我が愛しきアルピーヌ
Written by take-out7
ガサッ、ゴソッ、ドサッ…。
……うん…?
ガサガサッ、ゴソゴソッ…。
……ううん…?
何やら聞こえる物音。
心地よい眠りの中にあったシンジだが、元々寝起きの良い彼は、それにより覚醒した。
……なんだろ…?
ベッドの中、まだ態勢もそのままに耳を澄ますシンジ。
ガサガサッ、ゴソゴソッ…。
音は廊下の方から聞こえる。
今日は日曜日。
学校は休みの上、昨日土曜日に定時シンクロテストも滞り無く終えた彼にとって、今日は久々の完全休日。
このところ使徒の襲来も無く、比較的平穏な日常を過ごしていたとはいえ、完全にフリーとなれる休日は本当に久し振りであった。
ゆえに、彼は今日は朝寝坊することに決めていた。
昨夜のうちに今朝の朝食としてサンドイッチを作って冷蔵庫に入れておいたので、今朝は彼が何時まで寝ていようと誰も文句をいう者はいないはずであった。
もっとも、当番ではない彼が翌日の朝食の準備まで万端整えているのだ、文句を言われる筋合いもないのだが…。
彼は頭上の時計に目をやった。
午前九時二十分。
たっぷりと寝た、といえる時間ではある。
ただ、この物音さえしなければまだ後四、五十分は眠れたであろうが。
「よっと。」
物音が止んだかと思うと、そんな声が聞こえた。
……ミサトさん?
ベッドの中でシンジはおやっと思う。
今の声は、確かにミサトだった。
ミサトもまた、今日は完全オフということで、確か昨晩は自室に缶ビールを持ち込んで、かなり遅くまで起きていたはずだが…。
しばらくベッドの上で横になったままのシンジだったが、やおら起き上がると、パジャマ代わりにしていたTシャツを脱ぎ、別のTシャツに着替え始める。
その間、廊下からは遠ざかる足音が聞こえ、やがて、マンションのドアが開閉する音がする。
そして、物音はぱったりと途絶えた。
……外へ行ったみたいだな、ミサトさん…。
シンジはそう思い、自らも今日一日の活動を開始すべく、部屋を出る。
アスカの部屋の前を通り過ぎる。
どうやら彼女はまだ、寝ているか、それに近い状態のようだ。
彼女もまた今日は久々の完全休日ということで、昨晩は遅くまでリビングルームでレンタルしてきたDVDビデオを観ていた。
シンジも一緒に観よう、と誘われたが、タイトルを見て遠慮した。
…彼は、あまりホラーの類は好きではない……。
……そう言えば、昨日は僕がウトウトするたんびに、リビングの方から
「わっ!!」
「きゃっ!!」
「ぎょえーーーっ!!」
「うっそーーっ!!」
「いけいけーーーーっ!!」
……って感じの、アスカの叫び声(?)が聞こえてきて、なかなか寝つけなかったもんなぁ…。
……それはもう、見事なタイミングで…。
……わざとやってるのかってくらい…。
……大体、ホラーを観ながら「いけいけーーーーっ!!」は無いと思うけどなぁ…。
普通、女の子と一緒にホラーのビデオなんてものを観たりしたら、
「わっ!!」
「きゃっ!!」
とかなんとか言いながら抱きつかれたりして、それはそれで楽しかったりするかもしれないのだが。
どうも昨晩のアスカの叫び声(?)から察するに、もし隣に座っていようもんなら、最後の「いけいけーーーーっ!!」のところで、思わず蹴りやパンチがこっちに向かって入ってきてたかもしれない…。
そう思って、昨晩は実に賢明な判断をした、と自らに満足するシンジであった。
そんなことを考えつつ、キッチンへとやってくるシンジ。
冷蔵庫を開けてサンドイッチのお皿を取り出す。
……少し減ってる。
……やっぱりミサトさん、もう起きてコレを食べてから外へ行ったんだ…。
そして、彼もインスタントのコーヒーを入れ、一人朝食を採った。
食事が終っても、何も起きない。
アスカは依然部屋から出て来そうに無いし、ミサトも戻って来る気配はない。
……アスカはともかく、ミサトさんはどこ行ったんだろ?
……いつもオフの日は、昼まで寝かせてっていってるのに。
……珍しいこともあるもんだな。
シンジは汚れ物を片付け、残ったアスカ一人分のサンドイッチに改めてラップをかけ直し、冷蔵庫に戻す。
……昼の用意をしないとなぁ…。
……さすがに続けてパン、てわけにはいかないからなぁ…。
見るともなしにテーブルの脇を見ると、今日の朝刊にはさまれていたのだろう、チラシが数枚彼の目に止まった。
……むっ!
一瞬、彼の目がキラリッと光る。
……サンデーモーニング特売……あなたの町のスーパー・じおふろ…。
……朝十時から十一時半までのタイムサービス…牛肉、豚肉、鶏肉、野菜、鮮魚…全て半額…オール半額……。
シンジは立ち上がっていた。
……コレだっ!!
何がコレ、なのかは知らないが…ともかく彼は今日の行動指針を確立したようである。
即ち、主夫・碇シンジとしての行動指針を。
シンジは財布をジーパンの後ろポケットに押し込むと、サンダルを履いてマンションの扉を開けた。
主夫・碇シンジ、起動。
シンジはエレベータで一階に降り、マンションの玄関を出た。
まっすぐに目標へ接近、これを殲滅……ではなく、まっすぐにスーパー・じおふろに向かい、買い物をするつもりだったのだが…。
玄関を出たところで、彼は人の気配を感じた。
もともとこのマンションには彼ら三人以外には殆ど住人がいない。
いや、少なくともここに暮らすようになって以来、彼は他の住人というものに会ったことがない。
だから、建物を出た途端に、左の方、つまりゴミ捨て場がある方で何やら人の気配を感じたシンジは、一瞬躊躇したものの、そちらへ向かって歩いて行った。
建物の角を曲がると、そこはマンションの敷地内に設けられているゴミ捨て場。
そこに…見慣れたものと、見慣れた人がいた。
ミサトである。
ミサトが、彼女の愛車・アルピーヌ、ルノーA−310を、洗剤のたっぷりついたスポンジを持って洗っているのである。
「フンフンフン……。」
鼻歌交じりの、上機嫌のミサト。
シンジは、しばらく黙って後ろに立ってその姿を見ていた。
Tシャツにショートパンツといういつものいでたちで、スポンジに洗剤をなじませてはアルピーヌを軽くこするようにして洗い続けるミサトの後姿を、黙って見ていた。
「フンフンフン……。」
楽しげに、実に楽しげに洗車を続けるミサト。
やがて、バケツでスポンジを洗おうとして振り向いた時、彼女はそこにシンジが立っているのに気付く。
「あら、シンちゃん。」
笑顔でそう言うミサト。
一方のシンジは、さっきからそこにいたのに声一つかけるでもなく、黙って立っていたことをバツが悪く思ったのか、少々慌て気味に言葉を返す。
「あ、お、おはようございます、ミサトさん。」
「おはよう。」
そんなシンジをまるで気にする事も無く、バケツの中でスポンジをばしゃばしゃと洗うミサト。
そんな彼女の笑顔に、バケツの水面を跳ねかえる朝の陽射しが乱反射する。
まるでキラキラ光ってるようなミサトの笑顔に、シンジはまたしても黙したまま、見入るのみであった。
スポンジをバケツから取り上げ、再び洗剤をつけながらミサトがシンジに問う。
「お出かけ、シンちゃん?
休みの朝に一人でどこ行くのよ?」
自分がミサトの顔に見入っていた事に気付いたシンジは、またしても慌てて答える。
「え、いや、そ、その…スーパーへ買い物に、い、行こうかなって…。」
ミサトがシンジを見てニッコリと笑って言った。
「いつもいつも済まないわねぇ、シンちゃん。
頼りにしてるわよん、我が家の食糧庁長官殿!」
「あ、いや、そんな…あはははは…。」
笑ってごまかす自分が情けなかったりする…。
……大体、どうして僕が、何をごまかさなくちゃいけないんだ…?
ミサトは再びアルピーヌに向かい、洗車を始めた。
その背中にシンジが問いかける。
「ミサトさんこそ、今朝は早いですね。
早起きして車を洗ってるなんて……珍しいですよね。
これからどっか出かけるんですか?」
彼の問いに、ミサトは手を休めずにアルピーヌのボディに洗剤を塗りつけながら答える。
「んん?
そうね、コイツを洗ってやるのも随分久し振りだわ。
このところ、時間が取れなかったからねぇ。
コイツのこと、しばらくほったらかしにしてたもんね。」
そう言うミサトの横顔が、シンジにはなんだかとても嬉しそうに見えた。
「別に、今日どっかへ出かける予定なんてないんだけど。
ま、昨日の夜、今日の天気予報を聞いたもんだからさ。
それで、今朝は久し振りにやったるかって気になったのよん。」
そう言って、ミサトはアルピーヌの屋根を軽くポンポン、と叩いた。
「ここんとこ、なんだかんだで、私の手で洗ってやらなかったからねぇ。」
それを聞いてシンジも思い出した。
ここ数週間、何度かミサトはスタンドに寄った時についでに機械洗車をしていたはずだった。
「そう言えば、この前も僕を乗せて帰ってくるとき、スタンドで洗車を頼んでましたね。」
「うん、ちょっち忙しかったからね…。
まったく、使徒が来なけりゃ来ないで、仕事だけはそれなりにあるんだから、やんなっちゃうわね、ホント。」
「…どうして、今日もスタンド行って洗車してこないんですか?」
シンジの素朴な疑問。
ミサトは、初めて手を止めて、彼を振り向いた。
笑顔はそのままで、彼女は彼に語り始める。
「…そうね、シンちゃんは車の免許取るのもまだこれからだもんね…。
あのね、シンジ君。」
ミサトの口調が、少し真面目になる。
「あのね、シンジ君。
人それぞれの考え方だから、一概には言えないけど。
私は思うのよ。
自分の車の手入れは自分でするのが当たり前。
車を洗ってあげるのは、その持ち主の責任だって。」
「…洗ってあげる、ですか…。」
「そうよ、洗ってあげるの。
ちゃんと感謝の念を込めて、洗ってあげるの。
毎日毎日、私のためにちゃんと走ってくれて有難う、て思いながら、洗ってあげるのよ。
そりゃあ、機械使って洗えば、早いし、便利だし、自分の手も服も汚れないし…別に悪いことは何もないと思うわ。
でもねぇ、私は、自分の手で、この子を洗ってあげたいのよ。」
……この子、ですか、ミサトさん。
……僕、初めて聞きましたよ、ミサトさんがこの車をそんなふうに呼ぶのを。
……僕、初めて見ましたよ、ミサトさんがこの車をそんなふうに優しげに見ているのを。
「自分の好きなもの、大切なものに対するこだわりよ、こだわり。」
ミサトはそう言って再度アルピーヌに向き直り、手を動かし始める。
本当に楽しそうに車を洗うミサト、それを見つめるシンジ。
やがて泡だらけになったアルピーヌから離れ、ミサトはホースを手に取る。
「あ、シンジ君。悪いけど水道の栓、捻ってくれる?」
シンジはミサトに言われるまま、ゴミ捨て場脇にある水道管のところへ来た。
三つある蛇口のうち、一つがミサトの持っているホースがつながっており、もう一つ、別の蛇口もまた別のホースがつながっていた。
シンジはミサトのホースの方の水道栓を開くと、もう一本のホースを手に取り、こちらの栓も開いて、アルピーヌのところまで戻って行く。
「あら、手伝ってくれるの、シンちゃん?」
水の出始めたホースをアルピーヌに向けながら、ミサトがシンジに笑顔で問う。
シンジもまた、水の出たホースを引っ張りつつ、ミサトの横に立って言う。
「はい、いいでしょ?」
「サンキュ。」
……スーパーは、今日はいいや……。
主夫・碇シンジ、活動停止。
水をかけ終わり、二人で手分けしてアルピーヌを拭き始める。
その時、シンジがミサトに尋ねた。
「でもミサトさん、今日の天気予報を聞いたから洗車する気になったって言いましたけど…確か昨日の夜の天気予報って…。」
昨晩の天気予報は、彼も聞いていたので知っていた。
それによれば、確か今日は…。
朝のうち晴、午後からにわか雨……。
「確か、午後から雨が降るって…。」
ちょうど車の反対側のサイドボディを拭いていたミサトが車の屋根越しにシンジを見る。
シンジも思わず手を止めてミサトの方を見た。
「それっ、それなのよん!!」
ミサトの顔は、文字通り嬉々としていた。
「さっきのこだわりの話なのよ!!
私がね、私が、車が一番綺麗だな、素敵だなって思う瞬間がどんな時か、シンちゃん分かる?!!!」
アルピーヌ、ルノーA−310の屋根に両肘をつき、まるで頬杖をするような姿勢でミサトがシンジに問いかける。
「わ、分かりませんよ、僕には。」
正直に答えるシンジ。
「あのね、私が車が一番綺麗だな、素敵だなって思う瞬間はね!
雨上がりの直後なのよ!!」
「…………。」
彼女が何を言おうとしてるのかさっぱり分からないシンジ。
彼は、黙ってミサトの次の言葉を待った。
「ワックスをかけて、ピカピカにしたすぐ後の車にサッと雨が降る。
その直後の車、これよ!!」
「はぁ…?」
いくらまだ免許も持っていないシンジでも、ワックスのことくらいは分かる。
……そもそもワックスって、汚れを落とした直後に塗るんだよな…。
……で、せっかく綺麗になったとたんに雨に降られたら、せっかくのワックスが台無しになるんじゃないの…?
そんな疑問が彼の表情にも見え隠れしたのだろう。
ミサトが、むしろ嬉しそうに話し続ける。
「ふっふっふっ…シンちゃん、分かってないわね。
確かに世間様では、ワックスをかけた直後に雨なんかに降られた日には、せっかくのワックスがけが無駄になってしまったって嘆く人たちも多いわ。
そんな事なら、雨の降った後で洗車して、それからワックスをかければよかったって。
確かにそれも一理あるかもね。
でも、でもね、私は違うの!!
これこそこだわりよ!!」
いつの間にやらアルピーヌを挟んでワックス談義に熱が入りそうなミサトとシンジ。
だが、シンジはこんな休みの日っていいな、とふと思ったりもしていた。
「ワックス塗りたてのボディってね、それはそれはピカピカしてて綺麗なの。
そこに、軽く雨が降ったとしてご覧なさい。
塗りたてのワックスは、少々の雨なんて軽く弾いてしまうのよ。
そんな時、ボディは、車はどうなると思う?!」
にこにこしながら自説を展開するミサト。
シンジもまたにこにこしながら耳を傾ける。
「さぁ…どうなるんですか、ミサトさん?」
「玉になるのよ!!水滴になるの!!
ボディの表面にね、たっくさんの水滴が、大きなのやちっちゃい水滴が、半円形になってね、ボディにたっくさんのっかるのよ!!
指で弾けば飛び散るくらいの張りがある水滴がね!!」
「水滴に…。」
「そう、私はね、そんな水滴を弾かせてる車が一番美しいって思うのよ!!
いいえ、セクシーって言っても良いくらいだわ!!」
「ははは……せ、セクシー、ですか…。」
「そうよ、他の表現など意味がないくらい、セクシーなの!!」
ミサトはそう言って車から離れた。
バケツの横に置いてあるワックスを取りに行ったのだ。
シンジも後を着いて行く。
「ワックスの塗りが弱かったり、ロクでもないワックスを使ったりすると、水も玉にならないで流れちゃうわ。
そんなの、言語道断よ!
許せない!!」
……だ、誰を、ですか…ミサトさん…。
ミサトはワックスを手に取り、セーム皮を携えてシンジに向き直る。
「これからが本番よ、シンちゃん!!」
「は、はい!!」
ミサトの気合につられて、思わずまっとうな返事を返すシンジであった。
それからたっぷり時間をかけて、ミサトとシンジの二人はアルピーヌにワックスをかけた。
それはそれは丁寧にかけた。
ことにシンジは、車の洗車およびワックスがけという作業を、生まれて初めて行ったのだ。
嫌が上にも丁寧にならざるを得ない。
作業を行いながら、手を動かしながら、二人は色々な話をした。
主にシンジが話し手、ミサトが聞き手に回った。
学校の事、友人たちの事、エヴァに乗ってる時の事、好きな事、嫌いな事……そして、一人の少女の事……。
普段それほど饒舌ではないシンジにしてみれば、今日は殊の外、話をしたと思う。
どんな話に対しても、ミサトが一言二言、合いの手を入れたり、アドバイスめいたりした事を言ってくれるおかげで、なんだかとても気持ち良く話をすることが出来たように思う。
ただ、最後の少女の事についてだけは、ミサトもただニヤニヤしているだけで、あまり的確なアドバイスはくれなかったが……。
ワックスがけもほぼ終了に近付いた時、彼ら二人の間で話題に上った少女、その当の本人が現れた。
「ああ、もう。
二人して朝っぱらから何やってんのかと思ったら…。
車を洗ってたのぉ?」
アスカが、ミサトと同じくTシャツにショートパンツ、そしてサンダル履きといった恰好でトコトコと近付いてくる。
「おはよう、アスカ。」
ミサトとシンジが言う。
「おはよう…って、もうすぐ昼よ、昼。
まったく、目ぇ覚ましてみたら二人ともいないんだもん。
どこ行ったのかって思っちゃったわよ。」
そう言うアスカにミサトがからかいの言葉を投げかける。
「ほほう、私はともかく、起きて見たらシンジ君がいないもんだから、寂しくってしょうがなかった…てコトね?」
「だ、誰が?!!」
いきなりのストレートパンチを食らったが如く、一瞬うろたえるアスカ。
その証拠に、必要以上にハイテンションな言葉を返す彼女であった。
「だ、誰が寂しいですってぇ?!!
ミサト、たまの早起きで、頭ボケてんじゃないの?!!」
「はいはい、そういうことにしときましょ。
でもね、アスカ。」
「な、何よ?!!」
「いくらなんでも正直過ぎるうろたえ方ね。
説得力ってモンに欠けるわ。」
「ぐぅっ…!」
そんな二人のやり取りを少々顔を赤くして見ているシンジ。
「さてっと。シンちゃん、アリガト。
おかげでこの子もピカピカになったわ。
お礼に、軽くどこかひとっ走りする?
アスカも一緒にどお?」
ミサトの言葉。
全然悪気のない言葉。
けれど、シンジとアスカの二人は即時反応を示した、ユニゾンで。
「遠慮します。」
「あら、そう・・?
残念ねぇ…。」
全然悪気のないミサトであった。
「ま、綺麗になって良かったわね、この車も。
今日は一日天気もいいってことだから、洗車にはもってこいの朝だったってわけね。」
話題を逸らすべく、アスカが言った。
その言葉に、シンジ、ミサトの両名が顔を見合わせる。
シンジがアスカに尋ねた。
「アスカ…今日一日天気がいいって…。
確か午後、にわか雨が降るって…。」
アスカが、“何を言ってるのよ!”という顔で答える。
「それは昨日までの予報でしょ?
さっきテレビで言ってたわよ。
低気圧は東海上に去り、日本列島は今日一日、晴天に恵まれるでしょうって。
アンタたち、そんなこともしらないで車洗ってたの?」
顔を見合すシンジとミサト。
「…い、一番美しい瞬間が…。」
「…せ、セクシーな一瞬が…。」
「…………。」
「…………。」
何とも言えない情けない顔をする二人だった。
だが、やがてどちらからとも無く、二人の口元に笑みが広がる。
「…シンちゃん、好きなものに対する、こだわり、よ…。」
「…ええ、ミサトさん、大切なものに対する、こだわり、ですね…。」
「そうよ…。」
「はい…。」
バケツの横に立ってぼそぼそと話をする二人。
当然、アスカには何の事だか分からない。
「…何ごそごそ言ってんの、アンタたち?」
アスカのこの言葉が引き金となった。
ミサトとシンジは頷き合うと、突然地面に置かれていたホースを手に取る。
脱兎の如くシンジが駈けたかと思うと、水道の栓を思いっきり開いた。
「それーーーっ!!」
ミサトの手にしたホースから、勢い良く水が飛び出して行く。
その先には。
訳も分からずに突っ立っていたアスカがいた。
「ち、ちょっと、ちょっと…!
きゃーーーーっ、なにすんのよ!!!」
いきなり頭から水をぶっ掛けられるアスカ。
「ち、ちょっと、やめなさいよ!!
やめてってば!!」
手で頭を押さえて逃げようとするアスカ。
そこへ、今度は別の方角から水がかかってきた。
シンジである。
もう一本のホースを持って、シンジがアスカめがけて水をかける。
「ちょっと!
うわっ!!
シンジ、シンジっ!!
なにすんのよ、アンタ?!!!」
あっという間に全身びしょ濡れになってしまったアスカ。
それでもシンジはまだ止めなかった。
「あはははは、アスカ、こだわりだよ、こだわり!!
好きなものに対する、大切なものに対するこだわりだよ!!!」
シンジが大声で笑いながらそう言った。
その声を聞いてミサトは思った。
……シンちゃん…ちょっち違うような気もするけど…。
……ま、いっか!!
そしてアスカへむけて更なる水を放つ。
「むっきーーーっ!!
よくもよくもよくもよくもぉ!!!」
アスカ、反撃。
浴びせ掛けられる水をかいくぐり、素早くシンジに近寄ると、その手からあっさりとホースを奪い取る。
「とおりゃーーーーーっ!!」
気合のこもった掛け声とともにホースを振り回すアスカ。
今度はあっという間にシンジ、ミサトの両名がずぶ濡れになってしまう。
「まだまだぁっ!!
そりゃーーーっ!!」
笑いながら逃げ惑うシンジ。
ホースを引きずりながら追い掛け回すアスカ。
その顔にも、いつしか笑顔が広がっていた。
「ほれほれシンちゃん、負けるなぁーーーっ!!」
そう言って二人に向けて水を打ち出すミサト。
彼女の顔もまた、晴れ晴れとした笑顔であった。
三人はびしょ濡れになって水を掛け合った。
大声で笑いながら水を掛け合った。
シンジなどは、何度か足を滑らせて転んでしまい、Tシャツもジーパンもぐしゃぐしゃになりながら、それでも大笑いしていた。
それを見て、アスカも、ミサトも笑った。
三人は、腹の底から笑った。
やがて、ミサトは彼女の愛するアルピーヌ、ルノーA−310に対し、ホースを高々と向けた。
放物線を描いてアルピーヌに降り注ぐ水。
その水が、ワックス塗りたてのボディに当たり、弾き飛ばされる。
弾き飛ばされる水が、水滴となってボンネット、屋根にのっかる。
いつしか、シンジもミサトの横に立ってその様を見ていた。
アスカもまたシンジの隣で、その様を見ていた。
びしょ濡れの三人は、仲良く並んで、その様を見ていた。
半円形の水滴を身にまとってキラキラと輝くミサトの愛車。
そのピカピカのボディには、小さな小さな、七色の虹が映っていた。
Fin
感想は新たな作品を作り出す原動力です。1行の感想でも結構 ですので、ぜひとも作者の方に感想メールを送って下さい。 |
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