季節の変わりを告げる歌声        ―南樹―



今晩も葛城邸に澄んだ歌声が響き渡る。
歌の発生源はバスルームからだ、歌っている本人もかなり上機嫌な様子。

歌っているのは、惣流・アスカ・ラングレー。
彼女は自分の心の葛藤に打ち勝ち、もう少し素直に生きようと決めた。
その決意は彼女の今までとは違う魅力が少しずつ輝き始めるきっかけとなった。


「フフッ、バカシンジったら歌の意味を知ったら腰抜かすわよ」


碇シンジは食器を洗いながらも時折その手を休めアスカの歌に耳を傾ける。
彼女はいつもドイツ語で歌うので歌詞の内容がまるで解からないのだが何故か心地よく胸に響く。

最近までの殺伐した彼女の態度が打って変わり、
以前の明るい頃の雰囲気に戻ったのは彼にとっても喜ばしい限りだった。


「いい歌だよなぁ・・・・・・なんて歌なのかなぁ?」


澄んだ歌声は人の心を穏やかにさせる。
二人とも今日もいい夢が見られそうだった。





清々しい朝の登校。
二人が並んで歩くシルエット。

アスカは隣にいる少年の姿に嫌悪していた以前の自分がまるで嘘のように思えた。
全ては気持ちの持ちようだったと今はそう素直に思える。


「ねぇ、今日のお弁当ってなに?」
「お弁当って?・・・ずいぶん気が早いね」
「いいじゃない・・・楽しみなんだから・・・」
「えっと、今日のはねぇ・・・」


少しずつだけど彼のことを思う気持ちが心の中で大きくなっていく。
初めての知った・・・人を思うという意味を。


今なら素直になれる。


けど、思いを伝えるにはもう少しの勇気が必要だった。
素直になるって決めたから、自分に正直に生きるって決めたから。


だから、もう少し待って。


そして、今日も彼女は歌う。
伝えたい思いをこめて。





学校が終わりネルフ本部に向かうチルドレン二人。
シンジは少しソワソワして遅れているアスカに催促の声をかける。


「アスカぁー、速くしないと定時試験に遅れちゃうよぉ」
「なに情けない声をだしてんのよ」
「だって時間が・・・」
「だってじゃない!男ならもっとドンと構えていなさいよ」
「・・・そんなこと言ったって」


何だかんだ言いながらも微笑を絶やさなくなったアスカの姿にシンジはドギマギするようになる。
シンジの視線に気がついたアスカは少し照れくさくなって・・・。
つい・・・。


「あー、もう、あんたがウジウジしているから遅刻しそうじゃない!」
「そ、それはアスカが・・・」
「男なら言い訳するな!」
「・・・・・・はぁ」


もう疲れましたと言いたげにため息を漏らすシンジ。
先に走っていった彼女の背中を見ながら少し微笑むと彼女に追いつこうと自分も走り始めた。





定例のハーモニクステスト。
あの頃は毎回同じ事を行い、結局毎回シンクロ率が下がっていた。
いままで自分が築き上げてきたものが、プライドが削られていく・・・嫌だった。


「へぇー、アスカここ最近は上り調子ねぇ」


葛城ミサトは過去と現在の比較を表示しているモニターを観ながらのんきな声をあげていた。
下がる一方であった値が緩やかではあるが以前のベスト値を目指すように上昇している。
やはり、彼女自身もその事が嬉しいようだ。


「あったりまえじゃん、このあたしが何時までもシンジに負けっぱなしのわけないでしょ」
「あっれぇ〜?シンちゃんに対してそんなこと言っていいのかなぁ〜?」
「な、な、何よその言い方!?」
「アスカぁ、動揺しているのぉ?」


などと一見微笑ましい会話だったのだが・・・。
場所をわきまえなかった二人は当然・・・赤木リツコにこってりと搾られる。
二人とも子供じゃないんだからと思いつつも、何故か顔が赤らむシンジだった。





夜、我が家に向かう帰り道。
二人で歩きながら、シンジは常々疑問に思っていたことを口にした。


「あのさ、いつもお風呂で歌っているよね・・・」
「それがどうしたの?」
「いや、なんていう歌なのかなって・・・」
「ふーん、知りたいの?」
「知りたい」
「本当に?」
「うん・・・」

「・・・やっぱり教えてあげなーい!」
「えー、なんだよそれ」


結局、はぐらかされてしまった。
けど、ニコニコするアスカを見ると些細な疑問だったのかなと思ってしまう。


ごめんね、もうちょっとだけ待っていてね。


そして、彼女は今日も歌ってくれた。
伝えたい思いを乗せて。




翌日、学校の昼休み。
お弁当を洞木ヒカリと仲良く会話しながら食べていると、ふと違和感に気がつく。
よく見ると昼休みにはいつも教室にいるはずのシンジの姿がなかった。

アスカは変だなと思いつつもお弁当を食べ終わったついでに何となく探しに出た。

しばらく探すとテニスコート裏の木の陰にシンジの後ろ姿を見つけた。
アスカは彼を驚かそうと息を殺してソッと近づいて行く。


「・・・・・・付き合ってほしいんだ」
「・・・けど」


えっ?シンジ?
ファーストの声!?


「僕は綾波のことが・・・」
「碇君・・・」


そんな・・・。
そんな・・・。


「返事・・・聞かせてくれる?」
「私も碇君のことが・・・」


うそよぉ・・・。
いやぁ・・・。


アスカは走り出した。その場にいられず、学校にもいられず、あてもなく走った。
決定的な事実を知ってしまった今、何もかも捨てられる物なら全てを捨てて行きたかった。
この悲しみも・・・この思いも・・・あの歌も。





ひざを抱えてベンチに座る。こぼれ出る涙を必死でこらえる。
ここはユニゾンの時にシンジと一緒に見た第3新東京市を一望できる場所。
自分の大事な場所・・・。


傷つけられたプライドは十倍にして返す・・・。
けど・・・もう無理シンジには・・・。
こんな事になると解かっていたなら・・・。

シンジぃ・・・。


傷心の少女が観る街並みは何も語ってくれない。
すでに赤く映えるその姿が、車のライトやネオンの灯かりを持つ別の顔へと変えていた。


シンジがファーストを選んだ・・・。
あいつが勇気を出して・・・。

あたしはシンジがいなくても・・・きっとがんばれる・・・。

あたしには加持さんがいるもん・・・。
シンジなんかよりずっとステキだもん・・・。

・・・・・・。


最後の思考でついにこらえていた涙が溢れ出した。

アスカは堰を切った様に泣き出す。
母親を探す迷子の様に後から後から悲しみが押し寄せてくる。
幼かった頃の悲しみ、思いを伝えることのできなかった悲しみ。

もう、心が押し潰されそうだった。


「シンジぃ〜」
「・・・アスカ」


彼の名を呼んだ時、背後から聞き覚えのある優しい声が掛けられた。
アスカは涙も拭かずに振り返ると、バツが悪そうに立っているシンジがそこにいた。
探しものを見つけた少女は少年の胸に抱きつき、また泣き出してしまった。


「ねぇ、もう泣かないで」


シンジのいたわりにアスカは鼻をすすりながらも落ち着きを取り戻していく。
二人の距離は変わらないまま、アスカはまだ涙声混じりだが話し始める。


「・・・なんであんたが・・・こんな所にいるのよ・・・」
「アスカが心配だったから」
「・・・あたしより・・・あたしよりファーストと一緒の方が・・・」
「綾波は・・・」


アスカはそう言いつつもシンジの袖を掴む力が強くなった。
頭では離れようとしても、心が離れようとしない。


「ごめん」
「なんで謝るのよ・・・」


シンジがここに来たことは、もしかしたら・・・そんな期待をしてしまう自分が嫌だった。
ファーストより自分を選んでくれた?・・・けど・・・あいつの思いを踏みにじった?
アスカにとってのシンジにはそんな事をして欲しくなかった。





数時間前、テニスコート裏。
シンジは魅力的な二人に揺れるもどかしい気持ちにケリを付けたくて綾波レイを呼び出していた。
彼は少し赤みがかってはいるが真剣な表情でレイを見据え勇気を出して切り出した。


「綾波・・・僕と付き合ってほしいんだ」
「えっ?・・・けど、私は・・・」


いつも無頓着なレイもこの状況がどういった意味を持つものか解かっていた。
自分の唯一とも言える好意を寄せられる男の子からの告白に心は揺れる。
こちらも恥ずかしいのか白い肌がほんのりと上気する。


「僕は綾波のことが・・・」
「碇君・・・私・・・」


嬉しい・・・。
レイはおよそ自分には関係ないと思っていた世界に喜びを隠せないでいる。
それと同時にチクリと胸をさす痛みに気がつく、彼を思うもう一人の存在に。
弐号機パイロット・・・けど・・・。


「その、返事を聞かせてくれる?」
「私も・・・碇君のことが・・・」


そう言いかけた時、離れた場所で物音がした。
二人が見ると走り去るアスカの姿がそのまま学校を出て行ってしまった。
レイは先程とは違い明らかに痛む胸に・・・伝えようとした言葉を飲み込んだ。


「・・・追いかけて」


自然と口から違う言葉が出た。
レイの言葉に戸惑うシンジ、二者択一を選ばされている気分になった。
ここでアスカを追いかける・・・それはレイを・・・。


「僕は綾波を・・・」
「追いかけて・・・」
「そんな!!」
「女の子を泣かせるものではないわ」

「綾波・・・」
「あの人を追いかけて」


シンジは俯きながらしばらく考えた、長い時間が過ぎたと思えた一瞬。
再び顔をあげた少年の瞳に迷いはなくなっていた。


「・・・追いかけるよ」
「ええ・・・・・・頑張って・・・」


レイの最後の言葉はシンジに届いていなかった。
振り向くことなく走り行く後ろ姿を最後まで見つめている。


彼の迷いのない瞳・・・私の一番の・・・。
けど、それはあの人を思う瞳・・・あの人を見つめる瞳・・・。

私はあの人にはなれない・・・。

私・・・泣いているの?


手のひらに落ちる冷たい感触。初めて流す涙はほろ苦かった。





夜の公園。
アスカはシンジが言い訳めいた話をしないのが嬉しかった。
その時がくれば彼はちゃんと話てくれる・・・今はこの一瞬を大事にしたい。
シンジは自分の胸に顔をうずめた少女に優しく問い掛ける。


「ねぇ、歌ってくれない?」
「えっ・・・」
「聞きたいんだ・・・アスカの歌が」
「うん」


名残惜しそうに離れたアスカが公園のベンチをステージに例え立ち上がる。
下から見上げるシンジは星空の下のステージに一人拍手をする。
アスカは気恥ずかしそうにしながらも深呼吸をひとつ、歌い始める。


いつも奏でていたこの歌を。
彼に伝えたいこの思いを。

心をこめて。


歌い終わった後、彼女の心の寂しさは消えていた。
シンジの微笑みながら差し出さす手に素直につかまる。


「ねぇ、いつもなんて歌っているの?」
「フフッ、バカシンジじゃ解かんないもんねー」
「だって、ドイツ語じゃないか」
「なら、ドイツ語を勉強すればいいじゃない」
「けど、どうやって・・・」
「・・・教えてあげよっか?」
「教えてくれるの!?」
「あんたがどーしてもって言うなら・・・ねっ!」
「あ、ありがとう」


まだ三人の道は始まったばかり。
伝えられなかった気持ち、伝えたい思い。

少しずつ歩いていける・・・あいつと一緒なら・・・。

そして・・・。


いつか・・・きっと・・・。


今日も響き渡る。
季節の変わりを告げた歌声が。





―後書き―
最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。
次回も見かけたら読んでみてください。
それでは、また。
                           南樹


アスカ:まさか、ファーストに助けられるなんて・・・。

マナ:綾波さんに感謝しなくちゃね。

アスカ:フッ。どっちにしろ、最後はアタシが勝ってたわよっ。

マナ:もぉ、強がりなんだからぁ。

アスカ:ほら、見てみなさいよ。最後なんか、アタシの歌声に聞き惚れてるじゃないの。

マナ:そう、そういうことだったのね。

アスカ:そうよ。本当に愛し合う者同志は心が通じ合えるものなのよ。

マナ:あなたの声は、催眠術だったのね。もしくは、ギルの笛?(なぜ、そんな古いネタをマナが知ってる?)

アスカ:そんな力があったら、真っ先にアンタをお猿さんにしてあげるわっ!

マナ:・・・・自分の催眠術に既にかかってたのね。

アスカ:ムキーーーーーーーっ!!!
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