悪役人生外伝The Final 〜悪役、旅立つ?!〜
Written by take-out7
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作者注:この作品は、タームさんの傑作『悪役人生』の外伝です。
『悪役人生』を先にお読みください。
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太平洋上に浮かぶミッドウェー島。
人外魔境とも呼べそうな島の真奥部。
そこに…使徒製造基地があった。
「はあ……。」
大きな洞窟の中に用意された最新科学設備の数々。
だが、なぜかそんな中で灯りと呼べるものはか細い炎を揺らめかせるロウソクであった。
恐らく、誰かの趣味なのだろう…。
誰ったって、それは…その…。
「はあ……。」
そんなうす暗がりの中、脱力感を伴う溜息が漏れる。
その声の主とは……おや…少し様子が違うような…。
「はあ……。」
溜息と言えば、この人しかいない。
誰あろう、前世では曲がりなりにも“主役”という冠だけをかぶせられ、それがゆえにコテンパンの目に遭わされまくった少年、碇シンジその人である。
最新式近代設備を誇る使徒製造工場。
で、ありながら。
何故かあちこちが欠けた木のテーブルにロウソク一本…そんな状態を前にして頬杖を付き、ぼおっとしているシンジ。
その背中を、少し離れた所から冷静に見つめる二人の人物。
それが誰かって…これはもう今更言うまでもなく。
悪役美少女、アスカとレイである。
腕組みしてシンジの背中を見ていたアスカは、やがて隣のレイにぼそっと言う。
「ファースト……あれでアイツ…ちゃんと考えてると思う…?」
答えるレイの声もぼそぼそっとした小さいもの。
「いいえ…アスカ…。碇君には何のアイデアも浮かばないと思うわ…。
時間の無駄よ…。」
「やっぱりねぇ…。よし。」
そうしてアスカは少々声を張り上げてシンジに向かって言った。
「シンジ!!無理なもんは無理ってことで、これはもうお終いよ、お終い!!」
アスカにそう声をかけられて振り返るシンジ。
「そ、そうかな……うん、そうだね……。」
そう言って椅子から立ち上がり、シンジはどことなくほっとした表情で二人の元へ歩み寄ってくる。
「ったくぅ……。
はいはい、じゃ、今度はファースト!
あんたがあそこに座って考えなさい!!」
「…私が、行くの?」
「そうよ!!次はあんたの番!!」
「分かったわ…。」
アスカに促され、今度はシンジと入れ替わりにレイが古びた机の前に座り込む。
「…………。」
じっと座ってロウソクの灯を見つめるレイ。
ゆらめく灯が彼女の透き通るような白い肌に、陰翳を投げかける。
「…………。」
じっと身動き一つせずにそんなロウソクを見つめ続けるレイ。
そしてその背中を黙って見つめるアスカとシンジ。
何の物音もしない時間が流れて行く。
そもそもなんで三人はこんなことをしているのか…。
いや、元を正せば、例によってアスカが机の前に座り込んで“次なる悪事”を練り上げようと頭を捻っていたのだ。
だが、今日は寝覚めが悪かったのか、それとも夢見が良くなかったのか…。
朝から、何一つといっていいほど、良い案は浮かんで来ない。
そこで、シンジが余計な一言を。
「アスカ……もうネタ切れ…?」
アスカ、激怒。
「アンタらが不甲斐無いから、アタシが一人でこうやってさんざん頭を悩ませなくちゃなんないんじゃないの?!!!
生意気なことを言うのはこの口か、この口かぁっ?!!!」
ってんでシンジの頬っぺたをつねり上げる、ひねり上げる。
「ほ、ほへんひゃはいっ、ほふひひまひぇん!!!」
「だったら最初から言うなーーーっ!!!」
ってことになり。
「まったくぅ!!!
そんな事を言うんだったら、アンタたちが“これはっ”て言えるような悪事の一つでも考え出してごらん!!!」
という事で。
たった今までシンジがアスカの代わりに“悪事考案専用机”に向かって、うんうんと唸っていた、ということなのだ…。
まあ、結局シンジにはなーーんも思いつく物はなかった。
元々善人なる彼ゆえ…。
で、バトンタッチして今はレイがその机の前に座っている、ということだ。
「…………。」
表情一つ変えずに座っているレイ。
まるで、息すらしていないのではないだろうか、そんな気持ちをさえ起こさせる端然としたその姿……。
今まさに、彼女は前世のイメージそのものを手に入れていたのだ!!
が。
……はあ……黙り込んじゃって…綾波ぃ……。
……まさか…まさかとは思うけど…。
シンジ、不安の色濃い面持ちで、レイの背中を見つめる。
……まさかとは思うけど……そのまま居眠りしちゃう……なんて石器時代のギャグに陥ったりしないでよ……。
……そんなことになったら……アスカに…コロされちゃうよぉ……。
物騒なことを…。
だがしかし!!
彼のそんな不安を嘲笑うかのような音が、彼の鼓膜をくすぐるのであった。
「…ぐう……。」
……あうう!!!綾波…!!
……何てことだぁ?!!
……それだけは…それだけは…やってはいけない、いけないことだったんだぁ!!!
シンジ、心で咆哮。
そしてレイのための哀悼を捧げるのであった。
……ごめんよ、綾波…。
……前世で君は、僕のためにその身を楯にして……僕を守ってくれたのに…。
……僕は…君を守る事が出来ない…。
……出来ないんだ…!!
……だって…だって……。
……また、アスカに頬っぺたつねられるの…もう…嫌なんだぁっ!!
……綾波…君の犠牲は無駄にはしないよ……。
自己完結。
めでたしめでたし、と。
そして彼はレイの背中に目をやった…。
背中に目を…。
目と目が合った。
シンジとレイ、二人の目と目が合った。
きょとんとした瞳で、レイはシンジの方を振り返っていたのだ。
「あれ…?」
思わずそんな疑問の言葉を口にするシンジ。
「…ぐうう……。」
その彼の鼓膜を再び揺るがす音声。
「あ、綾波…君って器用だね…。
目、開けたままで居眠り出来るなんて……。
しかも、わざわざ振り向いて僕の方を見ながら…って…?
な、何だ…?」
シンジ、自らの発言の不自然さにようやく気付く。
「…碇君…あれ…。」
レイは、そんなシンジに首を振って彼の隣を指し示した。
「あれって…?」
シンジはそのレイの示す方向に恐る恐る顔を向ける。
そう、彼自身のすぐ隣に。
彼は見た。
彼のすぐ隣に立ち、腕組しながら居眠りしている少女を。
立ったまま、眠ってしまっているアスカを。
「……君は…今すぐO.L.になって早朝の通勤電車で会社勤めを始めても…充分生きていけるよ…アスカぁ…。」
まあ、若いんだから仕方がない。
色々あるさ、うんうん。
と、いうことで。
「はあ、あんたたちに付き合ってると、眠くなるのよ!!」
やはり、今朝の寝覚めとか、夢見はあまり良好なものではなかったようだ。
そんなアスカは、大きく伸びを一つすると、二人に向かって宣言する。
「ま、今日ばっかりはここで頭を捻っててもロクな考えは浮かばないってことよね。
うんうん、今日は外へ打って出るとしますか!!」
「そ、外へ…?!」
「そう、準備なさい!!」
「…準備って何を…?」
「着替えよ、着替え!!!
ちょっと、人混みの中へ繰り出すから、プラグスーツじゃ目立ちすぎるわ!!
壱中の制服に着替えて、日本へ行くのよ!!」
なぜ、こんな所に第三新東京市立第壱中学校の制服が、などと考えてはいけない、間違っても。
いけないのだ。
悪に不可能はない。
「日本…ってことは、また第三新東京市へ…?」
シンジは不安げに尋ねる。
それに対してはアスカはパチっと片目をつぶってウインクし、明るく言うのであった。
「黙って付いて来ればいいのよ!」
……はあ、今度は何を思いついたんだろうな、アスカ…?
……どうせまた……。
また、の先は何なんだい…。
「行くわよ!!」
悪役三人組が行く。
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ゴーーーーン。
鳴り響く荘厳なる鐘の音。
緑豊かな山々に囲まれた、由緒正しき碁盤の目。
ここは日本の古都、京都である。
アスカ、シンジ、レイの三人は京都にやって来たのだ。
「…………。」
「…………。」
無言で京都駅前に立ち尽くすシンジ、あーーんど、レイ。
そんな二人にお構いなく、“京都市観光案内所”の看板が掛かっている窓口から市内の観光地図を貰ってきたアスカが声をかける。
「このマップがあれば、こっちのモノよ!!
さ、手下一号、同二号、行くわよ!!」
そして彼女は先頭を切って歩き出した。
「あ…ちょっと、待ってよ、アスカ?」
「…………。」
シンジとレイは慌ててアスカの後に付いて行くのであった。
「アスカ、京都なんかで…一体何を…?」
先頭を行くアスカ。
一歩遅れて、並んでついて行くシンジとレイ。
シンジはアスカに問い掛ける。
「まあ、黙って付いて来なさいって。」
そんなシンジの疑問などまるで意に介さず、どんどんと歩いて行くアスカであった。
彼女は京都の街並みを珍しげに眺めながら言う。
「ふーーーん……この街はセカンドインパクトの時にもこれといった被害は受けなかったっていうけど……ホントみたいね。」
それに対して、レイが静かに答える。
「そうよ。この街は千年以上もこうして栄え続けている。
幾度とない戦禍に見舞われて灰燼と帰しながらも、今もこうして街として機能し続けているの。
ただ新しく生まれ変わるのではなく、古きものをとどめ、守り続けながら。」
「ふむ、ファースト、あんたも知った風な口を利くじゃない?」
「私…前世では本の虫だったから…。」
「そっか、そっか。
じゃ、この街にも詳しいわけね?」
「…いえ…来たのは今日が初めて…。」
「なによ、じゃあアタシと同じじゃん。
シンジ、アンタは?」
「え?僕も今日が初めて…。」
「はいはい。
ということは、やっぱりこのマップだけが頼りってことね。
じゃ、ゴタクを並べてないで、アタシに黙って付いてきなさい、二人とも!」
そう言うアスカの背中に疑問を投げかけるシンジ。
「いや、だからその…。
ここで一体、何を…?」
彼の言葉を聞いて、立ち止まってくるっと振り返るアスカ。
「アンタ…ホントにまだ分からないの?」
さも、それが不思議だという顔をして聞くアスカであった。
「う、うん…。」
分からないものは、分からない。
素直に答えるシンジである。
前世と比べて緊張感を失ったとはいえ、決して正直さまで失ったわけではない。
それは彼にとって僥倖と言うべきであろう。
「はあ…。ファースト、あんたは?」
今度はレイに向かって尋ねるアスカ。
レイは小首を傾げるのみであった。
「まったくあんたたちと来た日にゃあ…。
ま、いいわ、自分で考えなさい。」
そう言うとアスカは再び前を向いて歩き出すのであった。
……考えろ……?
……何をだろ?
首を振り振りそんなことを自問しつつ、彼女の後を黙ってついて行くシンジ、そしてレイ。
三人は、三十三間堂へとやって来た。
「まず、ここよ!!」
アスカはそう言うなりとっとと中へ入って行く。
「こんな所で、何を?」
「…さあ…?」
手下二人、遅れること数秒でアスカに続く。
「ふふーーーん…これは、これは……。」
アスカは柄にもなく感嘆の声を漏らしていた。
堂内に入った三人は、ずらりと居並ぶ千手観音像の群れを眺める。
「…これは…なかなかのものじゃないの……。」
めったに人やら物やらを褒めることのないアスカも、さすがにこの三十三間堂の仏像群には圧倒されたのか、溜息混じりにそう言った。
そして。
「手下二号!!説明を!!!」
レイに向かってそう言う。
「…三十三間堂の千手観音像…。
中央に座す中尊千手観音菩薩坐像と、堂内一体に立する等身大の千手観音像、併せて一千一体の観音菩薩。正式には十一面千手千眼観音菩薩。
仏像そのものは確かに千一体備わっているけれど、千手千眼の方の千とはこの際、「無数」とか「無量」という“数え切れない数量”ということを意味しているの…。」
即座にレイが、諳んじてアスカとシンジにそう説明する。
いつの間にやら、彼女も手下二号に正式就任していたようだ…。
「なるほど…で、この仏さんたちは、こんだけの手を広げて何をしようっての?」
アスカが重ねて問う。
「救済を……。」
答えるレイ。
「はん、よく知ってるのね、ファースト?」
「私…前世では本の虫だったから…。」
それを聞いてちょっぴり肩を竦めると、アスカはゆっくりと廊下を歩き出しながらそれらの仏像を眺め始める。
後に続く手下一号、同二号。
一号、見事な仏像群に感心しつつも心はやはり先ほどからの疑問に向かわざるを得ない。
……ここで一体何をしようってんだろ、アスカ…?
そんな時、彼らと同じように堂内を観覧している観光客らしき人たちの会話が彼の耳に入ってくる。
「凄いのね、こんな古い仏像がたくさん…。」
「うん、壮観だね。
今は何てったってハイテクの時代だけれど、こういう昔から伝わっているものの価値ってのは、いつの時代になっても変わらないんだね。
いや、むしろ段々その価値を増して行くってのかな……。
まあ、たまにはこういうものを見て、触れて、“古きを訪ねて新しきを知る”ってのは大切な事だよね。」
ピンポーーン!
シンジ、一閃。
……むむむ…そうか……そうなのか…!!
……アスカ、そうだったんだね!!!
……アイディアの煮詰まった頭を柔らかく解きほぐすために…。
……さらなる悪事のアイディアの種を得るために…!
……そう言うことかぁ!!
……温故知新!!!うん、うん!!!
……良くあるパターンだよ!!!
……作家だって、スランプに陥った時は自分の旧作を読み返したりなんかして、あるいは古典とかを流し読みしたりしながら、再起を図るって言うもんなぁ!!!
……さすがだね、アスカ!!
……君は天才の名に相応しい悪人になれるよ、やっぱり!!!
最後のは褒め言葉になっているのか?
とにかくシンジ、ここへ来てようやく納得。
そして隣を行くレイに耳打ちする。
「綾波…どうやらアスカは今回の旅、何か新しい悪事のアイディアのヒントを得ようとするのを目的としているようだよ…。」
「アイディアのヒント…?」
「そう、オンコチシンってやつで…。」
「…カタカナで言うと、妙な雰囲気の言葉ね…それって…。」
「綾波ぃ…イメージ、イメージ…。」
「このくらいは大丈夫よ…。」
「…綾波…打たれ強くなったね……。」
「そう…?
…良く分からない…。」
くるり。
突然二人をアスカが振り向いた。
思わず口をつぐむシンジ、あーーんど、レイ。
「…こういう所は……静かに拝観しなさい…。」
アスカのお小言。
「はーーい…。」
素直に頷くシンジ、あーーんど、レイ。
そして三人、再び歩き出す。
「…で、どうすればいいの私たち…碇君?」
レイが先行するアスカに聞こえぬくらいの小声でシンジにそっと囁く。
「うん……とにかくアスカの目的がそれだってことが分かったんだ。
で、後で必ず“さあ、あんたたち、何かいいアイディア思いついた?!!”って聞かれること間違いないんだ…。
僕たちとしては、目を皿にして色んなものを見て回って、何でもいいからアイディアの一つや二つは捻る出せるようにしなくっちゃいけない…。
これは、単なる物見遊山じゃないんだよ、綾波…。」
「そう……分かったわ、碇君…。
目を皿にすればいいのね…?」
「……綾波……。
石器時代のギャグは…要らないからね…。」
そう言ってシンジは、チラッとレイの手元に視線を落す。
どこからいつ持ち出してきたのか、その両手には小さなお皿が二枚…。
「…………。」
「…………。」
まあ、若いんだから仕方がない。
色々あるさ、うんうん。
と、いうことで。
三人は三十三間堂をたっぷりと時間をかけて見て回った後、今度はてくてくと東大路通りから清水坂を経て清水寺へ。
途中、清水坂にこれでもかと居並ぶお土産屋さんの前を通り過ぎる時、アスカはシンジに命じる。
「アレ、買ってきてよ!!」
京都名物・生八ツ橋のことである。
もちろん、それをお土産として買ってミッドウェー島まで持ち帰っても、別段渡す相手がいるわけではない。
と、いうことでその場で箱を開けて、歩きながらむしゃむしゃ食べる悪役三人組。
いや…とても中学校の制服姿で生八ツ橋を頬張りながら歩くその姿は、この世の中に、ネルフにそしてゼーレに復讐を固く固く誓った悪役とは思えない…。
それはまるで…。
「ああ、喉乾いたぁ!!!
シンジ、飲み物、飲み物ぉ!!!」
アスカの一言に、小走りに缶のお茶を買いに急ぐシンジ。
手下である、まるっきり。
さて、のほほんと歩きながらも、三人は清水寺に着いた。
彼らは本堂に上がり、“清水の舞台”に立つ。
「ふーーん、これが清水の舞台…ねぇ…。」
眼下に京都の市街地を一望しながらアスカが言う。
「…これは特に説明は要らないわ…ファースト…。」
「そう……?」
答えるレイ、ちょっぴり残念そうに見えたのは気のせいか…。
「要するに、何か思い切った行いに出る時、この“清水の舞台から飛び降りたつもりで”…って言うんでしょ?」
「まあ…そういうことね…。」
「ふん…。こんな所から飛び降りたら、ロクな目に遭わないことくらい、分かりそうなもんじゃん……。
下手したら死ぬわよ…。」
「…ホントに飛んだら…大抵死ぬかも…。」
下を覗きながらシンジが呟いた。
「ま、それくらいの覚悟でってことね…なるほどね……。」
そう言って欄干に両肘をつき、手を頬にあてがったアスカが遠くを見ながら言った。
……覚悟……むむむっアスカ!!
……何か、何か…ヒントでも得たのかなっ?!!!
そんな彼女の横顔を眺めながらシンジは思うのであった。
だが、彼の視線に気付くことなく、アスカは穏やかとも言える顔つきで遠くを眺め続けているのであった。
そして。
「さ、飛び降りる…じゃなくて、行くわよ。」
さてさて、それから三人はなんと延々と歩いて、大宮通りと九条通りに面する東寺へと向かうのであった。
ご存知の方にはお分かりと思うが、この距離は遠い!!
「ふう…ア、アスカぁ……。
な、何でバスとか…使わないのぉ…?」
後を歩くシンジ、少々バテ気味の声を上げる。
「なーーに、情けないこと言ってんのよ、シンジ?!!
若いんだから、これくらい歩く、歩く!!!
ほれ、しっかりしなさい!!!」
振り返ったアスカはそう言ってシンジを叱咤した。
その顔はしかし、笑顔であった。
「そんなこと言っても…かなりの距離だよ、これって…。」
なおもブチブチ言うシンジである。
「何言ってんのよ?!!
アタシ、これくらい全然平気よ!!
ファーストだって、何も文句言わずに歩いているじゃない?!!」
話を振られ、レイも一言。
「イメージ的に…“しんどーーいっ”“もう、疲れたぁ!!”“足イターイ、歩けなーーいっ!”…っていうのは、私にはないから……。」
それを聞いてシンジが尋ねる。
「…イメージ的に無いから……それで、口には出さないだけ…ってことなんじゃないの?」
こくっと頷くレイ。
「…それ…やせ我慢って言うんだよ…。」
「誰がやせの大食いよ…?」
「…誰も言ってないよ、綾波……。」
「…………。」
「もしかして…綾波…?
自分からイメージ、壊そうとしてない?」
レイ、シンジの隣で“ムンクの叫び”状態。
だが、声は出さなかった。
…その方が、より不気味だったりして……。
かくも楽しげな(?)会話を繰り返しつつ、悪役三人組が京の都を行く。
「着いたわ!!」
南大門の前に仁王立ちし、アスカが叫ぶ。
「はああ……やっと…やっと着いたのかぁ…。」
ご苦労様、シンジ君。
三人は門をくぐり境内に入る。
その、寺内の規模の大きさに思わず目を見張るアスカ、シンジそしてレイ。
「ほうほう……これはまたこれで…なかなかのモンじゃない?」
呟くのはやはり、アスカである。
金堂、講堂、五重塔、宝殿、さらに大師堂、大日堂……加えて瓢箪池を擁した庭園……。
ドイツ出身のアスカにしてみれば、このような本格的な“寺社仏閣”に足を踏み入れたのはこれが生まれて初めてであった。
「すごいんだなぁ…。」
しばし茫然とするシンジも、そしてその隣で黙って周囲を見渡しているレイも、実はこのような場所へ来たのは今日この時が初めてなのである。
「…ここでぼおっとしてても、何ら得るものがないわ。
さっそく拝観よ!!」
アスカがそう言うなりすたすたと歩き出した。
「あ、待ってよアスカぁ。」
それに続く手下一号、同二号。
三人は講堂へと足を踏み入れる。
堂内に安置された二十一体の仏像。
それらが紡ぎ出すしんっとした静けさの中にも張り詰めた神秘的な緊張感。
三人は言葉もなくその場に佇むのであった。
「…………。」
レイは、前世での本の虫の知識よろしく、ここでも再びアスカらに向かって解説を一席ぶつつもりであった。
だが。
この仏像たちが具現する立体曼荼羅を前に、己の言葉など何の意味も無い事を悟り、ただ黙して明王たちを見つめている。
アスカは。
堂内に入った最初こそ、腕組をして仏像たちを見ていたのだが、やがてその腕を解き静かな風情でそれらに見入っていた。
シンジもまた、薄暗い堂内の隅々にまで目を凝らし、一言も発することなく一つ一つの仏像を丹念に眺めていた。
どれくらいの時間をそこで過ごしたのか。
三人はやがて、誰言うともなく講堂を出、陽の光の元に立つ。
その太陽も、そろそろ西に傾きつつあった。
三人は無言のままで金堂へと足を運ぶ。
そこで彼らは薬師如来像と、日光・月光両菩薩像からなる、いわゆる薬師三尊像を仰ぎ見る。
もはや三人のいずれも、自ら口を開こうとする者はいなかった。
アスカとシンジ、そしてレイの三人は京都駅前に戻っていた。
夕闇が迫りつつある中、彼らはとあるレストランで一息ついていたのである。
「ふんふん…やっぱり京都ってのは、一度は来てみるものね。
うん……今日は来ただけのことはあったわ……。」
オレンジジュースをストローで飲みながら、アスカがそう言った。
「うん。お寺なんて、単に古臭いだけの所かって思ってたけど……なんだか認識を改めちゃったよ。
三十三間堂のずらっと居並ぶ千手観音も凄かったけど…さっきの講堂…迫力があったね。」
シンジがアスカに相槌を打つ。
彼はコーラを、ストローなしで飲んでいた。
「…………。」
レイは無言でアイスティーをそっと喉に流し込む。
無言ではあるが、二人の意見に同調していることは明らかなようであった。
「うーーん。
今日は結構歩いたし、色々珍しいモノが見られて面白かったわ。」
アスカが背筋を伸ばしながら言う。
「そうだね、歩いた歩いた…。」
シンジも笑顔で答える。
「…………。」
レイ、無言で同調。
「さってと。
あんまりここで長居をしてても帰るのが遅くなるだけね。
そろそろ行きましょう。」
そう言ってアスカは席を立つ。
「あ、待ってよ。」
慌てて席を立ち、その後について行くシンジ、そしてレイ。
相変わらず先頭に立って歩くアスカと、その後をほんの少し遅れてついて行くシンジ、レイ。
後から見ていても、アスカの機嫌が非常によろしいことがよく分かる。
シンジはそんな彼女を見ていて、自分も何だかとても幸せな気持ちなる。
だが。
結局彼はなーーんも、次なる悪事へのヒントなんてものは思いつきもしなかったのである。
そもそも、清水寺へ行ったあたりまではそんなことを念頭に置いて、色々な物に目を配っていたのだが、東寺の講堂へ入った途端、そのような雑念は消し飛んでしまったのだ。
……はあ…今はアスカ…機嫌がいいけど…。
……ウチへ…つまりミッドウェー島へ帰ったら……。
……帰って…“何か思いついた?!!”“いいえ、なんにもございません”ってことになったら……。
……また……。
また、の先は何なんだい…。
そんなシンジの心の動きを見透かしたかのように、アスカが足を止めて振り返る。
合わせて立ち止まるシンジとレイ。
アスカはしかし、二人に向かって笑顔で言うのであった。
「楽しかったでしょ、今日は?」
そう言われ、二人で顔を見合わせた後にこくりと頷くシンジ、レイ。
「よろしい。
何より、何より、うんうん。」
そう言って笑顔を絶やさないアスカ。
そんな彼女の顔を不思議そうな顔で見つめていたシンジだが、やがて思い切ったように尋ねる。
「…でも…その…アスカ……。
せっかくここまで来て……でも僕…な、何も思いつかなかったよ……。」
そのシンジの言葉にうんうん、と自らも頷くレイ。
「はあ?
何も思いつかないって…?」
アスカ、キョトンとしてシンジを、そしてレイを見る。
「うん……新たなる…悪事の…アイディア……。
何も…思いつかなかった……。
あはははは…ごめん……。」
笑ってごまかす…それほどの物ではないにしても、少々バツが悪そうに答えるシンジであった。
「は?新たなる悪事のアイディア?」
アスカはと言えば、鸚鵡返しにシンジの言葉を口に上せるのみ。
「うん…わざわざ京都まで来たっていうのにさ……。」
シンジのその言葉を聞いて、アスカは両の手の平を天に向け、“あれまぁ”っといった仕草をして見せる。
「はあ…シンジぃ…。
それに、ファーストも……。
あんたたち、ホントに何でアタシたちが今日ここへ来たのか、まだ分かってないの?」
呆れた人たちだこと…そんな調子で二人に問い掛けるアスカではあったが、聞かれた方はただただ顔を見合わせるだけである。
「…ホントにって…アスカ…何のこと?」
シンジ、重ねて問う。
前世と比べて緊張感を失ったとはいえ、決して探求心まで失ったわけではない。
それは彼にとって僥倖と言うべきであろう。
「あのさぁ……何のためにわざわざアタシたち…壱中の制服に着替えてここまでのこのこやって来たのよ?
分かんないの、ホント?」
アスカは腰に両手を当てて二人を代わる代わる見ながらそう言った。
シンジとレイはお互いを見て、しかしやがて肩を竦めると無言でアスカの方を向き直る。
アスカは溜息混じりに話し始める。
「…困ったもんだわ、こりゃ。
しょうがない、言ってあげるわよ。
あのね。
アタシたち、前世で修学旅行、行けなかったでしょ?」
「はあ?し、修学旅行?」
「そうよ。
待機命令が出ちゃってさ。
オキナワ、行けなかったじゃん、アタシたち。
でさぁ。
せっかくもう一度この歳から人生やり直すわけじゃん。
だったらさ、前世で行けなかった修学旅行ってやつをさ、行ってみたってバチも当たらないじゃん。
で。
今の住まいがミッドウェー島なんて所なのに、それでもわざわざオキナワへ行く必要なんてないでしょ、同じようなもんなんだから。
だったら、修学旅行の定番コースってやつ?
京都の寺社仏閣巡りってのも悪くないじゃん…そう思ってさ。
あの薄暗い洞窟で頭捻っててもロクな考え浮かんで来ないから、たまには三人でこんなのもいいかなって思って……。
はあ……それに最後まで気付かないとは……。
困った寸足らずたちねぇ…。」
「す、寸足らずって…アスカ…。」
アスカの言葉尻を捉えるシンジ。
だが、彼の心には一種言い表せぬ暖かい思いが広がり始めていた。
「ま、なんつったってもアタシたちは悪役。
修学旅行に二日も三日もかけてはいらんないわ。
だから、この旅行は今日でお終い。
明日っからまた気持ちを新たに、打倒ネルフに血道を上げるのよ!!!」
そう言って握り拳を一つ作ると、くるりと身体を反転させてまたすたすたと歩き出すアスカであった。
そんな彼女の背中を見つめながら無言で付き従うシンジとレイ。
彼ら二人の胸中に、この時何が去来したであろうか……。
しばらくそうして無言で歩いてた三人だったが、またしてもアスカが後ろを見ながら言った。
「…で、さぁ…?
さっきからずっと……。
どうしてあんたたちはアタシの後にくっついて歩いてるわけ?」
「それは…。」
シンジが答えようとした時、レイが先に言った。
「それは……手下のイメージって…そういうものだから……。」
「イメージって…あのねぇ…。」
アスカ、足を止めてレイを見る。
シンジも可笑しそうな表情になってレイを、そしてアスカを見ていた。
「はいはい…あんたは命よりイメージが大切なんだもんねぇ。
でも、ファースト!!」
びしっと人差し指を立て、レイに向かってきっぱりと言うアスカ。
「さっきも言った通り、今日は修学旅行よ、修学旅行!!
この際、手下も親分もなーーーいっ!!」
そして彼女は前を向き、二人に言うのであった。
「特別に許す!!!
二人とも!!
私と並んで歩きなさい!!!」
こうだ、と言えば絶対に引き下がらないのがアスカの性分である。
それはシンジもレイも良く心得ている。
だがそれ以上に今は…。
二人は顔を見合わせると少し微笑み合い、そして頷き合って一歩ずつ前へ進む。
アスカ、シンジ、レイ。
三人が並んだ。
横一線に綺麗に並んだ。
「よろしい!!
じゃ、帰るわよ!!!」
そう宣言すると、アスカは歩き始める。
その彼女の左手をシンジの右手が掴む。
「あっ……。」
思わず小さな声を上げるアスカ。
だが、それも半瞬のこと、何事もなかったかのごとき風情で足を運ぶ。
シンジは残る左手でレイの右手を握る。
「…………。」
レイは何も言わず、黙って歩いていた。
手をつなぎ合った三人の、少年と少女が、夜の帳の降り始めた古都を歩いて行く。
この後、彼ら三人がどのような悪役人生を全うするのか。
どのような悪企みをもって全人類に挑むのか。
いかなる奸智を用いて人々を恐怖のどん底に叩き込むのか。
それは誰にも分からない。
彼ら自身にもまだ分からない。
だが。
一つだけ彼らにもはっきりとしている事があった。
一つだけはっきりと言える事があった。
それは。
この日の。
たった三人だけの修学旅行のことを。
たった一日だけの修学旅行のことを。
彼らだけの修学旅行のことを。
いつになっても決して忘れることは無いだろう、という事を。
いつになっても決して決して忘れることは無いだろう、という事を。
彼らはその夜、確信したのである。
Fin
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