暇を持て余すと…

 

Written by take-out7 

 

 

 

その日、二人は暇を持て余していた。

いや、正確に言えば決して文字通りの“暇”であったわけではない。

 

ほんの四日前、命がけで使徒を撃退したばかりの週末。

本来ならばこんな時、彼はともかく少なくとも彼女の方は、親友とも呼ぶべき少女とアクセサリー店

やらウインドゥ・ショッピングやら甘味処やらへ繰り出すのが順当なところである。

が、その親友の妹が小学校でなにかの行事があるとかで、今日は彼女は親友にお相手をしてもら

えないのだ。

本人に言わせれば、彼女が親友のお相手をしてあげてるのだ、ということだそうだが…。

どちらも正しい言い分であろう。

とにかく、彼女としては何の予定も入っていない週末を過ごすはめとなっていた。

 

さて、一方の彼の方である。

彼には“暇”という言葉はそもそも存在しない。

自分のための時間がある時は音楽を聞いたり、雑誌を読んだり、テレビを見たり…それなりにする

ことはいくらでもあった。

そして、自分のための時間がない時…むしろこちらの場合にこそ彼はその本領を発揮する。

炊事、洗濯、掃除、買物……エトセトラ、えとせとら、etc、いーてぃーしー…。

一家の雑事全般の一切を取り仕切る彼にとって、“暇”な週末こそ神の与えたもうた貴重なる時間。

砂時計の、落ち行く砂一粒一粒をこれほど貴重に思える時もない、というくらいの時間…。

 

そんなわけで、彼は朝から縦横無尽の大活躍。

まず、溜まっている洗濯物を洗濯機に放り込んでスイッチを入れ、スーパーの朝市へと向かう。

三人分の食料調達のための激闘をご近所のおば様たち相手に繰り広げ、ささやかならざる勝利を

手にして帰宅する。

そして洗濯物の籠とともにベランダに立つと万国旗を掲揚し、取って帰す刀で、もとい、掃除機で、

リビングからダイニング、廊下は言うに及ばず洗面所、玄関までくまなく汚れ退治にいそしんだ後、

お風呂場の掃除へと取りかかる。

 

終わった頃には昼食の準備である。

今日は同居人の一人が昨晩から戻っていないため、二人分の軽いランチを用意すると、いま一人の

同居人たる少女と二人でお昼ご飯。

食べ終わるや否や、すぐさま後片付けに入り、それも済めば今度は自分の部屋の整理整頓に向かう

のであった…。

 

ま、そんな彼の“ごく平凡な週末”の流れ作業が終了したのは午後三時頃のことであったろうか。

 

「はあ…終わった、終わったと…。」

シンジはそう呟いてベッドの上に横になる。

 

「先週末は、ずっとネルフに出頭だったから、掃除できなかったもんなぁ…。

やっぱり、いくら何でも一週間に一度は掃除機かけなきゃなぁ…。

ああ、さっぱりした。」

天井を見上げ、独り言を口にするシンジ。

心地よい疲労感が全身を包み込む。

これはこれで、気持ちの良いものだ。

 

「…ふう…少し、昼寝でもしようかな…。

晩御飯の準備にはまだ少し、時間があるもんな…。」

 

そうは言ったものの、一向に眠気など襲っては来そうにない。

 

「MDで音楽でも…いや…いいか…。

めんどくさい…。」

 

そこで彼は、ベッドの上でただただぼうっとする、という優雅な時間を楽しむことにする。

 

そんな時であった。

同居人、アスカの声が聞こえたのは。

 

「シンジーっ、シンジってばーっ!」

 

「うん?何だ?」

 

シンジは半身を起こして耳をすます。

自室の扉は閉めている。

もしかしたら空耳だったかもしれない。

そう思った彼は、しばらくは何の行動も起こさずにじっとしていた。

 

しかし。

 

「シンジーっ!いるんでしょ?!

ちょっと来てぇーーっ!」

 

先ほど以上にはっきりと、彼の耳にアスカの声が届いた。

それは決して切羽詰ったものではなく、また何らかの理由で気分を害している、といった類いの

ものではなかった。

ごくごく普通の、彼を呼ぶ彼女の声であったのだ。

 

「何だろうな?」

ベッドからゆっくりと腰を上げながらシンジは思う。

 

昼食後、自分の部屋の整理をするためにここへ来た時、アスカはアスカで自分の部屋に引き上

げた。

その時、Tシャツにショートパンツといういつものスタイルの彼女はシンジに向かって一言、

「ああ、なんか、かったるい日ねぇ。」

とか何とか言っていたのだが。

 

で、部屋の整理をしながら何度か自室とダイニングを行ったり来たりした時。

当然ながら彼はアスカの部屋の前を通ることになる。

 

普段は必ずと言って良いほど、襖を閉めているアスカだが、この時は半分以上それを開けていた。

決して覗き見たわけではないが。

彼がその前を通り過ぎる時に見るともなしに室内を見ると、こちらに背を向けて、つまり机に向かって

頬杖付いて、さも“ぼおっとして座っています”と言わんばかりのアスカの姿を見とめたものである。

 

何回か彼女の部屋の前を通過したが、彼女のそんな様子はしばらくそのままだったように記憶して

いた。

 

その彼女が今、彼のことを呼ぶ。

 

「何だろう?」

 

当然の疑問である。

 

シンジは立ち上がり、扉を開けて廊下に出た。

 

「あれ?」

最初に彼はそう思った。

 

最後にダイニングから自室へ入った時、アスカの部屋の襖は半開き状態だった。

それが今、ぴたりと閉じられている。

 

だが、それこそ普段のアスカの部屋の状況であるがゆえに、彼はそれ以上の疑問を持つことなど

なくその襖に近づいて行く。

 

襖の前に立つと、シンジは室内のアスカに向けて声をかけた。

 

「呼んだ、アスカ?」

彼の問いに対してアスカの答えが帰ってくる。

 

「あ、シンジ。

ちょっと、手伝ってぇ。」

 

……手伝って?

……うーーん。

……さては、アスカ…。

……君も暇を持て余して、部屋の整理でも始めたのかな?

……で、この際部屋のレイアウトも少し変えてみようかなってことで…。

……机とか、ベッドとか動かし出した、と…。

……重い物を動かすには、男手が必要ということで…。

……はいはい、分かりました、分かりましたよ…と。

 

自分がそうだったからと言って、他人の行動にもその指標を当てはめてそれに納得してしまうシンジ

であった。

いや、決してそれが悪いなどとは…言っていないのだが。

 

「じゃ、開けるよ、アスカ?」

シンジは改めて一言そう言うと、襖に手をかけて横へ滑らせる。

彼は一歩、アスカの部屋の中へと入った。

 

「わわわわっ!!!!

ご、ごめん、!!!!」

 

入ったと同時にそんな大声を上げて、慌てて背中を向けて廊下に飛び出すシンジ。

 

無理もない。

 

室内へ足を踏み入れたと同時に彼の目に飛び込んできたものは。

アスカの背中、その白い肌であったのだから。

 

「ご、ご、ごめん、アスカ!!!

わ、わ、わざとじゃないんだ!!

わざとじゃ!!!

し、知らなかったもんだから!!

き、着替えしてるなんて、知らなかったもんだから!!!

ご、ごめん!!!」

顔を真っ赤にしながら大声で謝るシンジ。

 

そう、アスカはちょうどワンピースを着ている最中だったようで、背中のボタンが全開状態でこちらに

背を向けて立っていたのだ。

黄金色の髪が垂れ下がっているから、背中が丸見え、という訳ではないのだが、当然髪の毛の隙間

から、陶磁器のような真っ白な肌が垣間見えた。

 

「ごめん、ホント!!

な、なんか、呼ばれたような気がしたもんだから!!

ごめん、気のせいだったみたい!!!

あははは…な、何も…何も見てないから……!!

あはははは…ホント、背中なんて何も見てないから!!」

 

そんなお約束な言い訳は通じないぞ。

 

が。

 

「シンジぃ。

気のせいって……。

アタシが呼んだのよ。

そんなとこで四の五の言ってないで、早くこっち来てよ。」

至って平静なアスカの声がシンジの耳元に届いたのである。

 

「いや、だから!!

ご、ごめん!!

呼ばれたような気がしたもんだから!!!

そ、空耳だったみたい!!!

うん、うん!!空耳、空耳!!

アスカの言う通り、呼んだのはアスカであって、だから僕もついつい呼ばれたような気がして…!!

そうだよね、僕の完全な勘違いだよ!!

アスカは僕のこと呼んでなんか…!

僕のこと、呼んでなんか…!

呼んで…なんか…?

…………。

アスカ…あ、あの…。

ぼ、僕のこと…呼んだ?」

 

「何、うろたえてんのよっ?!!

アタシが呼んだから、アンタは来たんでしょうが!!

さっさと、来る来る!!」

 

アスカはちょっぴり声高になって、シンジにそう言う。

 

「あ……い、いや…。

そ、そう…?

呼んだ?

呼んだんだよ…ね…。

あ、でも、その…。

来いって言われても…き、着替え中だろ…?

だから、あの…あはははは…着替え終わったら……参ります、はい…。」

廊下の外でシンジは答えた。

しかし、アスカはじれったそうに言うのである。

「だから!!

この着替えを手伝えっつってんの、アタシは!!!

背中のボタンを留めてって、そう言ってんのよっ!!!」

 

「えーーーーーーーーーーっ!!!」

シンジ、叫ぶ。

 

無理もない。

 

「だから、早く来る来る!!

モタモタしてんじゃないわよっ!!!」

 

確かに、ここでこのままモタモタしていては、火山の活動状況が一秒増すごとに活発化していくで

あろうことは、例え火山研究者ならぬ身のシンジであっても、十分予測できることであった。

 

……で、でも…!

……そ、そんなこと言ったって…!

……あ、アスカの着替えを手伝うぅ?!!

……だ、誰が?!!

……僕が?!!

……そんな、そんなコトしたら……。

 

シンジは汗を流しながら思った。

 

……そんなコトしたら…。

……夜、眠れなくなっちゃうよっ!!!

 

この正直者!!あ、いや、馬鹿者!!!

 

……だけど…!!

……だけど今ここで逃げ出したら…。

……僕は、僕は一生…この家には帰って来れない!!

……良く分からないけど、そんな気がする!!!

……きっとそうだ!!!

 

この家にって…。

だったら他所へ行けばいいじゃん…。

嫌なの…?

 

「シンジーっ!!

何してんのよっ?!!

早くぅ!!」

 

半分は怒ったような、そしてもう半分は甘ったれたようなアスカの声。

その強烈で、かつ甘美な響きに所詮抗し得るはずなどなく、シンジは決意するのであった。

 

即ち、寝不足もやむなし、と。

 

「は…入ります…。」

まるで目上の者の部屋へ入るが如き一言を発して、改めて室内へ足を踏み入れるシンジ。

 

俯きかげんで歩こうとするのだが、何と言っても日本の住宅。

この狭い室内空間に二人の人が入れば、それを視界の外に追い出すなどという努力は、無駄な

あがき以外の何ものでもないのである。

 

シンジは、緊張しまくりつつも、アスカの方へ一歩、また一歩と近づいて言った。

 

「このワンピースってさぁ、やたらボタンが多いのよねぇ。

留めにくくって嫌んなっちゃうわ。」

全然嫌そうに聞こえない声音で、背中を向けたままのアスカが言う。

 

その声につられ、俯いていたシンジは思わず顔を上げてしまう。

 

真正面にアスカの背中。

腰のあたりから、左右にはらりと広がったワンピースをまとったアスカの背中。

七つばかりあるボタンの、そのどれ一つも留まっていないがために、白い素肌が眩しいばかりの

アスカの背中。

それが、長い髪の向うにしっかりと見えている。

 

……わっわっわ!!!

……も、モロにアスカの肌がぁ!!!

……し、しかもその……その背中に横一本見える、し、白いラインは…!!

……ま、まさかとは存じますが…!!

……ぶ、ブラってやつなのでは…?!!

 

まさかじゃないだろうが!!

当然、それだよ!!

 

「何してんのよっ?!!

早くボタン、ボタン!!」

アスカは先ほどから前を向いたままこうして話しているため、その表情をシンジが窺い知ることは

出来なかった。

 

いや、そもそも彼にそんな余裕など、この際無いに等しいのだが。

 

彼はまるでアスカのその白い背中を見てしまったことを、地獄に行って閻魔大王の前で詰問でも

されているかのような心地になって慌てて答えた。

 

「ひゃ、ひゃい!!」

 

声が裏返る、という表現がある。

しかし今のシンジの場合、単に声が裏返るにとどまらず、裏返って、そのまま捩じれて、引き絞ら

れて、引っ張られて、吊り下げられたような、そんな声になってしまっていた。

それがつまり、どんな声なのかということは…ご想像にお任せする…。

多分、皆さんが思い浮かべた声が正解であろう。

 

そして彼はアスカに近づく。

一歩一歩。

その足と手が同時に出ていることに、彼は全く気付かない。

 

「と、と、と、とめ、とめ、留めるんですね?!!

ぼ、ぼ、ぼ、ボタンを、と、と、留めるんですね?!!

わ、わ、わ、わた、私が!!!」

相変わらず脳天から出してるかのような甲高い声でシンジはアスカに尋ねる。

「そうよ!!

アンタの他に誰がいんのよっ?!!」

 

アスカ、そろそろご立腹?!

 

「お、お、おりません!!

おりませんです、はい!!」

「は・や・く・し・な・さ・い!!」

「ひゃ、ひゃい!!」

 

シンジは、文字通り恐る恐るアスカの背中に手を伸ばす。

正確には、アスカの背中にではなく、アスカのワンピースの背中のボタンに、である。

 

彼は自身の腕を視界に捉えた。

その、見慣れたはずの己の両の腕は、小刻みにプルプルと振るえているではないか。

 

……お、お、落ち着け!!!

……落ち着け、シンジぃ!!!

……落ち着くんだぁ!!!

自らにそう言って聞かせるシンジであるが、その腕はまるで他人の所有物であるかのごとく、彼の

意思を無視し続けるのであった。

 

彼の振るえる腕が、アスカのワンピースの一番下のボタンに触れる。

 

……落ち着けーーーーーぇっ!!

 

彼の心の中の絶叫は、果たして何者かの耳に届くや否や。

 

「と、と、とめ、留めさせて頂きます!!!」

 

おいおい…。

 

「ぐちゃぐちゃ言ってないで、テキパキ、テキパキと!!」

アスカは前を向いたまま、そうシンジを急かす。

 

「ひゃ、ひゃい!!」

答えてシンジは、真っ赤な顔をして、一番下のボタンを留める。

 

「このワンピースもさあ、日本へ持ってきたのはいいけど、着る機会が全然なくってさぁ…。」

問わず語りに話し始めるアスカ。

 

「模様がちょっと大き過ぎるくらいの花柄じゃん。

私の場合、細身の身体にはアンバランスなのよね。

リゾートで着るんだったらまだしも、普段着にはできないわよね、これって。」

「そ、そ、そうなの?」

そうなのもないもんだ。

シンジはたった今アスカに言われるまで、このワンピースが花柄であることにすら気付かなかった

のだ。

他のものに目を奪われていたがために…。

 

「アンタ?

こんなひらひらしたモンを着て、このアタシにウチの中ウロウロしてもらいたいわけぇ?

そういうのが、アンタの趣味ぃ?」

「しゅ、しゅ、しゅ…。」

湯気立てているわけではなかろう。

 

「しゅ、趣味って…ぼ、僕は何も……。」

「はいはい…。

アンタには女の子の服なんて、ぜーーんぜん、分かんないもんね!」

「………それは…そうだけど…。」

そう言いながら、下から二つ目のボタンをはめるシンジ。

 

「そうだけど…?

だけど、何よ?」

アスカは依然として前を向いたまま、シンジに尋ねる。

 

「いや…。

何でもない…。」

シンジ、まるで言葉を呑み込むような風情で一言。

おぼつかない手つきながらなんとか二つ目のボタンをはめ終えたシンジは、三つ目のボタンに手を

やろうとして、はたとその動きを止める。

 

「ん?どうしたのよ?

早くしてよ?!」

アスカの声に、シンジは答えた。

「その…ア、アスカ……。

髪が…ジャマで……その…。」

「ああ、そうか。」

アスカはあっさりとそう返事すると、両手で首のあたりからその自慢の髪を無造作に引っ掴むと、

くいっと引っ張って己の胸の方に持って行った。

 

自然、彼女の背中を覆い隠す物は何もなくなる。

と、同時にシンジの目に飛び込むアスカの白いうなじ。

 

……ぐ、ぐああ!!

……あ、アスカのうなじを見るなんて!!

……こ、これが初めてだぁ!!!

 

ホント、今夜は眠れるかい、シンジ君…?

 

「これなら留めやすいでしょ?」

アスカに促され、自らの務めを思い出すシンジであった。

彼は三つ目のボタンに手を伸ばすべく視線を落とし…。

そして。

 

……ぶ、ブラの紐がぁっ!!

 

髪の毛がなくなったら、そうなるな、確かに。

 

「…早くしなさいよ…。」

更に促すアスカ。

 

「ひゃ、ひゃい!!」

ご返事だけは大変よろしい。

 

ますます震える手でボタンを手にするシンジ。

しかし、あまりに緊張し過ぎたためか、その手はほんの僅かだが目標をそれ、指先がアスカの背中

に少しだけだが触れてしまった。

 

「!!!」

シンジ、息止まる。

 

さすがにアスカもびくっと身体を震わせる。

だが。

 

「さ…さ…さ、さっさとしなさい!!

ほ、ほらほら!!」

こちらはあくまで強気と言うか何と言うか。

 

シンジは息を止めたまま三つ目のボタンをはめるのに成功するのであった。

 

……うわああっ!!!

……なんで!!

……なんで!!

……なんでこんなことになるんだぁ?!!!

 

彼の心の中の絶叫は、果たして何者かの耳に届くや否や。

 

届いた。

彼自身に。

 

……ん?!!

……んん?!!

……んんん?!!

……そ、そうだよ…。

……なんで?

……なんでこんなことに?!

……僕は、いったい何をしてるんだ?!

……っていうより…。

……アスカ…なんでこんなワンピースに着替えを?!!

 

結構冷静ではないか。

その疑問はもっともであろう。

 

シンジは四番目のボタンを留めながらアスカに問うた。

 

「あの…アスカ…?

こんな時間に着替えをして……どこか、出かけるの…?」

 

「えっ?

ううん、別に。」

いたって簡単な否定の返事。

 

「あ、そ…。

じゃ、じゃあ…なんで…着替えを…?」

五番目のボタンも無事にはめつつ、シンジが重ねて尋ねる。

「うん……。

それはぁ…。」

アスカは、さして気の無いような返事しか返そうとはしない。

「それは…?」

「さっきまで、暇で暇でしょうがなかったもんだからさ。

それで、ドイツから持って来てて、まだ全然袖を通していなかった服をさ…。

気分転換にちょっと着てみようかなーーって。」

 

シンジは六番目のボタンに手をやりつつ言う。

「はい?

暇で暇でしょうがなかった…から…?」

「そ。暇でしょうがなかったから。」

「た、確かにさっきまで、そこの机でぼーーーっとしてたみたいだったけど…。」

「こらぁ。誰が“ぼーーーっ”としてたのよ!!

アンタじゃあるまいし。」

そういうアスカの声は笑っていた。

ついついシンジの声も笑いを含んだものになる。

「ぼ、僕じゃあるまいしって…それはヒドイ…。」

「ふふん。第一、アタシがここで“ぼーーーっ”としてたのを、アンタ覗いてたわけ?」

「ち、違うよ!!

前を通りかかったら、襖が開いてたから、それで見えちゃったんじゃないか!

僕のせいにしないでよね!」

「そういう時は目ぇつぶって通りなさい!」

「無茶言わないでよ…。」

「だったら、首ひねって、反対側の壁を見て歩く!」

「だから、無茶言わないでよ…。」

「ふふふふふふふ…。」

「ははははははは…。」

 

シンジは六番目のボタンも留め終えると、一番上の、即ち最後のボタンに手を伸ばす。

 

「それとも何?

机に座ってるアタシより、着替え中のアタシを覗きたかったてか?」

アスカがからかうように言ったその一言は、しかしこの状況ではシンジにとっては少々刺激が

強すぎた。

 

「ええっ?!な、何言うんだよ!!」

正直に大声上げて反応してしまうシンジは、思わずボタンに伸ばした手までぴくつかせてしまい、

アスカの首筋に触れしまう。

 

「わ、わ、わ!!ご、ごめん!!!」

正直に大声上げて謝るシンジであった。

正直の上に“何とか”がつきそうである。

 

「もう!!いちいち謝ってんじゃないわよ!!

ホント、その性格はどうにもならないもんかしら?!!」

シンジに首に触れられた時、やはり思わず首を竦めたアスカだったが、シンジの陳謝の言葉に

対しては強気な言葉を繰り返す。

 

「う、うん…。」

肯定とも否定ともつかぬ言葉を発しながら、シンジは改めて一番上のボタンに指を触れる。

 

さて、ワンピースの一番上のボタンがどのようなものか、皆さんもご存知であろう。

他のボタンと違って、ホールがそこだけは固く縫ってあったりして、結構留めづらいのである。

 

少々てこずるシンジ。

だがアスカは髪を胸の前にたたんだまま、じっと待つ。

 

「でさ…。

暇だったから…。」

アスカは再び先ほどの話題に話を戻した。

 

「暇だったから…“ぼーーっ”としててもしょがないなあ、ってことで。

一人ファッションショーを始めたところよ。」

「ひ、一人ファッションショー?

それは、それは…。」

「こ、これ、シンジ。あんまり襟を引っ張らないの!!

首が苦しいわよ!!」

「あ、ごめん!!」

「もう…。

…で、手始めにコレを着てみたんだけど…背中のボタンが留めづらくって……。」

 

それで、今に至る、ということなのか…。

 

何とかかんとか、最後のボタンを留め終えたシンジが、アスカに向かって言った。

「まったく女の子って……いきなり何を始めるんだい……。」

 

彼女はそれまで手で抑えていた髪を解放し、一度頭を振ってそれらを自らの背中に広げる。

その様は。

まるで白鳥が優雅にその羽を広げるかのよう…。

 

その時シンジは、そう思った。

 

「ふふん…オトコには所詮理解し得ぬ世界よ!!」

そう言ってアスカは肩を少し上げたり下げたりしながら、ワンピースの着心地を確かめているよう

だった。

相変わらずシンジに背中を向けたまま。

 

 

やがて黙って立ち尽くしているシンジに、アスカの声がかかる。

 

「アリガト、シンジ。おかげで助かったわ。

もういいわよ?」

言われてシンジも我に返ったように答える。

「あ、ああ。そ、そうだった…。

じゃ、僕はもう…いいね?」

「うん。

脱ぐ時は何とか自分でボタン外すわ。」

「そう…。」

「こらこら。

何だ、その残念そうなご返事は?

もしかしてシンジ。ボタン留めるのを手伝うよりも、外す方を手伝いたかったとでも言うの?」

思いっきりからかうような口調でアスカがシンジに問う。

「ば、ば、ば、馬鹿なこと言わないでよ!!

だ、誰もそんなこと!!」

慌てまくりで否定するシンジ。

もしかしたらその頭には、アスカの背中のボタンを外す自分、という構図を思い描いてしまっていた

のかも知れない。

 

今夜は徹夜したまえ。

 

「じゃ、じゃあ、僕は…!」

そう言って足早に部屋を出て行こうとするシンジ。

そんな彼の後姿にアスカの声が届く。

「また何かあったら呼ぶわ。」

「えーーーーーっ?!!」

「嘘よ。」

「…………。」

 

シンジ、退出。

 

「あ、襖、閉めといてね。」

 

 

シンジが出ていった後、アスカはしばらくそこに立っていた。

立ったまま、相変わらず腰に手を当ててみたり、肩を動かしてみたり、袖を引っ張ってみたり、

伸ばしてみたり…。

ワンピースのフィット感を確かめるのに余念がないかのようであった。

 

そして、ゆっくりと大きな姿見の前に移動する。

 

薄い黄色地に大きな花柄のワンピースをまとった少女は、鏡に写る自分の姿を見つめた。

最初はただただ、じっと見つめているだけだったが、やがて少しずつその両腕を持ち上げ、顔の

あたりに持ってくる。

そしてその白い掌を、ほんのりとピンク色に染まった頬にあてがうようにし、己の顔を挟み込む。

 

「は…。」

思わず吐き出したのは、吐息かそれとも言の葉か。

 

「は…は…。」

別に、笑っているわけではない。

 

「は…は…は…。」

その声とともに、段々自分の頬の色も濃い赤色に変わっていくのが鏡を通してよく分かるアスカ。

 

「は…は…は…は…。」

まさか、笑っているわけではない。

 

「は…は…は…は…は…。」

そう言うアスカの肩がプルプルと震え出す。

だが、決して怒りのためというわけではないようだ。

 

「は…は……は、恥ずかしかったーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」

 

絶叫…。

 

気が動転して室内にかけ戻り、ベッドの上にぐったりと伏してしまったシンジの耳に届かなかった

のがこの際幸いであろう。

 

「きゃーーっ!!

きゃーーーーっ!!

きゃーーーーーーっ!!

は、は、恥ずかしかったーーーーっ!!!

アイツに、ぼ、ボタンを留めてもらうのが、こ、こんなに恥ずかしいとは思わなかったーーーーっ!!」

 

普通は思うぞ、普通は…。

 

もう、一人室内でジタバタするアスカであった。

 

その顔は、もともとが色白ゆえ、その赤さたるやおよそ人はここまで赤くなれるのかというくらいに

真っ赤に染まっている。

 

「うううっ!!

し、心臓が!!

心臓が、さ、裂けるーーーっ!!!

死ぬかと思ったーーーーーーーーっ!!!!」

 

大袈裟な表現ではない。

“死ぬほど恥ずかしい”というのは、れっきとした正しい日本語の使用例である。

アスカも学習しているのだ。

 

「は、はあ、はあ、はあ……。」

肩で息するアスカ。

 

しかし、それほどの思いをするなら、何故このようなことを?

 

「はああ…。

い、いくら…。

いくら暇だからって…。

いくら、いくら暇だからったって……。

こんな風にシンジをからかうもんじゃないわね……。

はああ…。

こっちの身がもたないわ……。」

 

暇って…そうだったのか…。

やはり人間、暇を持て余すとロクなことを考えないようだ。

 

「はあ…大体アタシ、一人ファッションショーなんて、趣味じゃないもん!!」

 

だろうね。

 

それにしても、である。

 

彼女の、暇つぶしのためのその行いが、純情な一人の少年をこの夜、完徹状態に追いこむで

あろうことを、彼女は気づいているのだろうか。

 

「……はああ…もう…。

今夜はアタシ……眠れそうにないわ!!!」

 

あら。

 

Fin


マナ:take-out7さん、100万ヒット記念ありがとうございます。それにしてもっ! (ーー#)

アスカ:はぁ、昨日の晩はよく眠れなかったわぁ。寝不足、寝不足。

マナ:あなたねぇ! 露骨にシンジを誘惑しないでよね! (ーー#)

アスカ:だって、暇だったんだもん。

マナ:暇になる度に誘惑されてたら、心臓に悪いわよっ! (▼▼#)

アスカ:アンタも女の子なら、スリルを味わってみたくなる気持ちわかるでしょ?

マナ:うーん、それはわかるけど・・・違うでしょっ! わたしはっ!

アスカ:もう、心臓バクバクなんだからぁ。暇になったら、スリルを味わってリフレッシュするのよっ!

マナ:そ、そうなの? って、そうじゃなくてぇっ・・・。

アスカ:暇な時、アンタもホラー映画とか見たくなることあるでしょ?

マナ:え? う、うん・・・。

アスカ:でしょでしょ。

マナ:そうねぇ。そういう時もあるわねぇ。

アスカ:夏に上映されてたPING見たぁ? 通信してたら突然PINGが応答しなくなるでしょ? 怖かったわぁ。

マナ:あれは、怖かったわねぇ。

アスカ:それじゃ、そういうことで、また怖いの見たら教えてね。

マナ:うん、わかった。

アスカ:じゃね。(ダッシュ!)

マナ:あれ?
作者"take-out7"様へのメール/小説の感想はこちら。
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感想は新たな作品を作り出す原動力です。1行の感想でも結構
ですので、ぜひとも作者の方に感想メールを送って下さい。

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