「アスカでなくちゃ…」
                                                               平成11年02月23日 初稿
                                                               平成12年08月15日 改訂
● 1.ドイツへ
エヴァンゲリオン初号機 適格者 サードチルドレン 碇  シンジ。
エヴァンゲリオン弐号機 適格者 セカンドチルドレン 惣流・アスカ・ラングレー。
ふたりは幾多の使徒との戦いを経て勝ち得た穏やかな日々を過ごしていた。
戦いの中でお互いが持つようになった深い信頼感、そして同居という日常の中で見せられる素顔の自分、
それは幼い頃愛情に恵まれなかったふたりにとって初めて得た温かく心地よい感情であった。
そんなふたりが何気ない日々の暮らしを一緒に重ねていく内に、次第に心を通わせる様になっていくのは自然なことであったかもしれない。
そんなある日の夜、葛城家の食卓にアスカの声が響き渡った。
「え〜、あたしがドイツのネルフ支部へ〜!」
「そうよ、といっても1週間だけどね。なんでも実践を経たエヴァと若きエヴァのパイロットの経験を直接
聞きたいという事らしいのよ。久し振りにご両親や友達にも会えるし、気楽に行ってらっしゃいよ。」
近所のコンビニにでも行くかのように軽い調子で話すミサト。
その時ミサトの左正面からガタンという音がした。
「あら?シンちゃん、どうしたの?」そうミサトが声をかけた時、シンジはテーブルの上に引っくり返して
しまった味噌汁の始末におおわらわしている所だった。
突然耳に入った'アスカがドイツに帰る'という言葉に慌ててしまい、手に持っていたお椀を落としてしまった
のだが、その原因の張本人は「ドジね、あんたって…。」と全くシンジの動揺に気づいていなかった。
そんなシンジとアスカの様子に笑いをこらえながらミサトがつっこみを仕掛ける。
「あ〜ら、冷たいのねアスカったら!ねえ、シンちゃん。シンちゃん、今アスカがドイツに帰るって聞いて
びっくりしてお椀を引っくり返しちゃったんじゃな〜いの?」とニヤリと笑う。
「え…?」ミサトの言葉に思わずシンジの顔を見てしまうアスカ。
図星をつかれた上にアスカの視線を受け、ついにお茶碗まで引っくり返してしまう。
真っ赤になったままシンジから目が離せないアスカ。その視線を感じながら必死にテーブルを拭くシンジ。
そんなふたりの反応を楽しそうに見ているミサトだった。
(ホント見ていて飽きないわね〜、このふたり!^0^)
やがて保護者としての自覚を取り戻したのか、このままでは埒があかないと考えたのか話を進める。
「で、どう?アスカ。この話受ける?」そうアスカに問い掛けながら、チラリとシンジの反応を盗み見る。
ふたりの一挙一動を本当に楽しんでいるようだ。案の定、ミサトの期待通りアスカへの問いに
シンジがビクっと反応し、心細げにアスカの次の言葉を待っている様子が見て取れた。
(さあ、アスカ、いったいどんな回答をしてくれるのかしら。お姉さん楽しみよ〜ん。)
嬉々としてアスカの言葉を待つミサト、不安げなシンジ。そんなふたりを前にアスカが答える。
「そうねえ…。うん、行くわ、せっかくの機会だもんね。久し振りにパパとママに会いたいしね!」
明るく答えるアスカの姿に、寂しげな表情を見せるシンジ。



「そう、そうね、その方がいいと思うわ。OK!明日正式に返事をしておくわね。アスカ、これからちょっち
忙しくなるわよ。」そのままドイツ行きについてさも嬉しそうに話を続けるミサトとアスカであった。
そんな女性達の会話をうわの空で聞きながらシンジは機械的に食事を続けていた。
(アスカがしばらくいなくなっちゃうのか…。)そんな漠然とした不安がシンジを包んでいた。
アスカと盛り上がりつつ、こっそりシンジの様子を窺いながら今後このふたりがどのように
展開していくのか、大いに期待している保護者 葛城ミサトであった…。

● 2.蒼い月
アスカの渡独の話はトントン拍子に進み、日程も当初の1週間の予定から2週間に延長されることになった。もともとドイツでの天才少女アスカの人気は凄まじく、その上エヴァのパイロットとして使徒を殲滅したという実績をもっての凱旋帰国になるわけだから、いやがおうにも盛り上がりをみせてしまう。
聞いた話では既にアスカのドイツでの日程は分刻みのものが作られているらしい。
そんなふうにアスカの渡独の日程が具体化すればするほどシンジの心は重く沈んでいくのだった。
けれども、そんなシンジの気持を知ってか知らずかアスカは楽しそうにドイツ行きの準備を進めていた。
ウキウキとしたアスカの姿を見る度にシンジの心には冷たく重い楔が打ちつけられていく。
それにしても渡独が決まってからのアスカはいつにも増して明るく元気だった。
そんなアスカの姿は落ち込んでいるシンジには眩しいばかりだった。
渡独の準備を始めるようになってから、アスカは夕食が終わるとシンジの部屋にやって来ては夜遅くまで
ドイツの話や、自分子供の頃の思い出をシンジに話して聞かすようになっていた。
何故、アスカが急に自分の事を話す様になったのかシンジにはわからなかったけれど、
それはシンジにとって楽しい時間だった。
アスカが自分の部屋に来て、今まで知らなかったドイツでの話をしてくれる。
シンジにとってアスカのドイツの話は新鮮であり未だ見ぬアスカの故郷に思いをはせる事ができた。
そして幼い頃のアスカの話や当時のアスカが感じた事、考えていた事を聞く事は今よりも
より深くアスカの事を理解できるような気がして、とても嬉しいことだった。
けれどもその反面、アスカのドイツや両親への思い入れもわかるようになるに連れ、
シンジは更に漠然とした不安をつのらせていった。
(アスカ…寂しくないのかな…。僕だけが寂しいと思っているのだろうか…。)
そんなシンジの心に気づかないかのようにアスカは今日もシンジの部屋ではしゃいでいた。
「ねえ、どうかな?このネクタイ、パパに似合うと思う?」
上質そうな絹のネクタイを手にしたアスカが弾んだ声でシンジに話かける。
満面の笑顔で、今にも踊りださんばかりの足取りで部屋の中を駆け回っている。
そんなアスカの姿をシンジはただ静かに、眩しそうに見ていた。
「ドイツにいるあたしのパパはね凄くお洒落なの。だからお土産のネクタイも半端なものじゃ駄目なのよ。 
でねママはね料理がとても上手なのよ。きっと得意のパイを焼いて待っていてくれるんだろうな。」
次から次へとアスカの唇からは両親の話が溢れ出してくる。そんな嬉しそうなアスカの話に
相づちを打ちながらシンジは喜びと共に一抹の寂しさを感じていた。


「アスカがドイツのご両親の事、こんな風に話すの…初めてだね。」
「そうだっけ?」顔だけをシンジの方にむけるとアスカは小鳥のように小首をかしげた。
あどけない幼子のようなアスカの仕草に一瞬シンジの緊張の糸が途切れる。
「アスカさ…ドイツに帰れて、嬉しい?」それは思わずこぼれてしまったシンジの不安な心。
「ご…ごめん、嬉しいに決まっているよね。バカだね僕って…。こんな事聞くなんてさ…。」
自分の言葉にうろたえてしまい、慌ててアスカに謝るシンジ。
「シンジが言いたい事わかるよ。あたしこっちに来てからドイツのパパやママのこと話さなかったもんね。」
アスカは悪戯して怒られた子供をいたわるような穏やかな笑顔でシンジの質問に答え始めた。
「あの頃のあたしは自分一人で生きていかなくちゃって思っていた。本当のママがいなくなって
一人ぽっちになったあたしは常に他の人より自分が優れている事を証明し続けなければ
誰もあたしの事を気にかけてくれなくなってしまうと思っていたの…。」
普段と変わらない明るい口調でシンジに話かけるアスカだったが、シンジは昔の事を話す時アスカが
時折どこか寂しそうな表情を見せる事に気がついていた。それは本当にかすかなものであったが。
そう、おそらく同じ思いを持つ自分にしかわからないような…。
母の死後、唯ひとりの肉親である父親とも離れ過ごした時間…それは思い出すだけで胸が痛くなるような記憶だった。上辺ではどんなに優しくしてくれていても、誰も本気で自分を見てくれようとも、気にかけて
くれようともしてくれなかった。心のない優しさやいたわりは敏感なシンジの心を傷つけるだけだった。
そんな辛い日々を重ねる内にシンジは自分の心を閉じるようになっていった。
はじめからあきらめ、期待しない事も、外の世界に対して無関心、無感動になる事もすべては
余りに傷つき易い自分の心を守る為のものであった。
シンジは自分はこのまま生涯心を閉じたまま生きていくのだと半ば覚悟していた。
そう、この都市に来てアスカに会うまでは…。
だから過去の事は思い出したくなかった、今の幸せまで壊れてしまいそうな気がして…。
「……ちょっとシンジ、聞いてる?」ふと気づくと目の前にちょっと怒ったアスカの顔があった。
「う…うん、き…聞いてるよ。」慌ててその場から飛び退くシンジだったが二重の意味でドキドキが
止まらない。真っ赤になったシンジを訝しげに見つめながらアスカは話を続け始めた。
「?…まあいいわ。とにかく、あたしが一人で生きていかなくちゃいけないと思った所まで話したわよね。
今から思えば何でそんな風に考えていたのかしらって事なんだけど、その時は真剣にそう思っていたの。
そうしなければ誰もあたしを見てくれない、気にかけてくれない…そう思ったの。
でもね、今は違う!ミサト、ヒカリ、加持さん、リツコ、レイ…そしてシンジあんたがいつも側にいてくれる。」
一息ついたアスカの瞳が一瞬シンジの瞳と重なる。それはとても優しい色をしていた。
「ここに来て、みんながあたしの事を気にかけてくれている事が判るようになったの。
そうしたらね、昔ドイツのパパやママがどんなにあたしを大切にしてくれていたか判るようになったの。
それでね、少しは親孝行しようかなって思うようになったんだ!」
辛い過去を無理矢理押し込めて忘れようとする自分と、同じような辛い過去を持ちながら正面から向き
合い改めていこうとするアスカ。そんなアスカの姿にシンジは彼女の本当の強さと優しさを感じるのだった。
「優しいんだね、アスカは…。」そんな思いが素直に言葉となる。
「そうよ、今まで気がつかなかったの。」 澄ました顔でアスカが答える。

アスカとしては他愛ないジョークのつもりだったのだが、シンジの受けとめ方は違っていた。
「はは…僕って本当にアスカの事わかってないんだね…。」 自嘲的に力無く笑うシンジ。
「その笑い方やめなさい。」少し厳しい顔でシンジを睨みながらピシャリとアスカが言う。
「ごめん…、この癖直すって約束したんだよね…。」
そう言いながら俯きかけるシンジにアスカが穏やかな口調で話かける。
「シンジ、誤解するといけないからはっきり言っておくね…。
いい、この世界でシンジ以上にあたしの事をわかってくれてる人は誰もいないんだからね!」 
シンジの瞳をジッと見つめるとアスカはそのまま言葉を続けた。
「ドイツのパパやママはドイツにいた頃のあたしは知っているけど、エヴァに乗っているあたしや
今の学校や家でのあたしの事は何も知らないし、ヒカリやレイは家にいる時のあたしを知らない、
ミサトはネルフでのあたしも家でのあたしも知っているけど14歳のあたしの事はよく知らないわ。」
ここで一息つくとアスカは人差し指でシンジを指差して言った。
「わかった、シンジ!あたしのすべてを知っているのはあんただけなのよ!」
言ってしまった後で自分の台詞の大胆さに気づき、火がついたように真っ赤になってしまうアスカ。
「だ…だから、もっと自信を持ちなさい。いいわね!」 照れ隠しの為についつい命令調になってしまう。
「ありがとう、アスカ。そう言ってもらえると嬉しいよ。」
自分を元気づけようとするアスカの優しさを感じ取り、アスカに微笑むシンジだった。
けれども、その微笑みはどこか寂しさをひめたものだった。
そんな、いつもと違うシンジの様子に気がついたアスカが心配そうに尋ねる。
「シンジ、今日のシンジ変よ…。何かあったの?」アスカの瞳が少し曇る。
「そうかな?別にいつもの通りだよ。」努めて何事もないかの様に返事をするシンジだったが、それは
アスカの不安を払拭するには余りにも力のないものであった。
それでも、これ以上問い詰めても無理だと感じたアスカはあえて明るくシンジに声をかけた。
「疲れているんなら早く寝た方がいいわね。じゃあ、あたしもそろそろ寝るわ。」
そう言うと、シンジにバイバイをすると笑顔で部屋から出て行こうとした。
襖にかけたアスカの指先が一瞬止まる。けれど次の瞬間迷いを振り切るかの様に襖を思い切り開いた。
「じゃあ、おやすみシンジ!夜更かしなんかするんじゃないわよ!」先程シンジに感じた心配を
振り切るかのように元気な声でシンジに呼びかけるとアスカは自室に戻って行った。
アスカの後ろ姿を見送るとシンジはそのままベランダに出た。
空は良く晴れ渡り蒼い月の光がシンジを照らしていた。手すりに両手をかけると静かに輝く月を仰ぐ。
「両親に、故郷か…。」誰に言うともなくポツリと呟く。
「あんな風に考えられるなんて…やっぱりアスカは凄いな…。僕にはとてもできそうもないや…。」
記憶にも残らない幼い頃に母を失い、唯ひとりの肉親である父とも離されて過ごしてきた今までの時間。
十数年振りにエヴァのパイロットとして父と再会したものの、そこには温かな心の交流などはなかった。
喧騒と混乱の中、無我夢中で使徒と戦い始めたあの日。初めての戦いを終え、傷つき横たわる少年に
父からの労いの言葉はなかった。「よくやった。」ただそれだけで良かったのに…。
シンジは父と心を通じ合えないまま使徒と戦い続けた。
生と死の狭間を走るシンジを支えてくれたのは新たに出会った人達との心の触れ合いだった。

ミサト、レイ、加持、トウジ、ケンスケ、委員長…そして、アスカ。
彼らなしでは間違いなく今の自分はいなかったであろう…シンジはそう確信していた。
時に厳しく、時に優しく本気で自分に接してくれた人達。それはシンジが初めて得た自分の居場所だった。
けれどもどんなに彼らの存在が大きくなり、その温もりが嬉しく思えても、シンジの心にある小さな、だが
闇のように濃いインクの染みのような不安が消える事はなかった。それは父と母への思い…。
「母さんは僕を愛していてくれたのだろうか…。」
「父さんは僕をどう思っているのだろう…。」
子供の頃から何度も繰り返した答えの出ない問い。今夜も答えは得られなかった。
「…羨ましいのかな?アスカの強さが…。」再び誰とも無しに呟く。
「それとも、怖いのかな…僕の知らないアスカの姿を見る事が。アスカがどこか僕の知らない世界に行ってしまいそうな気がして…」それはシンジの心の中の真実。漠然とした不安の原因だった。
そんな不安な思いに惑い悩むシンジを月は何も言わずただ静かに照らし続けていた。

● 3.闇の中で
それからアスカがドイツに出発するまでの3日間、弐号機との微調整の為アスカとミサトはネルフに篭りきりになった。シンジはアスカと話すどころか、声を聞くことも顔を見る事もできなくなってしまった。
勝気そうな瞳、凛とした声、そういったアスカの存在を感じられない家でシンジは最初の夜を過ごしていた。真っ暗な部屋の中で壁に凭れかかり、CDを何時間もただ聞き続ける。
傍らにはコンビニで買ってきたお弁当の空き箱やペットボトルが転がっていた。
アスカのいない家ではシンジは昔の無気力な少年に戻ってしまっていた…。
(アスカ、何してるかなあ…)暗闇の中、シンジが思うのはアスカの事だった。
(アスカの顔が見たいな…、アスカの声、聞きたいな…。)
いつしかシンジはそのまま眠りに落ちていくのだった…。

いつの間に夜が明けたのだろうか?シンジは周囲の明るさで目を覚ました。
(どこだろう,ここは?)そう思いながら辺りを見回してみる。けれども、そこには何もなかった。
白い闇…ただ光が満ち溢れているだけの自分以外は何も存在しない世界にシンジはいた。
明るく何もかも見渡せる世界。けれど何もない世界。シンジはこの世界に深い恐怖を覚えた。
その時、背後に誰かの気配を感じて慌てて後ろを振り返った。
「あっ、アスカそこにいたんだ!」
先程まで何も存在していなかった空間にアスカの姿が浮かんでいた。
アスカはシンジを見ると、ふっと微笑んだ。それは柔らかな優しい、それでいてどこか寂しげな笑みだった。
「よかった。アスカがいなくなったのかと思ったよ。」アスカの姿に深い安堵の息をつくシンジだった。
アスカの側に行こうと歩を進めるシンジ。その顔は喜びに溢れていた。
(アスカ、アスカが居てくれたんだ!よかった、本当に良かった!)
けれどいつまで経ってもシンジとアスカの距離は縮まらなかった。いつしかシンジは歩みから駆け足に
なっていた。それでもアスカとの距離は一向に縮まらなかった。


(なんで!どうしてアスカの所に行けないんだ!アスカ、アスカ、待ってよ!)
シンジの焦燥をよそに、アスカはただ寂しげな微笑みを浮かべシンジを見ているだけだった。
永遠に続くかと思われる追いかけっこ。
だが、それはシンジが最も恐れていた結末を迎える。
寂しげに微笑んでいたアスカの右手がゆっくりと上がると必死に追いかけるシンジに左右に振られた。
それをきっかけにシンジとアスカの距離が目にみえて離れはじめる。
いくら手足を動かそうとも、距離は広がっていくばかりだった。
このままアスカに置いていかれてしまうような恐怖にシンジの心はパニックを起こしていた。
さっきまですぐ側にいてくれたアスカがどんどん離れていってしまう。
シンジが呼んでも寂しげな微笑みを浮かべるだけで何も答えてくれない。
アスカが自分の手の届かない世界へ行ってしまう…哀しみと恐怖で膨らんでいくシンジの心。
「アスカ!アスカ、待ってよ!僕を…僕を置いていかないでよ…。僕を一人ぼっちにしないでよ。」
アスカへの思い、それを喪失する事への恐怖、哀しみが絶叫となって弾ける。
「アスカ―――――っ!」
白い闇の中にシンジの絶望が響き渡っていった…。

「はっ!」暗闇の中、弾かれたように跳び起きるシンジ。
息苦しくなる程、早鐘のように激しく打ち続けられている鼓動、汗でぐっしょりと濡れた身体。
シンと静まりかえった部屋。CDの回る音だけがかすかに聞こえていた。
「夢…だったのか?」ようやく現実の世界に戻るシンジ。
だが今見た夢の衝撃からは直ぐに立ち直れそうにはなかった。激しい動悸は治まる気配を見せず、
身体が鉛のように重かった。額の汗を拭おうとしたシンジはその時自分が泣いている事に気づいた。
「僕は…泣いているのか…。」指で涙を拭おうとする。けれども涙は次から次へと溢れ出し、シンジの頬を
濡らしていった。たった今感じた哀しみと喪失感の大きさがシンジを押し潰す。
立ち上がる事もできず、その場にうずくまってしまう。
先程までシンジを照らしていた月は群雲に隠れ、ただ闇だけがシンジを覆っていた。
不安に怯え、哀しみに震えるシンジを照らしてくれる光はどこにもなかった。

● 4.学校にて
昨夜の衝撃も癒えぬまま一人登校したシンジだったが、学校にいても夢の事が頭から離れず、
ついアスカの席を目で追ってしまっていた。そして空っぽの席にアスカの不在を確認し、溜息をつく。
そんなシンジの様子を興味深げに見つめるヒカリの姿があった。
そして昼休み。いつもの3バカ+トウジのお弁当の供給者であるヒカリの姿が屋上にあった。
「なんやて!惣流の奴ドイツへ帰るんか?」トウジの大きな声が青い空に響き渡る。
「何聞いてんのよ、鈴原!2週間ドイツに戻るだけだって碇くん話したじゃないの。」ヒカリが窘める。
いつも変わらぬトウジとヒカリのやり取りにシンジの顔に笑みが浮かぶ。
「寂しいだろ、碇。惣流が2週間もいないなんてさ。」すかさずケンスケが茶々をいれる。


「そ…そんな事…。」ケンスケに本音をつかれしどろもどろになってしまうシンジ。
「…あるよね、碇君!」そんなシンジの言葉を引き継いだのはニコニコと嬉しそうなヒカリだった。
いつにないヒカリの突っ込みに思わず顔を見合わせる3バカトリオの面々。
そんな事はお構いなしに更にニコニコ度をUPしたヒカリが話を続ける。
「だって今日の碇君いつもと全然違うわよ!碇君っていつも物静かだけど、アスカと一緒の碇君は
アスカに怒られたり引張り回されたりしながらもどこか楽しそうだもの。」と断定するヒカリ。
「なんや委員長、それなら惣流抜きのシンジは静かなシンジちゅーことで、別に今日のシンジと何も
変わらんのやないか?」とトウジが素直に自分の疑問をヒカリに投げかける。
「それが違うの。」両手の指先を絡めながら楽しげにヒカリが答える。
「いい、例えばアスカがエヴァの試験とかでネルフに出掛けていて碇君一人で学校にいるとするじゃない、
その時の碇君て静かだけど、今のような寂しそうな目してないわよ。」
ヒカリはそこで一度言葉を切ると、シンジの瞳を覗き込むようにして言った。
「それは家に帰ればアスカがいるっていう安心感があるからじゃないのかしら。」
ヒカリの鋭い心理分析にケンスケが即座に合いの手を打つ。
「なるほど、今回の惣流のドイツ行きはシンジにとって初めての長いお別れってわけなのか。」
親友のアスカに対するシンジの思いの深さを垣間見る事ができた事が今日のヒカリを能弁にしていた。
一方ケンスケもシンジのアスカへの思いの真摯さを改めて知り陰ながら応援していこうと考えていた。
ただし残された若干1名にそこまで細やかな心遣いを求めるのは酷なことだったかもしれない。
「かあーっ。たかだか2週間ぽっち離れるだけでそのざまかいな。」
トウジの余りにもトウジらしい反応に苦笑するヒカリとケンスケ。
「そういうなよ、トウジ。シンジは僕たちと違って繊細な所があるんだからさ。」とケンスケが助け船を出す。
「お前等はシンジを甘やかし過ぎや!ええかシンジ、男ちゅーもんはやな…。」
トウジが男を語ろうとした時、その背後からいつもより1オクターブ低い少女の声が響いた。
「す・ず・は・ら…。」スタッカートで呼ばれる自分の名前にトウジは殺気を感じた。
「いや、これはやな…。その…。」弁解を試みるトウジ。
「全くあんたって人は…、どうしてそうデリカシーってものがないの!」ヒカリの一喝が飛ぶ。
この時点でヘニャヘニャになっているトウジに見切りをつけるとケンスケはシンジに話かけた。
「全くあのふたりも毎日毎日同じ事繰り返してよく飽きないもんだよな〜。」
しかしシンジからの返事はなかった。やれやれといった表情でケンスケはシンジの横顔を見た。
「たった2週間、されど2週間っていうとこかな?」
シンジの気持を代弁するケンスケ。けれども、またシンジの返事はなかった。
「でも性格に問題があるとはいえ、惣流の様な美少女と葛城3佐の様な美人と同居しているんだもんな。   羨ましい限りだよ。普通いないぞシンジのような幸せな奴はさ。」
なんとかシンジを元気づけようとするケンスケだったが、返って来たのは予想もしない言葉だった。
「そうだよね…今の生活が特別なんだよね…。」シンジはそうつぶやくとまた何か考え込んでしまった。
「幸せって長くは続かないものなのかもしれないね…。」ポツリとシンジが呟く。
いつもと違うシンジの様子にかける言葉を失うケンスケだった。


● 5.会いたくて
学校でのケンスケ達との会話のあと、どうしてもアスカの顔を見たくなったシンジは急いで夜食のお弁当を
作るとネルフ本部へと出掛けた。けれどアスカは実験中と言う事でシンジを出迎えたのは実験責任者の
赤木リツコ博士と伊吹マヤ、葛城ミサトの興味津々な笑顔だった。
案の定、さんざん3人にからかわれてほうほうの体でその場から逃げ出すシンジであった。
そして、シンジが立ち去ってから30分後…。
「ああ〜疲れた〜。」大きな伸びをしながらアスカが実験装置から出てきた。
「アスカ、お疲れ。次の実験の準備が整うまで3時間ほどあるから仮眠していていいわよ。」
「アスカちゃん、お腹は空いてない?」リツコ、マヤがアスカに話かける。
「う〜ん、空いているといえば空いているんだけど…。でも眠る方がいいかな。
それに眠る前に食べると太っちゃうからなあ…。」そう言いながら視線をお腹の辺りに向けるアスカ。
「あ、そう。じゃあシンちゃんがアスカの為に差し入れてくれたこのお弁当はあたし達で頂いていいのね!」
仕掛けるタイミングを計っていたミサトがさらりとアスカに話かける。
「え?シンジのお弁当。ミサト、シンジ来ているの!?」
ミサトの言葉に敏感な反応をしめし、椅子を蹴って立ち上がるとキョロキョロと部屋の中に視線を走らせる。
あまりにもわかりやすいアスカの反応に苦笑し、同時に羨ましく思う3人だった。
「ミサトのうそつき、シンジ何処にもいないじゃない!」 シンジを探して廊下まで見に行ったらしいアスカが
戻って来てミサトに抗議する。シンジがいないのが本当に悔しいらしく憤懣やる方ないといった感じだ。
「あら、30分前には確かにいたのよ。」事なげにそう答えるミサトを疑うようにジト目で睨みつけるアスカに 苦笑しながらリツコが助け船を出す。保護者としてのミサトの信頼はないに等しいのかもしれない。
「本当よ、アスカ。シンジくんはアスカにって御弁当を作って来てくれたのよ。あなたの実験が終わるまで  待っているよう勧めたんだけどね…。ミサトがあんまりシンジくんをからかうものだから真っ赤になって
帰っちゃったのよ。全くしょうがない人ね…。」とミサトを軽く睨んだ。
「何よ、シンちゃんに「あらシンジ君、奥さんにお弁当届けにきたの。」なんていきなり声かけたのはリツコ、
あんたじゃないのよ〜。」ミサトのいきなりの暴露にリツコは慌ててアスカの矛先を変えようとする。
「いやね、軽い冗談じゃないの。でも赤くなったシンジ君に「旦那様お手製の愛情たっぷりのお弁当が
食べられるなんてアスカちゃん幸せですね。羨ましいわ。」って言ったのはマヤだったわよね。」
いきなり自分に矛先が向けられて狼狽するマヤに更にアスカからの無言のプレッシャーが圧し掛かる。
「そ…そんな、葛城3佐だって「そうよ、シンちゃんとアスカったら家でもいつもこんな調子でラブラブ
なんだから」とか、先輩だって「成る程、近頃シンクロ率が同じくらいまでに上っているのも
そのせいかしらね!」なんてシンジ君に言っていたじゃないですかあ! 」
一度決壊した堤防から濁流が戻らないように3人の暴露話は延々と続くかと思われた。
その醜い責任の擦り付けあいに終止符を打ったのはアスカの一言だった。
「わかったわ、要するに皆でシンジをからかったっていう事ね!」
両手を組んだまま3人を睨みつけるアスカ。その迫力は使徒に対峙した時に勝るとも劣らないものだった。
そんなアスカに三者三様な反応を見せるネルフかしまし娘。(今の人は知らないですよね…)



(成る程、ATフィールドっていうのはこんな感じなのかしらね。凄いプレッシャーね。参考になるわ。)
(うわー、アスカちゃん凄い迫力。先輩どうしましょう〜。)
(慌てないのマヤ。私達は猫にまたたびならぬアスカに対しての絶対のアイテムをもっているでしょう。)
「アスカ。」彼女を刺激しないように静かにリツコが呼びかける。
「何よ!」取り付く島もないようなアスカの返事。だがリツコは動じなかった。
「あなたシンジ君のお弁当いらないの?」リツコの言葉にアスカの耳がピクっと反応する。
「そうですよ。せっかくシンジ君が作ってくれたお弁当冷めちゃいますよ。」マヤが慌ててフォローする。
「でもアスカ、仮眠するんだったらお弁当はいらないわよね。」止めのミサトの一言。
3人の言葉に一瞬考えるアスカだったが、テーブルの上に置かれていたお弁当の包みを手にとると
そのまま部屋から出て行こうとした。そんなアスカをミサトが呼び止める。
「あらん?アスカ、お弁当持って何処へ行くの?」
「…急に眠気が覚めちゃったから、控え室でお弁当食べているわ。せっかく、シンジがあたしの為に
作ってくれたお弁当なんだから、食べてあげないと…か…可哀相じゃない。」
できるだけ自然に答えようとしたらしいがアスカの頬が赤く染まっていることを見逃す3人ではなかった。
「ふ〜ん、そうなの。まあいいわ、シンちゃんの愛情弁当食べてらっしゃいな!」とミサト。
「そ…そんなんじゃないわよ!」慌てて反論するアスカにリツコが声をかける。
「全く、ミサトったら…。アスカ、気にしないで食べてきなさい。準備ができたら呼ぶからね。」
「は〜い!」そう言いながら出て行こうとしたアスカだったが、クルリと振り返るとひとこと言った。
「そうだ、マヤ、ひとつ間違っているわよ。」
名指しで呼ばれビクっとするマヤに構わずアスカは言葉を続けた。
「シンジのお弁当は冷めても美味しいんですからね!」
そう言い捨てると呆然とする3人を残していそいそと控え室に向かうのであった。
しばらくして、ようやく我に返る3人であった。
「全く…食べたいなら食べたいって素直に言えばいいのにね。アスカらしいわ。」
「あらミサト、あなた気がつかなかったの?アスカったらしっかり女の子してたわよ。」
「ホント、嬉しそうな顔してましたよねアスカちゃん。自分だけのお弁当手にして…。」
「そう。まあガサツなミサトにはアスカの微妙な言葉のニュアンスや表情には気づかないかもね。」
「何よ、それじゃあたしが鈍感な女みたいじゃない。いい、あたしが今あのふたりに一番近い所にいるのよ。
ふたりの事はあたしが一番良く知っているんですからね。」腕を組んだ姿勢でそう反論するミサト。
「じゃあ貴女の目からみてシンジ君とアスカ、進展しているの?」リツコが問いかける。
「どうなんですか、お家でのふたりって?」興味津々という感じでマヤも聞いてくる。
「じれったいふたりだけどね…ま、一歩一歩近づいてはいるみたいね。」ミサトの正直な感想。
「そう、でも何かきっかけがあれば一気に進むかも知れないわね、あの2人…。」
そんなリツコの言葉にミサトの頭脳が敏感に反応する。それは作戦部長の顔と同じであった。
「いい考えがあるわ!こうするのよ、ちょっとリツコ、マヤ、耳貸しなさいよ!」
意気揚揚たるミサトの態度につい引き込まれてしまうリツコとマヤ。
やがて実験室に不敵な忍び笑いが響いた。それはアスカもシンジも知る由のないことだった。


● 6.晴れた空の下で
そして、遂にアスカがドイツに出発する日がやって来た。
空は青く晴れ渡り、まるでアスカのフライトを祝っているかのようだった。
アスカはネルフからミサトとお目付け役の加持と空港に直行していた。ミサトからの連絡でアスカの
忘れ物を持ってきたシンジが空港に着いたのは出発の20分程前であった。
久し振りにみるアスカの姿に胸がドキンとするシンジであった。
「遅いわよ、シンジ。専用機に乗り込むまで後10分位しかないんだからね!」
そんなアスカの怒った声すら今のシンジには心地よく聞こえていた。
「ご、ごめん。ちょっと手間取っちゃって。はいこれ…。」そう言いながらシンジはアスカのお気に入りの
赤いバスタオルの入った包みを手渡した。
「ダンケ、シンジ!あれ、これなあに?」一緒に手渡された小さな紙袋に気づいたアスカが尋ねる。
「あ、それは…その、ドイツへは加持さんと弐号機と一緒にネルフ専用機で行くって聞いたから、
旅の途中でつまんでもらえればって思ってさ…。」照れくさそうに頭をかくシンジ。
その様子に不思議そうな顔で紙袋を開けてみる。そこにはお手製のクッキーが詰められていた。
「これ、あんた…。」まだ仄かに温かいクッキー。今朝になって慌てて作ったのだろう。
シンジの思いやりに心の中が温かくなるアスカだった。
「気に入らないかな…?」クッキーを抱えたままのアスカにシンジが不安そうに尋ねる。
「ばかね!気に入らないわけないじゃない!ありがとう、とっても嬉しいよ、シンジのお手製だもんね。」
ニッコリとシンジに微笑む。自分でも驚くほど素直に言えたお礼の言葉。その勢いで更に続ける。
「シンジ、差し入れのお弁当ありがとうね。とっても、とっても美味しかったよ!」
アスカの言葉にシンジの顔にも喜びの笑みが溢れる。見つめあうふたり。
その時アスカを呼ぶミサトの声がふたりの間に割り込んだ。「アスカ、そろそろ時間よ!」
一瞬、ハッとなるふたり。俯くシンジにアスカは思いを断ち切るように元気な声で告げる。
「じゃあシンジ、あたしの留守中二日に一回だけ掃除の為に部屋の中に入る事を許してあげるから
綺麗にしとくのよ。言っておくけどタンスの中とか覗くんじゃないわよ!」
茶目っ気たっぷりにシンジに話かけるアスカだったが、シンジは俯いたままであった。
「じゃあ、行ってくるわね。」アスカはバックを肩に掛けるとシンジに微笑みながら右手を差し出した。
「シンジ行ってくるね!はい、握手!」半ば強引にシンジの手を握る。
そして勢いよくシンジの右手を2〜3度振りまわすと手を離しゲートに向かおうとした。
けれどもアスカの手はしっかりとシンジの手に握り締められていて離れなかった。
「シンジ…?どうしたの…?」心配そうにシンジに尋ねる。
「…行っちゃ、やだ……。」俯いたまま答えるシンジ。シンジの足元にポツリポツリと涙がこぼれる。
「ちょっとシンジ、どうしちゃったの?」突然のシンジの涙にめずらしくうろたえてしまうアスカ。
シンジに握られたままの右手が熱い。痛いくらいに強く握られている。
いつも自分の心を隠してしまうシンジにしては珍しい、率直な心の発現だった。
シンジの言いたい事がわからず戸惑うアスカ。やがてシンジの唇がゆっくりと開く。
「アスカ…僕を一人にしないで…。」


「…だめなんだ、アスカでなくちゃ……。」
ずっと心の奥底に秘めていたのであろう…シンジのその一言にアスカは胸がきゅんと締め付けられるようなせつなさと喜びを感じた。頬が熱くなってくのが自分でもわかった。
「シンジ……。」
いつもなら照れ隠しにシンジをばか呼ばわりしてしまうのだが、シンジの真剣な姿に胸がいっぱいに
なってしまい言葉を続けることができないアスカだった。
俯いたまま涙をこぼすシンジ、そして真っ赤になったまま優しい笑みを浮かべシンジを見つめるアスカ、
空港の雑踏の中ふたりだけの世界がそこにはあった。
がしかし、余りにも意外な展開に呆然としていたネルフのかしまし娘がふたりの世界に乱入してきた。
「ごめんねアスカ、ちょっちシンちゃんの事脅かし過ぎちゃったみたい……」(ミサト邪魔しないでよっ!)
「まさか手を握ったまま泣き出すとはね…意外だったわ。」(シンジは繊細なのよ、リツコ!)
「でもシンジくんなんか健気でキュンときちゃいましたね。」(キュンとしていいのはあたしだけよ、マヤ。)
「ちょっとあんた達シンジに一体何を言ったのよ!」シンジの行動の原因がこの3人にあると
確信したアスカはキッと睨みつけながら3人に詰問した。
「うん、大した事じゃないのよ。アスカもドイツやドイツのご両親が恋しいでしょうね。とかさ…。」
「ドイツにいた方がアスカの将来の為になるんでしょうね、とか」
「一度ドイツに戻ったらもう帰って来ないんじゃないかしら、とか言っただけですよ。」
3人とも平然とした顔でさらりと今のシンジにとってどれほど残酷か容易に想像できるような言葉を
次々に並び立てた。流石にアスカの顔から笑顔が消える。
「あんた達、あたしが出発の準備で忙しかった隙にそんな事シンジに吹き込んでいたの!」
3人を詰問するアスカの姿はまさに阿修羅のようであった。がへこたれるような3人ではなかった。
「ほら、少し脅かしといた方がドラマチックなシーンが見られるかな?って思ったのよ。」
「でも予想以上に上手くいきましたね、先輩!」
「そうねMAGIの予想を越えるなんてシンジ君やるわね。データ入れ直さなくっちゃ。」
全く反省の色のない3人に脱力感すら覚えるアスカだった。
「もう〜あんた達は…。もういいわ…。」ひとつ深いため息をつく。
「ちょっとシンジと2人だけで話させてよ。ミサト達がいるとまとまる話もまとまらなくなっちゃうわ。」
そういうと俯いてアスカの手を握り締めたままのシンジを強引に滑走路のウィンドウの側に連れて行く。
そして握り締められている右手に左手を重ねると優しくシンジに話始めた。
「ほらシンジ、あんたも男なんだから泣かないの…。たったの2週間じゃない。」
アスカの言葉にようやくシンジが顔を上げる。涙で汚れたその顔に思わず微笑むアスカ。
「あたしもちょっと浮かれすぎていたかもしれないけど、シンジにはわかってほしいな。
今のあたしはドイツよりもどこよりも今の生活が一番好きなの。…あんたの側が一番落ち着くのよ…。」
シンジを見つめるアスカの頬がリンゴのように真っ赤に染まる。
「2週間で必ず帰ってくるから、ちゃんとご飯の用意しといてよね。」
照れ隠しの為か努めて明るく快活な調子でシンジに話かける。そんなアスカの姿にシンジの顔にも
微笑が浮かぶ。その時…。


ポロリ…ポロリ…。
「もう、ばかシンジなんだから…」アスカの目からも涙がこぼれ始めていた。
「絶対泣かないって決めていたのに…。こうなったのもあんたの所為なんだから、ちゃんと責任とってよ!」
泣いたまま怒る姿にシンジはアスカの本当の心にようやく気づいた。
「アスカは…寂しくないのかと思っていた…。」
「あんたバカあ。2週間も…と離れるのよ…寂しくないわけないじゃない。男ならそれくらい察しなさいよ。」
「ごめん、アスカ。」
「ちょっとだけ泣かせなさいよね。こんな顔じゃドイツに行けないじゃない!」
そう言うやいなやアスカはシンジの胸に顔を埋めると今までこらえていた涙を一気に流し始めた。
シンジはそっとアスカの背中を抱くと髪を優しく撫で始めた。それは優しい風景だった。
5分もそうしていたであろうか、涙を流し終えたアスカはいつものアスカに戻っていた。
真正面からシンジの瞳を見つめると凛とした声で言った。
「いいこと、あたしが帰ってくる時には到着の1時間前には必ず迎えに来てるのよ!」
いつものアスカらしくなった事を少し残念に、そしてとても嬉しく思うシンジの顔に笑みが浮かぶ。
「この街に戻ってきた時、あんたが最初にあたしを迎えてよね!約束よ、シンジ!!」
「うん、わかったよ。必ず迎えに来るから。」
「宜しい!じゃ、行って来るね、シンジ。」その言葉を残して一陣の風の様にアスカは駆け出して行った。
シンジの瞳には翻ったアスカの赤みがかった金色の髪が焼きついていた。
そのまま立ち尽くすシンジの肩にミサトがそっと手を添える。
「行っちゃったわね。」それは先ほどまでの悪乗りしていた人物とは別人のような大人の表情だった。
「そうですね。…でもすぐ帰ってきますよ。」そう答えるシンジの横顔からは寂しさの色は消えていなかったが、もう迷いは感じられなくなっていた。「アスカが約束してくれたんですから。」
「そういえばシンちゃん、アスカ別れ際に何て言ったの?」ふと気づいたようにミサトが尋ねる。
「え…な、何の事ですか?」ミサト相手にとぼけようとするシンジ。
「あ〜らシンちゃん、この私相手にとぼけられると思っているのかしら。」無駄な抵抗だった。
観念したかの様に話し始めるシンジ。けれども、その表情はとても嬉しそうだった。
「アスカが言ってくれたんです。今度はドイツに一緒に行こうって…。僕にドイツや自分の御両親、幼い頃の
話をしたのは僕にもドイツを好きになってほしかったからなんだそうです。それで、その時には僕の事を
アスカのご両親に紹介したいからって…。」そこまで言うと真っ赤になってしまう。
ミサトもそれ以上シンジののろけを聞くつもりはなかったので視線を弐号機が去っていった空に向けた。
(このふたり随分進展したみたいね、「だめなんだ…アスカでなくちゃ」か…。あたしも一度は言われてみたいわよね〜。加持の奴、あたしに言ってくれるかな〜。)
青い空に加持リョウジの姿が浮かんで見える。
その時(「葛城、だめなんだ…お前じゃなきゃ。」)そんな加持の声が聞こえたような気がした。
瞬間ドキンとするミサト。だがそんな幻を振り切るように頭を4、5回大きく振った。
(駄目ね。あいつじゃ…。誰にでも同じ事、言いそうだもんね。しかも表情ひとつ変えずに…。)
周囲に気づかれないよう小さくため息をつくミサトだった。


● 7.テレフォン・コール
アスカがドイツに発ってから早くも10日余りが過ぎていた。そして今日も葛城家の電話のベルが鳴った。
風呂上りのえびちゅを楽しんでいたミサトはやれやれといった感じで席を立つと受話器を取った。
「はい、アスカ?どう今日の予定は…?順調、そう良かったわね。…で、お目当てはシンちゃんなんでしょ。」
「…別にシンジに用があるわけじゃないんだけどさ…。まあ、話してあげてもいいわよ…。」
(何言ってんのよ、ドイツに行ってから毎晩国際電話かけて来るなんて…まったく…。)
シンジと話したいと素直に言えないアスカにミサトの悪戯心が動き出す。
「あら残念ね、シンちゃんね販売機まで今あたしのえびちゅ買いに出掛けて留守なのよ。」
「え〜〜〜っ!ミサト、あんたシンジに何させてんのよ!そっちはもう夜中でしょ!」
「ふふ…冗談よ、冗談。アスカったら焦っちゃって、可愛いところあるじゃない。」
「む〜っ!」ミサトの罠に見事に嵌ってしまいぐうの音もでないアスカ。
「シンちゃん、今お風呂に入っているのよ。ちょっち待ってね。」そういうと子機に切り替え、
風呂場へ鼻唄交じりに歩き出した。
(さあて、どうからかってやろうかしら!)保護者とも思えぬ企てをしながら歩くミサト。
風呂場に着くといきなり浴室のドアを開き、シンジに子機を突きつけた。
「シンちゃん〜、ドイツの愛しいアスカちゃんからラブコールよん!」
いきなり扉を開けられ慌てて浴槽に飛び込むシンジ。浴槽からなんとか子機を受け取ろうとする。
ミサトはにんまりと笑いながら更に追い討ちをかける。
「まあ!シンジくんたら…大胆。そんな姿を見せられたらお姉さん困っちゃうわ!」
「むきーっ!シンジ、あんたどんな格好してるのよっ!」
「誤解だよ、アスカ!ミサトさん、悪ふざけは止めて下さい。アスカが本気にしちゃうじゃないですか!」
「あら、純真な少年と魅力溢れる年上の女性がお風呂場で二人っきりなのよ、何が起こっても不思議じゃ ないじゃない。ねえ、アスカ!」明らかに二人をからかう事を楽しんでいるミサトだった。
「…ミサト、シンジに手出ししたら許さないからね…。もし誘惑なんかしたらネルフドイツ支部…潰すわよ。」
(やば…アスカったら声が本気だわ…。これ以上からかわない方が良さそうね。)
「はいはい、邪魔者は消えますよ。シンちゃん長電話して風邪なんかひかないようにね。」
充分楽しんだ事もありミサトはあっさりとシンジに子機を渡すと浴室を後にした
浴槽に入ったままシンジはアスカと今日あった事やいろいろな事を話した。そして…。
「あのさあ、アスカ…。かれこれ1時間以上話しているんだけど、電話代大丈夫なの?」
「全然平気よ、電話代ネルフ持ちだもん!でもそろそろシンジ眠る時間でしょ。じゃあ切るね。」
そう言って電話を切ろうとするアスカをシンジが慌てて止める。
「ちょっと、ちょっと待ってよアスカ!まだ聞きたいことが…。」
「何よ、聞きたい事って。」シンジの質問を予想しているのかアスカの声が弾んでいる。
「その…アスカ、いつ帰ってくるのかな…。」
「知りたい?」からかうようなアスカの声。敗北を認めつつも答えるシンジ。
「教えて下さい。お願いします。」シンジの言葉にくすくす笑う声が聞こえてくる。
「宜しい、教えてあげるわ。そっちの時間で明後日の1445に着く予定よ!」


「明後日の1445だね。弐号機や加持さんと一緒かな?」
「違うわよ、加持さんは弐号機とネルフ専用機で1000に着く予定よ。あたしは民間機で帰るの。」
「へえ、そうなんだ。」意外そうなシンジの声にアスカが説明を加える。
「何でもフランクフルト航空のファーストクラスを用意してくれたみたい、だから正直楽しみなんだ!
ネルフ専用機じゃ食事も携帯食、お茶もお菓子も出ないんだから!もうこりごりよ。」
「そうなんだ…美味しいものがでるといいね!」素直なシンジの言葉に微笑むアスカ。
「あんたのご飯以上に美味しい物なんてないでしょうけどね…。」ポロリと本音がこぼれてしまう。
「え?今何て言ったの、アスカ。」相変わらず鈍いシンジだった。
自分の本音がシンジに気づかれないよう慌てて話題を変えようとする。
「いい、ちゃんと覚えておきなさいよ!第3新東京市に1445に到着するフランクフルト機なんだからね。
間違えたり、遅刻したりしたら承知しないからね!」
「わかったよ、1445着のフランクフルト機だね。」アスカの言葉を復唱するシンジ。
遠く離れたふたつの都市をつないで少年と少女の電話はいつ終わることなく続くのであった。

● 8.使徒襲来
そしてアスカが帰国する日がやって来た。今日も空は青く晴れ渡っていた。
シンジはアスカを一番で迎える為、1200には空港のロビーに到着していた。
(やっとアスカに会えるんだ。最初に何て言えばいいのかな?お疲れ様かな?)
2時間以上先の事をあれこれ悩むシンジであった。
その時、蛇がのたうちまわるような大きな振動が空港全体を揺るがした。
突然の事に大騒ぎになる空港ロビー。係員達の声と乗客の悲鳴で混乱状態になってしまう。
「な…何なんだ、この振動は?」そんな中シンジは冷静に状況を把握しようとしていた。
「ただの地震の揺れじゃない。多少の地震ならここはビクともしない処置が施されているって
ミサトさんから聞いた覚えがある…。じゃあ、これは…。」
「そうだ、ミサトさんに…。ミサトさんなら何か知っているかもしれない。」
ポケットから携帯を取り出すと迷わずミサトへのホットラインの番号をプッシュした。
丁度その頃、ネルフ本部でも異常振動について情報が集められていた。
「第3新東京市国際空港近辺の海域に異常な振動波が発生しています。」
「富士箱根火山帯に異常は見られません。このエリアだけに発生しています。」
「空港近辺に異常磁場が発生して長、中距離の無線が通じません。」
次々と入電される情報はいずれもこれがただの地震でないことを示していた。
「葛城3佐、弐号機とパイロットの現状について報告したまえ。」
腕を組んだままネルフ指令 碇ゲンドウが要求する。サングラスの奥の眼があやしく光っている。
「はい。弐号機は1000定刻通りに専用機によって第3東京市国際空港に到着しております。1400現在
ネルフ本部搬送の準備作業を進めている所です。」澱みなく答えるミサト。
「またパイロットは1445着のフランクフルト機によって到着する予定です。乗客名簿に惣流・アスカ・
ラングレーの名前を確認しました。」的確な報告はミサトの能力の高さを裏づけるものであった。


「初号機のパイロットはどうした?」顔色ひとつ変えずにゲンドウが尋ねる。
その質問に今まで澱みなく報告していたミサトの口調が滞る。
「はい、…その、1400現在第3新東京市国際空港にいる事が確認されております…。」
ミサトの危惧に反してゲンドウは特にシンジを責めるような事はしなかった。
「そうか…ならば呼び寄せるより、送る方が早いな。」
「はっ?」意外なゲンドウの言葉に一瞬呆気にとられるミサトだった。
「葛城3佐、至急初号機を国際空港まで送りたまえ。」
瞬時にゲンドウの意図を察し、使徒迎撃の為に初号機の搬送の手順を頭に描く。
「わかりました。日向君!実務責任者、お願いね。」
「了解しました。では僕はゲージの方へ…。」早速席を立つ日向。
「頼んだわよ、日向君!」日向の背中に一言声をかける。
その時モニターを監視していた青葉の絶叫とも思える報告が響く。
「第3新東京市国際空港海域に未確認物体出現!パターン青、ただし使徒の確率78%です!」
「最悪ね!」小さく舌打ちをするミサト。(よりによってこんな時に…。)
「葛城3佐、至急エヴァ初号機を出撃させたまえ。目的は使徒の殲滅。サポートとしてレイも出撃。」
「わかりました!」ゲンドウの命令を具体的に指示するミサトの声が発令所に響き始めた。

● 9.シンジの決断
「あれが使徒?なんか蟹みたいだな…?」スコープの中央に使徒を捕らえたシンジが呟く。
「いい、シンジ君。最終確認よ。」スピーカーよりミサトの声が響く。
「作戦開始時刻1435、海より空港敷地内に上陸しようとしている使徒に対し、支援火力をもって攻撃。
爆風で使徒の上体をあげさせ、露になった腹部に初号機の全火力を叩き込み一気に殲滅する。
無線が封じられていた為フランクフルト機に状況が伝えられなかったの。
飛行機はもう着陸態勢に入っているから絶対に失敗は許されないわ。」ミサトの声に緊張が走る。
それはシンジも重々承知していることであった。ここで使徒の殲滅に失敗したらアスカの身が危険になる。
トリガーを握るシンジの掌も緊張で少し震えていた。「シンジ君、行くわよ!」「はい!」
「作戦開始!」ミサトの号令と共に攻撃可能な全火力が使徒に向けて放たれる。
天地が引っくり返ったかのような轟音と共に無数のミサイルが使徒の足元で爆発する
大量の海水と土くれが使徒の足元から吹き上がり、たまらず使徒の状態が持ち上がっていく。
「今よ、シンジ君!」ミサトの声がするやいなやシンジはトリガーを引いた。初号機からの火線が
使徒の無防備な腹部に命中する、と誰もが思った瞬間使徒は信じられないスピードで移動していた。
その度に滑走路に使徒の爪が突き立てられて行く。滑走路の中ほどまで来た所で使徒は
移動を止め、初号機と向き合った。思いもしない使徒の行動に自分の甘さを悔やむシンジだった。
その時、使徒の右後方に着陸態勢に入った旅客機の機影が見えた。
1445着のアスカを乗せたフランクフルト機に間違いなかった。
滑走路はズタズタにされ、このままでは旅客機が地上に墜落することは火を見るより明らかであった。
目前の使徒と旅客機を見比べ、シンジは自らひとつの決断を下した。


「初号機が旅客機を受けとめようとしています。」狼狽したようなマヤの声。
モニターには着陸体勢に入った旅客機に正対する初号機の姿があった。
「無茶よ!ミサト、シンジ君に連絡して旅客機はあきらめて使徒を倒す事を優先しなさいって。」
常に冷静なリツコもシンジのこれからの行動の成算の低さに声高に叫ぶ。
「無理よ、シンジ君には自分の目の前で死に直面している人を見捨てるなんて事はできないわ。まして
あの飛行機にアスカが乗っていると判っているんだから、たとえ自分が死んでも飛行機を見捨てる事は
絶対にしないわ。」モニターを見つめたまま断言するミサト。その口調は驚く程冷静なものであった。
「初号機ATシールドを前方に展開します!」再びマヤが叫ぶ。
「本気なの、ATフィールドをクッションにしようっていうの?」すでに悲鳴に近いリツコの声。
「やる気ねシンちゃん。いいわ、それでこそ男の子よ。全ミサイル発射、シンジ君を援護して!
初号機が使徒の攻撃を受けないよう使徒を牽制して頂戴。」ミサトの的確な指示が飛ぶ。
「レイはまだ移動中か…。他にできることは…。」
懸命にシンジを支援する策を考えるミサトだった。その時ゲンドウの声が聞こえた。
「葛城3佐、パイロットに回線をつないでくれ。」
有無を言わせぬゲンドウの迫力にミサトは初号機との回線をつないだ。
「シンジ…。」モニター越しにシンジを睨みつける。
「と…父さん…。」ゲンドウの視線に狼狽の色を隠せないシンジ。
「シンジ、お前は今自分が何をしようとしているのか判っているのか?」
「…。」
「飛行機を支えたまま使徒の攻撃を受けきれるつもりか?」
「…。」
「シンジ!」矛のような鋭いゲンドウの声がシンジに突き刺さる。
「僕は自分が今何をしなければならないか判っている。だからたとえ父さんの命令でも聞けない!」
ゲンドウの問いに初めてシンジの答えが返ってきた。それは決意を固めた男の声だった。
シンジの言葉にゲンドウの眼がキラリと光る。だが出てきたのは思いもよらぬ言葉であった。
「そうか……ならばシンジ、思う存分やるがいい。命を懸けて守らなければならないものがあるなら
お前のすべての力で守って見せろ。…エヴァと母さんがおまえを守ってくれるだろう…。」
「父さん…ありがとう。」思いもしなかった肯定の言葉に涙ぐむシンジだった。
初めて父親と思いを交わす事ができた…心が震えるような喜びにATフィールドが強く輝く。
そして遂に初号機のATフィールドが旅客機を捕捉する。
このまま地上に降ろす事ができれば乗客を助けられる、そう思った瞬間、まるで蟹の脚の様な触手が
槍のように伸び、初号機の身体を貫いた。
あまりの激痛に苦悶の声をあげるシンジ。そんなシンジの反応を喜ぶ様に更に触手を放つ。
数本の触手が初号機の身体を貫く。激痛を堪えるシンジのうめきが発令所に聞こえてくる。
ATフィールドで旅客機を支える初号機の身体がふらつく。限界が近いのは誰の目にも明白であった。
あと数回使徒の攻撃を受ければ初号機は旅客機もろとも倒れてしまうだろう。
誰もが最悪の事態を想像した。


その時、使徒に向かってパレットガンの銃線が走った。それは正確に使徒を捉えた。
突然の攻撃に狼狽する使徒。慌てて初号機を貫いていた触手を本体に戻す。
「いったいどこから?」ミサトは食い入るようにモニターを見つめた。
「エヴァ弐号機確認!起動しています。」信じられないという感じのマヤの声が響く。
その声に呼ばれるように発令所のモニターに加持リョウジの顔が映し出された。
「…葛城か?加持だ。いまアスカが弐号機を起動させた。今のアスカは歯止めが利かないぞ。
すぐに周囲の全部隊に撤退命令を出すんだ。」
「なんで、アスカが…。」加持の言葉に呆気にとられるミサト達。そんな彼女たちに加持の叱責が飛ぶ。
「考えるのは後だ!今俺たちが成すべき事をするんだ!」
加持の言葉に夢から覚めたように動き出すミサト達だったが、ゲンドウだけが笑みを浮かべていた。
「まさか、この事を知っていたんじゃないだろうな、碇。」不信なゲンドウの態度に詰問する冬月。
「知らん。」あっさりと冬月の言葉を受け流すゲンドウ。その態度が冬月の不信を煽る。
「では、何故笑みが浮かんでいるんだ。お前らしくない行動だろう、碇。」
「ユイがどんな顔をするかと思ってな…。」意外な言葉に言葉につまる冬月。
「シンジが私に逆らうとは…ユイも喜んでいるだろうよ。」そう言うゲンドウの眼は父親のものだった。
一方モニターには疾走する弐号機の姿が映し出されていた。
「よくも、よくもシンジをーーーー。」エントリープラグの中でアスカが絶叫する。
近づくに連れ初号機のダメージの大きさがわかってくる。それがアスカの怒りに油を注ぐ。
突然の弐号機の出現に呆気に取られる使徒に弾の切れたパレットガンを投げつける。
この原始的な攻撃に反応できず、まともにくらい引っくり返ってしまう。
そんな使徒には目もくれず初号機に駆け寄るアスカの弐号機。
「大丈夫?シンジ。」心配そうなアスカの声がシンジの耳に届く。
「ア…アスカ?どうして、弐号機に?飛行機に乗っているはずじゃ?」
「話は後よ!まずこいつをやっつけちゃいましょう!」
そう言うと初号機の手を引き立ち上がらせる。初号機と弐号機の勇姿に歓声が起こる。
「行くわよ、シンジ!あたしが後ろを取るからその隙に…。」
「うん、わかった気をつけてよ。」ふたりの間に多くの言葉は要らなかった。
30秒後、弐号機の動きに翻弄された挙句背後を取られ強引に起き上がらされた使徒は
その無防備な腹部を初号機のナイフに貫かれ沈黙していた。
「使徒と思われる対象、沈黙しました。」安堵を含んだマヤの声が響く。
ようやく発令所になごやかな空気がもどる。そんな中ミサトの表情は厳しかった。
「リツコ、あれは使徒だったの?」真剣な眼差しでミサトが問う。
「それは…。」珍しく答えに躊躇するリツコに代わりゲンドウの声が届く。
「使徒にも、人にもなれなかった半端な存在だ。問題はない。」
その答えに納得したわけではないが、これ以上聞いても無駄だと判断したミサトに更に
ゲンドウの言葉が続く。
「今回の初号機の行動は明らかに命令違反だ。従って…。」


「葛城3佐、初号機パイロットが戻ったら弐号機パイロットと共に一週間自宅で謹慎するよう
伝えてくれたまえ…、以上だ。」ゲンドウの計らいにミサトの顔に笑みがこぼれる。
「ほめて…あげなくて宜しいのですか、碇司令。」もしかしたらと思いゲンドウに問いかける。
けれどもゲンドウはチラリとミサトを見ると一言告げただけだった。
「自分がしなければならない事をした、それだけの事だ…。」
そう言い残して立ち去るゲンドウの姿をミサトは複雑な思いで見送るのだった。

● 10.月明かりの下で
「ああ、やっぱり我が家は落ち着くわね〜。」お風呂上りの濡れた髪を風になびかせたまま、
アスカは大きく伸びをひとつした。心の底からリラックスしているそんな表情だった。
一方それを見つめるシンジはどこか腑に落ちない表情のままであった。
「何よ、シンジ。何か不満そうね。」ちょっと怒った振りをするアスカ。
「だって、さ…。」それでもまだ不満そうなシンジ。
「男がいつまでも細かい事言わないの。あんたも無事、あたしも無事、飛行機の乗客も無事。
こんな良い事ないじゃない。」さらりと言うアスカであったがジト−っと見つめるシンジの
恨めしそうな視線に遂に根負けしてしまう。
「もう〜、わかったわよ。説明すればいいんでしょ。1回しか言わないから良く聞きなさいよ!」
アスカの言葉にようやくシンジの顔にも笑顔が戻る。
「簡単よ、たまたま予定の飛行機より前の便に空席があったから、そっちに乗っただけの事よ。」
「前の便て、何時の?」シンジの突っ込みにギクリとする。
あれこれ言い訳を考えていたようだが、観念してシンジに本当の事を話す。
「弐号機と同じ飛行機よ…。」
アスカの意外な答えにビックリするシンジ。
「え、何で?アスカ、軍用機は嫌いだって言ってたじゃないか。」
シンジの問いに沈黙してしまうアスカ。その沈黙がシンジに不安な想像をさせる。
「か…加持さんと一緒に帰りたかったとか…?」
「あんた、バカあっ!」シンジの言葉につい怒鳴り返してしまうアスカ。
「違うの?」不安と喜びの混じったシンジの声。
「違うわよ!」
「じゃあ、何で…?」アスカの行動の理由がわからないシンジは更に尋ねる。
(あ〜ん、どうしてこいつはこんなに鈍いのよ!)アスカが心の中で嘆く。
そんなアスカの嘆きにも気づかずジーッと見つめたまま答えを待つシンジ。
そんなシンジの姿に観念して自分の思いを話す。
「……少しでも早くあんたに会いたかった…からよ…。」
そうつぶやくと赤くなった顔をシンジから隠すように俯いてしまう。
「え…。」ようやくアスカの思いが通じ、シンジの顔も真っ赤になってしまう。
「アスカ、僕…。」アスカを傷つけてしまったのではと心配そうなシンジの声。


「…もう…ばかシンジなんだから…。」赤く染まった顔を上げ、アスカはシンジに微笑んだ。
「さあシンジ、遠路はるばる帰って来たんだから、おかえりの挨拶ぐらいしてよ。」
「おかえりの挨拶って、まさか…」アスカの言葉の意味を悟って躊躇するシンジ。
「こういう時にする事は万国共通だと思うわよ。」そう言うとアスカは軽く瞳を閉じ、シンジにすべてを委ねた。
月明かりの下、瞳を閉じたままじっとシンジを待つアスカの姿にシンジは心を決めた。
震える腕でアスカの肩を抱くと少し首を傾けてアスカの顔に自分の顔を近づけていく。
心臓の鼓動が破裂せんばかりに乱打されている。アスカの石鹸の香りが鼻をくすぐる。
やがてシンジの唇に柔らかく温かいものが触れる。かすかに震えるアスカの唇。
シンジはできるだけ優しく、包み込むようにアスカの唇に重ねた。
それはほんの数秒の出来事。上気した顔のまま見つめあうふたり。
「おかえり、アスカ。」
「ただいま、シンジ。」
緊張していたふたりにようやく屈託のない笑顔が戻る。
「ちゃんと約束通り帰ってきたわよ、あんたの所に。何か言う事は?」いつもの調子でシンジに尋ねる。
そしてふっと微笑むと優しい穏やかな口調で改めてシンジに尋ねた。
「覚えてる?シンジ。空港であんたがあたしに言った事。」
優しく女性らしいアスカの問いかけにドギマギしてしまうシンジ。
「あの言葉をもう一度聞きたいな!」
そう言うとアスカはシンジの瞳を静かに見つめた。何も言わずただ自分を見つめるアスカの姿に
シンジは確かなアスカの思いを感じ取っていた。そして自分のアスカへの思いを口にする。
「…だめなんだ、アスカでなくちゃ…。」
シンジの言葉にニッコリ微笑むアスカ。その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「あたしもね…シンジでなくちゃだめなの。」
アスカの素直な言葉がシンジの心を温かいもので満たしていく。
「だからシンジ、今日みたいな無茶はしないでね。…絶対あたしを一人にしないでね。」
「うん、約束するよ、絶対にアスカを一人にしないって。アスカも約束してくれるかな、いつまでも
僕と一緒にいてくれるって。」大胆な言葉もごく自然に言えた。
「もちろんよ!」明るくはっきりとしたアスカの返事。
「じゃあ、約束。」そう言うと小指を差し出すシンジだったが…。
「…シンジ…誓いのキス…してほしいな…。」頬を薄紅色に染めてアスカが小さな声でつぶやく。
女の子らしいアスカの恥じらいの仕草にシンジの胸が熱くなってゆく。これが愛しいという気持…。
心に後押しされ、考えるよりも早くシンジの腕はアスカの身体を抱き寄せていた。
アスカの髪が風に吹かれシンジの肩にからまり、髪から漂う甘い香りがシンジの勇気を奮い立たせる。
「いくよ、アスカ。」アスカの瞳を見つめながらシンジが告げる。
「ばか、いちいち言わないでよ…。」そう言いながら満面の笑みを浮かべるアスカ。
月明かりの下、再びひとつに重なるふたつの影。時間が止まったかのようにいつまでも寄り添うふたり。
月は静かにそんなふたりを照らし続けるのであった。  FIN.


マナ:まさか1本早く帰って来てたなんて・・・。

アスカ:いてもたってもいられなくなっちゃってぇ。(^^ゞ

マナ:トイレが?

アスカ:アンタバカぁぁっ!!!?

マナ:弐号機が起動したら、使徒も即効倒しちゃったわね。

アスカ:そりゃもう、必死だったもん。

マナ:早くトイレに行きたくて?

アスカ:アンタバカぁぁっ!!!?

マナ:シンジと再開したら、いきなりなによ。

アスカ:即効抱き着いちゃったわ。(*^^*)

マナ:自力でトイレに行けなくなったのね・・・。

アスカ:アンタバカぁぁっ!!!?

マナ:せめて、ドイツで済ましてきてよねぇ。(ーー)

アスカ:アンタバカぁぁっ!!!?(▼▼#
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