の背中にチラと目をやっただけで、すぐにアスカに説明を続けた。

「その幽霊が、ただの物を相手にしているときはいいわ。ポルターガイストとか、ラッ
 プ現象とかね。けれど、興味の対象が人間に移って、その人間に取り憑くようなこと
 があれば、その人間は・・・」

「・・・その人間は? どうなるの?」

「死ぬわね」

真剣な表情のまま、彼女は冷たく言い放った。

「し・・・!?」

アスカは絶句した。なんだか冷たいものが、背筋を駆け抜ける。

「な、なんで!? なんで死んじゃうのよ!?」

リツコは動揺するアスカを見て、やはりそんなことも分かっていなかったのかとでも言
いたげに嘆息した。

「人間の身体には、もともと1つの魂しか入らないようになっているの。そこへ無理矢
 理2つの魂が入ろうとしたら、身体も魂も耐えきれないのよ」

「まぁ確かに、1つのコップには1杯分のビールしか注げないわよねぇ。ぐびぐび」

いつの間にやら缶ビールを手に現れたミサトが言う。目つきはほとんど既に酔っぱらい
のそれだ。彼女を無視して、アスカは救いを求めるような眼差しをリツコに向けた。

「で、でもほら、よく昔話かなにかで、幽霊に身体を乗っ取られたけど、しばらくの間、
 それに操られただけだったっていうような話が・・・。だから、別に死んじゃうとは
 限らないんじゃない?」

そう。前に1度だけだが、自分はマナに身体を貸したことがあった。だが、それでもな
お、今こうして無事に生きているではないか・・・。

「ふんふん、確かにアスカの言うことにも一理あるわよ、リツコ。だって、大ジョッキ
 なら普通のコップ2杯分は注げるもんねぇ。ぐびぐび」

「そんな昔話もあったかもしれないけど・・・」

と、そこで言葉を切って、リツコは立つ位置を変えた。ミサトが視界に入らないような
場所へと移動して、続ける。

「でも、まぁ、死ぬことはないにしても、近くに幽霊がいると気分が悪くなったり、体
 の調子が悪くなったりするんじゃないかしら。そんなときに使徒が攻めて来たりして
 ごらんなさい。あなた達には命取りにもなりかねないでしょ?」

「た、たしかに・・・」

そう言われてみれば、思い当たる節もある。
マナが現れて以来、なんだかシンジの顔色が悪いのだ。最近は特に、自分を見る眼差し
に元気がないというか、何というか・・・。

さぁーっと、アスカの顔から血の気が引いた。

・・・とすると、このままでは、マナのせいでシンジは死んでしまうのか!?
そんなことになったら・・・。シンジが死んでしまったら、自分の食事は自分で作って、
自分の着るものは自分で洗濯しなければならなくなってしまう。風呂を沸かすのも、ゴ
ミを捨てるのも、面倒な宿題をするのも、家の掃除もドラマの録画予約も駅前のコージ
ーコーナーへ出かけてクレープを買ってくるのも!

まずい・・・。それはさすがに、まずすぎる!

「ど、どうすれば・・・。リツコ、幽霊を追い払うには、どうすればいいのよ!?」

「それについてはまだ研究段階だけど。でも、そうねぇ。やっぱり効果的なのは、未練
 を晴らすとか、お祓いするとか・・・」

「未練を晴らす!?」

アスカは小さく叫んだ。

なるほど、そうか、その手があった! この世に未練がなくなれば、幽霊は成仏して去
ってくれるというわけだ。

で、マナの未練は・・・。未練は?

「いったい、何かしら・・・?」

そういえば以前、それを彼女に訊ねたこともあったが・・・そのときは、シンジのこと
ではないという返事を聞いただけだった。

「でも、未練が何もない、とまでは言ってなかったわよね・・・」

そもそも幽霊というものは、この世に何かしら未練を残していたからこそ、死んだとき
成仏できずに、この世にとどまり続けているのではないか。そして、マナは・・・あん
な幽霊でも、幽霊であることには違いない。彼女も、何かこの世に思い残したことがあ
るはずだ。

「その未練を断ち切ってあげれば、いいわけね・・・」

真剣な表情でブツブツと独り言を言うアスカに、リツコが目を輝かせて語りかけた。

「ねぇ、アスカ。あなたもこの分野に興味があるみたいだし、よかったら私とチームを
 組んで、専門的に研究してみない? マヤったらこっち方面にはさっぱりで、ちょう
 ど理解のあるパートナーが欲しかったところなのよ。ねぇ、ちょっと? 聞いてる?
 アスカ?」

だが、その呼びかけも、もはやアスカには届いていなかった。

マナの未練を晴らしてやらなければ・・・!
シンジの命を救って、そして、便利な召使い付きの、今のこの生活を維持するために!

ぎゅっと握り締めた右手のこぶしを見つめながら、アスカは心の中で、そう自分に言い
聞かせるのだった。


《つづく》


マナ:わたし、幽霊になっちゃたんだ。

アスカ:アンタ、幽霊になっても人騒がせねぇ。

マナ:そうかしら? でも、アスカにわたしのことが、見えるなんて意外だったわ。

アスカ:よりによって、アタシにだけ見えなくても・・・。

マナ:これからも、二心同体よろしくね。

アスカ:もう、身体は貸さないわよっ。入れ物1つに2つの魂が入って、変な影響でたらどうするのよっ?

マナ:大丈夫よぉ。

アスカ:なんで、そう言いきれるのよ?

マナ:ビヤダルになら、いくらでもビールは入るわよ。

アスカ:だれがビヤダルよっ! だれがっ!

マナ:幽霊って便利よねぇ。こんどシンジの身体借りようかしら?

アスカ:ダメに決まってるでしょうがっ! シンジ、びっくりして気絶しちゃうわよ、きっと。

マナ:気絶されるとまずいわねぇ。やっぱり、アスカしかいないわね。

アスカ:どうしてそうなんのよ。

マナ:わたしが成仏できるまで、運命共同体ね。

アスカ:うぅぅぅ・・・後編では除霊できるのかしら・・・。
作者"アヴィン"様へのメール/小説の感想はこちら。
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感想は新たな作品を作り出す原動力です。1行の感想でも結構
ですので、ぜひとも作者の方に感想メールを送って下さい。

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