「アスカのシンクロ率が極端に下がっている?」、ネルフ作戦部部長・葛城ミサト三佐は疑問の声を漏らした。眉間に皺がよっている。
「そうよ、これまでもマイナスの直線を描いていたけど、今度は曲線ね」、技術部部長・赤木リツコ博士が言った。同様の表情を浮かべている。
「もうパイロットとして駄目ってこと?」、ミサトは作戦部長としての態度で迫った。
リツコは親友の態度に疑問を憶えたが、軍人が感情的な態度を示すことの愚かさには気付いていたから、アスカを駒として扱う態度を黙認した。だいいち、彼女自身もチルドレンを実験材料のように扱う面を持っていたからだ。そうしなくてはとても使徒相手に勝てはしない。
「そうね。このままだと数日中に弐号機の起動さえままならなくなるわ」
「まいったわね・・・零号機は未だに修理中なのに」
「最近、アスカに何か変化あった?」
「まあ、あることにはあるのだけれど」、ミサトは言葉を濁しながら言った。目線をそらす。
 ミサトのマンションには盗聴器や監視器具は無いとされている。少なくともシンジやアスカにはそう言われていた。もちろん人類の未来への最後の希望である彼らがそのような甘い状況に置かれているわけが無い。部屋には無数の盗聴器が備えられえており、マンションはネルフ職員以外立ち入り禁止にされている(シンジやアスカの友人は別だが)。ただしミサトは保護者としての意識か、モニターされた情報はすべて自分が管理している。ネルフ関係部署が手に入れる情報はすべてミサトが許可したものしか存在しない。
「その・・アスカ、シンジ君と一緒に寝ているのよ・・」
「何ですって!あなた保護者としてそれで・・」
「ちょっとまってよ、リツコ!別にあなたが思っているような状況じゃなくて」
「え?」
「ただ一緒に寝ているだけよ。別に体を重ねているわけではないわ」
「あら、そう」
「ただ、その私がいないとき、アスカは驚くほどシンジ君に甘えるの」
「つまりエヴァ依存症がシンジ君依存症になったと言いたいわけね」
「そう」
「あまり明るい状況じゃないわ。パイロットが一人抜けるのは、技術部の私から見ても危険といっていいわ」
「パイロット交換を考えたほうがいいかもしれないわね」


安らかな寝顔
KNIGHT OF A PRINCESS
作者:名無し

CHAPTER TWO:人生の先輩


 あれから二人の生活で変わったことは無かった。いつもどおり二人は学校に通い、いつものように夫婦漫才をクラスで披露した。いつものように訓練し、いつものように実験を続けた。ミサトの前では。クラスの前では。他人の前では。
 二人っきりになったとき、アスカはシンジに甘えた。といっても世に言うカッパルのようなそれではない。アスカは悲しみをこらえた顔でシンジによりかかり、時をすごすのだった。言葉はあまり交わされない。シンジも黙ってアスカを抱きしめる。ただそれだけだった。そのようなときだけ、アスカの顔は安らかなものとなる。
 夜、寝るときもシンジの部屋で寝た。ミサトに気付かれる恐れはあったが、それは気にならなかった。二人にとって重要なのは一緒にいることだったからだ。他人の前で普段どおりの態度を取るのは、自分達の世界に他者を入れたくなかったからだ。
 この日、アスカは珍しくシンジと言葉を交わしていた。
「シンジ・・・アタシのこと好きなの?」、顔は悲しげだった。
「わからない・・・でも好きだと思う」
「いいの、好きでなくても。一緒にいてくれるだけでいい。話を聞いてくれるだけでいい」
「うん、そうだね」
「・・・アタシ、エヴァに乗れなくなるから・・」
「大丈夫、アスカ。僕がいるから。僕はアスカといるから」
「うん、ありがとう・・・・」
 二人はそれっきり黙っていた。暗くなっても電気をつけずにお互いに寄りかかっていた。
 ミサトの車の音が聞こえた。ルノーのエンジン音を区別できるようになった二人は名残惜しそうに立ち上がるとそれぞれの"普段"に戻った。
「ただいまー!」、ミサトが玄関のドアをあけながら言った。
「おかえりなさい」「おかえりー」
「シンちゃ〜ん、今日のご飯はなあに?」
「あ、すいません。ご飯を作るの忘れていました。出前とっていいですか?」、シンジは慌てて謝った。
「あんた、ばかぁ!?」、アスカが文句を言った。
「ご飯ぐらい作っておきなさいよ!まったくぼけぼけっとしているんだから」
「まあ、まあアスカ、シンちゃんも忙しい身なんだから。いいわよ、出前で」、ミサトがたしなめた。同時に二人が何をやっていたかも察しがつく。生真面目なはずのシンジはここのところご飯を作り忘れることがよくあった。作戦部長としての洞察力がその理由を考えつくのは簡単だった。しかしあえて言わないし、気付いていないふりをする。
「すいません、ミサトさん」、シンジは謝るとまとめてあった出前のチラシを取りに行った。
 ミサトはこの家族ごっこに奇妙な充足感を感じていた。それは彼女が失ってしまったものを取り戻したかのような気持ちになるからかもしれない。同時に作戦部長としての客観的な見解を失うこともなかったけれども。
 嫌になるわ・・自分の仕事が・・・。ミサトはそう思いながら彼女にとって唯一の真実であるビールを飲み干した。ビールだけは期待を裏切らない。このときの彼女は本当の幸福感を憶えていた。

 碇シンジはあの一夜から変化していた。友人の言葉を借りるならば、男なった、というところだろう。少なくともあの頼りない雰囲気は消え去っていた。何か積極的な態度を身に付けた印象を周囲に与えていた。もっとも、それに気付いたのはネルフの僅かな職員と三人の友人だけであったが。その原因がアスカとの関係の変化にあったことを気付いていたのはミサトとリツコだけであったが。
 しかし彼も疲れを感じていないわけではなかった。アスカから頼られることは彼に大きな満足感と幸福感を与えていたが、同時に大きなストレスも与えていた。アスカのすべてをしょいこむには、彼の精神はまだ未熟すぎたのだ。しかし今はまだ、限界に達してはいなかった。

「シンジ君、どうしたの?もっと集中して」、リツコが声をかけた。ハーモニクステストでシンジの成績は明らかに落ちていた。
「すいません」、返ってきたのはいつもの返事。いや、足りないものがある。アスカの挑発。リツコとミサトはその事実に気付いていた。シンジの成績は上がらなかった。
「もういいわ、今日はこれで終わりにしましょう。三人とも、上がっていいわよ」

「碇君」、零号機パイロット綾波レイがシンジに声をかけたのは彼がアスカと共に帰ろうとエレベーターに向ったときだった。
「ちょっといい?」、無表情なまま彼女は言った。
「あ〜ら、無敵のシンジ様はもてもてねぇ〜」、アスカは捻くれた声でシンジをからかった。だが、声には若干の不安を感じさせるものが含まれていた。
「アタシは邪魔でしょうから、向こうへいってますわ〜」
 アスカの微妙な感情を読み取ったシンジは―彼はアスカに関しては敏感になっていた―アスカに安心させるような表情を一瞬だけ見せたあと、レイに頷いた。アスカはシンジの後姿を不安そうに見ながらエレベーターに向った。
「何?綾波?」
「あなたこのままだと心を壊すわ」
「え?」
「じゃ」、レイはそう言うと去っていった。
「ちょっとまってよ、綾波!」、シンジはレイを引きとめようとしたが、アスカのことが気がかりだったのでやむをえずに引き返した。
 ネルフ本部を出た途端、アスカはシンジに抱きついた。それはモノレールに他の人が乗った後も続いた。

 シンジはこの日、一人でネルフに来ていた。アスカはヒカリの誘いでショッピングに出かけていた。もっともアスカはあまり乗り気ではなかったが。シンジは用事にちょうどいい日だと思ったらしい。シンジはアスカのナイトとなるべく、こっそりと体力訓練を行おうと思っていたからだ。
 シンジがあらかたのメニューを終え、休憩室で休んでいたとき、背後から声がかかった。
「よぉ、シンジ君じゃないか」
シンジが振り向くと、そこには加持リョウジがいつもの格好で立っていた。シンジは内心のざわめきを感じたが、理性でそれを抑えた。アスカが一度はアタックしていた相手を前にして平常心を保つのはシンジにとってまだ難しいことなのだ。アスカを放っておいたことへの反感もある。
「訓練かい?熱心だね」
「ええ、まあ」
「ちょっといいかい?」、加持は何か含んだ声でシンジに語りかけた。微妙な雰囲気を嗅ぎ取ったシンジは頷いた。

 ジオンフロント、その森林部分に加持のスイカ畑があった。加持は持ってきたじょうろでスイカに水を撒きながらシンジに語りかけた。
「シンジ君、君はもう守るべき姫を持った男なんだろう?」、加持は単刀直入に言った。少なくとも今の彼はシンジを子供扱いする気は無かった。
「・・・アスカのことですか」、シンジは返事した。
「シンジ君、君は男になった。少なくとも数週間前と比べると君は確かに成長した」
「アスカを守らなきゃいけないから・・」
「うん、守るべきものを持った男とはそういうもんさ」
「・・はい」
「俺は君に言いたいことが一つだけある。人生の先輩としてな。
シンジ君、君は男になった。アスカを守る騎士の役目を立派に果たしているよ。しかし、男はいつも騎士でいられるわけではない」
「何が言いたいんですか?」
「シンジ君、君なら俺の言いたいことはわかっているはずだ」
「・・・加持さん、僕はアスカを守らなくてはいけません。それだけが僕にとっての真実です。僕はアスカの騎士でなくてはいけません」
「君は自分が中学生だということを無視してやいないかい?アスカの騎士であることは結構。でもな、シンジ君、君もまだ中学生なんだ。アスカのすべてを背負い込むには君の背中はまだ狭すぎる」
「・・・加持さん、教育者ぶらないでください」、シンジが苛立った声で返答した。
「なに?」
「アスカがあそこまで弱くなってしまったのは加持さんにも責任があるんですよ!それをいまさら何もかも分かったような顔で僕を説教しないでください!アスカは加持さんを頼っていたんですよ!でも加持さんはミサトさんばかり見ていた!アスカは・・アスカはそれを見てられなかった!」、シンジは加持を睨みながら叫んだ。抑えていた感情が爆発した。
 鈍い音がした。シンジは自分がぶたれたことを認識するまでしばらく時間かかった。
「・・・シンジ君、落ち着け」、加持は諭すように言った。
「・・・すいません」
「シンジ君、確かに僕がアスカを相手にしなかったのは悪かったと思っている。それは謝る。でも、俺は人生の先輩として君とアスカを幸せに導く権利まで失ったわけではないと思っている。いってみれば、俺が今君に話したいことは償いでもあるのさ」
「・・・・」
「俺はかって葛城と似たようなことを経験している。シンジ君、女を守るのは大変なことなんだ。君ももう分かっていると思う。相手のすべてを背負い込まなくてはいけないからな。
 でもな、シンジ君、本当はそんなことしなくていいんだ。お互いの弱さをお互いで背負い込めばいいんだ。アスカのすべてを抱え込む必要はないんだ。ただ、お互いを支えあえばいいんだ」
「でも!アスカは弱くて・・」
「シンジ君、アスカはけして弱い娘じゃない。ただ今は不安定なだけなんだ。思い切って自分の不安や弱さをぶつけてみろ。そうしたら彼女も君の弱さを支えてくれる。相互に支えあうのさ」
「できるでしょうか、僕とアスカに」
「できるさ!俺はそれができないばかりにミサトと一度別れた。しかしな、本当はできないんじゃなくて、気付かなかったのさ。相手のすべてを背負い込む必要の無いことを。俺は若かったからそれに気付かずに逃げ出したのさ、ナイトの役目から」
「加持さん・・・」
「僕は君達に同じ過ちを犯して欲しくない。シンジ君、幸せになるんだ、アスカとな」
「はい!ありがとうございます」、シンジは笑顔で答えた。
「じゃあ、また今度な。こいつらが育ったら甘いスイカをご馳走するよ」
「はい、楽しみにしています」、シンジは頭を下げるとアスカへと向うべくエレベーターに向った。
 シンジが視界から消えると加持は一言呟いた。
「達者でな、シンジ君。これが俺が君達に送ることのできる唯一のお祝いだ。かわいい妹のウェディングドレスを見てやれないことが心残りだな」

 加持リョウジはその三日後、副指令拉致騒ぎの後に消息を絶った。そして永久にシンジ達の前の姿を現すことは無かった。


マナ:あんまりシンジに負担かけちゃ駄目じゃない。

アスカ:アタシはそんなつもりないんだけど・・・。

マナ:綾波さんや加持さんまで心配してるし。

アスカ:アイツそういうとこ、真面目だからなぁ。

マナ:ちゃんと、あなたもシンジを支えてあげなくちゃ。

アスカ:わかってるわよ。でも、どうすれば。

マナ:だーいじょうぶ。アスカなら、ちゃんと支えてあげられるってば。

アスカ:そうかしら?

マナ:そうよ。自身を持ってっ。

アスカ:うん。よーし、アタシも頑張らなくちゃ。

マナ:人間って、自分の体重より軽い物はちゃんと持てるようになってんだからっ! だーいじょうぶっ!

アスカ:アンタっ!!!!(ーー#
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