それは彼らしくない行動であった。普段の彼ならそのような行動を取ることはありえなかったであろう。彼は積極性とは対極にある性格の持ち主であったし、他者との関わりを恐れてきた人間であったからだ。汎用人型決戦兵器―人造人間エヴァンゲリオン初号機―のパイロットとしてネルフに登録されている碇シンジの取った行動とはそのようなものだった。
 その行動を起こすきっかけとなったのは同じパイロットとしてネルフに登録されている惣流アスカ・ラングレーの"迫り"にあった。彼女にしかわからない理由から、アスカはシンジへのキスを迫った。「暇つぶし」と言った彼女はシンジを挑発し、キスという行為をシンジと共に体験した。もう一人の同居人たるネルフ作戦部長・葛城ミサトは外出中であったから、この秘め事は二人だけの空間で行われていた。あるいはそれがシンジへ影響したのかもしれない。
 それが行われたとき、アスカは一瞬驚いた。まさか消極的なシンジがそのような行動を取るとは思いもよらなかったのだ。アスカはまことに彼女らしい方法でそれに対処しようとしたが、それは実現しなかった。シンジをビンタという暴力的措置から救ったのは、必ずしもアスカの内部に存在するシンジへの好意的な感情だけではなかった。何よりもキスを迫ったのは彼女であったし、その行動が与えた心地よさはアスカに心を浄化するような感覚を与えたからだ。
 碇シンジ―セカンドインパクト後に生まれた一四歳の少年―は惣龍アスカ・ラングレーを抱きしめていた。鼻をつまむというどこか間の抜けた体勢で唇を重ねていたアスカとシンジのキスはいつしか恋人のそれと変わらないものになっていた。そのキスは唇を重ねるだけのいたいけなものであったが、シンジの抱擁は二人のキスをいかなる恋人のそれにも勝るキスシーンにしていた。
 加持リョウジと葛城ミサトがシンジ達と比べると不様な体勢で帰宅したとき、二人は幼さ故か体を素早く離してしまった。後はいつもの調子であった。加持にじゃれつくアスカと酔ったミサトを介抱するシンジ。後に引くものは無かったと思われた。しかし二人のキスは、確かな影響を与えていた。


安らかな寝顔
KNIGHT OF A PRINCESS
作:名無し

CHAPTER ONE:アスカを守りたい


 その日、碇シンジは疲れていた。彼がこなさなくてはいけない仕事は平均的中学生のそれを遥かに上回っていたから、当然であった。彼は学業に加え決して楽ではないエヴァンゲリオンのパイロット、さらには葛城家の家事をすべてこなさなくてはいけない。
 ネルフが貴重なパイロットにそのような疲労を与える生活を容認していたのには理由がある。彼らの心理分析チームは碇シンジにそのような生活を与えたほうが良いと判断していた。エヴァの操縦には精神の安定が不可欠であったが、現在のシンジの生活はそれを実現させていたからだ。学校生活は中学生にとって精神的ストレスを取り除く良い材料であった。葛城家の家事はシンジに「必要とされている」という認識を明確に与えていた。シンジの精神的なストレスの除外は肉体的ストレスより重要であったから、ネルフはシンジの生活を修正するようなことは無かった。
 洗い物を終えたシンジはしばらくキッチンの椅子の上で何もせぬまま座っていた。中学生といっても体力が有り余っているわけではない。一息つくという一見年寄り臭い行動も、彼の疲労度からいえば当然であった。
 アスカは風呂に入っている。今日も食事に文句をつけた彼女は風呂にも文句をつけてきた。シンジは確かにそれに怒りを感じていたが、充足感も同様に感じていた。コミュニケーションが下手な彼にとり、罵倒であろうがなんであろうがアスカの文句はれっきとした言葉の交流であったからだ。
「シンジ、おやすみ」、いつのまにか風呂をあがっていたアスカはシンジに声をかけた。Tシャツにホットパンツといった格好だった。
「あっ、おやすみ、アスカ」、シンジはそれに答えた。彼がそれ以上の反応を示す前にアスカはそのまま自分の部屋に入っていった。ミサトさんは残業でネルフに泊まるって言ってたな、とシンジは思いながら椅子から立ち上がった。
(僕も風呂に入るかな・・・・)、シンジは心の中で呟くと着替えを取りに自分の部屋―アスカが来る前は押入れだった部屋―に向った。

 風呂に入ったシンジは湯船に浸かりながら、思考の渦に身を沈めていた。最近、考えることは横暴な同居人のことばかりだった。友達以上、恋人未満といった関係の同居人。
(アスカはなんでいつもああなんだろう)
(たまには感謝の言葉を聞きたいよな)
 シンジ自身はごく普通少年であったから、そう考えるのも当然だった。
(僕はアスカに嫌われて言うるのかな)
(でも、それだと何であのときキスしたんだろう?)
 それはここ数週間彼が悩んできた問題だった。あの化け物みたいな強さを誇った(じっさい使徒は化け物と呼んで差し支えなかったが)第一四使徒を倒した後、LCLの中に溶け込んでいたときも、心のどこかでそれは彼に問い掛けてきた問題だった。
(アスカは、僕をどう思っているんだろう。キスをしようともちかけてきたと思ったら、翌朝には僕をバカにする。やっぱりあのキスは遊びだったのかな)
(アスカ・・・・か)
 シンジの思考はそこで止まった。いいかげんのぼせて来た体が風呂から出ることを脳に要求していたからだ。

 ベッドに入ったシンジはしばらく答えの出ることの無い思考を続けていた。仮説を立てては否定し、それを繰り返してまた同じ仮説を立てる。その繰り返しの作業であったが、考えることは主にアスカと自分のことでしかなかった。鈍感な彼は、その意味に気付くことは無かったが。いや、気付いていないふりをしているのかもしれない。
 シンジが違和感を憶えたのはそのときであった。何か気配を感じたのだ。ゆっくりと目を開けた彼の横にはアスカが立っていた。先程と同じTシャツにホットパンツといったスタイルだ。シンジが上半身を起こし、驚いて声をかけようとしたとき、鈍感な彼にしては珍しくアスカの妙な点を見つけた。
 アスカの目は真っ赤だった。さきほどまで泣いていたことが明らかな目だった。
 しばらく二人は暗闇でお互いを真っ直ぐ見つめていた。どちらも口を開くことは無かった。やがて、意を決したシンジは口を開いた。
「どう・・したの?」、おずおずとした、自信なげな口調だった。
「・・・・・」
「喉でも・・渇いた?」
「・・・・」
「アスカ・・?」
「・・い・・の・・」
「え・・?」
「怖いの・・・・」、アスカは捻り出すように言った。
「怖いの!目を閉じると怖いの!」、今度は絶叫だった。
「アスカ?」、シンジは怪訝な声で聞き返した。今のアスカはシンジのよく知るアスカでは無かった。
「目を閉じると皆アタシを冷たい目で見るの!役立たずだって!エヴァに乗れないって!」
「!!!」、シンジははっとした。アスカはここのところシンクロ率が極端に下がっていた。シンクロ率が彼女にとって重要な意味を持つことを理解し始めていたシンジはその言葉の持つ意味をたった今理解した。シンジはすべてを理解したわけではなかったが、アスカが何故ここにいるか、その見当はついていた。
「みんなアタシが役立たずだって言うの!そんな目でアタシを見るの!」、アスカは涙声で叫んでいた。そこまでアスカが叫んだとたん、シンジは行動に出た。
 シンジはアスカを抱きしめた。涙と鼻水でシンジのシャツはぐちゃぐちゃになったが、シンジはそんなことは気にしなかった。シンジは純粋な感情でそのような行動に出たから、理性の出番など無かった。
 一瞬後、シンジは自分の行動を自覚した。恥ずかしさに支配された彼の脳は体にアスカを放すよう命令した。だが、アスカが号泣と共にシンジに抱きつき、顔を胸に埋めたことからそれが実行されることは無かった。
 アスカは泣いていた。鼻水と涙と涎が遠慮無くシンジのシャツを汚したが、シンジはかまわなかった。むしろアスカをより強く抱きしめた。シンジ自身、何故そうしたのかはわからなかった。だが、彼の心の奥底からそうするよう命令が飛んでいた。
 シンジの心はアスカを愛しいと思う気持ちでいっぱいだった。シンジはそれを気恥ずかしく思ったものの、それに反発することはしなかった。アスカを抱きしめた彼は、優しげな表情で彼女を包んでいた。
 時間だけがゆっくりと過ぎていった。闇の他に存在するのはアスカの泣き声だけだった。
 ようやくアスカが泣き止んだとき、シンジの心はアスカへの想いに支配されていた。弱き姫を守る勇敢なナイト、彼の心はそういった状態だった。
「・・・聞かないの?」、アスカは口を開いた。少し恥ずかしげな声だった。目が腫れていた。しかし涙は消えていた。
「何を?」、シンジは優しい口調で聞いた。
「・・・アタシが泣いた理由」
「アスカが話したくないなら」、シンジは一息ついて、「それでいいんだ」
「・・・話す・・・だから聞いて」
「うん・・・ティッシュいる?」
「うん」
 シンジはティッシュをアスカに手渡した。
「ごめん・・着替えないの?」、アスカは申し訳なさそうに言った。
「え・・・ああ、シャツね。じゃあ、ちょっと向こうを向いててくれる?」
「うん・・・」、アスカはドアのほうを向いた。少しばかり顔が赤い。
「終わったよ」
「うん・・シンジ」
「何?」
「・・・アタシ・・・怖かったの。目を・・閉じると、ミサトや・・リツコや・・司令やファーストやみんなアタシを見るの。で、みんなアタシを冷たい目で見てこう言うの。『お前は・・・役立たずだ。パイロット・・・失格だ』って。みんな冷たいの」、そう言いながらアスカは再び涙を目に浮かべた。
 シンジはアスカを再び抱きしめた。何故そうしたのかは例によってわからなかったが、彼の本能はそうしろ、と命令していた。アスカは安心したのか、話を続けた。
「怖いの。眠れないの。目を閉じるとみんな冷たくなるから」
「・・・・・」
「・・でもアンタは違うの。目を閉じても出てこないの」
「冷たい目でアタシを見ることは無いの」
「でもかばってもくれない。慰めてもくれない」
「だから寂しいの・・・・しんじぃ・・・」、アスカは再びシンジに抱きついた。
 シンジは無言だった。アスカがここまで弱く、普通の少女であったことは彼にとり、酷くショックであった。アスカはシンジにとり、常に明るく優秀な人間であったからだ。そのアスカがここまでか弱い女の子であったことはシンジにとってショックだったのだ。
 だがそれ以上にシンジにショックを与えていたのはアスカがそれを自分に語ったことだった。シンジにとり、自分より優秀な人間のはずであるアスカが自分に抱きつき弱さを示したのは異常であったからだ。アスカを慰めるため抱きしめたとき、シンジはそれに気がつかなかった。泣いているアスカを見て思考が停止したためか、あるいは心の奥底に眠る感情がそうさせたのかもしれない。しかし冷静になった今、シンジにとりか弱いアスカは意外の他の何者でもなかった。
 黙りこんでしまったシンジに不安を憶えたのか、アスカはシンジの顔を見上げた。そこには思考の渦に巻き込まれたシンジの表情が見えた。たまらなく不安にかられた彼女は勇気を振り絞って疑問の声をもらした。
「シ・・ンジ?」アスカは怖かった。まさかシンジにまで見捨てられるのかと。
 アスカの弱りきった声を聞いたシンジは正気に戻った。いけない、アスカをこれ以上不安にさせてはいけない。シンジはそう思いながら答えた。
「大丈夫だよ、アスカ。僕がいるから・・・それとも僕じゃだめかな?」
 アスカは首を振った。そして上目使いでシンジに聞いた。
「そのぉ・・・一緒に寝ていい?」
「え!!」、シンジは無理も無く驚いた。同い年の美少女と寝ることは一四歳でしかない彼にとり、酷く刺激的だった。だが、すぐに気を取り直す。今の彼はか弱き姫を守るナイトなのだ。姫の願いはできるだけ叶えなくてはならない。
「いいよ・・アスカ」
 それを聞いたアスカは嬉しそうな顔をするとベッドに潜り込んだ。そしてそのままシンジに抱きつくとすぐに寝てしまった。ここのところろくに寝てなかったことを示すかのように彼女は熟睡してしまった。
 普段のシンジなら絶対取らないような行動を幾つか彼は取っていた。シンジは他者との関わりをなるべく避けて生きてきたし、深く理解しようとは思わなかった。だが、アスカは特別であった。あのキスから数週間、シンジにとりアスカは特別な存在となりつつあった。
 シンジはアスカの顔を見た。それは決して幸せだけに包まれた顔では無かった。だが少なくとも一つのことはシンジにも分かった。アスカは安心して寝ているのだ。安堵の表情を浮かべて寝ているアスカはそういうことを伝えていた。
 シンジは思った。アスカを守っていきたい。僕は弱くて情けなくて駄目な人間かも知れないけど、アスカだけは守っていきたい。アスカの安らかな寝顔を守っていきたい。
 シンジはアスカの美しいというよりかわいらしい寝顔を見つめながらたまらない愛情を憶えた。
「・・・・アスカ・・・・」
 シンジは右手でアスカの頬を撫でた。目元に残っていた涙を拭き取る。アスカの寝顔は安らかなものだった。幸せを感じているようなものではなかったが、安らかな寝顔だった。シンジは思った。いつか、この寝顔を幸せなものにしたい。今は安らかな寝顔を守るのが精一杯でも、いつかは幸せな寝顔にしてあげたい。だから、おやすみ、アスカ。


マナ:名無しさん、投稿ありがとーっ!\(^O^)/

アスカ:アタシの心の隙間を埋めてくれるシンジかぁ。いい話よねぇ。

マナ:だからって、一緒に寝なくてもいいでしょっ! 不潔よっ!

アスカ:バカ! なに変な想像してんのよ。ただ一緒に寝てるだけよ。

マナ:実はそれが目的なんでしょ。(ー。ー)

アスカ:なわけないでしょっ! 今がアタシには大事な時なのよっ。

マナ:そうだっ! マナちゃんも夜寝れないのっ! だから、わたしもっ!(*^^*)

アスカ:どうせアンタのは、昼寝のし過ぎ程度でしょ。

マナ:あーーーっ! わたしだって、悩み多き乙女なのよっ!

アスカ:はいはい。せいぜい、どこの甘味所が美味しいか悩んで頂戴な。

マナ:そう。それは重要な問題よ。

アスカ:マジでそんなことなの・・・。(ーー;
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