「エンジェル・アスカ −Angel Asuka 1−」
平成12年05月08日初稿/平成13年08月10日改訂

はじめに
本編は拙作「ただいま」を補完するものとなっております。それゆえ「ただいま」を先に読んで頂く事を
お勧め致します。勝手な言い分で申し訳ございませんが、どうぞ宜しくお願い致します。

第1章 天国への扉
「シンジ…約束ね。」…それだけ言うのが、やっとだった。
もっと、もっと伝えたい事があったのに…。
もっと、もっと一緒に居たかったのに…。
朝起きて、おはようって言って、一緒に朝ごはん食べて、一緒に学校に行って…。
そんな何気ない、平凡だけれど幸せな日々を送る事を夢見ていた。
でも、もうだめ…。
シンジの声が聞こえなくなって、シンジの顔が見えなくなって、
あたしの周りのすべてが漆黒の闇に塗りつぶされていった。

ソウ、アタシハ死ンデシマッタノ…。
モウ、シンジトハ会エナイノ…。話ス事モデキナイノ…。
触レ合ウ事モ、アスカッテ呼ンデモラウ事モデキナイノ。
…シンジ…、シンジ………。
寂シイヨ…、悲シイヨ…。モット、モット一緒二居タカッタヨ…。

何も見えない、何も聞こえない虚ろな世界。
絶望と哀しみでできた暗闇の渦の中に飲み込まれていく あたしのこころ。
シンジに会えないなら、もうどうなっても…。
抗う事をやめたあたしのこころが渦の中に沈んで行く。
そんな時、あたしを呼ぶ誰かの声が聞こえた。
初めて聞く声、でもどこか懐かしい声。何故?…誰、あたしを呼ぶのは誰?
暗闇の中で目を凝らして声の主を探してみる。
「アスカさん?惣流・アスカ・ラングレーさんですね。」
いつの間にかアスカの目の前に柔らかな光が存在していた。
それは暖かく、そして心をホッとさせてくれる、そんな穏やかな光だった。
やがて光は緩やかに瞬きながら女性の姿を形造る。
「天国へ、ようこそ。お迎えに上がりました。」
まだ微かに光を纏う その女性、年齢はミサトより少し若い位だろうか?
理知的な光をたたえた瞳、静かな微笑みでアスカを見つめている。
アスカが今身につけているのと同じような、白いワンピースの様な服が良く似合っている。
彼女の光に追いやられてしまったのか、既に絶望と哀しみの渦は消えてしまっていた。
驚きのあまり言葉の出ないアスカに彼女は優しく話しかけた。
「ユイと呼んで下さって結構ですよ。」
「ユイ…さん。」
どこかで聞いたような記憶がある名前だった。とても大切な名前だった様な気がしていた。
けれど、はっきりと思い出すことはできなかった。
まるで頭の中に霧か靄がかかっているようだった。けれども…。
(そっか…。)
アスカは気づいてしまった。ユイの声が誰に似ているかを…。
「どうかしましたか?」不意に黙り込んだアスカを心配したユイが声をかける。
「うん、ちょっとね…。」ユイの気遣いを感じ答えるアスカ。だが、声に力がない。
「あなたが…あたしの知ってる人に似ているような気がしたの。」
「お友達ですか?」何気ない調子でユイが尋ねる。
その言葉が終わらない内にアスカの瞳からポロポロと涙がこぼれ始める。
突然のアスカの涙に驚きを隠せないユイ。
けれど誰よりも驚いていたのはアスカ自身だったのかもしれない。
涙を拭う事すら気づかないかの様に、呆然と立ち尽くしていた。
「ごめんなさい、辛い事を聞いてしまいましたね。」
そう言うとユイはそっとアスカの肩を抱き寄せ、優しく囁いた。
「それは、あなたの大切なひとなのですね…。」
ユイの一言が水滴となりアスカのこころに波紋をおこす。
そしてシンジを悲しませまいと、今までずっと耐えていた思いが弾けてしまう。
初めて出会った時の驚いた顔のシンジ、ユニゾンの時のちょっと凛々しかったシンジ、
お風呂上がりのアスカの姿に真っ赤になってしまうシンジ、エヴァの中で絶叫するシンジ、
そして自分を死の淵から引き戻そうと必死に話しかけるシンジ…。
浮んでは消える様々なシンジの姿、そして共に過ごした大切な日々の思い出。
そんな思いの数々が奔流となってアスカの胸の奥底から溢れ出る。
もう堪える事などできなかった。
アスカはユイの胸に顔を埋めると、まるで母親の胸で泣きじゃくる子供の様に声をあげて泣きはじめた。
ユイは寂しげな微笑みを浮べたまま、そんなアスカの背を優しく抱きしめた。
どれくらい時間が経ったのだろうか、嵐のようなアスカの激情もようやく収まろうとしていた。
「もう、大丈夫ですか?」アスカを抱きしめたままユイがそっと尋ねる。
「うん…。」アスカがまだ涙の残る声で答える。
それでも胸の中に秘めていた思いを解放した為か、どこかすっきりとした顔でユイの瞳を見つめ返す。
そこには自分を優しく包み込んでくれたユイの感謝が込められていた。
「では、行きましょうか!」
そんなアスカの視線に微笑みを返すと何事もなかったかの様にスタスタと歩き始める。
「ちょ…ちょっと、何処へ行くのよ?」意外なユイの行動に慌てて尋ねる。
「ずっとね、貴方をお待ちなんですよ。」
「え、誰が?」怪訝そうなアスカに悪戯っ子のような微笑みを浮べて答える。
「天使長ミカエル様ですよ。」事も無げに、とんでもない言葉を口にする。
「て…天使…長!?」突然の、そして意外な事態にその場に立ち竦んでしまうアスカ。
「ほら、迷子になっちゃいますよ!」そんなアスカに楽しそうに声をかける。
ユイの声に慌てて駆け出すアスカ。やがてふたりの前に巨大な、光り輝く扉が現れた。
その壮麗さに気おされるアスカをユイが微笑みながら誘う。「どうぞ。」
一瞬躊躇った後、アスカはきっと扉を見上げるとユイに向かって頷いた。
ゆっくりと音もなく開く扉。溢れる光の中を躊躇う事なく進む。
今、アスカは天国の扉をくぐり抜けた。

第2章  天使の資格
光の扉をくぐり抜けたアスカの目の前には舞踏会でも開けそうな、壮麗で気品に満ちた
大広間が広がっていた。パイプオルガンが似合いそうな神聖な雰囲気の中、興味深げに
キョロキョロと周囲を見回す。そんなアスカに背後から涼やかな声がかけられる。
「そんなに珍しいですか、ここは?」
ドキン!突然掛けられた声に心臓が飛び出してしまいそうな程驚かされてしまう。
そんなアスカの様子がよほど可笑しかったのか背後から忍び笑いが聞こえてくる。
恥ずかしさと怒りでカーッとなったアスカが振り向くと、そこには必死に笑いをこらえている
金色の髪の青年の姿があった。背中に纏う純白の翼までが笑いをこらえる為に震えていた。
「むー―――っ!失礼ね、あんた誰よ!」
無防備な姿を見られてしまった事への羞恥と笑われている事への怒りが入り混じり、ここが
天国であるという事も忘れ、いつもの調子で青年に噛み付いてしまう。
けれども、青年はそんなアスカの怒りなど意にも介さずに涼しい顔で話しかけて来る。
「いや、失礼。挨拶がまだでしたね、アスカ。私が貴方の担当の天使アークロイヤルです。
気軽に、親しみと敬意を込めてアークと呼んで下さって結構ですよ。」
「な……。」初対面とは思えない余りにもぼよ〜んとした応対に絶句してしまう。
行き場の無くなった怒りを持て余すアスカにユイが助け船を出す。
「はいはい、自己紹介はそれ位にして、ふたりとも…。ミカエル様がお待ちなんですよ。」
ユイの言葉に不承不承ながら拝謁の間に向かうアスカ。その後ろからまるで口笛でも吹きそうな
楽しそうな様子でアークがついて来る。そんな軽いアークの姿がアスカの癇に障る。
(何なのよ、こいつ!)仮にも天使長に謁見する…、流石のアスカも緊張を隠せないでいた。
だからこそアークの軽薄な様子が目障りに思えていた。そんな対象的なふたりの様子をユイは楽しそうに
微笑みながら見つめていた。そして不安な思いに耐えられずアスカが振り向いて尋ねる。
「ユイさん、天使長なんていう偉い人が一体あたしに何の用があるのかしら?」
「さあ、私も詳しい事は伺っていないのです。」すまなそうにユイが答える。
「そう…。」それ以上は聞く事ができず、更に漠然とした不安がアスカを包み込んでいく。
「下手の考え休むに似たりってね、お会いすればわかりますよ。」とアークが茶々を入れる。
(こいつは…他人事だと思って…。)思わずアスカの拳がギュッと握られる。
もし相手がトウジであったら、既に綺麗にワンツーがきめられていた事だろう。
そんな遣り取りの間にも3人は奥へ奥へと進んで行った。それに伴い神聖な気が満ちて来るのが
アスカにもわかった。穏やかな、けれど強い気がアスカの身体に吹きつけてくる。
ともすれば、圧倒されてしまう心を奮い立たせて、キッと顔を上げて前に進んで行く。
やがて祭壇のような巨大な階段が中央に据えつけられた部屋に辿り着いた。
階段の頂上にはカーテンの様なもので覆われ、その中に台座が備えつけられているように見えた。
そして、その中に見える人影…それこそ天使長ミカエルに違いないと思われた。
ユイに促され、階段の手前で立ち止まり、台座を見上げるアスカ。
「惣流・アスカ・ラングレー。」穏やかな、それでいて力強い女性の声がアスカに投げかけられる。
「何よ。」圧倒されないように身構えるアスカ。そのままの姿勢で次の言葉を待つ。
「地上での活躍、ご苦労様でした。ここでゆっくり休んでいって下さいね。」
「言われなくても、ゆっくりするわよ…。」意外なねぎらいの言葉に虚を衝かれ、言葉が出ない。
もっとも言葉がでなかったのは、それだけではなかった。
(なんだろう、この安らかな気持ちは…。ミカエル様の声…聞いているだけでホッとする。)
声を聞くだけで心が温かくなる…シンジ以外でそんな気持ちになったのはいつの事だろう。
遠い遠い昔にそんな事があったような気がする…。あれはいったい…?
「ひとつだけ貴方に聞きたいのですが宜しいですか?」
「何よ…。」記憶を辿る事に気を取られていた為、つい反射的に答えてしまう。
けれども、そんな無礼とも取られかれないアスカの態度など気に障った様子もなく
穏やかな、そして優しい声が大広間に響き渡る。
「何故貴方はあの少年、碇シンジに3年間待つように言ったのですか?
貴方には自分が生き返れるという確信があったのですか?」
天使長の言葉に傍らに控えていたユイとアークも頷く。
アスカはひとつ息をつき呼吸を整えると、天使長に向かって話し始めた。
「そんなものあるわけないじゃない…。現に今だって夢を見てるのかもしれないって
思っているんだから。ただ…」そこでアスカは言葉に詰まり、俯いてしまう。
「ただ…?」そんなアスカを優しく天使長が促す。ユイもアークも静かに待っていた。
「もしも、あのまま…あたしが死んじゃったら、あいつが…シンジがあたしの後を追って
死んじゃうんじゃないか、そう思ったのよ。」そう答えるアスカの声が震えていた。
自らの死の恐怖を思い出したのか、それともシンジの死を想像したのだろうか、悪寒を
感じたかの様に身体を震わせ、両手を抱えて自分自身を抱きしめる。
それでも天使長の台座を見上げると凛とした口調で答えた。
「だから、シンジに3年待つようにいったの…。あいつは素直だからあたしが戻ってくるって言えば
きっと待っていてくれる…そして3年も経てばあたしがいなくても大丈夫、そう思ったのよ。」
それは病室で目覚め、自らの命が残り僅かな事を悟った時、真っ先に考えた事だった。
自分の命が尽きる事よりも、残されるシンジの事がアスカにとっては大切な事だった。
残された時間がほんの少しだった事が、却って理不尽な死に対する怒りや悲しみを感じさせるよりも
シンジを思いやる事を優先させたのかもしれない。
死の瞬間まで笑顔でいられたのは、少しでもシンジの悲しみを和らげたいというアスカの最後の
思いやりだった。もしも、シンジと別れるまでもっと時間があったら、行き場のない哀しみや怒りをシンジに
ぶつけていたかもしれない。…ずっと笑顔でいられる程自分は強くないのだから。
とても納得できる事ではなかったけれど、死が避けられない事であったとしたら、シンジの事を考えれば
これで良かったのかもしれない…そう思うアスカだった。
そんなアスカの切ない思いを察してか、暫くの間静寂がその場を包む。
「アスカ、無礼な事は承知の上で尋ねます。」
アスカの傍らにいたアークが静かな、澄んだ声でアスカに尋ねる。
「彼が貴方の後を追えば、また一緒になれるかもしれない…貴方はそうは思わなかったのですか?」
「正直言って、そういう事も考えたわ…。」
無礼ともいえるアークの問いかけにアスカは静かな微笑みで答えた。
「でも、あいつには…シンジには幸せになってほしかったの。」
アークとユイの顔を見つめたままアスカが静かに話を始める。
「あいつは…物心もつかない小さい頃に母親と別れ、仕事に打ち込む父親の邪魔にならないよう
母親を失って間もないというのに知り合いの家に預けられたの。」
「丁寧だけど、よそよそしい他人の中であいつは育った…。本来限りなく注がれるはずの
温かい両親の愛情を全く受けられないまま…ね。」
アスカの言葉にユイがそっと瞳を伏せた。寂しげなその表情をアークが痛ましげに見守る。
「それはアタシも同じなんだけどね。」沈みかけた雰囲気を変えようとするかの様に
明るくカラリとした調子でアスカが話を続ける。
「あたし達は最初こそお互いにどう接して良いのかわからなかったけど、でも一緒にエヴァで戦い、
一緒に暮らしていく内に、少しずつお互いの距離を近づけていったの!」
「あたし達は子供の頃、両親の愛情を知らないで育った、だから愛情を受ける事も、
そして与えることにも慣れていなかったの。」青い瞳にふっと寂しさが過ぎる。
「そんな所もあたし達はよく似ていたみたい。」クスッとアスカが笑う。
「あたしにはシンジの寂しさや臆病さ、そして本当の強さがわかるようになっていったし、
シンジはあたしの悲しみや脆さ、そして心の奥にある優しさを理解してくれた。
あたし達はきっとこの世界の誰よりもお互いを理解する事ができた、今でもそう思っているわ。」
そう言い切るアスカの顔には喜びと誇らしさを見て取る事ができた。
そういう相手に巡り合う事無く生涯を終える人はそれこそ星の数ほどいるのだから…。
「だからシンジとだったら、あたしも幸せになれるかもしれない…そう思えたの。」
その言葉を口にするアスカの表情は希望に満ちたものだった。けれど…
「でも…あたしはシンジと一緒に居られなくなってしまった。」
余りにも哀しい一言。そんなアスカにかける言葉を持つものは誰もいなかった。
「もし…あたしとシンジの立場が逆だったら、あたしもシンジと一緒に死んでしまいたいと
思ったでしょうね。」俯いたまま静かに言葉を紡いでいたアスカだったが不意に顔をあげると
大広間中に響き渡るかの様な大きな声で叫んだ。
「でも、それじゃいけないの!…だって、死んでしまったらお仕舞だもの。」
突然のアスカの変化に目を丸くするユイやアークに向かってせつせつと語りかける。
「生きてさえいれば幸せになるチャンスはいくらでもある、そう思うの。」
クルリと振り返ると真っ直ぐに天使長の台座を見上げる。
「例え、あたしが相手じゃなくても、あいつなら別の幸せを見つける事ができるはずだと思ったのよ。」
それこそがアスカがシンジに生きていてほしいと思う最大の理由だった。
自分と一緒ではなくてもシンジには幸せになってほしい。シンジの周りにはアスカの恋敵、シンジを
慕う少女が幾人もいたのだから…マナ、マユミ、陰ながらシンジに好意を寄せている者は沢山いただろう。
皆、アスカが居たから、そしてシンジがアスカの事を誰よりも大切に思っている事を知っていたから
2人の関係に手を出そうとはしなかった。でもアスカがいなくなった今なら…。
悲しくて悔しいけれど、それでも良い…シンジが幸せになれるなら、そう考えていた。
それは以前の彼女からは想像も出来ないような温かく大きな、優しい心だった。
「そう思えるようになったのも、シンジのおかげだけどね。」
アスカは少し照れた様に頬を染めるとニッコリと微笑んだ。
その温かな笑顔はその場にいた全員の心にそっと沁み込んでいった。
優しい眼差しでアスカを見つめるユイとアーク。やがて満足そうな笑顔でアークが話しかけてくる。
「成る程、あなたには充分天使になる資格があるようですね。」
「別に天使になんか、なりたくないわよ。」間髪いれないアスカの返事に苦笑するしかないアーク。
「でもねアスカ、天使になれば3年間でシンジ君の所へ帰れるかもしれませんよ。」

第3章 天使の務め
晴天の霹靂のような一言にアスカは天使長の前である事も忘れ、アークに掴みかかった。
「ホント!?ホントにシンジの所に帰れるの?」
予想もしなかったアスカの行動になすがままのアーク。襟首を掴まれ、前後に激しく揺すられて
アスカの問いに答えられるような状況ではない事は傍目にも明らかだった。
そんなアークの状態も、シンジの所に帰れるかもしれないという事で頭がいっぱいのアスカには
気づく由もなかった。慌ててユイが止めなければアークは天国から旅立たねばならない所だったろう。
「はあ、はあ…、ああ、苦しかった…。死ぬかと思いましたよ。」
床に片膝を落としたまま、喉を押えたままゼイゼイと肩で息をするアーク。真剣に苦しそうだ。
先程から落ち着きを崩さなかったユイも、心配そうにアークの背中を擦っている。
「天使が死んで、どうするのよ!もう、大袈裟なんだから。」
「全然大袈裟じゃありませんよ。ホント死ぬかと思ったんですからね。」
全く悪びれないアスカに文句のひとつも言いたいアークだったが、先にアスカからの問いが走る。
「そんな事よりさっきの話、本当なの。あたし、シンジの所へ帰る事ができるの?」
真剣なアスカの表情に、ゴホゴホと少し咳き込みながらアークも真面目に答える。
「ええ、戻れますよ…。貴方の働き次第ですけどね。」
アークは大きく深呼吸をすると、乱れた襟元を直しながら立ち上がった。
「我々はこの世界に来たひとに簡単な仕事を与えます。」
一言も聞き逃すまいという表情のアスカにアークは静かに、そして力強く語り始める。
「仕事自体は難しいものから簡単なものまでいろいろと用意してあります。自分の力量、
目的にあった仕事を選ぶ事ができるようになっています。」
「そして仕事に応じて新しく生まれる為のちからを得る事ができます。まあポイントカードみたいな
ものですね。100ポイント貯めて人間になろうーってね。」思わずアークの右手が上がる。
「ポイントカードって…、偉い天使様にしては随分くだけているのね。」
感心したような、あきれたような調子でアスカが言うと、
「だから、あなたの担当なんですよ、アスカ。」さらっとした顔でやり返されてしまう。
「ぐっ…。」返す言葉が出ないアスカを満足そうに見つめると、真顔に戻って話を続ける。
「他の人々が何十年もかけて行なう事をたった3年で成し遂げようというのだから、大変な事ですよ。」
そこで言葉を切るとアークはアスカの顔を正面からじっと見つめた。
そんなアークに対しアスカも負けじと、じっと見つめ返した。
「それでも良いのですね。」アスカの決意を確かめる様な重々しい声。
「やるわ!」間髪入れずに即答するアスカ。烈火の様に言葉が熱い。
「わかりました。」ひとつ長い息をつくと、アークはアスカに優しく微笑んだ。
「そう言うだろうと思っていました。ただし、今の姿のまま帰るという訳にはいきませんよ。
なにしろ惣流・アスカ・ラングレーという人間の生命は終わってしまったのですから。」
アークの言葉に真実を感じながらも、不満を露わにしてアスカが反論する。
「わかってるわよ…でもシンジと一緒に居られないなら帰る意味がないじゃない!」
そんな予想通りのアスカの素直な反応が楽しかったのかアークから笑みがこぼれる。
ユイもそんなアスカの反応を嬉しそうに微笑みながら見つめている。
む〜状態のアスカをなだめるかの様にアークが話しかける。
「その点は我々も重々承知しています。そこで蘇る際に5つだけ、その人の希望を聞いているのですよ。」
「5つ、たったの?案外、天使様もケチなのね。」
先程からアークにやり込められている為、つい皮肉を言ってしまう。
「ケチとは心外ですね。むしろ5つも希望を聞いているんですよ。」
期待していたものとは違うアスカの反応に憮然としてしまうアーク。つい、こちらも意地になってしまう。
「とにかく、5つです!絶〜対に譲りませんからね!」
「わかったわよ!アークのケチンボ!そんなんじゃ、女の子に持てないわよ。」
「大きなお世話です。こう見えてもわたしは恋人の数では天国で五指に入る…。」
延々と続きそうなアスカとアークの遣り取りに、それまで黙って見ていたユイがやれやれと
いった仕草をしながら、ふたりの間に入る。
「はいはい、とにかくアスカさんも自分の希望を考えて。いつまでたっても話が進まないわよ。
それと、アークも子供じゃないんだから14歳の女の子と張り合わないの。わかりましたか?」
「「は〜い!」」ユニゾンして帰って来る返事。すっかり打ち解けたふたりに苦笑するユイ。
「じゃあアーク、邪魔しないでよ!真剣に考えるんだから。」
「はいはい、わかっていますよ、お姫様。はい、椅子をどうぞ。」
そんな遣り取りの後、真剣な表情で考え始めるアスカ。
アークもユイも、そして天使長もアスカの思考を邪魔しないよう静かに待っていた。
5分余り経っただろうか、アスカが椅子から立ち上がると3人を振り向いた。
「もう良いのですか、アスカ?」余りに短い時間に思わず確認するアーク。
「ええ、決まったわ!」強い意志を瞳に宿したアスカがはっきりと答える。
迷いのないアスカの姿にアークとユイはコクリと頷くと、アスカの言葉を待った。
そして、アスカの唇がそっと開かれる。
「あたしが望む事は…。」

第4章 アスカの願い
「あたしが望む事はね…。」
アスカの言葉に耳を傾けるアーク達。あのアスカの希望とは一体どんなものなのか、
世界一の美少女にしてほしいか、それとも…。そんなアークの耳に凛としたアスカの声が響く。
「シンジの側に同じ年齢のアスカという名前の女の子として、今の記憶を持ったままで蘇らせてほしいの。」
「本当に、それでいいのですか?」
当然あると思われた容姿についての希望が全くない事に驚きを隠せないアーク。
そんなアークの様子を面白そうに見つめるアスカだったが、やがて自分の思いを話し始める。
「もちろん、希望はたくさんあるわよ。もっと美人になりたいとかね…でもどんな綺麗な姿に
生まれ変わったとしても、今言った事がひとつでも欠けていたらだめなの。」
そう言うとアスカは皆に向かってニッコリ微笑んだ。それは本当に満ち足りた笑顔だった。
「シンジはあたしの顔やスタイルを好きになったわけじゃないの。」
胸にそっと右手をあてると、瞳を閉じて話を続ける。
「シンジはあたしのこころを好きになってくれたの…あたしの強さも、弱さも、優しさも
我侭も、悲しみも脆さもすべてを包み込んで好きになってくれた…。」
切々と語るシンジへの思い、その静かな語り口がアスカの思いの深さを一層明らかにしている。
「だから、たとえ姿が全く変ったとしても、今のあたしの心と記憶があれば、あいつは…
シンジはきっと気がついてくれる…そう信じているの。」
そう言うとペロリと舌を出す。それはアスカのささやかな照れ隠し。
「彼の事を心から信頼しているのね、アスカさん。」ユイが微笑みながら尋ねる。
「そ、それは…。」ユイの的を射た指摘に耳たぶまで真っ赤になってしまう。
そんなアスカの姿をユイは嬉しそうに、温かな眼差しで見守っていた。
「ひとつ訊ねても良いですか、アスカ?」
アークがどうしても納得できないという様に首を捻りながらアスカに尋ねる。
「な、何よ!」、上気した頬を冷まそうと手のひらで叩いているが、まだ林檎の様に真っ赤である。
「それだけ彼の事を信じているのならば、別にアスカという名前でなくても良いのではないですか?」
ボッ!アークの言葉に一度冷めかけたアスカの頬が炎の様に赤々と染まる。
「あなたの話を聞くとシンジ君というのは名前なんかには拘らないように思えるのですが?」
アークの言葉に更に赤くなるアスカだったが、観念したかの様にポツリと呟く。
「…好きなのよ。」かろうじて聞こえるような小さな、けれどはっきりした声。
「?」意外な答えにあっけに取られるアークとユイ。構わず言葉を続けるアスカ。
「聞こえなかった!?好きだって言ったのよ!」照れ隠しの為か声が大きくなる。
それでも、まだ呆然としているふたりに、今度は広間に響くような大声で叫ぶ。
「シンジの優しい声でアスカって呼ばれるの、大好きなのよ!」
「だからアスカ以外の名前でシンジによばれるなんて、あたしには想像できないのっ!」
そう言うと、林檎の様に真っ赤になった顔を見られないようプイッと横を向いてしまう。
「シンジだって、きっと困るわよ…。」
「アスカ以外の名前であたしを呼ぶなんて…。」
消え入りそうなアスカの小さな声が静かに伝わっていく。
今までの強気で活発なアスカとは違う、いじらしく可愛らしい一面を見せられたアークやユイの
表情が思わず緩む。それは娘や妹の成長を喜ぶような慈愛に満ちた笑みだった。
「本当に可愛らしいのね、アスカさんって!」ユイの嬉しそうな声。
「全く、いつもそうしていれば良いのですがね…。」アークが呟く。
そんなふたりの優しい思いを感じ取るアスカ。ようやく顔の火照りも収まって来る。
「と、とにかく、そういう理由なんだからあたしの希望はこれで良いの!」
「はいはい、わかりました。そんな大声を出さなくても大丈夫ですよ。」
アークはそう言って笑うと両方の掌で円を作り、精神を集中させるかの様に瞳を閉じた。
小さな声で何かを呟く。その背中の純白の翼が大きく広げられていく。
やがてアークの掌の間に光り輝く輪が出現した。
「さあ、これをどうぞ。」そう言うとアークは光の輪をそっとアスカの頭上にかぶせた。
光の輪はアスカの頭上10cm程の位置で静止すると、一瞬眩しい光を放った。
「きゃあ――――!」
白色の光に覆われるアスカの身体。アスカの白い服が光に溶け込んだ様に見えた。
次の瞬間、光の輪は優しく揺らめきながら、何事も無かったかの様に静かにアスカを照らしていた。
「これで、あたし天使になったの?」余りのあっ気なさに躊躇いがちにアークに尋ねる。
「そうですよ。宜しく、エンジェル・アスカ。」
「そう…、あたし本当に天使になったのね!」
アークの言葉にようやく実感が湧いて来る。それと同時に心の奥から、そして身体中から
何か不思議な力が湧き起こり、漲ってくるのを感じていた。
(これが…あたしの力…。ううん、シンジの所に帰りたいと思うあたしのこころ…。)
自分の中に溢れる強い力、アスカはその源を正しく理解していた。
ひとがひとを思うこころ…アスカがシンジを思うこころ、その強さを改めて感じる。
そんな自分のこころが愛しくて、そして嬉しくて思わず涙ぐんでしまう。
(シンジ、あんたを思うあたしのこころ…こんなに強く、綺麗なんだよ。シンジに伝えたいよ…。)
「そうと分ったら、のんびりなんかしてられないわよ!」
そう叫ぶと天使長に向かって両手を腰にあてたお得意のポーズで仁王立ちになる。
その凛とした姿は、絶望の渦に飲み込まれかけていた時のアスカからは想像出来ないくらい
生命力に溢れ、耀き、そして美しかった…。
アスカの姿にアークやユイどころか天使長ですら感嘆の溜息をついてしまう。
アスカの余りにもアスカらしい姿。そして発せられた言葉もアスカらしいものであった。
「さっさと仕事の内容を言いなさいよっ!あたしは1分でも1秒でも早くシンジの所に戻りたいんだから!」
再び凛としたアスカの声が響き渡る。穏やかな静けさに包まれていた天国に鋭い、真摯な思いが走る。
やはり、彼女には止まっているよりも、走っている方が似合うのかもしれない。
きっと彼女が脚を休めるのはあの少年の所だけなのだろう…改めてそう思うアークだった。
(待ってなさいよ。必ずあんたの所に戻るんだから…。浮気なんてしてたら承知しないからね!)
別れ際にシンジに残した言葉など既にアスカの頭の中から消えてしまっていた。
シンジの元へ帰り、シンジと共に歩み、シンジの隣で同じ時間を過ごし、シンジと一緒に
笑い、泣き、怒り、喜び、そして精一杯愛する。今、それが夢ではなくなったのだから…。
「シンジ、直ぐに帰るからね!」そう呟くアスカの背中に純白の翼が広がっていく。
強く、美しい翼…それはアスカのシンジへの思いが映されたものだったのだろうか。
こうして大きな希望を胸に、新たにひとりの天使が誕生した。
「エンジェル・アスカ」、3年に渡る彼女の活躍がこうして始まるのであった。
FIN


アスカ:「ただいま・・・」の続編よねぇ。やっぱり、素敵な話ねぇ。(うっとり)

マナ:うんうん。とうとうアスカも、わたしとシンジのこと認めてくれたのね。(^^)

アスカ:誰が、ンなこと言ったのよっ!

マナ:えっ!(@@) だって、ミカエル様との話でそう・・・。

アスカ:アタシは人間の世界に帰れることになったのよっ!

マナ:だから何?

アスカ:あんなの無効よっ! アタシがシンジのとこに帰るのよっ!

マナ:あーーーっ! 1度言ったことを、ずるーいっ!

アスカ:状況は刻一刻と変わってるんだから、1度言おうが2度言おうがダメなものはダメなのよっ!

マナ:いやっ! もうわたしはシンジと仲良くするって決めたんだからっ!

アスカ:そんなこと許すもんですかっ!

マナ:ざーんねんでしたぁ。わたしには、3年の猶予があるんだもんねーだっ。

アスカ:あまいわね。アタシは天使になったのよっ!

マナ:それがどうしたのよっ?

アスカ:天罰よぉぉぉっ!!!(^O^)(ピカっ! ゴロゴロゴロゴロっ! どっかーーーーーーーーーーーーん!)

マナ:きゃーーーーーーーーーーーーっ! て、天使がそんなことできていいのぉぉ!!?(バタ)
作者"なる"様へのメール/小説の感想はこちら。
ttn5tez237@mx2.ttcn.ne.jp

感想は新たな作品を作り出す原動力です。1行の感想でも結構
ですので、ぜひとも作者の方に感想メールを送って下さい。

inserted by FC2 system