芦ノ湖の周囲は控えめに表現しても地獄だった。あれほどまでの戦闘力を誇った戦闘車両は半ば壊滅し、それらを動かす兵士の多くは戦死しているか負傷していた。軍事的に考えて部隊の60%が損害を受ければ壊滅とされるから、戦略自衛隊第一師団は文字通り全滅したと考えてよい。そして、そんな絶望的な状況でも彼らは戦っていた。サードインパクトを防ぐため、というのはあくまで上層部の見解だ。末端の兵士は、彼らの家族を、守りたいものを守るために戦っていた。
「大隊長、拙いですね」、朝霧一尉は無線連絡で彼の上官と話していた。彼が率いる戦車もすでに5両に減っている。
『随分控えめな表現だな、それは』、無線から返事がある。
「先程仕留めた一体が限度でしょう、こりゃ。後は無駄な戦力の浪費です」
『だからといって逃げ出すわけにもいくまい。俺達が逃げりゃあ、残ったネルフは壊滅だ』
「ネルフの木偶人形はまだ来ないんですかね」
『来るさ。それまで俺達が戦うしかない。知ってるか?あれを動かしてるのは年端もいかぬ子供だ』
「畜生。こりゃあ逃げる理由が無くなっちまいました。朝霧中隊、抗戦を継続します。オワリ」
『死ぬなよ、朝霧』


安らかな寝顔
KNIGHT OF A PRINCESS
作者:名無し

CHAPTER SIXTEEN:二人の戦い


 戦略自衛隊の戦闘は無駄では無かった。彼らは最初のミサイル攻撃で、エヴァシリーズのコアを確認し、レールガンでそのコアを粉砕した。彼らのこれまでの対使徒戦を考えれば、エヴァ量産機を合計五体潰せたのは素晴らしい戦果だった。最初のレールガン射撃で四体、残った高速ミサイルとレールガンでさらに一体。だが、それが限度だった。戦略自衛隊第一師団は、その戦力の大半と引き換えに戦果を挙げたがそれが限界だったのだ。もはや足止めにもならない戦車とVTOL攻撃機しか残っていない戦自に、量産機四体を食い止める手段は無かった。彼らが行ったのは絶望的な抵抗―ネルフがエヴァを発進させるまでの時間稼ぎだった。
「シンジ君、アスカ、いい?」、ミサトは通信回線で射出ゲートに向かうエヴァにコンタクトを取った。
「戦自の奮闘で目標九体のうち五体は倒したわ。けど、もう彼らに戦う力は無い。後はあなた達よ。好きなように戦って。かつてのユニゾンを思い出して。私は残った兵装ビルと戦自の部隊で火力支援を行うから。いい?好きなように戦いなさい。これまでの経験なら、あなた達はそれで充分なはずよ」
 シンジとアスカはその言葉を聞いて安心した。最近の戦闘は確かに自分達任せだった。矢矧司令にも言われたことだ。だが、だからといって細かい作戦指揮を与えるのも間違いだ。上層部が細かい命令を伝えることの愚かしさは歴史が証明している。つまり、最良の手段はシンジ達に気兼ねなく、本当に自由に戦わせることだった。そして、自分はそれを実現させるために残った兵力で彼らのサポートを全面的に行う。彼らが後ろを気にせず自由に戦えるために。
「シンジ君、アスカ。他に気にすることはないわ。目の前の敵を倒して、それだけ。背後は安全よん♪」
 シンジ達はそれに頷く。
「射出と同時に最終安全装置を解除。エヴァンゲリオン、リフトオフ!」

「中隊長、こりゃいよいよ駄目です」、戦車兵が朝霧に語りかける。目の前には白い悪魔―エヴァンゲリオン量産機。彼の戦車は効果の無い射撃を続けていた。全てATフィールドによって弾かれる。
「中隊の残りを撤退させる。・・・わかるね?」、苦渋というより笑顔で朝霧は言った。
「ええ、わかっています、中隊長。俺達が残れば数十人は助かります」
「君達も逃げるか?やろうと思えば、コイツは一人で戦える戦車だからな」
「俺達は尊敬できる上官を見捨てるほど臆病じゃないですよ」
「バカだな、君達は」
「ええ、バカで物好きですよ」
「違い無い」、朝霧は笑う。今死に接している戦車の中に、笑い声が響いた。量産機はすぐそこまでに迫っていた。もう、逃げても無駄であろう。量産機―正確にはダミープラグの残虐性はこれまでの戦闘で証明されている。その量産機が、腕を振り下ろそうとした、まさにその瞬間だった。
 量産機が別の巨大な物体に体当たりを喰らった。エヴァンゲリオン初号機と弐号機が、地上に射出されたのだった。

「うぉおおおおおお!」、叫び声がエントリープラグ内に響いた。シンジはあらん限りの力をこめて目の前の量産機に体当たりをかける。衝撃がプラグ内に走り、激突したことがわかる。シンジは急いでエヴァの肩からプログナイフを取り出すと、それを量産機に叩き込む。量産機の出血がエヴァを汚す。アスカは、復活したシンクロ率を誇るかのように他の量産機を攻撃している。残った二体の量産機は、戦自の最後の力と兵装ビルの火力によって足止めされていた。ミサトのサポートは完璧だった。
 シンジは自分の前にいる量産機のコアを見つける。プログナイフによって切り裂かれた胸部から、毒々しく赤いS2機関が見える。そこにプログナイフを差し込む。第四使徒のときと同じ感触が手に入る。そして、量産機の活動が止まる。
 シンジはそれを確認すると、弐号機のほうに振り向く。初号機の動作は綺麗だ。シンクロ率は高いレヴェルで維持されているようだ。アスカと弐号機もそれは同様らしく、迫り来るエヴァ相手にシンジより優雅な動作で戦っている。
 シンジはS2機関の提供する圧倒的な力を受けつつ、初号機を弐号機のもとへと走らせる。「アスカ、後ろ!」
 シンジはそう叫ぶと、弐号機の後ろに迫っていた別の量産機にプログナイフを叩きこむ。すでに一度酷使されたナイフはそのまま砕け散る。シンジは素早く体制を立て直すと、いまだ格闘技術には難点のあるダミープラグが対応できないような格闘術で量産機の首を絞める。シンジは己の訓練で培った経験、体力、そして格闘技術で量産機の首をへし折る。そのまま流し目で弐号機の無事を確認しつつ量産機の胸部に手をつっこませた。血しぶきと共に量産機のコアが顕わになる。シンジはそれをあらん限りの力で殴りつける。
 しかし量産機も自らの生命の危険を感じると、抵抗を強める。首の骨がへし折れても、動けるようだった。シンジは必死で初号機を動かし、量産機のコアを叩き潰す。破片が芦ノ湖に落下する。
 シンジは弐号機のほうに振り向いた。そして、驚きの事実を目の当たりにする。そこにはアスカの弐号機が破壊した三体目の量産機と、弐号機手足を食いちぎろうとする最後の量産機がいた。
「アスカぁ!!」、シンジは叫びながらその量産機に向かう。どうやら三体目にトドメを刺したばかりの弐号機の隙を狙って弐号機に強力な打撃を喰らわせたようだった。そのせいで弐号機は動かないようだった。四体目の量産機は向かってくる初号機の姿を確認すると、空中に浮かび上がった―弐号機と共に。
「シンジぃいい、痛い、痛いの!」、通信ウィンドウを介してアスカが苦痛の表情がわかる。
「畜生!降りて来い!」、シンジは怒りの声をあげて上空を見た。そこには弐号機の肢体を食いちぎろうとする量産機がいる。シンジは落ちていた量産機専用の武器である両刃刀を持ち上げる。だが、量産機はそれを見越したかのように弐号機を自分の体の前に動かす。知恵をつけていた。
「くそぉおおおお!」、シンジは怒る。

「どうにかできない?」、ミサトは慌ててオペレーターに聞く、「使える戦力、ないの?」
「ありません。先程の足止めで使い切りました。戦闘可能な車両は弾薬がありません」、日向が現実を報告した。
 ミサトが絶望しかけたその時だった。
「月周回衛星より振動を探知!」、伊吹が叫んだ、「ロンギヌスの槍です!地球に接近中!!」

 シンジは初号機の力がさらに高まっていくのを感じた。そして、心はますます目の前の量産機への憎しみで覆われていった。アスカの悲鳴が通信ウィンドウでわかる。
 畜生。畜生。畜生。ちくしょおおおお!
 初号機が覚醒した。発光する黄金色の羽を広げ、月から飛んできたロンギヌスの槍を手にする。初号機の目がどす黒く、鈍く光る。それはまるでルシファーのようだった。シンジの中で、どうしようも無い憎しみが量産機に向けられる。
 シンジは己の心が焼かれ始めるのを感じた。彼は支配されようとしていた。S2機関、ロンギヌスの槍、そしてエヴァンゲリオンという神なるものの持つ力に。

 ゼーレはモニターでその様子を確認していた。
「サードチルドレンの心は現世界への憎しみに支配される」
「さすれば補完された世界を望む」
「我らの計画、この日のために」
「おお、人類に新たな道を導きたまえ」
「我ら人類に福音をもたらす真の姿に」
「等しき死と祈りをもって、人々を真の姿に」
「それは魂の安らぎでもある」

 アスカは苦痛に苦しんでいた。だが、そんな中でもシンジの顔を通信ウィンドウで見る。彼女にとって大切な誰かの安全を確認せずにいられないからだ。そして、驚く。そこには優しさに満ちた少年ではなく、憎悪に駆り立てられた少年がいた。
 いけない、とアスカは思った。このままでは、シンジは憎しみに支配されてしまう。自分が死んだら、彼は世の中に絶望する。そして、ゼーレの望む補完計画が発動してしまう。いけない、このままではいけない。シンジ、だめ。憎しみに支配されちゃ、だめ。
 アスカは大切な少年の力となるべく、無理して表情を和らげる。そして、シンジに向かって言った。
「シンジ、大好きよ」

 シンジは我に返った。そうだ、ここでこのまま見ているだけじゃだめだ。アスカの安らかな寝顔を守るのは僕だ。アスカの笑顔を守るのは、僕だ。そうだ、アスカは僕が守る。
・・・そう、よかったわね・・・
「・・え?」、シンジはふと辺りを見回す。当然だが、プラグ内には誰もいない。
(そうか・・母さんか)
 シンジは頷く。
「母さん、お願い。アスカのために、力を貸して」
 初号機はそれに答えるかのように、ふわり、と浮かび上がった。
 シンジは感じていた。これが母なる力。守ろうとする慈愛の力。アスカへの想い。自分達を今日この場に導いてくれた人々の想い。アスカと自分の想い。母さんの想い。全てが憎しみを消してくれる。アスカを助ける、ただそれだけがシンジの心を支配していた。
 戦いは、一瞬で終わった。一瞬で量産機の脇に浮かび上がった初号機は、ロンギヌスの槍を力一杯投げた。槍はそのまま量産機だけを貫通、地球軌道を振り切って宇宙の彼方に向かった。量産機はそのまま崩れ去り、あちこち出血していた弐号機を離す。シンジはそのタイミングを見逃さずに弐号機を受け止める。
「シンジぃ・・・」、アスカが弱々しくシンジに微笑みかける。
「アスカ・・・大丈夫?怪我はない?」、シンジは慌てふためいてアスカに聞く。
「大丈夫・・・怪我はないわ。フィードバックで痛いだけ」、アスカは言った。だが、その表情は楽なものでは無い。プラグ内部にも亀裂が入っているのがわかる。
 シンジは初号機を地面に降ろすと、そのままエントリープラグを排出。弐号機のそれにも同様のことをして、シンジは熱くなっているプラグの緊急脱出口を開いた。肉が焦げる臭いと共に激痛が手に走るが、それを気にしない。シンジはようやくのことで開けたプラグ内に飛び込む。
「アスカ!」
 そこには、横たわるアスカがいた。目を閉じている。シンジは一瞬、動きを止めてしまう。
「ア・・アスカ?」、先程までとは打って変わってシンジは弱々しく聞く。
「アスカ?アスカ?」、今度は力強く。
「・・シンジ?」、返事があった。アスカが、微かに目を開けてシンジを見る。
「アスカぁああ!」、シンジはアスカに抱きついた。愛しい彼女に。アスカも、また同様の動作を示す。
「シンジ!シンジ!」
「アスカ!アスカ!」
 無事で良かった、二人はそう思った。終わったのだ。全てが。

 発令所では歓声が飛び交っていた。長き戦いは平和の日々へと繋がった。戦闘は終結し、何もかもが平和になる。オペレーター三人組は手を取り合って勝利を喜び、ミサトとリツコは黙って笑みを浮かべていた。冬月もまた、密かに力強い笑みを浮かべていた。
 MAGIによるターミナルドグマでの警報が発せられたのは、そんなときだった。素早くオペレーターが報告する。
「セントラルドグマより急速接近中の物体。パターン青!」
「使徒!?」、ミサトが聞き返す。
「いえ、これは・・ヒトです!人間です!」

 シンジがアスカをプラグ内からいわゆるお姫様抱っこで抱え出すと、初号機に動きがあった。無人のはずの初号機が、何故か動き出したのだ。そして、それに続く地面の唸り。そのままピラミッド型のネルフ本部を突き破って巨大な白い人間が出てきた。
「あれは・・綾波!?」、シンジが驚く。それはまさしく巨大な綾波レイだった。
 そして、掌には碇ゲンドウがいた。
「父さん!」、シンジは再び驚きの声を上げた。巨大なレイは、初号機に近寄り、そこで止まる。しばらくすると、初号機はレイと融合し始めた。紫と城が一つの物体を形成していく。出来上がったのは人間に近い姿の物―まさしくエヴァの素体だった。
 エヴァの素体―初号機が止まり、そのままシンジとアスカに振り向いた。
(シンジ・・・大きくなったわね)、女性の声―レイに似た声が聞こえる。
 シンジはその言葉に反応した。そう、どこかで聞いた声。懐かしく、どこか優しげな声。ああ、そうか、母さんじゃないか。母さんの声だ。
「母さん、母さんなの?」、シンジが聞く。アスカは傍らでシンジの手を握る。
(その通りよ、シンジ)
 推測は肯定された。今、目の前にいる巨大な人造人間―これまで自分の愛機として使ってきた―愛機はやはり母さんだった。もっとも、それがこのように話し掛けるとは、思ってもみなかったが。それは息子と最後の別れを覚悟したユイが、我慢できずに発した意識だった。
「母さん!何がおきてるの?」
(終わらせるの、全部。エヴァやアダム、そしてリリスが残っている限り再び人類は愚かな理想の実現を見せるわ。こんなもの、地球にはいらないのよ)
「えっ・・じゃあ、母さんは!?」
(ええ・・・このまま宇宙に。地球と離れて)
「そんな・・やっと、やっと会えたのに」
(寂しくないわ・・シンジ、あなたにはアスカちゃんが。私にはゲンドウさんとレイがいるから)
「え?」
(シンジ・・・すまなかったな)、ゲンドウの声がした。
(私はこれからユイと共にエヴァの中で生きる。神の力の番人として)
(碇君、弐号機パイロット・・・今までありがとう。そして、さようなら)、レイの声も聞こえる。
「待ってよ!何がどうなってるんだよ!」
(さようなら、シンジ。私達はもう、地球上にはいられないわ)
「母さん!父さん!綾波!」
(さようなら)
 初号機は、そのままゆっくりと浮かび上がった。そして、十分高度を稼ぐと、そのまま星空に消えていった。後には、呆気にとられたシンジとアスカ、そして残った人類が残されていた。全ては、終わったのだった。

「いいのですか、あなた」
「ああ、全てはシンジが考えることだ」
「あの子も、自分で考え、自分で決断する年なのね」
「それに、碇君にはアスカがいますから」
「そうね、そうよね」


マナ:勝ったっ! 勝ったのねっ!

アスカ:途中、アタシ。かなり危なかったけど。

マナ:結果良ければ全て良しよっ。

アスカ:最後は、シンジが頑張ってくれたわね。

マナ:ただ、その後が・・・シンジ大丈夫かしら?

アスカ:まさか、碇司令までいなくなるなんてねぇ。

マナ:こんなことを碇司令が考えていたなんて、知らなかったわ。

アスカ:シンジが傷つかなければいいけど。

マナ:シンジなら、碇司令が考えてたことわかるわよ。きっと。
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