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作者注:このお話はタームさんの『人生バラ色』分岐モノです。
最初に『人生バラ色』をお読み下さい。
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「ふあぁぁぁ……。」
朝だぁ……。
私は布団の中で大きく両腕を広げ、精一杯身体を伸ばす。
よく寝たぁ…。
この街は年中真夏と言えるような陽気。
寝るのにも薄手の毛布が一枚あればそれで十分。
私はお腹の上に毛布をかけたまま、“大の字”状態で天井を見上げていた。
一週間かぁ……。
私は“大の字”のままでそう思う。
ここへ来て一週間。
来て、ていう言い方はおかしいのかもしれないわね。
何しろここは私の家…なんだそうだから…。
……私自身にはそんな記憶無いのだけれど。
私、葛城ミサト。
これから花も実もある青春を迎えようかという十四歳の中学二年生!!
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ミサト、十四歳!!
Written by take-out7
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私は起き出して着替えを始める。
第三新東京市立第壱中学校の制服に。
着替えながら鏡に映る部屋の様子をなんとなく見る。
はぁ…。
最初にここへ連れてこられてこの部屋へ来た時のショックと言ったら…。
…………。
あんな“ヒドイ状態の”部屋なんて、生まれて初めて見たわよ。
よくまあ、あそこまで乱雑にモノを散らかす事が出来るもんだわ。
……って、それがまさか私自身の部屋だったなんて……。
うううぅ…………。
う、嘘、ね。
絶対嘘だわ!
だって!
見てみなさいよ、今のこの部屋!
ゴミ一つ落ちていないこの綺麗な部屋を!
整理整頓されたこの部屋を!
これこそ私の部屋よ!!
あんな足の踏み場もないような部屋なんて!!
あれは、嘘よ!!
陰謀よ!!
私を陥れるための陰謀よ、うん!
…………。
私は顔を洗いに部屋を出た。
ダイニングルームの前の廊下を通る時、キッチンの方を覗いてみた。
今日は、彼、シンジ君が朝ご飯の準備をしてる。
私たちの世話をするためにここへ来てくれてる伊吹さんが、昨晩は徹夜で仕事とかでネルフに泊まり込みだったから、今朝は彼の出番ってわけ。
シンジ君、こっちに背中を向けたまま一心にご飯の準備をしてくれてる。
今日のお昼のお弁当も彼が作ってくれるって。
初めてよね、彼の作ってくれるものを食べるのって。
どんな味かな?
美味しいかな?
ううん。
たとえ、美味しくなくっても。
たとえ、少々見栄えが良くなくっても。
「美味しいっ!」って言うわよ、私。
彼、全然気がつかない。
なんだか、近寄りがたい雰囲気で真剣に料理してるわ。
私は廊下から声をかけた。
「おはよう、シンジ君。」
彼はくるりと顔をこちらに向けて私を見た。
「あ…お、おはようございます……ミサトさん。」
……またぁ……。
私はちょっと口をとんがらせてもう一度朝の挨拶を口にする。
「おはよう、シンジ君。
ねぇ、いつも言ってる通りさぁ、私のこと“ミサトさん”って呼ぶのは止めてよ。
それに“ございます”なんて丁寧な言い方も必要ないって。
同じ十四歳の中学生同士なんだからさ、もっとこう、気楽に接して欲しいなぁ。」
そうなのよ。
なんと言うか、彼、私に対する話し方とか接し方が不自然なのよね。
どうも、“元上司”という感覚が抜けないみたいで…。
私の方にはそんな記憶自体が無いんだけれど、彼にはその記憶というか感覚が染みついているみたい。
普段学校でお話しをする時も、他の女子にはもう少しくだけた話し方してるくせに、私に対してだけはなんだか敬語というか、丁寧語を使う事が多いのよね。
彼が私の方を見て少し顔を赤くさせて答える。
「あ…は、はい、そうでしたね。」
……こうでしょ。
はぁぁ…。
「またぁ。
“うん、そうだったね”って言えないのぉ?」
「あ…はい…。
いえ……う、うん…。」
なんだかますます赤くなってるわね。
「ま、良いわ。」
私はそう言って洗面所に向かう。
だって。
彼のあんな顔見てたら、私の顔も少なからず赤くなりそうだったから…。
バシャバシャバシャ…。
気持ち良い冷たさに気分をしゃきっとさせながら、私は顔を洗い終えた。
そして鏡に映るその顔を見る。
…………。
どっから見ても十四歳の女の子。
瑞々しく、張りのある肌の艶。
この私が一週間前まで二十九歳だった?
二十九歳?
私が…?
嘘ね。
陰謀よ!!
私を陥れるための陰謀よ、うん!
私が洗面所を出て行こうとすると、入れ違いにあの娘がやって来た。
「ふあああああ…。」
まあ、いつもながら人目も憚らぬ大欠伸。
それに、なにその恰好?
タンクトップにショートパンツ。
寝巻きのまんまじゃない?!
そんな恰好で彼の前をウロウロしてもらいたくないわね、まったく。
「ふああ…おはよう、ミサトぉ…。」
まだ半分眠っているのか、トロンとした目で私を見ながらそう言うあの娘・アスカ。
「おはよう、アスカ。」
私は顔では笑顔になりつつ挨拶を返す。
私たちはすれ違い、彼女は洗面所に入り、私は廊下に出てダイニングへと向かった。
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「いただきまーーす。」
三人で唱和し、朝ご飯の始まり。
私とアスカが並んで座り、シンジ君が向かいに一人。
いつもだったらその隣に伊吹さんがいるのだけれど、今日は三人で朝ご飯。
私はテーブルに並んだ料理を見て目を丸くした。
「す、凄いのね…シンジ君って…。」
それが私の正直な感想。
目の前に並んだ料理は、とてもあの短時間に準備したとは思えない見事なものだった。
お味噌汁、焼き魚、サラダ、ハムエッグ…りんごまで切っておいてある…。
「いや、今までもこうでしたから。
この一週間ほどマヤさんに任せきりでしたけどね。」
そう言って、ニコニコしながら彼がお味噌汁のお椀を手にする。
「そうねぇ。
マヤの料理も悪くないけど、もう今となってはアタシはアンタの味付けの方があっちゃってるわぁ。」
アスカが隣で同じようにお椀片手にそんなことをのたまう。
むむ…。
私がここへ来た日に、シンジ君にちょっかいだして自分のモノにしようとしたもんね、この娘。
今も、あからさまな“アンタはアタシのモンで、アタシはアンタのモンよ”攻撃をしたわね!!
むうう。
シンジ君、何赤くなってんのよ!!
「ど、どうぞ、食べてみて下さい、ミサトさん。」
照れ隠しのつもりね…。
はぁ、相変わらず私のことは“ミサトさん”かぁ…。
この娘のことは“アスカ”って呼び捨てにしてるのにぃ。
そんなことを考えつつも、私もまたお味噌汁のお椀を手にして、一口啜ってみる。
…………。
…………。
コレって…。
コレって……。
「…どうかしましたか、ミサトさん…?」
私がお味噌汁を一口啜っただけで手を止め、じっとお椀を見つめているのを怪訝に思ったのか、シンジ君が私に尋ねてきた。
隣のアスカも私の様子を見ている。
「……コレって…。
この、お味噌汁の…味…。」
私はつぶやいた。
「…お…美味しくなかったですか…?」
シンジ君が少し不安そうに訊いてくる。
アスカもお椀、お箸をテーブルに戻して私の方を向き直る。
「ううん…そうじゃない…。
美味しいの…とっても…。
でも…この味……私…私……。」
私は顔を上げてシンジ君を見つめた。
彼は少し首を傾げて私の言葉を待っていた。
「私…この味……知ってるの……。
前に…食べた事のある…飲んだ事のある…味…。
今日初めてシンジ君のお料理を食べたはずなのに……この味……私、知ってるわ…。」
そんな私の言葉を聞いて、シンジ君とアスカが顔を見合わせた。
なんだか、ちょっぴりセンチメンタルな表情をして…。
アスカが改まって私に何か言おうとするのを、シンジ君が軽く片手を上げて制した。
それを見てアスカも思いとどまった様に口をつぐむ。
シンジ君が私を見る。
笑顔で私を見る。
少し、困ったような顔をして、そのくせ優しげな笑顔で、私を見る。
……素敵な笑顔ね、やっぱり…。
「これは、きっと……。」
彼が何かを言おうとする前に、私は言葉を続けた。
「これはきっと…私…。」
シンジ君とアスカは黙って私の言葉に耳を傾けている。
私は、言った。
「これはきっと……。
私とシンジ君が、赤い糸で結ばれているからね!!
最初の一口で私たちの相性がピッタンコだってことが証明されたのよ!!
ええ、そうよ!!
私とシンジ君は古の縁(いにしえのえにし)により結ばれた物同士なのよ!!
そうに違いないわ!!
いえ、そうと決めた!!!」
ドタンッ!!
派手な音がした。
隣のアスカが思いっきりひっくり返ったの。
「は…へ…は……あ…?」
シンジ君ったら、口をパクパクさせて目をまん丸に見開いちゃってるわ、かーーわいいっ!!
「な…な…な……。」
む…地獄の底から復活するかのようなこの呻き声は……アスカね。
アスカは椅子に両手を突いて上体を起こしつつ床から這い上がってくるところ…。
「なんてことを言うのよーーーっ!!
あんた、仮にもアタシたちの保護者としての立場ってもんがあるんだから!!!
言って良いことと、悪いことがあるわ!!!」
そう怒鳴りつつ、彼女は私のことを睨みつけた。
「あ、あんたがシンジのお味噌汁飲んで…昔の…いえ、一週間前までの現実を少しでも思い出したのかって…そう思って……。
それで、ちょっとしんみりした途端にそれかい?!!!」
まあ、肩震わせちゃって…。
興奮しやすいタイプね…この娘は。
こんなの彼女にしちゃ、シンジ君が可哀相。
やっぱ、ここは私が…。
私はそう思うと、取り敢えずアスカのことは放っといてもう一口お味噌汁を飲んだ。
「美味しい!」
「待たんかい!!」
……確かドイツ出身のはずよね、この娘。
どこでこんな言葉覚えてくるのかしら?
あまり良い友達いないのかしら…。
こんなの彼女にしちゃ、シンジ君が可哀相。
やっぱ、ここは私が…。
「これはお代わり、もらわなくっちゃ!」
「おーーいっ!!」
…無視。
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さって、楽しい(?)朝ご飯も済んで、今は三人登校途中。
アスカったらぷりぷりしちゃってさ、私たち二人の前を先頭きってずんずん歩いてるの。
でも、それでなんだかシンジ君がとばっちり受けちゃってるみたいで、私も少し言い過ぎたかしら?
シンジ君に申し訳無いことしたかしら?
ごめんね、シンジ君。
でも、言うべきことはハッキリ言わないと、ね。
そうしないとあの娘にあなたを取られちゃうもん。
「も、もう一週間経ったんだね…。
学校にも慣れたでしょ…ミサトさん…?」
シンジ君が私に気を遣って話しかけてくれた。
…相変わらず、“ミサトさん”だけど。
「ええ。
アリガトウ、シンジ君。
あなたが色々と世話を焼いてくれたお陰で助かってるわ。」
そんな私の言葉に、先頭を歩くアスカがきっとなって振り向いた。
「そうよ、シンジが何かとあんたのことに気ぃ遣ってくれちゃってやっちゃってるもんだから、あんたも快適なスクール・ライフが送れちゃってるのよ!
感謝しちゃいなさい!!」
……よっぽど朝の件が腹に据えかねてるのね…。
言葉が乱れてるわ……。
「アスカ、何もそんな風に言わなくたって…。」
シンジ君が私のために言い返してくれてる。
嬉しい!!
「おだまり!!
とにかくミサト!!
もう学校にも慣れたんだったら、これからは教室とかであんまりシンジに馴れ馴れしくするんじゃないわよ!!」
アスカったら、そう言って前を向きスタスタ歩き続ける。
はぁ、焼きもち焼きもいいとこね、この娘。
独占欲の塊ってやつ?
こんなの彼女にしちゃ、シンジ君が可哀相。
やっぱ、ここは私が…。
「アスカ!!」
どきっ。
シンジ君が。
あのシンジ君が。
大声出してアスカを呼んだ。
…け、結構男らしい面もある、かも……。
「何よ?!!」
おお、アスカも負けじと険しい表情で振り向いたわ。
「そんな言い方無いだろ?!!
いくらなんでもミサトさんが可哀相だよ!!」
「何よ?!!
アタシが何をどう言おうとアタシの勝手でしょ!!」
「何言ってんだよ?!!
ミサトさんの身にもなってごらんよ!!
突然記憶無くして十四歳に戻っちゃって、何も訳分かんない状況に放り込まれちゃったんだよ!!
もう少し優しくしてあげたらどうなのさ?!!
今までさんざん世話になってきたミサトさんに、そんな言い方無いよっ!!」
「ウ、ウルサイわね!!
アタシだってそれくらい分かってるわよ!!
分かってるの!!!
でも!!」
「でも、なんだよ?!!」
「でも!!!」
「なんだよ?!!」
「でも、それはそれ、これはこれ、なの!!!」
「はぁ、何言ってんだよ、アスカ?!!」
「アンタなんかには分かんないでしょうね、この鈍感!!!」
「ど、鈍感って…?!!
ぼ、僕のどこか鈍感なんだよ?!!!」
「見たまんまじゃない?!!」
「何が?!!
これでも僕は繊細で通ってるんだよ!!」
「聞いた事無いわね、そんなの!!!」
「アスカが聞く耳持たないだけさ!!」
「なにさ、アンタのは繊細じゃなくて、浅才じゃないの?!!」
「な、何だよ、それ?!」
「浅才、あさはかな才能、浅知恵ってことよ!!!」
「あう……アスカ…何処でそんな言葉を…。」
「ふん、アタシだって日夜、日本語の勉強をしてるのよ!!!」
「そ、そう…。」
「そうよ!!
皆がアンタのことを言ってるのは繊細じゃなくて、浅才よっ!!」
「…アスカ…一つだけ教えておいてあげるよ!」
「何よ?!!」
「皆がそう言うって…。
浅才って言葉はね、主に自分が自分のことを謙遜して言う言葉なの!!
人の事を言う時には使わないんだよ!!」
「そ、そうなの?!!!」
「そう!!」
「そ、そう…。」
「そうだよ!!
勉強になったろ?!!」
「な、なったわよ!!」
「良かったね!!!」
「ええ、アリガト!!!!」
ありゃりゃ……。
天下の大道で朝っぱらからこの痴話喧嘩。
ようやるわね、二人とも…。
道行く同じ第壱中学の生徒たちも、“またか”って顔して笑いながら通り過ぎて行くだけ。
これって、ちょっぴり、羨ましかったりもして…。
……でもぉ、女の子はやっぱりこう、もう少しおしとやかな方がよろしいか、と。
アスカは賑やか過ぎるわね、うん。
こんなの彼女にしちゃ、シンジ君が可哀相。
やっぱ、ここは私が…。
「ねぇ、シンジ君。」
二人のお話し合い(?)が一段落したところで、私はシンジ君に声をかけた。
「あ…な、何、ミサトさん?」
今までアスカと言い争っていた事がバツが悪いのか、少々照れたような顔をしてシンジ君が私に問い掛ける。
「…その…ね…。
“ミサトさん”のことなんだけど…。」
私は少し言い辛そうにして言った。
「あ…。」
シンジ君、私の言わんとしてる事がすぐ分かってくれたみたい。
…アスカもすぐ分かったみたいだけど。
だって。
少し勝ち誇ったような、澄ました顔して前向いてるんだもん。
「あの…ね。
どうしても私のこと、アスカみたいに呼び捨てにする事…できない?」
う…く、口惜しい…。
今、アスカ、“おほほほ”って感じの顔したわ!!!
「…ごめん…なさい…。
僕…やっぱり…ミサトさんのことは……呼び捨てになんてできません…。」
……分かってたけど…。
…そう言われるだろうって…分かってたけど…。
多分、そうだろうなって…分かってたけど…。
「そう…。
…それは…やっぱり私があなたの元上司で……。
例え今はあなたと同じ十四歳の女の子であっても、元上司で……。
だから…?
だからなの……?
それとも…。
それともシンジ君。
…………。
アスカだけが特別なの…?
アスカだから…あなたは彼女を呼び捨てに出来るの…?
そうなの…?」
唐突な質問だったかな…。
シンジ君、困った顔をして黙り込んじゃった。
アスカも前向いたまま、全身耳にして立ってるわ。
駄目ね。
シンジ君には、この問いには答えられそうにないわね。
……顔赤くして、俯いちゃったぁ……。
「分かったわ、シンジ君。
あなたが、それが出来ないって言うんだからしょうがないわね…。
少し、寂しいけど…。
私のこと“ミサト”って呼び捨てには出来ないのね、あなたは。
いいわ……。」
そう言って、私も少し俯いた。
シンジ君が私の顔を見てる。
アスカも、また振り向いて私たちの方を見てる。
しばらくそうして三人で突っ立っていたけど、やがて私は顔を真っ直ぐに上げてシンジ君を見つめた。
この一週間、ずっとそばで見ていた笑顔がそこにあった。
私の大好きな笑顔が。
私も少し笑みを湛えて、言った。
「分かったわ。
私のこと、“ミサト”って呼び捨てにしなくっていい。
でもね、“ミサトさん”っていうの、止めて欲しいな。
それは聞き入れて欲しい。」
シンジ君は少し戸惑ったような顔になって私を見る。
「でも…じゃあ…何て呼べば……。」
「簡単よ。苗字で呼んでちょうだい。
“葛城”って。」
私がそう言った時、シンジ君とアスカが顔を見合わせた。
そうやって、しばらく二人は見つめ合っていた。
…私、何か変な事、言った?
「そうしてあげなさい、シンジ…。」
やがてポツリ、とアスカが言った。
その声は、この一週間で、私がこれまで聞いた事がないような優しい声だった。
この娘、こんな優しい声が出せるんだ…。
「うん……。」
シンジ君もそう言ってくれた。
「ああ、ぼやぼやしてる場合じゃないわ!!
早く行かなきゃ!!
遅刻しちゃうわよ、遅刻!!」
我に返ったかのようにアスカが私たちを急かす。
私もシンジ君もニッコリ微笑んで頷いた。
「そうだね、少し急がなきゃ。」
シンジ君はアスカに向かってそう言う。
そして。
彼は。
私の方を向いて。
笑顔で。
こう言った。
「…じゃ、急ごう……葛城……。」
…………。
…………。
何かが。
何かが。
何かが…私の心に……琴線に……そっと……触れた……。
シンジ君に“葛城”と呼ばれた時。
何かが。
…………。
私は突然こみ上げてくる涙を抑える事が出来なかった。
何故私は泣くの?
何故私はこうして泣くの?
分からない。
けれど、今。
“葛城”って呼ばれた時。
何かが。
…………。
誰かが遠い昔。
私のことをそう呼んでくれた。
いえ、そんな昔のことじゃないのかもしれない。
つい、この間のことなのかもしれない。
私の、誰かとても大切な人が。
私のことをそう呼んでくれていた。
今シンジ君に呼ばれて、そんな気がした。
それは、誰?
シンジ君?
…………。
いえ…。
多分、違う。
違うかもしれない…。
分からない。
けど。
今、シンジ君に呼ばれた時。
私の中で何かが……。
一瞬閃き、消えた。
「好き」という言葉とともに。
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突然涙を流し始めてしまった私に驚き、かつ心配し、アスカが私の肩を抱くようにして声をかけ続けてくれた。
正直、何て言って声をかけてくれていたのかよく覚えていない。
シンジ君もその脇で心配そうに立っていた。
「……ごめんなさい、突然…。」
ようやく落ち着いた私はそう言ってアスカに、そしてシンジ君にお礼を言う。
「大丈夫?」
アスカが心底心配そうに私の顔を覗き込む。
……いい娘ね、あなた…。
…そうね、いい娘ね、あなたって…。
こんなあなたを彼女にできるのなら、シンジ君も…。
涙を拭い、なんとか笑顔を取り戻した私。
「ごめなさい、心配かけちゃって。
やっぱり私、まだ慣れてないのかも…。」
「仕方ないわよ。
シンジの言い草じゃないけど、突然訳分かんない状況に放り込まれたんだもの、急に不安になったりとかするわよ、うんうん。」
一人納得顔でそういうアスカ。
シンジ君はまだ心配そうに私を見てくれてる。
彼は、私に声をかけてくれた。
「…大丈夫、葛城?」
また……。
また、涙が出そうに…。
でも。
でも大丈夫。
うん、今度はもう平気。
「大丈夫よ。
さ、行きましょ。」
そう言って、私は二人を促した。
さっきまでと違い、今度はアスカが私の左に、そしてシンジ君が右に、そうやって三人並んで歩き出した。
目指すは第三新東京市立第壱中学校。
私、葛城ミサト、十四歳。
これから花も実もある青春を迎えようかという中学二年生。
でも。
シンジ君、それにアスカ。
私はあなたたちと一緒にこれから暮らして行ければ、きっとそれはそれで楽しいと思う。
でも。
やっぱり、私は。
いつかいなくなるの。
そんな気がする。
こうしてあなたたちの前にいる十四歳の私は、いつかいなくなる。
そして、あなたたちの言う“保護者”としての私が帰ってくるの。
そんな気がする。
分かったの。
私、帰んなくちゃならないってことが。
私のことを“葛城”って呼んでくれる大切な人がいるってことが。
私を待ってくれてる人がいるってことが。
分かったの。
いつか。
あのリツコって人がもう一度私を迎えに来るの。
その時。
私は、十四歳の私はあなたたちの前から消えて…。
そして。
帰ってくるの。
私は、あなたたちのもとへ。
そして。
大切な人のもとへ。
Fin
感想は新たな作品を作り出す原動力です。1行の感想でも結構 ですので、ぜひとも作者の方に感想メールを送って下さい。 |