シンジとアスカは、片岡マイの元を訪れ、二人ソファーに並んで座っていた。 向かいのソファーにはマイが、少し緊張して座っている。 アスカは、助けになりたいのでいろいろ話を聞かせて欲しい、と言って、上がりこんだ。 そのため、マイは警察に事情聴取されている時と同じように緊張していた。 しかし、この二人は自分に疑いを持っていない、と確信しているマイは、その分いくらか安心していた。 「何から聞こうかしら」 アスカは腕組みをして少しうつむいた。すると、シンジが話を切り出した。 「君のお父さんの事、なにか話してくれないかな・・・・ちょっと話しづらいかもしれないけど」 「うん」 マイが頷いた。 「じゃあ、どうしてお父さんが殺されてしまったか、片岡さんはどう思ってる?」 「わかんないけど、実は、あの・・・・」 マイの言葉が途切れ途切れになった。少し動揺しているな、とシンジは思った。 「警察の人に言うのを忘れてたんだけど、お父さん、病気だったんだ」 「病気?」 アスカが聞いた。警察に言っていないという事なので、余計に興味をかき立てた。 「うん。病気っていっても、精神病なんだけど・・・・」 「精神病・・・・」 シンジが反復した。 「会社とか、他の人がいる所では全然普通なんだけど、私たちといる時にたまに・・・・おかしくなるの」 「どういう風になるの?」 アスカの声が真剣になった。 「人が変わっちゃうの。いつもはすごく優しいのに、急に怒ったり暴れたりするの。 たしか、碇君とアスカちゃんに初めて会ったときもそうだった」 シンジがその時の事を思い出した。 夕方頃、空が暗くなろうとしていた時間に、マイとすれ違った。 おそらくその時、マイの父がおかしくなっていたのだろう。 「あの時は、お父さんのこと見ていられなくて、外に飛び出しちゃったの。その後すぐに、 お姉ちゃんが迎えに来てくれたんだけどね」 「二重人格か・・・・」 アスカは考え事をする顔つきになった。 「そういえば、お姉さんは?」 シンジが思いついたように言った。 「お姉ちゃんは、買い物に行ったよ。もう帰ってくると思う」 マイは気がついて、飲み物を出そうと立ち上がった。 マイの姿が見えなくなると、アスカがシンジに小声で聞いた。 「ねえ、どう思う?」 「二重人格のこと?」 「そう」 「あのさ、僕ちょっと思いついたことがあるんだけど」 「なによ」 「もしかして・・・・」 シンジが言いかけたとき、マイがコップを3つのせたおぼんをもって戻ってきた。 「ごめんなさい。気がつかなくて」 コップをシンジとアスカの前に置きながらマイは言った。 シンジもアスカも、その声にハッとなった。やけに大人びた、さっきまでとは違う声がマイの口から出ていた。 「それで、どこまで話したかしら」 マイはソファーに座ると、その姿勢もさっきとは明らかに違って見えた。 シンジとアスカに緊張が走った。 アスカは、ついさっきマイから聞いたマイの父親の話を思い出した。 それを思い出しながら、アスカは核心を突くような質問をしてみた。 「あの、あなたは誰ですか?」 その発言にシンジが隣で驚いていた。シンジもそれが一番聞きたいことだった。 シンジがさっき言いかけた事は、もしかして片岡マイも二重人格なのではないかということである。 「マイはマイですわよ」 そういえば、この状態のマイは、自分の事を「マイ」と呼ぶことを二人は思い出した。 「どうなさったの? アスカさん」 マイがアスカの顔色をうかがった。アスカはマイの声に押され、何も言えずにいる。 そこで、シンジは、冷静に一つ質問をしてみた。 「片岡さんのお母さんの事、聞いてもいいかな」 「えっ」 マイの表情が少し変わった。しかし、いっしゅん見開かれた目はすぐに落ち着きを取り戻し、 一見優しそうな、それでいて不気味にも見える微笑みを浮かべた。 「マイの母親が、マイが小さい頃に亡くなった事は話しましたね」 マイの向かいに座っている二人が同時に頷いた。 「マイの母親は、今から12年前の夏に、首を吊って死んだの。自殺だったわ」 『自殺』という言葉に驚くシンジとアスカに対して、穏やかな表情のまま、マイは続けた。 「原因は、いくつかあるわ。マイの父親も原因となった一人ね。それからマイも・・・・」 マイは言葉をつまらせた。そこをすかさずアスカが聞いた。 「どうしてマイちゃんが原因なの? お父さんが原因と言うのも何故?」 「マイの父親が原因というのは、さっきも言ったように、二重人格の事よ。 マイの母親は、結婚するまでその事を知らなかった。だから、初めて父親が変わってしまった時はとてもビックリした。 突然、正確が豹変して、汚い言葉をたくさん吐いたり、乱暴したりした。 でも、元に戻ると、いつもの優しい笑顔がそこにあるの。そんな事が週に2,3度あって、 マイの母親はすっかりノイローゼになってしまった。マイの姉が生まれてからはそのペースが少し落ち着いたけど、 マイが生まれてからは以前よりさらにひどくなってしまって、ついに疲れ果てた母親は・・・・」 マイは一度ゆっくりとしたまばたきをして、ポツンと呟くように言った。 「自殺した」 まるで抑揚のない、冷たい声に、シンジは震え上がった。 アスカは真剣にマイを見つめている。 マイの話を聞きながら、アスカはさらに疑問を持った。 いま目の前にいるのは、マイの姿をしたマイの母親ではないか、ということだ。 シンジも少なからずそれを感じ取っていた。 どう聞いてもマイの母親の主観的な話にしか聞こえなかった。 もしかしたら、姉のユカか、父親から聞いたことを話しているのかもしれない。 しかし、そんな風には微塵も感じさせない喋り方だった。 自殺を選んでしまった母親を語る口調としては、あまりに淡々としすぎていた。 その疑問は次のマイの言葉によって確信に変わった。 「マイの母親は、紐に首をかけた瞬間、マイの姉であるユカの事だけを考えていたわ。 あの子だけは何の罪もない。あの子だけは幸せに育って欲しい。弱い母親でごめんなさい、って」 マイの目から涙がこぼれ落ちた。 シンジもアスカも、マイの話に夢中で、そのことにすぐ気が付かなかった。 こぼれた涙を拭こうともせずに、マイは続けた。 「私がもっと強い人間だったらあんな事にはならなかったはずなのに、と思いながら、 もっとも憎い相手の顔を思い出してしまい、怒りと哀しみの中、母親は死んでいった」 「あの」 ここまで話を聞いていて、質問したい事は山ほどあったが、 これは今すぐ聞いておきたいと思って、シンジが聞いた。 「もっとも憎い相手って・・・・」 「マイの父親の弟、片岡テツよ」 * * * 事件が起こってから一週間が経った。 警視庁内の喫茶店で、望月警部と中島刑事が事件を振り返っていた。 「しかし、俺にはいまいち理解できんなあ、二重人格ってのは」 室内温度は快適なはずなのに、少し汗を額にかいている望月警部は、アイスコーヒーを飲みながら言った。 「僕もです」 対照的に涼しい顔で中島刑事が言った。 「もしかしたら、狂言だってこともありえますからね。でも、精神鑑定で精神異常の結果が出ましたけど」 「ああ」 「でも、どうして本当の事を喋ろうとしたんでしょうね」 「片岡マイはやっぱり自分の子なんだと思ったんだろう。憎い相手の子供だとしても、産んだのは自分なんだからな」 「かわいそうな子ですね、片岡マイは」 「ああ・・・・」 望月はアイスコーヒーを一気に飲み干した。 「中島、行くぞ」 「えっ、どこにですか」 席を立ち上がった望月を見上げながら中島は言った。 「表彰式だよ」 「表彰式って・・・・誰の」 「例の警視総監の姪だよ」 「ああ、今日でしたっけ」 「いいから、早くしろ」 「はい」 見事に事件を解決へと導いたアスカとシンジは、警察から表彰される事になった。 アスカが警視総監の姪である事で、その警視総監直々に賞状が手渡された。 アスカは、「まあ、当然ね」という顔をしていたが、シンジはとても緊張していた。 その緊張ぶりを隣で見ていたアスカは、思わず笑みをこぼした。 小馬鹿にするような笑みではなく、優しく思いやるというような笑みだった。 * * * マイは衝撃の告白をシンジとアスカにしたあと、自首をしたいと言い、近くの警察署へ出頭した。 事件の真相はこうである。 マイの父、片岡マサル氏の事件は、実は殺害事件ではなかった。 マサル氏は、自分が二重人格者障害であることを知らなかった。 その事を知ったのはマイから聞かされた事による。 しかし、確かにそれはマイであったが、本当はマイの母親が全てを伝えたのだった。 マイの母親は生前、マサル氏に二重人格障害が起こっていることを隠していた。 マサル氏が自覚していなかった事もあったが、それよりも、気がついてしまって、 余計におかしくなってしまうのではないかと危惧したからである。 さらに、そのことはユカにも黙っておくように言ってあった。 後に、ユカは大粒の涙をこぼしながら、警察に事情を全て話した。 マサル氏は、自分が二重人格であるのを知るのと同時に、マイもそうであることを知り、大きなショックを受けた。 そして、マイの中にいるもう一人の人格というのが、マイの母親であったという事を知ると、さらに愕然とした。 自分が別の人格になっているときに、マイの母親に対して行った乱暴などを聞かされ、 自分のせいによって、マイの母親を自殺に追い込んでしまったということを知ってしまった。 マイの口から、マイの母親の言葉によって、その事がマサル氏に伝えられたのは、 マンションに引っ越してきたその日の事だった。 マサル氏のショックはあまりにも大きく、後悔と哀しみが津波のように押し寄せ、 何のためらいもなく自分を殺す事を決意させたのだ。 つまり、マサル氏は自殺だったのである。 例の13本の鉛筆は、マイが、正確にはマイの母親が後から付け加えたものだった。 マイがシンジたちと学校から帰ったとき、その時まではまだマイのがそこにいた。 しかし、あの部屋のドアを開けた瞬間、マイの母親に入れ替わった。それは無意識的なことだった。 マイの母親の目に飛び込んできたのは、首を吊ったマサル氏だった。 正直、マイの母親は驚いた。 しかし、すぐにあることがひらめいた。 これを殺人に見せかけて、マイを落とし入れようという作戦である。 そのために鉛筆が使われた。 なぜ鉛筆だったのか、というのは、片岡テツ氏の事件によって分かる事だった。 それよりも、なぜマイを落とし入れようと思ったのか。 それは片岡テツ氏、その人が一番の原因となっていた。 * * * 「マイの父親が二重人格だということに気付いてから、マイの母親は片岡テツに相談を持ちかけるようになったの。 テツは、当時マイたちが住んでいた日吉に住んでいて、まだ独身だったわ。 私が何度も相談するので、テツは思い違いして私に好意を持ったみたいなの。 ただ、それはほんのまやかしのようなものに過ぎないものだったのよ」 いつの間にか「マイの母親」から「私」に変わっていることにシンジとアスカは気がついた。 「そして、一度だけ、私は過ちを犯してしまった・・・・。いえ、むしろ犯されたと言った方が正しいわ。 テツは最初からそれが目的だったのよ。私は抵抗する間もなく、テツに弄ばれてしまった」 マイの姿をしたマイの母親は、思い出したくもない、という顔をした。 「そして・・・・マイが私のおなかに宿った」 シンジとアスカの思ったとおりの展開だったが、実際話を聞いているとつらい気持ちで一杯になった。 「テツは、私の妊娠を知ると、急に私を突き放した。それに、中絶を強要してきた。 私も、そうしたいと思っていたけど、おなかの中で元気に動き回るこの子を殺す事は出来なかったわ。 そして、結局、そのことを隠したまま、マイが産まれた」 マイの母親は自分の腹をさすりながら、話を続けた。 「初めは、自分の子供として愛そうとしたわ。マイはとてもいい子で・・・・本当にいい子よ。 でも、マイがいい子であるほど、余計にテツへの憎しみが募ったわ。 マサルに乱暴されても、それよりもテツの事が許せなかった。でも一番許せなかったのは、この私ね」 シンジはまっすぐ目の前の女性を見つめていたが、アスカはうつむいていた。 「自分への憎しみが、だんだん他に移っていったわ。 私は何も悪くない、悪いのはテツだ、マサルだ、マイだ、ってね。でも、私は自殺してしまった」 「・・・・どうして?」 うつむいたままのアスカが聞いた。 「勇気が無かったのよ。いえ、自殺する勇気はあったかもね。 でも人を殺す勇気は、そのとき持っていなかった。つらい事が重なって、私も疲れてしまったの。 ユカには本当に申し訳ないって思ったけど、もう私にはその道しか残ってなかった」 「なんでマイちゃんの中に出てくるようになったの?」 アスカはマイの母親の告白を聞くのがつらくなって、話題を変えようと言った。 「私にも分からないわ」 アスカが無意識にした質問だったが、いま、目の前にいるのはマイの母親である事が明らかになった。 「でも、マイの中に出てくるようになったのはごく最近よ。こちらに越してくる少し前。 たぶん・・・・そうよ、あれがきっかけだったんだわ」 マイの母親は何かを思い出した顔になった。 「私が家に一人でいたとき、つまり、マイが何か病気で学校を休んでいたとき、テツが突然現れた。 どこで知ったのかしらないけど、マイが学校を休んでいるのを知って、会いにきたのよ。 そうしたら、私の・・・・何ていうのかしら、怨念みたいなものがマイに乗り移ったように、 急に『私』という人格が出てきたのよ。たぶん、私が死んでから、ずっとマイの中に私はいたのかもしれない」 「まさか、その時テツさんを・・・・?」 うつむいていたアスカが、ふと顔を上げて聞いた。 「そうよ」 マイの母親は冷たい声で言った。 「久しぶりに目にしたアイツを見て、急に憎悪が湧いてきたわ。 もう、衝動的に殺してしまった。鉛筆で・・・・」 「どうして鉛筆を使ったの?」 アスカがおそるおそる聞いた。 「実は、鉛筆を使ったのは殺した後なのよ」 「えっ、じゃあ、何で・・・・」 「私はマイの中に出てきたとき、復讐心が沸いてきて、私を自殺に追いやった者全てを殺そうと考えたの。 だから、同一犯だってことを示すための目印だったのよ。マイを陥れるためでもあったわ」 「マイちゃんを陥れるって・・・・」 「この子にテツの血が流れてるかと思ったら、急に激しい憎しみが湧いたのよ。 表面上は何の罪もないけど、ダメ・・・・押さえられなかった」 マイの母親は、その時の場景を思い出した。 そこは玄関だった。 靴があまり整頓されていないせまい玄関は、おびただしい血で染められていた。 そこ横たわる男。 腹部に出刃包丁を深々と突き刺され、大量の血が流れていた。 ついさっきまでわずかに息があったが、今はもう静かにその場に「ある」という表現が正しかった。 片岡マイは返り血を浴びて、顔が真っ赤になっていた。 しかし、その目は冷静に光景をとらえていた。 少しの間、その目はまったく動くことなく死体を見つめていたが、 急に何かを思い立って、マイとユカ兼用の部屋に向かった。 マイの机の引き出しに、鉛筆が1ダース分入った箱があった。 片岡マイは鉛筆をおもむろに箱から全て出すと、鉛筆削りで尖らせてから、玄関に向かった。 片岡テツの腹部に突き刺さっている出刃包丁を抜くと、そこからまた血がふき出してきた。 そこへ、12本の鉛筆を1本1本憎しみを込めて刺していった。 すぐに回想から現実に戻ると、片岡マイの目から涙がこぼれていることに気がついた。 「ふ、ふふ、ふふふふ・・・・」 マイの母親は涙を隠そうとせずに、不気味な笑みを漏らした。 (あっ) そのささやくような笑みに、シンジはハッとなった。 (あのとき見た夢と同じ笑い方だ) シンジは一瞬にしてあの夢を全て思い出した。 (全てはあの恨みを晴らすため・・・・) ささやき声に続いて聞こえてきた言葉を、心の中で呟いてみた。 マイの母親は、本当は涙を隠そうと、笑ってごまかそうとしていた。 それはシンジにもアスカにもすぐに分かった。 「ふふ、ふふふふ・・・・」 もう、それは不気味なものではなく、哀しい嗚咽にしか聞こえなかった。 * * * 警視庁から歩いて帰っていたシンジとアスカは、もうすぐマンションという所まで来ていた。 表彰式の際には、得意げな顔をしていたアスカは、 その帰りの道の途中では、すっかり意気消沈していた。 それに気がついたシンジが声をかけた。 「アスカ、どうしたの?」 「・・・・・・・・」 アスカは黙ったままだった。 「ねえ、アスカぁ。どうしたの?」 アスカに比べ、シンジはいつもの様子だった。 「なにが表彰式よ。アタシ達何にもしてないのに」 アスカはぶつぶつ呟くように言った。 「マイちゃん・・・・のお母さんを警察に連れて行っただけなのよ。 アタシ達が推理する暇もなく全部喋られちゃったし、全然出る幕なかったじゃない」 「ああ、そういえばそうか」 「何が、そういえばそうか、よ。悔しくないの、アンタ」 「ゴメン」 「はあ・・・・もういいわよ」 すぐに謝ったシンジに呆れて、アスカはそっぽを向いた。 つづく (あとがき) どうも、うっでぃです。 つづく、としましたが、ここでこの話は終わりです。 一応エピローグなんぞを残しておこうと思い、つづくにしました。 エピローグは、ほとんど話と関係ない場面になってます。 これからまた別の話が始まるのかな、という風にしときます。 だから、もしかしたらそれを引き継いだ新しい話を作るかもしれません。 ところで、どうにも頭の悪そうな結末にしてしまいましたが、 実際、頭が悪いのでこういう流れにしか出来ませんでした。 ごめんなさい、と最後まで謝る形になって、重ね重ね申し訳ありません。 次は短編を書いてみようと思ってます。 その時はよろしくお願いします。 ではではまたまた。
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