「あなたの心に…」

第3部


「アスカの恋 怒涛編」


Act.53 大脱走は成功するか?そして…

 

 

 修学旅行3日目。とうとう問題の自由行動の日。
 シンジが私に着いてくるって言ってくれたの。
 それを知ったレイがどう出てくるのか。
 ホテルのロビーでクラスごとに解散。
 そして先生に行動するグループと目的地を申告するの。
 同性の友達で動くグループは率先して申告。
 カップルはどうしても人が少なくなるまでは言い出せっこない。
 それは鈴原とヒカリだって同じ。
 但し、やっぱりあのジャージ魔人は漢よねぇ。
 その中で真っ先に申告しに行ったわ。

「出席番号、19番鈴原トウジであります。
 心斎橋方面から難波方面にかけて移動いたします!」

 あのね、軍隊じゃないんだから。
 緊張している所為か、敬礼までしてるよあの馬鹿は。
 本人は大真面目だけど、先生を含めてみんなは笑いを噛み殺している。
 だけど、その硬派ぶりも、先生から同行者を聞かれた途端に崩壊。

「あ、あの、そ、その、つ、つまり、えっと…」

 てんでダメ。
 ヒカリの名前を言えないの。
 仕方がないから、真っ赤な顔で直立不動してる鈴原の隣にヒカリが立ったわ。
 もちろん、ヒカリの顔もまっかっか。
 う〜ん、初々しいわねぇ。
 って、私も申告しなきゃ!
 でも、シンジは…。
 アイツはあそこにいる。
 そして、私の方をじっと見ている。
 その隣にはレイがぴったりとくっついたまま。
 うっ…、ダメ。
 レイの顔を見られない。
 良心の呵責ってヤツかしら?
 はぁ…そうかもね。
 でも、もう遅い。
 石は坂を転がり落ち始めたの。
 落ちるところまで落ちなきゃ止まれない。
 さあ、どうなるのか。
 私にもわかんないけど…。

 私は一歩踏み出した。

「ああ、惣流さん。確かお墓参りでしたね」

「はい。神戸市灘区のグランマの家に行きます」

「えっと、一人ですね」

「先生!」

 私は瞑目した。
 後からシンジの声が響いた。
 見られない。
 私には振り返ることなんかできない。
 ごめんね、レイ。

「どうしました?碇君」

「僕が同行者です。アスカと一緒に行きます」

 ああ…シンジ。
 いつになくはっきりとした声。
 胸がどきどきするような声。
 なんだか久しぶりのような気がする。
 こんなに凛々しいアイツの声を聞くのは。

「私も参ります!」

 そして、予期していた声が続いた。
 必死な口調。
 たぶん、レイはしっかりとシンジの腕をつかんだままに違いない。
 修羅の場。

「レイはダメだ。僕はアスカと二人だけで行く」

「そんなこと許さない。私も行く。絶対に行く」

「レイっ!」

 シンジの怒鳴り声が響いた。
 初めて聞いた。
 アイツ、あんな声も出せるんだ。
 だけど、叱りつける様な声はアイツらしくない。

「し、シンジさん…」

「いいね、レイ。僕はアスカと行くから。レイはついてきちゃダメだ」

 さっきの怒鳴り声が嘘のような優しげな声。
 それなのに、その言っている内容はきっぱりとしている。
 でも、私は怒った声も優しい声も、どちらにしても
 シンジとレイの仲がただのカップルじゃないってことを直感していたわ。
 もっと深い…切っても切れないような絆がそこにあることを。
 なんだか、シンジは私とけじめをつけようとしているのかも…。
 で、私が泣き叫ぶところをレイに見せたくないから。
 そうなのかもしれない。

「いやっ。いやよ」

 レイの悲しげな声。
 私は…。
 やっぱり逃げてちゃいけない。
 私は目を開けた。
 周りの者は私を見てはいない。
 私の背中の方を痛ましい目で見ているの。
 見たくない。本当は見たくないよぉ。
 でも、私は当事者。
 ゆっくりと振り返る。
 想像していた通り。
 シンジの腕にレイが縋っている。
 必死な表情を浮かべて。
 シンジの方は…。
 毅然とした顔。
 ああ、男の顔だ。
 その目が私の方を見ている。
 そして、私にはっきりと頷いた。

「レイ。離して。もう僕は耐えられないんだ」

「酷い!約束が違うじゃない!」

「約束を守らないのは、レイ。君の方だ」

 シンジのその一言がレイを打ちのめしたの。
 約束って何のことかわからないけど、私には。
 その隙にシンジがレイの手を振り解いた。

「あ…」

 レイの顔…。
 あんなに悲しげな顔。
 この2日、夜に見せてくれたあの幸せそうな微笑はどこにもない。
 くぅぅぅぅっ!
 私のせいだ。
 ごめんっ、ごめんね、レイ。
 でも、でもでもでも!
 私だって、好きなんだもん。シンジのことが。

「アスカ?」

 目の前に立っているシンジ。

「さあ、行こう」

「う、うん…」

 何だか信じられないくらいカッコいいシンジに引っ張られるように頷いてしまった。
 
「行かさないっ。どこにも!」

 叫んだレイが私を見た。
 そう。見ただけ。
 睨んだんじゃないの。ただ、見て…悲しげに引き攣った笑いを浮かべたわ。
 そして、すっと手を上げた。
 ち、ちょっと待ってよ。
 映画やテレビじゃあるまいし、どうしてこんな一瞬で黒服の連中が出てくるわけ?
 あ、準備してたのか。
 でもこんな連中がいたら…。
 相手は大人。しかも4人もいる。
 どうすれば…。

「みんな、下がって!この男たちはバルタン星人の変身した姿よ!」

 その大声と共に、ロビーは凍りついた。
 いや、物理的にじゃなくて、精神的に。
 私たちの真ん中にいきなり飛び込んできたオレンジ色の服の彼女は、スーパーガンみたいなのを黒服に向けた。

「私は科学特捜隊の隊員です。みんな、逃げてっ!」

 誰も逃げない。
 そりゃあそうだろう。
 あまりにとっぴ過ぎちゃってね。
 顔は見えなかったけど、この違和感たっぷりの服装と言動であのコスプレ探偵だとはすぐにわかった。
 だけど、こんなことして意味あんの?
 かえって注目を浴びるだけじゃない。
 どうしようかと思ってたら、ロビーの奥、つまり部屋へ上がるエレバーターの方で誰かが手招きをしてる。
 あ、酔いどれ探偵。
 こうなったら、賭けてみようか、あの変な連中に。

「いくわよ、シンジ」

「えっ」

 私はシンジの手を握った。
 
 ぼふっ!

 もう!久しぶりだからこんな状況なのに、赤面しちゃったじゃない!
 って、そんな場合じゃないわね。

「こっちよ!」

「で、でも、そっちは…」

「うっさいっ!ぐだぐだ言わずに私に着いて来なさいっ!」

「うん!」

 えっ……。
 思わず振り返ると、シンジがそれは嬉しそうに微笑んでいた。

「どこまでも着いていくよ」

「え………」

 固まってしまった。
 まさか、これって夢?
 目を覚ましたらレイの顔が目の前にってオチなの?
 そ、そんなのヤよ。絶対イヤ!
 
「ほら、アスカ。あっちに行くんだろ。さあ」

「うん」

 ああ、情けない。
 さっきまで私の方が主導権持ってたのにぃ。
 よしっ!とにかく走ろう。
 私とシンジは手を繋いで、エレベーターの方へ走った。
 誰かサイモンとガーファンクルを流してくれないかしら?
 これで場所が教会なら『卒業』じゃない。
 もっとも、ロビーで大騒ぎしているコスプレ探偵さんの存在がロマンティックさをぶち壊してるけど。
 酔いどれ探偵さんは先にエレベーターに乗っている。
 私たちはその箱に飛び込んだ。
 すぐに扉が閉まる。

「いらっしゃぁい。さ、どこに行く?」

「ち、ちょっと!何か考えてくれてたんじゃないの?」

 慌てたわ。
 だって、きっと何か作戦を立ててくれてるんだと思い込んでたから。

「ふふふ、冗談よ。ちゃあんと考えてあげてるわ」

 エレベーターが止まった。
 地下1階駐車場。
 あ、車で?

「さ、こっちよ!」

 走り出す探偵さんに続いて私たちも駆ける。

「ね、ねぇ、アスカ」

「何?」

「この人…誰?」

「えっと…」

 話せば長くなるから止めた。

「正義の味方、よ!」

「へ?」

「いぇ〜い、正義の味方っ!」
 
 前を走る酔いどれさんが右腕を突き上げる。
 ちょっと酒臭い正義の味方だけどまあいいか。
 でもまああんなヒールでどうして全力疾走できるわけ?
 私は隣を走るシンジの横顔を盗み見たの。
 笑ってた。楽しそうに。

「こっちよ!」

 曲がり角をターンした先には青い外車がでんと停まっていた。
 わっ!あれってルノーじゃない!
 カッコいい!
 アレに乗って、逃げるのね!
 007とかそんなのみたいっ!

 じゃなかった。
 ルノーの隣に社員通用口の扉があって、酔いどれさんはその扉に手をかけたの。

「ちょっと、こっちじゃないの!」

「はぁ?」

 青いルノーを指差す私に、酔いどれさんは肩をすくめたわ。

「こんな高い車を私が持ってるわけないでしょ。それに…」

「それに?」

「飲酒運転なんかしたら免許取り上げられちゃうじゃない」

「ふん!いくら免許持っててもずっと酒気帯びで運転なんかできないんじゃないの?」

「あはは、それ当たり!」

 はぁ…。
 私はがっくりきちゃった。
 
「じゃどうやって抜け出すのよ」

「ん?ここから裏口に抜けて、歩いて出るの。
 それから難波の地下街に入ってしまえば、もうこっちのものよ」

「そんなの全然カッコよくない!こっちの方がいい!」

 私はルノーを指差したわ。
 すると、そのルノーのドアがぱっと開いた。

「そうだろ?」

 出た。三人目。
 咥えタバコで車のキーを指でくるくる回しながら、無精ひげおじさんが降りてきた。

「だから言っただろ、車ですっ飛ばす方がいいって」

「馬鹿ね、アンタは。この駐車場から出たとたんに渋滞に巻き込まれるのよ。
 まあ、自由時間が終わる頃には阪神高速から降りれるんじゃない?」

「ホント?」

「地下鉄と阪急を使ったほうがいいのに決まってるでしょ。あっ!」

 酔いどれ探偵さんは突然目を剥いた。

「ちょっと、ど〜してアンタがこんな高そ〜な車のキーを…」

 おじさんは咥えタバコでにやりと笑う。
 わわっ、何だかいやな予感。
 
「この鍵の持ち主は今頃満足げにベッドで…うおっ!」

「このスケコマシっ!」

 酔いどれさんの脚が綺麗に上がった。
 寸前にさっと避ける。
 ああ、もう完全に私たちのことは忘れてしまってるわ。
 懸命に攻撃する酔いどれさんに、へらへら笑いながら逃げているエッチな探偵さん。
 
「ね、ねぇ、アスカ?」

「何?」

「そろそろ行った方がいいんじゃないの?ほら」

 つい活劇に見とれていた私をシンジが促した。
 そうだった!
 早く行かないと!
 かつかつかつかつ!
 駐車場に靴音がする。
 やばっ!

「いくわよ!シンジ!」

「うんっ!」

 私はシンジの手を握ったわ。
 そして、通用口の扉を開けた。




 私は方向感覚がいいの。
 それに行き先表示板を見てたら、こんなの簡単じゃない。
 地下鉄で梅田に向かう。
 車両の中には不審人物はいない。
 とりあえず、よかった。
 何故とりあえずかって?
 だって、行き先はレイにはわかってるんだもん。
 グランマの家。
 そこでも何か起きるのかな?
 グランマに迷惑がかからんなかったらいいんだけど。
 地下鉄を降りて迷路のような地下街を歩く。
 縦横無尽に通路が交差してて、
 そこを思い思いの方向目指して思い思いのスピードで凄い数の人が歩いてく。
 
「アスカ、凄いね」

「何が?」

「こんな場所で行き先がわかるんだ」

「ば、馬鹿ね。そんなの、行先表示見てたら間違えっこないじゃない」

 そんなことを言う私の方が馬鹿。
 偉そうなことを言ってるけど、もう胸はどっきどき。
 シンジに褒められた上に、ずっと手を繋いでるもん。
 恥ずかしいもんだから、視線を回りに散らしてるおかげで行先表示がよく確認できるの。
 怪我の功名ってヤツね。
 その迷路を抜けて、阪急の駅に。
 パパによく聞いてきたから、乗る電車を間違えっこない。
 8番線の特急に乗る。
 マルーン色の電車って何だか珍しいわね。
 パパったら細かいところまで教えてくれるから、乗る車両まで指示されちゃった。
 座る場所がなかったから、シンジと扉のところに立ったの。
 流れてく景色。
 長い鉄橋を渡って、街中を快適に走っていく。
 私たちはその風景をずっと眺めてた。
 何も喋らずに。ただ、じっと手だけを繋いで。
 こういうのも幸せって感じ。

 ねぇ、シンジ。
 私はそう思ってるのよ。
 シンジはどんな思いで私と同じ風景を見ているのですか?

 私はシンジに聞いてみたかった。
 でも、それは「シンジにとってレイはどういう人なの?」って質問に繋がっていく。
 私には聞けない。
 聞けやしない。



 途中で普通に乗り換えて、私たちの乗った電車は六甲の駅に到着した。
 扉が開き、私とシンジはホームへ降り立つ。

「アスカっ!」

 忘れてやいない。
 グランマの声。
 その方向を見ると、大柄なグランマが両手を広げて立っていた。

「グランマ!」

 私はシンジの手を離し、グランマの胸に飛び込んでいったの。
 10年ぶりだもん!
 でも4つの時に抱いてもらった、それとまったく同じ感触だった。
 グランマの胸はとってもあったかかったの。
 しばらくぎゅってしてもらって、それからシンジのことを紹介したわ。

「あのね、うちの隣に住んでいるの。名前が碇シンジって言って…」

「ああ、ようしっとるよ。キョウコから電話でね」

「碇シンジです」

 ぴょこんと頭を下げるシンジ。
 グランマはにっこりと微笑んだ。
 そして…。
 とんでもない質問をし、シンジもとんでもない答を返したの。

「うんうん、シンジ君か。あんたがうちのアスカのボーイフレンドやねんな」

「ぐ、グランマ!」

「はい。僕はアスカの…、いえアスカさんのことが世界中で一番好きです」

 時間が止まっちゃった。
 きっと、私、今思い切りマヌケな顔してると思う。
 が、外交辞令ってヤツよ。
 は、はは、馬鹿シンジも案外如才がないじゃない。

「おやおや、そうかい。まあアスカったら何?その幸せ一杯って顔は」

「へ?」

 わかる。
 顔の筋肉が緩んじゃってるわ。
 うへへ、引き締めなきゃっ。
 
「そしたらさっさと亭主のとこ行きましょか。そんなに時間あらへんのやろ?」

「う、うん」

「車、待たせてるよって」

「えっ、グランマ、車なんか持ってた?」

「アホな。タクシーに決まっとるやろ。私は免許なんか持ってへんで」

「そうよね」

 グランパはにっこり笑うと、さっさと歩いてく。
 相変わらずのグランマだわ。
 気さくというか豪快というか。
 女手一つでパパを育ててきただけのことはあるわ。
 でもまぁどう見てもこのグランマがお化けを怖がるようには見えないし、
 パパのお化け嫌いは見たこともないグランパの遺伝子かしら?
 私とママはマナの幽霊しか見えないしね。
 パパみたいに何でもかんでも見えるのはやっぱ特異体質よねぇ。
 阪急タクシーに乗ってグランパのお墓へ。
 グランマは助手席に乗ってくれた。
 おかげで私とシンジはゆっくりと後部座席で。
 ゴールデンウィークの時みたいに膝枕でってのもいいけど、
 さすがにタクシーでそんなことできっこない。
 グランマと目が合うと、にこっと微笑まれちゃった。
 シンジのこと気に入ってもらえたかな?

 グランパのお墓参りをしたのはまだ4つだったからよく覚えていないの。
 ただ海が見える見晴らしのいい場所だってことだけ。
 その記憶はばっちりだったわ。
 タクシーを降りて、急な坂をえっちらおっちら。
 グランマが先頭を登り、その次に私。
 シンジは僕が持ちますって水桶を握りしめている。
 シンジの家のお墓みたいに整備された石段じゃないから、けっこう足元は危なっかしい。
 私はわざと言ってやったの。

「一滴でもこぼしたら容赦しないわよ」

「はは、がんばるよ」

 私を見上げてにっこり笑う。
 どうしたんだろ?
 このシンジの笑顔が凄く懐かしいような気がする。
 最近でも笑顔は見せてくれてたのに…。
 あ、そうか。
 でも、その答を正解としてしまうのは私には躊躇われたの。
 だって、その答ってお正月の時に見た笑顔ってことだから。
 つまり、レイと付き合いだす前…。
 何だか私って凄く自分勝手な女のような気がしてきた。
 嬉しいんだけど、切ない。
 レイ…。
 今どこにいるのかな?
 黒服さんたちと追っかけてきてるんでしょうね。
 そんなことを考えながらも、私はシンジに笑顔を向けているの。
 何てヤな女なんだろう。
 って、何度目かに振り向いた時、墓地の下に車が上ってきたのが見えた。
 黒い大きな車。
 何となく、レイの車だってわかった。
 その私の視線にシンジもすぐに気付いたの。

「来ちゃったわね」

「うん。でも、なかなか見つけられないと思うし…」

 シンジは足を止めてそう言った。
 確かにここは広いから。
 だけど、車から降りてきた制服姿の少女はじっとこっちを見ているみたい。
 私とシンジはそんなレイを見下ろしている。
 表情までは見えない。
 2cmくらいの姿じゃあねぇ。
 それでもレイの心は伝わってくるわ。
 びんびんと。

「見つかっちゃってるね」

「うん、でもまだ大丈夫」

「どして?」

 自信たっぷりに言うシンジの顔を見る。
 すると、シンジは苦笑しながらこう言ったの。

「レイはお墓参りを邪魔するような子じゃないよ」

「うん、そうよね。レイはそんな子じゃない。それに…」

 私の言葉にシンジは少し小首を傾げたわ。
 ふふ、何かしら女の子っぽい仕草。
 そう言えば、どこかレイに似てるかも。

「あの子、私たちを信じてる。ここからこっそり逃げ出したりしないって」

「え…」

 私は自信があったの。
 だから、その場でレイに向って大きく手を振った。
 レイはそんな私をじっと見つめている。
 私はさらに大きく手を振る。
 すると、レイは右手を上げて小さく手を振り返してきた。
 そして、車の扉を開けて後部座席におさまる。

「ねっ」

「本当だ」

 あんなことされちゃ、こっそり逃げるわけにはいかないよね。
 それに、グランマも一緒にいるし。

「ん?友達かい?」

 数段上にいたグランマが声をかけてきた。
 その笑顔に私も明るく声を返す。

「うん、友達。凄く仲がいいの」

 私は言い切った。
 これは本心。決して外交辞令とかそんなのじゃない。
 シンジのことさえなけりゃ、ね。

 お墓を洗って、まわりも綺麗にして。
 お彼岸に来れなくてごめんね、グランパ。
 写真でしか見たことがないグランパ。
 グランマと結婚してくれてアリガト。
 貴方のおかげで、私は今生きてます。

 

 避けては通れない道。
 物理的にもそうだけど、気持ちの上で。
 でもね、よく考えたらレイと相対するのは私じゃない。
 シンジなんだ。
 からになった水桶を持った私は、後を歩くシンジを振り返った。
 真剣な面持ち。
 唇を軽く噛んでいる。
 少し顔色が悪いように見える。
 何か言うべきだろうか?
 考えもまとまらないまま、私は唇を開こうとした。

「あ、あのね…」

「ありがとう、アスカ。ちゃんと話をするよ。レイと」

 切れ切れだったけど、しっかりとした口調。
 何の話かはわからないけど…と思った瞬間、シンジはにこっと笑った。
 ああ、この笑顔。
 ドリアン入りのサンドイッチを食べさせたあの時の…。
 大笑いした後に見せてくれたあの笑顔だ。

「あの言葉は本当だからね。アスカ」

「え?」

「駅でアスカのおばあさんに言ったこと。世界中で一番好きだってこと」

 シンジは頬を真っ赤に染めてそう言ってくれた。
 ずっと待ち望んでいたその言葉。
 ほとんどあきらめかけていたその言葉。
 私には向けられないって思い込んでいたその言葉。
 それが今現実に…。
 舞い上がって喜びたいところなんだけど、何だか現実感がない。
 そして私はホントにマヌケな返事を返してしまったの。
 ああ、お馬鹿なアスカ。

「じゃ、二番は?やっぱり、レイなの?」

 シンジはぽかんとした顔をしてる。
 さすがの私も自分の発言にかなり焦ったわ。
 シンジにあきれられたんじゃないかって。
 ところがそのシンジはお腹を抱えて笑い出したの。

「はははっ!そ、そう来たか。ご、ごめん!
 一番も二番もなし!僕は、アスカが大好きだ。これでいい?」

 私は何となく頷く。
 これが告白?
 大好きなシンジから私のことが好きだって言われてるのに、やっぱり何故か釈然としないの。
 そんな戸惑う私にシンジは全然いやな顔をしなかったわ。
 
「ありがとう、アスカ」

 それどころか感謝の言葉。なぜ?

「レイのことだろ。僕とレイのことが引っかかってるんだ。嬉しいよ。やっぱりアスカは僕が思っていた通り、最高だよ」

「あ、あの、ごめん。よくわかんない。どうして感謝されるの?」

「もうすぐわかるよ。さ、行こう」

 シンジはもう一度にっこり微笑むと、しっかりとした足取りで石段を降りていく。
 その背中を少し遅れて追いかける。
 少し下で腰掛けていたグランマにシンジは少し会釈してさらに下へ。
 そのグランマは私に向って楽しそうに笑いかけた。

「どないしたんや、えらい、男の顔になって降りていったなぁ」

 そう冗談っぽく言うと、グランマはタバコを咥えて美味しそうに煙を唇の端から吹き出した。

「グランマ、いい加減にタバコ止めなさいよ」

「ほっとき。私の身体や」

「でも」

「ほら、アスカ。はよ行かんと、置いて行かれるで」

「あ…」
 
 よいしょと立ち上がったグランマを置いて、私は小走りに石段を降りる。
 シンジはもう石段を終えて、なだらかな坂を歩いていた。
 坂道の傍らに止まる黒塗りの車に向って。
 そして扉が開き、レイの白い脚が覗いた。
 背筋を伸ばしてレイがシンジを待ち受ける。
 その2mほど前でシンジが立ち止まった。
 さらにそこから少し離れて私。
 レイの前でシンジと並ぶなんてできない。私には。
 そのレイはにっこりと微笑んだ。
 いや、そのつもりだったんでしょうけど、やっぱり引き攣った笑いになってる。

「ごきげんよう、シンジさん、それに惣流さん」

「ありがとう、レイ。待っていてくれて」

「人様の墓前で愁嘆場を披露するほど恥知らずじゃありません」

「レイ…」

 思わず声をかけた私をレイは睨みつけた。
 悲しげな瞳で。

「レイ、僕はもう我慢できないんだ。約束を破って悪いと思って…」

「卑怯者っ!私のことなんか…」

 レイが激して言葉を吐き連ねようとした時だったの。
 ほんわかとした口調でグランマが顔を出した。

「おやまあ、こんな場所で喧嘩かい?ここをもう少し降りたところに公園があるさかいに、そこで話したらええ」

 絶妙のタイミングだったわ。
 レイがはっとして口をつぐんだ。
 その険しい顔にグランマは優しく微笑みかけたの。

「あれ、あんたは…うちのアスカのボーイフレンドの妹さんかい?」

「違うわよ、グランマ。レイは…」

 私は最後まで言い切ることができなかった。
 だって、レイの顔が見る見る歪んで…大粒の涙がぼろぼろと零れだしたから。
 そして、彼女はシンジじゃなく私の胸に飛び込んできたの。

 

Act.53 大脱走は成功するか?そして…  ―終―

 

 


<あとがき>

こんにちは、ジュンです。
第53話です。
『どたばた修学旅行』編の2・神戸編、その中編になります。
ついにシンジが喋ったことは本音なのか?
レイのことはどうなる?
見え見えの真相に向って話は進みます。
さて、次回は『修学旅行 神戸編』後編です。あ、第3部「アスカの恋 怒涛編」は次回でおしまいとなります。
そして、最終章へ。


作者"ジュン"様へのメール/小説の感想はこちら。
jun_sri@msh.biglobe.ne.jp

感想は新たな作品を作り出す原動力です。1行の感想でも結構
ですので、ぜひとも作者の方に感想メールを送って下さい。

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