《全年齢版》 続お姉様と呼ばないで 2016年2月9日火曜日、ネルフ付属病院の調剤室。碇レイは独りここで怪しげな薬を調合していた。白衣を着て、帽子とマスクをした姿はなかなか様になっている。それもそのはず、今体を動かしているのはユイだ。人類補完計画の影響でレイの体にはレイとユイ、二人の魂が入っていた。 最後の手順を終えてユイは一息ついた。あとは抽出されるのを待つだけだ。明日の朝には出来ているだろう。ユイは器材に使用中の札をつけておくと、調剤室をあとにしたのだった。 次の日の朝、人類補完計画発動以降朝寝坊となったレイは、珍しく早起きをして学校に行く前に付属病院の調剤室により、怪しげな笑みを浮かべながら完成した無色透明の薬を小指の先ほどの小瓶に詰めると、それを持って学校へと向かった。 さて、お昼休み。お弁当を食べ終わるころになると葉山マリナが愛しいお姉様アスカのもとにやって来る。といっても近寄るとアスカが怒るので、教室の入り口から熱い視線を送るだけなのだが。昨年末のアスカのバースデーパーティーで思いっきりアスカを怒らせて以来、シンジのいないところで近寄るときつい罵声を浴びせられて追い払われるのだ。かといってシンジのいる時に近寄っても完全に無視されるし、あまりにラブラブな雰囲気に嫉妬に胸を焦がす事になる。 マリナが教室の入り口でアスカに熱い視線を送っていると、後ろからレイが近寄って来た。 「葉山さん」 マリナはビクッと震えるとレイの方を向いた。レイは何やら企んでいるような笑みを浮かべていた。 「あ、綾波先輩、な、何でしょうか?」 いろいろあって完全にレイに怯えているマリナ。ただでさえ怯えているのに今のレイは怪しい笑みを浮かべていて、恐ろしさにマリナはすくみ上がった。足が少し震えている。 レイは手に持っていた小さな白い紙袋をマリナに差し出した。 「これを使ってアスカをたらし込みなさい」 マリナは腰が引けながらもその紙袋を受け取り、中を覗き込む。中にはメモと今朝完成した例の薬の入った小瓶が入っていた。 「使い方は中に入っているメモに書いてあるから。それを使ったチョコレートを作ってアスカに贈りなさい。わかったわね」 そういうとレイは教室に戻っていった。マリナは呆然とレイが自分の席に戻るのを見送ると、我に帰って袋の中のメモを取り出して読んでみた。 「っ!」 その内容に驚いてマリナはレイの方を見た。レイは自分の席で本を開いている。 ありがとうございます、綾波先輩! 絶対にお姉様をモノにしてみせますっ!! マリナは予鈴が鳴るまで頬を上気させてアスカを見つめつづけたのだった。 2月11日は建国記念日でお休みである。今年はバレンタインデーは日曜日なので、乙女たちのXデーは明日の12日だ。したがって多くの乙女たちが今日チョコレートを用意する。マリナもその一人だった。 マリナは自分の部屋で昨日レイに貰った薬の使用説明書を読んでいた。 えーと、なになに? 『性的刺激を受けた時に女性器から分泌される液体(a)少々。絶頂時に分泌されるものがもっとも好ましい』 赤くなるマリナ。続きを読む。 『上記液体(a)を本薬に加え、よく攪拌した後任意の食品に添加する。あまり熱を加えると効果が低減するので注意』 ふーん、あとはそれを食べさせればいいのか。 『液体(a)を分泌した女性の体臭によって効果を発揮。効果は最大7日間持続。なお、対象が他の女性の液体(a)を摂取した場合は無効化される』 よし。じゃ、早速……。 マリナは服を全部脱いでからアスカの水着の写真を左手に持つと、ベッドに横になって右手を乙女の秘密の場所へと伸ばした。シーツを汚さないよう尻の下にはタオルを敷いてある。今日は家族は全員でかけているので邪魔される心配はない。 「お姉様ぁ……」 乙女の秘め事を終えるとマリナは、自分の液体(a)を数滴薬の小瓶に滴らした。落ち着くのを待ってから、小瓶に蓋をしてよく振り、薬を攪拌する。 薬が出来上がると今度はチョコレートを作る。裸にフリルのついた可愛いエプロンだけ着けてキッチンに立った。チョコレートを湯煎で溶かし、10cmほどのハートの型にいれてから薬を混ぜて冷ました。冷めて固まると型から抜き、チュッと口付けてから箱に入れて可愛いキャラクターの包装紙で奇麗にラッピング。メッセージカードを添えてリボンをかけると準備万端あとは渡すだけだ。自分からだとわかると食べてもらえないかもしれないので、メッセージカードには自分の名前は入れなかったし、メッセージもワープロで書いた。 マリナはアスカとのラブラブの未来を夢見ながら、チョコレートを大事そうにかばんに入れた。そして今度は体操着のアスカの写真を持つと、再びベッドに横になり乙女の秘め事を始めるのだった。 ところ変わってゲンドウの自宅。 「ふんふんふ〜ん♪」 キッチンでレイが鼻歌を歌いながら上機嫌でチョコレートを作っていた。作り方はユイが教えている。 《ねえ、レイ》 チョコレートを湯煎で溶かしている時にユイがレイに話し掛けた。ユイとレイは声を出さずに会話できる。 《なあに? 母さん》 《あの薬、どうしたの?》 《アスカに恋する女の子にあげちゃった》 《あら、そうなの? でもあの薬、男の人にしか効かないわよ?》 「え!?」 思わず声を上げるレイ。 《てっきりあなたが使うもんだと思って、レイにもやっと好きな男の子が出来たんだなって安心してたのに》 《それより男にしか効かないって本当?》 《ええ。あの薬は作った女性のフェロモンに食べた男性が過剰に反応するようにする薬だから》 《だったら私が使えばよかったぁ》 《あら、やっぱり気になる男の子がいるの?》 残念がるレイにユイは嬉しそうに言った。 《うん! 母さん、また作って!》 《いいけど、今からじゃ明日には間に合わないわよ?》 《それでもいいから!》 《はいはい。で、どんな男の子?》 《内緒》 えへへ、と可愛く笑うレイ。ユイは相田君かしら、と思うのだった。 2月12日金曜日、恋する乙女達のXデー。 いつもよりも少し早い時間にけたたましく鳴り出した目覚し時計を手をさまよわせながら止めるとアスカはベッドの上で猫のように伸びをした。 昨年退院したころはシンジのベッドで一緒に寝ていたのだが、ミサトに見つかって叱られたのとシンジの説得があって今では自分の部屋で寝ている。不満がないわけではないが、一緒に寝ることがシンジを苦しめることになると聞いて、しぶしぶアスカはあきらめたのだ。 寝間着も今ではアスカの補完世界で新妻アスカが着ていたような白いネグリジェに変えた。 以前のように煽情的な格好でシンジの前に出ることも少なくなった。特殊な環境で育ったためにかけていた羞恥心が補完によって適度に生まれていた。以前は代償を払わせるとはいえパンツを見せても平気だったのが、今では普通の女の子のように恥らって見せる。無論シンジ以外には制裁を加えるのだが。 アスカは髪にブラシを通すと、着替えを持ってバスルームに向かい、シャワーを浴びた。 アスカがシャワーを浴びているあいだに、シンジが起きてきて顔を洗って歯を磨いていった。 シャワーを終えると髪の毛をドライヤーで乾かす。髪型は、以前はインターフェースヘッドセットで止めていた髪の毛をそのまま真後ろまで引っ張って留めたあと、余った部分を三つ編みにしてたらした。 制服を身にまとうと鏡で最終チェック。くるりと回って問題がないことを確認するとバスルームを後にする。 「おはよ、シンジ」 「おはよう、今日は早いんだね」 ベーコンエッグを焼きながらシンジ。 「うん。ちょっと早めに家を出ようと思って」 「なんで? 日直じゃないよね」 「なんとなく。いやな予感がするの」 「ふーん。あ、ミサトさん起こしてきてよ。もうすぐご飯できるから」 「ほっとけばいいじゃない。あんないかず後家」 「そんなこといわないでさ」 シンジはアスカのほうを向くと女殺しの微笑を浮かべた。これをやられるとアスカは逆らえない。 「もう」 顔を赤らめながらも一応すねた振りをして、仕方無しにミサトの部屋に入る。 混沌の中を足場を選んでミサトに近づく。すさまじい寝相と寝顔といびきで百年の恋も冷めるといった感じのミサトのわき腹を、つま先で蹴っ飛ばしてやる。下手に近づいてせっかく整えた身だしなみを崩されるのは避けねばならない。 「んが?」 顔をしかめて目を開けるミサト。 「朝よ。おきなさい」 腰に手を当てた例のポーズでミサトを見下ろすアスカ。距離をとることを忘れない。 ミサトは起き上がって布団の上にあぐらをかくと、おなかをぼりぼりと掻いた。こうなっちゃ女もおしまいね、とアスカは思った。 「おあよ〜」 「おはよ。すぐご飯だからさっさと起きなさいよ」 「ん」 アスカはミサトが動き出す前に部屋を後にする。下手に絡まれて服やら髪やらぐしゃぐしゃにされてはかなわない。 アスカがダイニングに戻るとちょうど朝食ができていた。席につくとミサトがフラフラと部屋から出てきて洗面所に向かった。 三人そろうと手を合わせて食べ始める。補完以降、ミサトは朝っぱらからビールを飲むようなことはなくなった。どこかアルコールに依存していた心が補完されたためだろう。 食事を終えるとアスカは片付けをミサトに押し付け、シンジをせかして学校に向かう。 「いってきます」 「いってきます」 「あ、シンちゃん、これ持ってったほうがいいわよ」 靴をはき終えて家を出ようとしたところにミサトが大きな紙の手提げ袋を持ってきた。 「何でですか?」 「バレンタインデー、日曜日だからチョコレートは今日渡してくるんじゃない?」 「はは、こんなに貰えませんよ。それに受け取るつもりもないですし」 そういってシンジはアスカを見た。アスカは少しほほを染めてシンジを見つめ返す。 「シンジ君、女の子がバレンタインデーに男の子にチョコレートを贈るのにはとても勇気がいるの。だから気持ちを受け入れるかどうかはともかくとして、チョコレートだけは受け取ってあげたほうがいいんじゃないかしら」 「なにもっともらしいことをいってんのよ。ミサトがチョコ食べたいだけじゃないの」 「ばれたか」 ぺろっと子供っぽく舌を出すミサト。 「ま、一応持ってって。期待してるからねん」 そういってミサトは紙袋をシンジに押し付けると二人を送り出したのだった。 アスカはシンジと腕を組んで学校に向かう。シンジの背がアスカより伸びたので並んでいてもおさまりがいい。 学校までの道のりの半分ほどに差し掛かったところで、一人の女の子がシンジに向かってきた。艶やかな黒髪をセミロングにした、ふち無しのめがねをかけた日本人形のようなきれいな娘だ。第弐中学の制服を着ている。 「これ、受け取ってください」 女の子は緑色の包装紙できれいにラッピングされた箱を両手で差し出した。 「ぼく?」 シンジは自分を指差して問い掛ける。 「はい。碇シンジ君に受け取ってもらいたいんです」 「僕、付き合ってる人がいるから、受け取れません。ごめんなさい」 「それでもかまいません。お願いですから受け取ってください」 シンジはアスカを見た。アスカは少し考えてからうなずいた。 「わかりました。いただきます」 緑の箱を受け取るシンジ。 「ありがとう。握手してください」 女の子はシンジの右手を両手でつかんで握手すると、去っていった。箱についていたカードの差出人の欄には篠原サユリと書いてあった。 こんなことが学校に着くまでに3度ほどあった。一応全員一度は断ったのだが、みんな受け取るだけでいいから受け取ってくれとチョコを渡していった。握手も二度ほど求められた。 学校の門が見えるところまでくると、門のところに女の子の人だかりができていた。いろいろあって遅れたが、それでもいつもよりは少し早い時間だ。 人だかりを構成する女の子の一人がシンジに気づいた。シンジを目指して走ってくる。他の女の子達もそれに気づき、人だかりはシンジに向かって押し寄せた。 「碇君、これ受け取って!」 「シンジ君、これ!」 「碇さん、私の気持ちです!」 などなど口々に叫びながらシンジに向かってチョコと思われる包みを差し出す。 「ちょ、ちょっと待って、うわっ!」 人の波は左腕にすがり付いているアスカごとシンジを飲み込んでもみくちゃにした。アスカは引き離されそうになるのを必死にこらえた。堪忍袋の圧力が高まっていく。 補完されておとなしくなったとはいえ、アスカはアスカだ。堪忍袋の緒はそれほど丈夫ではない。10秒ももみくちゃにされると切れた。 「うるさーい!! あんた達、あたしの彼氏にチョコを渡したいんだったら並びなさい!!」 アスカの一喝に女の子達は一瞬固まると、顔を見合わせてから一列に並んだ。近隣の中学高校、そして私服の小学生や大学生もしくは社会人と思われる女性達総勢56人。 アスカのしきりにしたがって順番にチョコを受け取って握手をするシンジ。もう断る気力はない。 最後の一人と握手が終わったのは予鈴がなる直前だった。 昇降口にたどり着いて下駄箱を開けると、目いっぱいチョコの箱が詰まっていた。辟易としながらミサトにもらった紙袋に入れていく。 アスカの下駄箱にも3個、チョコレートの箱が入っていた。ラブレターの類も入っていたがごみ箱に直行させる。 教室に入ると、またしてもクラスメートの女の子達がシンジを取り囲んでチョコを渡していく。シンジの机の上には一抱えもあるダンボールの箱がおいてあって、そこにほぼいっぱいにチョコレートが入っていた。 「おはようさん」 「よ、おはよう」 「おはよう、トウジ、ケンスケ」 「ごっついことになっとるのぉ」 「一体どうしてこんなことになったんだか」 シンジは疲れきった声を出した。 「それはおまえ、あれだよ。人類補完計画とか何とか言うやつ」 人類補完計画はその発動により、すべての人の知るところとなっていた。 「あれでおまえのことを見た人がかなりいたんだよ。『透明な微笑を浮かべる謎の少年』ってことでインターネットでも話題になってたんだが、うちの学校の生徒の誰かがそれをおまえじゃないかって写真付きでどこかに書き込んだらしくてさ。マスコミはネルフが押さえてるから動いてないけど、ネットじゃおまえアイドルだぜ。その上ネルフ関係者の多いこの辺じゃおまえは人類を救った英雄だからな」 「知らなかった」 「おかげさんで、ほれ、ワイもおこぼれにあずかっとる」 トウジは自分の机を指差した。十個ほどのチョコレートがつんである。机の中に入りきれなかったものらしい。 「ケンスケは?」 「良くぞ聞いてくれた!」 ケンスケはピンクの可愛らしいハート型の箱を見せた。 「わあ、もらえたんだ。誰にもらったの?」 トウジが苦虫を噛み潰したような顔をしている。 「ナツミちゃん。兄に対する義理であるところのトウジのやつと違って手作りだぜ! 生きててよかったぁ!」 「けっ、あほか」 妹思いのトウジとしては面白くないらしい。まだ小学4年生のナツミにとって、兄の親友でよく遊びにくるケンスケは憧れのお兄さんなのかもしれない。 「あとは義理でもいいから委員長と惣流と綾波にもらえれば完璧なんだけどなぁ」 アスカの席でおしゃべりをしている三人に向かって聞こえるように言うケンスケ。 「あんた、バカぁ? 何であたしが義理とはいえあんたに……。ま、いいわ。これ、下駄箱に入ってたんだけど、気味悪いからくれてあげる」 アスカは下駄箱に入っていた怪しい3個のチョコをケンスケに渡した。 「おお、さんきゅ!」 喜々として受け取るケンスケ。 「シンジにはこれ。手作りじゃないけど、もちろん本命よ」 「ありがとう、アスカ」 アスカはゴディバの赤い包装紙に包まれた小箱をシンジに渡す。見つめあって二人の世界に入ってしまうアスカとシンジ。 レイがシンジの耳を引っ張ってこっちの世界に引き戻した。 「はい、お兄ちゃん。本命だから誰かさんと違ってちゃんと手作りだよ」 さりげなくアスカにけんかを売るレイ。アスカは余裕で鼻で笑ってあしらう。 「ありがとう」 ヒカリもトウジに大きいのを、シンジとケンスケに小さいのを渡した。 そうこうしているうちに朝のホームルームとなったのだった。 昼休み、シンジ達三馬鹿は屋上で弁当を広げていた。普段は教室でアスカたち三美少女と食べているのだが、悪巧みするときはこうして屋上にやってくる。 「この三個のチョコレートだが」 ケンスケがめがねを光らせながら不気味に切り出した。 「惣流宛てということから、まず第一にシンジのファンの女の子からの嫌がらせという可能性が考えられる。次に惣流のことを純粋に好きな女の子からのプレゼント。男からならホワイトデーを選ぶだろうからな。そこでだ、一人一個ずつ人柱になろうじゃないか」 「やだよ。ケンスケがもらったんだからケンスケが全部食べればいいじゃないか」 「そやそや」 シンジもトウジも当分チョコレートには困らないほどもらっている。リスクを犯す理由がない。 「おまえら自分さえ幸せならいいのか!? 友達を見捨てて平気なのか!? 俺はいま猛烈に悲しいぞ!」 シンジとトウジは顔を見合わせてため息をついた。 「わかったよ。食べるよ」 「かなわんな、ほんま」 「よし、ジャンケンで選ぶ順番を決めよう」 三人でじゃんけんをする。シンジがびりでトウジが一番。 トウジは包装紙やカードを調べて、慎重に選んだ。トウジが選んだのは差出人の名前の書いてあるもので小さいほうだった。 ケンスケは差出人の名前の書いてあるものの大きいほうを選んだ。 シンジにまわってきたのは差出人の名前のない、あからさまに怪しいのだった。 「それじゃ、せーので食うぞ。せーの」 チョコレートをかじる三人。しばらく咀嚼する。 「ぐえっ!」 ケンスケがチョコレートを吐き出した。 「なんだこれ、かっらー! ひー!」 水を求めて屋上から飛び出すケンスケ。ケンスケのかじったチョコレートの断面を見ると、真っ赤なものが詰まっていた。 「これ、唐辛子みたい。トウジのは大丈夫?」 「ああ、わいのは普通のチョコや。シンジのは大丈夫なん?」 「うん。普通のチョコレートみたい」 「はずれをひいたんはケンスケだけか。ま、自業自得やな」 二人はチョコレートを食べ終えると教室に戻るのだった。 放課後。 「シンジ、帰ろ♪」 「うん」 シンジの左腕に絡み付いて教室を出るアスカ。そこに葉山マリナが現れた。 「アスカ先輩」 マリナを無視して通り過ぎるアスカ。アスカの瞳にはシンジしか映っていない。 マリナはアスカを追い越して前に出る。 「アスカ先輩!」 そのときシンジが立ち止まった。 「シンジ?」 アスカがシンジの顔を見ると、シンジはどこかうつろな顔をしていた。瞳に意思の光がない。ふらふらとマリナのほうに歩いていく。 「……好きだ、葉山さん。君が欲しい」 そっとマリナを抱きしめるシンジ。 「シ、シンジ!?」 「いやぁ!! 変態すけこまし〜!!」 マリナはシンジに痛烈な右フック。アスカは顔色を失って茫然自失状態。 倒れこんだシンジはマリナにすがりつく。 「葉山さん、好きだ!」 「きゃあ〜!!」 足元にすがり付いてくるシンジを蹴り飛ばすとマリナは悲鳴を上げて逃げ出した。 「葉山さぁん!」 走り去るマリナに手を伸ばすシンジ。蹴りのダメージが抜けるとふらふらと立ち上がり、おぼつかない足取りで走ってマリナの後を追う。 アスカはあまりのことに足が震えて動けない。 「シンジ……」 「あらあら、困ったことになったわね」 周りの人間が唖然としている中、のほほんとした調子でレイが言った。 目にあふれんばかりの涙をためてアスカはレイを見た。 「あのねアスカちゃん。シンジがああなったのはほれ薬のせいなの」 「あんたのせいね!? あんたのせいでシンジがっ!!」 激昂してアスカはレイの首をしめた。本気で殺すつもりだった。 「お、落ち着いて、アスカちゃん! 元に戻す方法、あるから!」 「言え! 言わないと殺す!」 「ぐ、ぐるじ……」 赤黒くなるレイの顔。 「アスカ、落ち着いて! 綾波さん、死んじゃう!」 ヒカリとクラスメートがアスカの手を4人がかりで何とか放させるとレイは苦しそうに咳き込んだ。 「シンジ、シンジ、ううっ、うわ〜ん!!」 その場にへたり込んで泣き出すアスカ。何とか復活したレイが座り込んでいるアスカをそっと抱きしめて耳元でささやく。 「ごめんなさいね。あたしもこんなことになるなんて思ってなかったから。でも大丈夫。ちゃんと元に戻す方法はあるから。だから泣き止んで、ね?」 「ぐすっ、おばさま?」 「そうよ、あたしはユイ。レイは隠れちゃったわ」 「シンジ、本当に元に戻るんですか?」 「ええ。だからそのためには追いかけて連れ戻さないと」 アスカは鼻をすすった。他の女を追いかけるシンジを見るのは辛い。でもこのまま元に戻らないのはもっといやだった。 こくりとうなずくアスカ。 ユイはアスカを抱くのを止めるとハンカチを渡した。 「顔を洗ってらっしゃい。美人が台無しよ。そのあいだにあの娘の住所を調べてくるから。名前は葉山なんていうの?」 「マリナ、です。1−B」 口に出すのも汚らわしいとはき捨てるように名前を言うアスカ。その瞳は怒りに燃え、ハンカチを握り締めている。 アスカはユイに引き上げられて立つと、背中を押されて顔を洗いに行った。 顔を洗って鏡を見つめる。 「許さない……」 ユイに借りたハンカチで顔を拭くとシンジと自分のかばんを持って昇降口で待つ。山のようなチョコレートはネルフの保安諜報部に家まで届けさせている。 しばらくしてユイがやってきた。 「さ、行きましょ」 ユイはマリナのうちに向かう道すがら、推測を交えながらことの経緯を説明した。レイに頼まれてほれ薬を作ったこと、レイはそれをマリナに渡したこと、マリナはそれを入れたチョコレートをアスカに贈ったであろうこと、アスカがケンスケに渡した三つのチョコレートのうちの一つがそれで、それをなぜかシンジが食べてしまったであろうこと。 「あの薬は学生時代に面白半分に開発したものなの。フェロモンて知ってる?」 「はい。交尾のために異性を引き寄せるときに出したりするんですよね」 「そんなところね。それで人間のフェロモンに着目してできたのがほれ薬なのよ。あの薬は特定の異性のフェロモンに過剰に反応させる成分と理性の働きを少し弱める成分からできてるの。そもそも恋愛感情というものの根底は生殖欲求だから、それをフェロモンで刺激してやってあたかもその相手に恋をしているかのような気分にさせて、でも人間の恋愛は生殖欲求以外の部分も多いから、理性を少し奪ってそれが恋ではないと判断できないようにしているわけ」 「どうしてそんな薬作ったんですか? 人の心を薬でどうこうするなんて間違ってると思います」 「そうね。若気の至りってところかしら。今回はレイに泣かれて仕方なく作ったんだけど、こんなことになるなんて。ごめんなさいね」 「それでどうやったら元に戻るんですか? 本当に元に戻るんですか?」 アスカは不安をにじませながら聞いた。 「ええ。あの薬は心まで変えさせることはできないから、今のうちなら効果が切れれば完全に元に戻るわ。効果は放っておいても一週間もすれば切れるの。ただ薬が効いているあいだにその感情を本当の恋だと思い込んでしまったらもうどうしようもないわね。だから元に戻すのは早いほうがいいわ。 まずはシンジを葉山さんから引き離すことね。葉山さんの体臭がなくなれば、一時間ほどで元に戻るんじゃないかしら。でも薬の効果がなくなったわけじゃないから、薬の効果を打ち消すにはある液体を飲ませなくっちゃならないの」 「その液体ってどこにあるんですか!?」 「アスカちゃん、エッチしたことある?」 「は?」 「エッチ。マスターベーションでもいいけど」 「そ、それがいったい何の関係が……?」 「性的刺激を受けたときに女性器から分泌される液体。これをなるべく空気に触れさせずに飲ませれば薬の効果を完全に打ち消せるわ」 「それってどういう……?」 「要するに、あそこから直接シンジに愛液を飲ませればいいわけ」 「そんな」 アスカは真っ赤になって立ち止まった。補完世界では夫婦だったから、何度もシンジにしてもらったことはあるが、羞恥心を身につけた今のアスカには恥ずかしすぎる。 「アスカちゃんができないのなら、あたしが責任を取って代わりにやるけど」 ユイが振り返ってアスカを待っている。 恥ずかしいのとシンジが他の女のあそこに顔をうずめるの。どちらがいやかなんて決まっている。 「……あたしがやります!」 アスカは決意を胸に歩き出した。 葉山家。両親は共働きで帰りが遅いし、上の兄は部活、下の兄はどこかに遊びに行ってしまってて家にはマリナ一人だ。 「葉山さん、好きだ! お願いだから顔を見せてよ!」 門の前でシンジが叫んでいる。二階の自室のベッドでマリナは制服のまま枕に顔をうずめ頭からタオルケットをかぶって耳をふさいだ。 「葉山さぁん!」 マリナは耐え切れなくなって玄関から顔を出した。 「うるさい! あんたなんか大っ嫌い! 近所迷惑だから帰ってよ!」 「葉山さん! こんなに君のことが好きなのにそんなこといわないでよ! 僕にできることならなんでもするから!」 「じゃあお姉さまと別れて! 未来永劫お姉さまの前に現れないで!」 「わかった。言われたとおりにするよ。だから、だから僕と付き合ってよ!」 「いやよ! 誰があんたみたいな変態すけこましと! あ、お姉さま……」 シンジの隣にアスカが立っていた。 「アスカ、君とは別れる。もう僕のことは忘れてよ」 アスカはシンジのほほを張り飛ばした。アスカの目には涙がたまっている。シンジに面と向かって別れ話を出されると、覚悟していたとはいえかなりこたえた。 ユイがシンジを当身で昏倒させた。意識を失ったシンジをひょいと肩に担ぐ。 「……あんた、絶対許さない」 うつむいたアスカがマリナに向かって地のそこから響くような恐ろしい声を出した。マリナはアスカの怒りにすくみあがった。全身ががたがたと震えている。 「お、お姉さま、わ、わたし……」 「もう二度とあたしの前に顔を出さないで。さもないと、殺す!」 眼光鋭くマリナをにらみつけるアスカ。もし視線で人が殺せるなら、マリナは死んでいたであろう。 「ひっ!」 顔色を失って玄関にへたり込むマリナ。そしてあんまりな初恋の結末に声をあげて泣き始める。マリナは下の兄が帰ってくるまでずっと泣きつづけたのだった。 シンジの部屋。シンジは保安諜報部の黒服に担がれて来て、ベッドに寝かされた。シャワーを浴びてノースリーブのレモンイエローのブラウスにプリーツの細かい白いミニスカートに着替えたアスカはベッドの横の床に座ってシンジの顔を見ている。ユイはキッチンで夕食の準備。 「う、うん……」 シンジが目を覚ました。頭を振る。 「僕はいったい……? アスカ?」 「大丈夫?」 アスカが優しくシンジの頭をなでる。 「なんか変な夢を見てたような……」 「どんな夢?」 「僕が葉山さんのことを好きになってアスカのことを振っちゃうんだ。僕はアスカのことが一番大切なはずなのに」 「夢じゃないわ」 「え?」 シンジは驚いてアスカの青い瞳を見つめた。 「シンジはあの女にほれ薬を飲まされたの。チョコレートに入っていたのよ」 「そうなんだ。じゃあ効き目が切れたんだね?」 「まだよ。あの女のそばに行くとまたあの女のことが好きになるわ」 「そんな」 シンジは不安そうな顔をした。アスカはシンジを安心させるよう微笑を浮かべた。 「大丈夫。解毒剤があるから」 「じゃあそれを早く飲ませてよ」 「ねえシンジ。女の子のあそこってエッチなことするとどうなるか知ってる?」 シンジは赤くなった。アスカも自分の顔が熱くなるのをかんじた。 「よ、よくは知らないけど……」 「女の子のあそこはエッチなことすると濡れるのよ。そしてその液体が解毒剤なの」 「ええ!?」 アスカは立ち上がると白いパンティを下ろした。 「ほ、ほんとなの?」 「そうよ。シンジになめてもらってもいいようにきれいにしたから……、優しくしてね」 アスカはシンジの目に手をやって閉じさせた。 「恥ずかしいから目をつぶってて」 「う、うん」 アスカはおずおずとシンジの頭にまたがるとあそこをシンジの口元に当てた。シンジの息がくすぐったい。シンジは解毒剤をもらうためにたどたどしくアスカのあそこに舌を這わせるのだった。 バレンタインデーの日曜日、シンジとアスカの二人は遅い朝食を食べていた。 「はい、あーん」 アスカがホットケーキの切れ端をシンジの口元に差し出す。 「あーん」 シンジが口を大きく開けるとアスカはその中にホットケーキを入れる。 「おいしい?」 アスカが小首をかしげながら聞くとシンジは咀嚼しながらうなずく。 シンジが飲み込むと今度はシンジがアスカに同じフォークを使って「あーん」とやる。たっぷりとかかっているメープルシロップよりも甘ったるい雰囲気が二人の周りに漂っていた。これでアスカがシンジのひざの上なら完璧だろうが、さすがに恥ずかしくてそこまではしない。二人ともうっすらとほほを染めているところが初々しい。 朝食を終えてもピンク色の空気はそのままだった。なぜかというと二人は長い口付けを交わしているから。 呼び鈴が鳴った。 それでも口付けを続ける二人。 もう一度鳴った。今度はしつこく繰り返しに。 仕方なくシンジはインターホンにでる。アスカはほほを桜色に染めて余韻に浸っていた。 「はい? あ、うん、ちょっと待って」 シンジが玄関をあけると水色のワンピースを纏ったレイが立っていた。 「おはよ、お兄ちゃん」 「おはよう、レイ」 「はい、これ」 レイは白いポシェットから小さな白い包みを出して差し出した。 「なに?」 「チョコレート。また作ったんだ」 えへへ、と可愛く笑うレイ。 「チョコレートなら金曜日にくれたじゃないか」 「やっぱり今日あげなきゃと思って。食べて食べて」 「う、うん。まあ、あがってよ」 レイを家に招きいれようとするシンジ。 「今食べて、すぐ食べて。アスカに見つからないうちに」 「え? う、うん」 シンジは言われるままに包みを開けてチョコレートを食べた。 「おいしい?」 「うん」 「やったぁ!」 可愛くガッツポーズをとるレイ。 「お茶入れるからあがってってよ」 「うん!」 レイは白いサンダルを脱ぐと元気よく葛城家にあがった。 レイの顔を見たとたん、アスカは一気に低気圧。 「あんた、何しにきたのよ?」 「妹が兄のところに遊びにくるのに理由が必要?」 「邪魔よ。さっさと帰って」 「ふえ〜ん、おにいちゃ〜ん、アスカがいじめる〜」 うそ泣きをしながらシンジに抱きつくレイ。 「こ、こら、ばかレイ! 離れなさいよ!」 力ずくでシンジからレイを引き剥がすアスカ。シンジはお茶の用意と朝食の後片付けをはじめた。 三人でお茶を飲んでいると、シンジの様子がおかしくなってきた。妙にレイのことを気にしている。 アスカはまさか、と思った。 「ねえシンジ」 「え、あ、な、なに、アスカ?」 「もしかして何かレイからもらったもの食べた?」 「え、う、うん、さっきチョコレートをもらって食べたけど」 「レ〜イ〜!!」 アスカがレイの首を思いっきりしめた。 「アスカ! 僕の綾波になにするんだ!?」 「もう、いやぁ!!!」 第三新東京市にアスカの絶叫がこだまするのだった。 おわり 追記。 今年シンジに贈られたチョコレートは大きなダンボール箱三つ分にもなった。学校でもらった分が一箱、ネルフ女子職員から一箱、全国からシンジ宛にネルフ本部に届いた分が一箱あまり。 アスカはシンジのいないところでマリナを見つけると、ひっぱたいて蹴倒して踏みつけて蹴りを入れるなどの暴行を繰り返し、マリナもさすがに諦めざるをえなかった。 新学期が訪れると、もともとそれなりに美形でボーイッシュだったマリナは新入生に人気で、夏休みが始まるころには新しい女の子の恋人を作ったのだった。その新入生の女の子は「逮捕しちゃうぞ」というアニメに出てくる佐賀沙織を幼くしたような可愛い娘だったらしい。 |