「ひだまり」
平成14年08月21日初稿/平成15年02月15日改訂

第1章 碇 シンジ
空は蒼く澄み、日毎に寒さは厳しさを増し、季節が急ぎ足で通り過ぎようとしている気配を感じる
そんな晩秋の一日。ここ第3新東京市郊外の或るマンションは暖かい陽光に包まれていた。

AM 8:00 マンションのテラスに面したガラス扉が開かれる。
「うわっ、寒い!」
少し開けた扉から流れ込む冷たい空気に思わずシンジの口から声が漏れる。
それでも降り注ぐ光の暖かさに目を細めると、一気に扉を開け放つ。
待ちかねたかのように清廉な空気がドッと家の中に入り込み、まるで渓谷を
流れる清水の様に家の中を隅々まで洗い流していく。

そんな様子を満足気に見渡すとシンジは再び蒼い空に目を向ける。
雲一つない空には眩しい、それでいてどこか穏やかな太陽が輝いていた。
透き通るかの様な秋らしい陽光。まさに小春日和であった。

「それにしても良い天気だな…うん、今日はみんなの布団も干そうかな。」
任務も学校も、ネルフでの実験の予定も入っていない久し振りの日曜日。
午後からはアスカの買い物に付き合う約束をさせられていたが、それまでは
特に予定のないシンジは徹底的に家事を片づけてしまう事に決めた。
家中の布団を手早くまとめると光が満ち溢れているベランダに干していく。
干しきれないものはベランダに面したテラスに広げたっぷり陽の光を当ててやる。
その手際の良さはベテラン主婦顔負けであった

「よーし、後はアスカとミサトさんの布団だけか。それは朝御飯の後でいいかな?」
おそらくまだ布団にくるまって夢の中を遊んでいるであろう少女の事を思い微笑みが浮かぶ。
「夕べは遅くまで何かやっていたみたいだし…ゆっくり寝かせてあげよう。」

それは昨夜、風呂上がりのシンジがアスカの部屋の前を通った時の事だった。
まるでN2爆弾が弾けたかの様な派手な音がしていたので声をかけたのだが、
「あ、あんたには関係ない事よ!覗いたりしたら只じゃおかないからね!」と
物凄い剣幕で追い立てられてしまったのだった。
その為、部屋の中でアスカが何をしていたのかシンジにはわからなかったのだが、
ケガをしたとか特に異常は無い様なのでそのままにしておいた。

勿論アスカが何をしているのか気にならない訳ではなかったのだが、
シンジにも翌日アスカと買い物に出掛ける為に片づけなければならない家事が
沢山あった為、そのままになってしまっていた。
それでも家事の合間を見ては部屋の様子を伺っていたのだったが、
結局部屋が静かになったのはAM2:00近くになってからだった。
「それにしても一体何をしていたのかな、アスカは…?」
そう言いながらアスカの部屋に視線向けるが、そこはまだ静寂に包まれていた。

小首を傾げるとシンジは頭を切り替えて朝食の支度に取り掛かる。
専用のエプロンを身につけ冷蔵庫の中身をチェックする。
そして手早く材料を選ぶと、次々と調理していく。
そして10分後…

「休日のミサトさんは朝は軽いものしかとらないし、アスカも買い物の時に
何か食べようって言うだろうから今朝は軽めでいいよね。」
一仕事終えて呟くシンジの前にはこんがりと焼けたバターロールやクロワッサン、
鮮やかな色彩を放つレタスとトマトのサラダ、カリカリに焼かれたベーコンに
スクランブルエッグ、そして色とりどりのジャムの瓶が並べられていた。
その光景に満足げに肯くとシンジはエプロンを外して椅子の背にかけた。
「さてと……そろそろアスカを起こしに行こうかな?」

寝ぼけ眼で自分を見つめるアスカの姿を想像してシンジの顔に再び微笑みが浮かぶ。
こんな穏やかで明るく楽しい日々が自分に訪れるなんて…。
かつてのシンジからは想像すらできない事であった。
アスカが居てくれるだけで自分の心が温かくなる。アスカの笑顔を見ているだけで
身体に力が湧いてくる。アスカの事を思うだけで心が喜びでいっぱいになる。
それは丁度、今日の日差しの様に澄んだ、暖かな思いであった。
「いけない、せっかくの料理が冷めちゃうよ。」
アスカを思い、赤く染まった頬を軽く叩きながら歩き出すシンジであったが
キッチンを出た所で思わず立ち止まってしまう。

そこには秋の柔らかな日差しを浴びて大きく膨らんだ布団があった。
「うわーっ、ふかふかだ〜!」思わずシンジの口から歓声がこぼれる。
それ程、秋の陽光を浴び膨らんだ布団は柔らかく、暖かそうであった。
甘美な誘惑に必死に抗おうとするシンジだったが、それは余りにも強大であった。
「アスカを起こさなくちゃ……でも、ちょっと…そう、ちょっとだけなら。」
そう自分自身に言い訳しながら、シンジは陽光をいっぱいに含んだ布団の
雲海に飛び込んだ。ポフっという軽やかな音が微かに聞こえる。
(うわ〜、温かいや……。)

シンジが想像していた以上にそこは柔らかく、暖かく、心地よかった。
手足を思い切り伸ばし、布団の中で大きく背伸びをしてみる。
まるで光の湯船に浸かっているかの様な開放感をシンジは感じていた。
(何だろう…?何か懐かしい感じがする……。)
それはシンジの記憶の中に微かに残っている母の温もりだったのだろうか。
次第にシンジの動きが小さく、緩やかになってくる。

アスカやミサトを相手にしている日頃の蓄積された疲れが出てきたのだろうか?
それとも記憶の奥底から蘇った母親の温もりを辿っているのだろうか?
いつしかシンジは布団に包まれたまま安らかな寝息をたて始めていた。
そんな少年を秋の陽光と白い布団の雲海が優しく包み込んでいた。

第2章 惣流・アスカ・ラングレー
AM 9:30
「きゃっ、冷たい!」ベッドの端から白い爪先が覗いたかと思うと直ぐに引っ込んでしまう。
隙間から忍び込む冷気にアスカは布団の中で再び丸まってしまっていた。
5分程して…、ようやく布団からアスカの頭が現れる。
「ううっ、寒〜い!何でこんなに寒いのよ。此処は南極じゃないんでしょ!」
文句を言いながら右手を伸ばしエアコンのスイッチを探す。
エアコンの作動音と共に暖かな風が吹き出てきた事を確認して、ようやく
布団が捲り上げられアスカの全身が現れる。

寝乱れた髪を軽く指先で直しながら壁に掛けられた時計で時刻を確認する。
「それにしてもシンジったら…いつもなら起こしに来てくれるのに、何してんのかしら?」
起きて早々愛らしい唇からこぼれ出るシンジへの小言。
けれどそれはアスカの本心ではなく、シンジへの甘えの現れである事を
今はアスカも、そしてシンジも気づいていた。
「まあ、今日は起こしに来られても困るんだけどね……。」
溜息交じりにポツリと呟くとグルリと部屋の中を見渡す。
そこには足の踏み場もない程、所狭しと色とりどりの服が並べ…いや散らかされていた。

そんな混乱の極みの部屋の中で、きちんとハンガーに掛けられた服がひとつ。
柔らかなクリーム色のセーターに黒のミニスカート、そして紅いリボン。
それは今日のシンジとの買い物の為に選びに選び抜いたお気に入りの1着。
これを選び出す為に一体何着の服をタンスや衣装箱から引き摺り出したのだろう。
大慌てだった昨夜の状況を思い出して、今度は少し長めの溜息をつく。

けれどハンガーに掛けられた服を目にした途端アスカの顔に笑みが浮かぶ。
(ふふ…、今日はシンジと初めての…ちゃんとしたデート!なんだよね。)
隠そうにも隠し切れない喜びがアスカの全身から溢れ出る。
(あいつ、似合うよって言ってくれるかな?可愛いよ!なんて言ってくれるかな?)
デートの為に選んだ服を見つめながらアスカは昨夜のシンジとの遣り取りを思い返した。

それはいつもと変わらない夕食後の光景だった。
キッチンで洗い物をするシンジと食後のお菓子をつまみながらTVを見るアスカ。
土曜日だというのにミサトは残務処理という事でネルフに缶詰状態になっており
帰りは深夜になりそうだとの連絡があったばかりだった。
「ミサトさんも大変だよね。」お皿を拭きながらシンジが話しかける。
「日頃からちゃんとしていないから、こんな事になるのよ!自業自得ね。」
ぴしゃりと言い切るアスカにミサトの日常を思い返し苦笑するしかないシンジ。
それでもミサトの苦労を思いやり、わずかでもフォローをしようとする。

「はは……。せめて、美味しいおつまみでも用意しておこうかな。」
「止しなさいよ、またえびちゅの量が増えるだけよ。」
口では厳しい事を言ったもののシンジの思いやりがアスカの心を温かくする。
けれど、そんな心の内をシンジに気づかれないよう、更に憎まれ口を叩いてしまう。
「まったく…、シンジは甘いんだから。ん、どうしたの?」

お皿を手にしたままTVを食い入るように見つめるシンジの姿に
それまで見るとも無しに見ていたTVの画面を慌てて見直す。
TVでは現在第3新東京市のデパートで開かれているドイツ物産展の特集が
流れている所だった。自動車からシェイバーまで様々な物品が映し出されていたが、
その中でも一際大きく扱われていたのは多彩なドイツ料理だった。
次々と映し出される料理の品々を魅入られたように見つめるシンジ。
(シンジ、あんな顔するんだ……。今まで気づかなかったわ。)
真剣なシンジの眼差しに知らずに見とれてしまう。

そんなアスカにシンジの呟く声が聞こえてくる。
「ドイツ料理か…こんなに色々な種類があるんだね。僕、ハンバーグと
バームクーヘン位しか知らなかったよ。」
思わぬシンジの天然のボケに遂ツッコミを入れてしまう。
「あんた、バカ?バームクーヘンはお菓子でしょうが!」
「えっ?そう言えばそうだね、はは……。」

真剣な表情と余りにギャップのある答えにガックリと脱力してしまうアスカだったが、
その時或る事に気づき、慌ててシンジを見つめ直すと真剣な表情で尋ねる。
「ねえ…あんたドイツ料理に興味があるの?」
「うん。今、映っているのなんてミサトさん、喜びそうじゃないかな?」
視線をTVに止めたままシンジが答える。よほど興味を引かれているようだ。
「ミサトなんてどーでも良いのよ!あんたが興味があるのかって聞いているの!」
突然、凄みを帯びたアスカの迫力に押され1、2歩後ずさりしてしまうシンジ。
「う、うん…あるよ。」辛うじてそれだけを答える。

そんなシンジの答えにアスカの表情がパアッと花が咲いたかのように明るくなる。
「じゃあ、ちょ…丁度良かったわ!」
思いっきり声が裏返っているのだが、そんな事を気にしている余裕は
アスカにはなかった。この好機をどう生かすのか…今はそれだけだった。
そしてシンジに向けて、まるで機関銃のように続けざまに言葉が放たれる。

「ドイツ料理に興味があるなら、あんたも出掛けるつもりでしょ?」
「あたしもね、偶々よ…明日あのデパートに偶々買い物に行こうと思っていたのよ!」
「たまには、ひとりで洋服でも見に行こうかな、なんてね。」
「ヒカリを誘おうかと思ったんだけど、何か鈴原のバカと予定があるらしくて…。」
「それで、ひとりきりでウインドウショッピングでもしようかな?ってね。」
「で、でも寂しい訳じゃないのよ。ひとりで気軽に動くのも嫌いじゃないんだけど…。」
「でも、ひとりよりふたりの方が楽しいかな?な〜んて考えちゃうのよ。」
5分余りを殆どひとりでしゃべり続けるアスカ。シンジに口を挟む暇を与えない。
アスカ自身も話をまとめようと努力しているのだが、本当にシンジに伝えたい事が
上手く出てこない。そして更に2分程埒もない事をしゃべり続けた後……。

「お…同じ家に住んで居て、同じ所に出掛けるのにバラバラに行くなんて何か変じゃない?」
ようやく核心に触れた言葉がアスカの唇から紡ぎ出される。
「別にふ、深い意味はないのよ……ただ、あたしとあんたが仲が悪いみたいに思われるのも
何か悔しいじゃない…。あたし達、仲悪くなんてないわよね?」
シンジに伝えたい事は唯一つなのだが、その言葉をなかなか口にする事ができない。

「だったら、一緒に出掛けて、お互いの買い物に付き合って、お茶とかしたりしても
その……たまには良いんじゃないかな?って思うのよ……。」
伝えられない思いがもどかしく、悔しく、そして哀しかった。
シンジが女の子の心理にもう少し敏感であれば、アスカの言いたい事を察して
逆にアスカに提案する事もできるのかもしれない…。
シンジはアスカの言葉を真剣に聞いていたが、その秘められた真意を
察してくれる事まで期待するのは酷な事だったかもしれない。

そして逡巡の後、遂にアスカはシンジにど真ん中の直球を放り投げる。
「シンジ、明日の午後ふたりで一緒にデパートに行かない?」
渾身の思いを込めてシンジに放ったアスカの一投!
「うん、いいよ!僕もひとりで行くよりアスカとふたりの方が、きっと楽しいと思うよ。」
驚くほど呆気ないシンジからの承諾の答えに軽い脱力感を覚えるアスカだったが、
なんとか気を取り直すと、左手を腰に当てて右手で指差すお得意のポーズをとり
高らかにシンジに宣言する。

「だったら、明日は一日…あんた、あたしの買い物に付き合いなさいよ。
あたしもあんたに付き合ってあげるから…いいわね、約束よ!」
そこで一息つくと真剣な面持ちで言葉を付け足す。
「あ…明日は、ず〜っとふたり一緒にいるんだからね!寝坊なんかしないでよ。」
半ばというか、かなり強引な誘いになってしまったが、こうしてアスカと
シンジは日曜日の午後初めてのデートをする事になったのである。

もっとも、それからが大変だった…。シャワーは明日、早起きして浴びれば良いとしても
着て行く服は今夜の内に選んでおかなければ、とても間に合いそうになかった。
シンジをその場に置き去りにして部屋に戻ると鏡の前に立ち、次から次へと服を合わせていく。
その度に楽しそうな笑顔を見せている鏡の中の自分自身に問いかける。

お気に入りの黄色のサマードレス風ワンピース!ダメ…幾ら何でも寒すぎるわよ。
暖かそうなダッフルコートにロングスカート!なんかモコモコして、可愛くないわ。
ジャケットに軽快なジーンズ!ちょっと活動的過ぎるわね…。屋内のデート向けじゃないわ。
白いブラウスに桃色のカーデイガン、髪はカチューシャでまとめて!って、いったい何時の時代よ。
ネクタイに黒いマントをあわせて、紋章入りのロングマフラー!これじゃ○リー・○ッターじゃない。
どうしよう…そうだいっそのこと制服で!……な、何考えているのよ!あたしったら……。

考えれば考える程、服を出せば出すほどアスカの迷いは深くなっていく。
それでも鏡の中のアスカから笑顔が消える事はなかった。
そして深夜を回った頃には、なんとか2〜3着まで絞り込む事ができた。
真紅のジャケットに白い上着、デニムのスカートの組み合わせも普段の自分らしくて
気に入っていたし、淑やかに見えるであろう深緑色のワンピースも捨て難かったのだが
最終的にアスカが選んだのはセーターにミニスカートの組み合わせだった。

(ミニスカート…シンジ、喜ぶかな?)
秋の日差しを浴びて白く輝く自慢の脚。黒のミニスカートからスラリと伸びる脚に
きっとシンジの視線は釘付けになるに違いない。
その一方でクリーム色のゆったりとしたセーターは清純さを感じさせ、
ミニスカートのセクシーさを程良く緩和してくれるはずであった。

(胸とかお尻の大きさじゃ、まだミサトには敵わないけど脚なら負けないわよ!)
せっかくのデート、どうせならシンジの視線を一人占めしたかった。
女性としての魅力をアピールすると同時に年相応の清純なイメージも
シンジに気づいて貰えるよう考えに考え抜いた組み合わせだった。
服を見つめたまま、これからの事を想像し暫しの間トリップしてしまうアスカだったが、
シンジがまだ自分を起こしに来ていない事を思い出す。

「このあたしがこんなにサービスしてあげようとしてるっていうのに…。ようし!」
ベッドから飛び降り、そっと襖を閉めるとパジャマ姿のまま廊下に出て行く。
ペタ、ペタ…。スリッパの音を残しながらシンジの部屋の前に立つ。
「まさか、まだ寝ているわけ…ないよね?」

音を立てないよう、そ〜っとシンジの部屋の襖を開ける。
きちんと畳まれた布団。案の定、部屋の中にシンジの姿は無かった。
「全く、あたしの事を放って何処に行ったのよ、あいつ!」
憤慨しているポーズを取りながら更にシンジの姿を捜し求める。

ペタ、ペタ、ペタ……ミサトの部屋の前、ミサトの高いびきが聞こえるだけ。
ペタ、ペタ、ペタ……洗面所を覗き込む、誰もいない。
ペタ、ペタ、ペタ……トイレの扉をノックする、返事はない。
ペタ、ペタ、ペタ……キッチン、此処にもいない。一体何処へ行ったのだろう。
ペタ、ペタ、ペタ……玄関、外に出ていった様子は見られない。
「あのバカ、このあたしを置いて本当に何処へ行っちゃったのよ!」
先程に比べてアスカの声色に不安と憤りと哀しみの色が滲み出ている。
「もしかしたらテラスに居るのかしら?あのバカ、手間かけんじゃないわよ!」
そう言いながらリビングに戻り、そこからテラスに抜けようとする。

「何よ、これ?」
先程はシンジを探す事に気を取られていた為、全く気づかなかったのだが
リビングの南半分が白くふかふかした物で覆われていた。
「うわーっ、暖かそう〜!」アスカの唇からも感嘆の声が上がる。
そこは正しく布団の雲海であった。飛び込みたくなる心を必死に抑えるアスカ。
(だ…ダメよ、あたしはシンジのバカを探さなきゃいけないんだから…)
その時だった……布団の海の中から、かすかに寝息が聞こえたのは…。
本当にかすかなその音をアスカの耳が鋭敏に捉える。

「今の寝息?…って事はシンジ、此処にいるの?」
そう言いながら布団の海を目を凝らして、じっと見つめる。
やがて、青い瞳が白い布団の海の中に浮かぶ黒い髪を見つける。
「何よ!あいつ、このあたしの事を放ったらかしにして昼寝なんかしてるの?」
シンジを見つけホッとすると気持ちと、放ったらかしにされていたという憤りの
気持ちの双方が入り混じってアスカの身体を突き動かす。
あっと言う間に布団の海の中に飛び込むと一直線にシンジの元に駆け寄る。

「ちょっと、シンジ!あんた……。」そこまで言いかけて慌てて口をつぐむ。
自分に寂しい思いをさせた罰に叩き起こしてやろうと近づいて行ったのだが
余りにもあどけないシンジの寝顔に怒りも不安も何処かに消え去ってしまう。
シンジを起こさないよう猫の様に忍び足で近づくと、膝を落として顔を覗き込む。
今、アスカの目の前にはシンジの寝顔が溢れていた。
トクン…トクン…トクン……。
自分の鼓動がシンジに聞こえるくらい大きな音をたてているような気がしていた。

(シンジ……。)そのままジッと寝顔を見つめる。
穏やかな、そして温かな思いがゆっくりとアスカの心に広がっていく。
「ふふ、無邪気な顔しちゃってさ!」
そう言いながらチョンとシンジのおでこを軽く突っつく。
よほど良く眠っているのか、そんなアスカの悪戯にも全く反応しない。
「こんな処で寝ちゃって…まったく、子供なんだから。ね、バカシンジ!」
今度はシンジの頬を突つくと、クスリと笑顔を見せる。

余りにも無防備なシンジの姿がより大胆な行動をアスカにとらせる。
シンジの傍らに寝そべると更に間近でその顔を覗き込む。
シンジのたてる微かな寝息の音がアスカの心に沁み込んで行くような気がしていた。
「近頃、随分あたしに楯突くようになったもんね。少しは男の子らしくなって来たのかな?」
何気ない言葉だったが、その中から隠し切れない嬉しさがこぼれ出てしまう。
自分の心の奥底に隠し持っていた素直な思いがこぼれ出てしまった事に驚き、
誰がいるわけでもないのに慌てて取り繕おうとする。

「で、でも、ちょっと生意気よ。あたしに逆らおうなんて10年早いわよね。」
そう言うと人差し指でシンジの鼻先をピッと指差す。
「シンジが調子に乗らないように、この辺でガツンとやっておいた方が良いかもね。」
そう呟くと、両手で頬杖をついたまま何やら考え始める。

その間もシンジの寝顔から目を離さないのはアスカの可愛らしさであろう。
「そうだ!」何か名案を思いついたのかアスカの顔に小悪魔のような笑みが浮かぶ。
幸せそうなシンジの寝顔を見つめながら、さも嬉しそうに思いつきを口にする。
「目を覚ました時に、目の前にあたしが居たら一体どんな顔するかしら…シンジ!」
頬杖していた両手を解くと、それを支点にしてグンとシンジに顔を近づける。

「それも、こ〜んな近くに!」
ふたりの距離はもう5cmも無いだろう…それこそ鼻と鼻とが触れ合う様な距離だ。
シンジが熟睡してる事から普段ではとても出来ないような大胆な行動をとる。
それはアスカが心の中で密かに願っていた事なのだろう。
眠っているシンジに向けられるアスカの笑顔が何よりの証であった。

「よーし、このままシンジが起きるのを待ってようっと!」
作戦を決めると早速シンジの隣にコテンと横たわる。
アスカの赤味がかった金色の髪が白い布団の上にパアっと広がり、光を弾く。
「うわーっ!やっぱり、温か〜い!」
シンジの傍らで、温かな布団に包まれ幸せそうな声があがる。
(シンジが目を覚ましたら何て言おうかな…?何、寝てんのよ、バカシンジ!かな、
それともいきなり悲鳴をあげて驚かせてやろうかしら……。ね、寝ぼけた振りをして
シンジに抱き着いている、っていうのも良いかもね……。)
自分の思いつきに頬を赤く染めながら、身体をずらして少しづつシンジに近づいて行く。
そんなアスカの動きに合わせて揺れる布団の雲。優しくふたりを包み込んで行く。

「う〜ん、それにしてもいい気持ち!シンジが寝ちゃうのもわかるわね。」
シンジを起こさないよう気をつけながら、大きな伸びをしてみる。
暖かな陽光に小さな、可愛らしいあくびがアスカからこぼれる。
溢れんばかりの光がひとつの布団の上で横たわる少年と少女を平等に包み込む。
やがてシンジの寝息に合わせるかの様に、それよりも小さな可愛らしい寝息が
布団の海から聞こえてくる。
暖かな秋の一日はまだ始まったばかりであった。

第3章 葛城 ミサト
カーテンの隙間から差し込む秋の日差しがミサトの瞳を照らす。
「う〜ん、眩しいなあ〜。今、何時よ〜。」
手を伸ばして枕元の時計を引き寄せる。数字はPM12:04を表示していた。
「もう、こんな時間なの?」思いもしなかった時刻に慌てて飛び起きる。
そして布団の上にペタンと座ったままグルリと辺りを見回す。
脱ぎ散らかしたままの服、食べ終えたままのコンビニ弁当、散乱したままのえびちゅ…。
きちんとパジャマを着て寝ていたのが奇跡であるかの様な荒れ模様だった。
殆ど徹夜であった昨日の事が少しずつ思い出されてくる。

「結局、家に辿り着いたのはAM5:00近かったもんね。」
自嘲気味に呟くと空になって転がっているえびちゅの缶を手に取る。
「こんな生活、美容にも健康にも良くない、ってわかっているのよね…。」
淑淑とした台詞を呟くミサトだったが、その手先は忙しなく何かを探す素振りをしている。
やがて「あったー!」という歓喜の声とともに掲げられる未開封のえびちゅ。
思い切りプルタブを引き上げると、まるで浴びるかの様に一気に喉に流し込む。
あっという間に空にされてしまうえびちゅ。汚れた口元を掌で拭うと、大きく息をつく。
「ぷはーっ〜、わかっちゃいるけど、やめられない!ってね。」
まったく悪びれる様子もない…シンジやアスカが見ていたら頭を抱えただろう。
何だかんだ言いながらふたりとも、ミサトの身体の事を心配しているのだから。
そんな被保護者達の心配を知ってか知らずか本能のままに活動する。

アルコール分が補給されると今度は空腹感がミサトを責め苛み始める。
のっそりと布団の上から這い出ると、四つん這いの姿勢のまま襖を開ける。
「ねえ、シンちゃ〜ん、御飯、ま〜だ〜?」
部屋の外に顔だけ出してシンジに御飯をねだる。
いつもなら此処でミサトをなじるアスカの罵声と取り成すシンジの声が
聞こえてくるはずなのだが、今日は何も聞こえてこない。

しんと静まり返った家の様子にミサトの顔に初めて不安の色が浮かぶ。
昨夜は帰宅が遅かった為、ふたりと直接顔を合わせてはいないが
部屋で寝ている気配は感じていた。もしふたりで何処かに出掛けるにしても
一声かけていく位の心遣いはシンジにもアスカにも期待していいはずであった。
もっともミサトに聞こえるか聞こえないかは別問題であるが…。

「ねえ〜、シンちゃ〜ん、アスカ〜、居ないの〜?」
冷え冷えとした家の中にミサトの声が空しく響く。急に背筋に冷気が
入ったようにブルっと身体を震わせる。
手近な所にあった上着を羽織ると、襖を開けて廊下に出る。
(あのふたりの声がしない家って、こんなに寒かったかしら…?)
学生時代、加持リョウジの腕の中から逃げるように去って以来、
ずっと一人で生きてきた。寂しさには充分慣れたはずだった。

(強くなったつもり、だったんだけどな…。)
その時、ちょっとブルーな気分になったミサトの瞳に温かなテラスが映る。
(ふう…良かった、この家にも温かそうな所が残っていたみたいね…。)
陽光に誘われるようにテラスの方向に歩いて行くミサトだったが
その時足元に広げられている布団にようやく気づく。
「な、何よこれ?家中の布団が日向ぼっこしているの〜?」

布団の雲海に踏み入れるミサトだったが、その時まるで寄り添う様に波間に
浮かぶ黒い髪と赤味がかった金色の髪が目に留まり、慌てて駆け寄る。
「あらあら、シンジ君もアスカも……。」
ふたりを見つけたミサトから驚いたような、どこか楽しげな声がこぼれる。
陽の光を吸い込んでふかふかになった白い布団の上に仲睦まじげに
寄り添って眠る少年と少女の姿に微笑みが浮かぶ。

「ふふっ……、仲の宜しい事で!」
先程まで感じていた冷たく不安な気持ちがまるで嘘だったかの様に
ミサトの心がふわふわと温かくなっていく。
「良かったわ…貴方達が居てくれて。」
ポツリとそう呟くと暫くの間ふたりの寝顔を見つめるミサトだったが、
やがて何かを決意したかのように顔を上げると携帯電話を取り出す。

そしてメモリー画面を呼び出すとひとつの電話番号を選び出す。
それは登録をしたものの、どうしてもかける事ができなかった番号。
けれど、今までのわだかまりが嘘だったかの様に指先が
軽やかに動き、躊躇う事なくコールのボタンを押す。
…伝えたかった。
今、自分が感じた寂しさと喜びを。
今なら少しだけ、少しだけ素直になれそうな気がしていた。
そんなミサトの思いを乗せて受話器の向こうでコール音が響く。

長い数秒間の後、聞きなれた男の声が耳に飛び込んでくる。
「あっ、加持。ゴメン、休日なのに…、まだ寝てた?」
ミサトの声に一瞬驚いた様だったが、直ぐにいつもの軽口が聞こえてくる。
「葛城から電話とは珍しいな。もしかしたらデートの誘いかな?」
からかうような加持の言葉。いつもならば即座に撥ねつけていただろう。
けれど、今日は…。ふっと優しく微笑むと言葉を返す。

「うん、そうなの。悪いんだけど、これからお昼御飯、奢ってくれないかな?」
電話の向こう側で加持が息を呑む音が聞こえてくる様だった。
瞬間の躊躇い…けれど、それが拒絶を伴うものでない事をミサトはわかっていた。
(びっくりするわよね…。ふふ、言った私だって驚いているんだから!)

「聞き違い…って訳じゃないよな?今の言葉。」
「うん、ちょっち事情があってね…。しばらくそっとしておいてあげたいのよ。」
「そっとしておく…?」ミサトの真意を計りかねるかの様な加持の声。
「ひだまりの中で寄り添ってお昼寝している可愛い子猫達の……ね。」
「リツちゃんじゃあるまいし、今更猫を飼い始めた訳でもないだろう?」
「ふふ…、何の事かわからないでしょうね。」
珍しく戸惑いを帯びた加持の声にちょっとした優越感を感じていたが
そんなミサトに真っ直ぐな加持の言葉が投げかけられる。

「まあな。…でも理由は何でもいいさ、君と一緒にメシが食えるならな。」
思いもしなかった加持の真摯さにミサトの鼓動が跳ね上がる。
それでも平静を装うと、何事もなかったかのように言葉を返す。
「今の台詞、一体何十人の女の子に言ったの?」
「勿論、君だけさ。」即答する加持。更にミサトの反論を遮るように直ぐに言葉を繋ぐ。
「直ぐに迎えに行く。君の気持ちが変わらないうちにな…。」
「うん、わかった。じゃあ15分後にマンション前の交差点の所でね!」
力強い加持の言葉に今度は素直に承諾の言葉を返す。
自分を求める男の強引さが何故か今は心地良かった。

そんな自分が気恥ずかしかったのだろうか、つい一言付け加えてしまう。
「そうそう…無精ひげ、ちゃんと剃って来なさいよ!」
「わかっているよ。なんといっても10年振りのデートだからな、バッチリきめていくさ。」
「バカ…。」自分の心を見透かされたような気がしてミサトの頬が赤く染まる。
もっとも最後のミサトの呟きは加持には聞こえなかっただろう。

加持の家からマンションまで、わずか15分の時間では例え加持のテクニックを
以っても身支度に費やせるのは5分あるかないか、という所か。
慌てて支度を整える加持の姿を思い浮かべ口元に笑みが浮かぶ。
「無精ひげをそる時間あんのかしらね、あのバカ…。無理しちゃって、さ。」
そう呟くとシンジ達を起こさないように気を遣いながら部屋に戻る。

足場もない程散らかされた部屋を器用に抜けると迷う事なくタンスの扉を開く。
そして一番奥から1着の服を取り出すとまるで舞を舞うかのように身に付ける。
それは、この日の為にずっと前から用意していた服…加持の為に選んだ1着だった。
まさか本当に着る機会があるとは正直ミサトも考えていなかったのだが…。
やがて真剣な面持ちで鏡を覗き込むと気合を入れて化粧を済ませる。
窓を覆っていたカーテンが勢いよく開けられ、陽光が差し込む。

…そこには陽光に負けない位眩しい光を放つミサトの姿があった。
「さ〜て加持の奴、何て言うかしらね!」
そう呟くとニヤリと笑う。
「何たって、あいつの為に選んだ服なんだからね!」
そう言うと右手を拳銃の形に変えて、鏡の中の自分に狙いをつける。
鏡の中の自分もやはり狙いをつけている。やがて自分の鏡像に重なる様に
加持の笑顔が浮かぶ。バン!間髪入れずにミサトの銃が火を吹く。
「一撃必殺よっ!」
そう言い放つとニコッと笑う。
それは何のわだかまりもない澄んだ少女のような笑顔だった。

やがてミサトの部屋の襖がそっと開く。
どこか気恥ずかしそうな、けれどとても幸せそうなミサトの横顔。
後ろ手で襖を閉めると、忍び足で玄関へと向かう。
すやすやと眠っているシンジとアスカを起こさないよう出掛けようとする
ミサトだったが、何かを思い出したかダイニングに戻ってくる。
そしてメモ用紙を取るとふたりへのメッセージを記す。

シンちゃん、アスカへ
加持が泣いて頼むから今日一日付き合ってあげる事にしました。
遅くなるかもしれないから、これで美味しいものでも食べに行ってね!
ふたり仲良く風邪なんかひかないように気を付けるのよ。じゃあね!
                                                      ミサト

一度メモを読み返すと、財布から取り出した5千円札を添えてテーブルの上に置く。
満足げな笑顔を浮かべると傍らで餌をねだるペンペンに話しかける。
「おいで、ペンペン。一緒に行きましょう!」
「クエ〜!」ミサトの言葉に羽をバタバタさせて喜びを伝えようとする。
「ほら、静かに。シンジ君とアスカが起きちゃうでしょ?」
「クエ、クエ、クエ……。」
「ははっ…そんなに慌てなくていいわよ。まるで何も食べさせていないみたいじゃない。」
「クエ〜!」
「そっか〜、今日はまだ食べていないんだ。」
そんなミサトとペンペンの声が次第に小さくなっていく。
やがて玄関のしまる音が遠くに聞こえ、そして消える。

ミサトとペンペンが立ち去った後、再び温かな時間が緩やかに流れ始める。
シンジとアスカの寝息だけがユニゾンしながら微かな音をたてていた。

間も無く寒く厳しい冬が訪れるであろう、そんな小春日和のひだまりの中で
真っ白な布団に抱かれて寄り添い眠る少年と少女。
本当にささやかな、けれどかけがえのない幸せなひととき。
それは、これから訪れるであろう過酷な運命に立ち向かわなければならない
ふたりへのせめてもの贈り物だったのかもしれない。

西暦2014年晩秋、世界は碇 シンジと惣流・アスカ・ラングレーを抱いたまま
まだ穏やかなひだまりの中にあった。
FIN


マナ:なんだか、心あたたまるほのぼのしたお話ね。

アスカ:あの暖かな陽射しは、シンジの笑顔並に強力だわ。

マナ:ぽかぽかしたお布団って、気持ちいいのよねぇ。

アスカ:あれにつつまれたら、誰でも寝ちゃうって。

マナ:わたしも干したてのお布団に入りたくなっちゃった。

アスカ:気持ちいいわよぉ。ぽかぽかお布団って。

マナ:さっそく、ぽかぽかお布団に入るから、シンジをかして。

アスカ:へ?

マナ:だって、お布団とシンジはセットだもん。

アスカ:調子にのるなーーっ!!!!(ーー#
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