「どうやら、相当派手にやられたようだね」
「まったくだよ」
 渚カヲルは控えめに言って、満身創痍であった。目を閉じて黙っていれば、死体だと思っただろう。両足の骨折は、まだ自己修復が終わっていないため、あらぬ方向に曲がっていたし、内蔵が破裂したことにより、吐血もしていた。
「見ておくれよ、この髪を。これだけの血を落すのには、時間がかかる」
「いや。そっちのほうの派手さじゃなくてさ」
「もしかして、服のことかい?確かにこっちも血がべっとりで、街も歩けないくらいの派手さだけど、心配は無用、着替えを用意している」
「用意がいいんだね・・・・・・って違うよ。派手の意味が違うよ。どうしてそういう方向に、話を持ってくのさ」
「ふむ。会話という行為は、至難に値するよ」
「?」
「難しすぎて、よく分からないってことさ」
「・・・・・・僕も時々、そう思うよ」
 信じられないことだが、本気で思案顔をする渚カヲルに、とてつもない徒労を感じる。適当な場所を――カヲルの血で、汚れていない場所――を探して、腰を下ろす。
「随分と派手に怪我をしたみたいだけど、大丈夫なの?」
「ああ、なるほど。服を着替えても、この怪我では街で目立ってしまうね。でも大丈夫だよ。放っておけば数分で完治するさ」
「・・・・・・・・・・・・」
 釈然としないものを感じながらも、せっかく上手くいきかけた会話に水をさすことはしない。よけいにこじれるだけだけだ。
「キミのほうも、上手くいかなかったようだね」
「不思議だね。上手くいかないことに慣れてしまったせいか、あまり気落ちしない」
 計画も、会話も、何もかもが上手くいかない。
 頬をかきながら、呆れる。なにに呆れたかといえば、自身と親友、どちらにも同程度に呆れ果ててだったが。
「どうやら、綾波は街に入ってしまったようだ」
「彼を街から連れ出す気じゃないのかな。いくら無自覚だとはいえ、彼なら死に侵されることはない筈だ。前例の通りなら、だけどね」
「今回のようなことでもない限りは、彼の前には現れないだろう。準備を妨害しようとする者が、準備の手伝いとなる行為をするとは考えづらい。ただ僕らが手を出しづらいだろうという考えで、街に入ったんだろうけれど・・・・・・」
「けれど、なんだい?」
 自己修復が完了したのだろう。立ち上がってから、カヲルが訊ねる。
 やはり髪を気にしているのか、仕切りに頭部へと手をやっていた。髪を数本抜き取って、赤く染まっていることを確認して、落胆して、を繰り返している。
「僕の勘は、よく外れるからね」
 悪い予感は、よく当たった。反面、希望的観測の的中率は、最悪と言えた。だから今回の楽観的な予想も、間違いなく外れることだろう。
 過去に裏づけされた自信は、泣きたくなるほどに情けないものだった。


蒼天を求める者

第三話 ―― 疑惑の命令 ――


 決戦と浄化は、未だその兆しすら見せないでいた。どうやら、準備を終えられなかったようだ。半ば予想していたとはいえ、こうも静かすぎると、些か拍子抜けする。
「なにも、起こらんな」
「・・・・・・ああ」
 自分と同じく拍子抜けしてだろう。傍らに立つ男、冬月コウゾウが、声をあげる。
 冬月コウゾウは、イレギュラーではない。正常な帰還者であったのを、贖罪のために無理やりに覚醒させたのだ。
「お前のときも、こんなものだったからな。予想はしていた」
「おいおい、オレと一緒にするな。彼らが準備を果たせなければ、この街がどうなるか、忘れたのか?」
 面目ないのだろう。言っていることはもっともだが、どこか言い訳がましい。
「・・・・・・まあ、よかろう。シンジの準備は、既に最終段階にある。心配せずとも、準備は整う。我々は、我々の仕事をすればいい。葛城三佐と、赤木博士に命令を出しておけ・・・・・・命令の内容は、分かっているな?」
「用意はできている。彼女ら――特に、赤木博士――と顔を合わせづらいのは分かるが、オレにばかり雑用を押し付けるな」
「用意ができているなら、問題無い」
 いちいち非難がましい愚痴をこぼしながら、冬月は部屋から出て行った。
 彼女らが自分を憎んでいることくらい、理解している。今はただ、忘れているだけだ。
 浄化の後に彼女らが復讐を果たしたいと望むなら、それでも構わないと考える。彼らに与えられた任を、果たした後でならば。



 診療を終えて病室より退出すると、開かれた扉の前に、見知った人物の顔があった。珍しく無言で、真剣な表情を浮かべていた。
 彼女は病室へと侵入し、顔を近づけて小声で話しかけてくる。
「シンジ君は、無事だったそうね?」
「外傷は無し、脳波も正常。本当にただ、眠っているだけよ。アスカにも見舞いの許可を出すわ。・・・・・・誰にも聞かれたくない話なら、監視カメラや盗聴器が無い、私の部屋でしましょう」
 リツコの提案に、ミサトは首を振った。
 眉根を寄せるリツコに、ミサトは二つ折りにされた一枚の紙をポケットから取り出し、手渡す。
「私はこれから、加持に会いに行くから。手紙に書いたこと、よろしくお願いするわ」
「何があったの」
 訳が分からずに、説明を求める。
 自分が碇シンジの診察をしていた数十分の内に、何かが有ったようだが。
「さっき、命令があったの。今回の戦闘の後処理についてのね」
「それが、どうしたのよ」
「詳しい事は、ここでは話せない。あんたのデスクにも同じ命令書が行ってるし、手紙にもちゃんと書いてあるから」
 ミサトはそこまで言うと、踵を返して退室していった。
 彼女の行動を見れば、手紙の内容を監視カメラに覗かれるのは、好ましくことくらい察しがつく。リツコは病室に仕掛けられている監視カメラの死角は入ってから、手紙を開いた。



 特殊装甲を幾重にも重ねたドーム状の壁は、城壁と通称されていた。ただの壁を、何故城壁などと呼称したのか。この喫茶店からは、その理由となる建造物が見える。
 城壁の内側には、雨も降った。城壁の内側にあるスプリンクラーのような散水装置から、人工の雨を降らせているのだ。当然ながら、雨として散水する水を地上から汲み上げる、ポンプが必要になる。街の中央に位置する城が、それだった。城壁に届くほどの巨大な建造物は、街には城を除いて他にない。
 外観が中世の城と酷似していたため、巨大ポンプは城と呼称されることとなったのだ。
「待たせたわね。情報、持ってきた?」
 そう言いながら、彼女は向かいの椅子に腰掛ける。
 職場から直接ここまで来たのだろう。ネルフの制服のままだった。そのため、以前のように値札をぶら下げているということもなかった。
「一応、俺も個人で彼らのことは調査してたんでね」
「個人で?どういうこと、諜報部では協力者の事を調べているんじゃないの?」
 聞きとがめて、葛城ミサトはわずかに声を大きくする。司令は彼女に――作戦部に、なにも話していないようだ。
「碇司令の命令だ。協力者には関わるな、とのね。そんなことを言われたら逆に知りたがるのが、人って生き物だろう?」
「火遊びは程々にしないと、いつか火傷するわよ。女性関係も含めてね」
「手厳しいな。・・・・・・で、そういう葛城は、どうして彼らの情報を欲しがるんだ?」
「納得できないからよ」
 納得できないから調べる。それは結局、彼女の言う火遊びとなんら変わりないものに思えたが。
 ミサトは表情を険しくして、声を低くする。
「城壁外からのお客さんについては、知ってるわね?」
「あれだけの大事件だ。ネルフ所属の人間で、知らないヤツなんかいやしないさ」
 一服しようと、ポケットからライターと煙草を取り出す。この席が禁煙席だったかどうかを気にしたが、わざわざ喫煙席を選んでこの席に落ち着いたのを思い出す。
「司令がその事後処理を、協力者に委ねたことは?」
 煙草に火をつけようとしていた手が止まる。初耳であったし、何より興味深い。集中して話を聞くために、一服を断念する。
「本当に?」
「知らないのも無理ないわ。一時間ほど前に、副指令が命令書を持ってきたのよ。黒服連中じゃなくて、副指令が直接ね。命令の内容は、顔も分からない協力者への全面的協力の要請。と、もう一つ。私たちもまだ見ていない、初号機に残された全ての戦闘記録の抹消。つまり私たちに、何も分からないまま協力者のために働けとの命令だったのよ」
「それは司令と副指令が、秘密裏にこの件を処理したがってるとしか思えないな」
 おそらくは、彼女も同感だったのだろう。だからこそ納得できずに、独自での調査を決意し、加持へ情報を求めてきたのだ。
「何故、司令たちは今回の件を隠しておきたがる。初号機の記録を、見ることは出来ないのか?」
「今それを、リツコに調べてもらってるわ」
 ミサトの回答に、苦笑する。遠回りに、命令違反を犯せと頼んだのだろう。いや、もしかしたら、ストレートに強要したのかもしれない。
「リッちゃんも可哀相に。無理を言ったんだろうな」
「無理強いはしていないから、嫌なら何もしないわよ。・・・・・・で、協力者の情報は持ってきたんでしょうね」
 脅すような口調で催促するミサトに、紙袋を手渡す。警戒してだろう。辺りを見渡してから、彼女は紙袋を開き、中から数枚の写真を取り出す。
「なんの冗談なの。この写真は」
 彼女がそう言うのも無理ない。写真には碇ゲンドウと銀髪の少年、それと黒い衣を纏った人物の計三人が映っている。
 顔の見えない黒衣はともかく、もう一人は、少年に違いなかった。



「・・・・・・馬鹿シンジ・・・・・・」
 壁も、天井も、シーツも、カーテンも、全てが白い病室で、惣流・アスカ・ラングレーは一人、呟いた。いや、一人ではない。その呟きを聞く者こそ、この病室にはいなかったが、彼女は独り言を呟いたのではなかった。
 ベットに横たわる少年に――碇シンジに、彼女は語り掛けたのだ。
「夕食の準備をしろってのは、無事に帰ってこいって意味じゃない・・・・・・」
 聞こえていないことくらい、彼女にも分かっていた。それでも言わずにいられなかった。彼が起きているときは、要らない意地を張ってしまうから。だから彼女は、眠っている少年に言う。
「人の気も知らないで・・・・・・」
 扉の向こう側で、低いうなり声のような悲鳴が聞こえた。
 驚いてドアに駆け寄る。自動ドアが軽い音を立てて開くまでのわずかな時間が、とてつもなくもどかしい。病室から飛び出して、悲鳴の主を探す。
「・・・・・・そんな・・・じゃあ、連続射殺事件・・・の、犯人は・・・・・・」
 白衣を着た金髪の女性が、何事かを呟いている。女性には、見覚えがあった。赤木リツコだ。彼女は胸を押さえて、病院の床に膝間づいていた。
「リツコ!?」
 呼んでから、アスカは気づいた。リツコの白衣が、胸部を中心に、赤く染まっていることに。リツコが膝を付く白い床に、赤い水溜りが出来ていることに。
 赤木リツコは、出血していたのだ。



 葛城ミサトに頼まれたとおり、彼女は初号機の記録を無断で閲覧、それをコピーした。初号機と碇シンジが、城壁外で見聞きしたこと、全てが一枚のフロッピーディスクに収めらている。
 ミサトはおそらく、司令が隠しておきたい何かが、初号機から得られる情報の中に有るのだと考えたのだろう。自分も、そう考えた。
(でも、あの場所や黒衣の人物のことを隠して、司令になんのメリットが・・・・・・)
 他にも三機の白いエヴァが映っていたが、その事を秘密にすることにもなんらメリットは無い。打ち明けたうえで、対策を練るのが普通だろう。だが司令は、そうしなかった。
(ジオフロント・・・・・・シンジ君が言った言葉。彼は、何かを知っているのかもしれない)
 そのことを確かめるため、リツコは彼の病室を目指していた。どうしてもジオフロントという単語を、聞き逃せなかった――正確には、聞き覚えがあったのだ。
「聞き覚えが、あった?」
 ふと、そんな事を思いついて、足が止まる。碇シンジの病室まで、ほんのわずかだ。にもかかわらず、リツコは、歩くことを止めた。
「どこで、いつ、私は・・・・・・ジオフロント・・・・・・」
 呟いて――いや、唱えて彼女は、気付く。
 偽りの自分ではなく、用意された自分ではなく、捏造された自分ではなく。
 あの日を迎える前の自分。偽りではない、自分。
 本当の赤木リツコに、本当の自分に、彼女は気付く。
 自分を取り戻した代償は、忘れていた痛みだった。胸部より、焼けるような、熱い激痛が走る。服は無傷である。ただ自然に、傷が開いたのだ。忘れていた、銃創が。
(・・・・・・撃たれた・・・そう、あの時、私は・・・・・・・・・・・・)
 頭を抱えて倒れこむ。走馬灯のように、数々の情景が頭の中で弾ける。意図せずに、肺から悲鳴が漏れた。
 何とか立ち上がろうとするが、体に力がはいらない。
「・・・・・・そんな・・・じゃあ、連続射殺事件・・・の、犯人は・・・・・・」
 自分を取り戻した人間は、皆こうして死んでいったのだろうか。いや、違う。あの日を迎えた者の中には、たしか・・・・・・
「リツコ!?」
 誰かの声が聞こえた。自分を呼ぶ声だ。
 助かった。ここは病院なのだから、声の主は医者かもしれない。看護婦かもしれない。入院患者や、それを見舞いに来た人間だったとしても、すぐに医者を呼んでくれることだろう。自分は、死なない。生きてあの男を――自分を撃った、あの男を、殺す。
 誓って彼女は、目を閉じた。










 後書き

「前回のあらすじ」 友の裏切りにより(?)、エノクは「教師・K」との一対一を余儀なくされたのであった。

 順調におこなわれる補習授業第二段。マンツーマンの授業は、順調すぎて居心地が悪い。静かすぎる教室に、拒絶反応は最高潮。こんな静かな授業、初体験ですよ。体がむずむずしました。発作的に叫びたくなった自分に、猛省。
 でも予想に反して、授業自体は普通でしたよ。突拍子もないトラップも、悪意に満ちた人災も、意外なほどになにもなし。見直しましたよ、K先生。
 いやはや、先生のことを陰謀家だの何だのと言っていた自分が恥ずかしい。彼は生涯、忘れることのない恩師となるでしょう。
 そして、補習授業の終了を告げるチャイム。やっと開放される。さらば師よ。また会う日(二学期始業式)まで、お元気で。
「よし、じゃあ最後に・・・・・・」
 なんだい、ティーチャー。分かれを惜しむのを悪いとは言うまいが、今日は私用が有ってね。ちょっと友人たちとの親睦を深めるために・・・・・・
「教室の掃除をしてから帰れ」
 ホワッツ!?
 師よ、どーゆーことっすか!たった一人で、常時十余名でおこなう清掃活動をせよと!?
「本当は前の授業の後で掃除をさせようとしたんだが、お前の補習が延長されたからな」
 おのれ「教師・K」め!そうゆー算段か!?
 ううっ・・・・・・大人って汚いよ。信頼をここまであっさりと裏切るなんて・・・・・・
 なんだか、世の中の不条理みたいなものを悟りかけるエノクでした。


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