私の人生というものは、一般の家庭のそれとは少し違っていた。というのは、私は自分の父親を知らないのである。女手一つで育ててくれた母親が、私の知る限り唯一の親だった。
 父親という存在が息子に与える影響は大きいというが、私はそれをよく理解している。私の人生は父の不在によって、一般とは少し違う人生を歩んできたからだ。もちろん私はそれに感謝している。その特異な人生が、私が今持っている幸せをより一層際立たせる。


作・名無し

 碇シンヤとして私は戸籍に登録されている。名は母が自分を産む前から決めていたらしく、以前母にそれを訪ねたときに話が膨らんだのを覚えている。自分自身その名前に愛着を感じていたが、母の強い思い入れがあったのは後になって知ることになる。
 母は美しい人だ。金髪碧瞳で陶磁器のような綺麗な肌が、母を誰よりも美しく気高くしていた。純粋な日本人ではなくドイツ人の血も流れていて、それが母の神秘的な美しさを際立たせていた。私を生んだ後も若いままでいたから、その美しさがわかると思う。実際母は私が中学三年になるまで三○代にならなかったから、若かったのは当然だったが。
 私が生まれたのはセカンドインパクトからの復興が完全に終わっていない2016年のことだった。ちょうど私が生まれる前に何か戦いがあったらしいが、母がそれにどう関わっていたかを知るのは、ずっと後だった。
 私が生まれたのは特務機関ネルフの病棟だった。当時母はまだ一四歳で、常識的に考えて子供を産むような年齢ではないはずだった。実際、出産にあたってかなりの論争があったらしい。結局その苦労の裏に隠された母の一途な想いが、私の出産を可能にしたらしい。実際、母は私を出産したことで社会的・経済的に随分と苦労した。
 私にとって、出産時の記憶というものは残っていない。ところが一つだけ鮮明に覚えているものがあって、それが母の見せた美しい笑顔だ。一四歳の少女が、生まれたばかりの私を見て素晴らしい笑みを浮かべていた。その表情は、今でも私の脳裏に刻まれているほど美しいものだった。以後、それは私の心に大きな影響を与える。

 私は母の寵愛の下で育ったので、父の不在について疑問を持たなかった。テレビの番組を見ているときも、「お父さん」という言葉の意味がわからなかったぐらいだ。私はそれで幸せだった。笑顔と優しさを向けてくれる母が、幼い私にとっての全てだった。
 生活費はネルフが出していたので、母は仕事をすること無く私を愛情たっぷりに育ててくれた。少女と呼べる年齢だった母が、私を一人で育てられた背景にはそういった事情があった。
 変化が訪れたのは、私が近所の幼稚園に通うようになってからだ。それまで気にしていなかった父親の存在が気になりだしたのだ。周りの子供達は皆「お父さん」がいると言い、私はそれによって自分の特異な家族を知ることになった。
 私はある夕暮れの日、母に思い切って「お父さん」のことを尋ねてみた。そのときの母の表情は、忘れようとしても忘れられるものでは無かった。母は、それまで一度も見せたことの無かった悲しみの表情を浮かべ、涙を堪えながら
「あなたのお父さんは、死んじゃったのよ」と、とても切なそうな声で私に言ったのだった。母はそのまま私に抱きついて泣き始めた。ショックだった。私にとって母とは絶えず笑みを浮かべ、私に愛情を注ぎ込んでくれる大切な人であったからだ。
 だから私は以後、父についての話題に触れないようにした。そうすれば母が悲しみの表情を浮かべることは無いと思ったからだ。「お父さん」は、私にとってのタブーとなったのだ。

 小学生になったとき、いわゆるイジメというものが私に降りかかった。私は金髪に黒の瞳を持つ周囲と違う外見的特長を持っていたため、目立つ存在であった。だから私は必要以上にからかわれたり、バカにされたりした。
 最初はそれに耐えていたものの、さすがにある日限界が来て母に相談した。すると母は美しい瞳をしっかりと私に向けて言った。
「その黒い瞳と赤い髪の毛はあなたが父さんと母さんの息子であるという立派な証拠よ」
 私は母があまりに自信たっぷりにそう言ったので、翌日いじめを行なう同級生の前でそう言ったものだ。するといじめはすぐに終わり、私は友人を作ることができた。母のその自信たっぷりの言葉があったから、私の外見は私にとって誇りとなっている。私は父と母の愛で生まれた子供であるとわかるからである。

 私は母へ強い愛情を感じていたが、その愛情にも変化はある。とくに中学生以降になるとエディプス・コンプレックスと呼ばれる母に対する恋愛感情を抱くようにもなった。母はそれだけ魅力的だったし、年もそれほど離れていなかったから(学友の母と比べると)、そうなるのも比較的容易だった。何よりも出産のときのあの笑顔が、今でも私の脳裏に焼き付いていて、私の心に大きな影響を与えていた。
 ところが当時の私は物事に敏感になっていて、母の愛情が必ずしも私にばかり向いているとは限らないことを感じ取っていた。それまで無条件に愛情を注いでくれると思っていた母が、結果的に私の中に別の誰かを追い求めていることに気付いてしまったのだ。
 もちろんその相手は父だった。母は今でも父にことを深く愛し、そのことを支えとしていたのだった。
 私はある日、父の残された写真を大事そうに見つめる母を発見した。母から聞いた話では、父の写真は全て処分されてしまったらしい。どうも父はネルフと過去の大事件に関わりがあったらしいが、そのため父の存在自体が歴史から抹消されていたらしい。父の存在を示す証拠は、父を知る人の記憶以外残されていなかったらしい。私の出産のいざこざも、その辺りと関係しているらしかった。
 だから私は父の顔も知らなかった。しかし母がその夜見つめていたのは、間違いなく父の写真だった。写真は見えなかったが、母の雰囲気と態度がそれを明確に物語っていた。微かに聞こえる母の声の中に「シンジ」という名前があったことから、私は初めて父の名前を知ったものだ。
 私は父がどういう人か確認したくなって、ある日母の留守中に写真を探し出した。母の書斎にあったバッハの楽譜の中に、私はその写真を見つけた。古ぼけた、化学式に写真を印刷する昔ながらの写真だった。
 そこに写っていたのは若々しい母と、自分に似ている少年の姿だった。二人とも笑みを浮かべ、若い母は嬉しそうに、少年は恥ずかしそうにして手を繋いでいた。その少年が父親であるという想像はすぐにできた。二人とも学生服を着ていて、背景には私の知る第一中学校があった。
 私はその写真で父の姿を初めて確認した。そのときに湧いた感情の中では、嫉妬が一番大きかった。私の知らない母を知っている父に、男としての嫉妬を抱いたのだ。そのときの私には、父が母の心を独占しているように思えたのだ。母が私を見るときに、父を私の中に見てしまう母の態度が、嫉妬をより一層激しくした。
 私はその晩、母と口論になった。些細なことから激しい口論になり、その晩私の心は怒りに支配された。だから次の朝も母と言葉を交わすことなく、学校に行ってしまった。その間、私の苛々はとても激しいものになっていった。
 家に帰ったとき、母は出かけていた。私は今では日課となっていた、父の写真を見る行為を実行した。それは知らない父の姿を、母の心を巡る争いに勝利するための情報収集みたいなものだったが、当時の私はそれをよく理解していなかった。
 その日写真を手にとったとき、私の心の中でどうしようもないほどの嫉妬が湧き出た。真に愚かしいことだが、私は父の存在があるから母は私に全ての愛情を注いでくれないと思ったのだ。当時の私は、母の年齢相応の形での愛情を理解してなかったのだ。だからその写真を見たとき、私は父に大きな憎しみを抱いた。
 私は、その後大きく後悔する行動をとった。母がとても大事にしていた写真を破いたのだ。私は怒りに身を任せて写真を滅茶苦茶に、それこそ小さい切れ端になるまで写真を破いた。父も母も、もはや識別できないほどに滅茶苦茶に破いた。終わった後、私は満足感に浸っていた。
 だから母がそれを見つけたときの表情は忘れられなかった。僅かな罪悪感を感じながら、私はしてやったり、といった態度で母に滅茶苦茶になった写真だったものを見せた。それでどうなろうと、私は母の心が再び私に向けばよいと、無意識のうちに考えていた。
 それは大きな間違いだった。ばらばらになった写真を見た母は、一瞬呆然とした表情を浮かべた。次の瞬間、母はすばやく動いた。だが、私の期待した反応では無かった。母は、絨毯の上に散らばった写真の切れ端を集めると、それを抱え込んで自分の部屋に閉じこもってしまったのだ。
 私は驚きに支配されていた。母は私の存在が無いかのように、写真の切れ端だけを行動の対象としたのだ。つまり私の期待していた母の反応は無かったということになる。私は慌てて我に返ると、母の部屋のドアに耳をあてた。どうしても母の反応が気になったのだ。
 私が微かに聞き取れたのは、泣き声でも怒りの声でも無く、僅かに聞こえるパソコンとスキャナーの稼動音だけだった。部屋の中からは他に何も聞こえなかった。しばらくしてマウスとキーボードを操作する、無機質な音が聞こえるようになったが、私にとってそれは重要では無かった。
 以後二日間、母は僅かな食事と水を取る時以外、部屋から出なくなった。私はそれを冷蔵庫の内容物の変化からしか判らなかった。母は私と絶対に顔を合わせようとしなかったため、私が外出中にしか部屋から出なかったのだ。そうした母の行動は、私の心をとても強く痛めつけた。私の心はようやく罪悪感というものを強く感じるようになったのだ。
 私はその日、母と長い付き合いになるミサトおばさんの家を訪ねた。独身の女性で、ネルフに務めているエリートでもあった。私はミサトおばさんに手短に自分のやったことを話した。するとミサトおばさんは私をいきなり引っ叩いた。
 いきなりのことに驚く私に、ミサトおばさんは語り始めた。父のこと、母のこと、ネルフのこと、私が生まれる前の使徒と呼ばれる敵との戦い、エヴァンゲリオンのこと、母と父がいかにして結ばれたかを。そうした事実は私をとても驚かせた。母と父は、とても過酷な人生の中でお互いを求め合い、幸せを掴んだのだった。
 だが、何よりも私を驚かせたのは、父がゼーレと呼ばれる人々との最後の戦いで母とこの世界を守って命を落としたことだった。 私はどうして父がいないのか、そしてネルフの権力闘争の中で父とエヴァの存在が抹消されてしまった経緯を理解した。それは私がこれまで抱いていた父への嫉妬を根本からひっくり返す内容だった。
 ミサトおばさんは私に後の判断を任せると言ってくれた。礼を述べ、私はどうしようもない罪悪感に動かされて家に帰った。母に謝らなければいけなかった。
 家に帰り着いたとき、母はちょうど部屋から出てきたところだった。どうやら写真をパソコンを使って修復したらしく、母の手には写真があった。だがそこには幾つもの線が入っており、父の顔の八割は欠けていた。
 私は母を一目見るなり、土下座をした。そうする以外、私には謝罪の方法が無かった。母はそんな私を見て、ただ黙ったままだった。しばらくして母は私に近付き、私を立ち上がらせた。うろたえる私を、母は引っ叩いた。私は抵抗しなかった。母にとってあの写真がどれほど大切であったか、それが判ったからだ。私のしたことは許されることではない。
 だが母は私を一発引っ叩いた後に、そのまま自分の部屋に引き込んでしまった。私は呆然としたまま、その後の一週間を罪悪感に悩まされながら過ごした。母がようやく私と口を利いてくれたのは、ミサトおばさんが家を訪ねて母を説得してくれてからだ。

 結局、私にとってのエディプス・コンプレックスはそこで終わった。母がいかに父を愛していたか理解したからだ。それに少し成長した私は再び母の愛情に気付くようになった。さらに私に彼女ができると、もう母を無意識の恋愛対象とすることも無くなった。
 だが私が母から離れていくと、母はさらに寂しさを感じるようになったらしい。たまに顔を出すと、喜んで私を迎えてくれた。結局、私は母にとって心の支えだったのだろう。
 だが、そんな日々も長くは続かなかった。母はある日、突然と倒れたのだった。母はまだ四○前だったが、父がいなくなったことで相当精神的に参っていたらしい。私は少なからず母の支えになっていたが、私が母から離れていくことで母は支えを失ったのだ。それが母から生きる気力を失わせ、体が衰弱してしまったのだ。
 母は、末期癌と診断された。やせ衰え、母からはかつての美しさが消えかけていた。私の時代では、癌はさほど問題の無い病ではあったが、生きる気力を失ってしまった母は回復することは無かった。容態は悪化し、医師からは覚悟を決めたほうがいいと宣告された。
 私は宣告を受けたその日、父の写真に向けて祈った。
父さん、まだ母さんを連れて行かないで、と。俺はまだまだ母さんと話したいことがある。父さんのことももっと良く知りたい。だからまだ母を連れて行かないでくれ。
 その祈りが通じることは無かった。ある日容態が急変したとの知らせを受けた私は、仕事を休んで母を看病していた妻と共に病院に向かった。病室では、医師が必死の努力で母の命を繋ぎとめようとしていた。私は、本能的にそれが無理であると悟っていた。母は父のもとに行きたいのだ。
 私は必死の救命措置を取っていた医師に言った。早く母を父のもとに行かせてやってくれ、と。医師達は最初、悪魔を見るかのように私に軽蔑の視線を向けたが、すぐにそれを止めた。
 母が、衰弱してろくに喋れるはずの無い母が、微かな声で呟いたのだ。
「・・・・・・」
 擦れた言葉だったので、誰を呼んだのか周りは判らなかった。母は震える手で宙を掴もうとしていた。蒼い瞳を持つ目からは、涙が溢れていた。震える口からは、まだ言葉が漏れていた。私は、母の求めることが何であるか、判った。
 私は母の隣にいた医師を振り払い、母の口に被せられていた呼吸マスクを取り外した。そして震える母の手を強く掴んだ。
「母さん、父さんに会いたいんだろう?」、私は震える声でそう母さんに語りかけた。
 母はその言葉に何度も頷き、私の手を握り返した。母は涙を流しながら、途端に歓喜の笑みを浮かべた。
「シン・・・・」、母は最期にそう呟いた。そして、そのまま力無く目を閉じた。私の手を握っていた華奢な手からも、力が抜けた。幸せそうな表情で、母は永久の眠りについたのだ。

 母が最後に誰の名を呼んだのか、私にはわからない。だが、母が長い間追い求めていた最愛の人のいる場所に行ったのは事実だ。私にとって母の死は悲しみという言葉では表現しきれないものがあったが、母が三○年の月日の後にようやく父と再び巡りあえたことを考えることで、その感情を押し殺した。
 それに、私には妻と子供がいる。もう、母にばかり頼る必要は無い。母は、父と一緒にいる。それでいい。


マナ:お母さんの愛情っていうのは偉大ね。

アスカ:ママもそうだったから、母親になったアタシもそうだったんじゃないかな。

マナ:シンヤくんがまだ小さかったら、癌でも死ななかったんじゃない?

アスカ:たぶんね・・・母としての自分が必要だったら。頑張ったと思う。

マナ:シンヤくんも、成長してそれをわかってくれたのよ。

アスカ:どうでもいいけど、シンジの奴。苦労だけ押し付けて、先に行っちゃうなんて。

マナ:幸せを残してくれたから、生きていけたんでしょ?

アスカ:でもっ! あの世では、散々文句言ってやるんだからっ。

マナ:あーぁ、シンジ。可愛そうに。あの世でも、漫才を繰り返すのね。
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