SEELE RESEARCH COMMITTEE R23-A201
CLASSIFICATION: OC-26B

第二次新組織<ゲヒルン>設立事前調査報告書

 調査委員会の分析により、補完委員会からの要請のあった碇ゲンドウ及び碇ユイの新組織における役割をどの段階に留めるべきか、その分析結果を記す。

1)碇ゲンドウ
―この男の危険性は明らかである。彼は後述する碇ユイの意思を強く尊重するため、必ずしも委員会の意向に従う確証は無い。能力は組織において間違いなく必要ではあるのだが、計画の遂行においては障害となる可能性が高い。新組織における副所長、もしくは部長クラスに留めるのが最善と思われる。

2)碇ユイ
―我がゼーレにとって最も危険と思える女性。碇家の政治力・経済力は我がゼーレ幹部に及ばないが、碇家の持つ紀元前からのエヴァとの深い関係(これについては別紙を参照すべし)を考えるに、やはりゼーレにとって危険と可能性を併せ持った存在と捉えることができる。彼女の考えるエヴァの計画は委員会の補完計画と食い違うため、酷く扱いが難しい。
 ただし一部委員が主張するようにエヴァに取り込ませる手段は危険である。碇ゲンドウの行動、そしてエヴァという力を手に入れたユイの存在は厄介である。やはり彼女も監視付きで<ゲヒルン>における部長クラスの役職が有効と思われる。

3)代員
―<ゲヒルン>中枢はあくまで委員会の下に置くべきである。従って委員会の構成メンバーを所長とすべきである。なお、各支部長クラスも委員会の管理に置いたほうが計画の遂行に役立つ。

 以上が我々の下した結論である。チルドレン候補の選抜(碇夫妻及び惣流夫妻の子供は信頼度から除外すべきである)を早急に行うべし。

―ゼーレ特務調査資料部

SEELE RESEARCH COMMITTEE R23-A201
CLASSIFICATION: OC-26B


御所The Epistles 600万ヒット記念贈呈作品
ごく普通の幸せ

ANOTHER POSSIBILITY

名無し


 かつて温泉地として賑わった箱根は、もう無かった。確かにそこに人は住んでいたし昔ながらの温泉も存在したのが、箱根は箱根では無くなっていた。盆地にはセカンドインパクトのために世界でも珍しくなってしまった超高層ビルが数多く建っていた。全てここ一○年に建築されたものばかりだ。建設自体、まだ続いていた。温泉街であった箱根は、産業機械と建築資材で高層ビルの林立する第三新東京市に生まれ変わっていた。
 暑苦しい夏―第三新東京市を支配していた季節はここ一五年間それだけだった。であるから第三新東京市に見られる風景はここ一五年間変化していない。街は変わっても、それを囲む山脈が誇る美しい自然は変化することなく緑色の樹木に支配されていたのだ。
 それを疑問に思わない最初の世代は、もう十代も半ばだった。中学生達は夏を除く季節を感じたことも見たことも無いのだった。彼らにとっての季節とは夏であり、それ以外の季節は知らなくていい他の情報と一緒に記憶の片隅に追いやられていた。その世代の中に含まれる一人の少年は、その珍しい例外だった。彼は冬をドイツで経験したことがあったのだ。
 少年は黒髪をなびかせつつ、朝の街で自転車を走らせていた。ハンドルの前に付いている籠には鞄が二つ収まっていた。片方の持ち主は自転車を漕いでいる彼であり、もう片方は澄ました表情で後ろに乗っている少女の物だった。少年は後席を増設された自転車―少女は強引にそう決定したのだった―を漕ぎながら、後席に振り返った。
 自転車の席に横に座っていた―外向きには可憐な少女というイメージを彼女は自らの目標としていた―少女は少年の視線に気付き、閉じていた口を開く。
「アンタ、ちゃんと前見てなさい!」、大部分の人が美貌に裏切られたような感想を抱く口調と態度で少女は少年に怒鳴った。
「はいはい」、少年はそのように馴れた返事すると再び前を確認しながら少女に尋ねた。
「ねぇ、アスカ」、少年―碇シンジは少女―惣流アスカ・ラングレーに訪ねた、「今日のお弁当、どう?」
「あら、見なかったの?」、アスカはシンジにそう聞き返した。少し喜んでいるみたいだった。シンジが肯定の言葉と共に頷いたのを確認すると、アスカは話題が毎朝一生懸命作っている弁当であることに喜びを感じつつ答えた。
「お昼休みまで秘密よ、シンジ」
「ええ〜」、シンジは微笑みながら不満を述べた、「今教えてくれたって、いいじゃないか」
「なぁに?そんなに今日のお弁当が気になるの?」
「うん、気になる」、シンジは坂に差し掛かった自転車の上で漕ぐ力を強めながら言った、「アスカの作ったお弁当、皆の前で広げるの結構勇気いるんだよ」
 アスカはその言葉の示唆する今日の昼休みにおける状況に落胆を憶えつつ、その推測をシンジに確認することにした。
「今日は鈴原達と食べるの?」
「うん、ケンスケが久しぶりに新横須賀から帰ってくるからね」
 アスカは落胆した。やはり今日はシンジと一緒に食べられそうに無い。シンジの親友である鈴原トウジとアスカは犬猿の仲であり、アスカは彼らと並んで弁当を広げることはあまりしなかった。もっとも、それは思春期の少女特有の恥ずかしさが影響しているのかもしれない。彼女はシンジに友情以外の甘い何かを抱いていた。
 そんなアスカが唯一落胆せずに済むのは、毎朝シンジのためにと作る弁当だった。お弁当にはユイの協力を得てシンジもしぶしぶ納得したある仕掛けがしてあるのだった。シンジには"虫除け"と説明されているそれは、アスカの意地らしい想いを支援することにした惣流キョウコ・ツェッペリンと碇ユイの陰謀でもあった。
「はぁ〜、母さん達もなんで僕に"虫除け"なんて必要だと思うんだろう」、シンジは溜息をついた。
「さぁね。母親特有の保護意識って奴じゃないの?」
「でもさぁ、友達から見れば愛妻弁当だよ、これ」
「仕方が無いじゃないの。それとも、アンタ今日から弁当いらない?」
「いや、もちろんいります、はい」、シンジは慌てて答えた。
 ユイ達がシンジに与えた"虫除け"とは、アスカの"愛妻弁当"であった。ただの弁当では無い。毎日ではないが、蓋を開けるとご飯の部分にハートマークが描かれていることがあるのだ。それは自分の感情に素直になれない少年少女にとって嬉しさと恥ずかしさの両方を含んだ甘いスパイスだった。
 ユイ達はシンジにこの弁当を定期的にクラスに公開させることでアスカとの既成事実を作り上げてしまうと考えていた。アスカに言わせれば英断とも言うべきこの指示は、当初はシンジの強い抵抗に直面した。ただでさえ学校でからかわれているのだ。シンジはアスカに対して恋愛感情を抱いてはいたが、一四歳の少年にとってハートマークの弁当は辛すぎた。だが何としてでも娘と息子をくっつけたい母親達が示したもう一つの選択肢―自費で昼飯を購入する―は金銭的な理由からシンジに選択されることは無かった。
 結果、表向きの理由は変な虫がつかないためにと―真の目的も似たようなものだが―されたユイ達の"愛妻弁当"計画は実行に移されたのだ。シンジは自分がもてるという意識が無かった―それは事実だった―ため、母さん達こんなに過保護だったかなぁ、と首を傾げつつも結局は大人しく従うのだった。
「で今日は"虫除け"はあるの?」、シンジは再び聞いた。
「ふふふ、それは見てのお楽しみ」、アスカは嬉しそうに答えた。お昼は共にできないようだが、ハートマークが再び騒ぎの中心になることを想像すると機嫌はよくなる。今日のお弁当はいつもの倍の"虫除け"で構成されているからだ。既成事実は着々と作られつつあった。
 ふふふふ、バカシンジ。アンタ、今日のお昼は大変よぉ〜。

 シンジとアスカがマンションに帰り着いたのは、愛妻弁当も空になった午後のことだった。シンジは帰り道、黙り込んでいた。昼間の"愛妻弁当"によってからかいの種にされたことだけが理由では無い。陽が傾きかけた微妙な時間帯が、二人の間に微妙な雰囲気を形成していたからだ。
「じゃあ、アスカ、後でね」、シンジはアスカの家の前で言った。
「うん」、返事したアスカはそのまま自分の家に入っていく。それを確認したシンジはすぐ隣にある自分の家の鍵にキーカードを差込み、スライドドアが開くのを確認して家に上がる。
 シンジは靴を脱ぐと、そのままドアを閉めてリビングに向かう。コンフォートマンション独特の設計である、ダイニングに繋がっている廊下を進んで生活空間に入る。辺りを確認するが、やはり誰もいない。母ユイも父ゲンドウも忙しい身分らしく、帰りはいつも遅かった。ネルフとかいう組織に務めているらしいが、シンジはあまり詳しくは知らない。親があまり話したがらないからだ。
 シンジはリビングに鞄を置き、アスカが来るまでに紅茶の準備を整えておくべく準備を開始した。部屋に戻って着替えていては、アスカが来るまでにお茶の準備はできていない。シンジはこれまでのアスカとの付き合いから、それがあまり好ましい結末にならないことをよく理解していた。そのため彼には自らの着替えを後回しにしてもアスカの紅茶を用意する習慣が身についていた。少なくとも紅茶を飲んでいる間は―着替える時間を稼いだ分だけは、アスカは大人しいからだ。

 シンジがアスカと初めて出会ったのは一○年以上前だった。シンジは今でもその出会いを鮮明に覚えていた。少なくとも三歳の少年にとって見知らぬ女の子からいきなり引っ叩かれるのは忘れようとしても忘れられるものでは無い。もちろん、そこに風のいたずらでパンツを見られた幼いアスカがシンジに対して請求した代金であることも、彼は納得しなかった。だが、シンジは当時からアスカの尻に引かれていた。そしてそれは確実に現在の碇シンジにも影響していた。
 アスカはドイツからシンジの家の隣に引っ越してきた女の子だった。両親の仕事が同じだったため、付き合いも深くなり、いつしか今のように一つの家族みたいな感じになっていた。その中でシンジとアスカは幼馴染としていつも一緒であった。
 それはアスカがドイツに旅行に出かけたときも同じだった。そのときシンジはアスカと共に冬のドイツを訪れたのだった。シンジにとって、それはとても印象に残る出来事だった。夏の日本を離れ、冬のドイツに来ることは。その時―小学六年の夏だった―シンジは初めて思ったのだった。故郷に帰り、嬉しそうに楽しそうに日々を過ごすアスカを見て、可愛いなぁ、と。そして、シンジの甘く切ない想いは始まったのだ。
 反対に、アスカがシンジを恋愛対象と捉えたのは中学に入ってからだった。それまで担任の大人の男性教師に一種の憧れを見せていたアスカが、ある日シンジに告白する女の子を目撃したのだった。

 それは中学一年の夏であった。情景は一年中聞こえる蝉の鳴き声を背景に、陽が傾いた放課後の微妙な雰囲気によって完成した。
 アスカはその日、たまたま週番で帰りが遅かった。であるから彼女が未だ校舎に残っているシンジを見つけたときは、自分を待っていたのかと思ったのだった。そこにはアスカが未だに認識していなかったシンジへの恋心が提供する喜びも含まれていた。だが、その期待は見事に裏切られた。
 シンジは黙って屋上で立っていた。アスカが声をかけようとしたその時、彼女は屋上のドアの背後から誰かの足音を聞き取っていた。何故とっさに身を隠したのかは、彼女にも理解できなかった。だが、そうすることでアスカはシンジが自らの管理する範囲を出てしまったことを感じ取っていた。
 現れたのは、同級生であり知り合いでもある少女だった。これまでシンジやアスカのグループにも交流があった、クラスでも可愛い部類に入る女の子でもあった。その子は、シンジに近寄り、言葉を交わしていた。アスカはそれを良く聞き取れず、こっそりと近寄った。そんな時だった。
「私、碇君のこと好きです」、その子の言葉が聞こえた。告白だった。相手は自分の幼馴染である碇シンジ。これは、アスカにとって酷くショッキングだった。まるで自分を置いてシンジが成長していくみたいだった。
 シンジは結局交際の申し込みを断った。他に好きな子がいるというのが理由だった。それは、アスカにさらなるショックをもたらした。自分の知っている範囲にいるはずであるシンジが、遠くに行ってしまったようだったからだ。
 告白はそれっきりだった。シンジがさらなる告白を受けることは無かったし、女の子達から憧れの視線を受けることも無かった。だがそれはアスカにシンジへの認識を改めさせ、甘く切ない関係を始める切っ掛けとなった。

 シンジ達は知らないが、そんな二人の甘い関係を作り上げる切っ掛けになった両親は、ゼーレのエヴァ製造計画における開発段階からの関係者だった。組織内部の権力闘争に巻き込まれていなければ、今ごろ母親はエヴァに取り込まれ、父親達は妻を失った悲しみから子供の育児を放棄していただろう。だが開発スタッフとしての地位以外を剥奪された四人は、日本におけるE計画の開発責任者としてネルフに勤務する人生を歩んだ。ゼーレは碇や惣流の人間では無い人間をエヴァのコアとして使用していたから、碇夫妻や惣流夫妻に残されたネルフにおける力は(ゼーレの人間であるネルフ司令と比べれば)微々たるものだったが。
 ネルフに残った両親は、エヴァを早期に戦力化させるために、帰りも当然遅くなった。そのためシンジとアスカは小学校以後、放課後は常にどちらかの家で一緒に過ごすことにしていた。両親の帰りはいつも夕飯間際だったからだ。とくに最近は二人が寝る時間になってようやく帰ってくるほうが当たり前だった。帰ってこないことも決して希ではなかった。思春期特有の感情からアスカがシンジの家に泊まることこそ無かったが、家族とシンジ以外の人間には隠しとおす寂しさという感情故、アスカはいつも遅くまでシンジと共にいた。
 普通の家庭から見れば、この二人は不幸と呼べるのかもしれない。親と共有する時間の短さは、育児放棄と捉えられてもおかしくないからだ。だが逆にそれはシンジとアスカの自立心を高めることに成功していた。お互いへの無意識の依存心を除くならば、確かに二人はそれなりにしっかりしていた。それに、母親がエヴァに取り込まれて悲しみに支配された父親に捨てられるよりは遥かにマシな人生であったといえる。少なくとも家庭は存在したからだ(母親達も未だにおせっかい好きだった)。
 シンジとアスカはお互い一緒にいることで寂しさを紛らわせることに成功していたから、であるならばそれはそれで幸せだったのかもしれない。幸せとは相対的なものであるから、彼らがエヴァに捕らわれた人生を知っていたならば現在の生活に強い満足を覚えたであろう。

 シンジが自室で着替えていると、玄関が開く音が聞こえてきた。シンジは慌ててTシャツを着て、制服をハンガーにかけた。紅茶は休日に二人で買いに行ったポットに用意してあるが、それとて永久に持つわけではない。午後の平和を満喫したいのならば、シンジは急いでアスカのもとに姿を現す必要があった。この辺り、シンジがアスカの尻に敷かれていることの明確な証拠の表れだった。
 シンジはいつものように部屋に置いてあったチェロをケースから取り出した。調弦は後でかまわない。シンジは楽譜一式を手にとると、そのままアスカが待っているであろうキッチンに身を移した。
 キッチンではヴァイオリンを持ってきたアスカが美味しそうに紅茶を啜っていた。
「あら、遅かったじゃない」、アスカはいつもの口調でシンジに話し掛けた。
「ごめん」、シンジは謝りながら質問に移った、「何かお茶菓子でも出そうか?」
「太っちゃうからいいわ」、アスカは答えた。
「そうだね」
 取りあえずシンジもカップに紅茶を注いだ。レモンの香りを漂わせる紅茶だった。シンジはそれをストレートで飲むことにしていた。砂糖を入れるアスカに、自分は大人であるという印象を与えたかったからだ。好きなこの気を引く、些細だが大切なパフォーマンスだった。
 雑談が交わされ、甘いとも陽気とも受け取れるいつもの雰囲気が部屋を漂った。しばらくして部屋から美しい音色が聞こえ始めた。シンジとアスカが午後の演奏を開始したのだ。親の勧めでチェロを始めたシンジ、それにつられるようにヴァイオリンを始めたアスカ、その二人のクラシックコンサートが始まったのだ。付近の住民も、この午後の演奏を楽しみにしていた。微笑ましい光景を展開する少年と少女の演奏は、有名なオーケストラの公演に匹敵する何かがあったからだ。それは技量という面では無く演奏のユニゾン感にあった。
 一時間ほど続いた演奏は終了し、シンジとアスカは時間を過ごす手段を夕食作りに変えた。まずは材料の獲得―スーパーでの買い物だった。
「今日は何にする?」、道中、シンジはいつものようにアスカに訪ねる。
「作るのが簡単な物のほうがいいわね」
「じゃあ、ハンバーグとか?」
「そうね、そうしましょう」
 シンジとアスカは両親の帰宅時間のため、夕食を共にしていた。中学生になってアスカが料理という技術を獲得してからは、作るのも自分達であった。シンジも手伝うのは、彼にとってキッチンで夕食を作っているアスカを見ているのは、新婚のカップルを連想させるようで酷く恥ずかしいからだった。一緒に作っているほうがよほど恥ずかしいのではないだろうか、という疑問は彼の頭には無かった。スーパーに一緒に買い物に行くのは、一緒に過ごす時間をなるべく多くしたいという二人の共通の想いに影響されていた。クラスメイトに目撃されてからかいの種にされるという危険も、両親の不在が作り出した寂しさにはかなわなかった。二人は絶えず一緒にいることで人のぬくもりへの欲求を満たしていたからだ。

「シンジ、醤油まだあった?」、スーパーの調味料のコーナーでアスカがシンジに聞いた。
「うん、買い置きがあったはずだよ」
「じゃあ、いいわね」
 ただの会話。しかし周囲から見れば何か甘い関係を連想させる会話だった。それはたまたま戸棚の反対側にいた鈴原トウジと相田ケンスケの耳にも届き、彼らは自分達の考えが正しかったことを確信した。すなわちシンジとアスカは同棲していると。部分的には正しいその結論は、シンジの学校生活を危機に陥れるシロモノだった。トウジ達は来週の学校における話題の獲得に、他人が見れば決して気持ちいいものでは無い笑みを浮かべていた。
「おい、今のシンジと惣流だよな」、ケンスケが相棒に聞いた。
「せや、あの二人に間違いあらへん」
「ということは」
「そういうことやな」
 結果、第壱中学校における碇シンジの命運は決まった。

 夕食作りは順調に進んだ。メインディッシュであるハンバーグはアスカが、味噌汁とご飯、その他のおかずは共同で作られた。やはり酷く甘い世界がそこに存在したが、当人達はあまり気にしていなかった。
 テーブルに食器が並べられ、夕食の準備は整った。二人は手を洗うと、テーブルに向かい合って座った。いただきます、とユニゾンして言ったあと、料理に手をつける。
「やっぱり、アスカのハンバーグは美味しいね」、シンジはそのようにアスカの料理を評した。
「当然でしょ、このアタシが作った料理なんだから」、アスカは嬉しそうに答えた。
「やっぱり本場ドイツ仕込み?」
「ママが教えてくれたのは、事実ね。でもママのハンバーグも日本風よ。ソースも醤油がベースの薄めだし」
「やっぱりアスカの才能かな?」
 その言葉にアスカは頬を赤らめる。嬉しさと未来の光景を思い浮かべた末の結果だった。少し妄想癖があるのは、この年頃の少女には当たり前だと考えるべきであろう。さもなければシンジへの気持ちによって欲求不満になってしまう。妄想で多少なりとも想い人への願望を果たせねばストレスが溜まりすぎてしまう。もっとも、同級生がそれを知ったら、なんて贅沢な、と思うだろう。彼女達は夕飯を一緒に作って、ということなど味わえないのだから。だが、それでもアスカは妄想の世界に捕らわれてしまった。
 一緒に夕食を作りながら甘い会話を楽しむ二人。何故か自分のお腹は膨らんでいる。それが肥満によるもので無いことは明らかだ。ハンバーグを作っていた自分が突如動きを止める。心配そうに近付いてきたシンジに自分はお腹を撫でながら答える。赤ちゃん、今動いた・・・。
「どうしたの?アスカ」、怪訝そうな表情でシンジがアスカに問い掛ける。その言葉にアスカは我に返った。
「何でもないわよ、バカシンジ!」
「ご、ごめん」、シンジは素直に謝った。こういうときのアスカを問い詰めることの愚かさを、彼はよく知っていた。別に年がら年中謝っているわけではない。
 夕食は沈黙のまま、終わった。シンジは頬を赤らめるアスカを見て普段見ないようなアスカの魅力的な姿に捕らわれていたし、アスカはアスカで先程の妄想のためシンジの顔をまともに見れなかったからだ。両親がその姿を見たら、早まったか、と思ったであろう。孫に会える喜びとは別に、このままでは予想以上に早く祖父、祖母になりそうだったからだ。
 皿洗いも済み、いつもは他愛もない会話で過ごす夜の時間が訪れた。あと一時間もすれば両親が帰ってくるから、この時間は一日における二人だけの最後の時間だった。いつもは意識しない何かが、今日、この場にあった。
 リビングのソファーに向かい合って座った二人は、ただ黙っていた。気まずい雰囲気が、部屋を支配する。シンジが雰囲気に耐え切れずにアスカに話し掛けようとして顔を上げた。すると、彼の黒い瞳に頬を赤らめて自分を見つめるアスカが映った。
 ―時が止まった。
 シンジは胸の動悸が高まるのを、鼓動が早くなるのを感じた。アスカから目が離せなくなる。学校の男子の多くのハートを掴む美しい容姿だけでなく、アスカのあまりに魅力的な動作に心を奪われる。アスカもまた、自分を見つめて動かなかった。
 シンジは己の欲求が示す通りに動いた。ソファーから立ち上がり、アスカに歩み寄る。視線をアスカから離さないまま、彼女の座っているソファーに腰を降ろす。そして、右手で彼女の綺麗な髪を撫で始める。
 シンジの思考はだんだん止まっていった。見えるのはアスカの瞳だけ。聞こえるのは自分の動悸とアスカの息だけ。感じるのはアスカの美しく滑らかな髪の毛だけ。シンジの意識は感覚を通してアスカ一色に染められ始めていた。
 シンジは次第にその唇をアスカのそれに近づけていった。アスカが頬を赤らめて目を閉じるのを確認する。そぅ、とまるでガラス細工を扱うかのようにシンジはアスカを引き寄せた。視界に広まるアスカ。彼女の息使いが感じられる。心臓が暴れている。
 BGMは胸の動悸。背景はリビング。主人公は自分で、ヒロインはアスカ。シンジはそんな甘い劇に支配されていた。もう、アスカの 顔は目の前だった。
 唇が触れた。甘い、甘いキスだった。

「ただいま〜」
「今、帰った」
 まったく異なる口調で二人の大人が、自分達の生活空間に帰ってきた。
「あら?返事が無いわね」
「問題無い」
 二人はそのままキッチンに向かう。テーブルは片付けられていて、食器も自然乾燥にしてある。何もおかしいところは無い。
「寝るにしても、早すぎるし」、碇ユイはそう呟いた。
「そうとも言えんぞ、ユイ。あの二人のことだ、もう"寝てる"かもしれん」、碇ゲンドウが親父ギャグと認識される低俗な冗談を口にした。ネルフ司令官の人選から漏れた彼は、本来はこうした人間だった。
 ユイはゲンドウの冗談を無視しつつ―相手にしていてはきりがない―リビングに移動した。内心でゲンドウの冗談から発生した不安もあった。孫を抱ける期待の反面、やはり祖母になることへの怖さがあった。自分達の息子がそういう関係を持つこと自体はまるで気にしない。シンジとそうなる相手はアスカであると決まっているし、そうなっても大丈夫なようしっかりとした教育をしてきたからだ。事実、シンジとアスカは親と過ごす時間が短い反面、お互いがいれば随分としっかりとしていた。少なくとも若さ故に起こる責任からの逃れは、シンジの選択肢には無いだろう。
 ユイは微妙な気持ちでリビングに辿り着いた。そして、安堵とも落胆とも受け取れる事態を発見する。そこにはアスカを抱きかかえて眠るシンジがいた。だが、何か愛の行為に走った形跡は無かった。何があったのかわからないが、二人の関係に良い影響をもたらす何かがあったのは確かだろう。まあ、キスというところかしらね、とユイは鋭い感で状況を想像した。
 ユイはシンジの部屋から毛布を持ってきて二人に被せた。ふふ、シンジ、あなたもなかなかやるじゃないの。明日は休みだから、アスカちゃんとゆっくり寝てなさい。
 ユイはその足でうろうろしているゲンドウを無視して同じように家に帰っている惣流夫妻に電話で連絡を取った。大体の状況を伝え、今晩の宿泊先を確保する。そして、書置きとデート資金と書かれた封筒に入れた数枚のお札を残すと、二人の若い恋人の写真を取ろうとしていた夫の耳を引っ張って惣流家に向かうのであった。
 碇家には抱き合って眠るシンジとアスカが残された。

 翌日、アスカとシンジは自らの気持ちを確認しあい晴れて恋人同士となった。結果、翌週の学校におけるトウジ達の目論見は見事に失敗し、愛妻弁当に含まれる"虫除け"は毎日のものとなった。正体不明の使徒やエヴァといった出来事もあったが、シンジ達はそれに巻き込まれること無く普通の日々を送ったのであった。
 ネルフが使徒を全て倒した後も、それに変化は無かった。ネルフがゼーレに反抗してサードインパクトが未然に防がれたことも、二人の興味を引かなかった。親がネルフに関係していた、その程度の認識しかなかった(二人が当時の親の苦労を知ることは無かった)。
 ただの中学生として歩んだ毎日、その日々の中でアスカとシンジはごく普通の成長を経験し、その後もごく普通の人生を歩んだ。晴れた日も、雨の日も、再びドイツを訪れた雪の日も、シンジとアスカはごく普通の人生の中でごく普通の幸せを手に入れた。そして、幸せな日々を満喫するのであった。


マナ:平凡な日常っていうが、やっぱり1番幸せなのかもしれないね。

アスカ:平和ボケすると、それがわからなくなってしまうのよ。

マナ:エヴァ本編と世界では同じようなことが起こっていたのに、こんなにも違うものなのね。

アスカ:ママやユイさんが、生きてたから。アタシ達子供を守ってくれたもんね。

マナ:守られてることに感謝しなくちゃ。

アスカ:ついついそういうところから飛び出しちゃいたくなっちゃうけどねぇ。

マナ:その時は、平和の有り難さを思い出せばいいのよ。

アスカ:平和っていいわねぇ。ママありがとぉ。
作者"名無し"様へのメール/小説の感想はこちら。
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