安らかな寝顔
KNIGHT OF A PRINCESS
作者:名無し
CHAPTER NINE:好意のカタチ
ある種類の人間は愛だの好きだのといった言葉を簡単に口に出せる。また別の人間はそういった言葉に幾らかの戸惑いを覚える。渚カヲルは前者に属する性格の持ち主であった。そして彼は(男性ではあったが)碇シンジに明確な愛情を伝えた数少ない人間であった。
「好きってことさ」
昼間シンジにかけられた言葉。そして今までアスカにしか言われたことの無い言葉。それ自体ここ数ヶ月ばかりに起きた出来事でしか無かったが。シンジはカヲルに大きく惹かれていた。といってもそれは恋愛的なものではなく、自分に好意を示す人間への興味でしか無かった。だいいち、シンジの恋愛感情は全てアスカに向けられているのだ。
しかし人間は恋愛だけで生きていけるわけではない。友情関係や師弟関係といった様々な社会的な繋がりを必要とする。もちろんいささか愛情に支配されつつあるシンジも例外ではなかった。カヲルの言葉はシンジに失われた友人達に代わる存在として彼を認識させた。シンジはトウジやケンスケが生きているとは考えていなかった―あれから一度も連絡が無かったしあの爆発を生き残った可能性は酷く低いものだと思われた―から、友人が枯渇していた彼がそう判断するのも無理は無かった。カヲルは大人の雰囲気を漂わせており、これまたシンジに加持リョウジという人生の先輩的な人間の代わりを感じさせた。いわば、渚カヲルはシンジの失われていた人間関係を再構築するためのほぼ完璧な要素であった。もしアスカとシンジが心を繋げることに失敗していたら、愛情という面からも再構築は補強されるはずであった。
シンジにとりもっとも重要なのは目の前のアスカだった。彼女は昼間の出来事以来、シンジから離れようとしない。風呂にまでついていこうとしたほどだった。不安なのだ、彼女は。シンジはそれにどうしようも無い愛おしさを感じたから、アスカを拒むことなどできはしなかった。体を重ねることこそ無かったが、アスカはシンジにしがみつく―そう表現していいほどシンジに甘えた。というよりもシンジに己の不安をぶつけていた。最近ではあの活発さを取り戻しているアスカも、不安になってしまったときは気弱な子猫に戻ってしまう。
シンジはアスカを見た。閉じられた蒼い目。美しく清らかな髪。そしてその中に存在するか弱く、自分と同じような少女。理性が崩れそうになる。シンジはアスカを抱き込むと、寝ている彼女の頬に軽くキスをした。そして眠れなくなる前に寝てしまうことにした。睡魔が襲い掛かり、意識が途切れる寸前にシンジが見たのはアスカの笑顔だった。
「"掃除"は済んだか?」、戦略自衛隊第一種制服を着込んだ男が隣の下士官に訪ねた。
「はい、盗聴器やらなんやら一切がクリアです」、下士官が答える。
戦略自衛隊幕僚長矢矧ソウジ空将は下士官を退室させた。少し歳を取っているが、首都防空隊司令であったときからの活力は失っていないらしい。外見は優しそうな白い髭のおじいさんそのものであったが。
部屋に客が入ってくる。赤いジャケット―ネルフ公用指揮官専用の奴だ。
「葛城ミサト三佐、だったね?」、矢矧は熟年の余裕か階級の差か、少し砕けた口調で声を発した。
「はい、お会いできて光栄です、閣下」、ミサトが見事な敬礼をする。
「ああ、そう硬くならんでくれ」
「はい」
「私は経験的にだらだらとした交渉術は嫌いでね、三佐。単刀直入に申し上げよう」
「助かります」
矢矧はまるで英国紳士であるかのような仕草で立ち上がり、ローマ帝王であるかのような態度で語り始めた。
「戦略自衛隊は本日を持ってネルフの友軍になったと考えてよい。まあ、あくまで君らの行動が市民の自由と安全を保障する限りは」
「軍人の意義ですね」、ミサトが頷く。
矢矧はそれに素早く答えた。
「意義?ああ、まさに意義かもしれない。それが私の中に存在する軍人としての使命感がそうさせたなら。しかしながら三佐、君にはその意義を語る資格は無い」
「おっしゃる意味がよくわかりませんが」、ミサトは顔をしかめた。
「三佐、君の作戦指導を調べさせてもらった。ああ、あくまで合法的に、だが。そして私は結論に達した。君の作戦指導能力は低いものだ」
「!?」、ミサトは驚きを覚えた。何故このような場でこのような発言が出たのか、その真意を判りかねた。同時に戦自の情報収集能力に意識が集中する。
「君の作戦はある意味天才的だ。しかし危険すぎる。なるほど、初期の戦闘は頷ける。しかしそれは偶然と無数の人員の努力によって成功したものであることを忘れてはならない。そして、最近の戦いは酷いものだ。エヴァ一体自爆、パイロット重傷は日常茶飯事。ネルフには参謀や幕僚なんて存在しないのかね?」、矢矧は嫌みったらしく言った。
ミサトは黙っていた。怒りが込み上げてくるが、それを抑える。正直、何故このような話なのかわからなかった。確か目の前の指揮官は人格者であり、東京空襲でも指導力を発揮した人物であったはずだが。
矢矧はミサトの困ったような視線に気付き、笑みを浮かべた。
「葛城三佐、君の言いたいことはわかる。何故今この場でこのような話か、だろう?」
ミサトは押し黙った。感情の無い視線で矢矧を見つめる。
「三佐、私は君を愚弄するためにこのような話をしているわけではない。ネルフとの権力争いを示しているつもりでも」
矢矧は片手をひらひら動かした。
「私はただ人類を滅ばせたくないだけだよ。葛城三佐、君の作戦指導ではそれは達成できない。最近の戦闘を見るととくにそう判断できる」
「私の作戦指導能力に欠陥があると?」
「まさにそうだ。君は有能だがチルドレンに甘えている。エヴァにばかり頼っている」
矢矧は書類を取り出した。
「例えば第一五使徒戦、衛星軌道上の奴だ」
「私は可能な限りのエヴァを投入したつもりでしたが」
「君はエヴァだけが戦力だと思っているのかね?衛星軌道上の敵に対しては砲撃しかない。君は我々の装備するレールガンでは無く、効果が限られているポジトロンライフルを使用したではないか」
「戦自には迎撃が可能であったと?」
「そうではない。あのときエヴァを出す必要性は無かったということだ。ライフルだけ出せばよかったということだ」
ミサトは少なからぬ衝撃を覚えた。事実であったからだ。確かにエヴァに長距離射撃兵器を装備させて出撃させても無駄であった。エヴァはそれらの兵器を迅速に移動させること以外たいしたことはできない。射撃だけならどこかに設置するだけでいいのだから、確かにエヴァを出撃させる必要性は無いのだ。
アスカとシンジの無理な出撃も止めておくべきであった。あの時シンジは使徒の精神攻撃で無意識状態に陥ってしまったからだ。あれがライフルだけであったら被害は無かったであろうし、そのまま反撃は可能であったはずだ。うまくすれば接近した使徒を有効射程にうまく収めることができたであろうことも事実であった。
「わかったようだな」、矢矧は続けた、「葛城三佐。私が知る限りエヴァは子供の操縦するロボット兵器だ。であるからこそ安易に投入することはできない」
矢矧は網一枚、極秘と記された書類を取り出した。ファイルの一枚に、白い人型のロボットが描かれていた。
「エヴァシリーズだ」
ミサトは驚きの表情を浮かべた。ここまでこの司令官の情報網が広がっていたとは。ネルフ内部でさえエヴァの建造情報は極秘であるというのに。
「私が知る限りシリーズは九体いる。そしてネルフはどうあがいても二体。わかるね?これの意味することは」
ミサトは基本的に優秀な軍人であったから矢矧の言いたいことはすぐにわかった。
「ネルフが生き残るためにはエヴァ以外の戦力を活用しなくては駄目であると」
矢矧は満足そうに頷いた。
「そうだ。なかなかできるじゃないか、葛城三佐。戦力比二乗の法則に従えば四対八一の戦力差。それを埋めるのは我々戦略自衛隊だ。しかし君の作戦指導はエヴァに頼りすぎている。僕が君に疑問を覚えるのも無理はないだろう?」
ミサトは頷きつつ思った。つまり矢矧は自分にエヴァだけに頼るな、と言いたいのだ。確かに委員会が抑えているエヴァ九体に対抗するには戦略自衛隊しかない。そしてエヴァに、そしてそれを操縦するチルドレンに戦闘を頼りすぎる自分では来るべきゼーレとの決戦に勝てやしない。自分はエヴァと通常兵器をうまく組み合わせて戦うことを求められているのだ。最近の自分はシンジやアスカの判断やエヴァ自体の戦闘力に頼りすぎていたきらいがある。矢矧はそれを警告したのだ。
「ご指導、ありがたく思います」、ミサトは素直に礼を述べた。確かにこんな話が出なければ自分はますますシンジ(あのカヲルという少年はまだ信用できないし、アスカのシンクロ率は如序に回復してはいるが今だ戦闘は無理である。レイに至っては零号機がない)に戦闘を任せてしまう。それは兵を酷使する―チルドレンに多大な負担を強いることになる。ミサトにはそれを軽減するための指導力が求められているのだ。さもなければシンジは疲れきってしまう。ミサトは今日の言葉を忘れない決意を固めた。歴戦の指揮官から与えられた助言を無視するほど彼女は馬鹿では無かった。
その後は事務的な話が続き、ミサトとの会談は終わった。彼女が出て行った後、矢矧は一息ついた。副官が話しかける。
「随分入れ込むじゃないですか、彼女に」
「わかるかね?」
「私があなたの教育を受けたときはより厳しい言葉を頂きましたが」
「同じなんだ」
「は?」
「東京空襲で死んだ娘の誕生年と」
「ああ、親の愛というやつですか」
「よしてくれ、私にそのような言葉は似合わない。しかし的確な表現ではある」
副官はミサトが出て行ったドアを見つめた。
「才能ありますな、彼女は」
「ああ、それは認める。若すぎるが」
「まさに、若すぎます」
「兵士を指揮するというプレッシャーは少しばかり重過ぎるはずだね。ときには逃げ出したくもなる。兵士にすべて任せてな。だからこそ、このような話をしたのだが」
「屈強な兵士ではなく少年少女ではありますが」
「だからこそより大変だな。しかし敢えて厳しくしなくてはならん。我々は決戦に負けるわけにはいかないのだよ」
「閣下お得意の罵倒教育ですか」
矢矧を肩をすくめながら自嘲的に言った。
「よしてくれ、僕みたいな人間が閣下だなんて。僕は東京一つ守れなかった男だ」
アタシは不安だった。あの銀髪の男―フィフスチルドレンはシンジにやたらとつきまとう。アタシがいなかったらシンジは何されていたことか。アイツが来たらアタシはシンジに甘えた。シンジを守るために。
シンジは優しいから答えてくれる。アタシを抱きしめて、愛していると言ってくれる。アタシも答える。愛しているって。だからフィフスの入り込む隙は無いはず。だけど、シンジは何故だかアイツのことが気になるみたい。
何で?アタシは嫌いなの?そう思うたびにシンジはそれを察してアタシを抱きしめてくれる。キスしてくれる。でもアイツはフィフスのことが気になるみたい。
怖い。シンジが他の誰かを見ているのが怖い。アタシは嫌いなの?アタシじゃダメなの?
シンジはアタシが一番大切だってことはわかる。アタシはそれを疑わない。だけど怖い。だからシンジが離れてしまうと思ってしまう。弱いのだ、アタシの心は。
何でダメなの?アタシだけじゃ足りないの?二人だけでいいじゃない。アタシとシンジだけでいいじゃない。他の何が必要だっていうの?
アタシを見て!アンタじゃなきゃダメなんだから!シンジじゃなきゃ!
アタシを見て!アタシを抱きしめて!アタシを愛してるって言って!
シンジはその全てをやってくれた。それ以上の愛を示してくれた。でも、フィフスを見るのをやめない。
それが友情への飢えだとアタシが気付いたのは、今日ヒカリと久しぶりに再会したときだった。アタシもシンジの気持ちがわかった。だからあの二人が話すことを許した。絶対シンジから離れなかったけど。
でもフィフスは残酷だった。それはフィフスがアタシ達に与えた試練であり好意だと理解したのはずっとずっと後のことだった。フィフスの好意が無ければ世界はもっと酷いところになっていただろうから。アタシもシンジの隣にはいられなかっただろうから。
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