「夏の終わりに…」
平成12年08月24日初稿/平成12年09月15日改訂
序章.蝉時雨
ミーン、ミーン、ミーン、ミーン。ジー、ジー、ジー。シャカ、シャカ、シャカ。
生命を注ぎ込むような蝉の声が青々とした木々の中で鳴り響く。
ジリジリと焼け付くような夏の太陽が中天より碇 シンジを照らしていた。
空は青く晴れ、入道雲の白が絶妙のコントラストを与えていた。
地上は濃い緑に彩られ、世界は生命の息吹で満ち溢れていた。
遠くに見える第3新東京市の銀色のビル群が夏の陽光を反射し、輝いている。
使徒との戦いから既に9年余りが過ぎていた。
当時中学生だったシンジも礼服を着こなす立派な青年に成長していた。
9年の歳月はシンジから幾つかのものを連れ去り、幾つかのものをもたらしていた。
「ふう、今日も暑くなりそうだな…。」
空を仰ぎながらワイシャツの襟元を少し開き、風を入れる。ほんのわずかな涼を得ると
シンジは襟を整え、黒いネクタイを締め直した。
視線を左にやると白い大きなドーム型の建物が目に入る。夏の日差しを浴び、白く輝く
その姿は、建物の本来の目的からはかけ離れているようにシンジには感じられた。
高い煙突がひとつ天に向かって真っ直ぐに伸びているのが印象的だった。
それは、まるで天に昇る地上からの架け橋の様に思えたから…。
見つめている内に目元から涙が溢れそうになり慌てて煙突から目を逸らした。
そして気を取り直すかの様に腕時計で時間を確認する。
「そろそろみんな来る頃かな…。」そう呟き、時計から目を離したシンジの視界に
懐かしい女性の姿が映る。そろそろ目立つようになってきたお腹をかばうかの様に
ゆったりとした足取りで近づいて来る。其のくせ白い日傘を勢い良くクルクルと
回し合図をしている、その無邪気な仕草にシンジも元気よく手を振り返した。

第1章.ミサト
「シンちゃん、久し振りね!元気してた。」あの頃と変らないミサトの声。
「すみません、ミサトさん。大切な時期にお呼び立てしてしまって。」
恐縮するシンジに事も無げにミサトが答える。
「いいのよ!今日はシンジ君の大切な人を送る日ですもんね。それに少しは外に出ないと
身体がなまっちゃうわよ!」腕をめくり力こぶをつくるミサトにシンジの顔がほころぶ。
そんなシンジの笑顔にミサトの顔にも笑みが浮かぶ。あの頃と変らない優しい姉の様な笑顔。
不意にシンジを見つめるミサトの笑みにふっと寂しさがよぎる。
「早いものね、もう9年か…。」ポツリとミサトが呟く。無言で頷くシンジ。
「辛い戦いだったわよね…。」何かを思い出すかのようにミサトが瞳を閉じる。
シンジも何も言わず静かにミサトの横顔を見つめていた。
言葉なく、たたずむふたり。溢れるような蝉時雨の音がふたりに降り注いでいた。
やがて瞼を開くミサト。思い出の中で何かを見つけたのか悪戯っぽく微笑みながら
シンジの方を振り向こうとしたその時、バランスを崩しかけてよろめいてしまう!
「!」 「!」
慌ててミサトの腕を掴むシンジ。その甲斐あってよろめくだけで済んだが
危機一髪の状況にシンジの鼓動は跳ね上がっていた。
「大丈夫ですか、ミサトさん!」
万が一の事があっては…と思い、言葉にもつい力が入ってしまう。
「ごめん、ごめん。ちょっち足をとられただけだから大丈夫よ。」
「本当にすみません。こんな暑い最中に…。」
そう言ってミサトに頭を下げたまま動かなくなってしまう。
「ほら、シンちゃん!そんな落ち込まないで。不謹慎かもしれないけど
あたしみんなに会えるのを楽しみにしてきたんだから。気にしないで、ね。」
「でも、さっきみたいな事があったら…僕、加持さんになんてお詫びしたら…。」
「そんな顔しないの。」ニコリとシンジに笑顔を向けると少し顔を伏せる。
「大丈夫よ。きっと、あの人もきっと分ってくれるわ…。」
そう呟くとミサトは愛しげに自分のお腹に手をあてて、そっと撫でた。
「あの人もずっとシンジ君とアスカの事を心配していたから…ね。」
ミサトの仕草に一瞬言葉に詰まるシンジだったが、意を決してミサトに告げる。
「ミサトさん、加持さん後ろに来てますよ…。」
「へ?」淑やかだったミサトの表情がシンジの一言で崩れ去る。
慌てて振り向くとそこには5歳位の男の子の手を引き、2歳位の女の子を抱えたまま
憮然とした表情でミサトを見つめる加持リョウジの姿があった。
既に40歳近い加持だがミサトと同様多分に青年の雰囲気を残している。
ボサボサの髪、不精髭も相変わらずで、何故か嬉しくなってしまうシンジだった。
「ミサト、お前なあ…。それじゃまるで俺が死んでしまったみたいじゃないか…。」
ジロリとミサトを睨みながら加持が呟く。
「あははは…、その方が雰囲気でるかと思ってさ…やあねえ、他愛のないジョークじゃない!」
軽く流そうとするミサトだったが、加持が半ば本気で怒っているのを察知すると
素早く作戦の変更を図った。オペレーション「加持クン、ゴメンね」作戦、即時発動!
「ゴメンナサイ…加持クン、ほんの冗談のつもりだったの…。でも、貴方をそんなに傷つけて
しまうなんて…。私、妻失格よね…。」そのまま泣き崩れてしまいそうな、はかなげなミサトの姿に
つい心を揺さ振られてしまう。引退したとはいえ強者の諜報部員であった加持をこうも簡単に
篭絡するとは…、改めて女性の強かさ、怖さを感じ取るシンジであった。
「そんな事…ミサトは良くやってくれているよ。君は俺の自慢の女房だよ。」と加持。
「ホント?」加持の甘い言葉に瞳を潤ませてミサトが尋ね返す。
「ああ、本当にホントさ!」やれやれという感じで加持がもう一度答える。
「加持クン、大好き!」止めとばかりそのまま加持の胸に飛込むミサト!
「ばか、よせよ。シンジ君や子供達が見ているぞ。」既に加持の声には微塵の怒りもなかった。
本当に嬉しそうな顔で加持に抱きついているミサト、そんなミサトの背中を優しく叩く加持。
温かいミサトと加持の遣り取りを微笑みながら見ていたシンジの視界に黒いワンピース姿の
青い髪の若い女性がこちらに近づいて来るのが見えた。
昔と変らないその姿。シンジは軽く右手を挙げ、その女性に微笑みかけた。

第2章.レイ
「綾波、よく来てくれたね。ありがとう。」自分でも気づいていないがシンジの声が少し弾む。
「お久し振り、碇クン。お元気そうね。」はにかんだ微笑みを浮かべレイが答える。
9年経った今もレイはあの頃の神秘的な雰囲気を身に纏っていた。
流れるような青い髪、埋み火の様な赤い瞳、そして透けるような白い肌。
若い女性らしい柔らかな、それでいてどこかシャープな身体のラインが
黒いワンピースの上からも見てとれた。知らず知らずにシンジの鼓動が早くなっていく。
けれど、そんなシンジの様子に気づかない様にレイがポツリと呟く。
「私があの人の葬儀に来るなんて…なにか不思議な気持ち…。」
「そうだね…。」レイの言葉に頷くシンジ。
確かにレイにとって今日の集まりは他の者達とは違う意味を持つものであろう。
少し沈んだ空気を払うかの様に今度は明るい声でレイが尋ねる。
「碇君、お嬢さんお元気?随分大きくなったんでしょうね。」
「うん、もう1歳になるよ。」子供の事を聞かれ、つい顔がほころぶシンジ。
「アスカさんに…似ているの?」レイの声のトーンが少し下がる。
「うん、目元なんかそっくりだよ。髪の色は黒だけどアスカの髪とよく似ているよ。」
「そう、それは良かったわね。」
嬉しそうに子供の事を話すシンジに静かな微笑みで応えるレイ。
何か躊躇うかの様なレイにシンジの言葉が途切れる。
蝉時雨の音が沈思するふたりに振り注いでいる。
やがて、意を決したかの様にレイが正面からシンジの瞳を見つめる。
その静かな、けれど激しいレイから発せられる何かに圧倒されてしまう。
そんなシンジにレイが一言づつ区切る様に話かける。
「碇くん、あの人を失ってしまった貴方の心の隙間を…私で埋めてあげられるかしら。」
そう言って自分をじっと見つめる赤い瞳に思わずどきまきしてしまう。
そんなシンジの心の動揺を見透かした様に更にレイが迫る。
「碇くん、私じゃだめ…?」そう言うとシンジに一歩近づく。
息遣いすら聞こえる至近距離での告白にシンジの鼓動はレッドゾーンに入る。
「あ…綾波…。」シンジが答えようとした瞬間、レイの赤い瞳に哀しみの色がはしる。
「そう…私じゃあの人の代わりにはなれないのね…碇君が愛したあの人の…。」
そう呟くと、右手を口元にあて顔を背けてしまう。
哀しみをこらえるような仕草、震える肩、そしてシンジの目の前に晒された白いうなじ。
触れると壊れてしまいそうな、男なら守ってあげたくなる、そんな女性のせつなさ
健気さ、そして愛しさを感じさせる後ろ姿だった。
積極的なアプローチから一転して身を引き、哀しみに耐えるという女性としての
レイの高等テクニックに見事に引っ掛かってしまうシンジ。
「そんな事は…。」慰めようとするシンジのレイの肩にシンジの指が触れようとしたその時、
シンジの背後から澄んだ明るい声が響いた。
「ちょっと〜、あんた達あたしがいない間に何してんのよ!」
恐る恐るシンジが振り向くとそこには幼子を胸の所で抱きかかえたまま
凛々しく立つシンジの愛妻、碇 アスカの姿があった。
突然のアスカの登場にうろたえるシンジだったが、アスカの視線はレイにのみ
向けられていた。カンの鋭いアスカの事だからレイが今何を考え、何をしていたか
9割方は察知しているようで、その視線は使徒も逃げ出すような鋭さだった。
「あ、あれ…アスカ早かったんだね。ミクはもう泣き止んだのかい?」
アスカの標的がレイである事に気づいたシンジが慌ててフォローしようとする。
「とっくに泣き止んだわよ!抱っこして、おっぱいをあげたら直ぐご機嫌になったわ。」
「え、おっぱい…。」アスカの言葉にシンジの記憶、想像力が敏感に反応してしまう。
真っ赤になって硬直してしまったシンジをよそにアスカはレイを追及し始めた。
「あんた、あたしがいない間にシンジに何チョッカイ出していたのよ?」
「話していただけよ。」淡々と答えるレイ。
「嘘おっしゃい!シンジを誘惑していたんでしょ!」烈火の様なアスカの追及。
「していないわ。自分の心に素直になるよう進めていただけ…。」
「あんたねえ…。」悪びれないレイの態度に流石のアスカも二の句が継げない。
「私、行かなきゃ。みんなが呼んでいるわ…。」
「ちょ…ちょっと、待ちなさいよ!レイ!」
「さよなら…。」呼び止めようとするアスカに構わずその場を立ち去っていく。
上体を全く揺らさず、高速で歩き去っていくレイの姿を見ながらアスカが呟く。
「相変わらず人間離れした動きをするわねレイの奴…、まるで…。」
流石に失礼かと思いその先の言葉は飲み込んでしまう。レイの姿はもうなかった。
「まあ、いいか!シンジは守ったんだし…。きゃあっ!」
突然、無防備な胸を何かに触れられて思わず悲鳴を上げてしまう。
「だあ、だあ。」アスカの胸を触った犯人は無邪気に犯行を続けている所だった。
今の騒ぎで目が覚めてしまったのか、しきりにアスカの胸元を探るミク。
愛くるしい犯人の仕草にアスカの目が優しい母親のものになる。
「もう、ミクったら。さっき飲んだでしょ?また後でね!」
ミクをあやすアスカだったが、その時胸元に怪しい視線を感じ、そちらを振り向く。
そこには顔を真っ赤にしたまま、吸い付けられるようにアスカの胸を見つめるシンジがいた。
アスカもレイと同じく黒いワンピース姿だったが、ノースリーブのドレスにシースルーの
上着を羽織るという服だった為、発散される若々しい女性としての魅力はレイの比では
なかった。そんな瑞々しい妻の魅力にポーっとなっているシンジを責めるのは
酷というものだろう。アスカの悲鳴で我に返った事を褒めてやっても良いと思うのだが…。
先程のレイとの1件が尾を引いている為かアスカの反応はいつもより厳しかった。
「何見てんのよ、シンジ。」凛とした声でピシャリとシンジを一喝する。
そしてミクを抱いたまま、つかつかとシンジに近寄ると止めをさす一言。
「今の罰として、あんたにはしばらくの間触らせてあげないからね!」
「そんな…、アスカ…。」アスカの厳しい宣告に肩を落とすシンジ。
「ほら、みんなの所に行くわよ!ぐずぐずしないの!」
そう言うとシンジの背中を押して建物の方へ向かうのであった。

第3章.ヒカリとトウジ
「まったく、相変わらずレイには弱いんだから。危機一髪って所だったわよね。」
「そんな事…ないさ。」アスカの言葉に弱々しく反論するシンジ。
「ホント、こんな若くて美人で明るくて優しい奥さんがいるっていうのに…。」
「優しい…以外は認めるけどさ(ゴニョゴニョ)」
「何か、文句あるの?シンジ!」
やいのやいの言いながら戻ってきたアスカとシンジに懐かしい声がかけられる。
「なんや、結婚して3年も経つちゅうのに、また痴話喧嘩しとんかいな。」
「アスカ、碇君、お久し振り!ミクちゃん、おばちゃん覚えてるかな?」
それはシンジとアスカより1年遅れで結婚した鈴原 トウジ、ヒカリ夫妻だった。
トウジの足元では2歳になる双子の子供達が元気よく手を振っている。
「ヒカリー、久し振りっ―――!」親友との再会にアスカの機嫌も直ったようで、ミクを
シンジに預けるとヒカリ達の所へ駆け出していく。
日差しの中、躍動するアスカの後ろ姿を見送りながらシンジはようやく安堵すると
同時に、綾波に心揺れた自分の不甲斐なさを反省するのだった。
ヒカリ達の所に着いたアスカはそのまま子供達をギュッと抱きしめた。
「やっほー、ツバサ君にコマチちゃん。アスカお姉ちゃんですよ〜!」
「お姉ちゃんやて…?」トウジがあからさまに不満の声をあげる。
「何よ、何か文句あるの!」子供達を抱いたまま横目でトウジをジロリと睨みつける。
「トウジ…言うだけ無駄だよ…。」ミクを抱えたシンジが親友に忠告する。
(はあ〜あ。こういうのを犬猿の仲っていうんだろうな…。会った途端これだもんな。)
アスカに気づかれないよう小さく溜息をつくシンジの目に、同じく溜息をつく
ヒカリの姿が映る。同じ悩みを持つふたり。すこしほろ苦い笑顔を交わす。
そんな間にもアスカとトウジの口喧嘩はエスカレートしていた。
「いい!ヒカリも自分の事をおばちゃんなんて言わないの。
あたし達はまだ23歳のうら若き乙女なんですからね!これからが本番よ!」
「何が本番なんやか、惣流のいう事はようわからんのう〜。」うそぶくトウジ。
「あなた、惣流じゃなくて碇さんよ。」なんとか諍いを止めようとするヒカリだったが、
売り言葉に買い言葉の大商いで、全くとどまる気配がなかった。
「同じ碇でもシンジやミクとはえらい違いやな。一緒にしたら可哀相や。」
「惣流でいいわよ。あんたにアスカなんて呼ばれたら寒気がしちゃうわ。」
「なんやと!」アスカの挑発に激昂するトウジ。
「何よ、やるっていうの。」そう言うと待ってましたとばかりにファイテイングポーズをとるアスカ。
口喧嘩でも分が悪いトウジだが、「女子には手をあげない」と心に決めている彼にとって
直接対決は一方的にアスカの攻撃を受ける事になるため絶対避けたい事であった。
それゆえ躊躇するトウジに対し、更に挑発するアスカ。
アスカとトウジの戦いは既に子供の口喧嘩のレベルまで落ちてしまっていた。
それぞれの夫と妻の他愛のない遣り取りを見ながら苦笑するしかないシンジとヒカリだった。
いつまでも続くかと思われた膠着状態だったが、それは唐突に終わりを告げた。
「シンジ、あれ!」アスカがトウジの肩越しに指し示す先には、髪を金色に染めた知的な
女性の姿があった。サングラスを取ると、シンジ達に向かって軽く手を振る。
「リツコさん!来てくれたんだ。」喜びを隠し切れないシンジの声が響く。
「鈴原、決着はお預けよっ!」そう言うやいなやポカンとする鈴原夫妻を残し、
シンジとアスカとミクは赤木 リツコ博士の所へ駈けていくのだった。

第4章.リツコ
「リツコさん、来て頂けたんですね。」
「リツコ、久し振り!」
リツコは息を切らして駆け寄ってきた若い夫婦を笑顔で迎えた。
「だあ、だあ!」リツコの顔に手を伸ばしはしゃぐミクの仕草リツコの表情も和らぐ。
アスカからミクを抱かされると、痛くない程度にギュッと抱きしめる。
自分のほほを柔らかなミクのほっぺたに当て、そのプニプニとした感触を楽しむ。
「ふふふ…、随分と重くなったわね。あら、女の子にこの言葉は禁句かしら?」
「ミクにはまだまだ褒め言葉ですよ、リツコさん。」
「そうよ、リツコ。」穏やかなリツコの言葉に笑顔で答えるシンジとアスカ。
「リツコさん、日本へはいつ?」
「昨日の夜にね。それにしても日本の夏は凄いわね。」
「リツコ、イギリスは暮しやすい?」
「とてもいい所よ。前世紀から残されている街並みを歩いているとホッとするわ。
それにアフタヌーンテイーの習慣も私には合っているみたいだし…。」
リツコはそこで一度言葉を切ると3人に微笑みかけた。
「とても穏やかな気持ちで生きていけるわ。あの頃が夢の様に思える時もあるの。」
リツコのその一言にシンジは胸を突かれる思いだった。
使徒との戦いの中でリツコの果たした役割は大きく、評価されるべきものであったが
同時に人道的見地から激しい非難に晒されてしまった。
そして非難される事項を半ば強要したのがシンジの父、碇ゲンドウであった。
研究者としての生命を絶たれたリツコは日本を離れ、自分を迎え入れてくれる
イギリスの大学へ旅立って行った。その後ミサトの結婚式にも、シンジとアスカの
式の時も心のこもったメッセージを送ってくれたものの、日本には帰って来なかった。
それは父ゲンドウに対する複雑な思いがまだリツコの中整理されていない為だと
シンジは考えていた。だからこそ今日はリツコに出席してほしかった。
「もうあの人には会うまいと思ったんだけど…けじめだけはつけようと思ってね。」
「リツコさん…やっぱり、まだ父の事は…。」
「ううん…シンジ君、恨んでなんかいないわよ。そして後悔もしていないわ。」
「じゃあ、どうして日本に帰って来ないの?」不安そうにアスカが尋ねる。
「イギリスが気に入ったから…じゃだめかしら?」
「リツコ!」「リツコさん!」
「ふふ、ごめんなさい。ふたり共もう立派な大人ですもんね。誤魔化すのは卑怯ね。」
そう言うとリツコは微笑みながらシンジとアスカに自分の心を打ち明け始めた。
「正直言ってね、まだ自分の気持ちが確かめられていないの。本当にあの人を愛しているのか…。」
リツコはそこで少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「それをはっきりさせるまでは会うまいと思っていたんだけど、シンジ君から今回の事を聞いて
とにかくあの人に会ってみようと思ったの。今まではただ逃げていただけじゃないかってね。」
「リツコさん…。」「リツコ…。」
「いい歳して恥ずかしいわね…。でも貴方たちに話して気持ちがすっきりしたみたい。
あの人との事は直ぐに答えは出ないと思うけど、これからはもっと気楽に
日本に来るようにするわ。貴方たちやミサト達に会いにね!」
「(はい!)」ユニゾンするふたりの声。
「ほら、シンジ君。副指令が見えられたみたいよ。私の方は大丈夫だから。」
「はい、リツコさん。それじゃまた後で!」
「リツコ、またね。」
そう言って駆け出してゆく若いふたりの後姿を優しい笑顔で見送るのだった。

第5章.冬月
「やあ、シンジ君、アスカ君、それにミクちゃん、久し振りだね。」
久し振りに会う冬月コウゾウはネルフ時代よりも血色が良くなり老紳士という言葉がピッタリだった。
「冬月先生、お忙しい所ありがとうございます。」
「お仕事、大丈夫でしたか?」恐縮するシンジ達に冬月は笑顔で答えた。
「何、ネオネルフ長官等と言っても雑用係みたいなものだよ。そして雑用は碇と組んだ時に
嫌というほどやらされたからね、ハハハ…。」
率直な冬月の言葉に返す言葉のないシンジだった。
「ところで、今日の事はシンジ君の発案と聞いたのだが本当かね?」
「はい、今までずっと中途半端なままでしたので、ちゃんと送ってあげた方が良いと思いまして…。
それで冬月先生にも御出席頂きたかったんです。父と母の事を良く知っておられるのは
先生しかいらっしゃいませんので…。」しっかりとしたシンジの答えに冬月は目を細めた。
「そうか、うんシンジ君もすっかり一人前になったね。碇のやつもさぞ喜んでいる事だろう。
ところで、奴はどうしたんだ?本来なら今回の責任者は奴がやるべきだろうに…。」
そう言いながら冬月はゲンドウを探すかの様に辺りを見回した。
「いいんですよ、冬月先生。今日は父さんには母さんとゆっくり話してもらうつもりなので…。」
「そうか…?まあ君が良いというなら私が口出しする事でもないがな…。」
「すみません、先生。お気遣い頂きまして…。」
「何、構わんよ。それでは式場の方に行っているよ。」そう言うと冬月は建物の中へ入って行った。
碇ゲンドウが現われたのは、それから5分ほど経ってからだった。
「父さん。」「お義父様。」シンジとアスカは笑顔でゲンドウを迎えた。
「シンジ、いろいろ済まなかったな。お前とアスカ君に負担をかけてしまって…。」
相変わらず無愛想な話し方だったが、そこに隠れている感謝の気持ちは確かに伝わっていた。
「そんな良いんですよ、お義父様。ね、シンジ!」
「ええ…父さん、ゆっくり母さんを送ってあげて下さい。」
息子夫妻の労わりの言葉にゲンドウの表情がすこしほぐれる。
「ばぶう!」ミクがゲンドウに抱かれようとアスカの腕の中から手を伸ばし暴れ出す。
「こら!ミク、だめでしょ!お祖父ちゃまの邪魔しちゃ。」
手足をジタバタさせて暴れるミクの仕草にゲンドウの顔に笑みが浮かぶ。
「いいんだよ、アスカ君。おおミク、いい子だ。じーじの所においで。」
ゲンドウの腕に抱かれると嘘の様にご機嫌になるミク。
ミクを抱きかかえ笑顔のゲンドウ、まったくもう…といった感じのアスカ、それを宥めるシンジ。
4人揃って建物の中に入って行く。シンと静まったホールを抜け、1番大きな扉を開く。
小さな体育館程の広さはあろうかというその部屋には既に参列者が座りシンジタ達を待っていた。
白い花で飾られた祭壇の上には静かに微笑む碇 ユイの写真と唯一残されたエヴァの遺産、
暗い真紅の光沢を放つ初号機のコアの一部が置かれていた。
そして静かに碇 ユイの葬儀が始められた。

第6章.ゲンドウ
静寂の中進められる葬儀の中、ゲンドウはひとりユイに問いかけていた。
(ユイ…君を失ってから私は何処かおかしくなっていたようだ。)
ゲンドウの脳裏にエヴァの実験中にユイを喪失した時の記憶が蘇る
(君を取り戻す為なら私はどんな汚いことも、どんな卑劣なことも辞さないつもりだった。
そして、その結果多くの人を傷つけてしまった。)
(シンジにも辛い思いをさせてしまった。その上最後の戦いではアスカ君にまで
酷いケガを負わせてしまった。謝って許されるものでない事はよくわかっているよ。)
(シンジには父親らしい事は何一つしてやれなかった。)
(だが、もう大丈夫だ。アスカ君と結婚し、ミクが生まれシンジも一人前の男になったようだ。
もはや私のような者が居てはシンジ達の邪魔になるだけだな…。)
ゲンドウの顔に寂しげな笑みが浮かぶ。
(今更、側に居たいなどとは…虫が好すぎる話だな、ユイ。)
その時ゲンドウの耳に、いや心にユイの声が響く。
(あなた、シンジはあなたが考えている以上に成長していますよ。あなたの素直な気持ちを
シンジとアスカさんに伝えてあげて。きっと上手くいくわ。これが最後のアドバイスよ!)
それは夏の日の幻だったのだろうか。
ただ確かなことは碇 ゲンドウの頬を一筋の涙が流れていた事であった。
そして葬儀は終わった。

終章.絆
太陽は既に西に傾き、蝉時雨は消えてひぐらしの寂しげな声が夕映えの空に響いていた。
「お疲れ様、シンジ!」アスカがシンジに労いの声をかける。
「うん、なんとか無事に済んだよ。ありがとうアスカ、君が協力してくれたおかげだよ。」
「当たり前でしょ、夫婦なんだから!」
「はは…、そうだね。あれ、ミクは?」
「ヒカリに預かって貰っているわ。ヒカリなら安心だから。ところで、お義父様は?」
「うん、コアの一部を母さんと出会った京都のお寺に納めるんだって先に出て行ったよ。」
ロマンチックな父の一面を知り、シンジの顔に笑みが浮かんでいる。
そんなシンジの様子にアスカの顔にも微笑みが浮かぶ。
「そう…シンジ、お義父様が帰ったら話してみたら?例の話。」
「同居の話?」
「そう、あたしその方が良いと思うの。」
「そうだね。でも、素直にうんとは言わないと思うよ。父さん、頑固で照れ屋だから。」
「そうね、あんたと良く似ているもんね〜。」悪戯っぽくアスカが微笑む。
「でも、焦る必要はないわよ。ゆっくり時間をかけて話し合っていけばいいのよ!」
両手を後ろで組んで小首を傾げ、優しい眼差しでシンジを見つめるアスカ。
「大切なものはもう見つけたんだから…。」
アスカの一言がシンジの心の琴線に触れ、温かい思いがシンジの心を満たす。
「そうだね、僕にはアスカが居てくれるから…。」
「そう、あたしにはシンジが居てくれるから…。」
そのまま見つめ合うふたり。ほのかに頬が桜色に染まっている。
やがてゆっくりと顔を近づけていく。アスカがそっと瞳を閉じ、シンジにすべてを委ねる。
軽く開かれたふたりの唇が重ねられる…とその瞬間!
「だあ!」無邪気なミクの声が響く。そしてもうひとつ聞きなれた声が…。
「子供…ふたりの愛の結晶。とても愛しい存在。でも時にはお邪魔な時もある。」
ふたりの目の前にミクを突き出すレイ。ミクをアスカに手渡すとあっという間に走り去ってしまう。
「レイ!あんた、いい所で…。このお邪魔虫!」アスカの怒声が響くが既に影も形もない。
まだ怒りの収まらないアスカと照れてこめかみを掻くシンジにミサトの元気な声が届く。
「ほら、シンちゃん〜、アスカ〜、何やってんのよ!今日はこれから飲み会よ〜。
朝まで付き合って貰うからね〜、覚悟しときなさいよ!」
妊婦さんとは思えぬミサトの言葉に苦笑するふたり。だがミサトらしさが嬉しい。
「さあ、行こう!アスカ、ミク!」楽しそうなシンジの声が響く。
「うん、行くわよミク!」元気なアスカの声が答える。そして…。
「パッパ、マ〜マ」?……ミクの声?
初めてのミクの言葉に思わず顔を見合わせるふたり。
「ミク!」 「ミク、おしゃべりできるようになったの!」またユニゾンするふたり。
そんな両親を笑顔で見つめているミク。そして嬉しそうに呼びかける。
「パッパ!」
「はい!」
「マ〜マ!」
「はい、ミクちゃん!」
ふたりに向かって精一杯手を伸ばすミク。幼子の愛らしい仕草にシンジとアスカの
顔がほころぶ。そして2本の腕が同時にミクに差し伸べられる。
キャッキャッ言いながら喜んでその手をミクの紅葉のような手が掴む。
「ねえ、アスカ。」ミクと手を繋ぎながらシンジがアスカに話かける。
「なあに、シンジ?」ミクの手を握り締めたままアスカが答える。
「この世界は決して嬉しい事や楽しい事ばかりじゃなくて、辛いこと悲しいも沢山あると
思う。けれどアスカとミクが居てくれればどんな事も越えていける、そう思うんだ。」
シンジの言葉に頷くアスカ。その笑顔がシンジと同じ気持ちである事を示していた。
(…見ていて下さいね、母さん。僕は精一杯生きていきます。)
空を仰ぐシンジの横顔を見ながらアスカも同じ様に空を仰ぐ。
夕焼けの空に幼い頃哀しい別れをした母キョウコの顔が浮かんで見える。
(ママ…あたし、今とても幸せだよ。もう心配いらないからね。)
突然立ち止まって空を見ている父と母に不思議な感じを受けながらも、
真似をするようにミクも空を仰ぐ。
夕暮れの空を見つめる3人。
ひぐらしの鳴き声がかすかに秋の気配を伝える空に響き渡る。
「さあ行こうか、きっとみんな待ちくたびれているよ。」
「そうね、早く行きましょう。みんなの所へ…。」
歩き出そうとするシンジに、アスカがそっと声をかける。
「シンジ、最後にもう一度…。あたしとミクはゆっくり歩いているから。」
「ありがとう、アスカ。直ぐに追いつくからね。」

夏の終わりの或る日、僕は母に別れを告げた。
それは、とても哀しい事だった…。
その哀しみに耐えられるのは、僕を支えてくれるひとがいるから。
だから僕は立ち止まる事なく歩いていける。
いつか、君たちとと別れる日が来るとしても、後悔しないよう精一杯
僕の思いを君たちに注いでいこう。
「アスカ、ミク…愛しているよ。ずっと、ずっとね…。」

「シンジ〜、早く来なさいよ!置いてくわよっ!」
「パ〜パ!」
自分を呼ぶ妻と愛娘の声にシンジの顔から笑みがこぼれる。
「今、行くよ〜!」そう言ってシンジが駆け出そうとした、その時。
名残を惜しむかの様に去り行く夏の風がシンジ達を包んだ。
それは穏やかで、優しく心地よい風だった。
自分たちを包み込む強い愛情をシンジもアスカも、そしてミクも感じていた。
(母さん、ありがとう。そして、さようなら…。)
心の中でそう呟くとシンジは真っ直ぐにアスカとミクに向かって駆け出した。
そんなシンジの姿を見守るかの様に風は暫くその場に止まっていたが、やがて
ゆっくりゆっくりと夕映えの空に昇っていくのだった。          FIN


アスカ:9年経ってもファーストめぇ。邪魔してくるのねっ!

マナ:あれが綾波さんの愛情表現なんじゃない?

アスカ:やっかいな感情表現するわねぇ。まったく。

マナ:それを言ったら、あなたと鈴原くんだって・・・。

アスカ:あのバカは、あの程度の相手でいいのよ。ヒカリの手前、手加減してやってんだから。

マナ:ほんと相変わらずね。9年経っても同じ変わらず話し合えるっていいことね。

アスカ:変わらずとはいってもねぇ。お義父様のことが、あのままってのはなんとかしたいんだけどねぇ。

マナ:最後にユイさんが、碇司令の補完をしてくれたから大丈夫よ。

アスカ:そうね。焦らず頑張らなくちゃ。

マナ:ところでさぁ、ミクちゃんに初めて「マ〜マ」って言われた気分はどう?

アスカ:別にぃ。

マナ:顔がにやけてるわよ。(^^)

アスカ:別にぃ。(*^^*)
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