■1 「えーっ、うそ泣きだったの?」 危うく2日連続で遅刻になりかけたシンジ、アスカ、レイの3人は、 どうにか教室に滑り込むと、アスカは真相をシンジに話した。 いまのは、それを聞いた彼のリアクションである。 「ごめんね、碇くん」 シンジの左隣の席からレイが謝る。 「悪気はなかったのよ。ただ、ちょっとからかってみたくなって」 「悪気ありまくりじゃない」 シンジをはさんで、アスカがツッコミを入れた。 「ま、こうして謝ってるんだから、許して。ね、アスカ、碇くん」 「反省の態度が全然見られないんだけど。ほら、シンジも何か言いなさいよ」 「・・・・・・綾波って、すごいんだね」 「ずるっ」 アスカが口から効果音を出してコケた。 「何をワケわかんないこと言ってんのよ、アンタ。レイの何がすごいのよ」 「だってさ、涙流してたのにあれがうそ泣きだなんて、すごいじゃないか」 ことの真相を聞いたとたん、シンジはレイへの気まずい思いを払拭し、 少しなれなれしく言った。 「褒めてないでさ、もっと何か怒りの言葉はないの?」 「いや、何だか怒るっていうよりも感心しちゃったなあ。ねえ綾波」 シンジはレイに呼びかけた。 「いまここで急に泣くことって出来る?」 「出来ないこともないけど、みんながいるからちょっと恥ずかしいな」 「あ、そうか。ゴメン」 「ううん。あとで・・・・・・帰ったら見してあげる」 「おおっ」 と、シンジの後ろから感嘆の声が上がった。 「『帰ったら見してあげる』・・・・・・なんてエロチックな響きなんや」 シンジが振り向くと、ニヤけた顔の鈴原トウジが身を乗り出していた。 「シンジー、お前、羨ましい目にあわされるみたいやな」 「どこがエロチックなんですか」 レイが冷たい目でトウジを睨んだ。 「は〜、まだワイに対してはよそよそしい言葉づかいなんやな。何だか寂しいわ」 「変態になれなれしくしたらつけ上がるだけですからね」 「ワイのどこが変態なんや。何べんも言わせんな」 トウジは机をバンと叩き、シンジがビックリした表情をした。 「それにお前、シンジも変態て言うてたやないかい。なのにずい分仲良うなっとるのう」 「あれは私の誤解で、碇くんはあなたと違ってとても真面目なんです」 「あらま、急にシンジの弁護し始めてもうたわ。相当気に入られたみたいやな、シンジ」 トウジは、シンジの肩をポンポンと叩いた。 「『暴力女』に加えて、『口先女』にまで好かれたら、もう地獄やな」 その言葉に、アスカとレイがムッとした瞬間、担任の葛城ミサトが教室に入ってきた。 すぐに学級委員・洞木ヒカリの号令がかかり、挨拶が交わされる。 「はーい、みんなおはよう」 薄い白のブラウスに、紺の超ミニスカートといういでたちのミサトは、 学校の教師としてふさわしいとは思えない、女性を主張した恰好である。 トウジやケンスケのような『ませた』生徒たちの間では、ミサトは非常に人気があり、 現にいま、トウジはシンジの後ろ頭に息がかかるほど「おおー」と言って喜んでいる。 シンジも、担任教師のおとなの雰囲気に少なからず胸をときめかせていた。 「さーて、ホームルームの前に、先取り情報としてお知らせしときます」 ミサトは、生徒たちを威圧でもするかのような、低い声で言った。 「1時限目はちょうど私の英語だけど、ちょっちテストをやろうかなと・・・・・・」 えーっ、という非難の声が教室中から上がった。 シンジたちの通うこの第壱中学校では、珍しく中間・期末等の試験がなく、 代わりに、それぞれの授業で、週一のペースで小テストを行っている。 特に、ミサトが担当する英語の授業では、小テストはいつも月曜に行われていたが、 今日は金曜日である。しかも4日前にもちゃんとテストをやっていたのだ。 「先生、それはどういうことですか」 一番前の席の女子生徒が訊ねた。 「ま、いわゆる抜き打ちテストってやつね。でも、みんな毎日勉強してるはずなんだから、 出来て当然の問題ばっかりよ。安心して」 「それは小テストなんですか」 別の女子生徒が訊いた。 「うーん、小テストというよりは、中テストかな。いつもより時間を割く予定よ」 「そんな殺生な、堪忍してーな、ミサトせんせえ」 と、トウジが情けない声を出すと、 「そうですよ。私なんか、昨日転校してきたばかりなんですよ」 と、レイも不満を述べ立てて、ふたりは顔を見合わせた。 だが、すぐにプイとそっぽを向く。 「そーよねえ、綾波さんはまだ勝手がわからないかもしれないわね、ごめんね」 と謝りながらも、結局ミサトはテストの決行を確定的なものとした。 落胆の表情を浮かべながらも、生徒たちはホームルームそっちのけで、 英語の教科書等を取り出し、気休め程度にしかならない事前の確かめをし始めた。 「ねえミサト、どの辺が出るの」 と、アスカがいわゆる『タメ口』で訊いた。 「ああ、範囲ね」 ミサトはアスカに親しげに話しかけられることに慣れているので、気にせずに言った。 「1学期にやったとこ全部、つったらヤバいかな」 またも生徒たちの悲鳴が上がった。 「夏休みまでまだ3週間もあるんですよ。そういうテストはもっとあとにしませんか」 男子生徒が懇願すると、 「いえ、いまじゃなきゃダメなのよ」 ミサトは真面目な表情で言った。 「どうしてですか、ってみんな訊くだろうから先に答えを言っちゃうけどね、 実は、とても自分本位な理由なんだけど・・・・・・」 ミサトは急に顔を赤く染め、言葉が尻込みした。 だが、教師とは常に堂々とした立場であるべきだと思っているミサトは、 クラスを見回しながらきっぱりと言い放った。 「私、結婚することになったの」 ■2 えーっ、という、今度は驚きを多分に含んだ声が教室中を駆け巡った。 「うっそー、ほんと? ミサト」 アスカがいち早く聞きとがめた。それに合わせるように生徒たちが静まった。 「ほんと」 ミサトは少し恥ずかしそうに答えた。 「で、相手は誰なのよ」 「それがね、大学の同級生で、いまはジャーナリストなんだ」 「へー、同級生かあ。カッコいいの、その人」 「そんなこと自分で言えるわけないでしょ」 ミサトは照れて手をパタパタと振った。 抜き打ちテストの知らせからミサトの結婚報告に話が切り替わり、 まるでホームルームの雰囲気ではなくなっていた。 「それで、カレの仕事の都合で、7月中頃しか休みが取れなくってね、 だからその時に結婚式とか新婚旅行とかの予定を組み込むしかなくて、 それで・・・・・・夏休みちょっち前に学校を辞めることにしたの」 ミサトは悲しげな表情で言った。 「えーっ、辞めちゃうの、ミサト」 アスカの声は、驚きと共に悲哀の色も含まれていた。 「どうしてよ。結婚しても教師を続けなさいよ」 「ほんとは私も続けたかったんだけどね、カレが秋からアメリカに行くことになってて、 私も一緒に行くことにしたから・・・・・・」 「日本まで離れちゃうの。何だか寂しくなるわね」 「アスカにそう言われるとうれしいわ」 ミサトは涙ぐんでいた。 アスカにとって、葛城ミサトは1年の頃からの担任で、 生徒と教師という関係以上に信頼を築いていた仲だった。 いつでも気さくな態度で接してくれるミサトが、アスカは好きだった。 そのアスカも、瞳がうるんでくるのを感じていた。 それをミサトに見られたくなくて、アスカはくちびるを噛みながらうつむいた。 「それで、実は来週の月曜日が最後の授業になるんだ」 もはや、生徒たちは声を上げようとしなかった。 驚きをグッと抑えて、ミサトの言葉に耳を傾けていた。 「最後の授業でテストをやるっていうのも味なもんかな、とか思ったんだけど、 どうせなら楽しい終わりにしたいから、今日に繰り上げさせてもらったの」 「ミサト先生、ワイ、頑張ります」 トウジが急に態度を改めた。 すると、周りの生徒たちもがぜんやる気を見せ始めた。 みんな、葛城ミサト先生が好きなのだ。 シンジももちろんミサトが好きだった。 だから、あえて英語の教科書等には手をつけず、ミサトの顔を眺めていた。 このクラスから、この学校から去ることに、泣くほど悲しむ先生の様子を見て、 シンジは、ミサトと生徒間のつながりがとても深かったのだと改めて感じた。 中学時代は、身体が一段とおとなになる時期だが、心の変化が著しくなる時分でもある。 おとなぶってみても、高校生ほど自己が確立していない。 いわゆる思春期とか反抗期とかいう、精神的にふらつきのある頃で、 特に中学生というものは集団性に富んでいる。 それゆえ、集団でのいじめが多発するのもこの中学時代に多い。 高校生ほど賢くもないので、歯止めが利かずにいき過ぎることがよくある。 それに比べてミサトの勤める第壱中学校の生徒は、見事なほどいい生徒ばかりだった。 確かに、不良と呼ばれてもいいような悪ガキは何人かいるにしても、 決して弱いものいじめをするような、仁義のない人間はいなかった。 ミサトの担任する2年A組は、彼女の気さくな性格が表れるような、 いい子ばかりの生徒たちである。 昨今の若い教師は、毎年毎年、同じ歳の子供たちが教育していくのを見るのに対し、 自分達は同じことの繰り返しで、まったく成長できない、と嘆く者が多い。 しかし、葛城ミサトは別の考えを持っていた。 確かに子供たちは成長し、自分たちは同じことの繰り返しをしているかもしれないが、 年齢は確実に増していく。その年齢と共に、教師としての尊厳も高まるはず。 そうすれば、聞こえは悪いが、生徒を支配することが出来ると考えていた。 もちろん、悪い意味合いはない。生徒たちを洗脳しようとかそういうつもりはない。 ただ、自分を高めたいとする気持ちの表れだった。 一度だけ、シンジはそういうミサトの思想を聞かされたことがあった。 教師として、とても真剣に考えている人なんだな、と尊敬の念を持った。 そんなミサトも、30を目前にして結婚の形で学校を去ることになった。 シンジは、色んな思いを抱きながら、ミサトの顔を見つめていた。 ふと、視線をミサトから外し、綾波レイのほうを見た。 彼女はまだ来たばかりだから、この状況をどう見ているのかな、と思いながら、 横目でチラッと見てみると・・・・・・ レイは泣いていた。 「あ・・・・・・」 シンジに見られているのに気がついて、レイはうつむいた。 そして指で目をこすってから言った。 「ちょっと感激しちゃった」 「えっ」 シンジは小声で聞き返した。 「だって、葛城先生、あんなにいい顔してる。よっぽどいいクラスなんだね」 「・・・・・・うん」 「いいなあ、もっと早くこの学校に転校して来ればよかったなあ」 「・・・・・・・・・」 レイの過去の話を聞いているだけに、シンジは返す言葉が見つからなかった。 「さーて」 突然、ミサトの明るい声が響いた。 「そんなに難しい問題じゃないから、みんな頑張ってねん」 と言って、ミサトは笑いながら教室を出て行った。 直後に、朝のホームルーム終了のチャイムが鳴った。 ■3 「は〜」 「は〜」 鈴原トウジと相田ケンスケは、シンジの机に伏して、重いため息をついた。 「あかんわ」 「おれも」 と交わしては、またため息をつく。 1時限目の英語が終了、つまりミサトの送る最後のテストが終了し、 いまは次の時間の間休みである。 「シンジ〜、お前はどうだった?」 うつろな目をしたケンスケが訊いた。 「そんなに難しくないって言ってたけど、そうでもなかったね」 「そうだろそうだろ、おれ、半分しか書けてないんだぜ」 「そんなの、ワイに比べたら全然マシや。ワイはもうダメや・・・・・・」 「トウジ、どのくらい出来たの」 気弱な声を出すトウジに、シンジは訊かなくてもいいことを訊いた。 「訊かんといてくれ。もう何だか泣けてきたわ」 「そんなにひどかったのか」 トウジのあまりの落ち込みように、ケンスケまで心配そうな表情を見せた。 「ひどいっちゅうか、情けないっちゅうか・・・・・・そう、ワイは自分が情けない」 「情けないとまで言うほどひどいのか?」 「いや、確かに試験は出来んかった。それは毎度のことだから当たり前のようなもんや。 それより、ミサトせんせえの最後の試験なのに、ほとんど白紙に近い答案出してしもた。 それが情けなくて情けなくて・・・・・・」 「えーっ、白紙?」 隣から、レイが驚きの声を上げた。 「それはひどいわね。変態は頭も変態だったんだ」 「・・・・・・もう、何とでも言っとくれ」 挑発的なレイの言葉にのることもなく、トウジはぼそっと呟いた。 「ま、トウジの気持ちも分かるよ」 ケンスケは、トウジの肩に腕を回していった。 「お前、ミサト先生のこと好きだったもんな」 「うん」 まるで子供のようにトウジはうなずいた。 「結婚するっていう知らせだけでショックなのに、学校まで辞めるって言うんだもんな」 「うん」 「お前、っていうか、おれたち1年の時もミサト先生が担任だったしな」 「うん」 「思い入れありまくりだよな」 「うん・・・・・・ケンスケ、さらに落ち込ませようとしてへんか?」 「してへんしてへん」 ケンスケは慌てて、トウジの言葉尻をそのまま使って否定した。 そのやりとりをなかば無視した形で、シンジはアスカのほうを向いて言った。 「ねえ、アスカはどうだった?」 「アタシは完璧。ばっちぐーってヤツよ」 アスカは自慢げにピースサインを作った。 「ばっちぐー、か。アスカは英語得意だもんね」 「シンジはどうなのよ。さっきは言葉を濁してたけど」 アスカが訊くと、シンジは自分の机に群がる友人2人を見やりながら、 身を乗り出してアスカに耳打ちした。 「実は、ぼくも結構出来たと思うんだ」 「なーんだ、シンジも出来たんだあ」 シンジがせっかく小声で言ったのに、アスカは周りに聞こえるように言った。 「なにィ」 「なんやて」 もちろんケンスケとトウジはそれを聞きとがめた。 「シンジ、どういうことや」 「お前、おれたちを裏切ったのか」 裏切るも何も、シンジは裏切り行為などしたつもりはない。 だが、彼らは追及の手をゆるめなかった。 「ワイは見損なったで、シンジ」 「お前もおれたちの仲間だったんじゃないのかよ」 確かに仲間は仲間だが、テストの出来不出来においては仲間関係を結んだ覚えはなかった。 シンジに言い訳の隙を与えない勢いで、トウジはまくし立てた。 「ほんとは出来とるくせに、そうやって出来んワイらを心の中で笑っとるんや。 シンジ、お前はいつからそんな陰険な男になってしまったんや。ワイは悲しいぞ」 トウジは目元を腕で隠して、おいおいと泣く真似をした。 それに代わって、ケンスケが吐き捨てるように言った。 「けっ。どうせ英語の出来る惣流に、日頃みっちり手取り足取り教えてもらってるんだろ」 「どーしてそこでアタシが出てくるのよ」 シンジを強引に横にどけて、アスカが身を乗り出した。 「そもそも、あんたたちがヴァカなのがいけないんでしょ」 声に力が入りすぎて、『バカ』が『ヴァカ』になってしまい、少しおかしな感じになった。 「それが何よ、そういう自分の頭の悪さも全部シンジのせいにするようにしてさ、 こっちとしてはいい迷惑なのよ。ほら、シンジも何かガツンと言ってやりなさいよ」 「やけにシンジをかばいよるな、惣流」 シンジが何か言おうとしたが、先にトウジが見透かしたような口調で言った。 「いま、『こっちとしてはいい迷惑』言うたよな。どうして惣流がからむんや」 「そ、それは」 アスカは一瞬だけ返答に窮したが、攻撃的な姿勢を保ちながら言った。 「こう近くでギャーギャー騒がれるのがいい迷惑だって言ってるのよ。 ま、人の迷惑考えたこともないようなうすらバカに言っても無駄ですけどねー」 「まーた言うたな、うすらバカて。このやろう」 トウジは拳でシンジの机を叩いた。 が、筆記用具が机に残っており、トウジの手はちょうど消しゴムの上に落ちた。 そのため、振り下ろした拳がバランスを崩し、変な形で机に打ちつけられた。 「あいたー!」 トウジは顔を歪めながら手をブンブン振った。 「ちっくしょう、よくもやりおったな」 「アタシは何もしてないわよ、うすのろまさん」 アスカは冷静な態度で対応した。 その脇で、ケンスケはシンジに謝っていた。 「シンジ、悪かったな。トウジのヤツを元気付けようとしてやったんだ」 「分かってたよ」 シンジはまったく気にしていない様子で、笑って答えた。 「なーんだ、そういうことだったんだ」 横からレイが口をはさんだ。 そして、3人はトウジとアスカの漫才のようなやりとりを面白そうに眺めた。 洞木ヒカリの仲裁で場が静まるのには、さして時間がかからなかった。 ■4 「今日も暑いなあ」 アスカは、手をひさしにしてかざしながら、天を仰いだ。 言ったそばから、全身にじっとりと汗を感じる。 昼休み。 生徒たちは、思いおもいの場所で昼食の弁当をとる。 アスカ、ヒカリ、レイの3人は、屋上の一画にいた。 ちょうど、屋上出入り口の校舎によって影が作られている場所である。 「さーて、お昼お昼っと」 屋上のフェンスから離れ、太陽の光が届かない所まで戻ってくると、 アスカは自分の弁当箱を開き始めた。 が、その動きを止めて、レイの弁当箱を覗いた。 「わあ、かわいー」 アスカは素直な感想を洩らした。 レイの小さめの弁当箱には、栄養を考えたおかずがこまごまと入っているが、 アスカが注目したのはご飯の部分である。 「すごーい、レイの顔になってる」 ヒカリも覗き込んで言った。 たいした大きさでない弁当箱の、およそ3分の1程度しか占めていないご飯の上に、 丁寧に海苔やそぼろや紅ショウガを使ってレイの顔が作ってある。 顔の周りには小さくハートがあしらってあり、乙女チックな雰囲気である。 「すごーい」 と、レイも感動していた。 「これ、自分で作ったの?」 アスカが訊いた。 「ううん。碇くんのお母さんが作ってくれたんだ」 「へー。じゃあ、シンジのもこういうかわいいお弁当なのかな」 「アスカ、碇くんのお弁当見たことないの」 「うん」 「でも、これは男の子にとってはちょっと恥ずかしいかもね」 と、ヒカリが言うと、3人はふふっと笑った。 レイの手元にある弁当は、ご飯の演出はもちろん、おかずの構成も見た目にキレイで、 どう見ても女の子用の造りがなされていた。 これと同じ内容の弁当がシンジの弁当箱から飛び出してきたとしたら、 どんなリアクションをするだろう、と面白がる3人だった。 * * * 「な・・・・・・何だこれは」 シンジは、机に広げた弁当箱を開けると、驚愕の表情を浮かべた。 そんな彼の様子に気がついて、トウジがいぶかしがりながら覗き込む。 「どうしたシンジ・・・・・・おおっ、こりゃまたえらい手の込んだ弁当やなー。 おい、ちょっと見てみい、ケンスケ」 「ん? 何だよトウジ、急に大声上げて・・・・・・何だこりゃあ。シンジ、すごいなこれは」 購買で買ったおにぎりをパクつきながら振り向いたケンスケも、目前の様子に驚いた。 彼ら3人は、昼食は自分たちの教室でとるようにしていた。 しかも、それぞれ自分の席に着いているため、はた目にはどこか奇妙な感じである。 3人とも黒板の方を向いているので、話す時はわざわざ身を動かさなければならないのだ。 だが、なぜかそのスタイルが彼らにとっては一番落ち着く形だった。 「どういうことだよ、母さん・・・・・・」 シンジは思わずぼやいた。 いつもなら、小さいふりかけが付いていて、それを白地のご飯にかけるはずが、 今日のご飯の上には自分の顔が乗っかっていたのだ。 それも、マンガタッチのかわいらしい碇シンジである。 おかずのほうもよく見ると、小さいハート型の赤いものが見える。 何だか分からずに口に運んでみると、甘いニンジンだった。 弁当箱だけ見ればまったくシンプルな容器だが、その中身は果てしなく女の子向けだった。 いや、女の子だってこんな弁当は遠慮するかもしれない―― シンジがそう思うほど、今日の弁当は奇抜極まりないものだった。 「こないな弁当、うちの妹でも作らへんだろうなあ」 トウジはなかば感心したように言った。 彼は、母親を早くに亡くし、父親と妹、そして祖父と住んでいる。 まだ小学生の妹は、小さいながらも非常に面倒見のいい性格で、 トウジの弁当を作ってくれている。その弁当はいま、彼の手元に広がっている。 「いいなー、おれはちょっと羨ましいな」 と言いながら、ケンスケは手に余ったおにぎりを口の中に放り込んだ。 彼もまた、幼い頃に母親を亡くしている。 家族は父親だけで、ケンスケの昼食はいつも購買で買ったものだった。 幼くして母を亡くすという共通点から、トウジとはすぐに打ち解けあい、 その付き合いは小学校から続いている。 「一度でいいから、かわいい女の子にこういうお弁当を作ってもらいたいよ」 「何言うとんのや、ケンスケ。これはレベルが違いすぎるで」 「まあ、確かにな。ところでシンジ」 ケンスケは急に真面目な顔をして言った。 「これはお前のお母さんに作ってもらったものだよな」 「そう、だけど」 シンジは弁当を見つめながら答えた。 「本当だろうな」 ケンスケは覗き込むようにシンジを見つめた。 「うん。確かに今朝、母さんから渡されたものだよ」 「でも、いつもはもっと普通の内容だったよな」 「そうなんだよ。こんな、ぼくの顔のお弁当なんて初めてだよ」 「どういうことなんやろな」 いままで黙っていたトウジが、後ろから疑問を呈した。 「いくらなんでも、男のために用意した弁当には見えへんで」 「あっ」 トウジが言ったそばから、シンジは気が付いたように小さく叫び声を洩らした。 「もしかしたら、綾波もこういうお弁当なのかも・・・・・・」 「あ、なるほど、分かったぞ」 ケンスケは右手の人差し指を突き立て、それを小刻みに振りながら言った。 「たぶん、シンジのお母さんは、女の子のために弁当を作るのが初めてだったから、 とことんかわいくしようとしたんじゃないか。シンジもそれにつき合わされたんだよ」 「ぼくもそんな気がしてきた」 シンジはため息をついた。 「次からは前のに戻してもらわなきゃ、恥ずかしくて食べられないよ」 「お、そうか。そんならワイがもらったろ」 と、トウジがシンジの弁当に箸を伸ばした。 「あー、ダメだよ」 シンジは咄嗟に、弁当箱を身体で覆うようにして守った。 「なんや、食べられへんちゅうのはうそかいな」 「今日はもうしょうがないからこれで我慢するんだよ」 「シンジ、我慢は身体によくないで」 そう言うと、トウジはまたシンジの弁当に手を伸ばそうとした。 「ダメダメ」 まるで自分を守るかのように、シンジは攻撃をガードした。 一見して、恥ずかしくなってしまう弁当だが、よくよく見るととても美味しそうなのだ。 ケンスケも内心、隙あらばと狙っていた所だった。 結局、シンジは終始、早弁でもしているかのような恰好を取らざるを得なかった。 食事を口に運び、噛み、飲み下してはため息、飲み下してはため息の連続だった。 美味しいだけに、余計気恥ずかしくなる一方だった。 特に、自分の顔に箸を入れる時のため息が一番重たく響いた。 * * * シンジたちが驚いていたのと同時刻―― 都心にある有名出版社の編集長席で、1人の男が動揺していた。 「母さん、これは・・・・・・」 彼の視線の先には、広げられた弁当箱があった。 2段になっている弁当箱は、1つはご飯、1つはおかずと分けられている。 問題はご飯のほうである。 何とそこには、碇ゲンドウの顔が、目も当てられないほどかわいらしく描かれてあるのだ! 無意識にグラスを外すと、碇ゲンドウはもう一度弁当をよく見た。 何ともにこやかで平和な表情の自分の顔がそこにある。 自分の顔を見て、ゲンドウは身震いした。 (いったいどういうつもりなんだ、ユイ・・・・・・) 心の中で呟く時は、妻を名前で呼んだ。 仕事柄、定刻に昼食をとれることが少ない彼は、普段は外で食事をする。 若い頃は、忙しくてロクに食えないこともあった。 だが今日は、妻が「たくさん作っちゃったから」と言って弁当を持たせた。 ついでとはいえ、愛妻弁当は初めてだったので、ゲンドウは胸躍らせながら箱を開いた。 その直後、彼は驚きで数分の間放心状態に陥ってしまった。 そして、いまようやく自分を取り戻した所である。 「さーて、飯食いに行こうかな」 近くで、若い男の声がした。 長い髪を後ろで縛り、あごの辺りには無精に生やした髭が見える。 どちらかというと、無精そのものというよりはスタイルを意識した感じで、 実際、口の周りの髭は剃られている。 目元口元が、彼の甘いマスクを引き立てるような艶やかさがあり、 背も高く、社内の女性にとても人気があった。 だが、最近彼が結婚することが噂になり、その熱もだんだん冷めやられている。 その男は辺りを見回したが、デスクには他に誰も人がいなかった。 だが、上司の編集長がまだ席にいるのを認めると、そちらに近づいた。 「編集長、一緒に昼飯行きませんか・・・・・・って、弁当ですか。いいなあ、愛妻弁当」 その声に、ゲンドウはハッとなって顔を上げた。 「あ、ああ、加持君か・・・・・・」 冷静沈着という言葉が世界一ふさわしいと言われる碇ゲンドウが動揺しているのを見て、 加持リョウジは目を白黒させた。そして、デスクの上にある弁当を見た。 明らかに「げっ」という顔をした。 加持の表情を見て、ゲンドウは咄嗟に――だが自然な感じで――弁当を隠した。 「悪いが、今日は弁当を持ってきたのでね」 「そうですか。じゃ、ひとりで行ってきます」 加持はそそくさと編集長から離れていった。 (見られたか・・・・・・まあいい) ゲンドウは気を取り直して、弁当と対峙した。 一瞬ひるんだが、意を決して箸をつけることにした。 見た目はともかく、味は抜群に美味しかった。 * * * 時を同じくして―― 碇ユイは、自宅のダイニングテーブルで昼食をとっていた。 「ふふっ」 テレビが昼のバラエティ番組を映していたが、彼女はそれに微笑んだのではない。 テーブルの上には、小さな弁当箱が乗っかっていた。 その中身は、家族に作ったものとほとんど同じものである。 違うのはご飯の部分だった。 「みんな驚いたかなあ」 と呟きながら、ユイは自分の顔が描かれたご飯に箸をつけた。 自分で作った弁当の味に満足し、ユイはまた微笑んだ。 ■5 「よーっしゃ帰るでー、ケンスケ」 「おう」 シンジたちとは帰る方向が逆のトウジとケンスケは、シンジに別れを言ってから、 一目散に教室を出て行った。 帰りのホームルームでのミサトの振る舞いが、あまりにもいつもと変わらなかったので、 彼女がもうすぐ去ってしまうことをトウジたちが忘れてしまうほどだった。 「碇くん、アスカ、帰ろう」 レイは、机の中のものを学校カバンに入れると、それを肩に担ぐようにして持ち上げた。 そのカバンが完全に閉まりきっていないのに、レイは気がついていない。 「うん」 レイの声に合わせて、アスカが返事をした。 返事と共に立ち上がり、帰る準備はすでに整っている。 シンジも一緒に立ち上がった。 席の配置的に、アスカを先頭にして教室を出る恰好になった。 そのあとにシンジ、レイと続く。 「そーいえば聞いてなかったんだけどさあ」 アスカが後ろを振り向かずに言った。 「レイは英語のテスト、どうだったの」 「私はバッチリだよ」 レイはアスカの後ろ頭を見ながら言った。 「お父さん――育てのお父さんが英語ペラペラだったから、私もちょっと得意なんだ」 「あー、そうか。それじゃあ、レイも英語話せるの?」 「ちょっとだけね。そんなに大したことは話せないけど」 「すごいなあ」 と、シンジが呟く。 「ぼくなんか、リスニングが苦手だから、英語を話すのなんて全然ムリだよ」 まったくたわいのないシンジの発言に、女子2人は「ふーん」と相槌を打つだけだった。 2階の廊下を通って階段に差し掛かった時、3人並んで歩いていた左端のレイに、 後ろから誰かがぶつかってきた。その衝撃で、レイのカバンが落ちた。 「キャッ」 軽い悲鳴を上げてカバンを落としたレイは、隣にいたシンジの腕につかまる形になった。 少し開いていたカバンが、落ちたショックで開き、中身がバーッと飛び出した。 「ご、ごめんなさい」 レイにぶつかった男子生徒は、急いで謝ると、廊下に広がったノート類を拾い始めた。 シンジも一緒に拾おうとしたが、男子の手つきが素早かったのと、 レイがなぜかくっついたまま離れないので、ただ見てるだけになった。 「ごめんなさい」 ノートや教科書をかき集め、カバンに入れ、しっかりと閉めてレイに渡すと、 男子生徒は再度謝りながら階段を駆け下りていった。 ぶつかってから彼が行ってしまうまでの時間があまりに早かったので、 3人は少しだけ呆然として、去ってゆく彼の後ろ姿を見ていた。 「・・・・・・ああ、ビックリしたあ」 アスカがレイよりも先に感想を洩らした。 「大丈夫? レイ」 彼女の言葉に反応して、レイは咄嗟にシンジから離れた。 「うん、大丈夫」 シンジに変に思われてないか確かめるような目で彼を見ながら、レイは答えた。 「よーし、帰ろう」 照れ隠しのように大きな声を上げて、レイは階段を駆け下りていった。 一歩遅れて、アスカとシンジも階下に向かっていった。 つづく
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