「あなたの心に…」

第3部


「アスカの恋 怒涛編」


Act.48 Shall we ダンス?

 

 

 冬月さんに案内されて、私はホールに戻ったわ。

 こんなに近くだったなんて、信じられない。

 私、方向音痴の気はなかったはずなのに…。

「あら、アスカ。迷ったの?」

 ヒカリが気のない調子で質問してきた。

 顔は上気して、視線はずっと鈴原の方を追いかけている。

 いいわよねぇ、好きな人とダンスができて。

 それに比べて私と来たら、美味しい食事を食べにきて、屋敷に迷って、 

 おまけに恋しいシンジが恋人と楽しそうに踊っているところを見物しにきただけよ。

 馬鹿らしいったらありゃしない。

 これがシンジの誕生パーティーじゃなかったら、とっくの昔に飛び出してるところよ。

 あ〜あ、やんなっちゃう…。

 私はファーストフードのものとは比べ物にならないくらい美味なフライドチキンにかぶりついたわ。

 くぅ〜っ。美味しいから余計に癪に障る。

 隣のヒカリは幸せいっぱいだし…。

 あらあら、鈴原まで呆けてるわね。

 きっとシンジとレイだって…。

 あれ?レイがいない。

 シンジが一人で座ってるじゃない。

 寂しくオレンジジュースをストローで飲んじゃって…。

 隣に座ってお喋りしたいよぉ!

「あの…惣流様」

「ひぃっ!」

 突然、冬月様に話しかけられて、びっくりしちゃった。

 完全に無警戒だったもん。シンジを見てたから。

「ご、ごめんなさい。ぼけっとしてたもので」

「こちらこそ申し訳ございませんでした。あの…?」

「はい」

「よろしければ、シンジ様と踊っていただけませんでしょうか?」

「はい?」

 あわわ、声が裏返っちゃった。

 だって、冬月さんはレイの家の執事なのよ。

 それがどうして恋敵の私に…。

 私が返事をためらっている間に、冬月さんは滑るようにシンジの席に歩いていったわ。

 執事歩きってやつね。

 でも、これって、まさかレイの策略?

 何か罠でも仕掛けてるの?

 でもでも、私、シンジと踊りた〜いっ!

 踊れるなら、これが罠でもかまわないわっ!

 そんなことを考えながら、シンジを見ていると、

 シンジは冬月さんに頷いて私の方へ歩いてきたの。

 私の顔は見ないで視線を落し、少し赤い顔になってる。

 ははぁ、彼女のいない間に他の女の子と踊るもんだから、罪悪感にさいなまれてるのね!

 ああ!近づいてくる!私、すっと立てるかな?

「あ、あの…踊って…いただけますか?」

 返事、返事!早く返事しなきゃ!

 でも、私の舌がくっついちゃったみたいになって言葉が全然出てこない。

 ああっ、もう!

 シンジは顔を赤らめて、返事を待ってるのに!

 レイが帰ってくる前にダンスしないといけないのに!

 このへっぽこアスカはっ!

 ええぇい、こうなったら行動あるのみ。

 さっと立ち上がろうとしたんだけど、膝が固まっちゃってた。

 わざとしたんじゃないわよ。

 結果的にシンジに抱きついちゃったの。

「大丈夫?」

 言葉が出ないから、うんうんと頷く私。

 ああ、みっともないよぉ。

「じゃ、踊ろうか」

 大きく頷く私。

 今の私ってどんな顔してるんだろ?

 身体中の体温がホッペと手の先に集まっちゃってるみたい。

 変な顔になってなかったらいいんだけど。

 ああっ!シンジと手を繋いでる!嬉しいよぉっ!

 ちゃんとダンスできるかな?

 足がもつれたり、シンジを踏んづけたりしないかな?

 ドイツでは色んなホームパーティーでダンスはいっぱいしてきたのに、

 まるで初めてダンスをするみたいに緊張している。

 胸はどきどき、足はがちがち、頭はふわふわしてる。

 ああっ!音楽が聴こえてこないよぉ。どうしよう!

 冷静に、冷静にならなきゃっ!

 ホールの中央に到着する前に何とかしないと。

 落ち着いて…。アスカ、落ち着くのよ。

 シンジと手を繋いだのも今が初めてじゃないでしょ!

 はぁ〜。深呼吸…。ふふ、まるで私じゃないみたい。

 ただのダンスでどうしてこんなに緊張しちゃうのよ。

 ……。

 だって、相手がシンジなんだもん。

 すっかり高嶺の花になってしまったシンジと踊れるんだもん。

 こんな機会は次いつ来るかわかんないのよ。

 だからシンジに馬鹿にされないように…。レイより下手だって思われないように…。

 はは…。こんな調子で踊ったら絶対に下手って思われるわよね。

 あ、曲…。聴こえてきた…。よかったぁ。

 えっと、これは…『ファシネーション』よね。オードリーの映画で流れてた…。

 よしっ。いけるわっ。

 ステップを間違えないように…。

 ああ…、シンジがこんなに近くにいるのに顔見られないよぉ。

 恥ずかしい。どうしても俯いてしまう。

 あれ?シンジのステップが変よ。

 レイの時はあんなに旨く踊ってたのに…。

 そっか…。そういうことか。

 ぐすん…。相手が私だから、気が乗らないのよね。

 仕方ないよ。好きな子が相手じゃないんだからさ。

 でも、哀しい。寂しい。泣きたい。

 ダメよ、アスカ。そんなことしちゃ、シンジに嫌われちゃう。

 いいじゃない。シンジの心がレイの方を向いていても、今はこうしてシンジと踊っていられるんだもん。

 しかもシンジの誕生日なんだしさ。今日は…。

 変なこと考えないで、シンジが楽しくなるようにしなきゃ…ね。

 悲壮な決意で無理にでも笑ってシンジを見ようとした時だったの。

 

 だぁぁ〜んっ!

 

 凄い音がした。

 音楽が止まり、私とシンジの足も止まった。

 音の方を見ると、グランドピアノの前にレイが立っていた。

 右手を鍵盤の上に置いたままで、じっと私たちを睨みつけている。

 楽師さんたちもその剣幕に驚いてしまって、すべての楽器は音を失った。

 ううん、楽器だけじゃない。

 ホールにいたみんながはっとしてレイを見つめている。

 音のない世界。

 ああ…、終わり。私の時間はこれで終わりなんだ。

「ごめん…」

 ぽつんとしたそんな言葉を残して、すっとシンジが私の傍から離れる。

 あ…。

 その後姿を見送る私の唇から、結局何の言葉も漏れさなかった。

 どうせ声を上げても、その背中に届くことは絶対にないんだから…。

 レイのすぐ前に立つシンジ。

 多分何か諭してるんだろう。レイがうなだれている。

 その光景を見ても、何故か羨ましいという思いにかられちゃった。

 ホント、末期症状よね。怒られてるのでさえ羨ましいって思うなんて。

 

 結局、その時から重苦しい雰囲気がホールに圧し掛かってしまったの。

 楽師さんたちが明るい曲を奏でても、まるで天井に吸い込まれていくみたい。

 美味しいはずの食事もどこかあじけない。

 並んで座っているシンジとレイの会話も弾んでないみたい。

 それがすべて私の責任のような気がして、申し訳ない気持ちで一杯だった。

 せっかくのシンジの誕生パーティーなのにね。

 時間になってお開きになった瞬間に、鈴原ったら大きなため息なんかついてるの。気持ちはよくわかるけどね。

 綾波邸の表門ががしゃりと閉まった前で、私たちはどこか呆然としてしまった。

「なぁ、ケンスケ。これからゲーセン行かへんか?このまま帰ったら自分の家があまりにもみじめや」

「ああ、賛成だぜ。俺も同じだ」

 私も同感。

 でも、賛成はできないわ。だって…。

「アンタ馬鹿ぁ?どこに寄っても家が大きくなるわけないでしょ。それより、鈴原はヒカリを送っていきなさいよ」

「えっ、そんないいわよ、私は」

 真っ赤になって遠慮するヒカリ。

 馬鹿よね、送ってもらいたくて…ううん、一緒にいたくて仕方がないくせに。

「がたがた言わないの。鈴原、いいわねっ!」

「あ、あ、ああ、しゃあないなぁ」

「俺は?」

「アンタ男でしょ。一人で帰んなさいよ。じゃあねっ!」

 私はみんなの返事を待たずに走り出した。

 メガネが送っていくと言いだすのを恐れた所為もあるけど、一番の理由は一人になりたかったから。

 やっぱりショックだったんだもん。

 シンジと踊ったことなんかどこかへ飛んでしまうくらいのショック。

 何がショックかというと、レイのしたことを怒っていたシンジの姿なの。

 まるで彼氏彼女っていうよりも、もっともっと深い関係のような雰囲気が二人の間には漂っていたわ。

 怒られているんだけど、それを喜んでいるというか甘えてるというか…。

 シンジなんてその後私の顔を全然直視しないんだもんね。

 ダブルショックよ。

 あ〜あ…。

 後から誰も追いかけてきてないことを確認してから、私はゆっくり歩き始めた。

 出てくるのはため息ばっかり。

 でも…でも、ダメだ。私。結局、大切なことを忘れていたのを思い出しちゃった。

 プレゼントはみんなと一緒に渡したけど、シンジに一言も言ってなかった。

 Happy Birthday って…。

 最低…。

 それに気がついた途端に、思いっ切り落ち込んじゃった。

 マンションの近くにある公園の入り口のコンクリートに腰を下ろして、馬鹿な自分を責めていたの。

 

「何、落ち込んでるの?」

 

 顔を上げると、目の前にマナが立っている。

「あ…」

「迎えに来てあげたの。どうせ二人に見せ付けられてしょげてると思って」

「はぁ…」

 言い返そうとしたけどいつもの空元気は出てこない。

 出てくるのはため息だけ。

「もう、アスカの癖にため息なんて10年早いわよ」

「10年って何よ」

「だって…」

 マナはにっこり笑った。

「10年経ったら、アスカは碇アスカになってるでしょ。それだったら、帰りの遅いだんなさまにため息吐いてるってのも様になるわよ」

 ふっ。

 思わず笑ってしまった。

「何?おかしい?」

「おかしいわよ。勝手に私をシンジの奥さんにしないでくれる?嬉しくて、涙が出ちゃうじゃない」

「鬼の目にも涙」

「ぶつわよ」

「ぶてないも〜ん。実体ないんだから」

「もう…マナの癖に生意気だぞ」

「ほらほら、何でしょげてるのか、この私に告白しなさいよ」

 おどけて言うマナ。

 私の方がお姉さん扱いだったはずなのに、今日は逆転しちゃってる。

 でも、マナの存在って私にとって大きいんだって実感したわ。

 私とシンジのことを全部知っているのはマナだけ。

 ママにも話せないことも、マナには喋っている。

 結局その公園で今日の出来事をみんな話してしまったの。

 半分以上愚痴になってたと思う。

 その愚痴をマナは神妙に聞いていたけど、最後に小首を傾げた。

「どうしたの?」

「あのさ、だったら帰ってからシンジにおめでとうって言ってあげればいいんじゃないの?」

 あ…。

 そうだった。まだ、今日は終わってないんじゃない。

「はは、アスカの顔。おかしいっ!」

「何よ。笑わないでよ、せっかくマナのこと偉いって褒めてあげようって思ったのに」

「えっ!本当?じゃ、褒めて、褒めて!」

「ダメ。今笑ったので帳消し」

「ああっ!褒めてよぉ。アスカに褒めてもらうなんてめったにないのにぃ」

 ぷぅっと膨れるマナの表情がおかしいやら可愛いやらですっかり気分は軽くなっちゃった。

 家に帰ってから憑依したお猿さんのぬいぐるみを抱きしめて、いい子いい子してあげるってことで話はついた。

 マナったらにこにこして、マンションへ歩き出した私にまとわりついてるの。

 幽霊だからいくらくっつかれてもうっとうしくはないんだけど、お腹から顔を出すのは止めてくれる?

 

 だけど、敵もさるもの。

 シンジが全然帰ってこないの。

 きっとずっと引き止められてるのね。

 まさか、お泊りっ!…ってことはないか。シンジはこれまでそんなことをしたことないもんね。

 でも、このままじゃ…「Happy Birthday」って言えないまま今日が終わっちゃう。

 仕方ないわね。ラブレター…じゃない、バースデイカードでも扉に挟んでおくか。

 例えバースデイカードでも、私にとってはラブレターと同じ。

 全知全霊を傾けて書かなきゃっ!

 くぅっ!字が汚いのは戦意を喪失させるわね、まったく。

 マナは気を利かせて、リビングの方に出没してるみたい。

 何枚も書き直して、やっと5行にしかならない短い文章を書き上げたわ。

 『碇シンジ様

 誕生日おめでとう。

 パーティーでは言い損ねちゃった。

 ごめんなさい。

 アスカ』

 これで私の気持ち伝わるかしら?

 まあ、面と向かってしまうと別のこと言い出しちゃいそうだから、カードの方が確実よね。

 午後10時。

 まだシンジは帰ってない。

 私はドアのノブの辺りにそっと封筒を差し込んだ。

 そして、ぽんぽんと小さく拍手を打って日本の神様にお願いしちゃった。

 ちゃんとシンジが読んでくれますよ〜に。

「私はキリスト様にお願いしとこっと。ア〜メン」

 いつの間にか隣にわき出ていたマナがそう言ってくれた。

 アリガト、マナ。

「よぉし、じゃギュッってしてあげよっか」

「やったっ!じゃ、お猿さんに入ってるね」

 すっと壁に入っていくマナ。

「まあ、便利よね。鍵要らないんだから」

 思わずそう呟いて、私は自分の家の扉を開けた。

 

 それから1時間。

 マナのお猿さんを抱っこしながら、私は玄関で耳をダンボにして見張りを続けていたわ。

 ホントに遅いわね。お泊りってことはないわよね。しかもレイと同じ部屋…。

 ないないないっ!絶対にないわっ!

 信じましょ、私のシンジを。

 って、レイは彼女なんだからお泊りしてもおかしくは…。

 ああっ!違う違う違う!それはおかしいのよっ!

 ここは日本なんだから不純異性交遊は厳禁なのよっ!

 でも、ドイツじゃ14歳なんて私みたいなバージンの方が少ないよね…。

 ああっ!ここは日本日本日本!ふう…、日本でよかったわよ。まったく。

 散々堂々巡りをしていた私の耳に、エレベーターの到着音が聞こえた。

 わくわくどきどきっ。きゅっきゅっってスニーカーの足音がこっちに向かってくる。

 うん、間違いない。シンジの足音よっ!

 当然、足音は一人分だけ。

 よかったぁ。レイも一緒だったら、目の早いあの子のことだから先にカード抜かれちゃうかもしれないもんね。

 ああっ!動悸で胸が爆発しそうっ!

 あ、足音が止まった。いよいよいよいよいよいよ…。

 私は冷たい扉に耳を押し付けた。

 気がついたかな?つくよね、絶対。今、読んでくれてるかな?どうだろ?

 あれ…?

 足音が…こっちに向かってくる。

 わわっ!どうしよう!今この状態から身体を動かしたら、扉が音を上げるわよね。

 うちに来るわけ?

 足音が止まった。

 息を止めて…動いちゃダメよ、アスカ。

 あれ?ピンポンも押さないし、ドアもノックしてこない。

 まあ、この状態でノックされたらえらいことになっちゃうけど。

 私にとってはとんでもない長い時間だったけど、シンジの小さな声が聞こえたの。

「ありがとう、アスカ。嬉しいよ、僕。じゃ、おやすみ」

 し、知らないわよね、私がここにいることなんて。

 きゅっきゅっっと足音は離れていく。

 わぁっ!アスカ、感激っ!

 盗み聞きしてた甲斐があったってものよ!

 あまりの感動に私はしばらくそのままの姿勢で、幸福感をかみしめていたわ。

 

 お風呂から出たあとも、なかなかホッペの赤みが引かなかった。

 ううん、興奮したからじゃないの。長い間金属に押し付けていた所為。

 マナやママたちに思い切り笑われちゃった。

 ふん!いいもん、いいもんっ!

 だって、幸せなんだもん。

 寝る前にシンジの部屋の方の壁に向かって、いつもの「おやすみ」と一緒に一言だけ添えたの。

 

「アリガト、シンジ…。おやすみなさい」

 

 

Act.48 Shall we ダンス?  ―終―

 

 


<あとがき>

こんにちは、ジュンです。
第48話です。
『シンジのバースデイパーティー』編後編になります。
せっかくのダンスもレイの乱入で中断。でも、読者の皆さんレイを憎まないでね。お願い。
彼女には彼女の立場ってものがあるんですから。
オードリーの映画というのは『昼下りの情事』です。ジュンのとっても大好きな映画ですね。あの役もアスカ向きかな?
さて、次回は『修学旅行』編です。関西への修学旅行ですが、どういう道中になりますことか。


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