2月14日。
何でも、今日はバレンタインデーという日らしい。
ローマ時代にバレンタイン神父という人が愛の殉教者になったとかに由来するらしい。
その風習そのものは知っているが、日本ではチョコレートを渡すものだとは知らなかった。
別にチョコレートである必要はないが、まあ乙女の恋心を表すのには丁度いいと言える。
何にしても、年頃の女の子にとっては大切なイベントであることは間違い無いし、それに異を唱えるつもりも無い。

「だからと言って、なんでこのアタシが」

しゃかしゃか。

「バカシンジのためなんかに」

しゃかしゃか。

「日本なんかの風習に」

しゃかしゃか。

「従わなくちゃいけないのよ!」

しゃかしゃか。

ブツブツ言いながらも、ボウルの中身をひたすら泡立て器でかき混ぜるアスカ。
だが言葉とは裏腹に、その表情は楽しそうである。さっきからの独り言も、自分に言い聞かせているように聞こえなくもない。

何故アスカがこんな事をしているかと言うと、話は昨日に遡る。


「アスカは、シンジ君にチョコレートあげないの?」
一部の女の子にとっては決戦の日とも言えるその日を、翌日に控えた昼休み。
弁当(シンジ手製)を食べていたアスカに、ヒカリが問い掛けてきた。
「チョコレート?…何の事?」
「あれ、アスカはバレンタインデーって知らないんだっけ?」
「バレンタイン…ああ、アレね。へぇ、日本ではチョコレートをあげるんだ…」
風習そのものはあったが、チョコレートとは限らなかった。キャンディーやクッキーなどの場合もあれば、マフラーなどである場合もある。
ただ、そこにバレンタインカードをつけるのは慣習であったが。
「で、何でシンジ?」
「え? だって、アスカがあげるとしたらシンジ君しか…」
「はぁ? ちょっと待ってよ、確かにアイツは同居人だし、同じチルドレンだけど…別にアタシはあんなヤツ好きでも何でも無いわよ?」
「ふ〜ん…」
意味ありげな笑みを浮かべて、アスカを見つめるヒカリ。
「な、何よ…?」
「別に『好きな人』なんて言ってないわよ? 義理チョコ、って言うのもあるんだし」
「義理チョコ?」
「うん。つまり、いつもお世話になっている人に、感謝の意味を込めてあげるの。チョコをあげるからって必ず好きとは限らないんだけど?」
今日のヒカリは随分としつこい。
「いつもお世話になっているんだし、義理チョコくらいあげてもいいんじゃない? まあ、別に義理でなくてもいいんだけど…」
「何よ、それ!…ま、まあ、義理くらいならあげてもいいかな…」
赤い顔をしてつぶやくアスカ。それを聞き逃すヒカリではない。
「だったら、今日私の家に来ない? 一緒にチョコ作りましょうよ。ね?」
「べ、別に手作りじゃなくても…」
「いいのいいの、じゃ、決まり!」
強引に押しきられてしまったアスカだったが、満更でもない様子だった。

そして放課後。
洞木家のキッチンに、アスカとヒカリの姿があった。
「何でアタシ、ここにいるんだろ…」
「気にしない気にしない。
 さて、これからチョコを作るわけだけど…アスカ、お菓子を作ったことは?」
「えっと…ない、かな…」
基本的な料理くらいは出来るが、お菓子を作ったことは一度もない。
「うーん…それじゃ、最初からチョコを作るのは難しいかな…」
「そうなの?」
「うん。お菓子作りは温度が命だから、初めてでチョコレートは無理かも」
「じゃあ、どうするのよ?」
「そうね、じゃあ簡単に作れるものにしましょう。まずは…」

水分を拭き取ったボウルを取り出し、そこに刻んだ板チョコを50g。

「もしボウルがなければ、耐熱性の器なら何でもいいわ。例えば丼とか」
「うー…チョコを刻むのって結構面倒…」
「まあ、それほど細かくなくても大丈夫だけど…」

それを電子レンジにかけて、1分くらい。
取り出して、スプーンで混ぜる。

「溶けたチョコが底にくっつかない様に、ちゃんと混ぜてね。時間は目安だから、大体10〜15秒くらいずつかけながら、様子を見た方が失敗がなくて済むかも」
「うーん…チョコレートがうまく溶けないんだけど…」
「その場合、牛乳を少し入れてみてもいいわ。チョコと牛乳を2:1くらいで」

チョコレートがうまく溶けたら、そこに牛乳を80cc、卵1個。
さらに、ホットケーキミックスを100g入れ、よく混ぜる。

「だまが出来ないように、しっかりとね。普通のホットケーキよりは、固めの生地が出来るはずだけど…」
「…混ざらないわよ、これ…」
「これはさすがに固過ぎね…それなら、牛乳を足しましょう。逆に柔らかすぎたなら、ケーキミックスを足せばいいわ。固めのケーキが好きなら固めに、ふんわりしっとりのケーキが好きなら柔らかめにすればいいから」
「じゃ、アタシは柔らかめが好きだから、たっぷりと…」
「これはアスカが食べるものじゃないでしょ?」
「う…」

生地をケーキカップに入れ、電子レンジで2分ほど。

「ケーキカップは100円ショップのものでも構わないわ。ケーキカップじゃなくて、耐熱用のマグカップでもいいわ」
「わあ、どんどん膨らんでくる!」
「これを見てるのは楽しいわね…あっ、アスカ、止めて!」

水蒸気が出て曇ったら、すぐに取り出す。

「これで、出来あがり!」
「へぇ、本当に簡単ね…」
「そうでしょ? 手間もかからないし。だけど、本当はホットケーキミックスは使わないほうがいいの。香りが悪くなるし…」
「そうでもないと思うけど?」
「それはチョコレートを使ったから。まあ、それでも充分美味しいんだけどね。板チョコじゃなくても、ココアの粉があるならそれを使ってもいいし。
 工夫は色々出来るわ。例えば、レンジで温める前の生地に、板チョコをチップにして混ぜるとか。こうすると、味に起伏が出て面白いわよ」
「ふむふむ…ねえ、早速味見していい?」
「そうね。じゃ、紅茶でも入れましょうか」

紅茶も準備され、試食タイム。

「へぇ、美味しいじゃない、これ!」
「うん。結構いい出来かも」
初めて作ったお菓子に、我ながら感動するアスカ。
ヒカリにしても、アスカ作のカップケーキの出来は想像以上だった。筋はいいのかもしれない。
「ね、これだったらシンジ君も喜ぶと思うわよ?」
「そうね、早速…って、ヒカリ、何よそれ!」
思わず相槌を打ってしまい、慌てて否定するアスカ。
「あら? これ、シンジ君に作ってあげるんじゃなかったの?」
「ま、まあそうだけど…う、うん、まあ、こんなに簡単でこれだけ美味しいのなら、義理としては最適かもね、うん」
無理矢理自分を納得させるアスカ。その様子を、微笑ましい、といった感じで見ているヒカリ。
「まあ、そういうことにしましょう」
「何よ、それは!…ところで、ヒカリは鈴原にチョコ作らないの?」
その問いかけに、カップを持つヒカリの手が止まる。
「…? ヒカリ?」
心なしか、沈んだ表情を見せるヒカリ。
「うん…作ろうとは、思ってたんだけど…鈴原、甘い物嫌いだから…」
少し寂しげに笑う。
「はぁ? そんなこと気にしなくていいわよ、ヒカリ。折角のバレンタインなんだから、綺麗に作ったチョコを渡してあげればいいのよ! で、貰った男は文句を言わずに食べればいいの!」
拳を握り締め、力説するアスカ。
「で、でも、鈴原が好きじゃないって言うなら、別に…」
「だめよ、遠慮なんかしてたら! 思いをぶつけるんだから、一々相手の好みなんか考えなくていいの! 自分が一番良くできたと思うものをそのままあげればいいんだから!」
ドン、とテーブルを勢い良く叩く。
その言葉に、ヒカリはしばらく考えていた様子だったが、やがて何かを決心したように、顔を上げた。
「…うん。そうよね。大切なのは私の気持ちだもんね!
 ありがとう、アスカ! 私、最高のチョコを作って、鈴原に食べさせてあげるんだから!」
「そうよ、その意気よ、ヒカリ!」
「うん! だから、アスカも頑張ってね!」
「もちろ…ゲフゲフッ、な、な、何が『頑張れ』って!」


と、まあこういう経緯があり。
そして現在、アスカはキッチンで、ヒカリから教えてもらったチョコカップケーキを作っているのだった。
「えっと…たしか、2分だったわよね…」
生地を作り終え、電子レンジにかける。
ケーキの型は、ヒカリの家からの帰りにわざわざ買いに行って来たものだ。
ヒカリは型もくれると言ったのだが、何となく自分で買いたくなった。それは、ヒカリが持っている型の中にシンジの好きそうなものがなかったせいなのだが。
それと、ラッピング用のリボンに、包み紙。普段買わない物だけに、随分迷ってしまったが、何故かそれも楽しかった。
「ふふ…シンジ、喜ぶかな…」
徐々に膨らんでいくカップケーキ。
それを見ながら、どう渡したらシンジが一番驚くか、思いを巡らせていた。



そして、当日。
放課後の屋上に、アスカとシンジ、二人の姿があった。
そして、アスカの手には、綺麗にラッピングされた包み。
「…………」
「…………」
「…一応聞くけど…何、これ?」
「チョコレートだけど?」
「…そうだとは思ったけど…何で?」
「だって、今日はバレンタインだから…」
「…………」
「…………」
はぁ、と一つため息。
そして、大きく息を吸って――――


「アンタバカぁっっ!!!???」


学校中に響きそうな声で、アスカが怒鳴る。
その勢いで、シンジは2歩ほど後ずさった。
「な…何だよ、いきなり!?」
「何だ、じゃないわよバカシンジ! 一体何のつもりよ、これはっ!?」
アスカが、手の包みをシンジの目の前に突き出す。

「何で、『アタシが』、『アンタから』、チョコを貰わなきゃいけないのよ!?」

そう。アスカが手にしているのは、昨夜自らの手でラッピングしたチョコカップケーキではなく。
たった今ここで、シンジから渡されたチョコレートだった。

「全く、アンタの方から『ちょっと屋上に来てくれ』なんて言うから変だと思ったら!
 まさかこうなるとは…さすがのアタシも予想できなかったわよっ!
 何でアンタがチョコレート用意してるわけ!?」
「だって、バレンタインって言うのは別に”女の子から男の子へ”って決められてる訳じゃないし…」
「そ…そんなこと分かってるわよっ! アタシが言いたいのは…!!」
「何?」
本当に分からない、といった感じで訊いてくるシンジ。
「何って、だから、それは…ああもうっ! 知らないっ!」
チョコをシンジに押しつけ、踵を返して歩き出すアスカ。
「あ、ちょっと、アスカ?」
「フンッ!」
シンジの呼びかけにも答えず、スタスタ…というよりドスドス、といった感じで歩いていくアスカ。
その顔がやけに赤いのは、夕焼けのせいか、怒りのせいか。
(全く…アタシが、どれだけ、何て言おうか、どうやって渡そうか、考えたと思ってんのよ!!)
「あ、待ってよ! これは?」
「知るかっ!」
「待ってってば〜…」
シンジは慌てて、アスカを追って行った。
結局、あのチョコカップケーキはこの後、アスカが一人で食べてしまうのであった。

ところで、アスカはこの時頭に血が上っていたので気がつかなかったが。
バレンタインの贈り物は、例え男から女であっても、意味合いが変わることはないのだ…。


余談。
この日を境に、トウジが無類のチョコレート好きになったのだが、それは別の話。


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