■1 電話が鳴っている。 コール音が響くだけで、誰も出る気配がない。 仕方がないな、と思いながらぼくは重い腰を上げた。 窓の外はうららかな休日の朝である。差し込む日の光が家のホコリを教えてくれた。 電話機の置いてある棚の上も、光の筋が通ってたくさんのチリが散っていた。 そういう見た目がよろしくないので、ちょっとだけ受話器を取りづらかった。 「はい、もしもし」 「あ、もしもしー」 電話の相手はすぐに分かった。 「なんだ、アスカか」 「なんだ、とは何よ。ひどーい」 「いや、ゴメンゴメン」 少しでもむくれたらとりあえず謝っておけ、というのが鉄則である。 「それで、何か用?」 「今日って、どうせ暇でしょ」 「暇だけど」 どうせ暇、という言いかたが少し気に入らなかったが、確かにどうせ暇だった。 「だったらさあ、どこか連れてってよ」 「えっ、どこかってどこだよ」 「例えば、遊園地とか」 「遊園地? デートでもするの?」 「そうよ。デートのお誘いしてるの。断る理由なんてないわよね」 暇だ、と言ってしまっているから、断ることなど出来そうにない。 「遊園地ねえ・・・・・・」 「いいじゃない、たまには遊びに行こうよ。どうせ暇なんだし」 また、どうせ暇、である。無趣味を悟られているらしい。 それから彼女は、一方的に待ち合わせ場所と時間を決めてしまった。 「それじゃ、後でね。バイバイ」 電話は切れた。 どうしよう、まだ着替えてもいないのに時間はほんの僅かしかない。 頭は寝癖が立ってるし、顔も洗ってないし、歯も磨いていない。 どうせ外に出ないと思っていたから、身支度がひと苦労だった。 「デートか」 ズボンを穿きながら、ぼくはそう呟いた。 ■2 「もう、5分も遅刻よ。信じらんない」 待ち合わせ場所に着いたとたん、怒られてしまった。 5分くらいいいじゃないか。わざと遅れたわけじゃないんだ。 「電車で行くの?」 待ち合わせ場所とは最寄り駅のことだった。 「そうよ。当ったり前でしょ」 何が当たり前なのか分からなかったが、とりあえず遊園地近くまでの切符を買った。 ホームで、並んで電車を待っている時、やけに視線を感じた。 どうやらみんなアスカを見ているらしかった。見ているのは男ばかりだ。 「みんなが見てる」 そっと耳打ちすると、 「分かってるわよ。みんなアタシの美貌に見惚れているんだわ」 などと言って、すました表情である。 こういう風に知らない男たちに好奇な目で見られるのは、ぼくにとっては心配だ。 「もしかして、心配してるの?」 ぼくの心を見透かしたように彼女は言う。 「大丈夫よ。これでもアタシ、しっかりしてるほうだから」 「そうかなあ・・・・・・」 何だかますます心配になった。 電車は、休日ということもあってさほど込み合ってはいなかった。 しかし席は埋まっていて、仕方なく立ち乗りとなった。 吊り革につかまっていると、また視線が気になり始めた。 ちょうどぼくの前で座っている男の目が、明らかに彼女をとらえている。 ジトーっとねめつけるような視線が気持ち悪い。 ぼくは逆に――何が逆かは分からないが――その男を睨み返してやった。 しかし男はぼくの視線にはまるで気づかなかった。迫力がなかったせいかもしれない。 ピロピロピロとうるさい音が鳴った。携帯電話の着信音だろう。 ドア付近に立っていた女性が慌ててカバンの中からそれを取り出し、音を切った。 「アスカは?」 ちゃんと電源を切っているかどうかを訊いてみた。 「アタシはちゃんと切ってるわよ。ほら」 と言って、何の表示もない携帯画面を見せた。 「偉いでしょ」 彼女は首を傾けて、ニコッと笑った。 そして、その表情のまま下のほうに顔を動かした。 ぼくの前に座った男が、照れたのか驚いたのか、慌てて下を向いた。 もう一度彼女を見ると、アスカはウインクしてみせた。 ■3 その遊園地は、子供連れの家族やカップルなどで埋め尽くされていた。 要するに混雑しているというわけだ。休日だから仕方ない。 「ねえねえ、どれに乗ろうか」 アスカはいつになくはしゃいでいた。ワンピースの裾がふわっと揺れる。 どれに乗ろうか、と訊いておきながら、ぼくを絶叫マシーン乗り場へ連れて行くのだった。 「いやだなあ、怖そう」 高い所から一気に落下するさまを見上げながら、ぼくは弱音を吐いた。 塔の周りに座席がついていて、それが一番上から急速に落下するという代物だった。 「大丈夫大丈夫。そんなに怖くないって。アタシも付いてることだしさ」 だから怖いんだよ、とは言えなかった。 彼女は逃げ腰になるぼくの腕をつかまえたまま、行列に並んだ。 人の流れは比較的すんなりとしていて、順番の回転が早く感じられた。 こういう時に限って誰も割り込みしないのだった。せっかく見逃してやるのに。 ついにその番が来た。安全バーは大丈夫なのか、機械は正常なのか、不安でたまらなかった。 隣ではアスカがニコニコしている。これのどこが楽しいのだろう。 ゆっくりと上昇していった。足がブラーンとしているのが頼りなくて余計におっかない。 どんどん地上から離れていく。高い所は好きじゃない。ドキドキして胸が痛い。 彼女は「わあ、わあ」と怖がる素振りを見せつつ、実は喜んでいるようだった。 だがぼくは隣の様子など気にしている場合ではなかった。上昇が止まったのだ。 ちょっと間があった。それは永遠のように感じられた。 ところがやはり、名ばかりの永遠はあっけなかった。 座席から軽く尻が浮いた。息が出来ない。首筋がざわざわしていた。 そして、急降下はガクンとスピードを落とし、したたか尻を打った。 「あー、すごい。楽しかった」 アスカの声がした。落下中はきゃあきゃあ叫んでいたようだが、そこに恐怖はなかったらしい。 ぼくなどはあまりの衝撃と恐怖で声すら上げられなかったというのに。 「ああ、もうダメだ」 ぼくはベンチにへたり込んだ。いきなり凄いのに乗って、早くもヘトヘトになっていた。 「もう、情けないわねー」 目の前では、アスカが腰に手を当てて呆れた顔を作っていた。 「それじゃあ、今度は静かなので許してあげるから、行こう」 ムリヤリぼくの手を取って、彼女は歩き出した。もう少し休ませてくれたっていいじゃないか。 「あ、あれにしよう。あれならいいでしょ」 彼女が指差したのはコーヒーカップだった。あんまり回らなければ大丈夫だろうと思った。 「分かったよ、乗ればいいんだろ」 周りのカップにはカップルばかりだった。そのことを言おうとしたが、 つまらないダジャレだと思われそうだったのでやめた。 やがて、動き出した。 「ねえ、もう少し回してもいい?」 丸いテーブルに手をかけながら彼女が言う。 「ダメだよ。さっきので気分が悪くなったから、回すのはダメ」 「むー」 アスカはむくれ顔をした。むくれた時は謝れが鉄則だが、こればかりは譲れない。 「しょうがないなあ・・・・・・」 彼女はテーブルから手を離した。一応分かってくれたらしい。 しかし、よかった、と思った直後のことだった。 「やっぱり回しちゃおっと」 彼女はもう一度テーブルに手をかけ、ぼくが止めようとするのを振り切って回した。 徐々に回転が速くなっていく。ぐるぐるぐるぐる・・・・・・ ぼくは目を閉じた。歯を食いしばった。しかし何の意味もなかった。 彼女はうれしそうにきゃあきゃあ騒いでいた。目が回らないのだろうか。 ぐるぐるぐるぐる、ぐるぐるぐるぐる・・・・・・ 「ああ、もうダメだ」 ぼくはベンチにへたり込んだ。気持ち悪くて、喉元までこみ上げてくるものがあった。 「もう、情けないわねー」 目の前では、アスカが腰に手を当てて呆れた顔を作っていた。 何だかさっき見たような光景だ。 「ごめん、アタシが悪かったわ」 さっきとは違って、済まなそうな顔で彼女はぼくの隣に腰掛けた。 「吐きそう?」 と言って、ぼくの背中を優しくさすってくれた。 「たぶん大丈夫」 無理して強がってみた。でもまあ、たぶん大丈夫だろう。 「もう少しここで休む?」 「いや、いいよ」 やはり強がって、ぼくは立ち上がってみせた。少しふらふらしたが、たぶん大丈夫だろう。 「ほら、もう平気だから」 「ほんと? それじゃ次行ってみよう」 まだ乗るのか・・・・・・もう少しへばっておけばよかった。 ■4 「はい」と言って、ぼくはソフトクリームを渡した。 「サンキュ」 ぼくらは、その後もぼくが何度となくお世話になったベンチに座った。 「ねえ、ひとくちちょうだい」 ぼくが最初のひとくちをつけようとした時、アスカが物欲しげに見つめてきた。 「ひとくち」とそればかり言うのだった。 せっかくアスカがチョコレートがいいと言っていたから彼女の分はそれにして、 ぼくはバニラにしたのに、本当はどっちも食べたかったのだ。 食い地が張ってるなあと思いながら、仕方なくひとくちだけあげた。 すると、あーん、と言って彼女にほぼ半分くらい食べられてしまった。 「あー、ひどい」 ぼくは咎めるように睨んだが、彼女は「おいしー」とのん気だった。 しょうがないので我慢したが、口につけるときちょっと戸惑った。 このままだと間接キスになってしまうな、と。 「あ、間接キスになっちゃうね」 アスカもそう言ってニヤニヤするので、食べるのに苦労した。 「わあ、たかーい」 小さな子供のように、アスカは窓に顔をつけた。 「ねえ、見て見て。ほら、あれ」 目は窓の外に向けながら、ぼくのほうにひらひらと手を振った。 こっちへ来いという意味らしい。ビクビクしながら向かいの席に移った。 観覧車のゴンドラは、どうやら一番高い所に来ているらしかった。 彼女に言われて軽く地上を覗いたが、とてつもない高さだった。まったく恐ろしい。 思わず「ひええ」と情けない声を上げてしまった。 「もう、情けないわねー」 またその言葉を言われてしまった。ぼくのせいで口癖になったようだ。 ゴンドラが片方に傾いているから、危ないので均衡を保とうと席を立った。 すると、彼女がぼくの腕を取った。 「いいじゃない、一緒に座ろうよ」 「えーっ」 「ほら、座って座って」 しぶしぶ座ると、アスカはそのまま腕を絡めて身体をくっつけてきた。 「あ、アスカ・・・・・・」 「降りるまでこうしててもいい?」 「・・・・・・まあ、いいけど」 本当に降りるまでその恰好でいた。時折彼女は「うふふ」と言って、何だかうれしそうだった。 それがとてもかわいらしく思えて、ぼくはアスカの頭を『いい子いい子』した。 観覧車を降りた後も、彼女はずっとくっついていた。 歩きづらかったが、もちろん煩わしいなどとは思うはずもなかった。 そろそろ日も暮れる頃である。ぼくが帰ろうかと言うと、彼女は静かにうなずいた。 何となく寂しそうな横顔が気になった。 ■5 毎日つけている日記を書き終わると、ぼくはふうとため息をついた。 壁にかかった時計は、夜の12時を指している。もう寝る時間だが眠気はない。 今日書いたことはもちろん、アスカとのデートのことだ。 いつもは2,3行で済ます日記も、今日に限っては長くなった。 それに、いつもは書き終わるとパタンと日記帳を閉じてしまうが、 何となくいま書いた文を見返してみた。 見ると、所々字が歪んでいた。たぶん、ドキドキしながら書いたせいだろうと思う。 イスの背もたれに背中を預け、ぼくは上を向いた。天井に薄茶色のシミがあった。 ぼんやりとしながら、ぼくは帰りの電車内のことを思い出していた。 「空いてるね」 ホームに滑り込んできた電車の中の様子を見ながら、アスカが言った。 確かに車内はとても空いていて、ガランとしていると言っていいほどだった。 だから、座れる席は選べるほどたくさんあった。 「今日は楽しかったね」 並んで座ると、彼女はゆっくりとそう言った。 「また行きたいなあ、遊園地」 「またその内連れてってあげるよ」 ぼくが恰好つけて言うと、アスカはうれしそうに「大好き」とぼくにささやいた。 ちょっと照れた。とてもうれしかったのだ。 しばらくぼくらはボーっとして電車に揺れていた。 ただ黙って一緒にいるだけでも、心が安らぐのだった。 「ちょっと眠くなっちゃった」 その内、本当に眠そうな声で彼女はそう言った。 「しばらくこうしててもいい?」 そして、ぼくの肩に頭を乗せて、むにゃむにゃと言いながら目を閉じた。 赤の他人だったら煩わしいが、アスカならむしろ歓迎と言っていいほどである。 寄りかかる彼女の重みを感じながら、ぼくは窓の外の景色を眺めていた。 外が暗くなったため、窓にぼくらの姿が反射していた。 隣ですやすやと眠るアスカの寝顔は、幼い少女のようにあどけない。 しかし少し乱れた前髪が顔にかかって、女性の艶っぽさが表れていた。 こういうかわいらしい女の子を他人の目にさらすのは、少し心配だった。 今朝も駅や電車内でジロジロといやらしい目で見られていた。 彼女は気にするというより、むしろそれを自信に持ってしまっているようで、 ぼくとしてはますます心配になるのだった。心配はキリがない。 各駅停車なので何度も駅に到着するが、乗ってくる人はそれほどいなかった。 だからくつろいだ気分になり始めて、ぼくもだんだんと眠くなってきた。 寝てるからいいかな、と思い、アスカのほうに頭を傾けて目を閉じた。 そして、いまにもパタッと眠ってしまいそうになった時、アスカの寝言が聞こえた。 「シンジ・・・・・・大好き」 ■6 あのデートの日からしばらく経った、別の休日のことだった。 ぼくは相変わらず、『どうせ暇』状態だった。 そして、あの日のように電話が鳴っていた。 またしても誰も受話器を取る気配がない。仕方なく、ぼくは重い腰を上げた。 外は、昨日の夜からの雨がざあざあと降り続いている。 窓から空を見上げると、一面暗い雲が広がっていた。まるでぼくの心のようだ。 受話器を取った。 「はい、もしもし」 「あ・・・・・・もしもし」 声の調子はいつもと違うが、相手はすぐに分かった。 「なんだ、アスカか」 「うん」 どうやら本当にいつもと違う。「なんだ」と言えばいつもならそれを咎めるはずなのに。 「何か用?」 「うん・・・・・・ちょっと、そっちに行ってもいい?」 「え、ああ、いいけど。別に勝手に来て構わないのに」 「・・・・・・それじゃ、夕方頃になったら行くね」 「夕方か。いますぐ用があるわけじゃないんだ」 「うん」 彼女の「バイバイ」で、電話は切れた。 何だか元気がなかった。心配事でもあるような感じの声だった。 どうしたんだろう、と考えている内に、いつの間にか時間は過ぎていた。 そして、夕方になった。 ぼくは、いつも日記をつけている机に着いていた。 そしてアスカのことを思い浮かべていた。 朝に電話をもらった時から、何となくある種の予感がしていた。 その予感が当たりそうな気がして、素直にアスカを出迎えに行こうと思えなかった。 トントン、と部屋の戸を叩く音がした。 「入ってもいい?」 アスカの声だ。 ああ、と言うと、後ろでスッとふすまの開く音がした。 「あ、暗い」 彼女はそう呟いてから、電気つけるよと言ってスイッチを入れた。 しばらく2人とも黙っていた。 ぼくはずっと背を向けていたから、彼女の表情は分からない。 だが、何となくモジモジしているのが察せられた。 「あのね」 小さな声でアスカは言った。 「今日、ここに来たのは・・・・・・」 そう言ったきり、彼女は口をつぐんだ。 また、沈黙が訪れた。 そしてその沈黙を破ったのもまた、アスカだった。 「会ってもらいたい人がいるの」 ぼくはふうーっと長いため息を洩らして、ゆっくりと後ろを振り向いた。 アスカが、しおらしい表情をしながら立っていた。 彼女は後ろを振り向いて、ふすまの外へ向かって「入って」と言った。 ふすまの陰から部屋の中に現れたのは、アスカと同年代ほどの男だった。 サッパリとした風貌で、見た目の印象は爽やかとしている。 ぼくはその男の顔をジッと見つめた。彼もぼくをジッと見返した。 そして彼は言った。 「はじめまして。ぼくは、碇・・・・・・」 「シンジくん、だね」 彼の言葉にかぶせるように、ぼくはそう言った。 一瞬の驚きを見せたが、やがて彼は「はい」とうなずいた。 なるほど、予感は的中したということか――そう思うと、なぜかフッと笑みが浮かんだ。 ふと、アスカに目をやった。 ぼくの娘は、青い瞳いっぱいに涙を浮かべていた。 終わり ≪あとがき≫ どうも、うっでいです。 ちょっち分かりやす過ぎるネタだったでしょうか。 それとも、これは既出のネタだったんでしょうか。 あんまり多くFFを知らないもので、 調子こいて先立ったネタを使ってしまったとしても容赦下さい。 本文中に書かなかったのですが、設定としてはアスカは20代前半です。 そう書いてしまうと余計にバレバレになりそうだったもので。 それから、またしても遊園地を引っ張り出してきてしまいましたが、 困った時は遊園地、というのが私の苦し紛れの手段でして、 安直且つ陳腐な展開にしてしまって相すみませんでした。 この後どうなるのか、というのは、タイトルが暗示しています。 一応『終着点』としましたが、イコール『出発点』とも言えます。 そういうわけで、ではではまたまた。
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