<作者注>このお話は、タームさま作『ああ、無敵のシンジ様ぁ』シリーズの
     番外編かもしれません。
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 白馬に乗った王子様
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 ――ここは、どこ?
 もぞもぞ、とアスカは身体をひねるようにして、その上半身を小さく揺らした。そし
て、全く身動きできないことに気付く。
 ――どうして……!?
 アスカの身体は、椅子に座った格好で固定されていた。両腕は腰の後ろに回されたま
ま自由が利かない。両手首には痛いほどの圧迫感。指先には麻縄の感触がある。見れば、
胸の下のあたりが、麻縄で椅子の背もたれごとぐるぐる巻きにされていた。縄は幾重に
もよられた丈夫そうなもので、とても力を込めて切れる代物ではなさそうだ。足首も固
く拘束されている。おかげでアスカは、椅子に座らされたまま、立ち上がることすら出
来そうになかった。
「ん? どうやら、お目覚めのようだな」
 不意に、脇から低い声が聞こえてきた。
 首を回せば、そこには見ず知らずの、ひとりの中年の男が立っていた。その手には鈍
い光沢を放つ拳銃が収まっている。
 アスカは悲鳴をあげたくなる気持ちを抑え、ぐっと押し黙ったまま、必死に後ろ手に
絞められた縄を解こうと手に力を込めてみた。が、どんな結び方をしてあるのか、もが
けばもがく程に、縄はよりきつく手首を締め付けてくる。縄抜けも全く通用しない。
 気を失ったまま縛られたせいだわ――。
 してやられた、という思いで、アスカは軽く唇を噛んだ。
 起きていれば、縄抜けのための準備もできたのだけれど……。
「そうだ、そのまま大人しくしてろよ」
 傍らに立っている男が、明らかに友好的とは言い難い態度のまま、低い声で言った。
時折、トリガーに指をかけるようにして、拳銃を玩具のようにくるくると回している。
「ヘタに騒ぎ立てるんじゃねぇぞ。大声を出しても無駄だからな。どうせこの辺りにゃ
人っ子ひとり居やしねぇんだ」
 アスカは男の言葉を無視して、すばやく周囲に視線をめぐらせた。
 部屋の広さは、学校の教室の4分の1といったところか。
 天井からつり下げられた大きめの裸電球が1つ。それだけが部屋の光源といえた。天
井に4つある窪みに蛍光灯は付けられていないし、左右の壁に1つづつある窓はいずれ
も厚手のカーテンによって閉じられており、ごくわずかしか自然の光の侵入を許してい
ない。当然、そこから外の景色を見ることも叶わず、つい今しがたまで薬で眠らされて
いたアスカには、ここがどこなのか、皆目見当がつかなかった。
 部屋の中はがらんとしていて、家具類は何もない。目に付くのは、壁際に無造作に置
かれたパイプ椅子が1つだけ。壁はコンクリートの打ちっ放し。建物の造りからすれば、
どこか倉庫のようでもある。
 ――少なくとも、生活するための場じゃなさそうね。
 簡単にそう分析してから、アスカはようやく顔を上げ、いま声をかけてきた、そして
自分をここへ連れてきた男と目を合わせた。
 中肉中背のその男は、一見どこにでもいそうな、ごく普通の中年男性に見えた――
が、アスカはいとも簡単に、この男に拉致されてしまったのである。
 それは恐らく、まだ昨夜のことだろう。ネルフからの帰宅途中の出来事だった。
 空が真っ暗になってから家路についたアスカは、楽しみにしていたテレビドラマを見
逃すまいと、普段なら絶対に通らない道を通ることにした。その道は3、40メートル
ほどの砂利道だが、1つも外灯が設置されていない。普段から人通りも全くなかった。
そして、その暗がりを行く途中、何の気配も感じさせずに背後から近寄ってきた男に、
アスカは刺激臭のする布を口元に押し当てられ、そして迂闊にも、そのまま抵抗できず
に眠りに落ちてしまったのだ……。
 ――とりあえず今ところは、命まで獲るつもりはないみたいね。
 幸いというべきなのか、猿ぐつわはされていない。それまで沈黙を守っていたアスカ
は、男の目を決然と見上げた。
「アンタ。こんなことして、何が目的なわけ?」
 単なる金か、それとも政治的な、あるいは思想的な何かか――とにかく、こうして無
事に生かされているからには当然、ネルフに対して何らかの要求があると考えるのが筋
だった。
 だが――。
「目的? へへ……。オレの目的か?」
 男が小さく笑う。
「オレはな、一度でいいから、何かでっけぇことをしたかったんだ。朝刊の一面にデカ
  デカと載るような、バカでけぇことをな。へへへ……。お前を人質に金を要求してや
  ってもいいが、金なんてもんに興味はねぇ。事件がでっかくなればいいだけの話さ。
  そのために、お前には可哀想だが犠牲になってもらおうってわけだ。わかったか?」
 アスカはそれに、ただ沈黙をもって答えた。もっともそれは、男の狂気に恐れを抱い
たからではない。
 ――こいつ、今、『オレ』って言ったわ。
 『オレ達』ではなかった。ということは、単独犯なのだ。
 こんな無駄口を叩くことや、先程から拳銃をもてあそぶ無駄な動作を繰り返している
ことからも、この男はこの手のプロではないと、アスカは悟った。と同時に、憤りも沸
いてくる。
 ――まったく、ネルフはちゃんと、あたしにガードを付けていたのかしら!
 男がまた、くるくると拳銃を回しはじめた。
「脅迫状を送りつけるのは、まだこれからだがな。ネルフのチルドレン様が誘拐された
  となれば、日本中で、いや、世界中で注目される大事件になるのは、間違いねぇぜ。
  へへへっ……」
 下卑た男の笑い声が、がらんとした部屋に空しく響く。それを聞きながら、アスカは
心の中で毒づいた。誰も注目なんてするもんですか、と。
 男は何も分かっていない。自分が拉致されたとなれば、ネルフにとっては確かに緊急
事態である。幹部達は驚愕し、間違いなくネルフに敵対する勢力の仕業だと考えるだろ
う。そして、だからこそ、男が望んでいるような『世界が注目する大事件』になど、も
ちろんなることはない。事は全て秘密裏に処理される。誘拐した男も、誘拐された子供
も、ここにはいない。誰も『誘拐』などされなかったし、誰も『死』にはしなかったこ
とになるのだ……。
 ネルフにはそのような影の部分があることを、アスカはある程度承知している。たと
え自分が殺されても――と考えて、アスカは頭を振った。
 ――あたしが殺されても? 冗談じゃない! そんなことになってしまう前に、絶対に
『彼』が助けに来てくれる!
 恐怖や不安、あるいは焦燥。アスカの心は今、そのいずれとも無縁だった。
『彼』が、
いずれ自分を救い出してくれるという希望――彼女にとってはもはや『確信』ともいえ
るその想いが、ドイツにいたころ1度だけ目にしたことのある、世界最大のN2爆雷の
ように、でんと彼女の心の奥底に横たわり続けていたからだ。
 そして、そのことが、人質の身であるはずの彼女を強気にさせるのだった。
「あんたバカァ!? 目立ちたいだけなら、もっと他に何か方法があるでしょう!? あ
たしをこんな目に遭わせてくれちゃって、何なわけ? ただじゃ済まないわよ!?」
「うるせぇ、黙れっ!」
男はオーバーアクション気味に手を振り回して、叫び返してきた。
「ただじゃ済まない、だと? ああ、結構だぜ。望むところだ。おれぁ命なんかこれっ
ぽっちも惜しくねぇ。うだつの上がらねぇクソ平凡な人生とは、これっきりでおさらば
してやるんだからな!」
「……」
 アスカはただ、顔に飛んでくる男の唾に眉根を寄せるだけだ。
「ネルフの連中ともハデにやり合ってやる。この銃でな。お前を人質にして、こう、映
画みたいに、だ。くくくっ。どちらにしろ、いずれオレは捕まっちまうか殺されちまう
かするだろう。だが……」
 ニタリ、と引きつるような笑みを、男は見せた。
「だが、ひとりじゃ死なねぇ。絶対にテメェも道連れにしてやる。その時をせいぜい楽
しみにしてるんだな。へへへ……」
 明らかに狂っているとしか思えない男の言葉に、さすがのアスカも恐怖に震えあがっ
た……かと思いきや。
「ふん!」
 と鼻を鳴らし、男の笑みに負けない程の笑みを返すと、彼女は言った。
「そうはいくもんですか。シンジ様が助けに来て下さるもの」
「し……シンジ、さま?」
 少女の怯えた表情を想像していた男は、口を「あ」の形にぽかんと開けたまま、呆然
としてしまう。
「覚悟してなさいよ! アンタなんか、シンジ様がけちょんけちょんにやっつけて下さ
るんだからっ!」
「シンジさま、って……サードチルドレンの、か?」
「そうよっ!」
「……けっ」
 男は自失状態から立ち直ると、床に唾を吐いた。
「白馬に乗った王子様ならぬ、白馬に乗ったシンジ様ってわけか? ハッ。様づけで呼
ばれるたぁ、ずいぶんと頼りにされてるようだが、そう都合よく助けに来れるわけがね
ぇだろう? マンガじゃねぇんだ。もしのこのこと現れやがったら、このオレが返り討
ちにしてやるぜ」
「バーカ。アンタなんかシンジ様の敵じゃないわ! シンジ様は無敵なのよ!」
「う、うるせぇ! 小娘のくせにさっきからゴチャゴチャ喚きやがって! その減らず口
を叩けなくしてやる!」
 男は目を血走らせ、拳銃をズボンの後ろポケットにねじ込むと、右手を大きく振りか
ぶった。
 シンジ様――!
 アスカは反射的に身をすくませ、ギュッと目をつむった。
 一瞬後、バンッ! という風船の弾けるような音が、鋭く鼓膜に響く――が、それは
音だけで、物理的な衝撃はまるで感じられなかった。
「……?」
 不思議に思ったアスカが、恐る恐る薄目を開ける。
 すると、眩しい光が、まぶたの向こうから目に飛び込んできた。数舜前まで部屋は薄
暗かったというのに……。
 だが、その原因もすぐに分かった。自分が寄りかかっている側と反対の壁の一部がま
るで四角く切り取られたかのように、そこから外界の光が射し込んでいるのだ。
 ――ドアが蹴破られたんだわ!
 とその時、眩しい光の中に、少年の姿形をしたひとつの影が現れた。
 誘拐犯である男が、その影に向かって怒鳴る。
「て、てめぇ、誰だっ!?」
 それに答えたのは、問いかけられた者ではなく、その登場を最も待ち望んでいた少女
だった。
「シンジ様!」
「な、なんだと!? クソッ、どうしてここがわかった!?」
「決まってるでしょ、愛の力よ! あたしの想いが通じたんだわ。……ああ、シンジ様。
私、信じてましたわ! きっと、きっと助けに来て下さると」
 取り乱した男をさらに追いつめるかのように、アスカは歓喜に満ち満ちた声をあげた。
芝居がかったセリフではあったが、彼女の世界では、自分は囚われのお姫様であり、シ
ンジは白馬に乗った王子様なのだ――。
 彼女の言葉に答えるべく、シンジは部屋の中に2、3歩踏み出し、そして、言った。
「アしゅカを〜、ひっく、離しぇ〜」
「へ!? シ・・・シンジさま?」
 喜びをいっぱいに表していたアスカの表情に、途端に影がおちた。
 おかしい。シンジ様の様子が、少し……というか、かなりヘンだ。
 幾分か冷静になったアスカがまず気付いたのは、彼の顔が朱に染まっていることだっ
た。それこそ、ゆで蛸のように真っ赤っかだ。普段ならキラキラと輝いているはずの瞳
も、今はどんよりと濁っていて、まぶたの裏に半分隠れてしまっている。
 そして、外から吹き込む風によって運ばれてきたのは――アルコールのニオイ。
 「おそくなって、ごめぇんよ、アしゅ、ひっく、カ。ミらトさんがさ、どうしてもボ
クを、っく、離ひてくれなくて。あはははは〜、ひっく」
 時折しゃっくりを交えながら、シンジは完全にろれつの回っていない口調でそう言う
と、ふらふらと千鳥足でアスカ達に近づいてきた。本当に今にも倒れてしまいそうなそ
の足どりは、演技にしてはあまりに上手すぎる。
「こ、こいつ……」
 愕然としていた誘拐犯が、ようやく声をしぼり出した。
「マジで酔ってやがるのか?」
「そんな……。シンジ様……」
「く、くくくっ、こりゃいい! 傑作じゃねぇか。どういうつもりか知らねぇが、お前
の王子様は白馬に乗って現れるどころか、すっかり酔っ払ってのご登場だぜ?」
「よっぱらってぬぁんか、なぁいでぇす、よ〜っだ」とシンジ。
 こ、こ、こ――これは、夢。そう、とっても悪い夢なのよ……。
 あまりに大きすぎた期待のせいか、アスカは別の世界へと旅立った。
 ――うん、絶対そうよ。そうに違いないわ。目が覚めたら、そこはきっと暖かいベッ
ドの上で……。それで、シンジ様がベッドの脇からアタシの顔をのぞき込んできて、優
しくおっしゃるの。「おはようアスカ。何だかうなされていたよ、大丈夫?」って。あ
たしは「ええ、ちょっと夢を……。とても怖い夢でした」とか返事しちゃって。「それ
は可哀想に。僕のアスカ……」「ああ、シンジ様……」じっと見つめ合う2人。あたし
は頬をうっすらと紅色に染めて、可愛く唇をつきだすの。おはようのキスがまだだった
から。そしたら、シンジ様が――。
「うぃ〜、アしゅカ、っく、元気にしてたかぁい?」
「……」
 酔っ払いの声に襟首を掴まれ、現実に引きずり戻されたアスカは――。
「……いえ。これは夢」
 きっぱりと向こうの世界に戻りかけたが、彼女に背を向けた誘拐犯の、ズボンの後ろ
ポケットにある『それ』を偶然にも目にした途端、辛うじて小指の先の爪の垢ほど残っ
ていた理性が、弾けるように警告を発した。
 ――そうだ、こいつには鉄砲があった!
 あんなベロベロに酔っ払っていたら、いくらシンジ様でも殺されてしまう――と、ア
スカは悲壮な叫び声をあげる。
「こいつ、鉄砲をもってる! シンジ様、来ちゃダメ! 逃げてぇ!」
「ふふん、逃がしてたまるかってんだ」
 相手は少年で丸腰。何より酔っ払っているのだ。御するのは容易いと考えたのだろう、
男はニヤニヤとした余裕の笑みを浮かべつつシンジに歩み寄り、素手で少年の顔面に殴
りかかった。
 重たそうなその拳を、シンジは酔拳よろしく紙一重で避ける――が、そのまま倒れ込
むように、男の肩にもたれかかる格好になってしまった。
 アスカの言う『無敵のシンジ様』も、これでは彼女を救出するどころではない。
「ぷはぁ〜」
 誘拐犯の耳元で吐く息も赤く染まっていた。
「ったく、ガキのくせに酒くせぇ野郎が……」
 と、男が眉根を寄せて言った、その時。
「ん゛」とのどを鳴らしたシンジの頬が一瞬、ドングリを頬張ったリスのように膨れて
――口が、開いた。
「ぶおぇ、ゲロゲロ〜」
 黄褐色の流動物が、男の顔面にまともにぶちまけられる。
「んぐぉわぁぁ!」
 絶叫した誘拐犯はあっさりとダウンし、白目をむいて床にぶっ倒れた。
 アスカの目が点になる。
 とっさのことで、どうやら誘拐犯は、シンジが吐き出したアレを飲んでしまったらし
い。再び起きあがってくることもなさそうだった。
 早速、男のシカバネからは強烈な異臭が漂ってくる。
 障害となった男をとりあえず倒したシンジは、よろよろと蛇行しながら、身動きでき
ないアスカのほうへと近づいてきた。
「こ――これって、もしかして……」
 額に大粒の汗を浮かべたアスカは、うつろな瞳で、それを口にした。
「《白馬に乗った王子様》じゃなくて、実は《吐くまで飲んだシンジ様》だったってオ
チ?」
「う〜ん、きもちわるいよぅ〜」
 次の瞬間、ハッと我に返った彼女が見たのは、自分の下へと到達し、ひざの上に屈み
込んできたシンジの後頭部だった。
 そして――。
「んぷっ、ゲロゲロ〜」
「いやあああぁぁぁぁ!!」

                                 《おわる》


マナ:と、投稿・・・ありがとうございました・・・。(ーー;;;;;

アスカ:アタシのシンジを、なんていうネタに・・・。

マナ:”吐くまで飲んだ”と、”白馬に乗った”。似てる・・・。

アスカ:タイトルを見てラブロマンスを期待してたアタシの立場はぁぁぁっ!

マナ:まぁ、助かったんだからいいんじゃない?

アスカ:だいたい、あの前半のシリアスさはなんだったのよぉーーーっ!

マナ:所詮、アスカにシリアスなんて似合わないってことね。

アスカ:ぬわんですってーーーっ! アンタこそっ、さっさと成仏しなさいよっ!

マナ:それは、前回の話・・・。(ーー;;;;;

アスカ:よくよく考えたら、アタシが行方不明になってるのに、ミサトもミサトよっ!

マナ:あら? そかしら?

アスカ:そうに決まってるでしょっ! そんな状況で、よくもシンジにお酒なんかっ!

マナ:アスカが帰ってくると、煩いからねぇ。その気持ちよくわかるわぁ。

アスカ:ぶっ殺すっ!
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