■1 「みなさん、おはようございまーす」 葛城ミサトの後任として、夏休みまでの短期補助で担任を務めることになった日向マコトは、 2年A組の生徒たちの前で、やけに張り切った声を上げた。 生徒たちが席に着く机やイスのガタガタした音が静まると、日向は一つ咳払いをして言った。 「昨日は単なる挨拶だけで終わらせてしまったので、今後のことを簡単にお話しておきます」 注目されるのには慣れていたが、仮にも担任として黒板前で喋るのは初めてだったので、 少し照れて、教卓に置いた出席簿を意味もなく見た。 と、その前に出席確認をしておこうと思って、「あ」と呟いた。 「まずは出席の確認が先ですね」 そして、いざ出席番号1番の生徒の名を読み上げようとした時、 「先生、先にお話のほうをお願いします」 と、意外にも学級委員の洞木ヒカリが話を促した。 「そうですか、では・・・・・・」 日向はそれに応じて、出席簿を広げたまま教卓に置いた。 「話といっても、別に長くなるような話ではありません」 そういう断りが逆に話を長くさせていることに気付かずに、日向は続けた。 「まず、葛城先生は昨日、一身上の都合により学校を辞職されました」 一身上の都合、という言い回しが、どこかマイナスイメージを持たせる感じがした。 もちろん生徒たちはミサトが結婚することを知っているので、今更何だという顔だが、 日向の言いかたは、どこか翳りを含んだニュアンスを持っているように聞こえた。 「そのため、夏休み前までの短い間だけですが、ぼくが臨時の担任を務めることになりました」 (昨日もそのセリフ聞いたわよ) 惣流アスカは、頬杖をつきながら軽くため息をついた。 (まったく、この先生は真面目クンだからなあ) 日向マコトは、まだ25歳という若い年齢の、国語を担当する教師である。 2年A組の副担任だったが、それは単なる飾りで、いつも何の出番もなかった。 職員室では一種、ミサトの小姓のような存在だったが、彼はそれをむしろ喜んでいた。 性格的にはいたって真面目で、かつ人懐こい所もあり、見た目も若々しく爽やかなので、 生徒の間では割り合い評判のよい教師である。 「それで、夏休みが明けてからなんですが・・・・・・」 日向は続けた。 「改めて、担任の先生を選出するそうです。ですから、引き続きぼくになるかもしれないし、 別の先生に替わることもあります。たぶん別の先生になるんでしょうけど・・・・・・」 声がすぼんでいくのと同時に、目も伏し目がちになった。 それに引き換え生徒たちは、誰が担任になるのだろう、という私語をささやき合っていた。 「ねえねえ、シンジ」 アスカは碇シンジの左腕をつつき、ささやきかけた。 「秋になったら、誰が担任になるんだろう」 「さあ」 シンジは首をひねった。 「アンタ、すぐ『さあ』って言うけど、それだとすぐに会話が終わっちゃうじゃないよ」 「ああ、ゴメン」 「『ゴメン』も好きよね、アンタ。謝れば済むと思ってるその性格、どうにかしなさいよ」 「分かったよ、ゴメン」 「・・・・・・・・・」 「誰か、担任してへんセンセっておったかいな。なあ、シンジ」 呆れるアスカを横目に、鈴原トウジが呟いた。 「うーん・・・・・・いたかなあ」 シンジがまた首をひねると、アスカが「そういえば」と口を開いた。 「あの女、確か今年は担任やってないわよ。赤木リツコ」 「うわ、そらまずいわ」 トウジは苦虫を噛み潰したような顔をした。 「あのセンセはあかん。マコっちゃんのほうが全然ええわ」 『マコっちゃん』とは、トウジが呼ぶ日向の愛称である。 日向が、学生時代のあだ名が『マコっちゃん』だったと言うので、 初めのうちはその呼び名を使う生徒もいたが、それもいまではトウジだけである。 「アタシ、あの女嫌い」 アスカは、思い浮かべるのもイヤだという顔をした。 「あれって、絶対に自分がキレイだと思ってんのよ、あの女」 「ワイもそう思うわ。ミサトせんせえみたいな自然な感じの女っぽさやなしに、 あのセンセはもろ女を意識しとる。生徒に対して送る視線とはちゃうでー、ありゃ」 「そうそう。しかも男子に対してだけなのよね、誘惑的な目をするのは。 でも女の子に対しては全然冷たくて、扱いもすっごく邪険な感じでさあ、 アタシなんかこの前、挨拶の仕方でメチャクチャ注意されたのよ」 「どないな注意や。挨拶せえへんかったんか」 「したわよ。っていっても会釈するだけだったんだけどさ、それで充分でしょ普通なら。 でもあの女、先生に対してはちゃんと声に出して挨拶しろって何べんも何べんも言うのよ。 もう、うざったくてしょうがない。しかも香水がドギツイでしょ、あの女」 「ああ、5分近くにいられただけでめまい起こして倒れそうなくらいキツイわな」 「だから、気持ち悪いわ、ムカつくわ、うざったいわでもう・・・・・・最悪よ」 「そら最悪やわ」 ふたりは呟くと、フッと笑みを洩らした。 「あんたと意見が合うなんて、おかしなこともあるのね」 「ああ、ワイもビックリしたわ」 トウジとアスカは相手を睨みながらも、単なる笑みとも苦笑ともつかない笑みを表していた。 そんなふたりの様子を、アスカの後ろの席から、ヒカリがジッと見つめていた。 「・・・・・・そういうわけで、では、出席確認をとりたいと思います」 黒板前の日向は、ワイシャツの胸ポケットからボールペンを取り出した。 ■2 4時限目、体育―― 校庭では、さんさんと照る日の光を浴びながら、体操着を着た男子がバスケットをしている。 そのすぐ近くのプールサイドでは、スクール水着を着た女子が体育の授業を受けている。 男子たちの中には、羨ましそうな顔や、物欲しげでだらしない顔をしながら、 プールサイドの女子に目をやる者も数人いた。 体育教師は女子のほうにつきっきりのため、男子のほうは適当に遊んでいる様子だ。 プールは校舎の横に設置されていて、校庭は校舎の正面に広がっている。 校庭と校舎の境にあるコンクリートの段の上に、シンジたちは居座っていた。 「あ〜、何でワイらは暑い中、校庭で遊んでなあかんねん」 うだった顔のトウジがため息を洩らした。 白地のタオルを首に巻いて、ことあるごとに顔の汗を拭いている。 「それに比べてあれは何や」 トウジがプールのほうを見やるのと同時に、隣に座るシンジとケンスケもそちらを向いた。 「残念ながら、あの程度の身体じゃワイにとっちゃ目の保養にも何にもならへん。 じゃが、冷たい水にざぶんとつかって涼めるのは羨ましい。ほんま羨ましいわ」 「充分目の保養になるじゃないか。くそう、こっそりカメラ持ってくりゃよかったな」 ケンスケは舌打ちをしながら、プールサイドの女子に目を走らせた。 「どうも暑くておかしいな思たら、座ってる場所が悪いんとちゃうか」 トウジは、コンクリートを触ると、熱いものを触った時のように耳たぶに指を持っていった。 「あちちち、移動しよ。尻もよーけ熱くなっとるわ」 「ほんとだ」 シンジも、トウジが立ち上がるのに合わせてその場を離れた。 「それにしても暑いなあ」 プール脇の少しだけ離れた所までくると、トウジは、太陽の光に目を細めた。 「ますます女子たちが羨ましいわ。なあ、シンジ」 「・・・・・・・・・」 言葉が返ってこないので、トウジはシンジのほうを見やった。 シンジは、プールサイドのどこかを見つめているようだった。 「おっ、どうしたシンジ、いったい誰に見惚れとんのや」 「あ、いや、別に見てないよ」 シンジは咄嗟に目をそむけた。 「別に見てないよ、て、いま絶対誰か見とったやないか」 「見てないよ」 「うそつけ」 「見てないよ」 「うーん、誰やろなあ」 見てないよ、を繰り返すシンジを無視して、トウジは女子のほうに目をやった。 すると、すぐ近くにアスカの後ろ姿があった。 彼女の赤く長い髪が、濡れて輝きに満ちている。 まるで無駄のない肢体にきらめくような素肌は、まるでアイドルのそれだった。 「分かった、惣流やろ」 「違うよ」 「そうか? ほなら・・・・・・えーっ、イインチョか?」 アスカの隣にヒカリがいたので、トウジはいぶかしがりながらも訊いてみた。 「違うよ」 「『違うよ』って言うんだから、誰かを見てたことは間違いなさそうだな」 シンジたちのほうに近づきながら、ケンスケが言った。 そして、同じようにプールサイドを覗き込みながら独り言のように呟いた。 「おれの勘だと、近くに綾波がいるはずなんだけどな・・・・・・」 「何や、お前、綾波に見惚れてたんか」 トウジも覗き込みながら、声はシンジに向けて言った。 「・・・・・・・・・」 シンジは黙って下を向いた。その仕草は、うなずいたようにも見えた。 「おおっ、すごい」 ケンスケの声が色めいた。 同時に、ケンスケはなんと陳腐な言い回しなのだろう、と自分を罵った。 「すごい」という言いかたは、あまりにぞんざい過ぎた。 「白くてキレイな顔してるな、と思ってたけど、身体も同じような白さじゃないか。 何て言うのか、病的な白さじゃなくて、透きとおるような美しい白さっていうのかな。 くそっ、カメラを教室に置き忘れたことが悔やまれるぞ。悔しいなんてもんじゃない。 おれはなんてバカなことをしたんだ。あんな素晴らしい被写体が目の前にあるというのに」 と、ひとり騒ぎ立てるケンスケの視線の先には、綾波レイの姿があった。 見た目、異常なほどの白さを持つ彼女だが、健康的な輝きに満ちた白さを思わせる。 健康的な肌といえば、小麦色に焼けた素肌だろうと思うかもしれないが、 綾波レイの容姿にバイタリティーを与えているのは、少なからず性格が影響していた。 だからといって、彼女をまったく知らない人が見たとしても、 例えば、ライトに照らされて笑顔や身体が白く映し出されたアイドルの姿を見るように、 まるで違和感なく『白』という美しさに引き込まれてしまうだろう。 実際、綾波レイの顔には笑顔があふれていた。 プールで泳ぐのがうれしいのか、楽しいのか、心地よいのか分からないが、 その笑顔は、制服を着ている時に見せるような清楚なイメージとは違って、 照りつける日差しのような明るさに満ちていた。 「ま、確かにキレイな肌やけども、いかんせん身体は中学生やないか」 トウジの声は、隣で興奮しているケンスケに向けられていた。 「そういうお前も中学生じゃないか。お前はおとなの女性にしか興味がないのかよ」 言いながら、ケンスケの視線は綾波レイに注がれたままである。 「ミサト先生がいなくなったからって、ふてくされるのはもうやめろよ」 「アホ。ミサトせんせえに比べたら、あいつらなんかただのガキンチョやないか」 「ほらほらトウジ、強がるなって。あれを見たらイヤでもときめきを覚えるだろ」 「まあ、少しはな」 「確かに口は強いけど、おれはいまをもって再確認したぞ。綾波レイの美しさに」 「見た目のよさは認めてもええけど、性格は問題おおありやで」 「いや、あのくらい気の強いほうが引っ張ってくれそうで、おれにとってはいいんだよ」 「そうか?」 「でもな」 トウジが疑問の視線を投げかけるのと同時に、ケンスケは急に声を小さくして呟いた。 「おれが綾波に惚れたところで、それが片想いに終わることは分かってるんだ」 「何でや。分からへんでー。案外お前を好きになるかも知れへんぞ」 「いや、たぶんそうはならないと思う」 「何でそんなことが言えるんや」 「おれの前に、必ず大きな壁が立ちはだかるからだ」 「何や、その大きな壁っちゅうのは」 「・・・・・・・・・」 ケンスケは口をつぐむと、シンジのほうをチラッと見た。 「・・・・・・?」 ふたりのやりとりを聞いていたシンジは、ケンスケの様子に気がついた。 そして、訊ねた。 「どうしたの、ケンスケ」 「そう、立ちはだかる壁っていうのは、お前のことだよ、シンジ」 ■3 「えっ?」 「えっ?」 シンジとトウジが同時に叫んだ。 タイミングも、声の長さも同じだったことに、ケンスケは一瞬笑ったが、 すぐに顔を引き締めて言った。 「何しろ、綾波はシンジと一緒に住んでるんだぜ。一緒だよ、一緒。ひとつ屋根の下だ。 一緒に飯食ったり、同じ風呂に入ったり、同じ家の中で眠ったりしてるんだ。 いわば家族同然の付き合いをするヤツに、おれが勝てると思うか?」 「ま、待ってケンスケ」 ケンスケの独り言のような叫びを、シンジは慌ててさえぎった。 「どうしてそこにぼくが出てくるんだよ」 「よく考えてみろ。お前、綾波を見てかわいいと思わないのか?」 「え」 シンジはビックリした顔になった。 以前、父親にまったく同じ質問を投げかけられたことがあったからだ。 「お、思うけど」 つまりながらも、シンジは答えた。 「そうだろ、思うだろ、かわいいだろ。そんなかわいい子と一緒に住んでるんだろ。 その内、本当の家族みたいに仲良くなるかもしれないじゃないか。 つまり、お互いの良い所も悪い所も知った仲になるってことだよ」 額から流れてくる汗を体育着の袖で拭うと、ケンスケは続けた。 「もしかしたら、もしかしたらだけど、イヤな部分ばかりが目に付くかもしれない。 その反対に、とってもいい子だって分かることもあるわけだ。そうだろ」 ケンスケの問いかけに、シンジとトウジは無言でうなずいた。 「もし後者であった場合、つまり、綾波がすごくいい子だという場合、 まあ、おれの期待も含めないでも、こっちのほうが確率高そうだけど、 そうした場合、シンジ、お前が綾波を好きにならないって確証はあるか?」 「・・・・・・・・・」 シンジは黙りこくった。ケンスケの言い分が分からなくもないからだ。 もしも、本当に綾波レイが、かわいい容姿をさらに引き立たせるような素敵な子だったら、 好きになるかもしれない。いつでも一緒にいたいと思うかもしれない。 それに、レイが家に来てからの数日間で、彼女の人となりが多少見えてきていた。 明るく、元気がよく、人懐こいが、たまに人をからかう癖がある。 ただ、からかうといってもそれは冗談に過ぎない。基本的にはとてもいい子だと言える。 実際シンジも、ほんの数日間で、綾波レイに対していいイメージが出来ていた。 「そうやなー」 シンジの思考の代弁をするように、トウジが口を開いた。 「ま、仮に、実は気立てのええヤツだったら、その気持ちも分からんでもないな」 「そうだろそうだろ」 ケンスケが相槌を打つ。 「そこでまた問題があるんだけど、逆に綾波がシンジを気に入る可能性もあるんだ」 「ありうる話やな」 「ああ。何しろシンジ、お前は気付いていない・・・・・・いや、気付かないわけないと思うが、 お前、女子に注目されてるんだぜ」 「は?」 シンジは首をかしげた。 「何や、しらばくれるんか、シンジ」 トウジが凄むような声で問い詰めてきた。 「何を?」 「何を、て・・・・・・お前なあ、自分がどんな噂されてるとか気にならへんの?」 「ぼくの噂? ぼくって何か噂されてるの?」 「知らんのか・・・・・・おい、ケンスケ、こいつに言うてやり」 「ああ」 トウジに促されて、ケンスケは口を開いた。 が、そこへ汗が流れてきたので、手の甲で拭ってから言った。 「まず言っておくけどな、シンジ。おれたち男子にとって・・・・・・トウジは除外してもいいかな」 「ワイが除外て、どういうことや」 「だってお前、中学生の女には興味ないんだろ」 「誰がそないなこと言うたんや」 「お前だよ、お・ま・え」 「そうか? いつ言うた。覚えてへんけど」 「・・・・・・じゃあ、おとなの女性も好きだけど、中学生の女の子も好きなんだな、トウジは」 「当たり前や」 トウジはキッパリと言い切った。 ケンスケは一応うなずいて、ため息をつきながら続けた。 「改めて言うけど、シンジはおれたち男子にとって敵なんだ、テキ。ライバルと言ってもいい」 「テキ? ライバル? どうしてだよ」 「本当に知らないみたいだな・・・・・・それじゃあ、ちゃんと説明してやろう」 そう言うと、ケンスケはメガネをいったん外して、鼻パッドを体育着の裾で拭き、 メガネを掛け直してから言った。 「たまに、クラスの女子たちがささやき合っているのを耳にすることがある。 それはだな・・・・・・どんなことを言い合っているか、分かるかシンジ」 「ううん、分からない」 「あっそ。それじゃあ言うけど、『碇くんって、かわいいよね』――だってさ」 「・・・・・・かわいい? ぼくが? どうして」 「知るか」 トウジが口をはさんだ。 「知らんけど、女子どもにとってお前は『かわいい』存在なんだと」 「えーっ、ぼくってそんな風に思われてたの? 何だか・・・・・・」 「うれしいんやろ、正直」 「ううん、イヤだよ」 シンジは首を左右に振った。 「はあ? 何でや」 「どうしてだよ、シンジ」 トウジとケンスケは、同時に疑問を呈した。 「だって、男なのにかわいいなんて言われるのイヤだろ、ふたりだって」 「シンジ、そういう意味じゃないと思うんだけどな」 ケンスケは言った。 「確かに、男に対して『かわいい』って言うのは、冗談半分にもとれるけどさ、 女子たちの目が冗談を言う目つきじゃないんだよ、これが。現に、見ろよあれを」 ケンスケは、遠慮がちにプールサイドにいる女子たちを指差した。 校庭側にいるので、表情がよく窺える。 「ほら、こっちを見てるだろ」 「ほんまや、気がつかんかった」 と、トウジがその女子たちに視線を向けたので、彼女たちはそれに気付いてそっぽを向いた。 「ああ、トウジが見たからいまは知らんぷりしてるけど、あの連中、 さっきまでこっちを見て、たぶん正確にはシンジを見ていたんだと思うけど、 チラチラ見ながら小さくキャーキャー言ってる感じだったんだぜ」 「それって、つまり・・・・・・どういうこと?」 シンジはまた首をかしげた。 その様子に、ケンスケは少し苛立ちを覚えながら言った。 「だからさ、明らかに好意を持った目でお前を見てるってことだよ。分かったか、シンジ」 「・・・・・・はあ」 「何だよ、その間の抜けたリアクションは」 「だってさ、信じられないんだもん、そう言われても」 「確かに信じられんわな。むしろ信じたくない話や」 と、トウジが横から口を添えた。 「つまりな、シンジ」 ケンスケは落ち着いた口調で言った。 「お前は多くの女子に好印象を持たれているわけだよ。そしてだな、可能性としてはだな、 綾波もお前に好意を寄せる可能性があるわけだよ、可能性が」 喋っていくうちに声が高まり、可能性という言葉を強調しながら言った。 「そうするとだな、お前とはまったく正反対の噂をされているおれにとってはな・・・・・・」 「ぼくと正反対の噂って何?」 「ま、簡単に言うと、好意を持たれないような噂だよ。・・・・・・もっとありていに言えば、 女子に白い目で見られるような男なんだよ、おれは」 「どうしてケンスケが白い目で見られるの」 「そういうわけで、おれはお前に勝ち目がないんだ」 ケンスケは、シンジの質問を無視して結論を述べた。 「んー、確かにそう思いはするんやけどな」 トウジは、いささか納得していない表情で言った。 「だからといって決め付けるのは早いんとちゃうか? 確率ゼロとは言い切れんぞ」 「いいや、ダメなんだよ」 ケンスケはきっぱりと言ったが、そのあとに「たぶんな」と付け加えた。 「ほれ、お前もちゃんと言い切れてないやんけ、『たぶんな』言うて」 「実際のところ、単なる勘だから曖昧なのはしょうがないんだけどさ、 『たぶん』って言いながらも心のどこかに『間違いない』っていう確信があるんだな。 ただ、どうしてそんな確信がひらめくのか、自分でもよく分かっていないから、 論理的に喋れなくなってるんだよ。何て言ったらいいのか分かんないんだ」 ケンスケは、頭の中の支離滅裂な思考をムリに論理的に語ろうとしてみたが、 口から出てきた言葉は、まさに『分からない』ものだった。 それを自覚しながら、もう少し付け加えた。 「だけど、これは言える。おれはシンジに勝つことなどない。ありえないんだ。 たぶん、また『たぶん』と言わせてもらうけど、それは自然の摂理のようなものであり、 また、覆せない定説のようなものである、という風におれは思っている」 そこまで言い終えると、ケンスケはため息をついた。 ■4 「・・・・・・うん」 トウジは、とりあえずうなずいてみた。 だが、ケンスケの言う言葉の意味はよく分かっていない。 隣では、シンジもなかばほうけた顔をしているようだった。 「・・・・・・ふたりとも、おれの言っていることの意味、分かるか?」 ケンスケは親友2人の顔を交互に見た。 「分からん」 「よく分かんない」 トウジとシンジは素直に言った。 「そうか・・・・・・じゃあ、分かりやすい例えを出そうか」 と言って、ケンスケは腕を組んだ。 そして、よい例えを見つけたのか、手をぽんと叩いて言った。 「例えばだな、おれたちが小説の登場人物だとする。別にどんなジャンルの小説でもいい」 「ほう、小説なあ」 これから展開する話に期待を持ちながら、トウジは呟いた。 ケンスケは軽くうなずいてから、シンジを指差した。 「そして、主人公はお前だ、シンジ」 「ぼくが主人公・・・・・・うん、それで?」 「ちなみにおれたちはまったくの脇役だ。笑いのネタにしかならないような役回りだ」 「おれたち、て、ワイもかいな」 「そうだよ」 ガッカリするトウジをよそに、ケンスケは淡々と続けた。 「ヒロインは、綾波レイだ。他にもっとキャラクターを入れてもいいが、 説明するのに面倒だからこれだけにしようか」 「ヒロイン・・・・・・」 シンジは、その言葉を反芻した。 その設定を聞いただけで、何となく先の話が読めてきた。 「で、お決まりの流れがこの小説にも当てはまることにする」 ケンスケは言った。 「つまり、主人公とヒロインがくっつくということだ。ありがち過ぎて話にもならないけどな。 主人公であるシンジを主体として描かれていた場合、お前の感情が表されることになる。 例えば読者が男性なら、お前に感情移入して、主人公になりきるということもありうるんだ。 そうすると、ヒロインの容姿や性格にもよりけりだが、自分と綾波をくっつけたがる。 ・・・・・・はあ、暑いな」 ケンスケは顔の汗を袖で拭った。 「どうしてこの学校の校庭には日陰になるような所がないんだ、まったく・・・・・・それで」 近くに転がっていた小石を蹴飛ばして悪態をついてから、ケンスケは話を戻した。 「主人公になった読者にとって、おれたちみたいな脇役にヒロインを取られては忍びない。 まあ、話を面白くするために、少しの間だけ主人公とヒロインを離す必要はあるだろう。 でも、最後の最後ではちゃんと、セオリー通りに綾波レイとくっつくことが出来る。 読者はそう願うわけだ。願わない読者もいるだろうけど、そういうのは度外視する。 ・・・・・・ついてきてるよな、ふたりとも」 「うん」 「ま、まあな」 シンジは即座にうなずいたが、トウジの返答には一瞬の間があった。 「いいだろう」 ケンスケは、教師にでもなったような口調で続けた。 「ちなみにこれは、その小説の作者が、話をセオリー通りの展開にした場合だぞ。 というか、そういう状況下におれの例えはあるんだ」 話を聞くふたりは、黙って先を促した。 「で、だ。おれは、そういう小説の、どうでもいいような脇役的存在なんだ。 この現実世界においてもな。つまり、スポットライトを浴びる資格がないんだよ。 もしかしたらそうじゃないかもしれないけど、たぶんおれは脇役なんだよ。 いや、もう『たぶん』とは言わない。間違いなく、おれは脇役という立場なんだ」 ケンスケはひとりで興奮していた。 「そう、おれは、物好きな作家でもいない限り主役にはなれないような存在なんだ。 シンジ、すべてはお前がいるからなんだぞ。シンジ、分かってるのか」 「・・・・・・ゴメン」 「謝るなよ。確かにちょっとお前を責めるような口調にはなったけどさ。 本当はシンジに当たる筋合いなんてないんだ。全部おれというキャラクターが悪いんだから」 そこまで言うと、ケンスケは口をつぐんだ。 「実際のとこ・・・・・・」 代わりに、トウジが口を開いた。 「お前が女にモテへんのは、全部シンジのせいやっちゅうことかいな」 ケンスケは無言でうなずいた。苦笑を浮かべながら。 「つまり、シンジのせいにして逃げてしまえゆうこったろ」 言いながらトウジは、呆れたという顔をした。 「はあ〜、お前はそんなに女々しいヤツやったんか、ケンスケ」 「ちょっと待て、トウジ」 ケンスケがさえぎった。 「おれは別に逃げたわけじゃないぞ。ただそういう運命、いや、宿命にあると言ってるんだ」 「っちゅう言い訳のもとに現実から目を逸らそうとしてんのやろ」 「だから、違うって言ってるだろ。おれはそういう宿命を背負ってしまったんだよ」 「宿命ねえ・・・・・・」 「こういう言葉があるだろ。『宿命は変えられないけど、運命は変えられる』っていう」 「宿命と運命に違いなんてあるんか?」 「あるさ。いいか、トウジ。シンジもよく聞いてろよ。運命とは、『命を運ぶ』と書くだろう。 その運び方っていうのは、個人の努力しだい、工夫しだいなんだ。分かるか」 「はあ」 トウジは頼りなく返事を返したが、シンジは納得するようにうなずいていた。 「その反対で、宿命は『命を宿す』と書く。すでに前世から定まっている成り行きなんだ。 おれが笑いのネタしかもたらさないような脇役であるということは、宿命なんだ。 もう、そういうことになってるんだよ。この世という小説の中ではな」 「ケンスケ、そんなに思いつめるのはよくないよ」 シンジは、また興奮してきたケンスケを抑えるために、静かに言った。 だが、言った直後、逆にもっと親友を興奮させてしまうのではないか、 という予感がしたが、意外にも彼は居直るようにため息をついた。 「分かってるよ、シンジ。お前がそう言うと、全然イヤミに聞こえないんだよな。 本当だったら、もっといじめてやりたいところなんだが、お前には出来ないんだ」 ケンスケは、何となく自嘲的な笑みを浮かべて言った。 「何でだろう。自分でも分からないんだけどさ、『ま、いいか』って思えるんだ。 いや、『いいか、じゃ済まさんぞ』という気持ちもどこかにあるんだけどな。 おれって、自分でも自分のことがよく分からなくなることがよくあるんだ。 たぶん、この小説の作者がおれの性格をつかめていないからだと思うけど」 「この小説?」 トウジが訊いた。 「ああ、さっきの例えを使って言ったんだよ」 ケンスケは、話はもう終わりだ、という風にメガネをかけなおした。 そして、ひと言付け加えた。 「ちなみに、さっき言った宿命と運命の違い云々っていう話は、 おれが最近読んだ小説からの引用文ってやつだ。偉そうに言って済まなかったな」 その直後、授業の終わりを告げるチャイムが学校中に響いた。 「さて、メシ買いに行くかな」 ケンスケは、親友2人の肩をぽんと叩くと、校舎に入っていった。 ■5 ケンスケが熱弁を振るっているその最中、アスカは、校庭の様子を見ていた。 プール際の金網に手をかけて、下を見下ろすように外を覗いている。 もう何回かプールにつかっているため、濡れた水着が太陽の光を受け、輝きに満ちている。 それは、彼女の髪や肌のほうが顕著に表れていた。 制服を着た姿でもよく分かる身体の線の細さだが、身体に密着する水着を着ては、 さらにアスカのスタイルをよく見せていた。何しろ抜群のプロポーションなのだ。 同じ女子の間でも、アスカを羨ましがる生徒が多くいた。 「アスカ、何見てんの」 そういう羨ましがる女子生徒の1人である、ヒカリが訊ねた。 ヒカリは、確かにアスカに見劣るのは否めないが、それでもスタイルは充分である。 ただし、彼女の場合は、女性らしさよりも中学生らしさのほうが表れていた。 要するに、子供っぽさがまだまだ残されているということだ。 「ねえ、何見てんのよー」 ヒカリは授業そっちのけで、アスカの視線の先を追った。 そこにはアスカが『3バカトリオ』と呼ぶ、クラスの男子がいた。 もちろん、シンジ・トウジ・ケンスケのことである。 アスカたちとシンジたちは、双方の会話が聞こえない程度に離れていた。 さすがに叫べば聞こえそうだが、アスカ側は水の音も雑音として聞こえるので、 耳を澄まそうにも向こうの会話は聞こえてこない。 「あ、碇くん見てたんだ」 彼らを見るなり、ヒカリはアスカをつついた。 「ば、バカ、どうしてあんなヤツを見なきゃならないのよ」 うろたえるアスカを見たヒカリは、からかうようなまなざしで言った。 「だったら、どうして外を見てたのよ」 「別に・・・・・・気分転換よ」 「気分転換たって、ずっと楽しそうにしてたじゃない、さっきまで」 「冷たくて気持ちいいけど、いい加減飽きてきたのよ」 「ふ〜ん」 「何よヒカリ、その目は」 「だって、うそくさいんだもん」 「アタシはうそなんか言ってません」 「そういう言い方がうそくさいんですー」 「もー、ヒカリこそやめてよそういう言い方」 「分かった分かった」 と、笑いながら、ヒカリはひらいた両手を、胸の前で軽く突き出したり引っ込めたりした。 その際、ヒカリの手がアスカの胸に触った。 「あー、すごーい。柔らかいね、アスカのおっぱい」 「やーん、ヒカリのエッチ」 「やめてよ、アスカ。そんなに照れないでよ」 「いくら女の子でも、胸に触られたら恥ずかしいんですー」 さっき、やめてよと自分で言った言い方を、アスカもしていた。 「へー、アスカでも恥ずかしいことがあるんだ」 「何よー、またからかう気? いつもは『不潔よー』とか言うヒカリのくせに」 「私だって、このくらいのふざけっこは出来るんですー」 「それじゃあ、アタシもヒカリのおっぱい触っちゃおうっと」 「あー、ダメよ」 ヒカリは咄嗟に腕で自分の胸を隠した。 それを『いいではないか』の如くアスカが振り払おうとする。 「ねーねー、何やってんの、ふたりとも」 そこへ、レイがぴょこぴょこハネながらやって来た。 青いスクール水着と彼女の白い肢体が、ハッキリとしたコントラストをなしている。 身体のつくりはアスカほど成長していないものの、その肌が何よりレイを際立たせていた。 いつもは前髪を下げているが、濡れた髪をかき上げたために額が覗いている。 そのため、いつもより少しだけおとなっぽく見えた。 「あ、ちょうどいいわ」 アスカは、レイを手招きした。 「ねえレイ、ちょっとこのヒカリちゃんを掴まえててくれる?」 「やめてよアスカ」 ヒカリは笑いながら逃げようとしたが、 「オッケー」 と、レイはすぐにノッて、ヒカリを羽交い締めにしようとした。 水の中でなく、水の外ではしゃぐ彼女たちの姿は、はた目にとても初々しく、 行為が行為なだけに、加えて艶かしさも表していた。 そんな女子たちをよそに、ケンスケの話は佳境に入っていた。 だから、シンジもトウジも彼の話に耳を傾けることに必死になって、 アスカたちがたわむれる様子はまったく目に入っていなかった。 プールサイドのほかの女子たちは、面白そうにアスカたちを眺めていた。 校庭の男子たちは、だらだらと暑そうに、しかし楽しそうにバスケットをしていた。 だが、1人だけ校庭の隅で、ある男子がアスカたち3人のほうを見ていることには、 彼以外に誰も気がついていなかった。 「・・・・・・・・・」 彼は黙って、その3人の内のひとりだけを見つめていた。 つづく ≪あとがき≫ どうも、うっでぃです。 今回、ケンスケに色々と喋ってもらいました。 彼の『脇役』に対する思いを簡単に告白してもらったんですが、 今後の話の成り行き上、脇役で妥協してもらう形にしてしまいました。 そのため、内容はかなりうすーく薄くなっております。 さてさて、思わせぶりなラストになりましたが、 もう少し引っ張っておこうと思います。 そういうわけで、ではではまたまた。
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