1.『あのセリフ』の謎


空は一面灰色。下も一面砂浜。そして目の前は・・・・・・見なかったことにしたい。

気がつくと、ぼくはいつもの場所に横になっていた。
身体を起こし、周りを見渡すと決まりきった景色が見えるのだった。

そういえば起き上がる前からイヤな音が聞こえていたのだ。
文字に起こすなら『ざざーん』という感じのヤツだ。波の音らしい。

波といえば、目の前にあるこの海はどうして赤いのだろうかと考える。
だが、そんなことはどうでもいいのだった。たいていは関係のないことだ。

隣にはアスカが横たわっている。一見死んでいるようだが、一応腹が上下している。

面倒だな、と思っていると、彼女はこちらを睨んで、目で次の行動を促した。
これをやらないと始まらないのは分かっているが、どうも気が進まない。

心の中で「失礼します」と呟きながら、ぼくはアスカの首を絞めた。

腕だけに力を入れ、手元は緩やかにしておく。そうしないと彼女が苦しいからだ。
それに首を絞めたままだと『あのセリフ』も喋ることが出来ない。
もちろん、はたから見て力一杯締めているように見せなくてはならないからくたびれる。

ぼくが合図のために軽くうなずくと、アスカは言った。

「気持ち悪い」

それから数秒経って、ぼくは手を離した。

「ふう、お疲れ」

アスカがねぎらいの言葉をかけてくれる。ぼくの苦労を知っているからだ。

「あーあ、アンタも大変ね、これから」

「うん・・・・・・ああ、イヤだなあ」

ぼくらはパイプイスに座り、セットを片付けるスタッフの姿をボーっと見ながら言う。

「またやり直さないといけないなんて、誰が決めたんだよ」少し怒ってみる。

「ま、そうカッカしないの。アタシはもう諦めたわよ。『これが宿命なんだ』って」

「宿命か・・・・・・そりゃあ、アスカはいっつも同じだからそう思えるんだろ」

「まあね。アンタみたいに大人を怒ったり超人になるわけじゃないから、楽と言えば楽かも」

「今度はどういうタイプだろう。この間は変な能力が使えるキャラだったけど」

「そういえば凄かったわね。長い剣を飲み込んだり、火吹いたり、頭で瓦を割ったり・・・・・・」

「何の役にも立たなかったよ」ぼくはぶっきらぼうに吐き捨てる。

アスカはイスから立ち上がり、ぼくの肩をポンと叩いた。

「ま、頑張んなさいよ。アタシはこれから骨休めに行くけど」

「どこへ?」羨ましさ半分、憎たらしさ半分で訊く。

「温泉よ、温泉。ヒカリと一緒に行くんだ」

「あ、そうか。よかったね」わざとらしくため息をついた。

「でも、またすぐにドイツに戻らなきゃならないのよね」アスカもため息をつく。

「今度会う時は、手加減してよ」

ぼくはアスカと初めて会う時のことを言った。ビンタは優しくしてね、という意味だ。

「分かってるわよ。そいじゃ、頑張りなさいよバカシンジ」

アスカは行き際に、ぼくの頬にキスをした。

少し元気が出た。




そういえば、前にアスカに訊いたことがある。

なぜ「気持ち悪い」と言ったのかをだ。

その答えはとても簡単だった。

「だって、ずっとお風呂に入ってなかったんだもん」

ゆっくり温泉に浸かって下さい、とぼくは去り行くアスカの背中に呟いた。




え? どうしてぼくがアスカの首を絞めたかって?

それを答えてもいいのかなあ。どうしよう。アスカも行っちゃったし、いいかなあ。

その・・・・・・決してぼくがSというわけじゃないんだ。
ぼくはどっちかというとSじゃないほう――要するにMだから。

つまり、アスカもそうなんだよ。しかもド級の・・・・・・Mらしいんだ。
彼女のほうから首を絞めろって提案してきたんだ。ほんとにまいったよ。

さすがに強く締めることは出来ないからわざと軽くやってるけど、
本当はもっときつくして欲しいんじゃないかと思う。目がそう言ってる気がする。

・・・・・・ああ、何てこった。こんな下ネタを言うつもりなんてなかったのに。
ちくしょう、それもこれもすべて父さんが悪いんだ。そうだ、あの髭親父のせいだ。

ようし、復習してやるぞ。おおっと間違えた、復讐だ。
待ってろよ碇司令。じゃなくて碇指令。いや、司令であってるのか。

そんなことはどうでもいい。碇ゲンドウめ、首洗って待ってやがれ、こんちくしょー。

ぜーはー、ぜーはー・・・・・・ガラにもないことを言ったら疲れた。

あ・・・・・・もう行ったはずのアスカが、向こうから真っ赤な顔をしながらこっちに来る。
もの凄い勢いで来る。ああ、烈火のごとく怒ってる。

こんなこと言わなきゃよかった――ぼくは絶望した。




2.たまには逃げてみよう


新品の制服に着替えて楽屋を出ると、すでに初っ端のシーンが始まっていた。
これでは理由もなく、ただ戻ってきただけじゃないか。ぼくはイライラした。

あ、そういえばさっき父さんに対して怒ってたっけ。何でだったのだろう。
思い出せなかった。いや、思い出したくなかった、と言ったほうが正しい。

何か変わっているところはないかと、ちょうど持っていた手鏡を覗き込む。

確かに中性的かもしれないが、間違ってもぼくは美少年ではない。
そんなことを言われたところで別にうれしくなんかないのだ。

一応変化はなさそうだが、それは『顔の造り』に限って言えばのことである。
左頬の真っ赤な手形はまだ当分消えそうになかった。まったく、アスカのヤツ・・・・・・

傍らに置いてあったカバンを背負うと、公衆電話がある所まで歩く。
回線が不通であることを知っているから、受話器をヒョイと取り上げ、すぐに切った。

相変わらず暑い。

「やっぱり来るんじゃなかった」

意味もなくそう呟いて、手に持った写真を覗き込む。

もう見慣れた写真だ。『ここに注目』と言われたところでもはや見る気もしない。
ぼくはさっさとポケットにしまった。

手に持ったもう1つの紙を見ると、汚い字で『来い ゲンドウ』と書いてある。
父さんらしい。何て簡潔なんだろうと思いながら、それをくしゃくしゃに丸めた。

ミサトさん早く来ないかなあ――と思っていると、誰かに肩を叩かれたような気がした。

振り向くと、綾波がいた。出番はまだのはずなのに――

「どうしたの、綾波」

「碇くん、あっち向いてくれる」

彼女は抑揚のない声で言い、道路の真ん中を指差した。

「あ、そうか。ゴメン綾波」

ぼくは身体を向ける方向を間違えていたのだ。綾波の幻影を見なければいけないのだった。

綾波は、ちょっと怪訝な表情でぼくの顔を覗きこんでいたが、すぐに無表情に戻した。
そしてわざわざその場へ引き返し、ぼくが見ているのを確認すると、音もなく消えた。

第3使徒サキエル(もう名前も覚えてしまった)が、山間から出てくるのが見えた。
アイツももう見飽きた。そろそろぼくは危ない目に遭うはずだ。

何かが近くで爆発して、ズドーンと大きな音と共にもの凄い風がぼくを襲った。
そこへようやくミサトさんが青いルノーで駆けつける。

「ごめん、お待たせ」

「あんまり乱暴な運転はやめて下さいよ」

そう言いながらぼくは車に乗り込んだ。あんまり乗りたくなかったが、仕方ない。

「ミサトさん」助手席からぼくは話しかける。

「なあに、シンちゃん」もはや名乗り合わずとも事足りるのだった。

「N2地雷――とかいう爆弾をまた使うんですか」

「そりゃあ、成り行き上そうなるわね。まったく、軍もバカよねえ」

「もう、あれの被害を受けるのはこりごりです」ほんとにイヤだった。

「私も」

ミサトさんはこちらを向いて微笑み、すぐに視線をフロントガラスに戻した。

「ところで――」前を向いたままミサトさんが言う。

「その顔、どうしたの?」

「・・・・・・まあ、ちょっと」ぼくは言葉を濁して逃げた。

そうこうしている内に、強烈な爆発にともなった爆風がぼくたちに襲い掛かってきた。
展開が少しだけ早かったのでちょっと慌てたが、別に死ぬことはないのだから適当に叫ぶ。

しかし自分の叫び声が聞こえないほどの爆風だった。やっぱり痛いのは嫌いだ。
ルノーはゴロゴロ転がって、横倒しになってしまった。

ミサトさんはローンがどうのと嘆いていたが、本気で悲しそうな顔はしていなかった。
どうせまたその内新車が手に入るのだから、気にする必要もないのだろう。

2人でよっこいせと車を元に戻し、ボロボロになったルノーで再び発進する。

「で、今回はどういう設定で戻ってきたの?」

少しガタつく車を気にしながら、ミサトさんが訊く。

「それが、気がついたら戻っていて、ぼくもよく分からないんです」

「そういえばこないだは凄い力持ってたわよね。ビックリ人間みたいなのを」

「もう、そのことは忘れて下さい」恥ずかしい思い出はとっとと捨てたい。

車はネルフ本部へと向かっていった。

カートレインは地下へ地下へとリニアレールの上を進んでいく。

「あ、そうそう」

ミサトさんは後部座席へ身を乗り出し、何やらごそごそとし始めた。
振り向いてみると、車の中は横転のせいもあってか、かなり汚かった。

「これ、読みたい?」

彼女はニヤニヤしながら、極秘ファイルをぼくに渡した。

こんなもの見なくても中身は分かっているが、念のためファイルを広げてみた。

『極秘極秘極秘極秘極秘極秘極秘極秘・・・・・・』

すべて『極秘』という言葉で埋め尽くされていた。アホらしい。
隣でミサトさんもクスクス笑っていた。

カートレインはホームらしき所に到着し、ぼくらは建物の中に歩いて入っていく。

「おっかしいなあ・・・・・・」

とミサトさんが呟き始めた所で、ぼくは口をはさんだ。

「ミサトさん、こっちですよ」

そしてぼくが先頭に立って歩き始めた。この人は本当に道順を忘れてしまうのだ。

しばらくして、白衣姿のリツコさんが現れた。少しムッとした表情だ。

「またこの子に道案内してもらったのね。まったく、葛城一尉・・・・・・」

彼女はミサトさんを一瞥してから、ぼくに微笑みかけた。表情の変化が急だ。
この人もまた、名乗り合う必要のないことを分かっている人である。

「シンジくん、悪いけどまたサードチルドレンとして頑張ってもらうわ」

「またですか・・・・・・」分かってはいてもウンザリした。

「嫌がる気持ちも分かるけど、仕方ないのよ。さ、こっちへいらっしゃい」

これからエヴァを見に行くのだ。

その部屋は真っ暗で、何も見えなかった。ある程度歩くと、いきなり照明がつく。

「うわ」

初号機のでかい顔が浮かび上がって、ぼくは少し驚いた。

この時点では、ぼくはこれを見たことがないはずなのに、なぜか見たことがある気がする。
でも、実際はこれまでに何度も何度も見たり乗ったりしているから・・・・・・頭が混乱する。

「これが父の仕事なんですか」何の脈絡もなくぼくは言った。

「そうだ」と、どこからか低い声がした。

父さんは妙な所に立っていた。少し離れているから、いつもより大きな声だ。
ああいう現れかたがカッコいいと思っているらしい。息子として情けない。

「久しぶりだな、シンジ」

この人はあくまで本編の通りに喋るタイプだ。ぼくの悪戯心が刺激された。

「シンジ、これからお前はこれに乗って使徒と戦ってもらう」

「父さん、悪いけど、ぼくは乗らないよ」ぼくは淀みなく答える。

「待って下さい・・・・・・って、シンジくん?」

ミサトさんは出鼻をくじかれた形で、ぼくを見つめてキョトンとしていた。

「ゴメンなさい。ぼくには無理です。帰ります」

言葉どおりぼくは帰る方向に歩き出した。

「ちょ、ちょっと待ってシンジくん」リツコさんが慌てている。

「待て、シンジ」父さんは相変わらずの声だが、動揺を隠せない感じだ。

さっき通ってきた道を引き返しながら、たまにはいいじゃないか、とぼくは思った。

ひっきりなしに演じ続けるぼくの身にもなってみろっていうんだ。
逃げちゃダメだ、なんて言えたのは最初の内だ。ぼくだって疲れてるんだ。

そうだ、たまには逃げたっていいじゃないか――何だか心が晴れるようだった。

すると、前方から医者らしき人たちがストレッチャーを押しながら近づいてきた。
その上には当然のように包帯をぐるぐる巻きにした綾波が横たわっている。

何だかいつもより包帯の量が多く見える。ミイラのようでちょっと可笑しい。
顔などは片目しか覗いていないのだ。ぼくに対する当てつけのようだった。

なぜか彼らはぼくのすぐ前で止まった。ストレッチャーの上の綾波がこっそり起き上がる。

「本当に、乗らないの?」

包帯に包まれた口元をフゴフゴと動かしながら彼女は言う。

「うん、乗らない」

「そう・・・・・・そうすると、私が代わりに乗ることになるのよ」

「そうだね」ぼくはわざと冷たく言った。

「私、こんな状態なのに・・・・・・」

感情を持たないはずの綾波が、ひどく悲しそうにうつむいた。
伏せた片目からは涙がぽろぽろとこぼれ落ちている。

「ゴメン。そう決めたんだ」

ぼくは綾波を後にして、またスタスタと歩き出した。

少し罪の意識を感じていたが、ぼくは気にしないことにした。
前回、ぼくは綾波と仲良しの設定だったからだ。だから構わないと思った。

ふと、足元にリモコンが落ちているのを見つけた。そっと拾い上げてみる。

なぜかどれも早送りボタンだった。その内の1つを適当に押してみた。

すると、外に出ることが出来た。要するにどういう手段で外に出たのかを省いたのだ。
カートレインとか、車とかを動かせないぼくにとって、とても好都合だった。

相変わらず使徒は特撮ものの怪獣みたいに暴れ回っている。

その様子を見上げながら、何気なく「大変だね」と声をかけてみた。
どうせ聞こえないだろうと思っていたら、使徒はこっちを振り向いた。
そして「まったく大変ですわ」といった感じで軽くうなずいた。

これにはちょっとビックリした。使徒も感情を持っているのだ。
いつも倒される運命にある彼らのことを思うと、少しだけ同情心が芽生えた。

これからどうしようかな、と漠然と思いながら歩いていたら、後ろで変な声がした。

何だと思って振り返ってみると、父さんがこっちに向かって駆けてくるところだった。

すべての力を出し切った、という感じで、てれてれとだらしない走りかたである。
いつもの重苦しい、威厳たっぷりの雰囲気はそこにはなかった。

「はあはあ、待ってくれシンジ」

そばまで来ると、膝に手をついてぜーぜーいっていた。

ぜーぜーはその内げほげほに変わり、しまいにはげーげーとなっていた。
本当に走ってここまで来たらしい。走るなんて久しぶりだっただろうに。

口元を拭いながら、父さんは汚した電柱から離れるようにぼくを促した。

「シンジ、なぜ乗らない」父さんはいつもの感じに戻った。

「だって、乗りたくないから」

「なぜそう反抗するんだ、お前は」

「・・・・・・・・・」

面倒くさいので黙っていると、父さんはいきなりひざまずいた。

「シンジ・・・・・・」

ぼくはビックリして、父さんを見つめるばかりだった。

「頼む、お前が乗ってくれないと話が進まないんだ」そしておいおい泣き出した。

「かたいこと言わないで、頼むから乗ってくれ、シンジ」

ついにはぼくの脚にしがみつく始末だった。

この期に及んでエヴァに乗るのを拒んだら、それこそ鬼だとぼくは思った。

「・・・・・・分かったよ、乗るよ」仕方なくそう言った。

「本当か?」父さんの顔がパッと明るくなった。笑顔と言っていい表情だ。

目をそらしながら軽くうなずいて答えた。

「本当に乗ってくれるのか。そうか、よかったよかった」今度はうれし泣きを始めた。

ぼくはため息をつくことしか出来なかった。




3.使徒の憂鬱


「シンジくん、とりあえず歩くことだけ考えて」

リツコさんがそう言う声が聞こえたので、ぼくは一応従った。

初号機はズシーンズシーンという音を立てながら、てくてくという感じで歩き始める。
小学生が横断歩道を渡る時のように元気よく歩かせてみた。

「あんまりふざけないの」

調子に乗っていたらミサトさんに叱られた。

使徒は目の前にいて、「さあ、かかってきたまえ」という感じで待ち構えている。
ハッキリ言って、使徒のことなどどうでもよかった。

せっかく乗らないつもりだったから綾波に冷たい態度をとったのに、
これではぼくは単なるひどい男になってしまう。さっきから謝る言葉を考えていた。

それにしてもさっきの父さんの泣き顔は恐ろしかった。あれをやられたらひとたまりもない。
危うくぼくは廃人になってしまうところだった。もう2度と見たくない。

あんまり待たせるのもかわいそうなので、ぼくはようやく使徒に突っ込んでいった。

うまいこと体当たりが決まって、ぼくは使徒と一緒にビルに突っ込んだ。

「あいてててて・・・・・・」

と喋ったのは、いまぼくが体当たりした相手、サキエルだった。

「え? きみ、喋れるの?」

どう呼びかけていいか分からないから、使徒に対して「きみ」と言ってみた。

「ええ、まあ」使徒は曖昧に言って上半身を起こした。

何だか喋りたがっているように見えたので、ぼくはその隣に並んで座った。体育座りで。
本部と通信するためのスイッチを切って、使徒との会話を始める。

「使徒って喋れるんだね。ビックリした」

「おたくさんがそれに乗ってる時は、私の声が聞こえるみたいですな」

それとはエヴァのことらしい。

使徒に性別があるのかどうか分からないが、この使徒は『彼』と呼んだほうがいい気がした。

はあ、とため息をついてから彼は言った。

「あんた、また戻ってきたんだね」

「うん、ゴメン」

ぼくは謝った。何となく彼の言いかたが嫌味っぽく聞こえたからだ。

「こう何度も何度も同じこと繰り返して、疲れないかい?」

「まあね」ぼくは適当に答える。

たったこれだけの会話で、使徒も疲れるのだな、ということを悟った。

そういえばどうして急に喋りだしたのだろうと思って、そう訊いてみた。

「ああ・・・・・・」彼は何となく自嘲的な笑みを浮かべた・・・・・・ような気がした。

「私もそろそろ面倒くさくなってきてね、この繰り返しが」

「使徒も疲れるんだね」

「そりゃあ疲れるさ。そろそろ使徒のつらさも理解してもらいたくて、こうして喋っているんだ」

愚痴をこぼしたくて仕方ないらしい。かわいそうだから聞いてあげることにした。

「本当はさ、使徒って凄く強いんだな。あんたが乗ってるそれよりもずっと強いんだ」

「え、そうなの? ならどうしていつもやられちゃうの?」

「私たちはシナリオ通りに動いてるからな。エヴァに勝っちゃいけないんだ。
一応あんたたちに攻撃はするが、最終的にはやられないといけないわけだ。
そうしないと話が進まないから・・・・・・」

「でも、本当に強いの?」ちょっと意地悪く訊いてみる。

「当たり前だ」彼はムキになって言った。

「使徒をなめてもらっては困る。私が本気を出せばこの地球などひとたまりもないんだ」

「本当かなあ」

「本当だ。何ならやってみるか?」

何だか子供みたいで、ちょっと可笑しかった。

「ゴメン、そこまで言うんなら信じるよ」謝っておかないと危なそうだった。

「分かればいいんだ」彼は腕を組んだ。

それからぼくは、いろいろ質問を浴びせた。

N2地雷は本当に効いていないのか、という質問をすると、

「実はちょっと我慢してる。見た目どおり結構痛いんだ」

と言って、足元をさすった。この恰好をしていなければ人間にしか見えない仕草だ。

また、きみはいったいどこからやって来るのか、と訊くと、

「あんたと同じだよ。私たち専用の楽屋もあるんだ」

と現実的なことを言って、フンと鼻で笑った。

「さて、そろそろ再開しますか」彼はのっそりと立ち上がった。

戦闘を再開するのだ。ぼくは口元をニヤリと歪めた。心に黒いものが渦巻いている。

えいっ、とぼくは彼に不意打ちを食らわせた。

思い切りパンチを繰り出すと、彼は「うわあ」と叫んですっ飛んでいった。
巻き込まれて、そこここのビルがドンガラガッシャーンと崩れ落ちていく。

ぼくはさらに追い打ちをかけて、いじめっ子がやるようにボコボコにしてやった。

ふと周りを見渡すと、町が崩壊しかけていた。これはまずいことをした。
まるでぼくのほうが使徒っぽいことをしているみたいだ。使徒よりもひどいかもしれない。

ぼくは使徒に馬乗りになって殴り続けていたが、彼の様子がおかしいので手を止めた。

見ると、ヒックヒックとすすり泣きをしていた。やりすぎたみたいだ。

「ひどいよ、ひどいよ。こんなに殴るなんて、あんまりだよ。ひっくひっく」

使徒が泣いている。ぼくはどうやら卑劣な人間になって戻ってきてしまったらしい。
彼のみっともない泣きザマを見ていると、自分が恨めしい気分になってきた。

「ゴメンよ、使徒くん」サキエル、とは呼びづらかった。

「痛いよ、痛いよ。ひっくひっく」

「悪かったよ。もうひどいことしないから」

ぼくは彼の身体から離れて、上体を起こしてやった。その間も使徒はまだ泣いている。

「ひっくひっく、ひっくひっく・・・・・・」

次第に泣き声が小さくなってきた。ぼくは落ち着かせようと背中をなでてやる。

そして、彼の声が完全に止まった瞬間だった。

使徒はいきなりバッと立ち上がり、彼の頭部が初号機のあごにクリティカルヒットした。

アッパーカットをモロに食らったみたいに初号機は後ろにすっ飛んで、
背中をしたたか打った。ちょうど高層ビルが後ろにあったらしく、堅い鉄骨が痛かった。

ガラガラと崩れ落ちる壁面のほこりをかぶりながら、ぼくは起き上がった。

「あーっはっはっはっはっはっは」

すると、アイツの大笑いが聞こえてきた。サキエルのヤツだ。

「あーっはっはっはっは。引っかかった引っかかった。ざまあみろ」

使徒はピョンピョン跳ね回って、けらけらと笑っている。

何てことだ。ぼくはコイツに騙されていたのだ。さっきのは泣きマネだったのか。

ぼくの中にとてつもない怒りが湧き起こってきた。ドス黒い暗雲が立ち込めていく。
頭に上った血が、いまにも活火山の如く噴火しそうな勢いだ。

そしてあっという間にぼくはキレた。

「うわああああ!」

それは、『ぼく自身が引き起こした暴走』だった。

咆哮にひるんだ使徒をとっつかまえると、ぼくは怒りに任せてブチのめしてやった。

「ひえええ、やめてやめてやめてー」

使徒は情けない声を上げていたが、ぼくは構わずにコアと思わしき部分をボカボカ殴った。

しばらく叩いていると、その内使徒はぐったりしてきた。
死んだフリをしているのかと思ったら、どうやら本当に虫の息になっているらしかった。

「うう・・・・・・」

彼は最後の力を振り絞って何かを喋ろうとしていた。

「た、たまには私たち使徒に、いい目見させてくれたって、いいじゃないかよう」

そして、しくしく泣き出した。と思ったら、目がキラーンと光ったような気がした。

直後、変な火柱が上がって、初号機もその中に包まれた。
あちちち、と言いながらぼくはそこから脱出する。

ぼく自身、感情がコロコロ変わるようでイヤになるのだが、ちょっと罪悪感があった。

使徒たちはいっつもやられてばっかりで、まったく救われない存在なのだ。
もう少し気持ちを察してやればよかったな、などと思った。

通信スイッチを入れると、ミサトさんの怒鳴り声が飛んできたのですぐに切った。

相当派手にやってしまったようだ。ぼくのせいで町の半分が無くなってしまった。
後で怒られるな――と、そんなことを考えながら、ぼくはみずから初号機を収容しに行った。

何だかひどく疲れた。




4.学校へ行こう


ぼくがミサトさんと一緒に生活することは当然のように、且つ勝手に決定し、
これまた当然のように家事をすべて押し付けられてしまった。
覚悟していたことだから、仕方なしに了承する。

頭のいいペンペンだが、ぼくを見るとすぐに翼(ひれ?)を挙げて挨拶した。
ぼくのことを住人としてあっさり認めているようだった。

自分に充てられた部屋で荷物の整理をしながら、そういえば、と思う。

その内アスカがここへやって来て、この部屋は彼女のものになってしまうのだった。
だからそんなにキッチリと整理をしなくてもいいのだ。ぼくは適当にやった。

使徒との戦闘、というかエヴァによる破壊行為によって崩れ落ちた第3新東京市は、
いつものように大半の建物が地下に隠れていてくれたおかげで、
お叱りはさほどキツくはならなかった。被害はそんなにひどいものでもなかったらしい。

「明日から学校、行ってもらうから」

風呂上がりの極めてラフな恰好で、大好きなビールを片手にミサトさんが言う。

「もう、何度転校すればいいんでしょうか」ため息をつきながらぼくは言った。

「いいじゃない、そんなこと。毎回キャラを変えてみたら? 面白いかもよ」

「そうですか・・・・・・?」

ミサトさんの無責任な言葉にもぼくはいちいち反応していた。
付き合いが長過ぎるせいか知らないが、無視するよりも応対するほうが先に出るのだった。
普通は逆かもしれないが、ぼくの場合はそうなのだった。

「ミサトさん」ぼくは声を改めて言った。

「ぼくの前でそういう恰好をするのはいい加減やめて下さい」

「えっ? なーんだそんなこと。いいじゃない、もう見飽きたでしょ」

「飽きてません」言ってから、妙なことを口走ったのに気付いた。

「へーえ、シンちゃんってそういう目で見てるんだ」

ミサトさんは目が笑っていた。アルコールの影響も大きくあるだろう。
口調がオバサンのからかい調子になっていた。

ぼくは要領の悪さだけはなかなか直らない。いっつも誰かにからかわれるのだ。
これもアスカの言う宿命のひとつなのかもしれない、などと思った。




教壇では数学の授業――といっても実はセカンドインパクトの話をしているのだが、
先生が苦労話をぼそぼそと喋っている。もちろん誰もその話を聞いていない。

≪パイロットというのはホント? : Y/N≫

気がつくとそんなメッセージがディスプレイに上がっていた。

たまには違うよと言ってみるのもいいかな、という考えが頭をかすめたが、
そうしてみたところで面白くも何ともないだろうな、と思い直した。

イエス、ではいつも通りだから、少し茶目っ気でも出してみようかな、などと思う。

≪そだよ≫

と打ってみた。ちっとも面白くない返事だったことにすぐ気付いたが、もう遅かった。

みんなが「えーっ」と驚く。初めの頃に比べて、幾分ウソくさい驚きだった。

黒板前でのん気に話している先生を完全無視して、みんながぼくの周りに群がってきた。

「今度はどんな能力が使えるの?」

「なあ、またあれやってくれよ。火吹くやつ」

「怒ると髪の毛が金色になるんだろ」

「腕ちぎってもまた生えてくるんでしょ」

「空飛んでみてよ」

「瞬間移動は?」

みんなはぼくのことを奇人変人だと信じきっているらしかった。
到底無理なリクエストばっかりである。これじゃ別の世界の話じゃないか。




「シンジ、今回はちとまずいことになった」

呼び出された場所に行くなり、トウジはそう切り出してきた。

「何が?」ぼくは首をかしげる。

「いや、実はな・・・・・・妹がぜんぜん怪我してないんや」

「えっ、本当?」ホッとしたが、これでは話にならない。

「ああ。お前がせっかくメチャメチャに暴れ回ってくれたのに、かすり傷ひとつないんや。
このままじゃお前を殴る理由がない。どないしよ」

とほほ、と言いながらトウジは肩を落とした。

「いいよ、ぼくは気にしないから。殴ってくれていいよ」

「理由もなしにそないなこと出来るか、アホ」

と言って、トウジはぼくの頭をパカンと叩いた。

「あ・・・・・・」

トウジは一瞬表情を固まらせ、すぐに苦笑いを浮かべた。

「あ、あは、あははは。ま、まあ、シンジ気にするな。な?」

「気にしてないよ」ぼくは叩かれた所をなでながら言う。

実際のところたいして痛くなかったし、これで話が進むのならしめたものだ。
トウジのパンチは結構痛いから、『突っ込み』だけで済んだのは実においしい。

すると、幽霊みたいに音もなく綾波が現れた。この一部始終を物陰から見ていたらしい。

彼女はまだ包帯を頭や腕に巻いていたが、さすがにこの間のミイラではなくなっていた。
そういえば、冷たい態度を取ったことをまだ謝っていなかった。気まずい。

「非常召集。先、行くから」恐ろしいほど凍った、機械的な声だった。

彼女はそれだけ言うと、足音も立てずに去っていった。

「・・・・・・なあ、お前、喧嘩でもしたのか?」ずっと黙っていたケンスケが訊いた。

「ううん、別に。それじゃ、ぼくも行くから」そっけなく答えてぼくは駆け出す。

「今回もうまいこと頼むでー」

背中に聞こえたトウジの声。エヴァが丘に倒れこむ時のことを言っているのだろう。

あれはぼくがやっているんじゃなくて、偶然なんだ。

必然的な、偶然。




第4使徒シャムシエル――何だか昆虫みたいな、変なヤツ。使徒はみんな変なヤツか。

『彼女』は、サキエルと同様エヴァを通じたぼくの耳に喋りかけてきた。

なぜこの使徒を女性と取ったのかというと・・・・・・このセリフを聞けば分かると思う。

「ねえ、この前みたいな乱暴はしないでね。あたし、痛いの嫌いなの」

もう使徒が話すこと自体には驚かなかったが、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
そういえば身体の色も赤系で女っぽいような気もしないでもないが、
この容貌で「あたし」なんて言われた日には、ただただ棒立ちである。

ぼくが呆然としていると、彼女は不意打ちをかけてきた。光の触手が伸びてくる。

それは初号機が持っていたパレットライフルをスッパリと切り裂き、
アンビリカルケーブルまでも切断した。切れ味抜群の、彼女の秘密兵器だ。

か弱いキャラを演じているかと思えばこの奇襲である。
触手をムチのようにしならせ、「おほほほほ」などとすっかり女王様気分だ。

その上、地面を叩きながら本当に「女王様とお呼び」と言う始末だった。

少しムカッときたので、うまい具合に隙をついて殴りかかろうとしたら、

「いやあ、やめてえ。女を殴るなんてひどいわあ」

と彼女は言って、しくしく泣き出した。

いよいよ使徒がみずからの性別を明らかにした。これは驚愕の事実だ。
相変わらず通信スイッチは切っているから、このことはいまのところぼくしか知らない。
あ、よくよく考えてみれば最後の使徒は・・・・・・まあいいや、考えないでおこう。

殴りかかろうとした手を寸でのところで止めると、案の定彼女は攻撃を再開してきた。

触手が初号機の足に絡みつき、そのまま空中に投げ出されてしまった。

「うわあ」と、やる気のない声でぼくは叫ぶ。

そして、トウジとケンスケのいる丘へすっ飛んでいったエヴァは、ドシーンと尻から落ちた。
尾骨の辺りが痛くて顔が歪む。

さて、トウジたちはちゃんといるかな――と、丘についた手を見下ろす。

「・・・・・・あれ?」

いない。指の隙間にいるはずのトウジとケンスケが、いない!

倒れこんだままの姿勢で、ぼくは辺りをくまなく探した。
が、いない。どこにもいない。なぜだ。ぼくは焦った。もの凄く焦った。

「どこだ、どこだ、どこいったんだよー」

慌てふためきながら、ぼくはあることに思い至った。それはあまりにも非現実だった。

まさか、踏み潰してしまったのでは――

ありえない。そんなことはありえない。これまでずっと完璧に成功していたじゃないか。
いつだってこの指の間に彼らはいたじゃないか。どうして今回は違うんだ?

信じない、信じないぞ。ぼくが踏み潰してしまったなんて事実が、あるもんか。

そうやって早くも現実逃避をしかけていた時、ぼくの『真後ろ』で声がした。

「どうしたんだよ、シンジ」ケンスケの声だった。

えっ、と振り向くと、なぜか『エントリープラグ内』にケンスケがいた。

「そんなに慌てて、どないしたシンジ」トウジがくすくす笑っている。

「どうして・・・・・・?」ぼくは絶句した。

すると、呆然とするぼくの前で2人はゲラゲラ笑い出した。

「いやあ、悪い悪い。実はおれたち、最初からここにいたんだ」

口の端を引きつらせながら、ケンスケが説明した。

「トウジが『今回もうまいことたのむ』って言ったのを、お前は真に受けたんだな。
だからおれたちがこっそり忍び込んだのに気付かなかったんだ」

「そんなあ」どうやらすっかり騙されてしまったらしい。

「それにしても」トウジが笑みを浮かべたまま言った。

「あの怪物が人間の言葉を話しよるとはなー。しかも自分で女やっちゅうてたな。
危うく大声出してシンジに気付かれるところやったわ」

そうだ。一緒にエントリープラグ内にいたということは、使徒の言葉も聞かれてしまったのだ。
何となくぼくは、しまった、という思いがした。自分だけの秘密にしたかったのかもしれない。

「そういやコイツなんか」と言って、トウジはケンスケを指差した。

「何度乗ってもエヴァは凄いとか、感動だとか、おれ泣けてきたとかぼそぼそ呟きよって、
いつシンジに気付かれるか思てハラハラしたわ」

「だっておれはいつになってもパイロットになれないんだぜ。少しは感慨に浸らせろよ」

やや自嘲的に言うケンスケの目は、しかしいつになく輝いていた。

この一部始終を、使徒は横になってくつろぎながら待ってくれていた。
のん気に雑誌などを読んでいる。よく考えるととんでもないサイズの雑誌だ。
内容は・・・・・・どうやらファッション関係のようだ。やはりコイツは女らしい。

「あ、どっこいしょ」やけにオバサンじみた口調で使徒は起き上がった。

「さ、そろそろ再開しましょうか」

戦闘の再開である。これは使徒特有の口癖らしい。確かサキエルも言っていた。

通信スイッチを入れて、ミサトさんに怒られる準備をした。

「よし、行くか」

自分に喝を入れて、プログレッシブナイフを片手に初号機を発進させる。

すると、早速ミサトさんの声が聞こえた。

「シンちゃーん、どうする?」

後ろで「おお、ミサトさんや」とトウジたちが騒いでいるが、無視してぼくは訊いた。

「何をですか」

「一応退去命令が出てるんだけど、どうせ命令聞かないでやっちゃうんでしょ?」

「ええ、まあ、そのつもりですけど」

本当はどうしようか迷っていた。たまには命令に従ってみようかな、とも考えてみる。

しかしそうしたところで、今後どういった展開が繰り広げられるのか見当もつかない。
また父さんに泣きつかれるかもしれない、と想像すると、素直に命令に逆らうことを決意した。

「うわああ」何だかやる気が出なかった。

ナイフは使徒のコアのような部分にぶっすりと突き刺さった。

彼女はぎゃあぎゃあとわめくだけわめくと、涙を流しながら沈黙した。

それと同時に、エヴァも活動を停止した。時間切れとなったのだ。
きっと無駄話が多かったせいだろう。本当は時間内に倒す自信があった。

「ふうー。さすがだな、シンジ」ケンスケが肩を叩いた。

「お疲れさん」まるで緊張感のないトウジの声。

予備電源によるかすかな明かりの中、ぼくらは何ともいえない笑みを浮かべた。

「あ、そうだ」

ちょっとおかしなことに気がついたので、ぼくは訊いた。

「最初からこの中にいたって言ってたけど、最初っていつから?」

「最初は最初だよ。シンジが中に入った後、すぐ」ケンスケが答えた。

「それじゃ、どうしてリツコさんとかに見つからずに侵入できたの?」

そうだ。発進前に乗り込んだのなら、誰かに見つかって当然なのだ。
それに通信スイッチを切ったのは、地上に出て使徒と対峙する直前だった。
他にもネルフの目をかいくぐることの出来ない要素はたくさんあった。

なのに、どうして誰も注意しなかったんだろう。そのことを言うとケンスケは、

「それは、まあ、この世界によくある『アレ』を使ったんだよ」

と言って苦笑した。トウジも「ははは」と乾いた笑いを浮かべていた。

「『アレ』?」

「そう、『アレ』だ。まあ、言わなくても分かるだろ?」

確かに、言われなくても想像がついた。ため息が出る。

『アレ』――それはたぶん『ご都合主義』というヤツだろうな、と思った。

苦し紛れによく使われる手だ。いや、気付かない内に使われていることもあるかもしれない。

まったく恐ろしい手段だ。さすが『アレ』と呼ばれるだけのことはある。




5.綾波レイと遊ぼう


ぼくがうじうじと下らないことを言い、家出をする、なんてエピソードをやったところで、
絶対にうそくさい芝居しか出来ない。きっとつまらなくなるだろう。
ほぼ全会一致でその部分はすっ飛ばすことに決まった。

反対したのは、ケンスケただひとりだけだった。
あの『ひとりサバイバルゲーム』のシーンは外せないと言ってきかないのだ。
もちろん少数派の意見は即刻却下された。ゴメン、ケンスケ。




舞台は校庭。ぼくたち男子は体操着を着て、だらだらと汗をかいている。
そばのプールサイドでは、スクール水着姿の女子たちがきゃあきゃあと騒いでいる。

輪に加わらず、影でひっそりと腰を落ち着けている綾波。ぼく、彼女を見つめる。

何だかト書きみたいになってるな。うっかりセリフの前に名前をつけるところだった。
危ない危ない。あとちょっとで横着をしてしまうところだった。本当に危ない。

そういえば、まだ彼女に謝っていなかった。例の冷たくあしらった件のことだ。
その内2人きりになるシーンがあるから、その時がチャンスだ、と思った。

「シンジ、今回も綾波に気がある設定か?」

振り向くと、トウジがニタニタと笑っていた。何だかとてもうれしそうだ。

「さあ、どうだろう。分かんないよ」ぼくは曖昧に答えておく。

「ホンマか? ジーっと見てたやないか、いつもより真剣なまなざしで」

トウジは『まなざし』という表現をし、その部分を強調して言った。

「なあ、お前はいっつも綾波のどこを見とるんや?」

そろそろあのセリフが来そうだ。聞いてるこっちも恥ずかしいあのセリフが。

「やっぱ胸か? ああ見えて結構ありそうやもんなあ。
それとも太ももか? ピチピチしてそうやもんなあ。ちょっと肌が白すぎやけど」

意外と普通に訊いてきたので、ちょっと拍子抜けしながら「違うよ」と否定する。

「じゃあ、やっぱりあれか」トウジはさらにうれしそうな顔をした。

「あれだな」隣でケンスケもニヤニヤしている。

そして2人は同時に「綾波のふくらはぎ」と、いかにもヤラシイ顔で言った。

ぼくは冷静に「違うよ」と言ってから、かねてから思っていた疑問をぶつけてみた。

「ふくらはぎって、そんなにいいの?」

「アホ!」「バカヤロウ!」

2人は同時に叫んで、凄い形相でぼくを睨みつけた。

「お前にはあの素晴らしさが分からないのか」ケンスケがまくし立てるように喋る。

「そもそもふくらはぎというのはだな・・・・・・」

そして、奇妙な講釈をたれ始めた。

トウジはうんうんと何度もうなずいていたが、結局ぼくにはその良さが理解できなかった。

「まったく、情けないヤツや・・・・・・」

と、トウジに呆れられてしまう始末だった。




父さんの手の平の火傷にまつわるエピソードは、とっくに知っていたし、
今回もわざわざ杓子定規にリツコさんが語ってくれた。いつもと変わらない話だった。

それを踏まえた上で、プールサイドの綾波を見つめていたつもりだったのだが、
彼女はまったくこちらを見ようとしなかった。わざと避けているようにも見えた。
それともいつもどおりの綾波レイを演じているのかもしれなかった。

そして、いまぼくは初号機の中で待機している。零号機の再起動実験が行われるのだ。

モニターに、綾波が映った。彼女の正面には父さんがいる。
何か会話をしているようだが、その内容は分からない。だが楽しそうな雰囲気だと分かる。

綾波が、いつもの無表情に比べたら格段豊かな表情を作って話しかけている。
父さんも父さんで、いかつい顔をだらしなく緩めていた。本当にうれしそうだ。

と、ここまではいつもどおりの流れだった。だが――

「あっ」

その光景に、ぼくの目はモニターに釘付けとなった。

いきなり、綾波が父さんの手を取り、両手で包むように握ったのだ。

父さんは突然のことに驚いている。しかし綾波のまなざしは真剣そのものといった感じだ。

そして、彼女は父さんに身を寄せ、すがるように頬を父さんの胸元につけた。

ビックリしたのは父さんも同じで、こいつをどうしようかと自分の手を彷徨わせている。
綾波は案外冷静で、大人の父さんが慌てるという情けない図だった。

ふと、モニター越しに綾波の視線を感じたような・・・・・・気がした。

この時ぼくは思った。この綾波の行動はぼくに対する当てつけではないか、と。

もしや綾波がぼくに好意を持っているのでは、と言うと自意識過剰かもしれないが、
一概にはそうとも言い切れないのだった。

なぜなら、繰り返すが前回ぼくと綾波はとっても仲良しの設定だったからだ。

一度元に戻れば気持ちは冷めてしまうが、記憶はしっかりと頭に残っている。
もしかしたら綾波は、記憶だけでなく気持ちまで引きずっているのかもしれなかった。

もしそうだとすると、父さんは単なる道具として使われていることになる。
これをもってますますぼくは息子として情けなくなった。

父さんのせいで、ぼくはまた大きなため息をついた。




「あっ」

訪ねて来るなり、リツコさんはそう言って表情を曇らせた。

「・・・・・・何てことかしら。すっかり忘れていたわ」

「どうしたんですか。リツコさん」

とりあえずどうぞ、と言って彼女を家に上げながらぼくは訊いた。

「ああ、来るんじゃなかったわ」

さっきから自分だけにしか分からない呟きばかり繰り返している。

「シンジくん」暗い声で彼女は言った。

「私、帰ってもいいかしら」

「えっ、せっかく来てくれたのに」

「ちょっと用事を思い出したの。ミサトにそう言っておいてくれるかしら」

その言い訳は何だかウソくさかった。何をそんなに嫌がっているのだろう。

「ほんとに帰っちゃうんですか」

「ごめんなさいね」

彼女は玄関に引き返し、いま脱いだ靴をまた履き始めた。

1つひらめくものがあって、その背中にぼくは問いかけてみた。

「リツコさん、もしかしてアレを恐れているんですか」

彼女の動きがピタッと止まった。そして振り向かずに言う。

「・・・・・・アレって?」

「ミサトさん特製の・・・・・・『コーマ(昏睡)カレー』」

その名前は、前回リツコさんがつけたものだった。言い得て妙である。

彼女はため息をついてから、「そうよ」と認めた。

「だったら大丈夫ですよ、リツコさん」

「えっ」彼女は振り向いて、不思議そうな顔をした。

「どうして?」

「今回ぼく、頑張りました」ぼくは胸を張って答えた。

「実は、今度もまたミサトさんが『自分で作る』と言ってきかなかったんですけど、
そこをぼくは泣いて懇願しました。『是が非でもやめてください』と」

「ほんと?」リツコさんは称賛のまなざしだった。

「本当です。泣いたっていうのも演技でなくて、本気で頼んでいたら勝手に涙が出ちゃって」

「それで、ミサトはやめるって言ったの?」

「はい」ぼくは自信満々に答える。

「凄いわ。凄いわシンジくん」

リツコさんは両手を広げて、ぼくを思い切り抱きしめてきた。

香水の香りがぷんと鼻をついたが、それほど不快でもなかった。
抱擁は意外と心地良い。やっぱりこの人も女性なんだな、と頭の片隅で思う。

「ああ、ごめんなさい」彼女はすぐに身体を離した。

「あ、いえ・・・・・・」何だか急に気まずくなった。

すると、奥からミサトさんののん気な声が聞こえてきた。

「ねえ、リツコはー?」

改めてリツコさんに上がってもらい、ぼくらはダイニングに入った。

「あ、シンちゃん、お鍋がこぼれそうになってたから、私が代わりにやっといたわよん」

なぜか台所にミサトさんが立っていた。

しまった、大変だ。

「あ、あ、ぼ、ぼくがやります」

慌てて鍋の中を覗いたが、もはや手遅れだった。

振り向くと、いつの間にかリツコさんの姿が消えていた。




ぼくはいま、綾波が住む団地に向かっている。

綾波のセキュリティ・カードは、玄関に置いてあった。
リツコさん、すぐに帰って正解でした――今度会ったらそう言おうと思う。

今日こそ、綾波に冷たくしたことを謝る時だ。早く謝っておかないと危険である。
零号機再起動実験の際の彼女の行動から、結構根に持つタイプらしいことが知れていた。

チャイムを鳴らそうとしても、カチカチとまるで手応えがない。
部屋の中でピンポーンだのキンコーンだの鳴っている音もまったく聞こえなかった。

ぼくはドアノブに手をかけた。

「あれ?」

いつもはあっさり開くはずのドアが、今回に限ってロックがかかっていた。

ガチャガチャとノブをひねり回しても、ドアはロックでつっかえて開かない。
まるでこのドアがぼくを拒否しているかのようだ。

いや、実際は綾波がぼくの侵入を拒んでいるのだ。ロックをかけておくなんて彼女らしくない。
これは相当怒っているんだなと思い、一刻も早く謝らねばと気が気でなくなってきた。

仕方ないので、「あやなみー」と呼びかけながらドアをドンドン叩いた。

やけに響いたので、ドアを叩くのはやめてもう少し小さな声で呼びかけた。

「あの、綾波・・・・・・いる?」

と、ガチャリとロックの外れる音がした。

中で、スリッパの音が遠ざかっていくのが聞こえた。入ってもいいのだろうか。

「綾波、入るよ」

ちょっとだけビクビクしながら、ぼくはドアを開けて中に入った。

実は、ぼくはこのシーンを内心楽しみにしていたのだった。
楽しみに、と言うとちょっとイヤラシイ感じがするが、実際そうなのだから仕方ない。

こればっかりは何度やっても慣れない。いっつもドキドキする。当たり前だ。
毎回毎回、まるで恥じることなく裸身をさらす綾波を見て、動揺しないわけがない。

でも、これでもぼくは男だし、もう、というかとっくに中学生だし、
女の子の身体を見て、うれしくないと言えばそれは絶対にウソだ。

ところが今回ばかりはそういう流れにならなかった。

「カードは、そこに置いていって」

彼女は背を向けながら突き放すようにそう言った。

濡れた頭をタオルでふいているのはいつもの通りだが、恰好はまるで違う。
綾波はとっくに制服に着替えていた。ぼくは心の中で舌打ちをした。

「あの、綾波」ぼくは彼女の背中に話しかけた。

「この間は、その、ゴメン」

「・・・・・・・・・」

「冷たいこと言って、悪かったって思ってる」

「・・・・・・・・・」

こう無反応で返されると、ますます自分の非がひどいものに思えてきた。

「ゴメン」これしか言える言葉がない。

すると綾波は、クルッと振り向いてぼくを見据えた。赤い瞳は鋭い眼光である。
タオルをベッドに放ると、彼女は言った。

「何をそんなに謝ってるの?」

「へ?」思わず気の抜けた返事をした。

「私、碇くんに何かひどいこと言われたのかしら」

もう忘れてしまったのだろうか。それとも、わざととぼけているのだろうか。
無表情なもんだからサッパリ分からない。

そう言ったきり、綾波はカバンを持ってぼくを無視するように部屋を出て行った。

「あ、待ってよ」ぼくは慌てて後を追う。

完全無視、というわけではなくて、彼女は時々後ろを振り返ってぼくを見た。
綾波が振り向くたびになぜかぼくは立ち止まって、なかなか先に進まない。

しかし彼女がぼくを見る目は、無表情にしてはキツいまなざしであった。
やっぱり怒っているんだ。なのに何もなかったように振る舞われるのはつらい。

ところが電車に乗ると、綾波はぼくの隣に座った。席は他にいくらでも空いているのに。

車内がぎゅうぎゅう詰めの時のように、互いの腕と腕が触れ合うほどの近さだった。
なのに彼女は何も喋ろうとしなかった。だからこちらからも話しかけづらかった。

不意に、綾波がぼくを見たような気がして、彼女のほうを窺ってみた。

目が合った。

そらせばいいのに、綾波はジッとぼくを見つめていた。睨んでいると言ったほうが正しい。
なぜかぼくも目をそらすことが出来ずに、彼女の赤い瞳に吸い込まれてしまった。

どのくらいそうしていただろう。実際は数秒間だろうが、もっとずっと長く感じられた。

綾波のほうから「碇くんなんか、知らない」という感じで、プイとそっぽを向いた。
いったい何だったんだ。ぼくも視線を前に戻し、向かいの座席をぼんやりと眺めた。

ただ黙って並んでいると、どうしてもドキドキする。腕から鼓動が伝わらないか心配だった。

電車は降りる駅のホームに滑り込んだ。

本部の長いエスカレーターを下っていく途中、ぼくはようやく口を開いた。

「この間、父さんと仲良くしてたね。何を話してたの」

「・・・・・・別に」

そっけない返事だ。これではつなげる言葉もない。

仕方なくぼくは綾波の心情を窺うことにした。

「綾波、本当はぼくのこと怒ってるんだろ」

「何のこと?」彼女は振り向きもしない。

「あの時のことだよ。きみがストレッチャーで運ばれて・・・・・・」

「知らない」

やっぱり怒ってる。ムキになってる。声に抑揚はないが、そうだと分かった。

知らない、と言う綾波を無視してぼくは言った。

「あの時、ぼくはエヴァに乗らないって言って綾波に冷たい態度を取っただろ。
そうしたらきみは・・・・・・泣いてた。悪いことをしたな、って後悔してる」

「・・・・・・・・・」

綾波は黙っている。聞いているのか無視しているのか、背中からは分からない。

「本当にゴメン」

「・・・・・・・・・」

「ゴメン」もう何度も謝っている。

すると、綾波の肩が揺れたような気がした。気がしたのではなく、本当に揺れている。
後ろからだと、笑いをこらえているかのように上下して見えた。

実際彼女は笑っていた。くすくすと笑い声が洩れている。

「あ、綾波?」

呼びかけると、彼女は手で口元を押さえながらこちらを向いた。
目元が確かに笑っている。どういうことだろう。本当は怒っていなかったのか?

笑みがフッと消えた。直後、ぼくの左頬が、パン、と乾いた音を立てた。

平手打ちを食らったのだ。

痛かったが、それに構わずぼくは言った。

「・・・・・・ゴメン」

「もう、いいのよ」

綾波はそう言った。

「え、何が?」

「だから、もう謝らなくてもいいってこと」

「許してくれるの?」

「ええ。最初から怒ってなんかいなかったけれど」

怒っていなかった、とはどういう意味だ。それは本当なのだろうか。

「・・・・・・ごめんなさい」なぜか綾波が謝った。

「どうしてきみが謝るの」

「私、碇くんを騙してたの」

「え?」

「怒ってるフリをしてただけ。ちょっと碇くんをからかってみただけなの」

何だ、そういうことか。ぼくは安堵のため息が出た。

電車で隣に座ったりしたのは、もしかしたらぼくに対するヒントなのかもしれなかった。
実は私は怒ってなくて、からかってるだけなのよ、というサインだったのかもしれない。

でも、いま殴られたのはどういうわけだろう。そう訊いてみると彼女はこう言った。

「碇くんに冷たくされた仕返し」

「・・・・・・何も、殴ることはないだろ」

「だって」綾波は微笑みながら言った。

「こういう時、何て言えばいいか分からなかったんだもの」

やっぱり怒ってたんじゃないか。




『パターン青』 終わり




≪あとがき≫

どうも、うっでぃです。

単なる『終わり』という形をあえて取っておりません。
つまり別の『パターン』が存在することを暗示しています。

今回が『青』だったので、次は『赤』ですかね。
つまり何が話の中心になるのかはだいたい想像がつくと思われます。

ちょっとだけ文体を変えてみましたが、ちょっと読みにくいかもしれません。
ただ、これは乾いた文章を目指すためにやったことです。
一応これのジャンルは、自分の中では『ギャグ小説』なので、
なるべく突き放したような文にしたかったのです。

ちなみに、ラミエル出現→ヤシマ作戦→零号機が盾になる→「あやなみー」のくだりは、
最後のセリフでうまくまとめられたため、割愛しました。

まあ、そういうわけで、ではではまたまた。


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