見渡す限りの蒼天と、何処までも広がる青い大海。まだ世界が死に絶える以前の、懐かしい光景。目蓋を閉じ、あのころの世界を一心に思い描く。それは日課であり、義務でもあった。 数分間も瞑想をしていただろうか。ゆっくりと目を開く。 見渡す限りの赤き空と、何処までも広がる血色の大海。破滅の日、赤が青を駆逐して以来、それが世界の当たり前の光景となった。自身、青空よりも赤の空の下で過ごした時間の方が長い。 (――いいや、違うな。) 空を見上げて一人、否定をする。 一陣の風が舞い、世界に満ちた血の臭いをも運んで来た。その死臭は彼の鼻腔に届く事無く、A・T・フィールドによって拒絶される。ここにいるための絶対条件は、A・T・フィールドを展開できることであり、展開できない者はここでは生きてゆけない。 「僕が生まれたのは、わずかに三年前だ。本当の意味で青い空を見たことなど、一度としてない」 声に出す必要は無かっただろう。だが、聞いて欲しかった。背後に迫った親友に。 「それなら、僕も同じさ――帰還した者全てが、本当の意味で青い空を見た事が無い」 「けど僕は帰還者ではない」 忌々しげに呟き、彼は脱ぎ捨てていた黒衣に袖を通す。別に顔を隠すだけならば、この衣装にこだわる必要はないのだが、三年間ずっと着続けていた衣には、やはり愛着がある。 「もうじきこの空を見なくて済むようになるんじゃないのかい。始めるんだろう?」 「いいや、まだだ・・・・・・」 片眉を上げるが、それで笑顔を崩そうとしない親友に内心で苦笑しながら、フードを目深に被り、顔を隠す。 「まだ、準備の段階だよ。始められるなら、既に始めている」 「キミの準備はともかく、彼は大丈夫かな?」 「それは、彼しだいさ」 「ずいぶん冷たいね。準備が完了しない限り、計画は発動しないんだろう?」 どこか呆れたような調子で、友人が抗議してくる。 「分かってるよ。でも実際のところ、僕らに出来るの手助けだけだ。だから――」 背後へと向き直る。銀髪の友人へ向き直ったわけではなく、その後方に位置する街へ視線をやってから、続けた。 「シンジを彼の地へ誘う。上手くいけば、それだけで彼の準備は完了するかもしれない。」 蒼天を求める者 第一話 ―― 偽りの蒼天 ―― 自分がこの世に生を受けるより前に、それは起こったらしい。なにが起こったのかは、誰も教えてくれない。だが破滅的な出来事があり、それによりこの街の外は地獄と化した。だから自分たちはこの街から外には出ずに、日々を過ごしている。 人工的な光で満たされた内側の世界で、彼は仰向けになって作り物の空を眺めた。城壁とよばれるドーム状の特殊装甲、その内側に映し出される空は、紛い物とはいえよくできていると思う。ゆっくりと流れる雲を見てると飽きがこない。落ち着く。目蓋が自然と落ちてきて、そのまま夢の世界へ・・・・・・・・・・・・ 「なにやってんのよ、馬鹿シンジ!?」 怒鳴り声と衝撃――誰かに脳天を蹴り飛ばされる衝撃――とが、ほぼ同時に襲ってきた。眠気は吹き飛び、頭を抱えてその場でのた打ち回る。 「ひどいよ、アスカ・・・・・・・」 「あんたがこんな所でサボってるからよ」 ここは彼らが住むマンションの屋上であり、本来は侵入が制限された場所である。が、シンジは数日に一度訪れては、空を見上げていたのだ。 「サボるって・・・・・・いったい何をサボったてのさ」 「口答えするんじゃないわよ!こっちはあんたを探して、あちこち走り回ったてのに」 よほど強く蹴られたのか、まだ痛みの引かない頭をさすりながらの抗議は、理不尽な怒声に一蹴される。 あちこち探し回った、というのはおそらく嘘だろう。自分が頻繁にここへ来るのを、彼女は知っているはずであるし、本当にあちこち探し回ったのなら、蹴り一つで済むはずがない。 「で、なんで僕を探してたのさ?」 「ああ、それはね・・・・・・」 腰を上げてから、服に付いた埃を払う。 彼女は一泊の沈黙を挟んだ後に、言葉を続けた。ただ沈黙は演出の類などではなく、どちらかといえば、忘れていた用事を思い出そうとするのに用いた時間のようであったが。 「・・・・・・呼び出しよ、ミサトからの」 そんな大切な事を忘れないでよ。そう言いたかったが、言った場合の自分が被る被害を想像して、開きかけた口を閉じた。 「さっさと終わらせて、夕食の準備をするのよ」 「わかってるよ」 さっさと終わらせてまた空を見よう。そう思い、彼はその場を後にした。 ネルフ。彼女が所属する組織の名だ。その組織の役目は一つ、治安維持である。この街以外に人間はいないのだから、他国からの侵略だとか、そんなことを考える必要はなく、街の外を監視する機器も無い。敵は常に、内部に存在するのだ。だから自分たちは、住民だけを監視していればいい。 ――その筈だった。数分前の報告が入る前までは。 (城壁外にて、接近する機影を確認ですって?) 有り得ないことだった。 生物はこの街にいる者を除いて、絶滅してしまったのだから。 「難しい顔して。どうしたの、リツコ?」 「お気楽でいられるのはあなただけよ」 「色々と忙しくて、お気楽にでもならなきゃやってけないのよ。連続射殺事件の方も、まだ解決してないってのに・・・・・・」 三年ほど前から頻発している連続射殺事件は、非常に奇妙な事件である。被害者は合計で二十八名。内十五名は、人込みの中で撃ち殺されたにもかかわらず、犯人を目撃した者も、銃声を聞いた者もおらず、死体からは銃弾が発見されなかった。手掛かりも目撃者も皆無であるため、捜査は難航しているのだ。 「で、ミサト。アンタまさか、愚痴りに来た訳じゃないんでしょ?」 「ええ、今回のお客さんのことでちょっちね」 そう言うと彼女は、表情を真剣なものにした。どうやら、ただ愚痴をこぼしに来たのではないようだ。 「今回の情報、協力者が持ってきたらしいってのは本当なの?」 「ええ、そうよ。こういう突拍子も無い情報を協力者以外が持ち込んできても、誰も信用しないでしょう?」 彼らが提供する情報が、間違っていた例が無い。これでもっと具体的ならと思うのだが、外部の者に頼りすぎるのも問題だろう。 「何者なのよ、協力者っての」 「あら、それなら私よりも加持くんのほうが詳しいんじゃない?」 「やっぱ、そうするしかないのよねぇ~・・・・・・」 嫌そうな顔をするのは、いつもの事だが、本当はまんざらでもないのだろう。前回のデート(彼女は否定したが)の時に、わざわざ服を新調したのをリツコは知っていた。 デスクの上の時計が、猫の鳴き声を模したアラーム音を奏た。時間のようだ。 「時間よ、シンジ君は搭乗済みだから」 「了解。・・・・・・にしても、加持に頼みごとをしなきゃならないとは・・・・・・」 ブツブツと愚痴る彼女は、後日、デートのために新しい服を買いに行くのだろう。本人は否定するのだろうが。 究極兵器、人造人間エヴァンゲリオン。そのコックピットであるエントリープラグの中でシンジは一人、出撃命令が下るのを待っていた。 上司の話によると今回の出撃は、これまでのものとは一線を画するらしい。 (城壁外出撃命令、か。不安だな・・・・・・・・・・・・) 彼はこの街で生まれ育った。だから街の外を――城壁の外を知らない。あの出来事以来、外へ出て行った者はいないのだから、自分が城壁をくぐる最初の一人になるのだろうか。思いついて、緊張の度合いが増す。 『シンジ君、もしかして緊張とかしちゃってる?』 第一声でいきなり人をからかい始めるのだから、声の主にはすぐ見当がついた。発令所からの映像で、見当違いで無いことを確認する。 「ミ、ミサトさん。そんなこと、ありませんよ」 『強がっちゃってぇ。どもってるわよぉ〜』 遊ばれている。彼女が自分をからかうのは今に始まったことではないが、それでも慣れるものではない。 『大丈夫よ、エヴァに乗ってんだもん。リラックスして気楽にしてればいいのよ』 皆の慌てぶりを見れば、お気楽なのは彼女だけであろうことが分かるが、口にはしない。どうせ彼女の親友である赤木リツコが、似たようなことを言ったのだろうから。 『時間ね、注水始めるわよ』 「了解」 返事が終わるよりも早く、赤い液体がエントリープラグ内に流れ込んできた。血のような色と臭いをした液体――LCLは、数秒で狭い空間を満す。 (どうしても、コレは好きになれないな・・・・・・) シンジには、LCLへの嫌悪が消せない。LCLに慣れることはつまり、血に慣れることと同義であるのだから、好きになれないのも仕方が無いのだろう。むしろ。好きになりたくないとすら思う。 『じゃあ、シンジ君。地下鉄で送るからね』 「や、やっぱりですか?」 『地上からでは、城壁の外には出られないのよ。特急で送ってあげるから、歯を食いしばりなさい』 「・・・・・・はい・・・・・・」 諦めて、了解の返事をしてから、シンジは歯を食いしばった。 不味い。このままでは、彼の準備ができてしまうかもしれない。そうなれば、決戦が始まってしまうだろう。させない。させてはならない。 それは悲しいこと。彼にとって、彼らにとって、それはとても、とても悲しいこと。 例えそれが、彼の望んだことであったとしても、彼らが傷つけ合う事を黙認はできない。 全ての人間の命を奪うことになろうとも、浄化を妨げることになろうとも、それだけは、 「・・・・・・絶対に、させない・・・・・・」 そう呟き、彼女は向かう。光の翼を羽ばたかせながら、彼らが死闘を演じるであろう、決戦の地へと。 エヴァの出撃とは、非常に稀なことである。これは、エヴァでしか対処できない大事件が、そうそうとは起こりえないからである。つまり、エヴァの出撃とは多くの場合、一刻の猶予も無い大事件の発生を意味した。 そうなると、大きな問題が発生する。エヴァの運搬だ。基地から直接エヴァが駆けつけるのでは、それだけで建造物に致命的な損害を与えかねない。そこで考え出されたのが、地下鉄だったらしい。高速で地下行き来することで、エヴァの迅速な運搬が実現した。 ――のだが、 (乗る人の事は全く考慮してないんだよな、地下鉄は・・・・・・!) 不可視の力で体全体を押し潰されるのに耐えながら、心中でこの乗り物の設計者を、力いっぱい罵倒する。どう考えても、乗り心地についての考慮がなされていないのだ。 (どういう神経をしていたら、実験の段階でモルモットを圧死させるような乗り物に、人を乗せられるんだ!?) 赤木リツコが行った実験と、その結果を思い出す。悲惨だった。運悪くその場に立ち合わせてしまったために、数日間は肉類を口に出来なくなった。 自分が今こうして罵詈雑言を、心中でとはいえ叫べるのは、エントリープラグとLCLのおかげなのだ。突如として、血のような液体への感謝の念が生まれる。 大きな音をたてて、地下鉄が動きを止めた。目的地に到達したようだ。 (そうだ、この停車のときだよ。モルモットがケースを突き破ったのは・・・・・・元・モルモットの肉片が散って、それから・・・・・・) どうやらモルモットの事件が、トラウマになってしまっているようだ。思い出してしまった以上、今日の夕食には、肉類を使えそうにない。 『シンジ君、大丈夫なの、顔色悪いわよ?』 「え、ええ。大丈夫です」 『じゃあ、射出するわよ』 再び身構えて、目を閉じる。暴走ともいえる地下での滑走に匹敵するほどの勢いで、エヴァが地上へと射出される。 閉じていた目を開き、本当の世界を、彼は目にする。偽りの空ではなく、本物の空を見て、彼は愕然とした。赤い。それも絵の具の赤ではなく血の色のそれに近い、赤。空だけではない、海も、地も、大気さえもが血の色をしている。 『シンジ君、目標はそこから北東の方角から接近しているから、そっちに向き直って』 「は、はい。北東ですね」 発令所からの通信は、いつもよりも聞き取りづらいような気がしたが、それは自分が世界に圧倒されていたため、聞き逃しかけたためだろう。自分が落ち着きを失っていることに気く。シンジは失った物を取り戻そうと、深呼吸をした。大きく吸った息を吐き出した後、指示された方向に体を向ける。 そして、彼は取り戻したはずの落ち着きを失った。 「ミサトさん、アレって・・・・・・・」 赤の空を背景として、白い機影が空を飛んでいる。翼をはばたかせて、鳥のように。だが白い機影は、鳥などではない。 『嘘、でしょ・・・・・・』 発令所でのざわめきが、スピーカーを通して聞こえてきた。皆も今回の来訪者に驚いているのだろう。無理もない。 『・・・・・・どうして、エヴァが・・・・・・?』 ミサトの声は、発令所の人間全てを代弁したものだった。 遅かった。遠目に見える初号機――彼が駆る初号機は、既に街の外へと誘い出されている。彼が街から出るのを防ぎたかったのだが、どうも手遅れのようだ。 だが、まだ間に合う。彼にあの場所を見せなければ、準備は完了しない。逆に、彼があの場所を目にしてしまえば、最悪の場合、準備が完了してしまう。そうでなくても近いうちに、準備は完了してしまうだろう。 ・・・・・・・いや 「準備は何時の日か、完了してしまう。それはわかっているわ。・・・・・・・でも・・・・・・」 自分と同く光の翼を背負い、中に浮遊している人影を発見する。白銀の頭髪と、真紅の双眸を持つ男。やはり、邪魔をしに来たようだ。 「・・・・・・それでも、彼らが傷つくのを、私は黙って見ていることはできない」 「その行為が彼を傷つける結果になろうとも、かい。綾波レイ」 そんなことくらい、彼女にもわかっていた。自分のやろうとしている事が上手くいったとしても、結果、彼が悲しむことになる。しかし、自分の妨害が失敗しようとも、それは変わらない。どちらにしても、彼はまた、傷つくことになる。 「そこを退きなさい、フィフス。邪魔するなら、あなたを殺してでも私は行くは」 「邪魔者は、キミの方だったと思ったけど」 警戒してだろう。彼は身構えてから、そう言う。どうやら、退いてくれそうにはない。だがここは、通させてもらわなければならない。 彼女はA・T・フィールドを全開にして、立ち塞がる少年へと挑んだ。 後書き 考える。ひたすら、考える。だが答えが出ることなどはありえない。この問題を解ける者が、この場に居る筈がない。これほどの難問を解くだけの学を持った人間は、このような時期、このような場所へ来る必要がないのだ。ペンはその存在意義を示すことも無く、ただ時間だけが虚しく過ぎていく。 ――やはり補習授業初日から早速、不意打ち(抜き打ち)テストを実施するのはおかしいですよ、K先生。こんなもん解けるくらいなら、補修なんか受けませんってば。時間一杯必死に悩んで、悩んだだけで終わりましたよ。どーゆーことっすか? ・・・・・・さて、愚痴はここまでとして、以下はこのSSのうんちくです。 なんだかやたらと、意味不明な単語や発言が出てきますね。「帰還者」「彼の地」「協力者」「浄化」「決戦」、どれ一つとっても第一話では、説明すらしていません。後々説明していくつもりですが、それにしたって多すぎ。おそらくは「教師・K」の陰謀でしょう(責任転嫁)。 だいたい、夏休みに授業を行うなら、夏休みの意味がなかろうに。何を考えているのだ、我が校の教師陣は。噂によるとこの度の暴挙を画策したのは、学年主任たる「教師・K」らしい。やはり、貴奴は陰謀家だ。 と、いつの間にかまた、愚痴になってますね。何故でしょうか?陰謀でしょうか?やはり、「教師・K」の仕業でしょうか?そうか、「教師・K」の仕業か。陰謀家の教師とは、実に恐ろしいものだ。皆さんもお気をつけて。
感想は新たな作品を作り出す原動力です。1行の感想でも結構 ですので、ぜひとも作者の方に感想メールを送って下さい。 |