AN ANOTHER STORY OF EVANGELION
after the 23rd episode
涙―――の後に
(前編)
「ハァ〜。やっぱ、クーラーは人類の至宝!まさに、科学の勝利ね。」
トレーラーの後部座席に座ったミサトが、防護服を脱いでさも気持ち良さそうに伸びをした。
ポニーテールにまとめていた髪を解き、リラックスした姿勢をとっている。
(そういえば前にもこんな光景があったわね・・・)
先に着替えを終えて普段のスタイルに戻っていたリツコは、ふと懐かしい感慨にとらわれて、遠くを見るように目を細めた。
が、すぐに気を取り直して現在の状況に頭を切り替える。
彼女の手によって処理されなければならぬ極めて重大な事項が今のリツコの頭の中を満たしていた。
そんな彼女の気も知らず、大学以来の親友にして同僚は、お気楽な話を続けている。
「―――にしても、いいかげんこの恰好をするのも疲れるわね。もう、年なのかしら・・・?」
「・・・・・・。」
「大学で初めてリツコと逢ったのが、20○○年でしょう。ということは、それからもう、ひい、ふう、みい・・・・・・ゲッ、十年以上経ってる!
こりゃ、フケるのも無理ないわ。ねぇ、リツコ?」
そう言いながら、チラリとリツコに視線を走らせている。
「・・・・・・。」
「お互い地上と地下を行ったり来たりで、気が付けば三十路か・・・。因果な仕事だわ。」
「・・・そんなこと、言ってる状況なの?」
なかなか本題に入ろうとしないミサトに、リツコは内心の苛立ちを隠しきれなかった。
後悔の念が頭をもたげる。もう一分早く出発していれば・・・。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「その車、待ったあー!」
リツコを乗せて出発しかけたトレーラーに、防護服姿のミサトが物凄い形相で追いすがってきた。
強引にドアを開け、リツコの横にドッカと席を占める。
「ラッキ〜。本部まで行くんでしょ?乗せてって!」
こうなってしまうとミサトはテコでも動かない。
リツコは、さりげなくミサトとは反対の方に顔を向けると、眉をひそめ、小さいが鋭い舌打ちを洩らした。
(よりによって、ミサトが一緒になるなんて・・・)
リツコの任務は、ネルフ作戦部長にさえ秘密にしなければならないものだったのだ。
「エントリープラグ発見!」
誰よりも早く現場へ駆けつけたリツコの前に、大破した零号機のエントリープラグが横たわっていた。
過剰なまでの安全対策が施されていたはずのそれは、上部から3分の2程度の所でくの字に折れ曲がり、中央部で亀裂が大きく口を開けていた。
真っ先に中を覗き込んだ部下が呻き声を上げる。
「赤木、博士・・・。」
「・・・・・・・・・。このことは極秘とします。プラグの回収!関係部品は処分して。」
素早くプラグ内部を確認したリツコは、厳重にそう言い渡すと、直ちに回収班を呼び寄せ、極秘の作業に取り掛かったのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(やっぱり何か隠しているわね。)
リツコの様子に普段とは異なるものを感じ取ったミサトは、自分の直観が正しかったことを確信した。
無理矢理リツコのトレーラーに便乗したのはそのためだったのだ。ソロリ、と探りを入れる。
「・・・ところで、リツコ。零号機の・・・パイロットは――レイは見つかったの?私の所には全然報告が上がってきてないんだけど・・・。」
さすがにレイの名前を出すと胸が痛んだ。
ところが、相手からは意外な答えが返ってきた。
「あら、知らなかったの!?とっくに救助されて、病院に運ばれたわよ。」
「生きていたの!!」
「ええ。奇跡的に・・・ね。」
(あの爆発の中を生きていた!?本当ならうれしいけど・・・。でも、いくらチルドレンの保護が最優先だからって、いつの間に病院へ?
・・・・・・早過ぎるわ。もしレイが本当に発見されて運ばれているなら、それは・・・)
「容態は?」
「まだなんとも言えないそうよ。」
「・・・そう。でも、あの爆発でよく助かったわね。てっきり、ダメだと思ったわ。」
「自爆の瞬間に偶然エントリープラグが射出されたみたいね。」
「でも、マヤがプラグの射出は確認できなかったって・・・?」
「あの子にも間違いくらいあるわ・・・あんな状況ですもの。」
(私の目にもプラグが射出されたようには見えなかった・・・)
「――まったく、レイも無茶してくれるんだから・・・。」
「でも、そのおかげでシンジ君が無事だったのよ。」
「そーよねぇ・・・・・・・・・・・ん?ということは、もしかしてェ、レイはシンちゃんの事・・・?」
「そんなはずは!・・・いえ、そう・・・かも知れないわね。」
「なーんか歯切れ悪いわねえ。リツコもしかしてレイに嫉妬してるとか・・・?」
「何バカなこと言ってんのよ!」
その一瞬、リツコの視線が後ろに向けられたのをミサトは見逃さなかった。
(荷台!レイはそこにいるの!?・・・でも、なぜ秘密に?)
「ねぇ・・・この車は、何を運んでるの?」
「零号機の残骸。・・・もっとも、ほとんど残っていなかったわ。」
「エントリープラグも?」
「えぇ・・・。」
「見ていい?」
「調査が済んだらね。」
「ちょっとだけ。」
(ミサト、気づいているの?)
「ダメよ。零号機の早期回収と調査は碇司令直々の命令よ。いくら作戦部長のアナタでも司令の許可なしに立ち入らせるわけにはいかないわ。」
「ケチ・・・。」
(今日のところは、ここまでか。)
「ところでさぁ、今回の使徒の事なんだけど・・・。」
「えぇ・・・。」
二人とエントリープラグを乗せたトレーラーは、夕日の下をジオフロントへ帰還していった。
「綾波・・・。」
窓際の人影に向かって、シンジは呼びかけた。
水色の髪の少女が振り向く。しかし、その赤い瞳には何の感動も浮かんではいなかった。
シンジは戸惑いつつも会話を続けた。
「綾波・・・だよね?」
「・・・ええ。」
「無事だったんだね!・・・よかった。綾波が死んじゃったんじゃないかと思ってたんだ・・・。本当に、よかった・・・。」
シンジの目に光るものがあった。少女の瞳にかすかに驚きの色が浮かぶ。
「・・・泣いてるの?」
「・・・・・・・・・」
「そう・・・。私と何か関係あるのね。」
「綾波、憶えてないの・・・?」
「わからない・・・。たぶん、私、三人目だから。」
(三人目・・・。一体、どういうことだろう?目の前にいる綾波は、僕の知ってる綾波じゃないのか?まさか、そんな・・・はず・・・ないよな?)
「・・・・・・・・・。」
蝉時雨が聞こえる病院の白い廊下で、少年と少女は無言のまま見詰め合っていた。
「レイ、一人で帰れるか?」
「はい。」
翌日退院したレイは自分の部屋のあるマンションの前に立っていた。
初めて見るようにその建物を見上げると、静かに階段を上ってゆく。
金属音をたてるドアを開けて部屋に入ると、立ち止まってしばらく中を見回した。
半ば閉じられたカーテン越しに差す薄明かり。コンクリート地が剥き出しのままの壁と床。簡素な一人用のベッド。
水の入ったビーカーと各種の錠剤・・・。それらを確認すると納得がいったように軽くうなづき、レイは靴を脱いだ。
「赤木博士、レイの記憶の処理はどうなっている?」
「はい。完了しています。10年前のデータを参考に、あの時と同じように・・・。」
・・・ここは、私の部屋。今日から住むように言われた部屋。
―――でも、ずっと前からいる気がする。
・・・なぜ私は病院にいたの?
―――赤木博士に命令されたから。
・・・この間の少年、私を見て泣いていた。
―――私と同い年の少年。碇司令の息子。名前は、碇・・・シンジ。
ベッドの上にうつ伏せに寝転んでいたレイの瞳に、かすかに当惑の色が浮かんだ。
ゴロリと仰向けになると、光を遮るように額に片手を当てる。
・・・碇、君。どこかで会っていた?・・・・・・胸が、苦しい。
―――いえ。この感じは・・・・・・・・・そう、「寂しい」。
・・・私、「寂しい」の?
零号機の自爆現場を調査した日、報告を終えて深夜に帰宅したミサトは、自分の部屋の机に向かっていた。
机の上には、一台の電話。
「『真実は君と共にある』・・・か。言ってくれるわね、加持君・・・」
右手が引出しからカプセルを取り出す。
「あなたの気持ち、確かに受け取ったわよ・・・。」
それから一週間、ミサトは残業と称してマンションに帰らなかった。
「リツコ、・・・チョットいいかしら?」
音もなくミサトがリツコの部屋に入ってきた。後ろに回した手がそっと内鍵を掛ける。
「ええ・・・。」
リツコの声は奇妙に静かだった。振り返りもせずに、いつもの姿勢で端末機に向かっている。眼鏡のレンズがモニターの画面を映して光っていた。
リツコの背後に立ったミサトは椅子に腰掛けた白衣姿の友を見下ろしながら質問した。
「あなた、エントリープラグの中で何を見たの?」
「・・・・・・・・・。」
「救出されたレイがいたという病室はどこ?」
「・・・・・・・・・。」
「リツコ、私を甘く見ないで。これでもネルフの作戦部長なのよ。」
「・・・同時に、諜報活動もプロ並ということね。加持君みたいに・・・。」
ミサトの上着から自動拳銃が取り出された。リツコの背中にそっと銃口が向けられる。
「甘く見ないで、って言ったわよ。」
前を向いたままリツコが言った。
「この部屋に通報装置があるということも忘れないでね。」
「通報を受けて保安部が到着するまでに2分かかるわ。少なすぎる時間、というほどでもないわよ。」
少しずつミサトの言葉と指先に力が込められてゆく。
「・・・無駄よ。私は自分が死ぬことなんてなんとも思っていないわ。むしろ、今死ねたらどんなに良いかと思っている。」
その言葉は明らかに彼女の本心だった。ミサトの目に一瞬憐れみの感情が浮ぶ。
それを振り払うようにして、ミサトは強い口調で言った。
「死なせないわよ。あなたには、最後まで見届ける義務がある。もちろん、私にも。
それが、エヴァと子供達に関わった大人達の責任というものだわ。」
かすかにリツコの身体から力が抜けた。そのまま呟くようにリツコが言う。
「・・・真実を知れば、あなたも加持君と同じ運命を辿るかもしれないのよ。」
「かまわないわ。」
ミサトの答えに迷いはなかった。リツコは小さな溜息をつくと、ミサトの方へ向き直って言った。
「綾波レイについて、何が知りたいの?」
「全てよ。」
「・・・・・・・・・。」
「リツコ、あなたも薄々は気付いているはずよ。レイは、シンジ君に好意を寄せているわ。」
「・・・そのようね。」
床に目を落としてリツコが言った。
「でも、今のレイは以前のレイとは何か違う。・・・まるで、レイの中の時間が昔に戻ってしまったみたいに。」
「・・・三人目、だものね。」
リツコが、ポツリと言った。
「三人目・・・・・・。」
「・・・あなたの言う通り、今私達の前にいるレイは、以前のレイではないわ。見た目は同じだけれど、異なる肉体、異なる記憶
――正確に言えば、日常生活を送るために最低限必要な知識とネルフおよびエヴァに関する必要にして十分な情報のみが
与えられた、別の存在、別のレイなの。」
「でも、その中にシンジ君の記憶が残っている・・・。」
「魂を移し換える時に、過去の記憶は処理したはずなのに、ね。」
(魂の移植!レイが持っていた記憶を消したの!)
リツコを見るミサトの目つきが険しくなった。
「・・・もう少し、詳しい話を聴かせてもらう必要がありそうね、赤木博士。」
感情を無理やり押さえつけるようにして、ミサトが言った。
「・・・付いてらっしゃい。全てを見せてあげるわ。」
椅子から立ち上がりながら、リツコが言った。
ターミナルドグマ深奥。
ミサトは見た。
綾波レイが生まれた部屋を。
エヴァ試作品の墓場を。
綾波レイを産み出した、人間の脳に似た巨大な装置を。
そして、
ダミープラグの正体を・・・。
「・・・リツコ、『綾波レイ』って、いったい何?」
「『綾波レイ』とは、魂の容れ物。いえ、造られた魂そのものが『綾波レイ』だとも言えるわ・・・。」
「・・・人の手によって造られた魂、それがレイ・・・!でも、あなたは見落としたのね。
成長していくレイの心の中に大切に仕舞い込まれていたシンジ君との思い出を。」
「魂の成長・・・その要因となった体験・・・、どちらも計算外だったわ。」
(成長する魂、レイ・・・)
リツコの指先が、隠し持っていたリモコンのスイッチからそっと下ろされた。
「リツコ・・・?」
「・・・戻りましょうか、葛城三佐?」
深夜。ミサトの車の中で、二人の会話は続けられた。
「リリスから生み出されたレイは、使徒、いえエヴァに極めて近い存在と言えるわ。」
リツコの言葉を聞くミサとの脳裏に、サキエルに潰された左腕を瞬時に修復し、貫かれた右目を再生していった初号機の姿が浮かんだ。
「・・・じゃ、レイは」
「そう、人と言うよりはエヴァ・・・」
『マルドゥック機関』という名の架空の組織・・・すべて抹消された経歴・・・最初の被験者・・・ファーストチルドレン・・・綾波レイ。
(・・・加持君、そういうことだったの)
「レイの肉体を人たらしめているのは、彼女のATフィールド。そして、それは同時に、レイがリリスの分身であることの証でもあるの。」
「誰が、いったい何のためにレイを作ったの?・・・そんな・・・ひどいじゃない!」
苦痛にあえぎながら戦っていたレイの姿が、シンジを守るために自爆していった零号機の最後が思い出された。声が勝手に大きくなっていく。
「・・・・・・碇、ユイ。」
「・・・そん・・・な。」
「今となっては、シンジ君のお母さんがどういうつもりでエヴァやレイを作ったのかは分からないわ。
私はE計画の現責任者としてその任務を果たしているだけ・・・。」
「・・・じゃあ、それを知っているのは?」
「碇司令・・・。」
しばらくの間沈黙が二人を包み込んだ。
「・・・話は、以上よ。」
「・・・・・・。ありがとう、リツコ。」
リツコは窓の方に首を傾けた。
(ごめんね、ミサト、嘘をついて・・・。まだ全てをあなたに教える訳にはいかないの。)
二人を乗せたルノーは、短いライトで闇を切り開きながら、夜の道路を走り続けた。
「赤木博士・・・。我々の命令に背いたのか。」
暗闇に重々しい老人の声がこだました。
「もう一度やらせるかね?」
しわがれた高い声が質問する。
「いや、彼女にはもっと過酷な役割を与えよう・・・。」
最初の声が答えると、再び暗闇に静寂が戻った。
病院でレイと再会した数日後、久しぶりのシンクロテストを終えたシンジは、ミサトのマンションへ帰るため本部の通路を出口に向かっていた。
すると反対側から、先に制服に着替えて帰ったと思っていたレイが現れた。レイは黙ってシンジの横を通り過ぎて行く。
シンジは、思わず振り返って彼女を呼びとめた。
「綾波。」
そのまま立ち止まっているレイの背中にシンジは話しかけた。
「綾波、忘れ物?」
「・・・・・・・・・。」
「今日のテストの調子・・・、どうだった?」
「・・・・・・・・・。」
病院でのレイの様子はずっと気になっていた。しかし、今はそれ以上に気になっていることが、シンジにはあった。
「綾波、何か辛い事でもあるの・・・?」
「どうして。」
初めて返事があった。
「ここのところ、なんだか、綾波がなにか思いつめているような、上手く言えないけど、何かとても悲しいことを隠しているような、
そんな風に見えるんだ・・・。」
蒼白い顔が振り向く。
「・・・・・・・・・。」
レイの目がじっとシンジを見つめた。
(私、そんな顔をしているの?・・・当たり前のことだと思っていたのに。)
ふたたびレイが背を向ける。
「そんなこと・・・・・・無いわ。」
「あのさ、僕で良かったら、話を聴かせてよ。・・・悩み事って、一人で悩んでいるより他の人に打ち明けた方が楽になることもあると思うよ。」
水色の髪がピクリと震えた。
(彼は、気づいている?私のこと、知ってるの?)
「ありがとう。でも、私は何も悩んではいないわ。・・・もう話は終わり?じゃ、私行くから。」
そのまま振り向かずにレイは歩み去っていった。
(どうしたんだろう?最近の綾波の態度は何か変だ。リツコさんやミサトさんは気付いてないのか・・・。
それにしても・・・・・・なんであんなこと言っちゃたのかな?いままで綾波にあんなこと言ったことは無かったのに・・・)
レイの姿が通路の向こうに消えるまで、シンジは彼女の後姿を見送り続けていた。
(どうして顔が赤くなるの?)
レイは、いつのまにか足早に通路を歩いていた。
(なぜ、さっきのことが気になるの?)
自問しながら、さらに歩を進める。
(秘密だから?私と碇司令の秘密だから?それとも・・・)
突き当りのエレベーターのスイッチを人差し指が押す。
(彼に知られたくないからなの?)
不意にシンジの顔が頭に浮かぶ。頬がいっそう熱くなっていくのが分かる。エレベーターが止まったことにも、少しの間気がつかない。
(どうして、彼のことが気になるの?)
(どうして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・でも、私にはどうでもいいこと。)
近づいてくる運命が、レイの動悸を静めてゆく。薄っすらとピンク色に染まっていた頬が、いつにもまして蒼みがかった白色になっていく。
レイは、エレベーターに乗り込んだ。
エレベーターから降りたレイの目の前で、長官室の扉が開いた。
「待っていたぞ、レイ・・・。」
「・・・・・・。」
「最近の調子はどうだ?」
「問題ありません。」
「約束の時は近い。」
「・・・はい。」
シンジは、その足でリツコの部屋を訪れていた。遠慮勝ちにノックして中をのぞきこむ。
「あの、リツコさん?ちょっと・・・いいですか?」
リツコが端末機のモニターから目を離して、かすかに驚いたような表情を浮かべてシンジを見た。
揃えていた足を組み替えながら、椅子を回してシンジの方を向く。
「あら、珍しいわね。何の用?シンジ君。」
「あの、綾波の・・・こと・・・なんですけど。」
「レイがどうかしたの?」
「何か、最近、綾波の様子が変なので・・・その、リツコさんに聞いたら何か分かるんじゃないかと思って・・・」
「レイの様子が?」
「はい。何か思いつめているみたいで、時々、何処か遠いところを見つめてぼうっとしているような感じなんです。」
(鋭いわね。さすがに・・・)
遊ばせていた両腕を胸の前で組んで、リツコは言った。
「そう。分かったわ。私の方も気をつけているから、シンジ君も何か気がついたら教えてくれる?」
「はい。それじゃ・・・」
「ところで、シンジ君。」
「はい?」
「レイのこととなると、ずいぶん熱心ね。」
「そっ、そんなこと、ないです!」
シンジは慌ててリツコの部屋から逃げ出した。一方、リツコは腕組みをした姿勢のまま、じっとシンジが出ていった扉を見つめていた。
その晩、ミサトのマンションに帰ったシンジは、夕食の後片付けを終えた後、珍しく早く帰宅し、これまた珍しくお茶を飲んでくつろいでいた
ミサトの前に立った。何事かと見上げるミサトの前で、シンジはやおら両手をテーブルに突き、ミサトを正面から見据えて言った。
「ミサトさん!僕に何か隠しているでしょ!」
「え、な、何のコト?シンちゃん?」
露骨にミサトが取り乱し始める。
「とぼけてもダメです!」
「だ、だからぁ、何のコトよ〜〜。」
「ミサトさん、どうして最近、本部で綾波ばかり見てるんですか?」
「ぇ…、妬いてんの?シンちゃん。」
「ごまかさないでください!それに僕がミサトさんを見たら、慌てて綾波から目を逸らしているじゃないですか!
僕に知られたら、困ることでもあるんですか?いったい、綾波がどうかしたっていうんですか!」
「・・・レイのことが気になるの、シンちゃん?」
いたずらっぽくミサトが言った。
「え?そ、それは・・・その・・・」
思わず口ごもるシンジ。
「だ、だって気になるじゃないですか。・・・退院してから、綾波、様子がおかしいし・・・まるで綾波が綾波じゃないみたいで・・・
何を考えているのか分からない所は前と同じだけど、何か前と違うような・・・それに、気のせいかもしれないけど、僕達に言えない、
心の中のとても深い所でずっと悩んでいるような・・・そんな感じだってするんです。」
「それを知ってどうするの?」
「だ、だって、普通気になるじゃないですか。綾波は僕達の仲間なんだし・・・。」
「それだけ?」
ミサトがニヤリと笑う。
「そ、それだけって、そんな、僕は別に・・・その・・・」
シンジの顔がみるみる真っ赤に染まっていく。
「どうして、レイのことが気になるの?」
ミサトの口調が変わった。その真剣な目つきに、シンジは腹をくくった。
「・・・綾波が、自爆して死んだと思った時、はっきり分かったんです。綾波は・・・綾波は、僕にとって大切な存在だったんだ・・・って。」
ミサトはそんなシンジを黙って見つめていたが、静かに息を吐くと、再びシンジに向かって話しかけた。
「からかったりしてゴメンなさい。いいわ、シンジ君を信じて教えてあげる。・・・でも――シンジ君――ひとつだけ約束して。
今から私が言う話を聞いても、これまでと同じようにレイに接してくれるって・・・。レイのことを信じるって。」
「そんなの、当たり前じゃないですか。」
「・・・約束よ。」
「はい・・・。」
「―――シンジ君、驚かないで聞いてね。実はね・・・、レイは・・・人間じゃないの。
人間の手によってリリスから生み出された、私達とは違う生命なの。
そして、その時リリスからレイを作った人間が・・・・・・・・・碇ユイ。あなたのお母さんよ。
そのバックにいた組織がゲルヒン、つまりネルフの前身と碇ゲンドウ・・・。
シンジ君のお母さん達がどんな方法でレイを作ったのかは、わからない。何が目的で彼女を作ったのかも・・・。
私に分かっているのは、14年前にシンジ君の両親によってレイが作られたということ・・・。
そして、今、レイはエヴァンゲリオン零号機の専属パイロットとして、ここにいる。
そして・・・・・・そしてね・・・おそらく、レイは自分が何者であるかを知っているわ。
知っていて・・・見た目は私達と同じなのに、自分だけ違う存在だと知っていて・・・あの子は一生懸命に戦っている。
これが、どんなに辛い事か、あなたになら分かるでしょ、シンジ君?
・・・ずっと一人ぼっちで・・・生まれた時から、ずっと一人ぼっちで・・・心を打ち明ける友達もなくて・・・一緒に笑ってくれる仲間もなくて・・・。
それなのに、私達の言うことを信じて、命がけで戦って!傷ついて・・・。
お願い、シンジ君!レイを救ってあげて!!
私じゃダメなの。私やリツコや日向君や青葉君やマヤちゃんや・・・そんな人間じゃダメなの!・・・・・・たぶん碇司令でも。
だから・・・お願いよ・・・シンジ君。」
ミサトの声は、次第に涙声になっていった。ノースリーブからむき出しになった肩が、小刻みに震えていた。
二人のいるリビングに、ミサトの洟をすする音だけが聞こえている。
テーブルの反対側では、シンジが目を見開いたままミサトを見つめていた・・・。
いや、正確に言うと、シンジの目にミサトの姿は入っていなかった。
(ミサトさん、一体、何を言ってるの?分からないよ・・・。
綾波・・・レイ・・・人間じゃ・・・ない・・・・・・リリス・・・母さん・・・父さん・・・・・・。
そうか・・・・・・だから・・・父さん・・・綾波を・・・。
だから・・・綾波も・・・父さんのことを・・・)
陽炎の揺らぐ交差点で初めて出会ってから今日本部で別れるまでの綾波レイの記憶が、シンジの頭の中を
早回しのスライドショウのように浮かんでは消えていった。
『あなたは死なないわ。私が守るもの。』
『私には何も無いもの。』
『さようなら。』
(綾、波・・・)
『どうして泣いているの?』
『どいてくれる?』
『こんなとき、どんな顔をすればいいのかわからない。』
(綾波、レイ・・・)
『何を言うのよ・・・!』
『話は終わり?』
『それじゃ、私行くから。』
(・・・・・・・・・・・・・・・)
「・・・これがどんなに辛いことか分かるでしょ?」
(・・・・・・綾波)
「・・・生まれた時からずっと一人ぼっちで」
(・・・なのに、僕は、僕はいつも自分の事ばかりで・・・)
「・・・命がけで戦って」
(・・・自分だけがひとりぼっちなんだと思い込んでいて・・・)
しばらくして顔を上げたミサトの前に、俯いたまま座っているシンジの姿があった。
「シンジ君、ごめんね。辛い話を聞かせて。でもね、シンジ君。事実から目をそらせてはダメよ。
本当の未来は、たとえそれが自分にとってどんなに辛いものでも、真実を自分のものにした人にだけやって来るんだから。」
俯いていたシンジが顔を上げた。
そこにミサトは、予想とは異なるシンジの表情を見た。
「・・・大丈夫です、ミサトさん。綾波は、・・・綾波は僕が守ります。」
「・・・シンジ君?」
「ミサトさん・・・。」
「・・・ありがとう、シンジ君!」
「うわぁ!ちょっ、ちょっと、ミサトさん!!」
薄い布地越しにミサトの豊満な胸の谷間がシンジの顔面に押し付けられた。
「ありがとう・・・!いつの間にか、すっかり頼もしくなっちゃったのね・・・。」
「・・・ミ、・・・ミサト・・・さ・・・苦、苦しい・・・。」
ミサトの胸の中で顔を真っ赤にしてもがくシンジだったが、熱烈な抱擁はその後5分間以上にわたって続けられたのだった・・・。
「わたしは、だれ?」
「わたしは、綾波レイ」
「わたしは、人間?」
「わからない。わたしは、綾波レイという存在。」
「綾波レイという名前が、わたし?」
――――――違う――――――
『僕で良かったら、話を聴かせてよ・・・』
「どうして、私に話しかけるの・・・」
ミサトからレイに関する話を聞かされた翌日、シンジは本部に行くため駅に来ていた。
零号機の自爆によって機能の大半を失った街からは人の姿が消え、ホームにはシンジと・・・
「綾波・・・。」
少年と少女、二人の乗客しかいなかった。
少し離れて無表情に電車を待っているレイの横顔がシンジから見える。
(何か、話さなくちゃ・・・)
シンジが言葉を選んでいるうちに、電車がホームに入ってきた。無人の客車に乗り込む二人。
レイは、シンジと通路を挟んだはすかいのシートに腰を掛けると、無言で窓の外を眺め始めた。
そんなレイをしばらく見ていたシンジは、思い切ってレイの前に立って声をかけた。
「綾波、ここ座ってもいい?」
無言のままチラリとシンジを見たレイの目は、すぐに窓の外に戻された。
「・・・座るね。」
シンジは、一人分ほどの隙間を空けてレイの横に座った。
一度客車の床に落とした目を上げて正面の窓の外の景色を見ながら、レイに話しかける。
「この前は急に変なこと言っちゃって、ゴメンね。」
「・・・・・・・・・。」
「綾波、身体はもういいの?」
依然、答えは無い。
「綾波の零号機、なくなっちゃったね・・・。」
レイの目はじっと窓の外を見つめている。
「それなのに、どうしてテストに行くの?」
初めてレイが口を開いた。
「・・・仕事だから。」
感情を何処かに置き忘れたような言い方だった。病院でのレイとの会話がシンジの心に蘇る。
(綾波・・・本当に僕のこと忘れちゃったのか?ミサトさんの言う通り、綾波は人間じゃないから、だから忘れても平気なのか?)
昨夜の決意が揺らぎだす。
『わからない・・・。たぶん、私、三人目だから。』
(綾波は何人もいる?僕の知っている綾波は、もういなくなってしまったのか・・・?)
不意に寂しさが込み上げてくる。シンジは膝の上で握り締めていた拳に力を入れた。
(・・・・・・・・・いや、そんなはずあるもんか!)
「あのさ、綾波。今度、・・・綾波の家に遊びに行ってもいい?」
「・・・・・・なぜ。」
「が、学校が休校で、・・・ケンスケやトウジもいなくなっちゃっただろ?アスカもずっと家に帰ってこないし・・・。」
「寂しいのね。」
「え?そ、そうなの・・・かな?」
「・・・かまわないわ。」
次の日、シンジはレイの部屋のドアの前に立っていた。インターホンは相変わらず壊れている。シンジは、ノックして呼びかけた。
「綾波、いる?」
ドアが開けられた。制服を着たままのレイが立っていた。無言でシンジを見つめている。
「あの・・・入ってもいい?」
「・・・ええ。」
先に立って部屋に戻ったレイは静かにベッドの上に腰を掛けた。
一瞬戸惑ったシンジは、ベッドの脇に置かれた車輪付きの椅子を見つけると、そこに座った。
自然と斜めに眺めることになったレイの顔を見つめながら、シンジは話しかけた。
「綾波の部屋に来るの、これで三度目だね。」
「・・・そう。」
「あの、・・・まだ思い出さないの?」
「・・・・・・・・・。」
不意にレイが立ち上がった。台所の方へ向かって歩き出す。シンジも慌てて立ち上がった。
「あっ、綾波。お茶ならいいよ!」
衣装ダンスの前で不意にレイの足が止まる。
ぶつかりそうになったシンジは、レイの視線が衣装ダンスの上の眼鏡ケースに注がれていることに気が付いた。
レイの手が伸びて、ケースの中の眼鏡を取り上げる。
(父さんの眼鏡だ・・・)
じっと眼鏡を見つめたまま立っているレイに、シンジは声をかけた。
「・・・座ろうよ?」
「・・・・・・・・・。」
「綾波?」
「・・・壊れてる。」
その無感動な口調に、シンジはギクリとした。
「・・・私、いらない。」
レイの両手に力が込められた。眼鏡のフレームが悲鳴を上げる。
「何するんだよ!」
思わず大声を上げたシンジは、レイの手からゲンドウの眼鏡を取り上げた。レイが驚いた目でシンジを見る。
「綾波、・・・これは、父さんのだよ。・・・綾波が一番大切にしていた父さんの眼鏡だよ。そんなことも忘れてしまったの?」
「・・・碇・・・司令。」
涙が一筋レイの頬を伝って、持ち上げたままだった彼女の掌に落ちた。
「・・・・・・。」
その手に、シンジがそっとゲンドウの眼鏡を戻した。
「・・・碇、君?」
「座ろうよ、綾波・・・。」
「・・・うん。」
二人は並んでベッドに腰を掛けた。
レイは、相変わらずシンジの方を見ようとはしなかった。
けれど桜色に染まった顔が、時折相槌を打って小さく上下した。
穏やかに話しかけるシンジの声がレイの耳にしみ込むように入っていた。
『ミサトやバカシンジの使ったお湯なんか、誰が入るもんか・・・・・・。』
『ミサトは嫌!バカシンジも嫌!アスカはもっと嫌!!』
『動かない・・・動かないのよ!』
『だから私を見て!』
『勝手に入ったら殺スわよ!』
廃墟となったマンションには、私以外、誰もいなかった。崩れ落ちた壁の向こうに薄汚れたユニットバスが見える。
浴槽の横で私は裸になった。制服と下着と靴下をきちんと畳み、靴もきれいに揃えて置いておく。
半分ほど雨水が溜まった浴槽の中に身体を浸と、錆びたような匂いが漂った。でも・・・気にならない。
仰向いて浴槽の縁に頭を預けると、無くなった天井の代わりに青空が見えた。
壊れて水の出なくなったシャワーのノズルがこっちを向いてうなだれていた。
水に浸した左手首から静かに赤黒い色が広がって、次第に目の前が暗くなる。
「もうすぐ行くわ、ママ・・・。」
――――――――――
アスカは、自分の叫び声で目を覚ました。
「・・・・・・夢・・・?」
カーテンを閉め切った部屋の中は、出ていった時のまま。ぼんやり見上げる暗い天井。暑苦しく重い空気。
さすがにヒカリの家にも居辛くなって、ミサトやシンジが寝静まった真夜中こっそり戻ってしまった。
まるで野良猫のよう。今の私にぴったり・・・。
初めてこの部屋にやって来た時は、あんなに輝いていたのに・・・・・・考えないでおこう。よけいに惨めになるだけ。
ぐっしょりとかいた寝汗が気持ち悪い。やせこけた身体を汗が流れ落ちてゆく。
(やせこけたのは、身体だけじゃないわね・・・)
次々に無くしていった自信。どんどん壊れていったプライド。
(わたしは・・・からっぽ・・・何もかも無くしちゃった・・・もう・・・どうでもいいのよ・・・生きてたって・・・仕方ないもの)
「アスカ、居るんだろ・・・?」
突然、扉の向こうから声がした。
「放っといてよ!」
反射的に獣のような叫び声が口を突いて出た。わたしに触らないで・・・。
「・・・アスカ、よかったら一緒に本部に行かない?。」
いま一番聞きたくないヤツの声。やっぱり、帰ってくるんじゃなかった!
「・・・!・・・」
毛布にくるまり、力一杯両手で耳をふさぐ。うるさい!うるさい!うるさい!・・・お願いだから一人にして!
――――――気がつくと、あきらめて先に行ったのか、シンジの気配はなくなっていた。
――――――胸の奥が痛い。慌てて頭を振って忘れようとした。なんでアンタなんかを・・・!
「アスカ・・・起きてるんでしょ?」
扉の前に立って、ミサトが声をかけた。
「・・・・・・・・・」
とっさにアスカの目が固く閉じられる。
「入るわよ?アスカ・・・。」
アスカの部屋の扉が静かに開けられた。
「来ないでよ!!」
悲鳴にも似た絶叫がマンションの部屋に響く。かまわず部屋に入ったミサトは、後ろ手に扉を閉めて、入り口に立った。
こちらに背を向けて小さく丸められた身体がベッドの上で白いシーツにくるまれて横たわっている。
シーツの端からのぞく指先が血の気を失うほど固く握り締められている。
「アスカ・・・」
返事は無い。
「アスカ・・・あなたが今どんなに苦しんでいるのか、こんな私にだって、少しくらい分かるわ・・・。もう誰も、あなたに何も要求したりしない。」
シーツがピクリと動いた。
「あなたは、よくやってくれたわ・・・。だから、これからは14歳の女の子として私達の分まで幸せになって欲しい。あなたには、その権利があるわ・・・。」
小さな肩がいっそう小さくなったように見えた。
ミサトは声の調子を努めて明るく変えて言った。
「そりゃ、正直言ってアスカがいないと痛いわ。でも、シンちゃんとレイがいるし、なんとか、まぁ・・・」
「…ファー、スト…」
初めてシーツの中から反応があった。
「・・・レイ、のことが気になるの?・・・零号機を失ったレイがなぜ戦うか理由が知りたいの?・・・アスカ。」
問い詰めるような口調ではなかった。アスカを優しく包み込むような声だった。
「どうしてレイが戦うのか・・・・・・それは、戦うことがあの子の宿命だからよ。」
「・・・・・・・・・」
「・・・使徒と戦うためだけに作られ、育てられた人造人間・・・それが、レイ。
レイにとっては、エヴァに乗って戦うことだけが自分とこの世界とを繋ぐ唯ひとつの道。」
シーツの中の身体がこわばっている。
「・・・でも、もう零号機はないんでしょ?」
シーツから質問が投げかけられた。
「ないわ。・・・それでもレイは戦い続けるわ。たとえエヴァが全て無くなり、自分一人になっても・・・レイは、きっとそうするわ。」
「・・・何のために?」
「それがあの子に与えられた運命だから。レイにとって、それが自分がこの世に存在する理由の全てだから・・・。」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・」
「アスカ・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・バカね。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・ファーストも、シンジも、ミサトも、本っ当にどうしようもないバカだわ!」
「アスカ・・・」
「・・・せっかく悲劇のヒロイン気取ってたのに、そんなこと教えられたら、まるでわたしの方がバカみたいじゃない!」
「アスカ!」
「ミサトも、アスカ、アスカってうるさいわね。聞こえてるわよ!まだ若いんだから!」
アスカがすっくとベッドの上に立ち上がった。
やつれた頬に血の気がさしている。
「なーにィ!?このネグリジェしわくちゃじゃなーい!髪もクッシャクシャ!もう、カッコワルイったらありゃしない!!」
そう言ったかと思うと、ベッドから飛び降り、バスルームへ一直線に消えて行く。
すぐにシャワーを使う音が聞こえ、バスルームからアスカの声が響いた。
「ミサト、あたしの弐号機、もう直ってる?早く行ってあげないと―――」
(アスカ・・・あなたは)
ミサトは急いで、アスカのためにシンジが作っておいた朝食を温め始めた。
その日の午後、2週間ぶりで本部に出頭したアスカにシンジを始め、リツコ、マヤ達が驚いた。
「ハ、ローウ、シンジ!」
「ア、アスカ?」
「なによ?せっかくこの天才少女、惣流・アスカ・ラングレーが復帰の挨拶してあげてるのに、もっと気の利いた言葉出てこないの?」
「あっ、・・・え・・・っと、その・・・本当に何ともないの?」
「どういう意味よ!?」
「い、いや、そうじゃなくて・・・あの・・・これで、また・・・」
「また?」
「そうだ!一緒に朝のコーヒーが飲めるね!!」
「「「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」」」
シンジとアスカを除く、司令部全員の目が点になった。
「バ、バカ!誤解を招くようなコト言わないで!!」
みるみるアスカの顔が真っ赤に染まる。
・・・日向が、青葉が、マヤが笑っていた。ヤレヤレといったポーズでリツコが背を向ける。腕組みをしたミサトがニヤニヤ笑っていた。
・・・この瞬間、ネルフにかつての司令室が戻ってきた。
一分後、赤面から回復したアスカは、この騒ぎにも無関心に佇んでいたレイに大股で近づいた。
「優等生。」
「・・・何?」
「・・・・・・・・・何でもないわ!」
プイッと顔を背けると、怪訝そうなレイを残してみんなの所へ戻ってゆく。
「珍しいね、アスカが綾波に話しかけるなんて。」
「ええ・・・。」
向こうでは、アスカが大袈裟な身振りを交えて日向たちと談笑していた。
「あら、もう着いたの?」
ミサトの声に全員が入り口に顔を向けた。
そこに、涼しげな顔の少年が立っていた。
「紹介するわ。渚カヲル君。エヴァのパイロットとして今日から仲間に加わるの。」
「渚カヲルです。・・・どうぞヨロシク。」
「彼にはアスカと一緒に弐号機の操縦を担当してもらうわ。」
チラリとアスカを見てミサトが言った。アスカの顔色が変わる。
「ちょっと!それはどういう・・・」
「アスカ・・・事実だけを言うわ。いまのアナタのシンクロ率では、弐号機の起動に不安が残るの。
我々は使徒に勝たなければいけない。そのためには、万全の備えが必要なのよ。」
司令室が静まり返る。
「・・・・・・分かったわ。要するにアタシがコイツに勝てばいいんでしょ?」
「ヨロシク。」
少年の手が差し出された。
「フン!」
自分に向けられた手を無視すると、アスカは足早に待機所へ去っていった。
司令室に気まずい空気が漂う中、フィフスチルドレン=渚カヲルは、平然とした表情を浮かべて立っていた。
「せっかくアスカがやる気になったのに、なんで今頃になってゼーレがチルドレンを送り込んでくるのよ!」
リツコの部屋に入ってきたミサトは、司令室では見せなかった表情で頭を抱えていた。
「名前の他は経歴をはじめ一切不明。まるでレイと同じだわ。」
「マルドゥック機関によって選出された5人目の適格者・・・作戦課長にとっては、これで充分じゃない?」
冷ややかな口調でリツコが言う。
「いじわるね。こんな時にタテマエの話なんか出さないでよ・・・。
でも、ま、アスカの調子さえ戻れば、いくらフィフスチルドレンでも敵わないでしょう・・・。」
「作戦課長らしからぬ不穏当な発言だけど・・・そうなってくれた方が、こっちも助かるわ。」
キーを叩く指先を休ませることなく、リツコが答えた。
「そん・・・な。」
翌日。午前中に行われたハーモニクステストの結果を見て、アスカは絶句した。
自分のシンクロ率をカヲルが二倍近く上回ったのだ。
「すごい・・・。」
シンジの口からも驚きの声が漏れている。
「・・・・・・・・・。」
レイだけが無言だった。
「シンジ君に誉められるなんて、光栄だネ。」
「そんな・・・カヲル君。・・・・・・アスカ?!」
口を真一文字に結んだアスカが足早に出ていった。しばらくして、シンジが後を追う。
その様子を黙って見つめていたレイに、カヲルが声をかけた。
「・・・キミもボクの仲間なのかい?」
レイの目がカヲルに向けられた。
血が出るほど固く握り締めた両手を振って、アスカは大股に通路を歩いていた。
(負けた・・・。あんな、来たばっかりのヤツに・・・)
唇が悔しさでゆがむ。辛うじて立ち直りかけていた心が再び崩れ落ちそうになる。
(ダメ。・・・まだダメよ、アスカ!・・・まだ負けちゃ。)
「アスカ!」
本部の食堂でオレンジジュースを前にぼんやりと座っているアスカをシンジが見つけた。
「何よ!」
続けて『放っといてよ!』と言いそうになったアスカは、ハッとして言葉を飲み込んだ。
「ゴ、ゴメン、シンジ・・・。だ、大丈夫よ!次はアイツをギャフンと言わしてやるから!」
無理に笑おうとした頬がヒクついている。アスカの顔から血の気が引いていた。
「・・・そうだよ。今日は久しぶりなんだから、仕方ないよ。アスカなら、きっと大丈夫さ!」
「見えすいた慰めはやめてよ・・・。」
(シンジ・・・今、私に優しくしないで。でないと・・・私・・・)
「アスカ・・・。」
「分かっているのよ・・・。今の私にはこれで精一杯だって。」
「そんなことないよ!アスカ!」
さっと金髪が翻り、アスカがシンジの方を向いた。青い瞳が真っ直ぐシンジを見つめていた。
「だっ、大丈夫だよ・・・アスカ。」
シンジは、アスカから目を逸らすことができなかった。
「・・・・・・。」
「そ、それじゃあ、僕行くね・・・。もう晩御飯の用意しなくちゃいけないから・・・。アスカも、早く帰ってきてね。大好物を作ってるから!」
顔を赤らめたシンジがギクシャクと通路を引き返していく。
「あっ・・・。」
思わず伸ばしかけた手をアスカは胸の前で握り締めた。
その唇から言葉がこぼれ落ちた。
「どうしてこんな時に・・・・・・。バカ・・・。」
同時刻、エヴァ弐号機をカヲルが見上げていた。
「僕が解き放ってあげるよ・・・、リリンの僕。」
帰宅後、努めて明るく振舞ったアスカは、夕食を食べ終えると「久しぶりで疲れたから」と言ってミサトとシンジを残し自室に戻っていった。
そのまま仰向けにベッドに倒れ込む。
『心を開かなければ、エヴァは動かないわ。』
記憶の中のレイが、アスカに話しかけた。
(開いているわよ、もう・・・)
(・・・それとも、私には開くだけの心さえないの?)
エレベーターの中で、レイを『機械人形』と罵った時の情景が甦ってくる。
―――あの時、レイは『私は人形ではない。』と言った。
(「機械人形」は、私の方か・・・・・・。ごめんなさい、ファースト・・・。)
アスカの部屋から、忍び泣きの声が漏れてくるのを、扉の外でミサトがじっと聞いていた。
(後編へつづく)
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