「あなたの心に…」

第3部


「アスカの恋 怒涛編」


Act.54 シンジの告白、レイの真実

 

 




 グランマの教えてくれた公園。
 遊具がない所為か、子供たちの姿がない。
 こんなに緑で一杯なのにもったいないなぁ。
 長いベンチに腰掛けたレイを挟んで、私とシンジ。
 グランマは離れた場所にあるパンダに腰掛けて、またぷかぷかとタバコを吹かしている。
 レイは私の手を握り締めたまま、ずっと離そうとしないの。
 まったくもうグランマったら、この二人が恋人同士だっていうのに
 変な間違いするからレイが泣き出しちゃうんじゃない。
 話がもつれるだけだわ。
 私はそう思い込んでたの。
 ところが、話はもつれたどころか、一気にほぐれちゃったわけ。
 
「どうして…?」

 ひくつきながらレイが私に訊く。

「どうしてって…ああ、あれ?グランマには何も言ってないしさ。
 ほら、レイとシンジって少し似てるところもあるから。それで間違えちゃったのよ」

 レイを安心させるように、ゆっくりと説明する。
 すると、反対側のシンジがおずおずとした声を出したの。

「それが、アスカ。あのね、実は、間違えてないんだよ」

「そうそう、その通りよ。ホントにグランマったらおっちょこちょいで…」

 あれ?
 今、シンジ、何て言ったっけ?
 間違え………………て、ないっ!
 私は思わずベンチから立ち上がってしまったわ。

「嘘っ!」

 私に手を振り解かれたレイが恨めしげに私を見上げる。
 その隣で、シンジが真剣な顔で私を見上げてる。
 確かに雰囲気は似てるけど…。
 そんなそんなそんなっ!

「だって、だって、は、はは、冗談でしょ。
 エープリルフールでもないのに私を騙そうとしてるんだ。
 そ、そんなの…あ、ほら、誕生日が合わないじゃない。
 はん!すぐばれるような嘘つくんじゃないわよ!」

 シンジの誕生日は6月6日。レイが3月30日。
 いくらなんでも、それはない。
 そりゃあレイが早産って可能性もあるけど、やっぱり変。

「母親が違うんだ」

「え……」

 情けないけど、その瞬間頭の中が真っ白になっちゃった。
 とんでもないことをあっさり言われたってこともあるけど、
 やっぱり想像もしてなかったことだもん。
 シンジとレイが異母兄妹?
 じゃ…じゃあ…。
 これまでのことが頭の中で走馬灯のように駆け巡る。
 ……って、私死ぬ前じゃない。それだったらっ!
 でも、ホントにレイと初めて会ってからのことを思い出していたの。
 初めて会話をしたときのことや、初詣、バレンタインのこと…。
 そして学校の屋上での開戦。
 で、真っ先に出てきた言葉がまた情けなくて…。

「じゃ、レイ。アンタ、実のお兄さんの子供を産むつもりだったのっ?」

「えっ!アスカ、何をいきなりぶっ飛んだことを…」

「うん」

 別にぶっ飛んだ質問じゃなかったんだ。
 レイがこくんと頷いたの。
 それで驚いたのが、シンジだったわ。
 血相を変えてベンチから飛び立ち、私の横に立った。

「れ、レイっ!は、話が違うじゃないか。こ、こ、こ、こ、こ…」

 シンジが鶏になっちゃったじゃない。
 
「子供でしょ」

「そ、そう、それ。それに恋人の真似事だけだって…」

「間違いはいつだって起きるもの」

「レイ、アンタはそれを起こそうとしてたんでしょ」

 私の嫌味たっぷりの言葉に、レイはぺろりと舌を出したの。
 その表情は凄く子供子供してて、正直可愛かった。
 冷静に考えるととんでもないことを企んでいたようだけど。

「お、おい。僕たちは実の兄妹なんだぞ。そ、そんな滅茶苦茶な」

「良いわねぇ、モテモテで」

 レイには頭にこなかったけど、何故かシンジには腹立たしい。
 事情はよくわからないけど、この馬鹿、実の妹のそういう感情に気付かなかったんだ。
 ホントに鈍感馬鹿。
 
「そ、そんなこと言うなよ。僕はずっとアスカのことを…」

「私の目の前で言わないで。酷いわ」

 レイの目に涙が溢れる。

「ちょっとシンジ。可哀相じゃないっ!」

 この時、私にはやっとわかったの。
 どうしてレイに悪い感情を持てなかったのか。
 直感的にシンジと同じような匂いを嗅ぎ取っていたのよ。
 さすが、私の野生の本能は凄いわ。
 誰も褒めてくれそうもないから、自分で褒めとこっと。
 だけど、こうなると、私の天才的な頭脳は既成事実を確立しようとしてたの。
 どうせわけのわかんない複雑な事情があるんでしょうけど、
 それはあとでゆっくり聞きだしてあげる。
 とにかく、今は…。

「シンジが悪い。妹を泣かせるなんて、最低っ!」

 「妹」のところに思い切りアクセントをつけてやったわ。
 男性としてシンジを慕っているのは間違いないから、それを糺さないとねっ!

「そ、そんな!僕はただアスカのことが…」

「うっさい、黙れっ!こんな可愛い妹がいて、アンタ世界一の幸せ者じゃない!
 文句なんか言ったら可愛い妹を欲しがってる世間の男どもから非難轟々よっ!」

「も、文句なんか…」

「まだ言うかっ。アンタ、果報者でしょっ。
 こんなに美人で天才の彼女がいて、その上誰もが羨むような妹が…」

 くいくいっ。
 スカートの裾が引っ張られた。
 ベンチに座っているレイが唇を尖らせている。

「何?」

「アスカも酷い。妹、妹、って。鬼の首を取ったみたいに」

「えへへ…」
 
 私もレイみたいに舌をペロッと出したわ。
 多分、暗い事情があるのはわかっているもん。
 同級生の異母兄妹なんて…。
 その話を聞かないと…喋ってもらわないといけないんだもん。
 だから、せめてそれまでは明るくやんなきゃね。

「はい。お食べ」

 さすが、グランマ。
 またもや絶好のタイミング。
 いつの間にか姿を消していたかと思うと、スーパーの袋を手に戻ってきてた。
 その袋から取り出してきたのは、アイスクリームが4つ。

「どれがいいのかわからんかったから、好きなん選び」

「レイ、アンタが最初」

 戸惑うレイ。
 でも、すっと一番大きなソフトクリームっぽいのに手を伸ばす。
 こういう時はすかさず突っ込まなきゃね。

「あっ!大きいの取った。性格が出るわねぇ」

 こつんとおでこをグランマに突かれる。
 わざと「痛ぁい」と大きな声を出し、すぐに袋からお気に入りのを奪い取る。

「はは、変わらないねぇ。アスカは。小さいときもそれが好物やったんよ」

 ストロベリーシャーベットの真ん中に白いバニラアイスが入ってるの。
 なんだ。4つの時にもこれを食べてたんだ。
 
「だって、赤いの好きだもん」

「ほら、ぼんも取らんかいな」

「あの…おばあさんはどっちが?」

「ははは、年寄りに遠慮してくれるのはぼんだけやなぁ」

「気にしないで取りなさいよ、シンジ。
 グランマのことだからちゃんと計算して買ってるわよ」

「え?そうなの」

 私はさっさとカップを開けながら、シンジを見もせずに言ったわ。

「当然。私のグランマよ。
 もし、誰もが選ぶようなものが好きなら4つとも同じの買ってくるに決まってんでしょ」

「こら、アスカ!」

 グランマが叱りつけた。
 ああ、懐かしい。
 グランマの家の近所の神社で大きな石によじ登ってた時にもこうやって叱られたっけ。
 顔を上げると、グランマはにっこりと笑っていた。

「大当たりや。私が好きなのはこいつ」

 そしてグランマは袋の中から宇治金時アイスを取り出した。

「ほれ、アスカ。指で食べる気か?」

 プラスチックのスプーンを私に差し出すグランマ。
 でへへと笑いながら受け取り、真ん中のバニラアイスに突き刺す。

「ぼんは残ったのでええやろ?」

 袋の中にはもなかが一個。

「あ、はい。僕、もなか大好きです」

「せやろ。思った通りや」

「グランマ、どうしてわかったの?みんなの好みが」

 グランマはレイの隣に腰掛けて、宇治金時のカップを開く。

「勘や、勘。年寄りの勘やで」

 そう言うと、レイの鼻の頭についていたバニラアイスを指で拭い取って、
 そのまま自分の口に入れる。

「ほな、アイス食べたら、いこか。美味しいパンがあるさかいに」

「グランマが焼いたの?」

「当たり前や。可愛い孫が来るんやさかいに、店の釜貸してもろたんや。
 でもまあ余計めにつくっといてよかったわ。
 お客さんがようけになったさかいな」

「あの、私たちは…」

「かまへん、一緒に来たらええ」

「でも時間がありますし」

「大丈夫や。アスカ、何時の新幹線やった?」

「5時21分」

「結構早いんやな。ま、ええわ。で、集合時間が3時かいな。
 またえらいサバ読んどんな。ま、このばあちゃんが上手いこと言ったるさかい。
 大船に乗った気でおり。それに」

 グランマは金時を掬い上げて口に入れる。

「こういうややこしいことは早うに話してしもうたほうがええんやで」

 なるほど、それはその通り。
 そう思ったのは私ひとりじゃないはず。
 シンジもレイもアイスを食べながら私に頷いた。





「グランマ、狭いっ!」

「しゃあないやろ。前の家は震災でぺちゃんこや。
 それにもう私ひとりなんやから、これだけあったら充分充分」

 6畳と3畳の二部屋。
 それに流しとお風呂にトイレ。
 レイはこんな家に入ったことがないのかもしれない。
 あんな邸宅に住んでいるんだし、前に住んでいた家も純日本家屋でとんでもない敷地だったみたい。
 私のマンションでもキョロキョロしてたくらいだから、
 この狭い家で生活をしているというのが不思議でならないのかも。
 さすがにここでじろじろ家の中を見るのは失礼だと、好奇心を抑えているのが傍目でもわかる。
 6畳間の真ん中に丸い卓袱台。
 家具も整理ダンスと小さいテレビ。
 そのテレビの横にこれまた小さなお仏壇。
 ホントに何もない家。

「びっくりしたか?ぼんたち。こんな小さな家で」

 ふるふると首を振るレイ。
 そうよね、言葉なんか無意味だわ。

「グランマ、うちで一緒に住もうよぉ」

「いやや。ここを離れるもんかいな。身体が動かへんようになったら、どっかホームにでも厄介になるわな」

「そんなのダメよ。ね」

 グランマは明るく笑った。
 パパやママの言う事も聞かないんだもん。
 可愛い孫でも無力ってことか。
 
「みんな紅茶でええね」

 言下に答える三人。
 グランマが流しに向った途端に、レイが目をあちこちに動かし始める。
 私は顔をレイに近づけて、声を潜めた。

「珍しい?こういう家」

 こくんと頷くレイ。
 実は私だって初めて。
 ドイツで見た一人暮らしの人の家だって、ここの倍以上はあったもん。
 しかもこの日本の下町そのものって感じの家に住んでいるのが、白髪で眼の青い長身痩躯の白人老女。
 違和感たっぷり。
 ただ壁に写真をいっぱい画鋲で貼り付けてるところだけが、唯一外国人ぽいとこかな?
 「おばあちゃんの悪口言っとったやろ」と笑いながらお盆を持ってくるグランマ。
 さすがにこの道ウン10年のグランマのパンは美味しい。
 グルメのお嬢様も幸せそうに食べているわ。
 このあとどんな話が待っているのかわかんないけど…。
 
 で、グランマは上手く先生を言い含めてくれたの。
 足首を捻ったので子供たちが病院に連れて行ってくれたと。
 新幹線には必ず乗せるから、と太鼓判を叩いた。
 荷物が…と言い返す先生に
 「そんなもん段ボール箱の中にぶちこんでおけばええんや」と一撃で粉砕。
 
「何やったら明日帰らせてもええんやで。
 可哀相にうちの可愛い孫はこのばあさんが心配やと泣きじゃくっとるんや。
 ほんまに東京モンは杓子定規で味も素っ気もないで。
 あんなに濃い味のもん喰うとんのに。
 ほなら明日帰しまっさ。何や、それやったら最初からそう言いぃな。ややこしい。
 そしたら5時には新大阪に行かせます。アホ言え。
 私は生まれてこの方嘘なんか言うたことあらへんで!」

 グランマは最近日本では見たこともない黒電話にがちゃんと受話器を置く。
 私は涙を拭った。
 おかしすぎて、涙が出てきてたの。
 レイも背筋を震わせている。
 シンジなんか卓袱台の橋を握りしめて笑いを堪えてんの。
 
「何や、みんな。えらい笑って?」

 ああ、やっぱりパパの親だ。
 今の漫才みたいな関西弁をこの白人のおばあさんが喋ってるなんて先生は想像もつかなかったでしょうね。
 
「ほな、これで1時間はここで話せるやろ。ゆっくり話し…」

 そう言い残して、グランマは隣の部屋へ。
 と言っても、たった2m隣だけど。声も聞えるし、表情だってまるわかり。
 私は一応確認のために、レイに向かって目配せした。
 レイは少し固い表情でしっかりと頷いたわ。

「僕から…」

 シンジが言おうとした時、レイがすっと手を出した。
 自分から喋ろうという意味。

「この件は私の方が詳しい。だから、私から。
 話は15年前にさかのぼるの。その時、碇ゲンドウという名の人は綾波という姓だった。
 ううん、旧姓は六文儀。その人は綾波家に婿養子に入ったわけ。
 彼の奥さんの名前は綾波ユカ。そう、私のお母様。
 そして、碇ユイの双子の妹だったの」

 私は息を呑んだ。
 ってことは…てことは、シンジのパパは…。
 目の端で見えたシンジは首をうなだれている。

「待って、アスカ。簡単に結論に走っちゃダメ。
 最後まで聞いて」

 たぶん表情が変わっちゃってたんだろう。
 レイが素早く言葉を挟んだの。

「わかったわ」

 確かにそう。
 そんなに安直な話じゃないわよね。
 私はレイにうなずく。話を促したの。
 レイはいつか話をする日を予感していたのかもしれない。
 ちゃんと話が整理されていたの。



 18年前。
 シンジのパパは六文儀家から綾波家に婿養子に入った。
 将来の綾波財閥の後継者と期待されて。
 一人娘の婿だけに、その地位は約束されたものであったわけだし、
 本人もそのつもりだったらしい。
 若い割に冷徹なものの考え方のできる男だったんだけど、自分以上に冷ややかな性格の妻には少し辟易としてた。
 美人だったけど、二人きりになっても優しい顔をしてもらえなかったんだって。
 ただ、ユカさんの弁護をしておくとそういう顔のできない人だったらしい。
 小さなレイを抱いて、こんな母さんでごめんねって泣いていたこともあったとか。
 その秘めた情熱にシンジのパパは気付かず、そしてシンジのママと出会ってしまったの。
 それは綾波家の統帥夫人、つまり義理の母親の通夜の席。
 夜中を過ぎた午前4時ごろ、人気の絶えた棺の前で佇む喪服の女性を見かけた。
 それが碇ユイさん。
 自分の妻と同じ顔をして、しかもあくまで儀礼上だったけど微笑みかけてくれた。
 2年間、妻の顔に一度も見たことのない心に染み渡るような笑顔で。
 まるで妻のドッペルゲンガーのような彼女をシンジのパパは探したの。
 そして、見つけた。
 遠縁の会社社長の家に養女となっている双子の姉を。
 結婚もせず、社交的な活動は殆どしていなかったユイさんにシンジのパパはどんどん惹かれていったの。
 やがてユイさんもその好意に応えるようになった。
 その後ユカさんに隠して二人の交際は続いたの。
 家を出て一人暮らしをするようになったユイさんのもとに通って。
 それをユカさんは知っていた。
 その頃にも黒服さんたちがいたみたい。
 でもそのことを彼女はおくびにも出さなかったのね。
 それまでとまったく同じように接し、やはり笑みを見せず、それでも夫を離そうとはしなかった。
 彼女は彼女なりに夫のことを愛していたのよ。
 そして、数ヵ月後、ユイさんは突然消えたの。
 養父母にも何も知らさず。
 何故なら、お腹にシンジがいることがわかったから。
 でも、生活できるようにきっちり自分名義の株券とかを持ち出してたんだけどね。
 そのあたりはしっかりしてると言うか何と言うか…。
 シンジのパパは精一杯探したみたい。
 ただ奥さんと違って黒服さん…綾波セキュリティサービス、通称綾波SSは使えないもんね。
 その間に、なんとまぁユカさんが妊娠してしまったの。
 そりゃあ夫婦なんだから…でもねぇ。
 このことを今年の春になって聞かされたシンジが傷ついちゃったのはわかるわ。
 あっと、話が飛んじゃったわね。
 そして、やっとシンジのパパはユイさんを見つけたの。
 その時数ヵ月後、ユイさんは乳飲み子のシンジを抱いていた。
 そこから先のことはレイにもよくわからない。
 お母さんもそれから先のことは一言も教えてくれなかったんだって。
 お腹の大きなユカさんの元にシンジのパパはそれから二度と戻らなかったの。
 正式に離婚して、六文儀家とも縁を切り、そしてあのマンションで暮らし始めた。
 あそこのマンションはユカさんの指定だったらしい。
 もともとの本家があったこの町で住むようにと。
 レイがこのことを知ったのは、12歳の時。
 母親が不治の病でこの世を去る一週間前だったわ。
 そんな男だったけれども、愛していた。
 だからその男との間に生まれたレイのことを愛していると。
 お父様を恨まないでねと言い残されても、やはりレイにとっては憎い相手には違いない。
 綾波財閥の後継者という身分を利用して中学生になる前のレイが大人たちの重い口を開かせた。
 そうしてわかったのが、母親に聞いていたことと合わせての事実。
 後継者争いを避けるという意味と、代々家に伝わる双子を忌むという伝承の所為で生まれたばかりのユイさんを養子に出した。
 そのユイさんは財閥後継者というプレッシャーを感じずに、明るく育ったわけ。

「あ…」

 レイが口を閉ざした時、私は思い出した。

「あの写真。あれはシンジのママじゃなかったのね」

 シンジの誕生パーティーの夜。
 迷い込んだレイのピアノが置いてあった部屋。
 そこに飾られていた写真をシンジのママだって思い込んでいたけど…。

「そう。あの写真はお母様の写真。やはり双子。瓜二つでした」

 レイが涙をためていた。

「私がシンジさんの一家の存在を知ったのは、中学校に入る前。でも、その直後にあの事故が」
 
 シンジは唇を噛み締めている。

「正直言って様を見ろと思いました。お母様を苦しめた人たちが幸福に暮らしていくなど許されることではないと」

 レイは淡々と話す。
 
「じゃ、どうして来たの。あそこは綾波家の本家でも使われてなかったんでしょ?」

 レイは頷いた。あんなに馬鹿でかい建物が住居として使われていなかったなんて、とんでもない話。
 とくにそのことを話しているのがこのグランマの小さな家なんだもん。
 あのピアノの部屋の半分以下かもしれないわね、バスルームとかを足しても。

「発端は、シンジさんの言葉でした」

「シンジの?」

「僕が…綾波家の申し出を断ったから…」

 シンジがぼそりと言ったわ。
 あの事故で両親を共に亡くしたシンジを綾波家は見捨てようとはしなかったの。
 ユイさんをずっと育てていた養父母の意向もあったみたいだけど、綾波家で面倒を見ようと申し出てきたわけ。
 その時にシンジははじめてすべての事情を知った。
 自分がどうして生まれてきたか。
 ショックだったと思うわ。
 シンジは重い口を開いてくれた。

「父さんがそんなことをしたのに、僕がどんな顔をして綾波の家に足を踏み入れられるんだ。
 顔も見たこともない妹になんて声をかけたら…。だから、断ったんだ。一人で生きていくって」

 ああ、そうだったんだ…!
 ただ、両親と幼馴染を失っただけじゃなかったんだ。
 そんな事情があったから、表面上は優等生の顔で、でも実情は暗い毎日を送ってた。
 くううううっ!
 マナの馬鹿っ!
 私は心の中でマナに悪態をついた。
 こんな重要な情報をどうして入手してないのよ!
 一介の女子中学生ならまだ許せるけど、マナは天下御免の幽霊じゃないっ!
 まあ事情を知らない上に、シンジのそばに近寄れなかったんだから仕方がないと言えばそうなんだけど。
 この話を聞いたらマナもびっくりするでしょうね。
 帰ったら真っ先に話してあげないと。

「そんな時に僕の前に現れたのがアスカだったんだ」

「私…」

「暗い気持ちで投げやりにただ毎日を過ごしていた僕を無理矢理に明るい場所に引きずり出してきた」

 シンジはにこりと笑った。

「本当に強引だったなぁ。ドリアンサンドイッチだけならまだしも、マンションの8階のベランダを越えてきたってことを知った時には…」

「あれは…もう二度とできないわよ」

 あの時は必死だったから。
 でも、多分そのころからシンジに惹かれていたんだと思う。だからあんなに危ないことができたんだ。
 意識したのはレイとくっつけちゃった後だったけどね。
 
「マンションの8階のベランダやってぇ!」

 いきなりグランマ襲来!
 少し血相を変えているグランマに慌てて事情を説明。
 状況は理解してくれたけど、それから数分私とシンジにお説教。
 孫のことは可愛くて心配のようだ。それはそれで感謝。
 だけど、正座をさせられてこんこんとお言葉を賜っている姿は傍目にはかなりおかしいんでしょうね。
 レイがくすくす笑ってるもん。

 その後、レイはまた話を始めてくれた。
 今度はシンジの存在を知ってからのこと。
 綾波家の申し出を断ってきたことに、レイが興味を覚えたの。
 両親の愛にはぐくまれて育ってきた自分に近いもの。
 分身といえるかもしれない、その者の存在は最初は憎悪の対象だった。
 だから面倒を見るという申し出にはあっさりと乗ってくると思っていたんだって。
 もしかしたら、シンジが乗ってきたらねちねちといじめていたかもね。
 でも、そんな甘い誘いを断って一人で暮らしているシンジのことが気になってきたわけ。
 ただレイの意識上では、シンジが親の非を悔いて一人孤独に暮らしているということでどこか納得もしてたわけよね。
 よく考えると、兄妹なんだもんね。
 でもって、そのシンジの情報を少しずつ入手していたの。
 執事の冬月さんはユイさんとの連絡役を仰せつかっていたから、綾波の家で唯一人双子の両方を知っていたのよ。
 そして、少しずつ悪い感情が薄れていった。
 となると、そんな生活をしているシンジが気になって仕方がない。
 だから、そのシンジを自分の力で陽の当たる場所へ導こうと考えたんだって。

 うん、ここまではいい話よね。

 で、そこで私は気がついたの。
 この段階まで気付かなかったことに問題はあるけど、まあ私は猪武者だからね。

「ちょっと待った!思い出してみたら、アンタたち初対面の他人って感じだったじゃない!私を騙してたの!」

「ええ」

 にっこりとレイ。
 まあ、レイはそうでしょうよ。
 問題はシンジの方よ。
 
「アンタ、どの時点でレイが妹だってわかってたの?返事次第じゃただじゃ済まさないわよ!」

「そ、それが…」

「それが?」

 私は気がつかないうちに立ち上がってた。
 腰に手をやり、シンジを真っ向から見下ろす。
 シンジはすっと目を逸らせた。

「こらっ!馬鹿シンジ!私を見なさいっ!」

「はいっ!」

 ふふん、条件反射ってヤツよ。
 さっと顔を上げたシンジに私はニヤリと笑ったわ。
 こいつに二度と暗い顔なんかさせてたまるもんですか。
 
「ふふ、で、返事は?」

 レイが口を開こうとする。
 何よ、いきなり兄妹愛?そんなの、ダメっ!

「私はシンジに訊いてんの。自分で答えなさいよっ」

 シンジの唇が開く。

「あ、あの…」

「あの?」

「は、初詣のあと…」

「初詣っ!初詣ですってぇっ!」

 それって、初詣の後にレイを負ぶってお屋敷に送って行って…。
 その二人を見ていたら私の胸が苦しくなって…って、私の自覚症状が出たときじゃないの!

「じゃっ!あの後興奮してレイがど〜したこ〜したって電話してきた時には、もうわかってたってことじゃないっ!」

「え、えっと、うん、そうなるかな」

「くわぁっ!そ、そんな時から私のことを…」

 もう、最低っ!
 シンジをとっちめてあげようとした時に、レイがすかさず口を挟んできた。

「私が脅迫してたの。私を彼女ということにしてアスカと話さないと、アスカに嫌われるように仕向けるわよって」

 ……。
 言葉なし。
 いや、レイがそうしたことに対してじゃなくて。

「そ、そうなんだ。僕とレイが付き合ってることにしておかないと、アスカにいろいろ喋るって」

「何を喋られたらダメだって言うのよっ!」

 先が見えたわ。
 だからこそ、腹立たしい。
 まったくもう、この馬鹿シンジはっ!

「だ、だから、僕の…家庭環境とか…その、つまり」

 どんっ!
 私は右足を畳に思い切り叩きつけた。

「この馬鹿シンジ!私がそんな女に見えてったことっ!親がどうのとか生まれがどうのとかっ。
 あったま来るわねっ!私がそんなことで好きになった相手を嫌うわけないでしょうがっ!」

「で、でも、アスカは僕のことなんか好きじゃなかったじゃないかっ」

 あ、言い返してきた。

「どうしてそんなことがわかんのよ!」

「だって、アスカは私のことをシンジさんに紹介したでしょ。それは好きでもないから」

「はん!私は一言もレイと付き合えなんて言ってませんっ!」

 多分。そういうニュアンスで話はしてたけど、ズバリとは言ってないはず。

「えっ」

 シンジの顔が青くなった。
 
「う、嘘だ。た、確か…え、あれ?でも…」

「まあ、思い込み?シンジさんらしい。くすくす」

「レイ?アンタ、それを助長したんでしょう。思わせぶりなこと言って」

 横目で睨んでやった。
 でも敵もさるもの。にっこりと微笑み返してくる。
 当然でしょうと言いたげに。
 私は首を横に振った。

「まあ、レイはいいわ。許したげる。何たって、今日はアンタの失恋記念日ですからね」

「酷いわ」

 レイの顔が少し歪む。
 悪いけど、ここははっきりしとかなきゃね。
 うやむやのまま話を進めちゃいけない。
 でも、シンジの事を今すぐに「お兄さん」と呼べって強制なんてできない。
 それはあまりに可哀相だわ。

「仕方がないでしょ。で、約束はいつまでだったの?」

「約束?ああ、恋人の振りをするということですか?」

「あ、それはレイが留学するまで」

「留学ぅっ!」
 
 私は目を剥いた。
 聞いてない、そんなこと。

「あら、私が公立中学校にいること自体不思議ではございませんでしたか?」

「アンタ、私にこれは家の方針だって」

「ふふふ、まさか。綾波財閥ですわよ。留学までの短い間というだけでもおじいさまを説得するのが大変でしたのに」

 うわっ、なんか不愉快。
 思い切り見下されてる。

「はいはい。で、その財閥のお嬢様はいつ留学すんのよ」

「7月の末にはあの街を出ます」

 凄いものだと思うわ。
 ううん、留学じゃなくて、このレイの精神力よ。
 微かに微笑を浮かべていつもと変わりなく喋っているけれど、彼女の心の中はどんなに乱れていることだろう。
 血の繋がったものではなく、一人の男性としてシンジの事を好きになっていたんだから。

「そっか、そうなんだ。寂しくなるわね」

 これは実感。
 こうなってしまえば、私とレイの間を邪魔するものは何もない。
 きっと仲のいい友達になれると思う。
 そ、それに、私がシンジと結婚すればレイは妹になるんだからっ!

「はい、私も」

「じゃ、それまでに何度かうちに泊まりに来なさいよ。ここよりは広いから」

 ごつん。
 私のセリフを予期していたかのように、グランマがそばに来ていた。

「よしよし、この年寄りには良くわからんけど、おさまるところに収まったって事やね」

 そう締めくくると、グランマは壁の時計を見上げた。
 私たちもつられて頭を上げる。
 時計の針は……。
 4時10分前!

「げっ!」

 私たちは一斉に立ち上がったわ。
 みんな根が真面目なんだから、約束した時間を守らないとってびっくりしちゃったのよ。
 何しろ勝手の違う街だから、あと一時間少しで新大阪にたどり着けるかなんてわかんないもん。

「はっはっは、大丈夫や。私に任しとき」

 グランマが大見得を切ったわ。
 私たちはぱぱぱっと身支度。
 ティーカップとかをそのままにしておくのは気が引けたけど、それもグランマにお任せ。
 悠然とするグランマの背中を押すようにして家を出る。
 長屋みたいな並びで表に出ていた奥さん連中にのんきに挨拶する、グランマの背中をまた押す。
 絶対にわかっててやってるんだ。身内だけに、私は確信してた。

 JRの六甲駅まで15分。それから快速に乗って、芦屋で新快速に乗り換えて…。
 実にあっさりと新大阪に着いちゃった。
 ま、グランマの家にたどり着くまでに大騒ぎしてたから、時間の感覚がおかしくなってしまってたのね。
 そして新幹線への改札で、グランマにお別れ。
 その場でグランマったらいきなり、レイをギュッと抱きしめたの。
 
「我慢をし。実のお兄さんじゃ仕方があらへん。今は辛いやろけど、もっとええ男捕まえてな。
 そいで、アスカを見返してやりな。いくら羨ましがってもこ〜かんしたらへんってな」

 レイはただグランパの胸の中でうなずいただけ。
 でも、ぐっとグランパを抱きしめ返してた。
 なんだかグランマがいてくれて凄く良かったと思う。
 もし私たちだけだったら、もっと揉めていたかも。
 それから、レイを離したグランマはシンジを呼び寄せたの。
 まさかシンジもぎゅってするんじゃないでしょうねっ!
 シンジもそれを警戒してるのか、少しへっぴり腰。

「あんたはもっとしっかりせなあかんな。男やねんから。
 せやないと、大事な孫娘を任せるわけにはいかへんで」

 グランマの言葉にシンジは直立不動。
 最敬礼して「がんばります!」だって。
 ホント、がんばってよね、シンジ。

「アスカ、おいで」

「うんっ」

 私はぱっとグランマの前に立つ。
 グランマはにっこりと笑いながら、私の頭を撫でた。

「なんや面白そうな毎日を送っとるみたいやな。
 まあ、よう楽しみや。子供ん時は二度と来うへんさかいな」

「うん。グランマ、元気でね」

「私はいっつも元気や」

 それからグランマは私の髪をぐしゃぐしゃにしてくれた。
 櫛は鞄ごと段ボール箱なのよ、もう。
 JR側の改札の向こうに立つグランマに私たちは手を振り続けたわ。
 グランマの言う通り。
 二度とないこの日を楽しく過ごそう。










「アスカ、どうしたの。膨れっ面して」

「ふん!やってらんないわよっ!」

 シンジとのことがさっぱりして幸福なはずの私が、どうして怒ってんのかって?
 だってさ…。

「はい、あ〜んして」

「れ、レイ。お願いだから、ね」

 ああっ!もう、やってらんない!
 私は座席の上に立ち上がって、後ろの座席の二人を見下ろしたわ。

「こら馬鹿シンジっ!しっかりしろっ!さっきグランマに誓ったとこでしょうがっ!」

「ご、ごめん」

「アスカの鬼。もうしばらく貸しておいてね」

 にっこり微笑むレイに、情けなさそうなシンジの顔。
 これは私がしっかりしないといけないみたいね。

 

 ああ、早く新幹線が着かないかな?
 すぐ後のレイの甘えた声を少しでも早く終わらせたいからね。
 でも、これでマナにいいお土産ができたわ。
 アイツ、どんな顔するかな?
 シンジが私のこと好きだって。ぐふっ。



 その時、私はマナが成仏していない理由のことをすっかり忘れていたの。



 

『あなたの心に…』

第3部 

「アスカの恋 怒涛編」

 

 


<あとがき>

こんにちは、ジュンです。
第54話です。
『どたばた修学旅行』編の2・神戸編、その後編になります。
長くてごめんなさい。
ここは一気に話を進めたかったので。
また、ずいぶんとどろどろだなって思われた方、ごめんなさい。レイの登場時からこの設定でしたので。
執筆の間隔が随分と開いてしまったので、余計にレイとシンジに悪いことをしてしまいました。
テンポよくお読みいただいてたら、シンジもこれほど優柔不断に見えなかったはずです。
これすべて作者の責任です。読者様にも変な読後感を持たせてしまったことと思います。
この場を借りて陳謝いたします。申し訳ございませんでした。
さて、次回はついに最終章へ。
レイが海外留学へ旅立つ日が近づきます。そして、彼女が消える日も…。
作品の日時に合わせてリアルタイムに発表できるように精一杯がんばります。


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