冬月先生。
 頼まれていた追加資料はこんな形の音声データにしようと思います。
 夢を解釈するためには、客観性よりも主観性が重要なんですよね。文章にしてしまうとどうしても主観性が失われてしまうので、思いついたままに喋るのが一番いいと思いました。どうでしょうか。問題があれば、次回の報告時に修正します。
 それじゃあ、はじめます。
 ――――――。
 ――――なんだか緊張しますね、これ。
 ゴホン。

 二〇〇〇年五月十八日十五時二十八分。報告者、第三被験体 碇シンジ。
 リリスとの最初のシンクロから帰還して三時間が経過。
 現在の所、心身共に問題はない。目覚めた直後には違和感があったものの、これはまさに「夢から覚めた」ような感覚で、大きな問題とは思えない。今現在はその違和感も失われ、完全に常態に復帰している。
 面白いのは、リリスの夢の世界では一月近い時間が経過したというのに、こちらでは二日しか経過していないということだろう。
 まさに夢だ。
 夢にしては細部がリアルすぎるけれど、その反面、馬鹿馬鹿しいほどに非現実的な世界でもある。
 巨大な敵である使徒と、それを迎え撃つエヴァ。
 世界の命運をかけて戦う、巨人――
 その世界の僕は、エヴァに乗って闘う、十四歳の少年だった。
 あまりにも願望充足的な世界に、これはリリスの夢ではなく、僕の夢なんじゃないかと疑ったほどだ。
 随所に神話的なイメージが垣間見られるのも、夢であることを証左しているように思える。
 アスカが帰還していれば比較も可能なのだが、残念ながら彼女はまだリリスの夢の中にいる。そう言った意味でも、この記録は重要かもしれない。

 ――中断。
 冬月先生。アスカが戻ったら、これを聞かせてあげてください。どんな反応をするか興味があります。
 アスカ。聞いているなら、感じたことを記録しておいてよ。どうせ笑ってるんだろうけど、それだけじゃ困るからさ。

 ――継続。
 リリスの夢の世界とこちらの世界には多くの共通点がある。微妙な食い違いこそあれ、ほとんどは同じ世界と言ってもかまわないだろう。
 大きな相違点は、まずむこうが二〇十五年であること。
 次に、使徒とエヴァ。そのための組織であるNERV。
 そして二〇〇〇年に地球規模の大災厄を引き起こした、セカンドインパクト。
 これらは、こちらの世界には存在しない。
 あまりにも共通点が多いため、セカンドインパクトに対してわずかな不安さえ覚えている。
 予言に感じるような漠然とした不安でしかないが、僕の行動がそれに影響されているのは間違いない。セカンドインパクトに関する資料を別途まとめる必要性を感じる。
 もうひとつ、大きな食い違いがある。
 綾波レイという少女だ。
 僕はこちらに戻ってすぐに、彼女の戸籍を調べた。
 その結果わかったのは、彼女はこちらの世界には存在していないということだ。
 エヴァのパイロットであり、僕と似たような力を持つ彼女は、一体何なのか。今後の調査方針に大きなウェイトを占める存在になるだろうと思う。
 知りたいことが山のようにあり、それらを一気に解決するためには、MAGIから情報を引き出すのが最も手っ取り早いと結論した。
 僕がいったん帰還したのもそのためだ。
 ついさっきまで、僕は赤木ナオコ教授から、MAGIシステムのハードウェア面についてのレクチャーを受けていた。
 同時にMAGIをハッキングする可能性について、いくつかのアイディアも聞かせてもらえた。
 そのほとんどが開発過程で仕込んだ裏コードを利用している。
 むこうのMAGIにも同じ裏コードが存在するかどうか確証はないが、赤木教授の『私ならば絶対に仕掛ける』という言葉を信用するしかないだろう。
 むこうに戻りしだい、MAGIのハッキングを開始するつもりである。
 次回のシンクロは十六時から開始する。
 いろいろと楽しい夢になりそうだ。
 話によると、新しいエヴァがドイツ支部から移管され、そのパイロットがアスカだというのだ。
 それを聞いたときには思わず笑ってしまった。
 やっぱり、あの世界はリリスの夢ではなく、僕の夢なのかもしれない。

 ――中断。
 アスカ。聞いていたら、これだけはお願いだよ。
 あんまり<僕>をいじめないで。




りりす いん わんだぁらんど
第四話『やっぱり声がした』





 ――ママだ。
 そう思ったのだ。
 やさしかった。でもけっしてアスカのことを見てはくれなかった。
 自分で自分をメチャクチャにして、アスカにまで酷いことをして、そして勝手に死んでしまった。

 エヴァの中から声が聞こえたのだ――

 <どこよ、ここは>

 そんな、ものすごく偉そうな声。

 <あんた誰>

 などと、それはもう女王様気分で。
 ママかもしれないなどというメルヘンな気分は一瞬で消え去った。代わって湧きあがったのは「フザケンナ」という感情で、そもそも幻聴に答えてやる義理などありはしないのだから完全に無視してやった。
 その日のシンクロ・テストは最悪の結果に終わった。久しぶりにシンクロ率が三十%を割り込んでしまったらしい。
 最低の気分だった。
 それに追い討ちをかけるかのようにリヒャルトの奴が心配面で話し掛けてくる。
『問題があるのなら、僕に相談したまえ』
 などと、したり顔で言うのだ。
 冗談じゃない。
 なぜ自分がこんな奴のボーナスのために協力してやらなければならないのか。
 アスカのシンクロ率は、彼らの財布の中身ともシンクロしている。
 リヒャルトの愛想笑いを見ると吐き気がする。アスカのシンクロ率を下げているのは、その脂ぎった顔が原因なのだと吐き捨ててやりたかった。
 奴らの手など借りない。自分は独りでもちゃんとやっていけるのだから。
 でも――声がする――――

 <あんた手伝いなさいよ>

 何様のつもりだろう、こいつ――そう思い、イライラがつのる。
 釣られるようにシンクロ率も下がっていく。
 だからまた気持ちが荒れる。
 やはりシンクロ率が下がる。
 悪循環なのだ。
 わかっていても、転がり落ちるアスカを支えてくれるものなど何も無かった。

 <あんた顔色悪いわよ>

 ――おまえのせいだ!
 そう喚いたら、その日のテストは取りやめになった。
 最悪だ。
 その夜は早く帰って、自分の部屋に閉じこもることにした。
 なにもしたくない。
 エヴァも見たくない。
 ベットで丸くなっていたら、いきなり怖くてたまらなくなった。
 身体が自分のものではないかのように勝手に震える。
 アスカの本当の母親は、自分を傷つけて傷つけて、ついには壊してしまった。
 自分もそうなるのだろうか。
 彼女もこうやって自分を壊していったのだろうか。
 エヴァに乗ることはアスカの誇りだった。
 絶対に逃げるわけにはいかない。
 戦わなきゃ――そう思った。
 負けたくないのなら、戦わなければいけない。
 自分が自分であるためには、戦わなければ。

 ――ここだけの秘密だが、準備はたっぷりとしていった。
 まずは十字架。手に入るだけかき集めて、全部を首にかける。重くて動けなくなりそうだったので、半分に減らした。
 次に日系ハーフの母が大事にしていたお守り。
 『安産祈願』という漢字がやけに大きく書かれたやつだ。『安産』の意味はわかる。ちょっと違うかもとは思ったが、母が大事にしていたお守りなのだから間違いない。きっとこれが自分を守ってくれるはずだと確信した。
 近所の教会の神父を叩き起こして、聖水と聖衣を手に入れる。
 沢山の十字架にも、もう一度祝福をお願いした。
 エクソシストにでもなるのかね、などと笑われてしまったけれど――

 ええ。そうなんです、神父様。
 これからあたしは悪魔退治をするんです。
 絶対に負けらんない戦いなんです。

 準備万端整えたアスカは、深夜のNERVドイツ支部へと忍び込んだ。
 プラグスーツに着替えるときに聖衣が無駄だったことに気づく。
 せめてこれだけでもと、聖布を右腕に巻きつけ、いざ戦いの場へ――
 十字架をジャラジャラと鳴らしながら、エントリープラグに乗り込んだ瞬間に、言われた。
 言われてしまった。

 <バッカじゃないの>

 あまりの屈辱に、めまいを必死でこらえる。そして、念じた。
「負けるもんか。負けるもんか。負けるもんか!」

 <それと――>

「負けるもんか!」

 <ハッチは閉めないほうがいいわよ。ママのお守りがLCLで濡れちゃうから>

 それで思った。
 結局、ママのお守りが、あたしを救ってくれるんだな――と。


 じっくりと話し合ってみると、<彼女>は自分なのだということがわかった。
 くだらない与太話としか思えないが、十字架も聖水もニンニクですら役に立たなかったのだから。
 効果があったのは、たったの一つ。
 ママのお守り。
 これが効くということは、こいつは『アスカ』だということで、信じたくはないがそういうことだ。
 自分は、こんなにわがままで嫌な奴なのだろうか。
 どうやらそれは向こうも同じらしく、『そんなんじゃ男の子にモテない。どうにかしろ』と余計なことを言ってくる。
 それはあんたも一緒でしょ! と言い返すと、きっぱりとあたしは違うなどと言い出して――
 おのろけが始まった。
 碇シンジとかいう奴らしい。
 はじめて敗北を味あわせてくれた奴だと。
 頭はいい。
 顔はふつう。
 ちょっとだけ頼りになる。
 朝はまったくダメ。
 運動は全滅。
 その日の食事にも困るほどの貧乏。
 そんな奴のどこがいいのか理解できなかったので、そう言ってやった。
 しかし、それが間違いだったのだ。
 あとはもう、碇シンジのこんなところがいい、あんなところがカワイイ、こういったとこが頼りがいがある――そんなどうでもいいことばかりを、延々と夜明け近くまでみっちりと聞かされてしまった。
 はっきり言って、こちらのほうが恥ずかしい。
『あんた恥ずかしくないわけ?』と冷たく言ってやると、
『こんな恥ずかしいこと、他人に話せるわけないじゃない』――――と。

 フザケンナ

 だから叫ぶ。
 ――こんなの、絶対あたしじゃない。
 ――助けて、ママ!


    ◇◆◇


 出迎えの挨拶は、強烈なビンタだった。
 首から上がねじ切れて飛んで行ってしまうのではないかと心配したくなる、見事にスナップの効いたビンタである。
 絶対に影で練習してるわ、あの娘――
 ミサトは頭を抱えながら、そう確信した。
「こぉんのぉ、大嘘つき!」
 ビンタを見舞った相手にそう怒鳴りつける。
 彼女は、マルドゥック機関により見出された、第二の適合者、セカンドチルドレン、惣流・アスカ・ラングレーである。
 他の二人のチルドレンと同じ十四歳の少女。
 細く伸びやかな手足は、ミサトから見てもうらやましい。
 赤毛と青い瞳。それでも日系の繊細さを失っていないところが、彼女の魅力だろう。
 ミサトはシンジと共に、太平洋艦隊所属空母オーバーザレインボーへと到着したばかりだった。
 目的はエヴァ弐号機とその専属パイロットの受け渡し。
 太平洋艦隊を護衛につけるなど国連もエヴァの重要性を理解したってことかしらね――などと気楽なことを考えながら、戦自の輸送ヘリからフライトデッキへと降りた。そこで待ち受けていたアスカが、いきなりシンジに張り手を見舞ったのである。
 被害者のシンジは頬に真っ赤な紅葉マークを張り付かせて呆然としてしまっている。
 それはそうだ。
 初対面の女の子に嘘つき呼ばわりされて、ビンタまで食らっては、まともな反応など出来るはずもない。それがあのシンジではなおさらだろう。
 二人のチルドレンの出会いとしては、あまり穏やかとはいえなかった。
「あのさぁ、アスカ? なんでいきなりシンジ君が嘘つきなわけ。あんたたち初対面でしょうが」
 ダメだわこりゃ、と助け舟。アスカは一度ミサトを睨みつけると、そのままその矛先をシンジに向けた。
「ちょっとあんた! 鏡で自分の顔を見て、カッコイイとか思うわけ!?」
 指差されてしまったシンジは、思いっきり首を横にふっていた。
「それじゃあ、流体骨格を利用したフレーム構造の利点と問題点を千字以内に、いますぐこの場で答えることは!?」
 シンジはさらにぶんぶんと首をふる。
 アスカが何を言いたいのか、ミサトにもさっぱりだ。
「じゃあ、第五世代言語による人格移植OS上でのプログラミングにおける、論理ループの回避と割り込み制御の現実的な解法について語ることは!?」
 シンジにしてみれば。同じ日本語とも思えないだろう。
 やっぱり首を横に振る。
 アスカがブチ切れた。
「あああああっっっ――!! 騙された! あの女にっ! なにがカッコよくて、頭がよくて、そこそこ頼りになるよ! 大嘘つき! こんなのと逢うのを楽しみにしてただなんて、自分が哀れでならないわ! 冗談じゃない!」
 大暴れである。
「――少し付きあいなさいよ、サード!」
 まだ茫然自失しているシンジの首根っこを引っつかむと、引きずるようにして連れ去っていった。
「ちょ、ちょっと、アスカ、シンジ君? あ、あれぇ!?」
 嵐が過ぎ去った後、独り取り残されてしまったミサトはすこしだけ孤独を味わった。
 しかし、
「よお、葛城」
 その直後に加持リョウジという最大級の嵐に直面して、悲鳴とともにそんな思いは消え去った。


「い――いきなりなにするんだよ!」
 三分十八秒。
 シンジが自失状態から脱出するのに要した時間である。
 ボクシングなら、軽く二十回はKO宣言されている計算。
 とんでもない攻撃力だった。零号機のゲンコツより、はっきり言って効いた。
「これに着替えなさいよ」
 ポン、とプラグスーツを投げ渡される。
 真っ赤だった。
 胸のあたりに二つの丸いふくらみ。
 残念ながら、シンジの身体に、こんなものは付いていない。
「女の子用じゃないか、これ」
「予備がそれっきゃないのよ。がたがた言わずに着替える。さっさとしなさいよね」
 有無を言わせぬ命令口調。
「それからこっち覗いたら殺すわよ」
 冗談とも思えない言葉を残して、自分のプラグスーツを手に鉄柱の影に消えた。
 周りを見渡すと、どうやら貨物室か何からしい。ずいぶん広い空間で、強度を保つための支柱が、壁際に沿って綺麗にズラリと立ち並んでいる。
 アスカはその支柱の影から、声だけを投げかけてきた。
「あんた、碇シンジよね」
 赤いプラグスーツをじっと見つめる。
 ――着るのか、これ?
「そうだけど。ねえ、なんでこんなの着なきゃいけないのさ」
 とりあえず、殴られた理由を追求するのは横に置いておくことにした。
 彼女は行動が滅茶苦茶なようでいて、どこか目的があるようにも感じる。
 その理由を知ってからでも遅くはないだろう。
 実際はちょっとビビってしまって、怒りづらいというのが本音だ。
 しゅっ、とエアが抜ける音がした。
 アスカがプラグスーツに着替え終わったのだろう。
 支柱の影から出てくるなり、眉間に皺を寄せた。
「なによ、ぜんぜん着替え終わってないじゃないの」
「だからさ、なんでプラグスーツなんか着なきゃなんないんだよ」
「あんた、バカぁ? エヴァに乗るからに決まってんじゃない。他に何があるってのよ」
 これ以上無いというほどに、他人を馬鹿にした口調だった。
 怒りをおさえる。
 感情を押し殺すことだけは得意だったから、あっという間に心の波風は小さくなっていった。
「エヴァって……弐号機のこと?」
「そうよ、あたしのエヴァ。あんたらのとはモノが違う、プロダクト・タイプだからね。見せてあげるから、着替え終わったら、ついてらっしゃい」
 そのまま背中を向けてすたすたと行ってしまう。
 覚悟を決めて、赤いプラグスーツに着替える。
 その結果がどうだったかは、あまり言いたくない。悪夢だ。
 とにかく着替え終えてから、アスカの後を追いかけた。
 すると貨物室の中央が四角く掘り抜かれ、そこにLCLがたっぷりと蓄えられていて、そしてそこに――
 エヴァ。
 真紅だった。
 四つの恐ろしい眼。
 うつ伏せでLCLに浮かび、その後首から脊髄に向けてエントリープラグが突き刺さっている。
 そこにアスカが胸を反らして立っていた。
「どう。これがあたしのエヴァよ。綺麗でしょ」
 綺麗だなどと思えなかった。
 恐ろしい。
 これはヒトじゃない。それなのにヒトの姿をしている。だから恐ろしいのだ。
 レイは自分を殺したいかと、シンジに問い掛けた。
 ヒトでないから、滅ぼしてしまいたいでしょう――と。
 そうかもしれない。
 ヒトでないのに、ヒトの姿をしているものは、恐ろしい。
 エヴァを見ると必ず感じる恐れの正体を、やっと見つけた気がする。
「上がってきなさいよ、サード」
 エヴァの上から、アスカが言った。
 なに考えてんだ僕は、と苦笑いと共に頭を振る。
「あんたさ――」
 急にアスカの口調が変わった。
 真剣で、人を小馬鹿にしたようなところが綺麗に消えていて、その青い目は強い決心に彩られていて、なんだか別人のようなアスカ。
「あんた――碇シンジよね」
 わけがわからない。何回名前を聞けば気が済むんだろう。
「京都大学の二回生。成人を迎えたばかりの二十歳。趣味はチェロ。得意分野は情報工学。特に人格移植OS上の遺伝型言語の研究開発では世界でも名が知れるほど。それで――惣流・アスカ・ラングレーの、たぶん、恋人」
 言葉を失った。
 自分とはまったくの別人。そんな立派な肩書きなんて、自分は一つも持っていない。
 だけど、シンジは知っていた。
 それは<彼>だ。
 だけど、なぜ?
「早く上がってきなさいってば。――サードあんた、すっごい馬鹿っぽい顔してるわよ」
「だって……どういうことだよ!」
 レイに続いて、また<彼>のことに気づかれてしまった。
 何が起きているのか、まったく理解できない。
「それを教えてあげようと思って、プラグスーツまで用意したんでしょうが。いいかげんにしないと、いくら温厚なあたしでも切れるわよ」
 混乱したまま弐号機の背をよじ登っていく。
 アスカの横に並ぶと、目の前にエントリープラグのハッチ。
 いきなり、背中から蹴飛ばされた。
「うわっ!」
 頭からエントリープラグ内のLCLに突っ込む。溺れそうだったが、溺れるはずがない。
 その後ろから、アスカが中に滑り込んできた。
 ハッチが閉鎖される。
 アスカは操縦席へ。
 エントリープラグが、エヴァに挿入される加速感。
「LCL満水。起動スタート。神経接続開始。圧着ロック解除。シンクロ・スタート」
 少し不機嫌そうなアスカの思考コマンドに反応して、エヴァ起動。
 そして同時に。
 <シンジ!>
 そんな声が、いきなり頭の中で響いた。


 エントリープラグの中は、ハートマークで一杯だった。
 頭の中にハチミツと練乳を突っ込まれて、がしがしとシェイクされているような、たまらない気分である。
 いつからLCLは甘くなったのだろう。血の匂いがしていたはずなのに。
 <あたしを独りにしてどこ行ってたのよ。このバカシンジ!>
 とか、
 <大変だったんだからね。責任とんなさいよ、もう>
 とか。
 さらに突然<声>を潜めたと思うと、
 <それでさあ、お帰りなさいのキ・ス・は?>
 などとねだり、慌てた<彼>に、
 <なにマジんなってんのよ。冗談に決まってんじゃん。バッカじゃないのぉ>
 と上機嫌で笑い出す。
 とにかくかなりのハイテンションだった。
「こんなの、あたしじゃない! あたしじゃない! あたしじゃなあ――い!!」
 気が付くと、アスカはプラグの内壁にストンピング攻撃を加えていた。
「サード!」
 ギンッ! という効果音が聞こえたような気がする。
「調子に乗って、あたしに変な気でも起こしたら、どうなるかわかってるんでしょうね――」
 それはない。
 絶対無い。
 誓ってもいい。
 しかしそれをそのまま口にすると、ものすごく危険な気がした。
「あ……うん。努力するよ……」
「努力じゃない、誓え!」
「ち……誓います」
 用は済んだとばかりにシンジを投げ出すと、どこだかわからない方角に向かって、指を突き立てた。
「それからそこのバカップル二人! いつまでもイチャイチャイチャイチャしてないで、状況説明なりなんなりしたらどうなの! こっちはカユくて、カユくてたまんないのよ! どうにかしなさいよ、この寄生虫ども!」
 ということで、どうにかまともに会話が成立する状況が整ったのだった。
 だが少しでも気を緩めると、<彼女>は<彼>と二人だけの世界に簡単に転げ落ちていく。
 アスカとシンジはそのたびにその世界をぶち壊し、二人をサルベージし、気付けに言葉の往復ビンタを二、三発ブチかまさなければならない。
 長くて不毛な努力の末、どうにか状況のすり合わせが完了したのは、三十分は過ぎたころだった。
 <彼女>は始めのころの<彼>と同様に、エヴァ弐号機とシンクロしてしまっているらしい。
 <彼>との決定的な違いは、アスカとの同化が出来ていない事である。
 <彼>がシンジの身体で自由に移動できるのとは対照的に、<彼女>はエヴァ弐号機に縛り付けられているのだ。
 <それってズルイ! あんたもさっさと、あたしと同化しなさいいよ!>
 そんなわけで<彼女>とアスカの同化を試みていたのも、時間がかかった原因だろう。
 結局、どうやっても同化には成功しなかった。
 最大の原因は明らかにアスカである。
『こんなの、あたしじゃない!』
 この一言がすべてであった。
 ATフィールドの同期は何度やっても無理。それどころかお互いに反発しあって、効力を半減させている始末である。
「あの二人だし、当然かもね」
 <僕もそう思う>
 バチバチと火花を散らす二人の女性を前に、溜息を漏らすしかないシンジと<彼>である。


 そして第六使徒ガギエル襲来。
 それでもって沈黙。
 あまり語ることはない。
 今のアスカは無敵だ。




作者"ぼろぼろ"様へのメール/小説の感想はこちら。
maks@dd.iij4u.or.jp

感想は新たな作品を作り出す原動力です。1行の感想でも結構
ですので、ぜひとも作者の方に感想メールを送って下さい。

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