「桜舞い散る樹の下で」
平成14年04月03日初稿/平成14年04月12日改訂
第1章 桜の樹の下で
数多の謎を残したまま終結した使徒との戦い。
確かなのはゼーレはその力を失い、ネルフは更にその力を強めたという事だった。
そんな人の愚かな争いや思惑など関わりなく、自然はその本来の力を取り戻していた。
春、4月初旬。ここ第3新東京市は桜の雲海の中にあった。
その第3新東京市の郊外、桜の名所として皆に知られている公園の一角に
不満気な少女の声とそれをなだめる少年の声が響いていた。
「ねえ〜、後何時間こうしていなければいけないのよ!」
そう言いながらポテトチップを口に運ぶ少女。地面に敷かれたシートの上に寝転んだままお菓子を
食べているその姿は、太るという言葉とは無縁の抜群のプロポーションだった。
行儀の良くないその姿も彼女の愛らしさを引き立てこそすれ、その魅力を損なう事はなかった。
背中までかかる赤味がかった金色の髪に桜の花びらが舞い落ちて彼女を飾っていた。
白い肌、端正な顔立ち、深い碧い瞳に、凛とした唇。
まるで春の女神が人の姿となって現れた、そんな思いすら感じさせる少女。
惣流・アスカ・ラングレー。15歳。この春、つつがなく第3新東京市立第壱高等学校に進学。
元エヴァンゲリオン弐号機パイロット。使徒殲滅の殊勲者のひとり。
葛城 ミサト、碇 シンジとの同居人。そして碇 シンジの…。
「全く日本の風習って良く分からないわね。わざわざ夜を待たなくても今から始めればいいのに。」
コロンと仰向けになると満開の桜の空を見つめる。新しい制服のスカートが楽しそうに揺れている。
「こんなに桜が綺麗なんだからさ…。」そう言って傍らにいる少年をそっと見つめる。
口を開けば不平不満ばかりがこぼれるが、少し注意すれば彼女が口で言うほど現状に不満を感じて
いない事は…いやむしろ嬉しく思っている事に気づいただろう。
それ程、彼女の表情は明るく幸せに満ちており、声は楽しげだったのだから。
彼女の傍らで本を読んでいる少年、彼の存在が彼女をそうさせていたのは明白であった。
ところが…である。
「僕ひとりで良いって言ったじゃないか。それをアスカが無理矢理…。」
アスカの口先だけの不平不満に反論してしまう。
碇 シンジ。15歳。アスカと同じ第3新東京市立第壱高等学校に進学。当然の如く同じクラスの隣の席。
元エヴァンゲリオン初号機パイロット。アスカと並ぶ使徒殲滅の殊勲者。
葛城 ミサト、惣流・アスカ・ラングレーの同居人。そして…惣流・アスカ・ラングレーの恋人未満。
お互いに相手の気持ちに気づいていた。そして自分も相手と同じ気持ちである事にも…。
使徒との戦いが済んだ後も、ずっと一緒に居たい…喜びも、哀しみも、幸せも、苦労も分かち合って
生きて行きたい…言葉にはできなくても、ふたりともそう思っていた。
少しでも離ればなれになると、相手の事を考えてしまい、姿を目で追ってしまう。
そのくせ一緒にいると些細な事からケンカになってしまう…そんな事の繰り返しだった。
ケンカして、仲直りして、またケンカして…それでも一緒に居たい、そんなまだ幼さの残る愛。
もう少し素直になれたら…、率直に自分の思いを伝えられたら…、きっと。
お互いにそう思いながら実行できないでいた。そして結局、今日もケンカになってしまう。
「文句ばかり言うのなら、皆と一緒に来れば良かったんだよ。」
アスカの本当の気持ちを察する事ができないシンジが、先程からの不平不満に反発してしまう。
「あんた、ひとりじゃ大変だと思ったから付いて来てあげたんじゃない!」ぷーっと膨らむ桜色の頬。
「そんな事、頼んでいないじゃないか!」普段は温厚なシンジだが何故かアスカにだけは反論してしまう。
もっとも、それはアスカも同じ事だった…それだけふたりの距離が近いという証なのだから。
「何よ、あたしが側に居て嬉しくないの?」感情的になったアスカの論点が少しズレて来てしまう。
「そ、そんな事はない…けど…。場所取り位、僕ひとりでできるよ。もう、子供じゃないんだから。」
「子供だなんて思ってないわよ…。そんな事、思うわけないじゃない…。」
シンジに正しく伝わらない自分の思い。もどかしさと哀しさで言葉が口の中で迷子になってしまう。
「それじゃ、ふたりで花見の場所取りに来る事に何か意味があるの?」
もじもじしているアスカに、シンジがふと思いついた事をそのまま口にする。
その瞬間だった。我が意を得たりとばかりのアスカの声が公園内に響き渡る。
「あたり前でしょ!あんたひとりをこんな危険な場所に行かせられるわけないじゃない!」
「え?」アスカの勢いに呆気にとられてしまうシンジ。アスカは危険と言ったが、一体何が危険なのか
言葉の意味が分からない為、思わずアスカの顔をじっと覗き込んでしまう。
「な…何でもないわよ!」そんなシンジの行動に慌てて言い捨てるとプイっと横を向いてしまう。
その頬は桜というよりは林檎の様に真っ赤に染まっていた。
火照った頬をシンジに気づかれないよう両腕で隠しながらアスカは今朝のミサトとの会話を思い返していた。

第2章  桜の樹の下には…
それは今日の朝食の事だった。いつの頃からか、シンジがふたりの為に食事の準備を進めている間
一緒にTVを見ているのがアスカとミサトの日課になっていた。
「あら!この子、なかなか良い男になったじゃない。お姉さん、嬉しいわ。」
「あたし、この人嫌〜い。」若手俳優のニュースを見て正反対の反応を示すふたり。
「アスカはシンちゃん以外の男の人はみんな嫌〜い、なんじゃないの〜?」
「ミサト、今なんか言った?」シンジとの仲を冷やかすミサトの耳にアスカの1オクターブ低い声が届く。
チラリと声の方向を見るミサト。アスカの烈火の様な視線とぶつかってしまう。
頼みのシンジはキッチンという事で、慌てて話題の転換を図る。
「と…ところで、今年のネルフの花見の場所取り係、シンちゃんに決まったんだって?」
「うん!今日、学校を早退して行くみたいよ。たかが花を見に行くだけなのに、バカみたい。」
シンジの話題にコロリと引っ掛かってしまうアスカ。この辺りはミサトの計算通りである。
どうやら場所取りの為、今日はシンジと一緒に帰れないという事実がアスカを不機嫌にさせていたようだ。
そんなアスカの可愛い反応がミサトの悪戯心をくすぐる。
「アスカもシンちゃんの場所取りに付いてけばいいじゃない?何時間もふたりっきりで居られるわよ〜!」
「な、なんであたしがシンジと…。」口ではそう言いながらも、満更でもないアスカの様子がミサトの
悪ふざけに拍車をかける。心の中でニンマリとした笑顔を浮べると、真剣な表情でアスカに話かける。
「アスカ、貴方知ってる?日本では古くから桜の木の下には死者の魂が眠っていると言われているのよ。」
「死者の魂って…ゴーストの事?」思いもしなかった話題にブルっと震える。
「そう、しかも恋に破れ、恋を成就させたいと願う女性達の亡霊がね…。」
「そ、それって…もしかすると男の人に取り憑くって事?」ミサトの話に引き込まれていくアスカ。
「そっ、添い遂げられなかった恋人や夫の代わりに、気に入った男性を見つけるとあちらの世界に
連れていってしまうのよ。これが古来から日本に伝わる桜の伝説なの。」
桜について勝手な伝説をでっち上げるとミサトは言葉を切って傍らのアスカの顔をじっと見つめた。
アスカの瞳の中に不安と決意が浮んでいるのを確認するとミサトは止めの一言を口にした。
「シンちゃんなんて優しいから亡霊たちの格好の餌食でしょうね。しかもひとりで場所取りなんてね。」
ミサトの即興の作り話であったが真剣な話し振りと、直接シンジに関わる話題であった為に100%信じてしまう。
(どうして…シンジをそんな危険な場所にひとりで行かせるなんて…。みんな何を考えているのよ!)
シンジの身を案じ、真剣な表情で思い悩むアスカの横顔を見ながらニヤリと笑うミサト。
(ふふ、これで今日の花見が一段と盛り上がりそうね。期待してるわよ、アスカ!)
そんなミサトの思惑に気づく余裕もなく、アスカは懸命にシンジを守る手立てを考えていた。
(他の人達は当てにならないわ。あたしが亡霊からシンジを守ってあげなくちゃいけないのよ!)
シンジが出来立ての朝食を持ってきても気づかないほどアスカは思考に集中していた。
いつもなら料理が出た瞬間に食べ出すアスカが手も付けずに何かを考えている様子に心配したシンジが
すがるような視線をミサトに送る。が、ミサトはただニコニコしているだけで要領を得ない。
仕方なくアスカの隣に座ると朝食を食べ始める。それでもアスカが気になって集中できないでいた。
(そうよ、あたしが常にシンジの側に居て亡霊から守ってあげれば良いのよ!)
そんなシンジの心配をよそに考え続けるアスカ。遂にはシンジの食事も終ってしまう。
後ろ髪を引かれるような思いでキッチンに戻るシンジ。その頃、ようやくアスカの考えが纏まろうとしていた。
(…つまり、シンジを守る為には、シンジと一緒に場所取りに行かなくちゃいけないって事よね。よーし!)
結論を出すとアスカの行動は早かった。あっという間に目の前の朝食を片付けると、驚くミサトを尻目に
キッチンに駆け込む。そしてシンジの腕を掴むとそのまま引きずり出した。
「わあ!アスカ、突然どうしたんだよ。」                           ずず〜。
「いいから、場所取りに出掛けるわよ!」                          「ああ、お茶が美味しいわ〜。」
「そ、そんなこれから学校が…。」                                ポリポリポリポリ。
「今日は休みよ!さあ、出掛けるわよ!」                          「この沢庵も良い味ね〜。」
「そんな、制服のままだよ…。」                                  「ご馳走様でした!」
「じゃあ、ミサト。行ってくるわね!」                               「はい、行ってらっしゃい!」
「ア、アスカってば〜。」スタスタスタスタ…キイー、ガチャン
こういう経過を経て、今アスカとシンジはふたりだけで桜の樹の下に居るのだった。
アスカが黙ってしまった事で、先程までのじゃれあいの様なケンカも自然消滅していた。
落ち着いてくると辺りの静けさと、風の冷たさが気になり始め、思わず制服のジャケットの襟を立てる。
「ううっ、それにしても寒いわね…そうだ!」キラリとアスカの瞳が耀く。
異様な空気を感じてシンジが振り向いた時には、花見用に準備された山の様な食べ物、飲み物の中から
抜き取った1本の瓶の栓をアスカが景気良く空けてしまった所だった。
「あ〜っ!アスカそれ、ミサトさん秘蔵のブランデーじゃないか!」思わずシンジの声が裏返ってしまう。
何日も前から、ミサトがその瓶を磨いている姿を見ているだけに慌てて止めようとするシンジだったが…。
「ちょっとだけよ!ブランデーって身体温めてくれるんでしょ。」
事も無げにそう言うとアスカはブランデーの瓶に直接唇をあてた。アスカの白い喉が微かに動き、
ブランデーがアスカの体内に注ぎ込まれていく。その姿に思わずシンジの顔が赤く染まっていく。
満開の桜の樹の下でブランデーを直飲みするアスカの姿はどこか艶めかしく、妖しかった。
「何、これ!」ポーっと見とれていたシンジの耳に突然アスカの声が響く。
「ど、どうしたの。アスカ!」慌てて駆け寄るシンジの前に突き出されるブランデーの瓶。
「これ凄く美味しいわよ!ほら、あんたも飲みなさいよ。身体が温まるわよ〜!」
「いや…僕は、その未成年だし、それにミサトさんに悪いし…。」
「何よ…あたしのお酒が飲めないってひゅうの〜。」既に呂律が回らなくなっているアスカが
ブランデーの瓶を持ったままシンジに覆い被さって来る。柔らかなアスカの感触に抵抗できないシンジ。
アスカは左腕と胸でシンジの首を固定すると、右手に持ったブランデーの瓶をシンジの口に差し込む。
「ひょりゃ、美味しいれひょ。ひっく!一緒に飲みまひょうよ、ひーんーじ!」
シンジはと言えば柔らかなアスカの胸の感触とブランデーが混じったアスカの甘い香り、
そして間接キスをしているという事でアスカ以上にメロメロ状態になってしまっていた。
「じゃあ、こんろはあたしが飲むわね〜。」そう言うとシンジの口からブランデーの瓶を引き抜き、そのまま
ラッパ飲みを始める。そんなふたりに呼応するかの様に桜が一際激しく舞い散り始めるのだった。

第3章 春眠
「むにゃむにゃ…ほらシンジ、あんたも飲みなさいよ…むにゃ。」
気持ち良さそうに眠るアスカの顔をシンジは飽きる事なく見つめていた。
陽は西に傾き始めていたが、風はすっかり止んでいた。
先程は妖艶なアスカの色香に酔ってしまっていたが、思っていたよりお酒を飲んでいなかった為
シンジは既に素面の状態に回復していた。もっともアスカはそうはいかなかったが…。
「こんなアスカも、たまには良いかもね。」誰も…もしかしたらアスカ自身さえ知らないかもしれない
無邪気な姿を一人占めしている喜びに浸るシンジだった。
その時、寝返りをうったアスカがせっかく掛けていた毛布を蹴り飛ばしてしまう。
「もう、アスカったら…これじゃ風邪引いちゃうよ。」
やれやれといった表情で蹴り飛ばされた毛布を拾いに行くシンジ。
アスカの寝相の悪さはミサトに匹敵するもので、このままでは本当に風邪を引きかねなかった。
「毛布はひとつしかないし…。仕方ないよね。」
誰に言うとも無しに呟くとシンジは眠ってしまったアスカの身体をそっと抱き上げた。
思いの他軽いアスカの身体に危うくバランスを崩しそうになるが、なんとか踏みとどまる。
そのまま桜の巨木の根本まで移動するとアスカを起こさない様にゆっくりと腰を下ろした。
丁度お姫様抱っこの状態になっているアスカの身体を少し傾け自分の左側に下ろす。
アスカの頭が自分の胸に来るように調整し、倒れないように左手でアスカの腰を抱く。
そんな中、柔らかなアスカの身体の感触と微かに聞こえる吐息がシンジの心を誘惑する。
(こんな時に僕は何を考えているんだ。アスカは僕を信頼してくれてるんだから…。)
男の欲望を必死に抑制するシンジ。そんなシンジの葛藤を知らずに安らかに眠るアスカ。
結局そんな無邪気なアスカの姿がシンジの欲望を押え込んでしまう。
(こんな時にアスカに何かするなんて、男らしくないよね…。)そう呟くとアスカの寝顔を覗きこむ。
先程の妖艶さが夢の様に思える程、あどけなく愛くるしいアスカの表情にシンジにも笑みがこぼれる。
(こうして、いつまでもアスカの一番近くに居れたらいいね…。)そう心の中で呟く。
「風邪ひくといけないから…。」シンジは1枚しかない毛布を右手で広げると、アスカの身体を完全に覆った。
淡い桜の海の中にくっきりと真紅のネルフのロゴをあしらった毛布が浮かび上がる。
1枚の毛布の中で寄り添うふたり。アスカの鼓動や身体の温もりがシンジに伝わってくる。
この世界の何処よりも温かく、心が安らぐ場所がそこにあった。
「あれ?アスカの寝顔を見ていたら、何だか僕まで眠くなってきちゃったよ…。」
とろんとした瞳のシンジ。アスカと一緒にいるという安心感がそうさせるのだろうか?
それとも穏やかな春という季節のせいだろうか…いずれにしろ限界だった。
「まだ時間はあるし、少しなら良いよね…アスカ、おやすみ。」
アスカに害を為すものから守るかの様にアスカの身体をしっかりと抱いたまま眠りにつくシンジ。
そんなふたりを再び舞い始めた桜の花びらが静かに包み込んで行くのだった。

第4章 桜月夜
ざわざわ…ざわざわ……
がやがや…がやがや……
(あれ…なんだか周りが騒がしいな?アスカは…うん、大丈夫ここに居るね。)
半ば眠ったままアスカの身体を抱きしめる事で、その存在を確認するシンジ。
温かく柔らかな感触とアスカの甘くさわやかな香りを感じ、ホッとする。
そんなシンジの耳にさざ波の様なざわめきに混じり、聞きなれた人達の声が届く。
「うわー、やるなあシンジ君!」
「ホント、ふたりとも大胆ね。公衆の面前でこんな事しているなんて。」
「まあ、いいじゃないの!今日は無礼講なんだからさ。」
(あれ…?この声は…。)急速に覚醒していくシンジ。それと同時に周囲の状況も把握出来るようになる。
「ううん〜、何よう…。うるさいわね〜。」シンジの耳元でどこか悩ましい声が聞こえてくる。
どうやらアスカも目を覚ましかけているようだ。それにしても一体どうなっているのだろう?
辺りの様子を伺おうと目を開けようとしたふたりを、瞬間煌煌たる光が照らす。
「わあっ!」 「きゃあ!」
「ふたりとも、そのままそのまま…はい、笑って!もう1枚行くぞ!」
そしてもう1度眩しい光がシンジとアスカを照らす。光が消え去った後でふたりの目に映ったのは
カメラを片手に満足そうな笑顔でふたりを見守る加持 リョウジの姿だった。
「やあ、シンジ君、アスカ。いい夢見れたかい?」
「「加持さん!」」
「あらあら完璧なユニゾンじゃない。」黒を基調としたスーツを纏ったリツコが感心した様に言う。
「おはよう、シンジ君、アスカちゃん。」もうお酒が入っているのか赤い顔のマヤが微笑む。
見回せば桜の樹の周りはネルフの職員で埋め尽くされていた。
「「いつの間に、こんなに…。」」絶句までユニゾンするふたり。
「よ〜、御両人!」 「お似合いよ、ふたりとも!」 「ふたりの前途を祝して乾杯だ〜!」 「おおーっ!」
周囲から祝福やひやかしの野次が飛び交う。抱き合ったまま真っ赤になって顔を見合わせるふたり。
シンジとアスカを肴にしてネルフの宴は最初の盛り上がりを見せようとしていた。
「いかがです司令。この仲睦まじいシンジ君とアスカを今日の宴の主賓としては?」
「問題無い。葛城3佐、現場の指揮は君に任せてある。シンジ、アスカ君、葛城3佐の指示があるまで
そのまま待機するように…これは命令だ。」机の上で手を組んだままゲンドウが睨みをきかす。
「まあ、そういう事だ。宜しく頼むよシンジ君、アスカ君。」いつもの様に冬月が念を押す。
自分たちが花見の肴になる事や、何故ここに机があるのか等ゲンドウに聴きたい事は幾つもあったのだが
聞いてもムダだという思いと、聞かなくてもいいかなという思いから命令を受け入れるふたりだった。
こうしてシンジとアスカが抱き合ったまま、ネルフの花見が始まるのであった。

…それから1時間余り経っただろうか、宴は益々賑わいをみせていた。宴の当初はずっと抱き合ったままで
居られる事を密かに喜んでいたふたりだったが、流石に喉も渇き、お腹も減ってきた。
ようやくの事でミサトを呼んで来て貰う事に成功したが、ミサトの眼が座っている事にまでは気づかなかった。
何とか宴の肴の役目を終らせて貰おうと頼み込むふたりを、さわやかな笑顔で受けとめるミサト。
「ミサトさん、僕たち何時までこうしていればいいんですか?」
「そうよミサト。あたし達だって飲んだり食べたりしたいわよ。」
「あら、ふたりともそうやって抱き合っているの嫌なの?」さも意外そうな顔でミサトが聞き返す。
「「嫌なわけじゃないけど…。」」
ユニゾンで答えながら、ようやくふたりはミサトの様子がいつもと違う事に気づいた。
「一言抱き合っているのが嫌だって言ったら、許してあげるわよ!でなきゃ、もう暫くそのままでいなさい。」
「「そんな〜!」」
そんな言葉をシンジ達が言えない事がわかっていながら敢えて聞いてくるミサトに顔を見合わせる
シンジとアスカだったが、その理由は間もなくわかる事となった。
「ふたりとも、これ何だかわかる?」そう言うとミサトは見事に空になっているブランデーのビンを軽く振った。
笑顔ではあるが眉間の所がひくひく引きつっているのが、はっきりと見て取れた。
「「そ…それは。」」ふたりの顔からスーっと血の気が引く。
((この事だったのか…。))ふたりの背中を同時に悪寒が走る。
「あたしの秘蔵のブランデー…せっかく桜の花びらでも浮べて飲もうと思っていたのに。」
既に先程からの笑顔は微塵もなくなっていた。キッとふたりを見つめるミサト。完全に目が座っている。
「あんた達、今日はずっとそのままでいなさい!」N2爆弾の様な絶叫がふたりを襲う。
「「ええ―――っ!」」
「あたしの…ブランデー。楽しみにしてたのに〜。」一転して泣きべそになるミサト。
「おいおい、泣くなよ葛城。」いつの間に来たのか加持が駄々っ子の様なミサトを抱き寄せる。
「加持〜。あたしの取って置き〜!」ミサトはといえば、そのまま加持の胸でさめざめと泣き出してしまう。
泣き上戸の傾向もあったのか…茫然とするふたりにミサトの頭を撫でながら加持が告げる。
「まあ、そういう訳だ。すまないが今日はふたりとも花見だけにしてくれ。」
加持の言葉にふたりは不承不承乍ら従うしかない事を悟るのだった。
「まあ、考え方ひとつだ。ネルフ公認で抱き合えるなんて、そうそうある事じゃないぞ。」
シンジとアスカにそう言うと、加持は既にへべれけになっているミサトの肩を抱いて宴の席に戻って行った。

「それは、確かにそうそうある事じゃないけど…。」
「ねえ…。」至近距離で顔を見合わせるふたり。鼻先がくっつきそうな距離に、改めて真っ赤になる。
ネルフのドンチャン騒ぎもふたりには何処か遠い世界の事のように感じられた。
見つめあう瞳と瞳。呼吸の、いや鼓動の音さえ聞こえてしまうような距離。
そんなふたりの間にはらはらと桜の花びらが舞い下りてくる。
「シンジ、見て。桜の花びらが踊っているみたいよ。」
「ホントだ。なんか舞踏会を見てるみたいだね。」
そのまま舞い下りる無数の花びらの円舞曲に目を奪われてしまうふたり。
やがてアスカがニッコリ笑顔を浮べるとシンジに話かける。
「せっかくなんだから、この時間を思い切り楽しみましょう!」
「そうだね。確かに滅多にない時間だものね。」
「それじゃあ、えい!」可愛らしい掛け声と共にアスカがシンジの胸に飛び込む。
一瞬戸惑いの表情を見せるシンジだったがアスカの心からの笑顔に気づくと、優しく抱きしめるのだった。
アスカは上半身を捻り仰向けになると、シンジの身体を枕にして桜の樹を見上げる。
音もなく舞う桜の花びらがふたりに無限を感じさせた。
「此の侭、ずっとアスカとふたり一緒に居られたらいいね。」桜を見つめたままシンジが呟く。
告白?とも受け取れるシンジの言葉に目を丸くするアスカ。慌ててシンジを見つめる。
けれどアスカの期待に反してシンジの瞳は桜を見つめたままであった。
おそらく、今の言葉も意識して出したものではないのだろう…でも、だからこそ今の言葉がシンジの
本当のこころから出てきたのだという事がアスカには信じられた。
アスカのこころが優しく温かな思いで満たされていく。そんな思いが言葉となって溢れ出る。
「居られるわよっ!あんたとあたしが望めばね!」
ほとばしる様なアスカの言葉に一瞬驚いたシンジだったが、言葉に込められたアスカの思いに
気づくと、優しい微笑みを浮べ、アスカを見つめたままそっと囁いた。
「そうだね。ふたりが望めばできない事なんかないよね。」
アスカの肩をシンジの掌がそっと抱きしめる。アスカがシンジの掌に自分の掌を添える。
そのまま周囲の喧騒を他所に桜とふたりだけの世界に入っていくのだった。

それから何時間が過ぎたのだろうか、辺りにはネルフ以外の人影はなく、月の光が静かに
人の愚かな宴の後を照らしていた。狂乱の残骸を隠すかの様に舞い散る桜の花びら。
それは倒れた酒瓶、散乱した食器、酔いつぶれた人々を公平に包んでいった。
「シンジ、そろそろ帰ろうか?」ようやくふたりだけの世界から帰還したアスカが話かける。
「そうだね、アスカお腹空いたよね。帰ったら直ぐに何か作るからね。」
「うん、楽しみにしてるわよ。じゃあ桜を見ながら帰りましょうか。」
「うん。…ところでみんなを此の侭にしておいていいのかな?」
心配そうな表情で辺りを見回すシンジ。その視界には酔いつぶれて加持に抱きついたまま眠るミサト、
リツコにしがみつくマヤ、そのマヤにしがみつく青葉、何故かその青葉にしがみつく日向、そして
机に突っ伏したまま微動だにしないゲンドウの姿が入っていた。
「平気よ、みんな大人なんだから。自分のした事は自分で責任をとってもらわないとね。」
サラリと言い捨てるアスカ。今はシンジ以外の事は関心がないようだ。
それに飲まず食わずの腹いせも兼ねているのかもしれない。
「それに、ほら諜報部の人達もいるから大丈夫よ。」そう言って煮え切らないシンジの腕を引っ張る。
そんなアスカの仕草にようやくシンジも同意する。ふたりだけの時間を過ごす事に異論はないのだから。
「じゃ行こうか。」「うん!」そう言うや否やシンジの左腕に飛びつき、ギュっと抱きしめる。
「ええっ!」予想もしなかったアスカの大胆な行動に可笑しな位、狼狽してしまう。
「今夜くらい、こうしていても良いでしょ?」少し甘えた声でシンジに尋ねる。
「それは良いけど…僕だって男なんだよ、アスカ。こんな事されたら…。」
「我慢出来なくなっちゃう?」悪戯っぽい笑顔を見せてアスカがシンジの言葉を繋ぐ。
その笑顔と腕に押しつけられているアスカの胸の感触に言葉につまってしまう。
「ついさっきまでは、もっと密着していたのに?変なの。」わざとあどけない口調でシンジに尋ねる。
「さ、さっきと今とは…べ、別なんだよ…。」先程までの事を思い出し真っ赤になるシンジ。
そんなシンジの様子を愛しげに見つめるアスカ。もう少し悪戯したくなってしまう。
「いいよ、我慢しなくても。今晩はあたし達ふたりっきりなんだからね!」とウインクを飛ばす!
「ア、アスカ…。」思わせ振りなアスカの言葉と行動に再びメロメロ状態のシンジ。
アスカが醸し出す女性としての魅力にKO寸前という所だろうか。
「ふふ…それは、帰ってからゆっくりね。ほら桜も、お月様も綺麗よ。」
朦朧状態になったシンジの反応に満足したアスカはそこで別の話題に振替えようとするが…。
「本当だ…でもね…。」そう言うとシンジはアスカを見つめてニッコリ微笑んだ。
「アスカの方がずっと綺麗だと思うよ。」
ボッ!シンジの一言に今度はアスカの顔が火が付いた様に真っ赤になってしまう。
慌ててシンジに気づかれないよう顔を背ける。熱くなった頬を風が優しく撫でる。
(もう、何でこんな時にそんな台詞言えるのよ。本当に許してあげたくなっちゃうじゃない…。)
先程までは思いのままにシンジを翻弄していたアスカだったが…恥じらいから言葉少なくなってしまう。
「どうしたの、アスカ?」突然黙ってしまったアスカを心配するシンジ。
「何でもないわよ、バカシンジ!」照れ隠しの為にいつものように強い口調で言い返すアスカだったが、
その時、自分の事を心配してくれるシンジの黒い瞳がアスカの瞳に映る。
瞳を通してシンジの優しさがアスカに伝わってくる。それがアスカに素直になる勇気を与えてくれる。
「ちょっとね、桜月夜に酔っただけよ。」
そう言うと頭をシンジの肩の上にちょこんと載せる。シンジの温もりが伝わってくる様でつい笑顔になる。
そして、そのまま瞳を閉じると、自分の心の中にある思いをもう一度確認してみる。
(このまま酔っていても良いんだけどね。シンジにだったら、あたし…。)
「ア、アスカ?」はしゃいでいたと思ったら、突然黙ってしまい、また急に笑顔になって甘えてくるという
アスカに戸惑うばかりのシンジ。それでも自分を大切に思っている事だけは確かにアスカに伝わっていた。
「後はあんた次第だからね、シンジ。」聞こえるか聞こえないか位の声でシンジにそう呟く。
「えっ、アスカ今なんて言ったの?」
「何でもないわよ、バカシンジ!さあ、帰ろう。」
「う…うん?」
やがて腕を組んでゆっくりと歩き始めるふたり。楽しそうな声が桜の花びらと一緒に風に舞う。
そんなふたりの姿を少し桜に酔った月が優しく照らしていくのだった。
FIN


マナ:酒乱はやーねぇ。

アスカ:ブランデーはキツイんだから、しょーがないじゃん。

マナ:あんなにガバガバ飲むからでしょ。

アスカ:おかげでミサトに睨まれたわよ。(ーー)

マナ:葛城さんも、バツならもうちょっと考えなくちゃ。

アスカ:お腹減って死にそうだったわ。(ーー)

マナ:内心、喜んでた癖に・・・。(ーー)

アスカ:わかるぅ?(*^^*)

マナ:なんだか、腹立ってきたわ。(ーー#
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感想は新たな作品を作り出す原動力です。1行の感想でも結構
ですので、ぜひとも作者の方に感想メールを送って下さい。

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