UN NERV 98-5A/2015
CASE OF TOKYO-3 CLASSIFICATION:PURPLE

特務機関NERV機密書類

発:ネルフ保安部第五課RSHA-V
宛:ネルフ司令

 以下はゼーレSEELEにおける不穏な動きに関する応急報告書である。正式かつ分析の整った書類は後日届けられる。

1.ゼーレSEELE実行部隊の活発化
 アメリカ海軍特殊部隊SEALSより分隊規模の雇い入れ
 通信規模の増大

2.ゼーレSEELE上層部の混乱
 ゼーレSEELE本部における短時間のATフィールドの確認と消失
 ゼーレSEELEによるファーストチルドレンの積極的調査
 本部施設のタイムスケジュールの変化

3.分析
 ゼーレSEELE内部で何か重大な事件が発生したと見れる。補完計画に影響ある事件かどうかは不明
 戦闘部隊の増加による正面諜報戦力の増加は何を意味するのか不明である

 本格的な解答は後の正式報告書に記載される。現段階におけるゼーレSELLEの可能行動は不明。

UN NERV 98-5A/2015
CASE OF TOKYO-3 CLASSIFICATION:PURPLE

特務機関NERV機密書類


「作戦指揮は誰が?」
「ゼーレ特務戦隊の浅間少尉だ。東南アジア帰り―二等兵から叩き上げた歴戦の勇士だ」
「ほう。しかし彼は思想的な問題があると」
「大丈夫だ。ゼーレを裏切ったりはせん。彼の妻と子供は我らの手の内にある。それに、牟田口もつける」
「武器弾薬は?」
「ストックしてある」
「見取り図は?」
「確保してある」
「ネルフの警備部門は?」
「奇襲と同時に制圧する。何、対した問題じゃない。学校の警備は薄い」
「ふむ。そしてゼーレはチルドレンを手に入れるわけか」
「大量の候補生と共にな。ネルフの天下は終わりというわけだ」
「栄光あるゼーレとその理想のために」
「悪しき裏切り者であり人類の害悪たるネルフに正義の裁きを」



第三新東京市立第壱中学校事件
THE CASE OF TOKYO-3 LOCAL SCHOOL DISTRICT FIRST JUNIOR HIGH SCHOOL

BY:名無し


 

 第三新東京市は夏だった。一五年前におきた大惨事は、この日本を常夏の国とすることでその影響力を示していた。蝉の鳴き声の絶えない環境は特定の人々には喜ばしいことであったが、季節の移り変わりが無くなったことは大部分の人にとって悲しむべきことだった。
 第三新東京市、その近代的な町並みは活気に溢れていた。直射日光によって焼けるような熱さになったアスファルトの上を、人々が行き交う。その中に、恋愛物語の主人公ともいうべき容姿を誇る少女と、ごく普通な容姿の中に優しげな雰囲気を漂わせた少年がいた。
「あ〜あ、暇ねぇ」、赤髪の白人少女はその蒼い瞳に睡眠不足による疲れを表しながら、ごく普通の中学制服を身に纏い、学校鞄を揺らしながら坂道を登っていた。その後ろには当然と言うべきか、黒髪の少年が同じように眠そうにしながら少女の二三歩後ろを歩いていた。
「暇なのはいいことじゃないか、アスカ」、少年―碇シンジがどこか嬉しそうにしながら相槌を打った。
「使徒がこなくて平和だから―そう言いたいんでしょう?」、少女―惣流アスカ・ラングレーは答えた。そういう時に、ちらりと後ろの気になる男の子を見るのはいつものこと。
「うん」
「覇気が無いわね〜。アンタ、男なんだから使徒ぐらい一気に全部片付けちゃう、っていう発想は無いの?のんびり構えているなんて情けないわね」
「一気に全部使徒が来たら大変だよ」、シンジは多少の不快感を憶えながら、それでも優しく微笑みながら答える。
「そりゃま、そうだけど。あんまり退屈な毎日も疲れるのよね。はぁ〜あ、早くアタシの弐号機で使徒を叩きのめしたいわ〜」、アスカはつまらなさそうに溜息をついた。
 シンジはやれやれ、といった感じでアスカの不満に対応した。それが気に障ったのか、アスカはシンジに振り返って、彼女の持つ代表的なコミュニケーション手段―高飛車な態度と怒鳴り声を発揮させた。
「何よ!アンタ、わかってんの、このアタシの苦しみが。大卒のアタシが毎日退屈で幼稚な授業に出なきゃいけないという、この苦しみが?」
 シンジは目の前まで迫ったアスカの顔に多少頬を赤色に染めつつ―既に彼はアスカの罵声に対する免疫ができていた―いつものように答えることにした。
「いや、その・・・ごめん」
 その言葉に、アスカは再び怒り出す。シンジの態度に一度静まった火山が再び噴火した。
「アンタ、すぐ謝る!そうやって謝れば許してもらえる、傷つかない、そう思ってるでしょう!」
「あ、え・・・ごめん」
「もういい!」、アスカは起こって再び前に向き直る。アスカは心のどこかで自分にだけはシンジの本心を、本当のシンジを見せて欲しいと思っている。だからこそシンジが謝ると、自分に心を隠されているみたいで不快感を憶えていた。もっともアスカ自身、プライド故かその感情を認めず、内罰的なシンジを"教育"している、そういうことで納得している。
「アスカ、待ってよぅ」、背後からシンジの声が聞こえたアスカは、彼が自分を追いかけてきていることを確認した。そして機嫌を取り戻しながら、今日は何を奢らせようか、頭を放課後のことで一杯にしていた。

 時間という概念はシンジ達にとって当たり前のものだった。ただ、彼らはそれが普遍的なものでは無いと、直感的に―より正確には感情的に―感じていた。何故ならば、時間の流れが一定で無いことが明らかだ。なるほど、物理的に見れば時間の流れは一定であり、見事な調和を成し遂げている。だが、碇シンジや他の生徒が同意するように、やはり時間は一定ではなかった。
 午前中の授業、その中で彼らはその証拠を掴んだ。時間の流れというものが彼らにとって意地悪な存在であるという根拠はそこにあった。楽しい休み時間は短く一瞬で終わり、退屈な授業は永久とも思える時間を使う。彼らの大部分は、時計の進み方まで違うと主張した。
 それは多分に主観的に事象―時間の流れを捉えたものであったが、であるからこそ意味があるといえた。少なくとも第壱中学生徒にとって、黒板で説明される落下と時間の関係より、止まったように動きつづける時計の針のほうが大事であったからだ。彼らは退屈していたのだ。おお、願わくばこの小川でさえ勝るような流れを、激流のそれに変えてくれと。
 ただ、彼らは知らなかった。その永遠ともいえる時間の世界のほうが、次に起こる悲劇より遥かにマシな世界であったことに。未来を予測できる人間がいたならば、その人物は時間の流れが遅いことに感謝したであろう。残念なことに、そういう人間にとって時間とは速く流れてしまうものだった。

「ちわーす、ブラックキャット宅急便です」、第三新東京市立第壱中学校の職員室に声が響いた。授業が済んで休んでいた、また次の授業の準備をしている教師達が振り向いた先には馴染みの制服に身を包んだ配達員が二人、大きな箱を抱えて入り口に立っていた。
 すぐに教師の一人が対応を始める。眼鏡をかけ、まるで自分にプレゼントが届いたかのように嬉しそうな態度で二人を出迎える。
「ああ、はいはい、誰充てでしょうか?」
「え〜、はい、第三新東京市立第壱中学校校舎管理部充てです」、ベテランらしい中年の配達員が宛名を教師に見せた。
「ああ、わかりました」、教師は若干の緊張を見せながら彼は案内をした。表向きは清掃業務を担当する校舎管理部とは、ネルフが第壱中学校に持つ警備部だったからだ。チルドレンに余計なストレスを与えずに護衛するには、それなりの体制が必要だった。
 二人の配達員は教師の後に続いていた。教師は箱の中身が気になりだした。何かネルフに関わりのあるものだろう。ならば干渉しないことだな。いや、でも気になるなぁ。教師は自らの探究心と未知なる物への恐怖心の葛藤に業を煮やしながら、校舎の端っこにある部屋のドアをノックした。
 部屋の入り口は簡素なものだった。とくに何も無い。表札に校舎管理部、そう書いてあるだけだった。
「あー、宅急便です」、教師は少し上ずった声を出した。少し手が震えている。
「どうぞ」、中から簡素な返答があった。教師はゆっくりとドアを開け、配達員を中に招き寄せる仕草を見せた。
 二人の配達員は重そうに箱を部屋に運び込むと、受取人の書類を取り出した。
「これに、サインを願います」
「宅配便なんて連絡に無かったが?」、清掃業務員の格好をした三人の男達の一人がペンを取り出しながら呟いた。配達員への態度というより、どこかの組織の仲間に話し掛ける口調だった。
 第三新東京市の保安警備を担当するネルフ保安部は、当然第壱中学校の警備にも携わっていた。それはここの校舎管理部のようなものだけではなく、校門に一見普通の守衛室を設けて出入りを密かに監視する体制を取っていた。当然学校に入るとき、それが教師や生徒以外の人間だった場合、遠隔監視技術により多少のボディチェックを受けている。危険物探知機や金属探知機を使用しているため、対象は校門を通るだけでチェックの存在自体に気付かない。ただし、守衛室からは絶えずここに出入りの連絡が入る。唯一の例外はネルフ諜報員で、彼らは様々な理由から守衛室の連絡を受けることなくこの部屋に直行する。
 清掃業務員―ネルフ保安部員は配達員の突然の訪問を考え始めて、すぐに不審な点に気付いた。教師に案内を頼む、事前連絡無しの訪問、内容不明の宅配便―全てが怪しかった。何を考えていたんだ、俺は。そうだ、こいつらは保安部では無く―。彼は内心で自分の判断が遅すぎたことを呪った。
 三名の清掃業務員が懐に隠していた拳銃を取り出して安全装置を解除し、射撃体勢に移る前に配達員はダンボール箱から二丁の拳銃を取り出した。先に黒い筒が装着されている。サイレンサー付きの拳銃―ここで撃っても誰も気付かない。発砲と同時に室内の鮮血が飛び散る。四発のパシュッ、というサイレンサー独特の銃声が響いたのを聞き、力無く倒れる三人の保安部員を見た、殺人者を案内した教師は、恐怖に駆られて逃げようとした。そして、彼もネルフの三人と同じ運命を辿った。
 配達員は先程まで浮かべていた笑みを消し、制服を脱いだ。下から灰色のシャツを着た男が現れた。中年の配達員は、都市に相応しくないほどの若々しい筋肉に溢れ鍛えられた肉体の上にダンボール箱から取り出した防弾チョッキを被る。
「思ったより、簡単だったな」、髭を生やした相棒―牟田口レンヤが黒色のシャツを見せながら中年の男―浅間アサアキ少尉に話し掛けた。浅間は牟田口を戒めるように言った。
「勘違いしてもらっては困る、同志。彼らは油断していたのだ。本当のネルフはこんな生易しい相手では無い」
「ふん、・・・同志、第一段階成功。第二隊、突入!」、牟田口はトランシーバーに向かってそう叫んだ。
「どのみち後戻りはできん。後でいくらでもネルフの連中を殺してやる」、彼はそう続けた。それに対して、浅間少尉はただ溜息をつくだけだった。

 退屈な授業が終わりに近付き、老教師が彼の貴重であるが聞き飽きた人生体験を再び語り出したことの影響を受けてクラスは騒がしくなった。親友の影響か、最近ではそれを静めるはずのクラス委員であるそばかすの少女もその騒ぎに加わってしまっている。
「ねぇ、シンジ」、アスカは自分のノートパソコンを閉じるとシンジの隣の席に座った。
「どうしたの?」、シンジは馴れた口調で彼女に答える。
「お弁当、オカズ何入れた?」
「え〜と、確か唐揚げをメインにお漬物と・・・」
「え?唐揚げ?油多いのよ!太っちゃうじゃない!」、アスカを声を荒げて、シンジに睨みかかった
「え?だって、この前アスカ唐揚げ最高だって、言ってたよ」、シンジは不満の混じった声で答えた。
「う、うるさいわね!この前はいいの。アタシが言いたいのは、そんなしょっちゅう、太るものを食べさせないで、ってこと!」、アスカはシンジをなお睨む。
「なに言ってんだよ。食後にいつもお菓子を食べてるじゃないか」、シンジは粘り強く反論する。シンジは本来、無抵抗に流れに身を任すタイプの人間であったから、反論はしない。だが、アスカと出会ってからそれは変わった。というよりも、アスカに対してのみ、彼は本気で自分を出す。微笑むべき行動だった。
「そ、それはいいのよ。とにかくアンタはアタシの弁当を作れるという名誉ある仕事についているんだから、アタシの言うこと聞きなさい!」、アスカは自分の意見を押し通す。
 正直、アスカにとって唐揚げがどうのということは関係無かった。事実、唐揚げは彼女の好物であったのだが、彼女にとって問題だったのはどのようにしてシンジとのコミュニケーションを取るかであった。素直に弁当を誉めるのは、彼女のプライドやチルドレンとしてのライバル意識からできなかったから、このような捻くれた愛情欲求を示したのも、仕方がなかった。
「仕方が無いなぁ・・・」、シンジは折れる。ここまで好き勝手言われたならば、『自分で作ればいい』、とでも言いそうなものだが、生憎シンジの選択肢にそれは含まれてなかった。彼はアスカとの交流に(彼女と同じように)ある種の喜びを見出していたし、それを捨てるつもりは無かったからだ。彼のこうした態度が、アスカの(シンジに対してのみ向けられる)我侭を増長させていたことも、また事実であったが。
 これ以上話していると労力・食費等を調和させた弁当計画が崩れそうになる危険があった―つまりアスカの要求がその日のメニューまで及びそうになってきたから、シンジは話題を変えることにした。
「そういえば今日、実験あった?綾波がいないんだ」、シンジは何気なくファーストチルドレンの名を口にした。綾波レイは今日、欠席していた。
「あら、あの子のことが、気になるの?」、アスカは多少の不安を心のどこかで感じつつ、シンジを冷やかした。
「そうじゃないよ。ただ、今日実験あったかな、と思っただけ」
「無いわよ。それに、あったら連絡あるでしょう?」、アスカは携帯電話を指で指しながら言う。
「そうだよね」
「あら、寂しいの?」、アスカは悪戯心以外の何か―本人も自覚していない恋愛感情から冷やかしを始め、シンジは顔を多少赤く染めながら反論する。老教師の声が蝉の音と同質のものと認識された教室は、賑やかさを加速度的に増やしていた。その時だった。

「伏せろ!大人しくしろ!」
 銃声。爆発音。黒い影が教室の横を抜ける。
 突然、短機関銃(一般的な表現で言うならばマシンガン)を構えた黒いスーツを身にまとった男達が突如入り口を突き破って教室に乱入してきた。こちらに銃を構えて何か喚いている。拳銃やら短機関銃が突きつけられる。
 生徒は、何が起きたのかわからない。静けさが、教室を支配した。蝉の声がBGMとなった世界で、全てが静止した。一瞬後、状況を理解した一人の女子生徒が悲鳴を上げた。集団心理が作用し、ほぼ全員がつられて悲鳴を上げる。阿鼻叫喚、そう表現すべき世界となった。
「静かにしろ!死にたいのか!伏せろ!」、拳銃や機関銃を構えた複数の男達がそう叫ぶ。死にたいのか、の部分に反応したのか、クラスに突如静けさが戻る。老教師は状況が未だ理解できず、黙って事態を眺めている。
「いいか、全員大人しくしろ!大人しくしていれば、何もおきない!」
 何が何だかわからなかった。ここは第壱中学校の2−A用教室。今は四時間目、数学だった。そして、目の前にいる黒服の男達。静かにしなければ殺すと彼らは自分達を脅す。ただの中学生―実はチルドレン候補生であったが―の生徒達が、状況に適応できるはずも無かった。だから彼らは示された唯一の行動―大人しくしていることを忠実に実行した。
 中央にいる黒服が大声を出していた。
「チルドレンはいるか!?チルドレンはどこだ!?」

 アスカは教室に悲鳴が上がると同時にシンジを押し倒していた。何が何だかわからなかったが、拳銃を見たときに訓練の成果から体が勝手に動いていた。シンジは、一瞬後に同様の動作を示そうとしたものの、既に彼はアスカによって地面にひれ伏していた。ネルフの訓練は無駄では無かった―少なくともこの時点ではそうだった。
 何か大声で叫んでいる男達を見ながら、阿鼻叫喚と化している教室内でアスカはシンジと共に部屋を密かに出て行こうとした。長年の訓練が編み出したサバイバル技術そのものだった。友人達を残していくのは忍びないが、チルドレンはまずをもって自身の安全を守るべきであると条件反射的に教育されてきた。一般的な戦闘訓練が未だ主なメニューとなっているシンジと違い、アスカは既にそのようなサバイバル技術やチルドレンとしての意識を訓練の途中で得ていたから、彼女のそうした行動は非難できない。いや、むしろ相手の目的がチルドレンであることは明らかだから、他者を巻き込む時間の減少を意味する。
 そうした一連の努力は成功を収めつつあったが、全てはシンジの頭に突きつけられた拳銃で終焉を迎えた。
「サードチルドレン、並びにセカンドチルドレンだな」、冷たい声が背後から響いた。
「一緒に来てもらおう」

 特務機関ネルフ―その発令所で警報が鳴り響いたのは第壱中学校校舎管理部にて虐殺が発生するちょうど一分前だった。第三新東京市に存在する監視施設が、飛来しつつある拘束移動目標を捕捉したのだった。彼らはラッキーだった。探知したレーダーは、つい数日前に導入されたばかりの新型だったからだ。そうでなければ僅かな反応しか示さない低空を音速誓い速度で飛行していた物体を捉えることができなかったからだ。
 臨戦体制に入ったネルフは、迎撃に使える時間の短さを考慮してすぐに地対空ミサイルを兵装ビルより放った。相手が使徒ならば効果はどうせ足止め程度―誰もがそう考えていた。そして、迎撃ミサイルは予想を裏切って目標を撃墜―ATフィールドを確認されぬまま不明目標は殲滅された。目標が使徒では無く国籍不明のVTOLであったことが判明したのは数日後のことだった。
 だが、ネルフの迎撃は無駄では無かった。臨戦体制に伴うチルドレン保護/移送命令によってチルドレンが襲撃されたことが明らかになったし、撃墜したVTOLが逃亡用であったことが、襲撃チームの脱出を困難なものとしたからだった。

「マイティ・ベースよりクロテ。スカイキッドは撃墜された」、通信機からそんな音声が流れた。
「何だと!」、牟田口が悲鳴を上げた。
 襲撃から半時間。校舎には彼らと人質しか残っていない。ほとんどのクラスは解放されたが、チルドレン候補生を大量に抱え込む2−Aだけはその対象外だった。そして、浅間と牟田口達は今職員室にいた。
「落ち着け、同志。まだ陸路がある」、浅間少尉はそうなだめた。遠くから聞こえるサイレンがその希望を打ち砕く。ネルフ様ご到着だ。
「ああ、こりゃあ立て篭もりしか無いな」、彼はそう続けた。
 浅間アサアキ少尉。ゼーレの戦闘特殊部隊―特務戦隊の一員としてセカンドインパクトから戦闘を経験してきた戦闘のプロ。本来、すぐに退役した彼は優しい妻と可愛い娘と共に普通の生活を送っているはずだったが、その愛しい家族がゼーレによって拉致されたことから浅間はゼーレ入りを余儀なくされていた。ゼーレ日本支部は浅間が高校時代の多種目体力テスト―まだセカンドインパクト前だった―で示した潜在的な戦闘能力をそのまま欲したのだった。
 今回の作戦に参加したのもそのためだった。ゼーレはチルドレンを拉致することを考えており、それは彼らにとって必要だった。ゼーレの使徒―第一七使徒ダブリス、渚カヲルが育成中に投薬ミスという不慮の事故により死亡してしまったからだ。それは老人達の最終計画―人類補完計画においてエヴァシリーズを動かすダミープラグが無いということになる。委員会は、その代償として補完計画に必要の無い現役のチルドレン―惣流アスカ・ラングレーをベースにするダミープラグの製造をすることにしたのだった。
 もちろん、ネルフに連絡すればいくらでもチルドレンの情報は手に入る。しかし最近ぎくしゃくしているゼーレとネルフの関係からすれば、それはあまり信頼できる情報源では無かった。ましてやネルフにエヴァシリーズをダミープラグで動かす思惑が悟られては拙い―委員会はそう判断した。そこで過激な第三団体による襲撃に見せかけて惣流アスカ・ラングレーを拉致すればいい、と彼らは考えた。
 計画の立案を任されたゼーレ作戦本部では、入念な情報収集と分析の結果、学校を狙うことにした。ネルフは監視施設があるという理由だけで学校を安全な場所と認識していた―事実、校舎管理部の怠慢という他無い警備もこれに由来していた―、からだ。つまり襲撃は容易、そういう判断だった。
 実行部隊は集められた。現場の最高指揮官は歴戦の浅間少尉。表面上はサポート、実は浅間の監視が任務の無能な組織構成員牟田口レンヤ、そして六人もの特殊部隊隊員達。これが彼らに与えられた兵力の全てだった。あまり大規模な部隊でも目立ちすぎてしまうからだ。浅間自身はもっと兵力を欲したが。
 計画は今朝始まった。前もって隠しておいた装備が入ったダンボール箱を配達トラックで届ける。守衛が油断していることころを、ナイフで一突き。そして、外部チャンネルのカット。そうすることで安全を確保した浅間は、そこで初めてチルドレン確保を命令したのだった。彼らはそのまま校舎管理部―最初は職員室に向かったわけだった。
 計画では惣流アスカ・ラングレーを拉致した後、そのままステルス塗装をしたVTOLに乗り込んで脱出するはずだった。だが、そのVTOLはもう撃墜されてしまったうえに、ネルフ保安部が全力でこの学校を包囲し始めている。
「おい、聞いているのか、浅間少尉?」、牟田口が不機嫌そうに、そして恐怖に怯えながら喚いていた。
「ああ、聞いている」、思考から現実に引き戻された浅間はそのまま黙った。
「どうする?同志」
「とりあえずチルドレンのクラスを人質にして、セカンドチルドレンは手元に置いておく」
「さ、サードは?」
「あれは他のガキと一緒にしておく。合計八名だからな」、本当は七名だ、と浅間は思いながら無能な男である牟田口に答えた。牟田口は明らかに狼狽していた。
「このまま死んだら、お前のせいだ」、彼は感情に任せてそう言い放った。突然浅間の冷静な表情が変化する―そしてすぐ戻る。
「同志牟田口、あなたは恐怖に駆られて何を言っているのかね?今こそ真の人類の偉大なる栄光のために勇気と知恵と力を示す良い機会だと思うが?」、内心の怒りを賢明に隠しつつ浅間はそう言った。
「それとも、同志牟田口はそのような能力が無い敗北主義者であると?」
 その言葉に牟田口は体を引きつらせる。浅間の言葉は組織が自分を切り捨てることを意味するからだ。ゼーレ実行部隊にはスターリン時代の共産主義とさして変わらない雰囲気がある。
「違う。私はこの任務で最大限の能力を示す」
「ならば同志牟田口、少し黙っていてくれ。喋っていてはネルフに何を悟られるかわからん」
 浅間は怒りを含んだ目を牟田口に向け、彼を威嚇した。そして、素早く部下に命令を下す。立て篭もりは最悪の選択肢だが、少なくとも現状ではこれしかない。
 浅間少尉がそう思っていると、セカンドチルドレンが部屋に連れてこられた。素早く態度を改める。ゼーレの人間では無く、過激なテロ組織であると思わせなくてはならない。正義のためにネルフを叩き潰す過激なテロ組織。演技力もゼーレ特務戦隊に必要な要素だった。
「セカンドチルドレンだな」、先程とはまるで違う冷酷な声を出す。
「そうよ!アンタ達わかってんの!ネルフを敵に廻すとロクでもないことになるわよ」、アスカは不安を憶えつつ、それでも高飛車な態度に出る。
「失礼ながら、君は自分の立場がわかってはいないようだ。君は我々の人質なのだよ」
「ハン!ネルフがすぐに来るわ」
「社会の害悪であるネルフなど、どうでも良い。我々は社会のためにこのような正義の行動に出ている。社会は我々の行動を理解し、支持してくれるはずだ」
「自分達のエゴに浸って嬉しい?アンタ達はどうせ死ぬけど」
 浅間は自分の語っている内容、そしてこの任務に唾を吐きつけたいほどの嫌悪感を感じつつ、その任務を成功させるために目の前の少女が黙る必要性を感じた。彼女が喚き散らせばセカンドチルドレンがどこに隔離されているか、ネルフに把握されてしまう。
「少し黙りたまえ。それとも仲間であるサードチルドレンの頭を吹き飛ばされたいかね?」、浅間はあくまで冷酷な態度でアスカを脅した。
 アスカはその言葉に黙ってしまった。そして、浅間を強く睨むと横を向く。
「大人しくしていろ。お前は人質だ。悪辣なるネルフとの交渉用だ」
「・・・シンジには何もしないで」、アスカはただそれだけを呟いた。
「お前が大人しくしていればな」

 シンジは現状を確認していた。自分達は2−Aの教室にいる。皆ロープで手を後ろにして縛られ、教室の後ろに集められている。机と椅子は窓のところに映されており、窓にはカーテンがかけられていて外は見えない。教室には二人の男がサイレンサー付きの拳銃を持ってこちらを監視している。
 先程アスカが連れ去られてから、シンジは耐えようも無い焦りを感じていた。彼女に何がされるのか、何故同じチルドレンでも彼女なのか、わからなかった。自分が連れ去られたほうが、よほど良かったとも思う。怖いが、何故かアスカより自分が危険な目に遭う事のほうが気が楽だった。その感情が、シンジを恐怖から救っていた。アスカのことが心配で、恐怖もあまり感じない。
 周りを見回すと、他の生徒も怖がっている。トウジはヒカリをかばうように座っている。老教師は黙って教卓を見つめていた。他の生徒はお互いを慰めあっていたりしていた。泣きそうになっている子もいる。シンジはそこまで見て、ケンスケに気付いた。
 ケンスケは真剣な表情でテロリスト達の武器を見ていた。シンジは一瞬こんな状況を楽しんでいるのか、と思うがすぐにケンスケの意図が別にあることに気付く。視線に気付いたケンスケがシンジに向かってウインクした。
 シンジはケンスケに近寄った。ある程度の行動が許されていることが幸いだった。もっとも、それはネルフの注意をこのクラスに集め、目的であるアスカの隔離を気付かせないための処置だった。
「何かわかった?」、シンジは小声でケンスケに聞いた。
「いや、ただあいつらの持ってる武器、俺が使おうと思えば使えるってことさ」
「え?」
「シンジも使えるだろう?ネルフの訓練で」
「うん」
「ま、今は無理だね。相手はプロみたいだし、俺達じゃ抵抗すんの無理だね」、ケンスケは何かを含ませた口調でそのまま黙り込んだ。
 シンジは考え込んでしまう。あの武器、僕は使える。つまり、武器さえ奪えばここから脱出して皆を助けられる。ネルフの救出を待たなくてもアスカを助けられる。むしろ、このままあいつらがアスカに何かする前に自分でアスカを助けられる。
 シンジは自分の中の焦りが大きくなるのを感じた。そうだよ、このままだとアスカに何されるかわからない。だったら、自分で・・・
「シンジ、無理するな」、ケンスケが声をかけてきた。
「お前、惣流を助けるつもりだろう、連中の武器奪って」
「え!」、シンジは驚きを隠せずにケンスケに向き直る、「何で僕の考えがわかるの?」
「わかるさ、その表情を見たら。惣流が心配でしょうがない、って顔だぜ」
「う、うん」
「無茶するなよ。あいつらプロだぜ。下手に逆らっても殺されるだけだ」
「だって、このままじゃアスカが」
「そこまでして助けたいか?」、ケンスケが真剣な表情で訪ねてくる。
 シンジは少し考える。下手すると死ぬかもしれない。銃で撃たれて痛みを感じて、捕まって拷問を受けるかもしれない。それは怖かった。だけど、アスカが捕まっている。このままだと何をされるかわからない。ネルフへの見せしめとして殺されるのかもしれない。嫌だ。それは絶対に嫌だ。
「うん。アスカを、助けたい」、シンジは力強く、そうケンスケに言った。
「よし、まかせろ。とりあえずトウジのところに行って作戦会議だ」

「葛城三佐、包囲網は完了です。陸空地下、全て封鎖されています」、ネルフ職員が報告に来た。ここは第壱中学校から一○○メートル離れた場所に設置された臨時対策本部。
「そう、ありがとう」、葛城ミサトはそう答えると再び学校を双眼鏡で睨む。
「あの中にあの子達がいるのね」
「葛城さん、本部より連絡です」、日向がノートパソコンに通信ウィンドウを開く。
「ミサト、様子はどう?」、赤木リツコ博士の顔が映る。
「何も。まだ要求も何もなし。人質取ったという宣言で終わり」
「対策の立てようが無いわね」
「待つしかないわ」
「心配?」
「当たり前よ。家族ですもの」
「・・・ミサト」
「何?」
「いざというときはチルドレン一人失う覚悟でいなさい。私達は感情に流されてチルドレン二人を失うわけにはいかないのよ」
 ミサトは苦渋に満ちた表情を浮かべた。そして、微かに聞き取れる声で言った。
「・・ええ、わかってるわ」

「惣流を助ける?」、トウジが大声を出しそうになる。それはヒカリが彼の口を塞ぐことで何とか未遂に終わる。
「そう。シンジが助けたいってさ」
「おう、まかしとき。いけすかん女やけど、こういう場合は・・」
「トウジ、少し静かにしてくれ」、ケンスケがトウジを軽く睨む。
「せ、せやな」
「シンジ。あいつらは俺達が中学生だと思って油断している。観察してたけど、あいつらの注意は外に向けられてる。ありゃあ、俺達が反抗するよりネルフが攻撃してくること警戒してるよ。当たり前だけど」
「あとはどうやって武器を奪うかだね。こういうときは片方にトイレを願い出て、って奴でしょう?」、シンジが言う。
「うん。さすがネルフの訓練を受けてるな」
「そういうケンスケこそ」
「俺は、ま、趣味みたいなもんだから」
「で、アスカをどうやって助けるの?」、ヒカリが会話に参加した。
「とりあえず俺達の見張りをやっつけなきゃいけない。だから、委員長に頼みたいんだ」
「あたしに?」
「そう。委員長が『トイレに行きたい』って言って、その間に俺達が油断して孤立しているもう一人の武器を奪う」
「そんな簡単に行くの?あたし達中学生でしょう?手は後ろに縛られてるし」
「それは大丈夫」、ケンスケはそう言うとちらりと見張りがカーテンの脇から外を向いていることを確認して、後ろに縛られているはずの手を前に動かす。手にロープなど無かった。
「ほらな」、ケンスケは得意そうに続けた、「あいつらが使ったロープはナイロンじゃないからね。隠し持っていた折りたたみナイフで切ったのさ」
「ケンスケ」、トウジが聞く、「トイレに連れて行かれる委員長はどうすんねん?」
「ああ、それは大丈夫。武器を奪ったら、すぐに助けにいくから。各個撃破って、言ってね。戦力の分散・・・」
「とりあえずは僕達が自由にならなきゃいけない」、シンジが説明し出すケンスケを遮って言った、「アスカを助けるためにも、みんなお願い。僕に力を貸して」
 シンジは頭を下げた。土下座はできない。目立ちすぎてしまう。
「シンジ、頭をあげろよ。俺達はいつもエヴァに乗ったシンジや惣流に助けてもらっているからな」、とケンスケ。
「ああ、まかしとき」、トウジもウインクする。
「そうよ。アスカを早く助けましょう」、ヒカリも答える。
 四人の作戦は、今始まった。

 アスカは、職員室にいた。見張員が自分を絶えず監視している。自分が長く戦闘訓練を受けたパイロットであることを警戒してかもしれない。しかし、アスカは怖くて何もできなかった。絶対的な力を提供するエヴァに乗っている戦いと違い、今アスカは生身で危険にさらされているのだ。恐怖に捕らわれて当たり前だった。
 怖い。怖い。怖い。
 この男達はアタシを捕まえている。アタシは今にも殺されるかもしれない。
 怖い。怖い。怖い。
 何でアタシばかりこんな目にあうの。チルドレンならあと二人もいるじゃない。何でアタシだけなの。
 誰か助けてよ。お願いだから、誰か。
 ママ。加持さん。ミサト。リツコ。お願い。助けて。
 ・・・シンジ・・・・
 シンジぃ・・・助けて・・・

「あの〜すいません」、ヒカリが恐る恐る見張りの男に声をかけた。
「何だ」、男が答える。
「トイレ、行っていいですか?」
「トイレだと?」、見張りが困惑する。彼に与えられた命令はここに人質を集めておけ、ただそれだけだったからだ。本来、人質を取る事は計画に含まれていなかったから、これは仕方がなかった。
「はい」、ヒカリが答える。
 男は迷った。しかし教室で漏らされて臭った部屋で監視を続けるのも嫌だった。
「よし」、男は相棒に振り向き、「おい、連れてってやれ」、と命令した。
「いいんですか?」
「仕方が無いだろう。それにどうせ職員室に人質がいるからネルフも簡単に手を出せないさ」
 相棒は渋々と命令を受けると、そのままヒカリを連れて教室を出て行く。そのときだった。いつのまにか見張員に近寄っていたシンジ、ケンスケ、トウジが一斉に飛び掛ったのは。訓練された男はすぐにサイレンサー付きの拳銃を向けるが、その中にチルドレンがいるかもしれない、と思って躊躇する。何があってもチルドレンだけは殺すな、と命令されていたからだ。そして、見張員がチルドレンを見分けようとする一瞬の隙を突いて三人の中学生は屈強な特殊部隊隊員に飛び掛る。衝撃で拳銃を放してしまう。
 しかし、すぐに見張員は三人を引き離す。所詮14歳の少年三人が屈強な兵士を押さえ込めるほど世の中は甘くはなかった。だが、トウジとケンスケが地面に叩きつけられる間にシンジは壁に寄せられていた椅子を取り上げていた。そのまま後ろを振り向こうとしていた見張員の頭に机を思い切り叩きつける。男はその衝撃に耐え切れず、床に倒れこむ。
 シンジはケンスケとトウジを助け起こすと、そのまま二人に椅子を渡す。シンジ自身も椅子を取る。壊されている教室の引き戸を踏み越え、廊下に出る。忍び足でトイレに向かう。すでに反対側にケンスケが回り込んでいる。彼らは他の見張員が廊下をうろついている可能性は無いと考えていた。シンジは見張員の会話から、テロリスト―敵が職員室と校舎管理部に別れて待機していることを確認していたからだ。そして、それは事実だった。
 ケンスケが廊下の反対側で音を立てる。それに気付いた見張員が拳銃を構えてケンスケの方向に向く。シンジとトウジは飛び出すとそのまま見張り員の頭を椅子で殴った。この男もそのまま気絶する。さすがに中学生の力では殺すことは無理のようだった。もっとも、シンジ達も殺すつもりは無いようだったが。
「ケンスケ、凄いね。全部作戦通りにいったよ」、シンジがケンスケに向かって言う。
「ああ。とりあえず委員長を呼んで来て。あとこいつを教室に運び込もう」

 教室に戻ったシンジ達はあまりの出来事に静まり返っていた生徒達に静かにするよう注意すると、彼らを縛り上げていたロープを切る作業に入った。その間、拳銃を扱ったことのあるシンジとケンスケは見張りをしていた。ヒカリとトウジがロープを切り終えたとき、シンジとケンスケは次の段階に進むことにしていた。
「本当にいいのか、シンジ?このままネルフに後を任せてもいいんだぜ」
「下手をするとアスカがもっと危険になるからね」
「そうか。そうだよな」
 一人の女子生徒がその会話を聞きつけて聞いてくる。
「え?何?碇君、どうするの?」
「アスカを助けにいくんだ」
 教室を驚きが支配する。
「危ないわよ」
「やめなさいよ。ネルフが全部やってくれるわよ」
 シンジの即席ファンらしい女子生徒が次々と文句を言う。シンジは黙ってそれに微笑み返す。ケンスケから拳銃の弾を受け取り、靴紐をしっかり結わきなおす。
「ケンスケ、しばらくここで大人しくしていて。銃声が聞こえたら窓を割って逃げて」
「ああ。とにかく俺達が解放されたことに気付かれないようにするよ。お前も見つかるなよ」
「うん。あとをよろしく」
「まかせとけ。拳銃なら何回か射撃場で撃ったことがあるんだ」
 シンジは顔を引き締めるとそのまま外に向かおうとする。
「駄目よ!碇君」、後ろから声がかけられる。シンジは少し顔をしかめると、そのまま後ろを向く。そこには何人かの女子生徒がいた。シンジはそれを確認すると彼女らに微笑み返す。女子生徒の期待はそこで裏切られた。
あと少しで夕日となる太陽がシンジを僅かにオレンジ色に染めていた。蝉の鳴き声が遠くに聞こえる。教室内から音が消える。蝉と夕日が作り出す夏の情景の中、碇シンジは笑みを浮かべながら力強く言った。
「僕は、好きな女の子を放って置いて逃げるつもりは無いよ」

 アスカは何とか勇気を振り絞っていた。彼女の本質的な部分は酷く弱い少女でしか無かったが、ネルフで得た戦闘力や分析力は彼女の表層的な面を強くする効果を持っていた。先程までの本質的な14歳の少女から、アスカはエヴァのパイロットとしての14歳に戻っていた。
 弱気な態度は捨てる。そして、現状を把握しようとする。シンジの無事をも祈る。脱出計画と犯人グループの分析を始める。そうした意味では、まさにアスカは史上最強の14歳だった。残念なのは、それがほんの一○分しかもたなかったことだ。
 アスカは、目の前にいる男の持つ拳銃を見るたびに恐怖を感じてしまった。それは14歳の少女にとって恐怖を引き起こす種類の道具であったからだ。一般人と違い、射撃経験もあるアスカは、拳銃の持つ凶悪性を充分に理解していたからだ。下手に騒ぐと殺されるかもしれない。それが、本当は酷く臆病で弱いアスカの心を恐怖で縛り上げていた。アスカの勇気とは、酷く限られた状況―エヴァに搭乗しているときと周囲に仲間がいるとき―でしか発揮されない。

 恐怖を感じなかったとしたら、それは嘘になる。碇シンジは確かに恐怖を感じていたし、今にもそれに呑み込まれそうになっていた。だが、シンジはそれに勝る何かによって動かされていた。たまに見かけるアスカの笑顔。それを思い浮かべるたびに勇気が湧き上がってシンジを動かす。それが「好き」だという感情だと気付いたのはつい先程。自分の口から驚くほど滑らかにアスカへの愛情が言えた。こんな状況だからかもしれない。
 シンジは慎重に職員室に近付いていった。中から話し声が聞こえた。会話の内容から、アスカが捕まっていることを確認する。シンジはそのまま建物の脇に隠れる。そのまま拳銃を構えると、天井に向かって一発撃った。

 銃声が聞こえる。ケンスケは合図を下す。窓際に並んだ生徒達がカーテンを退け、一斉に窓を割る。ケンスケはすぐに拳銃を構え、敵に備える。今のでネルフも、敵も気付いたはずだ。自分達が自由の身であることに。そして、ネルフは学校に突入するだろう。ネルフと敵が戦い始める。それはアスカを監視する敵が減ることを意味する。シンジがアスカを救出するのも楽になるわけだ。
 すぐにこのようにしなかったのは、たとえネルフにアスカの危険を語っても、彼らがシンジ救出を最優先にすることが明らかだったからだ。危険を冒してまでアスカとシンジ両方救出するよりも、とりあえずシンジだけを救出すればいいと彼らは考えるはずだからだ。だから、シンジは逆にそれを利用することを考えたのだ。ケンスケもそれに同意していた。自分達の無事を知ると同時に校舎への突入を開始したネルフ保安部が、それを肯定していた。
 さぁて、相田ケンスケ。あとはお前がここに来る敵をどれだけ喰い止められるかが勝負だ。ケンスケは自分にそう言い聞かせると、神経を廊下に集中させた。

 銃声と共に、窓の割れる音がした。
「ガキ共を隔離した教室のほうだ!」、牟田口が叫んだ。
「大変です!ネルフが突入してきました!」、トランシーバーから声が聞こえる。
 浅間はすぐに命令を下す。
「牟田口!セカンドチルドレンの監視を任す!おい、島田、行くぞ!」、浅間はそう命令を下すともう一人の相棒を伴ってそのまま外に向かう。校舎管理部にいる仲間と合流して人質の状態を確かめるためだった。
 そのまま職員室を出る。だが、途中まで来たときにふと思い直す。教室で何かおきたということは、ネルフがチルドレン確保のために窓を割った可能性が強い。つまり、人質ははもう解放されたと考えるのが安全だ。そうか。畜生。狙いは職員室の人質か。

 シンジは職員室から二人の男達が出たのを確認すると、拳銃を構えて部屋に忍び込む。机の影に隠れる。そして、アスカの姿を確認する。手を縛られていて、口にはガムテープが張られている。シンジは感情が高まるのをなんとか抑える。ここで怒りに身を任せても仕方が無い。
 アスカの前には機関銃を構えた男が一人、立っていた。視線はアスカに向けられている。シンジは油断しているその男に拳銃を向ける。そのまま訓練された通りに引き金を引こうとする。だが、指が動かない。
 この引き金を引けばあの男を殺せる。アスカを助けられる。ぐずぐずしてはいられない。だが、引き金が引けない。訓練であれほど撃ったのに。使徒相手の時はいくらでも撃てるのに。何故か、今は撃てなかった。相手は人間だった。血の通う、敵だけど人間なのだ。撃てなかった。人を傷つけることはできなかった。
 男が機関銃を肩にかけ、アスカに近寄る。
「このまま逃げるぞ。浅間少尉には悪いが、私の任務はお前を連れて行くことだ」
 連れて行かれる。このままではアスカがどこかに連れて行かれる。シンジは拳銃を構えなおす。だが、それでも引き金がひけない。椅子で見張員を殴ったときは何も感じなかった。でも、拳銃は違う。当たれば死ぬ、そういう印象があった。撃てなかった。
 シンジが悩んでいると、囁くような声が聞こえる。アスカの声だった。必死に逃げようとしている。ガムテープの下から悲鳴を上げている。
「・・・シンジぃ・・・・助けて・・」
 シンジにはそう聞こえた。途端に脳裏に流れるアスカとの思い出。微笑むアスカ。怒るアスカ。キスしたときのアスカ。恥ずかしそうにするアスカ。自分に甘えるアスカ。我侭いうアスカ。

 シンジは拳銃の引き金を引いた。彼の拳銃が放たれた銃弾は、一瞬にして数メートルをつき進むと、そのまま牟田口の腕に当たった。牟田口は、一瞬何が起きたかわからぬままだったが、痛みを感じるとともに絶叫を上げる。そのまま倒れこむ。
 シンジは急いでアスカに近寄る。シンジの姿を認めたアスカの瞳に、安堵という言葉ではいい表せないほどの安心が感じられる。
 シンジは、ごめん、と言うと、アスカの口を覆っていたガムテープを引き剥がす。
「シン
ジ!」、アスカが嬉しそうな声をあげる。
「大丈夫だよ、アスカ」、シンジはナイフを取り出すとアスカを縛っていた縄を切る。腕が解放されたアスカはシンジに飛びつく。涙をぽろぽろ流しながらシンジ、シンジ、と泣く。シンジはそんなアスカを落ち着かせるように抱きしめる。
「アスカ、今は逃げなきゃ」、シンジが諭すように言うと、アスカも素直に従う。
 
 二人が教室を出ようとした瞬間だった。銃声と共に、シンジの右肩に酷い痛みが走った。
「ガキにしてやられるとはな」、背後から声がかかる。
 倒れこむシンジを支えながらアスカが後ろを振り向くと、そこには油断の無い目つきでシンジ達を見下ろす中年の男―浅間少尉がいた。相棒はそのまま校舎攻防戦に行かせたらしく、彼一人だった。
「シンジ、シンジ!」、アスカはシンジに声をかける。シンジは苦痛に顔を歪めていた。アスカは浅間を無視し、ポケットのハンカチを取り出してシンジの肩にあてる。純白の布は、そのまま鮮血に染まる。だが、それでも血は止まらない。
「セカンドチルドレン、お前は俺と来てもらう。人質だ」、浅間少尉が言った。
「わかったわよ!でもシンジを助けて!」
「傷は浅い。放って置いても死なんよ」、浅間はそのままアスカに拳銃を向けたまま近寄る。アスカはシンジを庇うように体を動かす。シンジは、アスカ、と苦しそうに呻いていた。アスカはシンジを助けるため、素直に捕まるつもりだった。シンジの手を握る。シンジのためなら、どんなに怖くても耐えられそうだった。

 ふん、やるな、このガキ。浅間少尉は素直にそう思った。油断していたとはいえ、この少年は自分を引っ掛けたのだ。賞賛して当然であった。
俺の部下に欲しいぐらいだ、浅間は思った。だが、同時に自分の任務を思い出す。
「時間が無い。別れを許しているほど余裕は無い。来い」、浅間は言った。
 健気さを示す少年少女を引き裂く罪悪感は無かった。彼は任務に忠実な現実的な兵士であったから、そこに愚かな慈愛や優しさを持ち出すつもりは無かった。彼はそのような態度を示して死んだ同僚を何人も知っていた。死んだ人間は全て諜報関係では無く、世界各国の軍隊から集められた優秀な兵士だった。
 馬鹿野郎が。俺達のクソッタレた戦場はまだ人間の理性が残っているお前らの戦場とは違うんだ。死にかけた敵に手を差し出して助けるのは普通の戦場だ。諜報員の戦場でそんなことしたら明日の日は見れない。
 だから、浅間は今目の前にいる少年少女に別れの時間を与えるつもりなど無かった。迅速にことを成す―それこそが生き残る術だからだ。任務とはそのようなものだ。例え自分の行っていることが人間として最低の部類に含まれるものでも。死ぬのはごめんだった。
 浅間がそのような思考を一瞬で済ませたときだった。彼は激痛を腹に感じた。焼けるような熱さと共に、何かが体内から流れ出る感覚。
 畜生、だから諜報の世界は一瞬が命取りになりやがる―それが浅間の最後の思考だった。

 銃声が聞こえる。シンジ達の前に立っていた浅間が突然倒れる。腹のあたりから血が流れ出ていた。叫び声が聞こえる。ネルフ保安部が走ってきた。
「大丈夫か!?」、リーダーらしき男が聞いてくる。
 ネルフ保安部の撃った拳銃弾が、浅間少尉に当たったのだった。
 ネルフ保安部の人間を見たアスカは、しばらく呆然としていた。そして、すぐに自分を取り戻す。
「シンジが!シンジが!」、アスカは叫んだ。緊張の糸が緩み、アスカは少女に戻っていた。彼女の望みは一つ。早くシンジを助けて!!

「それで?犯人は?」、学校解放後、ミサトはモニター越しにリツコに聞く。
「ゼーレみたいね。とくにアスカを狙っていたわしいわ」
「被害は?」
「保安部員四名死亡。突入時に三人負傷。あと、シンジ君が怪我をしたわ」
「命の危険は?」
「無い。後遺症もね。ただの出血よ。心配無いわ」
「名誉の負傷ね」
「アスカが聞いたらどう思うかしら?」
「メロメロなんじゃない?今ごろ」

 その病室は無機的なものだった。そこにある声明を感じさせるものは、少なかった。シンジとアスカは、そんな白い平面で構成された病室にいた。
「シンジ」、アスカはあまり快適そうではないベッドの上で寝ていたシンジと共にいた。
「アンタ、何で来たの?あのまま逃げればよかったじゃない」
 シンジは一瞬照れた笑顔を浮かべると、アスカにしっかりと向いて言った。
「その・・アスカが捕まっていると考えると、逃げることなんか頭に無くて」
「え・・・」
「アスカ、その・・・好きだから。好きな女の子残して逃げるなんて、僕にはできなかったんだ」
 アスカの顔が見事に真っ赤になった。シンジも負けずに赤くなる。そのまま沈黙が病室を支配する。
「シンジ」、アスカが突然言った。シンジはそれに答えるべく、アスカに顔を向ける。そのときだった。シンジの唇に、暖かい何かが触れたのは。目の前にアスカの瞳。鼻をくすぐるいい香り。そして、唇の柔らかい感触。アスカはシンジから離れる。
「あ・・アスカ・・?」
「へ、返事よ、バカシンジ!」
 その光景を見舞いに来たケンスケ・トウジ・ヒカリが目撃し、たまたま監視カメラでシンジ達の様子を確認しようとしたミサトやリツコがテープに録画したのは別の話。以降、少年の傍らに少女が見られるようになったのは微笑むべき結果だった。
 第三新東京市の終わることの無い夏は、続いていた。その暑さに、いちゃつく少年と少女が貢献していたのはこの事件の後だった。


 この作品にはある種の優れた作品を書く小説家への敬意を持って書かれたものである。この小説は優れた作品ではないが、エンターテインメントとしての役割を果たせばと思っている。もっとも、作品は作者の独善的な世界であるが故に、それを楽しめる人間はごく少数であろう。可能ならばできるかぎりの理解と賞賛を期待したい。ただし、同時に批判や嫌悪感も望むものである。


アスカ:このアタシを狙ってくるなんて、許せないわねっ!

マナ:アスカをダミープラグなんかにしようなんて・・・見る目ないのね。

アスカ:アタシをベースにダミーなんて作ったら、エヴァシリーズが強くなりすぎて世界が滅びちゃうわ。

マナ:確かに滅びそうね。極悪過ぎて・・・。

アスカ:アンタねぇっ! シンジが身を呈してアタシを助けてくれたから、僻んでるでしょぉっ!?

マナ:あの状況だもん。シンジなら助けに行くわよ。わたしが捕らえられても助けてくれるもんっ!

アスカ:そうかもね。でも、最後にラブラブにはならないわっ! ちゅーしたんだもんねぇっ。(*^^*)

マナ:助けてくれたご褒美なら、相田くんや鈴原くんにもしなきゃ駄目でしょっ!

アスカ:アタシのご褒美は、シンジにしかないのぉ〜。(*^^*)

マナ:むぅぅぅ。わたしも今度人質に捕られてみようかしら。
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